「気持ちはよくわかるのだが…脚本、演出ともにこなれていない部分があり説得力が低い」大いなる不在 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
気持ちはよくわかるのだが…脚本、演出ともにこなれていない部分があり説得力が低い
子が独立したり結婚したりして家を出る。長寿化した現代日本では夫婦だけの時間がその後30年近くあったりする。この映画は再婚同士の夫婦の話なのでちょっと特殊ではあるけれど。
家を出た子からすれば長く接していないうちに親自身の肉体、精神も夫婦関係も親子関係も大きく変化していたりする。親の一方もしくは両方が認知症に冒されていればなおさらである。この「しばらく会っていないうちに」という感じが「大いなる不在」というタイトルで表現されているのだと思う。
映画の最初の部分、卓は父の介護施設入所という事態に巻き込まれていく。食物アレルギーの有無を尋ねられたり、延命措置の意思表示を求められたりして、卓はややむくれたような態度をとる。家に行ってみれば家の中はぐちゃぐちゃである。再婚相手の直美は何処に行ったのか分からない。
ただこのあたりまでの進行は何かカラッとして明るい感じがある。諦観というか、そうなっちゃったものしょうがないよね、という感じか。(自分自身の経験からしても分かるところはある)
ただ映画が進み、陽二と直美の間に起こったことがだんだん明らかになっていくうちに話は深刻になり、一方で脚本や演出のほころびや矛盾が目につくようになる。
おそらくこの映画では「ファーザー」のようなトリッキーなところはない。シーンはみな事実として取り扱われている。ところが実際に映像化すべき部分と、セリフでしか説明しない部分の線引きが中途半端なのである。例えば、直美の妹が手伝いに陽二の家に来る部分、そこで起こったことはわざわざ映像化する必要があったのかどうか。シーンとして表れないからこそ説得力があることもある。
その他、例えば陽二の趣味のラジオ受信がかなりの時間を割いて出てくるにも関わらず決定的なキーファクターになっていないこと、そして、卓についても冒頭と最後に出てくる役者としてのワークショップのシーンが卓の性格や考え方を説明する(そうでなければこのシーンの意味はない)ことに全く繋がっていないこと、などが挙げられる。
要するに脚本、演出にこなれていない部分や無駄な部分があり、役者たちの演技力の高さは特筆すべきとしても、映画としての説得力には正直欠けるところがあったと感じた。
藤竜也いいです。年とってちゃんと映画に出て素晴らしい演技して。若い(といっても「愛のコリーダ」)時から気合いがあっておじいさんになってもこの映画。カッコいいなあ。男性も女性も俳優は自分の老いを見せて欲しい。そして観客の私達は、ありがとうとか、嬉しいとか、いろんな事を思って幸せになれるな~