「まさに大いなる不在の映画」大いなる不在 サムさんの映画レビュー(感想・評価)
まさに大いなる不在の映画
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映画のタイトルの”不在”とは何だろう?藤竜也の記憶の不在か、かつての妻を捨ててまで再婚した原日出子への愛の不在か?ただし、不在には大いなるという言葉がかぶせられている。悲しき不在でも、忘れられた不在でもない。不在の反語の様な大いなるの付いた不在である。
藤竜也に捨てられた妻の息子の森山未來は何十年ぶりかでまるで心の内を埋める様に父親に会いに来る。父親が事件を起こしてしまったからとは言え、多分、警察から(あるいは病院から)、連絡がきたとき、もう私は関係ないと断ることもできたのに(多分)。しかし、森山未來は、あまり嫌そうでもなく事件を起こした父親に会いにきてしまう。そこで、藤と原の運命的とも言える関係を知る。森山は、藤と原の関係を知れば知るほど、のめりこむ様に、父親との長い別れを取り戻すかの様に、調べを進めていく。そう、これは、藤と森山の長い不在=大いなる不在の物語なのだとようやく気付かされる。ある時、藤は、森山を幼少期に暴力をふるったことを告白し、森山に許しを請う場面がある。ああそうか、これは、藤にとっても息子との長き不在=大いなる不在の物語でもあるのか、と気づかされる。森山は父との邂逅を、藤は息子との和解を、長くながく求めていたのだろう。不在、まさしく、大いなる不在の物語。
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