劇場公開日 2024年7月12日

「大いなる不在(2023)」大いなる不在 amemilinさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0大いなる不在(2023)

2024年6月17日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

Fan's Voice様にご招待いただき、ジャパンプレミア試写会にて鑑賞いたしました。

幼い頃に母と自分を捨てた父が、事件を起こして警察に捕まった…。
曇天を貫く電波塔の下、人気のない、静かな住宅街に滑るように入ってくる一台の車両、その影から突如現れた機動隊が一軒の住宅に一斉に突入する、サスペンスフルなシーンから始まるのは、「父の記憶の迷宮の旅」です。
物語は「認知症発症前の父と息子」「認知症発症後の父と息子」の二つの時間軸が交差する形で進んでいきますが、「発症前の父と息子」との間には、25年もの「不在」が横たわっています。

「発症前の父と息子」のパートは、まるで黒板を爪で引っ掻く音を聞かされているような不快な時間帯です。
「内気で、皮肉屋」な父・陽二は物理学の元大学教授、恋のために、まだ小さかった息子とその母親を捨てた過去を持ちます。
一方、息子・卓は、大河ドラマに脇役で出演中の役者という、父とは正反対の職業に就いていますが、これがまた父に輪をかけた理屈屋、皮肉屋です。
25年ぶりに再会した二人は、互いの配偶者をクッション材または通訳のように間に挟んで25年の空白を埋めようとしますが、双方高い知性を持っているにも関わらず会話はまるで噛み合わず、否定し合います。
不協和音しか生まない会話劇ですが、しかし、二人は別々の旋律を勝手に奏でているわけではありません。
むしろ同じ言葉を話し、間合いの取り方、息遣いまでそっくりです。
やがて陽二と卓は、いや父子を演じる藤竜也さんと森山未來さんは、同一人物?いや、若き日の父と老いた息子のように見えて来ます。
なのに、噛み合わない、不快極まりない、近づけない。
まるで、磁石の同極同士のように。

一方、「発症後の父と息子」のパートは、意外にも凪のように穏やかです。
別人のようになってしまった父の口から出てくるのは妄想や陰謀論ばかり、不穏で掴みどころがないのですが、父は息子を幼少時の愛称で呼んでは毎回のように頼みごとをして甘え、息子が父を見る目は包み込むように優しいのです。
そして息子は初めて、父を理解しようとします。
父の記憶と記録の断片を丹念に拾い集め、旅に出ます。

親子はどうしても似てしまう。
「嫌な部分」ばかり特に。

日頃考えていたこんなことを、ずっと考えながら観ていました。
身近な存在だから、嫌な部分に目を瞑れない、許せない。
だけど否定しようとすると、いつの間にか自分を否定しているような気分になる。
血のつながりというものは実に厄介なものです。

卓の「父の記憶の迷宮の旅」は即ち直美探しの旅でもありました。
近浦啓監督はなぜ直美さんを解放させたのか、という点にも注目して観ると、恋人の最終形態は必ずしも夫婦ではなく、夫婦の終幕も、必ずしも「介護」や「看取り」ではないのだという、新たな視点を持つ機会になるかもしれません。

この作品は、近浦啓監督がコロナ禍に実際に経験されたお父様の認知症発症とその介護から着想を得られたそうです。
私自身も両親を見送った経験と重ねて拝見しました。
直美さんの選択には賛否両論あると思いますが、私は正解だった、正解であるべき、と思います。
先んじて発表された海外で共感を得られたのも、日本では根強い「介護は配偶者がするもの」という固定観念をまず直美さんに飛び越えさせたことが要因だったのではないでしょうか。

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amemilin