「受け継がれるは…」ギルバート・グレイプ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
受け継がれるは…
ギルバートの父親はどこまでも無我的に「大黒柱としての責任」を抱え込み、その果てに首吊り自殺に追い込まれた。そして彼もまた父親のそのような運命を辿りかけていた。知的障害を持つ弟のアーニー、過食症の母ボニー、それから2人の妹たち。それらを支えていかなければいけない、というオブセッション。
しかしギルバートはアメリカじゅうをトレーラーで旅するベッキーと心の交流を深めることで、少しずつ内面を獲得していった。俺だってこの街から出て行くことができるんじゃないか?と。これによってギルバートは自由と責任の二律背反に直面することになる。ベッキーと一緒に閉鎖的な街から出て行きたいという気持ちと、家族を支えていかなければならないという気持ち。
語り手であるギルバートのこの懊悩は、ここへきて物語そのものの行き詰まりとして噴出した。したがってギルバートの母親であるボニーの死は必然だったといえるだろう。
彼女は自分の子供たちを縛り付けているものが他ならぬ自分であることを重々に理解していたのだと思う。彼女が250キロの巨体を動かしながらなんとか2階へと這い上がり、それから息子と娘たちの一人一人に言葉をかけるシーンは何とも切ない。彼女もまたどうにもならない二律背反に苦しめられ続けてきたのだ。子供たちと一緒にいたい、けれどそれは子供たちの未来を奪う桎梏となる、と。
しかし彼女はけっきょく、ギルバートたちに選択権を譲った。彼女の死は、彼女が親として子供たちに与えた最後の贈り物だったといえるだろう。ギルバートたちは母の遺志を受け取り、そしてあらゆる死臭の元凶たる自宅に決然と火を放った。
こうして自由と責任の二律背反は瓦解し、ギルバートは自由の象徴たるベッキーとの再会を果たす。しかし完全に責任が消え去ったわけではない。それは形を変えて今も彼と共にある。
アーニー。彼の大切な家族。