「父・陽二にとってはそれは 紛れもなく〝事件〟だった。」大いなる不在 humさんの映画レビュー(感想・評価)
父・陽二にとってはそれは 紛れもなく〝事件〟だった。
「事件です。」
その通報後、施設に入ることになった陽二と疎遠だった息子・卓が再会する。
父は認知症が進み、再婚相手の義母・直美は行方不明だという。
2人のことを少しでも知りたいと出向いた卓が実家で目にしたのはおびただしく張り巡らされていたメモ。
それは真面目で厳格な父の〝自身の不明〟への自覚と抵抗と恐怖の跡だった。
互いの家庭を捨ててまで一緒になった父と直美を引き裂いた忘却。
うちのめされていく日々を明らかにする散らかった部屋。
そこにあった直美の日記に挟まれていた陽二からの手紙。
現状と共にふたりの運命的な愛と思いを知り、卓のなかで、思いがけず父・陽二という男の〝存在〟と〝人生〟が初めて〝開かれ、刻まれ〟ていく。
大切な思いが散りばめられた日記が投げられた時、倒れた自分に気付かず去る夫をみた時、直美の胸の痛みが波動のように伝わり、あの冒頭を思い出した。
それは手立てと自信を見失った直美の純心のようだった。
安らぎの住処で次々と踏み倒されていった水仙はせめて最後に澄んだ香りをのこそうとしたのだ。
誰のせいでもなく忘却の彼方へ連れ去られつつある愛する人を責めてしまう自分。
その度に互いが傷つくのは、苦しみの終焉への過程なのかも知れない。
自分の体調の悪さもあり、それをコントロールして回避する役目をこなせないと自覚した直美が、これまでのふたりの幸せな日々を守ろうと一緒に居ることを〝絶望〟で止め、断腸の思いで夫から離れたように私には映った。
それを貫くために意図的に携帯電話をのこして妹の元に出かけたのだろう。
そんな妻の〝別れ際〟に夫は車の鍵を渡したのは、彼の最後の妻への思いやりだ。
しかし、夫のいる世界でそれはほどなく妻の〝失踪〟と車の〝紛失〟となり携帯電話がそこにある理由も持ち主も〝不明〟になるのだ。
そうして妻のなかで静かに納められることになった〝不在〟であるかつての夫。
その真裏にある幸せだった時間が濃く想像できるから、過去を手紙から聞くシーンは切ない。
今日もどこかで避けられない老いに誰かが抗い、また受け入れながら「向き合う」人がいる。
そのまわりにもはかり知れない葛藤がある。
それは自分の身近にも感じられる話なのだ。
ー大いなる不在ー
その存在をただひとつの断片でとらえずに、見えないもの聞こえないものに思いを寄せると露わになるもの。
不在だが確かに「私に」流れつきここにある家族のかたち、愛のかたち。
卓はきっと幼少期からの空白に一滴の和らぐ色を足すことができたはず。
もはや父は知らずとも、何かがなんとか卓につながれたことが嬉しかった。
藤竜也の「今、ここにいる」のにつかめない焦りや抗う気持ちに人生と歩むことを感じた。
原日出子の〝自分をちぎり振り絞るようなひとつの愛情〟に複雑な葛藤と当事者にしかわかり得ない気持ちを知った。
森山未來の大人として親を「静かにみつめる」ときの心の揺れに自分を重ねて夢中になった。
静かな余韻のなかで大切な人の笑顔や声を思い出す作品だった。
誤字修正済み
共感ありがとうございます。
父の最後に残った記憶が、最愛の後妻ではなくて、息子をないがしろにした事だったのは皮肉ですね、後妻は知る由もないのですが。忘れた罪の意識のない人の罪を、忘れられた方が背負う気持ち、なんか解る気がしました。当てつけっぽいですけどね。
humさん
コメントと名前違っているの教えてくれて、ありがとうございます!
おっちょこちょいでしたー。
演技と脚本の素晴らしさ、
本当にたくさんの人に見て欲しいですね!!
こんにちは。おかしいな。humさんのレビューに辿り着いていませんでした汗汗
いつもに増して心に響くレビューでした。すごいな。感動しました。私も本作についてすごく思う所があり色々考えを巡らせたのですが、気持ちが入り込み過ぎてしまい、逆に気持ちを入れないレビューしか書けませんでした。humさんのレビューを拝読し、もっと自分と向き合ってレビューすれば良かったと少し後悔。。
大吉さん同様、拝読出来た事に感謝です。
延命措置は不要と言っていた卓が『できるだけ長生きさせてください』と気持ちが変わったことは、物語的には〝いい話〟なのかもしれませんが、現実問題としては、延命措置不要のままだとしても決して責められないどころか、たぶん自分も不要の方を選ぶと思うのです。
医学の発展が、想定外の懊悩を人間に与えてしまう事実。なんとも辛いですね。
毎度ながらhumさんのレビューに感謝です。読みかえすことで、自分の映画体験が豊かになります。
真面目で丁寧で胸を打つレビューに、映画に携わった方たちはとても嬉しいと思います。