19世紀が舞台の「副王家の一族」から透けて見えるイタリアの“今”とは?
2009年11月6日 16:48

[映画.com ニュース] 20世紀文学の名作「山猫」に影響を与えたといわれる古典小説「副王たち」を映画化した「副王家の一族」。イタリアのネオ・レジスタ(新しい監督群)の代表格と称されるロベルト・ファエンツァ監督に話を聞いた。
同作は、19世紀なかばのシチリアを舞台に、名門貴族が権力争いや身分違いの恋などさまざまな問題を抱えながらも激動の時代を生き抜いていく姿を描く。
映画の中心となるのは封建的な父ジャコモ(ランド・ブッツァンカ)と、一族の長男コンサルヴォ(アレッサンドロ・プレッツィオージ)。「原作には4、5本の映画が撮れるくらい充実したエピソードが描かれていますが、僕は物語を主観的に見せたかったので、コンサルヴォを語り手に“父子の確執”を描きました。また、原作にはないコンサルヴォの子ども時代を描き、大人になるまでの彼の意識の変化を表したかったのです」
50年前から「山猫」のルキノ・ビスコンティ監督ら多くの監督が映画化を熱望してきた同作。ファエンツァ監督は原作のどこに惹かれたのだろうか。「1800年代の作品なのに、非常に現代的ですよね。ラストの『イタリアは生まれた。今度は“イタリア人”をつくらねばならない』というセリフも、今のイタリアを予見しています。つまり、動かない国であり、動くことに対して恐れを抱いている国。逆を言えば、経済危機があっても存続しつづけるイタリアは、権力基盤が強く、保守的な国ということを暗喩したセリフだと思います」
監督が指摘するイタリアの保守的な性格は、彼いわく「90%が国とTV局の資金でまかなわれている」という特殊な映画製作についても言えそうだ。「イタリア映画は、国が5~6割の資金を出して、残りをTV局が放映権として買います。原作はTVドラマ化もされていますが、修道院の描写が議論を呼んでいました。政治や宗教、教会に批判的な作品は、映画化が難しい。言わずもがな、僕自身も政治家に嫌われる監督ですからね(笑)。でもたまたまTV局内の“権力争い”に隙ができて企画が通ったんです。資金繰りには10年かかりましたが、とてもラッキーでした」。
「副王家の一族」は11月7日公開。
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