「この男にしてフェラーリ有り」フェラーリ 泣き虫オヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
この男にしてフェラーリ有り
過去数年のカーレース題材映画は、“ラッシュ/プライドと友情”、“フォードvsフェラーリ”、“グランツーリスモ”いずれも大好き。いくつになっても車、特にスポーツタイプ車が好きという嗜好の性もあるかも知れないが、ボクシングとカーレースは漏れなく魂を揺さぶる題材というのが俺の持論。 さらに、外車を買いたいとは思わない俺だが、フェラーリだけは憧れてしまう俺なので、本作にはすごく興味が湧いた。
【物語】
若い頃はレーシングドライバーとして速さを追求したエンツォ・フェラーリ(アダム・ドライヴァー)。2次大戦後間もない1947年に妻ラウラ(ペネロペ・クルス)とフェラーリ社を立ち上げ、それから10年が経過していた。
フェラーリ社はイタリア屈指の自動車メーカーにまで成長してはいたが、業績は思わしくなく出資者からはフォード車等大手自動車メーカーの傘下に入ることを求められていた。プライベートでも1年前に息子ディーノを亡くし、妻との関係は冷えていた。ひそかに愛し合うリナ・ラルディ(シャイリーン・ウッドリー)には彼女との間に生まれた息子ピエロの認知を迫られていた。
会社経営と私生活の両方で精神的に追い込まれる中、エンツォは、フェラーリ社の生き残りのため、公道レース「ミッレミリア」に勝利し、フェラ―リの名を轟かすことに全てを懸ける。
【感想】
なぜフェラーリ社がレースに拘り、スポーツカーに拘り続けているのか、エンツォ・フェラーリの半生を知って納得。レーシングドライバー上がりの創業社長だったとは。思えば“ラッシュ/プライドと友情”も“フォードvsフェラーリ”もライバルの一方はフェラーリだったことに今さら気付く。レーシング・シーンにやはりフェラーリは欠かせないということのようだ。
エンツォが劇中で言う「奴らは車を売るためにレースで勝とうとするが、俺はレースで勝つために車を売るんだ」的なことを言うが、それがフェラーリ魂の全てを表しているのだと思う。
そして、レーサーが如何に命懸けの職業なのかも改めて思い知らされる。前述“ラッシュ/プライドと友情”も“フォードvsフェラーリ”も大事故抜きでは語れない物語だった。劇中でエンツォがドライバー達に命懸けでと言うより、「死ぬことを恐れるな」的なことを言う。現代でこれを言ったら完全にアウトだと思うけれど、きっと自分もレーサー時代にそう思って走っていたのだろう。そう思って走らなければ勝てないというのも真実なんだと思う。 一般人を事故に巻き込んでしまった後にエンツォが「一般人は彼らと違う」と悼むシーンで、逆に「レーサーはいつも死を覚悟して走っている」という意識が強く感じられた。
一方映画なので、最後は“大成功”で終わる方が気持ち良いし、そういうフェラーリ史の切り取り方も出来たはずだが、そうしなかったのはやはり、レースという世界が栄光と死がいつもとなり合わせにあることを描きたかったのだろうか。
もう1つ言っておくと、この時代もフェラーリの車は美しい。エンツォは「機能を突き詰めたものは外観も美しくなる」的なことを息子に話すのだが、これもまたフェラーリのポリシーであり、今につながる文化なのだろう。
やっぱりフェラーリはカッコイイ。