ギルバート・グレイプのレビュー・感想・評価
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どこへでも
シーンのひとつひとつがいつまでも心に残り、全編通して心を動かされる感動の名作。
すべての登場人物が魅力的で、ドラマの中で完璧に役割を果たしているのも素晴らしい。
冒頭の道端で何かを待っているギルバートと弟のアーニー。太陽の光を反射しながら無数のトレーラーが道を横切っていく姿に、歓喜の声を上げるアーニー。この作品のオープニングにふさわしい印象的で感動のシーンだ。
トレーラーが自由に全国を旅出来るのに対して、ギルバートの生活はとても窮屈だ。
彼は障害を持った弟に、 肥満のために外を出歩くことも出来ない母親を支えるために町を離れることは出来ない。
町自体に活気がなく薄汚れているのも印象的だ。弟の面倒を見て、母親の食費を稼ぐために寂れた食料品店で働き、配達先の人妻と不倫するちょっぴり悪いところもあるギルバート。
しかし、たくさんのハンデを抱えながらも、決して家族を捨てないで、自分のことよりも人のことを優先して考えられる彼はとても良心的な人間だ。
アーニーの無邪気さに心が癒される部分もあるが、思ったことを何でも正直に口にし、何度止められても給水塔に登ってしまう彼の行動に家族は何度も振り回されてしまう。
アーニーのことを良くも悪くも言えるのは、彼と一緒に過ごしてきた喜びも苦しみも知っている家族の人間だけなのだと思う。とても感情を揺さぶられる映画だけれど、下手な感情移入をさせない冷たさもある作品だ。
あまりにも巨体な母親を興味本意で小さな子供達が見物にやって来るが、ギルバートはわざわざ男の子を抱っこして母親の姿を見せてやる。
ギルバートの友人タッカーが「よくないよ」と彼をたしなめるが、何か家族以外の人には口出しする権利はないような壁を感じさせる。
アーニーが木に登って姿を隠し、ギルバートがそれに気づきながらも「アーニーを知らないか」と呼び掛け、それを聞いたアーニーが喜ぶ遊びの場面は、二人の強い絆を感じさせる。
アーニーにトレーラーで旅をするベッキーが、とても動的な存在なのに対して、ギルバートは思っていることをあまり外に出さない静的な人間だ。
本当は彼がこの映画の中で一番心を動かされるし、一番悩みもするのだが、常に何か心に蓋をしているようにも感じられる。
タッカーの手伝いで家の土台を補修するシーンがあり、地下室からギルバートに手伝ってくれとタッカーが頼むが、ギルバートは躊躇して動けない。代わりにアーニーにタッカーを手伝うようにお願いするが、アーニーは「父さんがいるから嫌だ」と首をくくるジェスチャーをしておどける。
実は彼らの父親は地下室で首吊り自殺をしており、母親が肥満になったのもそのショックによるものだ。
そして、ギルバート自身も地下室にいまだに入るのを躊躇うほどに、心に深い傷を負っているのだ。
ベッキーとの出会いによって、彼女の開けっ広げな性格から、徐々に胸のうちをさらしていくギルバート。
トレーラーが故障してしまったために足止めをくらっているのだが、彼女の母親が何とかトレーラーを動かそうとギルバートに手伝いを頼むが、ギルバートにとっては修理が完了すれば彼女たちは町を出ていってしまうから複雑な気持ちだ。おそらく、ギルバートは手伝うふりして、何もしていなかったんじゃないかと思われる場面が、語らずとも彼の心情をうまく表していた。
雨の降る中、ついにエンジンがかかった瞬間に、思わず二人が抱き合って、本来なら喜ぶべきなのだが、別れなければいけない悲しみを目にたたえる姿にとても心を打たれた。
このギルバートが心惹かれたベッキーという人間にはとても好感を持った。アーニーがベッキーの買い物袋を落としてしまい、ショックでどうしていいか分からずにいる場面。謝れというギルバートを制して、「悪いと思っている?」と彼女はアーニーに尋ねる。首を横に振るアーニー。「私も悪いとは思っていないわ」とさっぱりした態度で答えるベッキー。
彼女のこうした言葉に心が暖かくなる場面は多い。
夫を亡くしたギルバートの不倫相手のベティが町を離れることになり、ギルバートに別れを告げたあと、ベッキーに向かって「譲るわ」と言って去っていく。「彼女を忘れない?」とベッキーがギルバートに尋ねると「ああ」と彼は答える。それを聞いて「良かった」と彼女は呟く。
ギルバートの母親と初めて対面した時に、母親が「最初からこんなんじゃなかったのよ」と弁明すると、「私も最初はこんなんじゃなかったわ」と答える。
彼女との出会いでギルバートはとても救われた。しかし、彼は彼女を追って町を出るわけにはいかない。
それは家から離れられない母親がいるからだ。
この衝撃な見た目の母親も、この作品で大きく心を動かされる人間だ。彼女は決して自分が笑い者にされるとは思っていなかった。とても傷つきやすい彼女が、アーニーだけに見せる特別な優しさがとても印象的だ。
部屋から一歩も出ない母親だが、アーニーが警察に拘束されてしまった時に初めて彼を救うために家の外に出る。彼女を乗せた車が傾きながら道を進んでいく様には、笑ってはいけないんだけど思わずクスッとなってしまう。
この感情は彼女を見る町の人達と同じなのだと思う。アーニーを救いだし、署を出る彼女の姿を好奇の目で皆が見つめる。
結局彼女自身もギルバートやエイミー、エレン、そして、アーニーの家族皆を自分が縛り付けていることを自覚していたのだと思う。
ギルバートがアーニーを殴って飛び出してしまうが、翌日無事に帰って来た彼を見て、本気で腹を立てながらも「でも帰ってきてくれた」と安堵する姿が色々と物語っていた。
最終的に、彼女がベッドの上で息を引き取ってしまった原因は分からないが、結果的に彼女は自分の死を持って家族を解放する。
「笑い者にはさせない」と家に火をつけて彼女を葬るギルバート。
それを見つめるギルバート、アーニー、エイミー、エレンの表情がとても心に残った。
ずっと心も体も縛り付けられていた家族が、それぞれの役割を見つけて旅立っていく。冒頭と同じくラストシーンは、トレーラーを待つギルバートとアーニーの姿。でも、彼らはそれをただ見送る人間ではない。ベッキーと再会して、新しい場所へと旅立つ彼らの姿に心の底から感動した。
喧嘩をして険悪な関係になってしまったギルバートとアーニーだが、仲直りの仕方は木登りのかくれんぼであり、この姿を見て、ああこの二人はこの先何があっても大丈夫だなと思った。
まだ始まったばかりなのかもしれないが、いつまでも彼らの人生が幸せであるように願った。
ダーレン・ケイツこそ陰の功労者
オンライン英会話の先生にお勧めされて、今夜U-NEXTで観ました。
何もない田舎で暮らす家族のお話。お父さんは他界、心に傷を負ったお母さんは、家から一歩も外へ出なくなりました。
しっかり者の兄、障害のある弟に加え、ふたりの姉妹もひとつ屋根の下で暮らしています。
弟のアーニーはわんぱく坊主で、とにかく自分勝手に行動し、周囲の空気を読めません。
観ているこちらとしては、兄のギルバートに直ぐに感情移入し、序盤はフラストレーションが半端なく溜まります。
19歳にしてアーニーをここまで演じきったレオナルド・ディカプリオにまず脱帽ですが、彼以上に輝きを感じたのは、夫に先立たれ、他人との接触を一切絶ったお母さん役、ダーレン・ケイツの演技力です。
彼女の体型は特殊メイクやCGではなく、生身の姿です。
ご存知の通りエンタメ業界は、映える役者を積極的に起用し、見映えの劣る(とされる)役者は端役にしてしまい、彼女の様な役者が脚光を浴びる事は稀です。
それでも彼女は演技の稽古を怠る事なく続け、この作品で遂に花を咲かせたのだと勝手に思っています。
他にも演技の光る女性キャストは多くいましたが、ダーレン・ケイツの演技力は群を抜いていました。
私自身の興味に逸れるジャンルの映画なので、この映画を紹介してくれたオンライン英会話の先生には感謝しかありません。
少し長く感じるのがたまに疵。
悲しみや痛みを感じる作品ですが、安堵と救いも感じられる名作です。是非一度ご覧下さい。
八千草薫の若い頃(知らんけど),時々ホラン千秋
初めて、人間的なジョニー・デップを見た。そして、レオナルド・ディカプリオが演技力のある役者だったことを知った。
いい。
追記
2回目の鑑賞。もうアーニーが出てきた瞬間からダメでした。後半、けんかの後で、お姉さんが木の上のアーニーを見つけたところでは嗚咽しそうになり我慢するのに大変でした。
登場人物たちは(ひょっとしたらこの映画を見ている観客の人達も)ギルバートの人間性は認めても、みんなどこかでギルバートをあわれんでいたところがあるのではないか。ギルバート自身も、自分を否定していたに違いない。そんな中で、お母さんは、ギルバートを全面的に肯定する言葉として、どうしても「輝く」と入れたかったのではないか。このお母さんの言葉がどんなにギルバートを救ったことか。
2回目に見ると、一つ一つの言葉が涙腺を刺激して、困った。よく練られた脚本と吟味された言葉に「この映画を作った人、凄いな」と改めて感服した。
本音を言えば、アーニーがお母さんを起こそうとした時、たっぷり時間を取った後でいいから、「あら!アーニー!」かなんか言って目覚めて欲しかった。この脚本のままだと、お母さんがギルバートの足かせになってしまっていたことになる。そうではなくて、縛っていたのはギルバート自身であり、自分自身の力で(おかあさんや家族全員も一緒に)過去から自由になり、新しく生きていく最後を見たかった。
見に行ってほんとによかった。2回目も見に行ってほんとによかった。
まだ、見ていない人にはどうしても映画館で見て欲しい作品です。できればそれも2回見て欲しい。
ジョニデとディカプリオ
中々苦しいストーリー。けど全体通して言えばハッピーなのかな?
母子家庭で弟が知的障害者という有り得る設定。母は父を亡くしたショックで太って動けない。妹は反抗期。ギルバートが可哀想すぎるけど、世界中にはこのような家庭は一定数存在するんだろうなぁ。
ディカプリオの障害者の演技が上手すぎる。ジョニデもいつもとは違う役で新鮮。
自分がギルバートの立場だったら家族置いて逃げてると思う。障害があっても家族ならこんなに愛せるものなのか、、、経験しないと一生分からないと思う。
「うちの子たちもあなたみたいに育ってくれたらうれしいわ」
大好きな一本。
青年ジョニー・デップのお顔とレオ様の演技に見惚れてしまいます。
家族みんながギルバートに頼っていて、気の毒な気持ちになるところが多々ありました。お父さんじゃないのにね。昔から自分以外のために献身的に生きてきたギルバートには、当たり前の責務になっていたんですね。
弟をお風呂に入れるためにデートを途中抜けって。若い男の子がそんなことできるの?「うちの子たちもあなたみたいに育ってくれたらうれしいわ」奥様、同感です。
自分には無い考えを持つベッキーに惹かれていくギルバート。「あなたは何がしたい?」って、私までハッとした。ギルバートだけじゃなくて、誰もが自分に問いかけるべき質問だな、と。
家を出たい気持ちと罪悪感ってすごく共感します。家を燃やす場面。お母さんのために協力し合う素敵な家族。みんな自分の人生を生きてほしい。
最後に「アーニーはどこだ?」っていつものように始めてジョニー・デップとレオ様が抱き合うところ、泣いちゃいました。
名作を観た
遅ればせながら視聴。(遅すぎる…)
ディカプリオの演技がものすごい。
圧倒される。
時々キレながらも見守るデップ。
思わず殴ってしまうシーンは泣ける。
買い物袋は紙袋。商品に値段のシール。
古き良きアメリカ…というか、30年も前だから当然か。
父亡き後も家族が助け合って住む家は古いけど大きくて、大自然がとても美しい。
大型ショッピングセンターが出来て、街が廃れていくのはあるあるで、美しいだけでは暮らしていけないのだけど。
一方で、トレーラーハウスであちこち移動する、ノマド民?に惹かれるお兄ちゃん。
というか、ベッキーだから、か。
暮らし方、どっちも一長一短あるけど、隣の芝は青く見えるものなのかも。
最後は衝撃的だったけど、ああすることでしか自由になれなかったのか。
ディカプリオはすごい。何度も言うけど。
アイオワのカマキリ夫人?
ギルバート・グレイプは優しい男だ。
ジョニー・デップ。
昔は癖のないイケメンだった。
言われなきゃわからなかった。
ディカプリオはすぐわかったけど、知恵遅れのアーニー役すごかった。
19歳の天才子役だね。
ベッキーはお婆ちゃんとトレーラーハウスの旅。すごい短髪で、ボーイッシュなジュリエット・ルイスは目がちっちゃくて、とても個性的。さしずめ、ハリウッドの松金よね子といったところでしょうか。
あなたがしたいことは何なのって、ギルバートに何度も聞くんだよね\(^^\)こっちはついつい挑発的発言かなと思ってドキドキしてしまいますが、ギルバートはなんでも自分のことはあとまわしで、まっとうな恋はできない。
カマキリの交尾の話しをするベッキー。
でも、この映画の原題。What's eating Gilbert Grape?っていう。ちょっと怖い。
子供を家の外に出して、御用聞きを咥え込んじゃうカマキリ夫人のベティ。
お暇なら来てよねと職場にまで押しかけてくる。
薄々気付いてるトランポリンパパのカバーさんの苦悩も当然ですわ。
若いギルバートにとって、アイオワ州のエンドーラの町はまさにアリジゴクですわ。
この映画、出てくる女の人は長女を除いて、何かしらに飢えているメンヘラだったり、過食症だったり。
母親のアーニーへの偏愛は悲しい。
そんなお母さんに挨拶したいベッキーの実直なところも素敵。
昔から、アメリカにはトレーラーハウスで旅をするノマドランドさながらの人がいたんですね。毎年同じコースを通って巡っているわけですね。
どうして洋画って湖があるとすぐ入っちゃうんでしょうね。
毎度ながら、好きなシーンなんですけどね。
2階でおやすみしているママは家ごと火葬。
父親が建て、地下室で自殺し、母親がやっとベッドで寝たと思ったら、睡眠時無呼吸で死んでしまった家に兄弟たちが一区切りつけるシーンなんでしょうか。
でも、充分には燃えない(生焼けな)気がして、落ちつかなかったです。
1993年の作品だったけど、1960年代後半くらいの設定ですね。
原作、脚本のピーター・ヘッジス。やっぱり、ルーカス・ヘッジスの父親だった。
ギルバート・グレイプには頭がさがる。
俺だったら、ベッキーのトレーラーハウスであの晩にトンヅラしちゃう。
一年待って、兄弟揃って再会するところがイイんです。
#ギルバートグレイプ 🎞 📽🎬 豪華キャスト #レオナルドディカプ...
#ギルバートグレイプ 🎞 📽🎬
豪華キャスト
#レオナルドディカプリオ(当時19才)
#ジョニーデップ(当時30才)の共演作品
#ジュリエットルイス
の澄んだ瞳に引き込まれる
まだ生まれてない頃だとしても
この時代に、タイムスリップしたような
気持ちにさせてくれる名作品
この町で、一夏でも
この人たちと一緒に
過ごせたら、
一生忘れることのできない思い出になりそう。
自分もこの空間に入りたい。
そう思わせてくれる作品。
現在、#Netflix、#Unext で
作品を配信している模様
(もしかしたら変わるかもしれないのでご参考までに。)
私は、3年ほど前に、この作品と出逢い
当時、まだ配信されていなかったため
DVDをレンタルして観ました。
見るたびに、込み上げてくる
自分の心の片隅に眠っている
懐かしい記憶
そんな感情に浸りたいときに、
鑑賞しています。
▶️Story...
毎日、同じことの繰り返し。
アイオワ州の田舎町
主人公のギルバートは、5人兄弟の次男。
17年前、夫が亡くなったショックを引きずり
過食症になってしまってソファから動かない肥満の母親、
家を出て行った長男に代わり、
知的障がいを抱えている弟の世話と
スーパーの仕事で、一日が終わる。
憂さ晴らしに、人妻と火遊びしてみるも
どこかやるせ無さを抱えていた。
一生このまま
生きていくのだろうか。
そんなとき
転機が訪れた。
1人の女性"ベッキー"との出逢い
彼女を一言で表すなら
"自由"
彼女は、キャンピングカーで
旅をしている途中、
車が壊れてしまったため、
立ち往生をしていた。
車の修理が終わるまでの間、
この町に滞在することとなった。
ギルバートは、
自分に持っていないものを
持っている彼女に惹かれていく。
しかし、弟の世話とスーパーの仕事で
プライベートな時間を設けることが
できず…
1994年8月20日公開(日本)
#映画
#映画紹介
#エモーショナル
#映画好き
#film
#洋画
#gilbertgrape
誰か、アーニーを見た?
知的障がいを持つ少年アーニーを演じたレオナルド・ディカプリオの伸びやかな演技に魅了された。
思いのままに行動するアーニーを献身的に支える兄ギルバートを、ジョニー・デップが演じる。生活を共にする家族だからこそ抱える苦しみ、切なさ、愛の深さを、青年らしい瑞々しい魅力で演じる。
小さな田舎町で葛藤を抱えて生きるギルバートに、人生の希望を見出させる常に自然体て魅力的な女性ベッキーを、ジュリエット・ルイスが演じる。彼女が纏う透明感に魅了された。
総てを受け入れる雄大な大地のようなベッキーの思考、台詞が心に響く。
人生の切なさ、苦しみ、悦び…余韻が残る作品。
ーどこへでも行ける
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
派手な展開はないが、非常に繊細かつ丁寧に心情の変化を表現している作...
派手な展開はないが、非常に繊細かつ丁寧に心情の変化を表現している作品。淡々と進むようで学ぶことは多い。
自分の抑圧を象徴するかのような家に住むギルバートにとって突如現れた救世主のようなベッキーはトレーラーで放浪中というその対比表現が良かった。ギルバートの心の枷を外すような存在。凝り固まった視点を広げることで新しいものが見えることを学んだ。
そして今までのことが積もったギルバートがアーニーに暴力を振るったシーンから、母の弔いも兼ねて家を燃やすことで自由となったギルバートが、放浪を続けるベッキーと合流するまで怒涛の展開で目が離せなかった。ただ、後半に詰め込んだが故に、前半が少し勿体無いようにも感じてしまった。
ディカプリオは知的障がいという難しい役を見事に演じきっていてそれだけでも見る価値がある作品だと思う。
受け継がれるは…
ギルバートの父親はどこまでも無我的に「大黒柱としての責任」を抱え込み、その果てに首吊り自殺に追い込まれた。そして彼もまた父親のそのような運命を辿りかけていた。知的障害を持つ弟のアーニー、過食症の母ボニー、それから2人の妹たち。それらを支えていかなければいけない、というオブセッション。
しかしギルバートはアメリカじゅうをトレーラーで旅するベッキーと心の交流を深めることで、少しずつ内面を獲得していった。俺だってこの街から出て行くことができるんじゃないか?と。これによってギルバートは自由と責任の二律背反に直面することになる。ベッキーと一緒に閉鎖的な街から出て行きたいという気持ちと、家族を支えていかなければならないという気持ち。
語り手であるギルバートのこの懊悩は、ここへきて物語そのものの行き詰まりとして噴出した。したがってギルバートの母親であるボニーの死は必然だったといえるだろう。
彼女は自分の子供たちを縛り付けているものが他ならぬ自分であることを重々に理解していたのだと思う。彼女が250キロの巨体を動かしながらなんとか2階へと這い上がり、それから息子と娘たちの一人一人に言葉をかけるシーンは何とも切ない。彼女もまたどうにもならない二律背反に苦しめられ続けてきたのだ。子供たちと一緒にいたい、けれどそれは子供たちの未来を奪う桎梏となる、と。
しかし彼女はけっきょく、ギルバートたちに選択権を譲った。彼女の死は、彼女が親として子供たちに与えた最後の贈り物だったといえるだろう。ギルバートたちは母の遺志を受け取り、そしてあらゆる死臭の元凶たる自宅に決然と火を放った。
こうして自由と責任の二律背反は瓦解し、ギルバートは自由の象徴たるベッキーとの再会を果たす。しかし完全に責任が消え去ったわけではない。それは形を変えて今も彼と共にある。
アーニー。彼の大切な家族。
ディカプリオの演技に…
若き日のジョニーデップとレオナルドディカプリオが共演しています。
ジョニーデップ演じるギルバート
ディカプリオ演じるアーニー
ギルバートは知的障害者を持つ弟アーニーの面倒をみながら狭い町で暮らしておりその葛藤をえがいている。とにかくディカプリオの演技が本当に素晴らしいと思える作品になっている
ディカプリオの演技だけでも星5
知的障害の弟アーニーと
夫の自殺以来家から出ない過食で巨体の母の世話に日々追われるギルバート
現代と違って預け先もなく始終目が離せないアーニー
と今で言うなら毒親にもなりうる、自分はソファーから動かないのに全ての世話を子供にまかせる母親
2人を心から愛して面倒をみるギルバート
だがふらりと現れたトレーラーで旅するベッキーとの交流の中で、家族の世話に縛られた自分の毎日に疑問をもち爆発してしまう。
家族の幸せしか考えてこなかったギルバートが
自分の人生や幸せについて考えだし
愛しているからこそ離すことのできない足枷にきづく
母が死んでその遺体と共に
父が自殺した場所でもある古い家を焼くことで
恍惚とした表情のギルバートが印象的。
愛してるアーニーと共に
ベッキーの車に乗り込み町から出て行くシーンは
希望に溢れていてみんなの笑顔が眩しい。
10代のディカプリオの演技力に脱帽だし
とにかくこんなに魅力的に知的障害者を演じたことに
感動すら覚える。
細かく細かく
髭がないジョニデ。
ロングヘアーが美しいジョニデ。
犯人探しや復讐ものなどとは違い、ストーリーに指標がない。たんたんと彼らの日々が映し出される。その生活感とジョニデを見られるという点をモチベに見ていた。でも段々と映画の主旨が見えはじめる。家族に捧げる彼の人生がある女性と出逢い、母が死に一転する。そのプロセスには本編でサラッと出される布石を後に回収する楽しさ、上手さと出演者たちの演技、シングルマザーや障害を持つ子供との触れ合いや恋が妙に涙腺を刺激する。最後はとても感動、というか心が温かくなる。
すごくいい映画だった。
自由になった葡萄の実
家庭内でしか育たない深い愛情もあるけれど、個人の人生を考えた時、「家族だから」という理由は時に重荷になってしまう。
自分で建てた家の地下室で突然首を吊って死んだ父。そのショックから、町で一番の美人だったという母は過食で肥満となり、家の中でもほとんど動かない。兄は家を出てしまい、次男のGilbertは知的障害を持つ弟Arnieの世話を焼きながら、食料品店で働いている。長くは生きられないと言われていたArnieの18才の誕生日前後のGrape家が描かれています。
彼らが住む寂れた町Endoraにも、大手スーパーやハンバーガーチェーン店といった新しい店舗がオープンし、少しずつ変化が出てきます。
Gilbertは、家族をよく知る店長に遠慮して、これまで通り古い商店で働いていますが、友人のTuckerは、純粋に惹かれてBurger Barnへ転職し、Mrs. Carverもモラハラ気味?の夫の死を機に転居します。新しいことに挑戦するのか、それとも古いものにしがみついて変化を拒むのか、という対比が分かりやすいです。
Gilbertは周りの顔色を見て生きているいわゆる「自分のない人」。大黒柱の役割を担わされ、高い所が大好きないたずらっ子の弟に振り回され、配達先の人妻にも誘惑されるがまま。本心は一体何を望んでいるのか彼自身も分からず、周囲から与えられた役目を果たそうという他人への責任感だけで動いています。発する言葉に”have/got to” の多いこと。父も兄もきっと家族に尽くすだけの人生に疲れて消えて行ったのだろうと推測できます。そしてまたGilbertの本音も、陰では母親を「ビーチに打ち上げられた鯨」と呼び、一人ではお風呂にも入れない弟を「時々(生きて)いなければ良いと思う」という所に表れています。
夫の死を乗り越えられない母親は、良くも悪くも家族をまとめる重石か足枷のようでしたが、母親自身が精神的にあの家に縛り付けられていました。
子供達の巣立ちを阻む家を燃やしたことで、晴れて自由になった訳ですが、母親の尊厳を最期に守ろうと思えたことがとても大きいのだと思います。鯨のようだと軽蔑したまま離別するのと、愛を持って見送るのとでは、その後の人生で故郷を振り返る時に随分違うでしょう。
Gilbertが自分の心の声に耳を傾け、母親と和解することこそが願いだと気付き、その機会を与えてくれたのは、キャンピングカーで自由に暮らし、刻々と姿を変える大空が大好きなBecky。
彼女との出会いが、
“We are not going anywhere.” を
“We can go anywhere if we want.”に変えてくれました。それは決して嫌々留まるのでも、どこかよそへ逃げるのでもなく、夢を持って新天地を目指せるという希望になりました。
母親の巨体が好奇の目に晒されるシーンがありますが、ドアや玄関を壊さないと家の外に出られない人もいるくらいですから、何とか歩けるだけマシですし、アメリカではそう珍しくないサイズだと思うのですが…。かつての美人が夫の自殺で劣化、お騒がせな三男は知的障害、などという要素が、狭いコミュニティでは余計に関心を高めるのでしょうか。
字幕では父親が17年前に死んだと訳されていますが、そうすると15才のEllenだけ父親が別人となってしまいますし、可愛かった頃の母親の姿をGilbertがはっきり覚えているというのも矛盾してしまいます。Beckyとの会話で、父親の死亡以来母親の過食と引きこもりが始まったと告白しており、母親が7年間外出していないということは、自殺も7年前です。17年前というのは、母親が家計を支えなければならない何かが起きたということでしょう。
当たり前ですがとにかくみんな若い!!
Johnny Deppは美しいし、DiCaprioはまだまだあどけない少年。John C. Reillyだけ意外と変わっていない?(^^)
Mary Steenburgenは高橋 惠子さんに見えました…。
登場人物は皆人生における困難にもがいていて、真の悪人は出て来ません。
自分探しをしている若者はもちろん、周りの期待に応えようとするあまり自分を見失ったり、変化を恐れたりする大人にもお勧めの作品だと思いました。
“It's what you do that really matters.”
デカプリオの演技に驚愕
とにかく、デカプリオのイメージが変わった。ここまで演技派だとは思わなかった。
日常から抜け出せないグレイプの遣る瀬無い感じがよく出ている。それだけに最後のシーンは大きな一歩をようやく踏み出した清々しさを感じる。
印象に残る作品。
物足りない?
ベッキーがいい人すぎて、それが心に残ります。
お母さんが死んでしまうのが悲しかった。
少しずつ元気になって心も体も・・・ってなっていくのを期待していたのに
死んじゃったの?( ゚Д゚;)とかなりびっくり。
そして映画特有の幸せ感みたいなのがなんか欠けていたというか。
青春ものとしては素晴らしいのでしょうけれど・・・
私がドライなのかも。。
暗い
ギルバートがあらゆることに縛られて、土地からも家からも離れられず苦しんでいて、見ていて息苦しかった。
最後は光明が差した終わり方でよかった。
若き日のジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオの姿が見られて満足。
ディカプリオの演技力が凄い!!
小さな田舎町を舞台に過食症で太り過ぎた母と知的障害を抱える弟の世話をする青年を中心に描いたある家族の話
父が自殺し当たり前のように母と弟の世話をしていたギルバートにある日トレーラーで旅を続ける女性ベッキーと知り合う
ベッキーとの出会いで自分の生き方を見つめなおし苦悩したり…
ほんとは自由になりたいんだけど家族を見捨てるわけにはいかないとゆう葛藤があってイライラが募るばかりに感じましたね
でもギルバートは偉いと思います
いくら家族の為とはいえここまで自分を犠牲には中々出来るものではないと思うので…
ラストの母が亡くなって家ごと燃やすシーンをグレイプ家族が見守るシーンは少し感動しましたね
自分達が育った家を燃やすと言うことは思い出を燃やすと言うことですからね
母が亡くなり自由になった家族達はそれぞれ新しい一歩を踏み出す形でこの作品は終わりました
この作品でのディカプリオの演技は凄かったですね!演技力って何?って思う
自分から見ても上手いと思ったくらいですからね 笑
全24件中、1~20件目を表示