星つなぎのエリオのレビュー・感想・評価
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最近のピクサーのキャラは・・・‼️
とにかく字幕の上映館が少ない。私の地元、佐賀ではもちろん字幕の上映は無く、最寄りの福岡でも一館のみの上映で、22時からの一回のみ。いつから日本人は吹き替えばかり観るようになったんだろう?最近、ピクサーをはじめとする外国のアニメを鑑賞する時、字幕の上映館の心配ばかりしないといけない。
両親を亡くしたばかりで、周囲になじめない孤独な少年エリオは、心優しいエイリアン・グロードンと出会い、遥か彼方の宇宙空間を舞台に大冒険を繰り広げる・・・‼️孤独な少年の成長物語、エリオとグロードンの心温まる友情、宇宙を舞台にしたスペースバトルの興奮、エリオと叔母の家族愛まで、ピクサーが手堅く楽しませてくれるアニメーションの佳作‼️さすがはピクサーと思わせてくれる一方、エイリアンのグロードンの魅力の無さが致命的な欠点‼️やはりピクサーのキャラはぬいぐるみやフィギュアが欲しくなるような可愛さがないと‼️
引き合う孤独が織りなす物語
「万有引力とは 引き合う孤独の力である」(「20億光年の孤独」から)
谷川俊太郎さんの著名な詩にあるように、孤独は引き合うのだ。両親を亡くし叔母さんに引き取られたエリオにとって、言葉にはしないが、自分が叔母さんのキャリア(宇宙飛行士の夢)の妨げになっているという意識がある。
ぼくを連れてってというエリオのメッセージが宇宙人に届き、彼は地球のリーダーという勘違いではるか宇宙の彼方コミュニバース(いろんな生命体がいる多様性の象徴)に招かれる。
彼はそこでやはり孤独なグロードンと知り合うのだが・・・。
スピルバーグのSF映画でも孤独な少年が度々登場していたが(スピルバーグ自身の子供時代を反映している)、そのような孤独な少年のもとに宇宙人は必ず来る。宇宙人も宇宙のなかで一人ぼっちだったのだ。そうして孤独と孤独が引き合い、出会いが生まれる。
映画でボイジャー1号の名が登場し、冒頭で宇宙人に捕獲されているが、ボイジャー1号は実在し、昭和世代の私には熱いものがある。
ボイジャー1号は1977年に宇宙に向けて放れた。そこには地球上のあらゆる言語の挨拶や音楽等を収録したゴールデンレコード(これも映画で言及される)が搭載され、やがて未知なる知的生命体に届くとされた。太陽圏をすでに脱出し、現在も宇宙空間を飛行しているという。
なお、ゴールデンレコードの音声収録部分は「VOYAGER GOLDEN RECORD」というタイトルで発売され、配信もされている。
ボイジャーは今も孤独に宇宙空間を漂っているが、それが捕獲という形で宇宙人と遭遇し、さらにそのことが孤独な少年エリオとの出会いにつながる。やはり孤独は強い万有引力を持っていたということだ。
私たちに必要なのは政治家ではなく、詩人だと思う時がある。政治家は半径1メートルのことしか考えられないが、詩人は宇宙の果てに思いを馳せることができるからだ。
エリオは孤独ゆえに宇宙の果てを想像出来た。孤独とは否定するものではなく、なにかを始めるスタート地点ではなかろうか。
映画の序盤でトーキング・ヘッズの「once in a lifetime」が流れる。もうこれだけでこの映画を予感できる。
カーラジオから流れる音楽、主人公が部屋でかけるレコード、それらの音楽の良さでその映画の出来が予想出来るというのが私なりの映画経験だ。既成曲の選びかたにセンスの良し悪しが出るのだ。
音楽センスのない映画監督にまともなやつはいないとまで断言していい。
本作では既成曲は殆どない(2曲のみ?)ので、トーキング・ヘッズの採用は意図的だろう。制作陣の年齢からすると、トーキング・ヘッズの解散以後に成長した世代だと思うので、後追い世代だろうか。
ちなみにトーキング・ヘッズのドキュメンタリー映画「ストップ・メイキング・センス」(1984年作 2024年に4K版再公開 配信視聴可)は音楽映画の大傑作と言ってよい。必見なり。監督のジョナサン・デミが後に「羊たちの沈黙」「フィラデルフィア」のような大作名作を撮ることになるとは、初公開時に観た者としては予想もしなかった。
宇宙にあこがれる孤独な少年の物語
個性を問わないエリオの素晴らしさ
この映画では、個性をテーマに宇宙人の見た目や性格など、個性豊かなキャラクターが登場します。
主人公エリオは、その誰とでも先入観なくありのままを受け入れて接しているのですが、平然とそれをしている姿から、私自身の考えを省みる機会になりました。
いろんな要素があるのですが、個性を理解しよう、ありのままで良いんだよ、というメッセージより深いものを表現していると思います。
まだ明確には答えを出せませんが、不思議な映画です。
家族愛・親子愛。映画館で大号泣してしまった。
テーマの一貫性と締めくくりについて
映画の中盤のストーリー展開にはテンポの良さがあり、観ていて引き込まれる部分もありました。
ただ、作品全体としてはメッセージ性に統一感がなく、「親子愛」を描きたいのか「多様性」「孤独」を訴えたいのかが曖昧で、そのぶれが物語全体のバランスを崩しているように感じました。
メッセージを込めること自体は否定しませんが、上映時間が約2時間という限られた枠の中では、伝えたいテーマの方向性を絞ったほうが観客には届きやすいのではないかと思います。
また、映画のラストにはエピローグ的な余韻がなく、突然終わってしまった印象があり、ハッピーエンドを期待していた自分としてはやや不明確で物足りなさを覚えました。
さらに、登場人物たちにももう少し個性や魅力があれば、物語により深みが出たのではないかと感じました。
リポンの映像化
全然悪くないんですが、私には刺さらなかったかな
なんかピクサーぽくないかも
後半は家族の物語になってる?
両親を亡くし叔母を暮らしているが
宇宙のことしか興味がない行動で孤独だったエリオが
宇宙人との交信音声を録音したことで「地球人代表」と思われた
そこでコミュニバースの一員となるはずだったが
しかし、激怒したグライゴンと交渉することになって
そこでグライゴンの息子のグロードンと出会う
無線や衛星とかの設定は
宇宙とかに詳しくないとわかりにくいかな?
エリオは親を亡くして
孤独だが客観的に見ると自分勝手に見えるので
共感を序盤では得にくいかもしれないと思った
あと、一人でグライゴンに交渉に挑もうとしたことも共感を得にくいかもしれない
コミュニバースの宇宙人は宇宙の知性の集まりらしいのに
グライゴンをまったく止めようとしないで
エリオに全部押し付けたように見えるのは無責任なように思えた。
クローンの倫理観は壊れている?
なんとなく、グロードンとの友情物語かと思ったけど
途中まで出てこないし、後半は家族の絆が中心になっていたように感じたので
少し予告とは違った印象があるかも?
グライゴンが最後は家族を想う父親に唐突になったのは
ちょっとご都合主義な感じがした
バンプオブチキンの主題歌が流れるところは
エンドロールの後半なので忘れてたころに流れ出す
エイリアンズがカワイイ
思ってた交流と違ってたけど
スカイツリーより高い制作費
素晴らしい個性は時として孤独を感じてしまうことがある。
孤独とは、状況に対する感受性の違いによって生まれてしまうものだと思った
2025.8.2 字幕 MOVIX京都 Dolby Cinema
2025年のアメリカのフルCGアニメーション映画(98分、G)
孤独を感じている少年が地球の代表に間違えられる様子を描いたSF映画
監督はマデリーン・シャラフィアン&ドミー・シー&エイドリアン・モリーナ
脚本はジュリア・チョウ&マーク・ハマー&マイク・ジョーンズ
物語は、アメリカの航空宇宙局にて、叔母オルガ(ゾーイ・サルダナ)の目を盗んで「ボイジャーの展示室」に入る少年エリオ(ヨナス・キブレアブ)が描かれてはじまる
両親が他界して以来、心を閉ざしていたエリオだったが、ボイジャーが地球を離れてメッセージを発信し続けるのを知り、自分も宇宙人にメッセージを送りたいと考えるようになった
砂浜に「僕をさらって」と書いて、無線機で信号を送り続けるエリオだったが、それで何かが変わることはなかった
ある日のこと、オルガの職場に来ることになったエリオは、そこで通信士のメルマック(ブレンダン・ハント)が宇宙からの通信を傍受したと力説している様子を見てしまう
オルガは呆れて彼を通信室から追い出すものの、エリオはその隙をついて部屋に入り、スピーカーに向かってメッセージを発信してしまう
基地は送信電力によって停電となってしまい、オルガは定職寸前にまで追い込まれてしまうのである
物語は、その後に特に必要と思われないエピソードがいくつか重なったのちに、光に包まれて宇宙の彼方に連れて行かれるエリオが描かれていく
そこはコミュニバースと呼ばれる各星の大使が集う場所で、彼らはエリオを地球(ア地球)の代表だと思い込んでいた
エリオも居場所探しのために嘘を重ねるものの、コミュニバースでは新たな問題を抱えつつあった
それは、コミュニバース入りを望むハイラーグ人の皇帝グライゴン(ブラッド・ギャレット)の存在で、彼は審査に落とされると「実力行使で奪う」と宣言し、大軍を引き連れて、コミュニバースを征服しようと動き出してしまう
これによって、大使候補選別の会議は中止されてしまうのだが、こともあろうにエリオは「自分が交渉する」と言い出し、大使たちはエリオが問題を解決したら大使にする、と明言するのである
映画は、エリオがグライゴンとの交渉に入るものの、役に立たずに投獄されてしまう様子を描いていく
そこで、グライゴンの息子グロードン(レミー・エジャリー)と出会うのだが、実はここら辺が映画の中盤に差し掛かったあたりだったりする
なので、いつになったら出てくるんだろうという感じになっていて、話がなかなか進まないように思えた
さらに、当初の設定は母親だったオルガが叔母になっているところで、本来なら描かなければならない部分がおざなりになっていた
それは、エリオと叔母がどれくらいの期間を過ごしてきたのか、というところで、それは両親がどうやっていつ頃亡くなったのか(おそらく両方宇宙飛行士で事故死)という背景についても関係している
オルガはエリオのために自分の夢を諦めているところがあるのだが、それがエリオに伝わってしまっているところで軋轢が生まれていた
だが、映画の中盤では「まるで育ての親」のようにエリオへの愛情を示すことになっていて、この一連の感動的に思えるセリフに説得力がなくなってしまっている
同僚たちにグチるくらいには重荷になっていることを考えると、ラストのエリオがコミュニバースに残りそうになる時にあんな表情にはならないだろう
なので、当初の設定の通り、母親のままで、父親が亡くなったことで険悪になっている、という設定の方がマシに思えるし、ラストのオルガの表情を生かしたいのなら、物心ついた頃に両親が事故死し、かなりの年月をエリオに費やしてきた、という歴史を描く必要があったように思えるのである
いずれにせよ、ベッタベタな王道展開で、サプライズというものはないのだが、ラストで語られる「個性的な人は孤独を感じることもあるが、ひとりじゃない」という言葉は秀逸だと思った
孤独とは、共感性の低さと関連すると思うし、その能力が別の方向に全振りしている、もしくは優先順位が下がっているから起こってしまう
エリオは自分の気持ちは誰にもわからないと感じていて、それはグロードンも同じだった
そこには「両親を亡くした子ども」と「外界から閉ざされた王子」という絶望的な背景の差があるものの、親と接する時間の欠如、思いを分かち合う友人がいないことという心が感じる根幹は同種のものがあった
本当に全てが重なることはないのだが、相手の心のうちが想像できるというのは、状況が同じということではなく、起きていることに対する感受性が同じ、というところにつながっている
それゆえにエリオはグロードンと分かり合えるし、オルガの孤独は癒やされないまま終わってしまう
ハッピーエンドに見えるものの、オルガの本当の孤独というものは埋められていない部分があるので、それで物語を終わらせてしまっているのは勿体無いなあと感じた
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