ギルバート・グレイプのレビュー・感想・評価
全31件中、1~20件目を表示
32年前の名作から考えさせられる、地域社会の崩壊とそこに住む人たちの今
「12ヶ月のシネマリレー」という企画で上映中の本作を新宿武蔵野館で観た。初見である。
1993年公開の32年前の映画で、当時19歳のディカプリオの才能は、本作で広く世に知られることになったのだそうだ。イケメン美少年としてデビューしたと思い込んでいた。
ジョニーデップの主演は知っていたが、ディカプリオが出演していることさえ知らなかった。正確な病名は語られないが、知的障害者を完璧に演じていると思う。
僕の知り合いの娘さんも知的障害者で、ディカプリオ演じるアニーと同様、人なっこく、無邪気で明るく、時にこちらの心のうちを見透かしているかのように鋭いことを言ったりして、僕も大好きだった。過去形なのは20歳で亡くなってしまったからだ。
アニーも10歳まで生きればいいと医者に言われていたが、この映画では19歳まで生きたことが描かれた。たった30年ほどだが現在は医療の進歩でずいぶん改善されているそうだ。喜ばしいが、もう少し早くなんとかならなかったものか…。
いろいろ考えさせられて、感想になかなか入れない。
舞台は90年代のアメリカ内陸の、商店が数軒しかないような小さな街。ギルバートは雑貨屋でアルバイトだし、友人は葬儀屋。もう1人は、この田舎町にマイナーなハンバーガーチェーンができると聞いて、そこに就職することを心待ちにしている。
街の産業というものがないのだ。おそらく農業地域だったが、80年代の農業危機後にそれが失われた街というような設定なのではないだろうか。
ラストベルトと同じく、産業の空洞化により地域経済が回らなくなり、静かに滅び始めている街の出来事なのだ。
ジョニーデップ演じるギルバートは、健康な若者らしく都会に出ればいいのだろうが、アニーがいるし、まだ成人前の妹もいる。最大の問題は母親だ。父の自殺後に精神的に病んでしまい、過食による肥満で家から出られない。
だからこの家族、母と4人の子供たちはおそらくギルバートの雑貨店での稼ぎだけで食べていっているのだろう。家族は仲違いしながらも、その絆はびっくりするほど強い。
ギルバートはスターウォーズ4の冒頭のルークのようだ。夕日を見つめて、僕はこれから先も、どこにも行くことができないのだ、心踊るような出来事などやってこないのだ、と諦めている。
そこに新たな可能性として現れるのが、祖母のキャンピングカーで通りかかった少女である。少女といってもおそらくある程度の学歴があり、裕福な祖母の旅のお供をしながらモラトリアム中。彼女の登場は別世界との出会いなのだが、だからといってその別世界に出て行くという選択肢はギルバートにはない。
…となかなかに厳しい状況なのだが、この取り残されたような侘しい田舎町がなんとも美しい。70〜80年代に活躍したアメリカンニューカラーの写真家たちの作品に出てくる街のようだ。
その美しさが唯一失われる場面が、最近街にできたという大規模スーパーマーケットの場面だ。蛍光灯に照らされた店内は、この田舎町の中で唯一、都市の匂いのする輝かしい場所なのだが、この場面だけが美しくない。
そう感じるのは、このスーパーが資本の論理による地域社会の破壊であることが描かれているからかもしれない。
アメリカではこの映画の90年代、あるいはそれ以前の80年代にも、こうした産業の空洞化による地域社会の破壊が起こっていたのだ。
しかし、それに対する異議申し立てとしての政治運動は2010年代中盤を過ぎて、ようやくトランプによって行われたということなのかもしれない。
主人公を演じたデップも今や62歳。主人公のギルバートも、これから産業の国内回帰を目指す政治がうまくいって、失われた産業が元に戻ることがあったとしても、年齢的に間に合わない。
完全にネタバレになるが、ラストシーンでは、ギルバートを地元に縛り付けていた家族の重しはかなり軽くなったら状態で、1年ぶりに戻った彼女との嬉しい再会がある。
もうすぐ19歳の知的障害者アニーと共に彼女のトレーラーハウスに乗り込み、街を出ることが示唆される。
おそらくギルバートには手に職も学歴もない。彼女とは、社会階層もかなり違う。それにアニーは成人に近づき、面倒を見るのはさらに大変なはずだ。
ギルバートがもし実在で今も生きていたら、このエンディングの先、どんな人生を送ったのだろうか。そしておそらく60歳を過ぎた今どのように過ごしているのだろうか。
公開当時、まだ20代だった僕がこの作品を見たなら、全く違う感想を持っただろう。
アメリカというと西海岸と東海岸沿いの都市をイメージするが、その内陸にある広大で人口密度の少ない地域に住む人々が、自由主義経済の中で翻弄され、踏み付けにされた時代の貴重な記録にもなっていると感じた。
この作品の再映に感謝したい。
想定外のラスト
想定外のラストでしたが、ハッピーエンドになって良かったと思います。直前でベッキーと別れたのに不満だったので、このラストにつながっていたとは嬉しいサプライズでした。
ベッキー役の女優、どこかで見たことのある独特の目つきだったので調べたらケープ・フィアーで高校生役で出てたんですね。
閉鎖的な田舎町の物語
ああいった町では、知的障害者・摂食障害者に加え自殺者までが家族に揃っている貧乏人は真面目に働いていてもどんなに美しい容貌を持っていても周囲から望まれる求婚者にはなり得ない。キリスト教精神をもって皆優しく接してはいるが、主人公は対等な権利を持つ一人前の人間としては扱われていない。
彼との結婚を前提に近づく適齢期の娘はいないだろうし、いても家族や友人が全力を挙げて止めるだろう。既婚マダムの浮気相手あたりが丁度良い。
稼せげているのは食費だけ。彼は追い詰められている。土葬文化の地に住みながら感情を最優先して火を放つ事もするだろう。姉妹たちも一段低く置かれている自分たちを痛感しつつ日々暮らしているのだから、全てを焼き払う事に同意もするだろう。
彼は他所者からしか愛の対象とされない。
なので、全てを理解し抱擁する夢のように美しい救いの女神ベッキーの内面も、見る者が納得できる所まで描いて欲しかった。彼女はどういう人?彼女はなぜあのような彼らを必要としたのか?
彼らはあの後現実を、日常を、共に生き続けられたのだろうか。
ハルストレム監督の言ったとおりの映画
アイオワ州の架空の小さな街、エンドーラ、父の遺した古い家を守っているのは、次男のギルバート。彼は、ほぼ一人で、18歳になる知的障害の弟アーニー、二人の姉妹、何よりも父が亡くなってから過食症に陥り、部屋を出ることもない肥満した母ボニーを養っている。長男は学士として既に、家を出ている。毎日の食料だけでも大変な量で、料理は失職中の姉のエイミーが専らこなす。
ギルバートは、父親が、かつて共同経営者であったらしい、今は経営が傾いている食料品店で働いている。アーニーは共同社会の一員として一応受け入れられていた。昼間は、ギルバートと一緒に、店にいる。昔の日本でも、そうしたことがあったっけ。今なら、きっと施設に入らざるをえないか、訓練施設に通っていることだろう。ボニーだって、周囲の好奇な目に晒されてはいるが、病院に閉じ込められているわけではない。今なら、介護があるが、この二人をみている家族の負担は、生半可なものではない。
何も起きないこの街で、狂言回しが二人。一人は、食料品店の有力な顧客で魅力的な既婚女性、ギルバートと不倫関係にある。しかし、ちょっとした事故で夫を失い、この街を去ってゆくことになる。なんと「お前に(ギルバートを)譲る」と言い残して。譲られたのは、祖母が運転するトレーラーを牽引する車が故障したため、街に止まらざるを得なかった美しい娘、ベッキー。しかし彼女は、幼い頃に両親が離婚し、二人の間を何度も、たらい回しされたことから、社会の実相を見知っている。彼女は、家族への奉仕に、ほとんどの時間を費やしているギルバートに、「あなたは(本当は)何をしたいの(what do you want to do)?」とやさしく問いかける。しかし、彼の自立は、家族の運命を変えることになるのは明らか。私は最初、ギルバートと彼の庇護の元にいるアーニーが喧嘩するのではないかと恐れた。しかし、それは軽く済んだ。そうすると、起こることは、ただ一つ。その通りの展開だった。
こうした物語の背景には、大規模農業への展開を含む産業化の波があるのだろう。あの見渡す限り大平原の広がるアイオワだって、とうもろこしと、何度も出てきた「カリカリ・ベーコン」の源、養豚の土地だ。白人中心で、暴力は目立たないように見えたけど、やがては難民を含む労働者がやってきて、ギルバートは、あのまま住んでいたって、新しいスーパーマーケットやバーガーのチェーン店で働かざるを得なかったことだろう。あの心優しき米国人たちは、その後どうしたのだろう。
楽しいけれど、どこか悲しい、まさにハルストレム監督の言ったとおりの映画だ!
若い頃のジョニデとレオ!
久しぶりに観ましたが、とにかくジョニーデップもレオナルドディカプリオも若くフレッシュ。
レオはアカデミー賞ノミネートされた作品だけあって知的障害のある少年アニー役がとても自然で良かったです。
寡黙な家族思いのギルバートを取り巻く家族関係や背負っているもの、アニーとギルバートを大きな包容力で包んでくれるベッキー。
この3人がメインでお話は進みます。
ベッキーがまた素敵で凛とした内面からの美しさをジュリエットルイスから感じられるからさすが役者さんだな、と大昔の初見の時も思いました。
今で言うヤングケアラーのギルバート、障害を持つ子を持つ家族の大変さはこの当時から同じで
家族の介護と貧困故に田舎で燻るしかない若者の葛藤が暗くなりすぎずみずみずしく描かれていて今の時代に見ても共通する部分がたくさんで考えさせられます。
最後が希望に満ち溢れている終わり方はとても良いですが、その少し前の出来事はちょっと今の時代なら絶対あり得ないし見ていても"これは大丈夫なのか?周りに迷惑にならないのか?"なんて余計な事を考えてしまいました笑。
映像もわかりやすくアメリカの田舎町って感じで懐かしく美しいです。
個人的にはメアリースティーンバージェンの美しさに感激!
当時40過ぎててあの美貌を保ているのは素晴らしい。
感想メモ
若かりしディカプリオとジョニデの共演!
ディカプリオこの時から演技うますぎ
家族って面倒くさい、けど大切だなぁと思わせてくれる作品
末っ子が留置所に入った時、今まで外に出なかった母が外に出て私の息子を返してと訴えるシーン、警察からしたらはた迷惑だろうが、母の熱い気持ちを感じた
なんで高い所に登りたがるのだろうか
誕生日ケーキを買いに大きいスーパーに来たところをたまたま店長に見られる、気まずい
母の遺体を笑い物にさせないために、母が大事にしていた家と一緒に焼く!?トンデモな発想
どこにも行けなかった主人公がトレーラーに乗ってどこにでも行けるようになった
「ザ・ホエール」と「クリスティーナの世界」
「アンドリュー・ワイエス」の「クリスティーナの世界」が頭の中をよぎった。
「ザ・ホエール」の結論に似ているのかもしれない。
善人ばかりのご都合主義な部分はあるが、仕方ないでしょ。
しかし、涙が出ながら笑えた。
「馬鹿が戦車でやって来る」をリスペクトしているかと思ったが、結論はやはり西洋的。
傑作だと思う。
「ダーレン・ケイツ」さんは残念ながら2017年に亡くなられているそうだ。ダイエットには成功したそうだが残念な事である。命をかけて演じた演技を僕は評価したい。彼女のご冥福をお祈りします。
だがしかし、彼女は天国で、「あのジョニー・デップとデカプリオと共演したのよ」ってふいているに違いない。
だから、映画はやめられない。時たま凄い映画がやって来る。初見でした。
あとから気づいた
タルコフスキーのサクリファイス❤
「サイコ」のモデルになったエドワード・ホッパーによる絵画『線路脇の家(House by the Railroad, 1925)』だよ❤
ノマドランド❤
バグダットカフェ❤
どこへでも
シーンのひとつひとつがいつまでも心に残り、全編通して心を動かされる感動の名作。
すべての登場人物が魅力的で、ドラマの中で完璧に役割を果たしているのも素晴らしい。
冒頭の道端で何かを待っているギルバートと弟のアーニー。太陽の光を反射しながら無数のトレーラーが道を横切っていく姿に、歓喜の声を上げるアーニー。この作品のオープニングにふさわしい印象的で感動のシーンだ。
トレーラーが自由に全国を旅出来るのに対して、ギルバートの生活はとても窮屈だ。
彼は障害を持った弟に、 肥満のために外を出歩くことも出来ない母親を支えるために町を離れることは出来ない。
町自体に活気がなく薄汚れているのも印象的だ。弟の面倒を見て、母親の食費を稼ぐために寂れた食料品店で働き、配達先の人妻と不倫するちょっぴり悪いところもあるギルバート。
しかし、たくさんのハンデを抱えながらも、決して家族を捨てないで、自分のことよりも人のことを優先して考えられる彼はとても良心的な人間だ。
アーニーの無邪気さに心が癒される部分もあるが、思ったことを何でも正直に口にし、何度止められても給水塔に登ってしまう彼の行動に家族は何度も振り回されてしまう。
アーニーのことを良くも悪くも言えるのは、彼と一緒に過ごしてきた喜びも苦しみも知っている家族の人間だけなのだと思う。とても感情を揺さぶられる映画だけれど、下手な感情移入をさせない冷たさもある作品だ。
あまりにも巨体な母親を興味本意で小さな子供達が見物にやって来るが、ギルバートはわざわざ男の子を抱っこして母親の姿を見せてやる。
ギルバートの友人タッカーが「よくないよ」と彼をたしなめるが、何か家族以外の人には口出しする権利はないような壁を感じさせる。
アーニーが木に登って姿を隠し、ギルバートがそれに気づきながらも「アーニーを知らないか」と呼び掛け、それを聞いたアーニーが喜ぶ遊びの場面は、二人の強い絆を感じさせる。
アーニーにトレーラーで旅をするベッキーが、とても動的な存在なのに対して、ギルバートは思っていることをあまり外に出さない静的な人間だ。
本当は彼がこの映画の中で一番心を動かされるし、一番悩みもするのだが、常に何か心に蓋をしているようにも感じられる。
タッカーの手伝いで家の土台を補修するシーンがあり、地下室からギルバートに手伝ってくれとタッカーが頼むが、ギルバートは躊躇して動けない。代わりにアーニーにタッカーを手伝うようにお願いするが、アーニーは「父さんがいるから嫌だ」と首をくくるジェスチャーをしておどける。
実は彼らの父親は地下室で首吊り自殺をしており、母親が肥満になったのもそのショックによるものだ。
そして、ギルバート自身も地下室にいまだに入るのを躊躇うほどに、心に深い傷を負っているのだ。
ベッキーとの出会いによって、彼女の開けっ広げな性格から、徐々に胸のうちをさらしていくギルバート。
トレーラーが故障してしまったために足止めをくらっているのだが、彼女の母親が何とかトレーラーを動かそうとギルバートに手伝いを頼むが、ギルバートにとっては修理が完了すれば彼女たちは町を出ていってしまうから複雑な気持ちだ。おそらく、ギルバートは手伝うふりして、何もしていなかったんじゃないかと思われる場面が、語らずとも彼の心情をうまく表していた。
雨の降る中、ついにエンジンがかかった瞬間に、思わず二人が抱き合って、本来なら喜ぶべきなのだが、別れなければいけない悲しみを目にたたえる姿にとても心を打たれた。
このギルバートが心惹かれたベッキーという人間にはとても好感を持った。アーニーがベッキーの買い物袋を落としてしまい、ショックでどうしていいか分からずにいる場面。謝れというギルバートを制して、「悪いと思っている?」と彼女はアーニーに尋ねる。首を横に振るアーニー。「私も悪いとは思っていないわ」とさっぱりした態度で答えるベッキー。
彼女のこうした言葉に心が暖かくなる場面は多い。
夫を亡くしたギルバートの不倫相手のベティが町を離れることになり、ギルバートに別れを告げたあと、ベッキーに向かって「譲るわ」と言って去っていく。「彼女を忘れない?」とベッキーがギルバートに尋ねると「ああ」と彼は答える。それを聞いて「良かった」と彼女は呟く。
ギルバートの母親と初めて対面した時に、母親が「最初からこんなんじゃなかったのよ」と弁明すると、「私も最初はこんなんじゃなかったわ」と答える。
彼女との出会いでギルバートはとても救われた。しかし、彼は彼女を追って町を出るわけにはいかない。
それは家から離れられない母親がいるからだ。
この衝撃な見た目の母親も、この作品で大きく心を動かされる人間だ。彼女は決して自分が笑い者にされるとは思っていなかった。とても傷つきやすい彼女が、アーニーだけに見せる特別な優しさがとても印象的だ。
部屋から一歩も出ない母親だが、アーニーが警察に拘束されてしまった時に初めて彼を救うために家の外に出る。彼女を乗せた車が傾きながら道を進んでいく様には、笑ってはいけないんだけど思わずクスッとなってしまう。
この感情は彼女を見る町の人達と同じなのだと思う。アーニーを救いだし、署を出る彼女の姿を好奇の目で皆が見つめる。
結局彼女自身もギルバートやエイミー、エレン、そして、アーニーの家族皆を自分が縛り付けていることを自覚していたのだと思う。
ギルバートがアーニーを殴って飛び出してしまうが、翌日無事に帰って来た彼を見て、本気で腹を立てながらも「でも帰ってきてくれた」と安堵する姿が色々と物語っていた。
最終的に、彼女がベッドの上で息を引き取ってしまった原因は分からないが、結果的に彼女は自分の死を持って家族を解放する。
「笑い者にはさせない」と家に火をつけて彼女を葬るギルバート。
それを見つめるギルバート、アーニー、エイミー、エレンの表情がとても心に残った。
ずっと心も体も縛り付けられていた家族が、それぞれの役割を見つけて旅立っていく。冒頭と同じくラストシーンは、トレーラーを待つギルバートとアーニーの姿。でも、彼らはそれをただ見送る人間ではない。ベッキーと再会して、新しい場所へと旅立つ彼らの姿に心の底から感動した。
喧嘩をして険悪な関係になってしまったギルバートとアーニーだが、仲直りの仕方は木登りのかくれんぼであり、この姿を見て、ああこの二人はこの先何があっても大丈夫だなと思った。
まだ始まったばかりなのかもしれないが、いつまでも彼らの人生が幸せであるように願った。
ダーレン・ケイツこそ陰の功労者
オンライン英会話の先生にお勧めされて、今夜U-NEXTで観ました。
何もない田舎で暮らす家族のお話。お父さんは他界、心に傷を負ったお母さんは、家から一歩も外へ出なくなりました。
しっかり者の兄、障害のある弟に加え、ふたりの姉妹もひとつ屋根の下で暮らしています。
弟のアーニーはわんぱく坊主で、とにかく自分勝手に行動し、周囲の空気を読めません。
観ているこちらとしては、兄のギルバートに直ぐに感情移入し、序盤はフラストレーションが半端なく溜まります。
19歳にしてアーニーをここまで演じきったレオナルド・ディカプリオにまず脱帽ですが、彼以上に輝きを感じたのは、夫に先立たれ、他人との接触を一切絶ったお母さん役、ダーレン・ケイツの演技力です。
彼女の体型は特殊メイクやCGではなく、生身の姿です。
ご存知の通りエンタメ業界は、映える役者を積極的に起用し、見映えの劣る(とされる)役者は端役にしてしまい、彼女の様な役者が脚光を浴びる事は稀です。
それでも彼女は演技の稽古を怠る事なく続け、この作品で遂に花を咲かせたのだと勝手に思っています。
他にも演技の光る女性キャストは多くいましたが、ダーレン・ケイツの演技力は群を抜いていました。
私自身の興味に逸れるジャンルの映画なので、この映画を紹介してくれたオンライン英会話の先生には感謝しかありません。
少し長く感じるのがたまに疵。
悲しみや痛みを感じる作品ですが、安堵と救いも感じられる名作です。是非一度ご覧下さい。
八千草薫の若い頃(知らんけど),時々ホラン千秋
初めて、人間的なジョニー・デップを見た。そして、レオナルド・ディカプリオが演技力のある役者だったことを知った。
いい。
追記
2回目の鑑賞。もうアーニーが出てきた瞬間からダメでした。後半、けんかの後で、お姉さんが木の上のアーニーを見つけたところでは嗚咽しそうになり我慢するのに大変でした。
登場人物たちは(ひょっとしたらこの映画を見ている観客の人達も)ギルバートの人間性は認めても、みんなどこかでギルバートをあわれんでいたところがあるのではないか。ギルバート自身も、自分を否定していたに違いない。そんな中で、お母さんは、ギルバートを全面的に肯定する言葉として、どうしても「輝く」と入れたかったのではないか。このお母さんの言葉がどんなにギルバートを救ったことか。
2回目に見ると、一つ一つの言葉が涙腺を刺激して、困った。よく練られた脚本と吟味された言葉に「この映画を作った人、凄いな」と改めて感服した。
本音を言えば、アーニーがお母さんを起こそうとした時、たっぷり時間を取った後でいいから、「あら!アーニー!」かなんか言って目覚めて欲しかった。この脚本のままだと、お母さんがギルバートの足かせになってしまっていたことになる。そうではなくて、縛っていたのはギルバート自身であり、自分自身の力で(おかあさんや家族全員も一緒に)過去から自由になり、新しく生きていく最後を見たかった。
見に行ってほんとによかった。2回目も見に行ってほんとによかった。
まだ、見ていない人にはどうしても映画館で見て欲しい作品です。できればそれも2回見て欲しい。
ジョニデとディカプリオ
中々苦しいストーリー。けど全体通して言えばハッピーなのかな?
母子家庭で弟が知的障害者という有り得る設定。母は父を亡くしたショックで太って動けない。妹は反抗期。ギルバートが可哀想すぎるけど、世界中にはこのような家庭は一定数存在するんだろうなぁ。
ディカプリオの障害者の演技が上手すぎる。ジョニデもいつもとは違う役で新鮮。
自分がギルバートの立場だったら家族置いて逃げてると思う。障害があっても家族ならこんなに愛せるものなのか、、、経験しないと一生分からないと思う。
「うちの子たちもあなたみたいに育ってくれたらうれしいわ」
大好きな一本。
青年ジョニー・デップのお顔とレオ様の演技に見惚れてしまいます。
家族みんながギルバートに頼っていて、気の毒な気持ちになるところが多々ありました。お父さんじゃないのにね。昔から自分以外のために献身的に生きてきたギルバートには、当たり前の責務になっていたんですね。
弟をお風呂に入れるためにデートを途中抜けって。若い男の子がそんなことできるの?「うちの子たちもあなたみたいに育ってくれたらうれしいわ」奥様、同感です。
自分には無い考えを持つベッキーに惹かれていくギルバート。「あなたは何がしたい?」って、私までハッとした。ギルバートだけじゃなくて、誰もが自分に問いかけるべき質問だな、と。
家を出たい気持ちと罪悪感ってすごく共感します。家を燃やす場面。お母さんのために協力し合う素敵な家族。みんな自分の人生を生きてほしい。
最後に「アーニーはどこだ?」っていつものように始めてジョニー・デップとレオ様が抱き合うところ、泣いちゃいました。
名作を観た
遅ればせながら視聴。(遅すぎる…)
ディカプリオの演技がものすごい。
圧倒される。
時々キレながらも見守るデップ。
思わず殴ってしまうシーンは泣ける。
買い物袋は紙袋。商品に値段のシール。
古き良きアメリカ…というか、30年も前だから当然か。
父亡き後も家族が助け合って住む家は古いけど大きくて、大自然がとても美しい。
大型ショッピングセンターが出来て、街が廃れていくのはあるあるで、美しいだけでは暮らしていけないのだけど。
一方で、トレーラーハウスであちこち移動する、ノマド民?に惹かれるお兄ちゃん。
というか、ベッキーだから、か。
暮らし方、どっちも一長一短あるけど、隣の芝は青く見えるものなのかも。
最後は衝撃的だったけど、ああすることでしか自由になれなかったのか。
ディカプリオはすごい。何度も言うけど。
アイオワのカマキリ夫人?
ギルバート・グレイプは優しい男だ。
ジョニー・デップ。
昔は癖のないイケメンだった。
言われなきゃわからなかった。
ディカプリオはすぐわかったけど、知恵遅れのアーニー役すごかった。
19歳の天才子役だね。
ベッキーはお婆ちゃんとトレーラーハウスの旅。すごい短髪で、ボーイッシュなジュリエット・ルイスは目がちっちゃくて、とても個性的。さしずめ、ハリウッドの松金よね子といったところでしょうか。
あなたがしたいことは何なのって、ギルバートに何度も聞くんだよね\(^^\)こっちはついつい挑発的発言かなと思ってドキドキしてしまいますが、ギルバートはなんでも自分のことはあとまわしで、まっとうな恋はできない。
カマキリの交尾の話しをするベッキー。
でも、この映画の原題。What's eating Gilbert Grape?っていう。ちょっと怖い。
子供を家の外に出して、御用聞きを咥え込んじゃうカマキリ夫人のベティ。
お暇なら来てよねと職場にまで押しかけてくる。
薄々気付いてるトランポリンパパのカバーさんの苦悩も当然ですわ。
若いギルバートにとって、アイオワ州のエンドーラの町はまさにアリジゴクですわ。
この映画、出てくる女の人は長女を除いて、何かしらに飢えているメンヘラだったり、過食症だったり。
母親のアーニーへの偏愛は悲しい。
そんなお母さんに挨拶したいベッキーの実直なところも素敵。
昔から、アメリカにはトレーラーハウスで旅をするノマドランドさながらの人がいたんですね。毎年同じコースを通って巡っているわけですね。
どうして洋画って湖があるとすぐ入っちゃうんでしょうね。
毎度ながら、好きなシーンなんですけどね。
2階でおやすみしているママは家ごと火葬。
父親が建て、地下室で自殺し、母親がやっとベッドで寝たと思ったら、睡眠時無呼吸で死んでしまった家に兄弟たちが一区切りつけるシーンなんでしょうか。
でも、充分には燃えない(生焼けな)気がして、落ちつかなかったです。
1993年の作品だったけど、1960年代後半くらいの設定ですね。
原作、脚本のピーター・ヘッジス。やっぱり、ルーカス・ヘッジスの父親だった。
ギルバート・グレイプには頭がさがる。
俺だったら、ベッキーのトレーラーハウスであの晩にトンヅラしちゃう。
一年待って、兄弟揃って再会するところがイイんです。
タイトルなし(ネタバレ)
#ギルバートグレイプ 🎞 📽🎬
豪華キャスト
#レオナルドディカプリオ(当時19才)
#ジョニーデップ(当時30才)の共演作品
#ジュリエットルイス
の澄んだ瞳に引き込まれる
まだ生まれてない頃だとしても
この時代に、タイムスリップしたような
気持ちにさせてくれる名作品
この町で、一夏でも
この人たちと一緒に
過ごせたら、
一生忘れることのできない思い出になりそう。
自分もこの空間に入りたい。
そう思わせてくれる作品。
現在、#Netflix、#Unext で
作品を配信している模様
(もしかしたら変わるかもしれないのでご参考までに。)
私は、3年ほど前に、この作品と出逢い
当時、まだ配信されていなかったため
DVDをレンタルして観ました。
見るたびに、込み上げてくる
自分の心の片隅に眠っている
懐かしい記憶
そんな感情に浸りたいときに、
鑑賞しています。
▶️Story...
毎日、同じことの繰り返し。
アイオワ州の田舎町
主人公のギルバートは、5人兄弟の次男。
17年前、夫が亡くなったショックを引きずり
過食症になってしまってソファから動かない肥満の母親、
家を出て行った長男に代わり、
知的障がいを抱えている弟の世話と
スーパーの仕事で、一日が終わる。
憂さ晴らしに、人妻と火遊びしてみるも
どこかやるせ無さを抱えていた。
一生このまま
生きていくのだろうか。
そんなとき
転機が訪れた。
1人の女性"ベッキー"との出逢い
彼女を一言で表すなら
"自由"
彼女は、キャンピングカーで
旅をしている途中、
車が壊れてしまったため、
立ち往生をしていた。
車の修理が終わるまでの間、
この町に滞在することとなった。
ギルバートは、
自分に持っていないものを
持っている彼女に惹かれていく。
しかし、弟の世話とスーパーの仕事で
プライベートな時間を設けることが
できず…
1994年8月20日公開(日本)
#映画
#映画紹介
#エモーショナル
#映画好き
#film
#洋画
#gilbertgrape
誰か、アーニーを見た?
知的障がいを持つ少年アーニーを演じたレオナルド・ディカプリオの伸びやかな演技に魅了された。
思いのままに行動するアーニーを献身的に支える兄ギルバートを、ジョニー・デップが演じる。生活を共にする家族だからこそ抱える苦しみ、切なさ、愛の深さを、青年らしい瑞々しい魅力で演じる。
小さな田舎町で葛藤を抱えて生きるギルバートに、人生の希望を見出させる常に自然体て魅力的な女性ベッキーを、ジュリエット・ルイスが演じる。彼女が纏う透明感に魅了された。
総てを受け入れる雄大な大地のようなベッキーの思考、台詞が心に響く。
人生の切なさ、苦しみ、悦び…余韻が残る作品。
ーどこへでも行ける
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
タイトルなし(ネタバレ)
派手な展開はないが、非常に繊細かつ丁寧に心情の変化を表現している作品。淡々と進むようで学ぶことは多い。
自分の抑圧を象徴するかのような家に住むギルバートにとって突如現れた救世主のようなベッキーはトレーラーで放浪中というその対比表現が良かった。ギルバートの心の枷を外すような存在。凝り固まった視点を広げることで新しいものが見えることを学んだ。
そして今までのことが積もったギルバートがアーニーに暴力を振るったシーンから、母の弔いも兼ねて家を燃やすことで自由となったギルバートが、放浪を続けるベッキーと合流するまで怒涛の展開で目が離せなかった。ただ、後半に詰め込んだが故に、前半が少し勿体無いようにも感じてしまった。
ディカプリオは知的障がいという難しい役を見事に演じきっていてそれだけでも見る価値がある作品だと思う。
受け継がれるは…
ギルバートの父親はどこまでも無我的に「大黒柱としての責任」を抱え込み、その果てに首吊り自殺に追い込まれた。そして彼もまた父親のそのような運命を辿りかけていた。知的障害を持つ弟のアーニー、過食症の母ボニー、それから2人の妹たち。それらを支えていかなければいけない、というオブセッション。
しかしギルバートはアメリカじゅうをトレーラーで旅するベッキーと心の交流を深めることで、少しずつ内面を獲得していった。俺だってこの街から出て行くことができるんじゃないか?と。これによってギルバートは自由と責任の二律背反に直面することになる。ベッキーと一緒に閉鎖的な街から出て行きたいという気持ちと、家族を支えていかなければならないという気持ち。
語り手であるギルバートのこの懊悩は、ここへきて物語そのものの行き詰まりとして噴出した。したがってギルバートの母親であるボニーの死は必然だったといえるだろう。
彼女は自分の子供たちを縛り付けているものが他ならぬ自分であることを重々に理解していたのだと思う。彼女が250キロの巨体を動かしながらなんとか2階へと這い上がり、それから息子と娘たちの一人一人に言葉をかけるシーンは何とも切ない。彼女もまたどうにもならない二律背反に苦しめられ続けてきたのだ。子供たちと一緒にいたい、けれどそれは子供たちの未来を奪う桎梏となる、と。
しかし彼女はけっきょく、ギルバートたちに選択権を譲った。彼女の死は、彼女が親として子供たちに与えた最後の贈り物だったといえるだろう。ギルバートたちは母の遺志を受け取り、そしてあらゆる死臭の元凶たる自宅に決然と火を放った。
こうして自由と責任の二律背反は瓦解し、ギルバートは自由の象徴たるベッキーとの再会を果たす。しかし完全に責任が消え去ったわけではない。それは形を変えて今も彼と共にある。
アーニー。彼の大切な家族。
ディカプリオの演技に…
若き日のジョニーデップとレオナルドディカプリオが共演しています。
ジョニーデップ演じるギルバート
ディカプリオ演じるアーニー
ギルバートは知的障害者を持つ弟アーニーの面倒をみながら狭い町で暮らしておりその葛藤をえがいている。とにかくディカプリオの演技が本当に素晴らしいと思える作品になっている
全31件中、1~20件目を表示