大いなる不在のレビュー・感想・評価
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変貌
なんとなくサスペンスって印象があって見に来たのだけれど、老人が痴呆になっていく過程の話だった。
特にサスペンス要素などない。
予告を誤解していたようだ。
だってね…直美を探したところで何かの真相に行き着くわけでもないし、誰かの無実が証明されるわけでもない。彼女はキーパーソンでもなんでもない。
必要性が薄いのだ。
今すぐに見つけなきゃいけない理由がない。そりゃいつか会わなきゃいけない人ではあるけれど、いつかでいい人物なのだ。
金を請求してくる息子への反証の必要性もない。
だからサスペンスでもミステリーでもない。
探す理由があるとするなら、老人ホームに入った父のお世話をしてもらうくらいのもんだ。
父の口から直美への執着が吐露される事もない。
冒頭、森山氏の一人芝居があって…人が溶けていくように見える身体表現がさすがだなぁと唸る。
そのワードが頭にこびりついて、以降ボケていく様が「溶けていく」ように感じてた。
形ある厳格だった父から、記憶なんかが剥がれ落ちていき父親像は溶けて歪な者に変わっていく。
そんな状態と重なってくようだった。
物語の時系列は逆行したりもして、何故だとも思うのだけど、痴呆症が進行していく脳内の表現ならばありなのかなと思う。泡のように消えたり、唐突にごくごく自然に認知できたり。
とまぁ、なかなか込み入った作りだったりもして、含みもあるような設定と展開ながらも、作品としてはイマイチつまんなかった。
藤さんの怪演は見ものではあるけれど。
「海辺のリア」をやった仲代さんは、どっか狂ったような感じであったのだけど、藤さんのソレは怪物のようだった。
外見も本人だし、思考も本人のソレだし、話し方もなんら変わらない。ただ、およそ本人が話すであろう内容とかけ離れてる事を喋る。
虚空に目線が泳がない。
むしろ対象から視線が剥がれない。
淡々とした口調で信じ難い主張を繰り返し、ジッとまるで目の奥を覗き込むような視線が剥がれる事がない。そんな視線を浴び続ける息子は恐怖そのものだったんじゃなかろうかと思う。
空き家のような感じだろうか?
外観は変わらないのに、屋内は荒れ果ててたときのような不気味さが藤さんにはあった。
……。
うーん、やっぱ正直に書くか。
正直、気持ち悪いのだ。
痴呆症が、ではなくて監督の思い入れが。
いや、あるのか無いのかわからないよ?
でも、そう感じてしまったんだもの…痴呆症を患ったお父さんの事好きだったんだろうなぁとか、懺悔なのかなぁとか。タイトルからして「大いなる」なんだもの。
本人に何を語りかけても蓄えられていく事はなく、不在と言えば不在だ。
確かに居たんだ。今は居ないだけなんだ。
でも帰ってくる事はないんだよ。
大いなる不在が誰かの事ではなく、痴呆症の事だとして、老人が行使する特権なのだとしても簡単に受理はできないし享受するのも難しい。
ただただ受け入れるしかない。
どんなお題目を並べたとしても当事者の救済や軽減にはならないのだと思われる。
突如、変貌した父に巻き込まれていく息子は、拒絶も放棄もしなかったけど観察はしてた。どこか他人でラストに至り邂逅したようではあったが。
そこら辺りが懺悔に見えちゃったりする…。
人が溶けていくように歪な者に変貌していくとして、最後に残るのは何なんだろうと考えた。
父は人生の大半を占めていたであろう直美さんとの愛情も忘れた。忘れてしまった事への自覚もあったような描写もあった。直美さんは旦那さんが全てだったのだろうと思う。彼と暮らす為に色んなものを捨てて一緒になったようでもあったし、彼女としては旦那さんとの愛ある生活だけが、彼女が彼女を許していける唯一のモノだったようにも思う。
それが失われた。
他でもない旦那さんによって、泡のように消えた。
人格は残ったのかな?
体裁と言ってもいいのかもしれないけれど、体外的な印象は保とうとしてるような雰囲気だった。
藤さんの芝居を見てて荒唐無稽な発言も多いけど、その裏にはソレを肯定するものが本人の中には必ずあるような印象だった。
その何かを把握できれば対処もしやすくなるかなと考えなくもない。実際はわからんが。
そんな中で、息子に対する情だけが無くなる事はない。
…そんな都合のいい事あるの?
いや、あるんだろう。無いとは言い切れない。
が、どうにも粘着質な空気を嗅ぎ取ってしまう。
どのような解釈なら父を卑下しないで済むのか、父の尊厳を保ってあげられるのか…そんな意図があるような気がしてならない。
藤竜也さんが好きだから観にきた。
やはり名優だと何度も思う。昔からそうなのたけど、台詞に気負いを全く感じない。その時生まれたかのような言葉が発せられていく。
痴呆症って役所を鑑みて、所々アドリブだったりワザと変えたような箇所もあんのかなと邪推してしまうくらいだ。
原さんは、復帰作なのかな?久しぶりに拝見したが、お元気そうで何よりだった。
真木さんは…日本語のアクセントが妙で、英語脳にでもなってるかのようで、舌が日本語用じゃないような印象だった。
あ、原さんの妹はナイスなキャスティングだった。何だろ?艶っぽい空気感があって「乱暴された」って状況に説得力をもたらしてくれてた。
言うなれば、崇高なテーマがあったのであろう本作の大半を俺は汲み取る事ができませんでした。
行く先の自分を想像して。
時系列がごちゃごちゃで混乱
2024年劇場鑑賞205本目。
てっきり亡くなった父親の事を遺品や関係者の話で追う話だと思っていたらお父さんしっかり生きてました。
冒頭あれ、映画間違えたかな?と思う展開で、どうしてこうなったのかを最後までこちらは抱えていなければいけないのに、時系列のめちゃくちゃさでより混乱してしまいました。森山未來が前衛的芝居をしてるのはこれ素だろ、と思いました。
タイトル素晴らしい
豪華俳優陣で観たかった映画🎬
なんと監督ティーチインつきで鑑賞☺️
わーい🙌
最初は主人公の父に対しての視点ですすみ
あれ
再婚相手の直美さんがいない
どこ?
直美さんの息子も
直美さんの妹も
居場所を言わないし
認知症の父の言うことが
毎回違うから
主人公は戸惑いながら
手探り状態
スリリングな流れで
面白い
直美さんは海へ?
亡くなったのかな
父のことをよく考える映画だった
父と確執のある人に観てほしい
タイトルも素晴らしい
息子から見た父の事に最初捉えていたが、映画をみていくと、父から見た直美さんの事にも捉えられて
良いタイトルだなぁ
近浦監督は
映画への熱意が溢れていた
お話がとても上手な監督さん✨
また札幌に来てティーチインしてほしいです☺️
アナログ世界の自由人
認知症は、父親と義母の互いの愛情を引き裂いていく。
ふたりの大切な思い出がつまったそれぞれの日記。
義母が、認知症が進んだ父親の家を出るとき、その日記は置かれたまま。
彼女はなにかを断ち切ったのだ。切なすぎる瞬間。
その間を取り持つ息子は、ずっと会ってなかった父親、亡き実母両方への複雑な感情を抱えながら、心揺れ動く。
家族にはいろいろな形がある。運命には抗えない。家族は家族だから。
親子の愛情の在り様も刻々と変化していく。父親の胸中に去来するものは何?
息子は舞台俳優だ。複雑な感情を表現するのはお手のものだ。ただ、それが自分の身にふりかかると戸惑いは隠せない。そのへんの機微を、森山未來は彼ならではの感性で好演している。
藤竜也の父親も圧巻。「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスに匹敵するかもれない。
アナログ世界の自由人。頑固一徹の学者。藤達也でしか演じられない。そう確信した。
藤竜也がヤバい。
素晴らしい映画でした!
複雑で緻密な構成にパズルのピースがハマっていくように愛情が浮かび上がって来る
なんと哀しいストーリー。子供の頃の両親の離婚を機に疎遠になった父へは、感心が薄い息子が、徐々に父へ愛情を感じていく様子がその行動から読み取れるように描かれている。少し複雑に見える時系列の描き方も、パズルがはめ込まれるように明確に事実を語るにはとても効果的で引き込まれる。徐々に痴呆が進んで行く過程で、愛情で記憶を繋ぎ留めようとしても、容赦なく進行していく様子がつらい。淡々と事実を確認していく息子の僅かな感情の揺れを森山未來は見事に演じている。それは藤竜也の説得力ある存在感があるからこその効果でもある。リアリティのある、そして感情を揺さぶられる作品だった。
父と息子の深い話
多くの人がイメージするインテリの嫌な部分(理屈っぽくて傲慢で、妙な拘りがあって…)を具現化したような学者である父親に子供の頃に捨てられた息子がその父親の半生を辿っていくという話。途中で父親と再会したときのやりとりなども、時系列を前後しながら描かれる。「自分を捨てたあなたが言うか」というような父親の無頓着な発言などもある。つかみかかってもいいような発言もあったが息子は良好な関係にある父と息子がそうであるように、それを普通に聞き流す。そして父親の再婚した妻も含めた交流を続ける。
父親には認知症の症状が現れ、病状は進む。身勝手ともとれる行動をいくつも起こし、身勝手ではすまされないような酷い言動を妻にはとってしまう。
認知症の悪化のために変わっていく父親に再婚した妻は身も心も傷つき離れていく(おそらく妻の妹が見かねて引き離したのだろう)。そして息子は残された妻の日記やその中にあった父親のたくさんの手紙を読み込み、父親が過去に訪れた土地にも行く。そして離れていった妻を探す。父親の生き様を丹念に丹念に追いかけて行くなかで、今ではボロボロになってしまった父親を理解していく。これは役者としての素養(感受性、人間への理解度など)のなせる業かなと思ったりもするが、息子の父親への理解、思いに嘘はない。
この息子を自分に置き換える。自分の息子に置き換える。父親をも自分に置き換える。この息子の豊かな感受性と懐の大きさに僕は感動してしまう。そしてボケたくないな(当たり前だね)。
俳優陣は良かった
父が父でなくなって初めて寄り添うことができた悲しみ
「永遠」 それが叶わないのは当然だったと改めて気付く
サスペンスと思いきや
どっぷりヒューマンドラマとして成立しているこの作品。
親子愛
夫婦愛
家族愛
見えない糸でそれぞれ繋がり人生が絡み合い
それぞれの理由
それぞれの愛情表現
それぞれの大事な物
そしてそれぞれが生きてきたこれまでの道徳。
認知症の描き方が絶妙で
外的な所動やわかりやすい描写に偏るのではなく
あくまでも本人自身の葛藤や、
それを取り巻く人々の困惑や悲しみ、
戻ることのない記憶への絶望を
感情のフィルターを通して映像表現されているのが
35mmフィルムでの投映も肉感的で
リアルに心を描いた説得力を感じた。
各々の過ごした時間は各々の時間軸で存在している
それが個々の人生そのものであり
その奥深い本質はその人だけが知っている。
その本意を知った時に真愛を知る。
とにかくキャストの皆様、天晴無敵です。
観た人それぞれ、感じ方が違うだろうなと確信する
演技の振り幅が観れて大満足。
本当に凄かったです
#近浦啓 監督
#藤竜也 #森山未來 #原日出子 #真木よう子
#三浦誠己 #神野三鈴 #利重剛 #塚原大助 #市原佐都子
タイトルなし(ネタバレ)
ある日、一人暮らしの老人・陽二(藤竜也)が警察に逮捕・保護された。
身元引受人は息子の卓(森山未來)。
妻・夕希(真木よう子)を伴って東京から暘二の暮らす北九州まで赴いた。
会うのは数年ぶりか。
卓は母とともに暘二から棄てられたという思いがあり、以前会ったのも十数年ぶりだった。
陽二には、再婚相手の直美(原日出子)がい、学究肌の暘二の世話を甲斐甲斐しくやいていたはずだった。
保護施設に入れられた暘二は傍から見ても認知症になっており、妄言妄想にとりつかれているようだった・・・
といったところからはじまる物語で、タイトルの『大いなる不在』は「永の空白」といったところだろう。
父と息子に横たわる長らくの空白時間。
その父との空白の時間、その間に父が何を思っていたかを息子の卓が埋めて、自身の腑に落としていく話・・・と思って鑑賞に臨んだ。
本筋はそうなのだが、なんだが、よくわからない。
暘二と直美の話は、息子が紐解いていった父の物語なのか、父自身の回想なのか・・・
そんなことはどちらでもいいという向きもあるかもしれないけれど、そこんところは実は重要で、映像で見せられれば観客にはすべてわかる。
けれど、登場人物がわかっている・知っている物語なのか、知らない物語なのか、それによって観方が変わって来る。
息子は父の物語を知らないのだろう。
空白の期間の物語を、彼が知ることで、こころのわだかまりが解ける、腑に落ちる、ということになろうが、そこんところが甚だあいまいで(というか、わたしが気づかないだけかもしれない)、空白期間を埋めるカタルシスが得られない。
映画の終局で語られるのは、映画冒頭のショッキングな出来事の顛末であり、それはこの映画では些細な出来事なので、余計にそう思った。
藤竜也の演技は認知症というよりも別の何かのようで、これも観ていて居心地が悪かったです。
壊れていく、残っていく、人の業
タイトルが秀逸
最初に感じたのは、あれほど愛していた人のことも認知症は忘れてしまうんだなぁと切ない気持ちになった。
この映画、父と息子の物語でもあり,男と女の物語でもあり、いろんな要素が盛り込まれて,でもちゃんとまとまりのある深い映画になっていた。ひとえに役者の力量だろう。森山未來,藤竜也,そして原日出子。この人たちの静かな演技は、言葉一つ一つが観てる側に丁寧に届けられて、深く刻まれる感覚だった。
インテリで偏屈で理屈やの男が、愛する人が去って行くその時に見せるしぐさ、深い愛情に涙が出た。そして、息子も自分を捨てて出て行った父親の生き様を知る中で,最後に施設の人にできるだけ長生きさせてあげてと静かに語る。実は深い愛情の持ち主なんだと知る。
登場人物はそれぞれにとっての大いなる不在を抱えて生きてきたんだなぁ。良い映画でした。
ただ、出てきてないが、対して好きでもないのに結婚して出産して捨てられるって、息子の母の女性にしたら最悪だなあと、正直ちょっと思った。
ちょっとわかりにくい…
静かな作品だけど、恐怖心が募る
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