悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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Untitled
タイトルがきっと今作の中で一番でかい意味を成してるんだろうなと予想しながら鑑賞。真っ昼間ですがほぼ満席でした。
序盤のゆったりと音楽に合わせて森の中を映す映像でまず画面に釘付けにさせられました。スロースタートな作品は苦手ですし、この時点で合わないかもって思う作品は多くあるんですが、今作は不思議と落ち着く〜となりました。音楽の力もかなり強かったです。
そこから森やその付近の町を映す描写になり、今作の主人公的ポジションの巧の普段の行動だったり、グランピング施設の説明会だったりと、展開が少しずつ動き出していく感じで、ちょっとした違和感がポツリポツリとありました(鹿を撃ったのはきっと出張してきた東出くんのはず…)。
田舎VS都会の構図のようになっていた住民会と芸能事務所の社員の話し合いは中々にスリリングでした。
計画書を示されてもどれもざっくりとしたもので、そりゃ住民も反対するよという内容には思わず住民と一緒に相槌を打っていました。
バランスを大切にというのには思わず納得してしまい、我慢もしなきゃならないし、たまには気持ちを発散させたりと、日常から大きな事業までやることなすことは一緒だよなと変に納得してしまいました。
都内に帰ってきてからの社長やお偉いさんの杜撰な対応はいかにもだなぁってなりました。計画性というか考えというのが浅はかで、完全にお金目当てなんだよなというのをうまいこと言葉で濁してる感じで居心地が悪かったです。
今作でほっこりしたのは高橋と黛の車内での会話シーンで、会社への不満をぶちまけたり、お互いの恋愛観を語ってみたり、田舎っていいよな〜ってなったりとまったりした時間が流れていて、この時ばかりは劇場も笑いが起こっていました。ここでもやはり車が出てくるんだなとニヤッとしていました。
高橋が薪割り気持ちいい〜とかここの管理人になろうかなっていうシーン。きっと現状の本心なんだとは思いますし、それこそ悪意なんて無いもんだとは思うんですが、どうしても実家がまぁまぁの田舎の身からすると、そんなに楽じゃないよ?と違和感が出てしまったのを巧は強烈に感じてしまったんだろうなと思いました。
町内の集まりであったセリフの「水は上から下に向かって流れる」というセリフが今作を象徴していたなと思いました。コロナ禍の給付金や補助金の行方、汚水は上の地域は良くても下に流れると生活に影響するなど、なるほどなーとゾクゾクする感覚がありました。
花を探しにいくシーンでも上流から下流へと探しにいっていたので、これぞ伏線の回収だなと思いました。
ラストシーン、これは捉え方が十人十色ってやつだと思います。誰しもが正解であって正解じゃないやつです。
個人的には自然にズカズカと入ってくる都会もんを巧が自分の手で成敗するという正義にも見えるんですが、いかにも身勝手で、でも防衛本能もはたらいてみたいなように見えて本当の悪とは思えない作りになってるのが本当に凄いなと思ってしまいました。
観ていたら急にぶん殴られた感覚で置いてけぼりにはされましたが、印象的すぎるラストの衝撃の方が強く、おもしれ〜ってゴワゴワした感情で劇場を後にしました。
個人的にですが、多分全員どこかしら悪いところ、発展したらクズな箇所があって、巧だって娘の事を何回も忘れている事は捉え方によっては悪だと思いましたし、花も何度も行くなっていうのに行くのは極端ですが学ばない悪だとも思いましたし、ここまできたらもう悪は存在しないよ!ブンナゲ!ってなってしまい、上手い作りだなぁってなりました。
棒読みの演技というか本読みの演技が濱口監督作品では特徴的なので、最初こそ違和感はありましたが、だんだんそのキャラクターの特徴や考え方が滲み出るようになっていき、そして感情が少しずつ乗っていくと人間味が出てきたのでそういう面でもこの演技は楽しめました。ただ他作品でもこの感じだったら浮いちゃうだろうなという人が何人かいたので、そういう面にも着目していきたいです。
ここまでタイトルに振り回される作品ってのは初めてでした。思っていたよりかは難しい作品ではありませんでしたが、それでもしっかり考え込んで不意を打たれてと忙しい映画でした。ちゃんと今作と向き合えるような人間になりたい。
鑑賞日 5/9
鑑賞時間 13:05〜14:55
座席 G-12
確かに悪は存在しないが犯罪はある。
子鹿を守るために親鹿は躊躇しないだろう。
相手が猟師であろうと少女であろうと。
環境を守るために全力で抵抗する人もいるだろう。
相手が親切で好意を持っていても。
そんな抵抗や反動は悪ではない。
正当防衛行為なのだ。
それがたとえ傷害以上の行為だとしても。
野山の自然の静寂な環境の中で何かが起こることは悪ではないが、人間社会環境から見れば犯罪となってしまう。
これを理不尽、不条理という人も居れば、言われる人もいる。
いつからか自然も社会環境の一部となったからか!?
毎週、山歩きをする者として自然の社会化は、
文明の高度化と比例する故に仕方ないことと諦めるより仕方ない。
要約すると、「無用の用」 なのか? 老子
ちと、違うなぁ…
(^_^)
悪は存在しない
劇場公開日:2024年4月26日 106分
「ドライブ・マイ・カー」でアカデミー国際長編映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞するなど国際的に高く評価される濱口竜介監督が、
カンヌ、ベルリンと並ぶ世界3大映画祭のひとつであるベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)受賞を果たした長編作品。
「ドライブ・マイ・カー」でもタッグを組んだ音楽家・シンガーソングライターの石橋英子と濱口監督による共同企画として誕生した。
自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、
東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。
代々その地に暮らす巧は、娘の花とともに自然のサイクルに合わせた慎ましい生活を送っているが、ある時、家の近くでグランピング場の設営計画が持ち上がる。
それは、コロナ禍のあおりで経営難に陥った芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだった。
しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかったことから町内に動揺が広がり、巧たちの静かな生活にも思わぬ余波が及ぶことになる。
石橋がライブパフォーマンスのための映像を濱口監督に依頼したことから、プロジェクトがスタート。
その音楽ライブ用の映像を制作する過程で、1本の長編映画としての本作も誕生した。
2023年・第80回ベネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員大賞)を受賞したほか、映画祭本体とは別機関から授与される国際批評家連盟賞、映画企業特別賞、人・職場・環境賞の3つの独立賞も受賞した。
悪は存在しない
劇場公開日:2024年4月26日 106分
噛み応えがあるね
善と悪とは
冒頭から独特の映像の撮り方。
だが静寂で綺麗。
ここから見る人や物、動物、自然によって
善悪とは其々によって違う事を意味してたのかも。車から後ろへ撮り方も。
グランピングの説明会、都会と田舎では
時間の流れ方や大切さは分かり合えない。
相手が自然だし。口先だけでは無理。
ここの会話劇は皮肉たっぷりで面白かった。
あの、高橋みたいな鈍感な人必ずいるよね。
水を大切にしてるわりとには大事な娘
花の迎えは忘れる違和感。
巧は何か起きて欲しいと願ってたのかな……。
亡き母に対するお想い。
ラストは衝撃。鹿に身を捧げる感じ。
それを止めようとする高橋。
高橋の首を絞めて気絶させる行動。
このシーンは当人同士の気持ち。
どちらが善悪が分からない。
花があちら側に少し寄り添っている
のを巧は感じとったかもしれない。
自分はどの人物なんだろうか。
過度に音楽が入らないところが、鹿の気持ちになったように、じっと没入できた。
開発者側の女性が役者っぽくなく、落ち着いた口調が、観ている自分の立場をそちら側にも動かされてしまう。
自分は一体どの立場でいきているのだろうか、
生きていく為に何を1番大切に守っているのか、考えた時間だった。
花ちゃんとの描き方に疑問。
時間を忘れてしまうなら対策考えるべきだし、
ちゃんとルールを作れば良いし。
鹿への知識も教えてあげていないのか、そこに暮らしていながら学ばなさ過ぎではないか。
そこは、ストーリー的にそうせざるをえなかったのかな。
高橋は私だ!
受賞作に期待したのだけど、それほどではなかった。彼の映画は評価して...
受賞作に期待したのだけど、それほどではなかった。彼の映画は評価しているし、映像も美しかったし、開拓民、自然との関係、芸能プロなどの設定も知的ではあったけど、途中で終わった感。主人公の何を考えているかわからない感はよかった。そして芸能プロダクションの二人のいい加減さと、社長、コンサルの薄っぺらい感じ。自然の中で生きてる住民との対比は明確。鹿の出てくる映画は多い。ここでも息を呑む美しい映像だった。
そして僕は途方に暮れる
薪を割ったり、水を汲んだりといった、自然の中での日常生活が、長回しの映像で延々と描かれる冒頭は、正直言って眠くなる。
だが、グランピング場の開設に関する地元説明会の場面になると、ドキュメンタリータッチの映像が独特の緊張感を醸し出して、俄然面白くなってくる。
ここでは、利益を優先して自然を破壊しようとする開発者と、自分たちの生活を守ろうとする地元住民の対立構造が明確になり、前者が「悪」で後者が「善」という、物語としての構図もはっきりしてくる。
やがて、モブキャラだと思われた開発者側の担当者にスポットが当てられ、彼らが悪い人間ではないということが分かってくると、人間は単純に「善」と「悪」とに区分できないということが実感できて、映画のタイトルが意味するところも理解できたような気になってくる。
さて、それでは、この開発計画をどのように着地させるのかと思っていると、突然、少女の失踪騒ぎに物語が転調し、最後は、呆気にとられるような形でエンドロールとなる。
一体全体、この結末は、どのように解釈すればよいのだろうか?
一度薪を割ったぐらいで、自然の中での暮らしを理解したように思っている芸能事務所の男を、自称「何でも屋」の男が、不快に感じていたのは間違いないだろうが、それだけで殺意を抱くとは思えないし、ましてや、「どうしてあのタイミングで?」という疑問も残る。
もしかして、何でも屋は、不用意に手負いの鹿に近づこうとした芸能事務所の男を助けるために、彼を制止しようとしたのかもしれないが、その前に、まず、自分の娘を助けようとするのが普通だろうし、制止するにしても、気絶するまで羽交い締めにするのは不自然過ぎる。
それとも、自分の娘を犠牲にしてまで、芸能事務所の男を救おうとしたということなのだろうか?
まあ、いくら考えても「正解」はないのだろうし、作り手側も、作品の解釈を観客に丸投げして、「正解」を提示する気がないのだろう。
ただし、「起承転結」の物語としては完全に破綻しているし、そういう意味では、良くも悪くも、観客の期待を見事に裏切る映画であるということは間違いないだろう。
心地いい余白
考えさせられる余白が大きいと感じた。
ただ、映画は絶対的な答えがあるものだけでもないので、こういうラストもありなのではと思った。
映画をあまり見てない時の自分が見たら邦画の良くない終わり方だなあって思う気がする。
芸能事務所の人たちが自身の境遇を車内で話しているのシーンが最高だった。とてもリアル。自分がこういう先輩と一緒だったらめっちゃ嫌だなって思ったけど、なんか嫌いになりきれなさそうな先輩だなと感じた。。
社長とコンサルの人が悪に見える。
都会の人間と現地の人間の考え方の違いや、意見のぶつけ合い方がとても面白い。あの説明会の淡々と詰める感じとか、感情で訴える感じとか、かなり没入感があった。
ラストの衝撃
地方農村の再開発を題材にしたシニカルなヒューマンドラマなのだが、突発的なラストがどこか不条理劇のようなテイストを持ち込み、何とも評しがたい作品となっている。
監督、脚本は「ドライブ・マイ・カー」、「偶然と想像」の濱口竜介。元々は本作で音楽を担当している石橋英子とのコラボ企画から始まったということで、これまでとは少し違った経緯で作られた作品である。とはいえ、緊張感を醸したロングテイクや、抑制を利かせたセリフ回し等、濱口監督らしい独特の作風は一貫している。
一つ違うのは、これまではどちらかと言うと会話劇主体な作りが多かった印象だが、今回は映像で語ることにこだわった点である。これは、そもそもの企画が音楽のための映像作品という所に起因しているのかもしれない。
中でも、意図的に肝心な部分を見せない映像演出は大きな特徴のように思う。「ドライブ~」でもそうした演出は一部で見られたが、今回はそれが更に推し進められたという印象である。
例えば、巧が花を探す序盤の森のシーンは、巧の姿を収めた移動ショットで撮られている。途中で画面は大木に阻まれ、二人はその陰で邂逅する。巧が花を見つけるという肝心な部分を全く見せない意外性に驚かされた。
あるいは、芸能事務所からグランピング建設の説明で派遣された男女が車中で交わす会話のシーン、行方不明になった花の身を案じる女性社員がコテージに佇むシーンは、徹底した後姿のショットが貫かれ、その表情を極力見せない。
極めつけは物議を醸すであろうラストシーンである。花の身に何が起こったかを映像では一切見せておらず、その顛末のみを提示して見せるという演出がとられている。
このように肝心な部分を見せず観客の想像に委ねる演出は、普通は余りしないものであるが、本作の場合はそれが頻出するのである。物語は割と淡々としているにもかかわらず、こうした意外性に満ちた語り口に引き込まれ、終始面白く観れる作品だった。
とは言うものの、やはりラストには、観ているこちらの想像をはるかに超える驚きがあったわけだが…。
これについては、観終わった今でも解釈に迷う所である。単に自然対人間、都市対農村、政治や社会構造の問題といったテーマでは語りきれない奇妙さがある。巧の”あの行動”に、自分は彼の心の”闇”を見た思いになった。
尚、本作を観て真っ先に連想したのは、往年の名作ドラマ「北の国から」である。自然と共生しながらマイペースに暮らす巧の姿が「北の国から」の五郎とダブって見えた。ただ、娘に対する愛情表現は五郎よりも不器用で、学校の送迎を失念したり、危険な森に一人で行かせたり、かなり放任的な点は異なる。その結果が、あのラストを呼び込んだとも言える。
また、芸能事務所の社員二人の視点に立って見れば、サム・ペキンパー監督の「わらの犬」も連想させられた。都会の人間と田舎の人間の間に生まれる不穏な空気感は、正に「わらの犬」のそれと同じである。そして、両者のズレを同じシークエンスを使って反復して見せた構成も面白い。
もう一つ連想させられたのはジャン・リュック=ゴダールの作品である。開幕のタイポグラフィーやBGMのぶつ切りといった演出は正にゴダールが得意としていた演出法である。これまでの濱口作品にはゴダールの意匠は全く感じられなかっただけに意外であった。
考察!!
冬山の日没
音楽についての評価が高かったが、自分にとっては映像の美しさの方がユニークでした。大友良英さんが音楽をつけた邦画を複数見ていたため、無意識に比べていたのかもしれません。
本作で映像化された自然の美しさ、それと共存をはかる人間の生活がよく分かりました。そのバランス感は、脚本上も重要なポイントでした。子供の頃、アウトドア好きの父にスキーやキャンプに連れ出され、山の形、木や鳥や雪上の足跡の種類を解説されたことまで思い出しました。父は都内暮らしのサラリーマンでしたが。鹿の水場の美しさはその中でも特に際立っていて、写真作品にしてコレクションしたいようでした。
過去に見た作品と違うのは、役者さんたちのお芝居の朴訥とした印象と、音楽の扱い方とに、共通の意図的な突き放し方があった点です。例えば生の演劇では絶対に見られないような、カットアウトしたような、時にぶっきらぼうとも言えるような切り口が、意図的に何かを伝えたり、場面を変える役割を持つ台詞や音楽が置かれて、映画が進んでいき、これは映画だなと思います。自然の弱肉強食の世界で、生きることを優先し愛想や辻褄合わせに振り向けるエネルギーは無い状況の暗喩にも見えました。
そして日常の風景が突然ばっさり切り落とされて非日常の様相になり、ラストに向かうのですが、余韻にまだ空想を止められないでいます。
色んな可能性があるけど、息が残っていたとして、日没までに誰にも見つからなかったら助からない可能性が高い季節の出来事。その意味で、走れメロスのような緊迫感がありました。
残念ながら、私はダメでした、、、
どうもこの監督とは相性があまりよろしくないのかな。テンポというか、ゆだね方というか、リアリティと寓話の線の引き方というか、、、とにかく「寝ても覚めても」を見て以来、鑑賞中に「あー、私は俗っぽいおばさんになっちゃったわけから、監督からファンにならなくても結構ですよ、と言われているような疎外感」に襲われる。
今時のあるある社会派ドラマの断片を見せながら、結果とはいえ、子どもを連日一人で林の中歩かせる? それに対して他の保護者があまりにも無関心すぎない?ってあたりでもうだめ。
ラストに至っては「ここで放り出すんんだー」と、喧嘩売られた気分です。
映像と音楽作品に無理にストーリーつけなくても「白鹿」や「いいちこ」のCMみたいなのが出来ただろうにと思う。
ラスト、、、唖然
まず、ラストシーンに完全に置いてきぼりにされました。釈然としないまま、ラストから物語を遡ってみると、様々なシーンが思いだされます。
だからあの時、巧はこう言っていたのか?高橋って浅はかだよな。あの音がラストへの伏線だったのか?
しかし、色々と考えを巡らせていても、ラストの出来事が理屈に合わない。
ああ、世界には説明のできない非論理的なことが現実に《存在する》のだな。
人類はずっと論理性を追求し続けていますが、この世は非論理的なんだ。
論理的に感情的にならずに賢そうに振る舞っていた社長とコンサルが、実は誰よりも滑稽な存在だったのだということをラストシーンから気づくことができました。しかし、世界は社長やコンサルに象徴される《滑稽さ》に覆われていて、私達もその《滑稽さ》が正しいと思う社会に生きています。
資源開発に限らず、福島原発、ガザの状況も理屈に合わないことのひとつと気がつくことができました。生物の本質は生きることですが、本質から逸脱した《種の破滅》も可能性として起こり得るのだなと思います。
自然界には悪という概念は存在しない。熊が人を襲うのに善悪はない。
鑑賞後、様々なことについて、想像力が膨らみ続けています。凄い作品に出会いました。
世界的な映画監督がこのような作品を作ってはダメなのでは?
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『悪は存在しない』を超絶雑にまとめると以下になると思われます。
【水のきれいな自然豊かな田舎の町に、政府のコロナ補助金目当ての芸能事務所がグランピング施設を計画し、そのズサンな計画を察した主人公が、娘が手負いのシカに襲われたのがトリガーとなり、芸能事務所の交渉役の人物を殺害するストーリー】
もちろん、このような雑なまとめをされないように、映画の冒頭からおそらく都会とは違う自然の時間の流れを表現するために、超絶に長い、森林を下から移動で眺めるショットや、画面からアウトするまで撮り続ける主人公・巧(大美賀均さん)の水汲みのシーンや、長い薪割りのシーンなどのショットを流し、あくまで本音を語らない物静かな主人公・巧を配置したりした作りになっていたと思われます。
しかし、どんなに取り繕って煙に巻いても、自然に敬意の無い補助金目当ての芸能事務所の人間を排除するために主人公がその人物を殺害した、との【短絡的なストーリー】からは免れることは出来ていません。
なぜ【短絡】かといえば、(濱口監督もインタビューで応えているように)人間は自然に対して存在している時点で(主人公・巧の排除の論理の延長線上で)【悪】であり、己の【悪】を棚に上げたまま相手を断罪や排除をしてはならず、己の【悪】を棚に上げた時点で【短絡】にしかならないということです。
例えば、主人公・巧たちが住んでいる家や店の汚染水はどうしているのか、彼らが住んでいた場所もかつてはきれいな水場やシカの通り道であったのでは?
仮にそれら汚染水などの問題や人間存在の【悪】の問題を次善として解決出来ているのであれば、(グランピングであろうがなかろうが)そのグラデーションの中での次善の解決策を今後も全体で模索し続けるのが、自分たちの存在を棚に上げないまともな人間の営みだと思われます。
そんな可能性や問い掛けを排除して、(本当は存在自体が【悪】であるのに)自分たちは《善》の側に立ち、相手を【悪】に押し込めて断罪する、気持ちの良い場所からこの映画を作ってしまっていないか(今回では芸能事務所の人間を逃げ場のない【悪】の人物として描いていなかったか)、という厳しい問い掛けがされる必要があると思われました。
今や世界的な映画監督になった濱口監督に映画界は誰も指摘出来ない裸の大様になっているとすれば、こんな【短絡】の人間観の映画を作ってしまっていることを、誰かが指摘しないといけないと思われました。
私はこの映画『悪は存在しない』を再開発の最前線の渋谷のど真ん中の映画館で観たのですが、<何が『悪は存在しない』だ、自分たちの存在を棚に上げて片側を一方的な【悪】に描きやがって‥>と憤慨して映画館を出ました。
私がこの映画を観た渋谷は、川を何十年も前から暗渠化して自然とは真逆の場所ですが、そこに出来た新しい映画館の素晴らしさを濱口監督が自ら称賛する映像をロビーで見てから、『悪は存在しない』を鑑賞しました。
そして帰りの電車の中で、<そのツラの皮をひっぺ返してやろうかこの偽善者どもめ!>と心の中で映画に対して怒り狂いながら帰路に着きました。
こんな【短絡】で浅すぎる人間観で映画を作ってはいけない、と今でも強く思われています。
己を棚に上げるみっともなさを、今一度深く考えて欲しいと、僭越ながら思われました。
(憤慨する内容はともかく、映画自体は自然の美しさもありその点をプラスしてのこの点数となりました。)
あなたの考える悪について
悪ばっかり
終わるなぁァァァと思いながらエンドロールを迎えてしまった。これが好きすぎるがあまりの感情だったら良かったのに...。
アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」は、原作者・村上春樹の作風が個人的に大の苦手ということもあって全然ハマれなかったけど、濱口監督のゆったりとした作り方は割と好きだし、今度こそはみんなと同じように絶賛できるだろうと、そう信じていた。のに。冒頭でうっすらと感じた嫌な予感は、見事に的中。今年一気味が悪い、監督の自己満的映画だった。。。
タイトルとラストの兼ね合いだけでここまで好評を得ているのか?絶対に裏切らない、タイトルに沿って言えば、悪は一切存在しない自然は確かに良かった。音をすごく丁寧に扱っている気がしたし。
でも、あのラストはとてもじゃないけど受け入れられない。ハッキリ言っちゃうけど、今年ワーストに入るくらい大嫌い。観客に今後の展開や隠された真実を問いかける形で幕を閉じる作品は、2024年だけでも「コット、夏の思い出」「瞳をとじて」などがあり、どれもこれも傑作ばかり。これは自分の推測だが、この締め方を起用していて観客が胸を打つ作品を作れる監督っていうのは、こうなって欲しい、こうなるといいな、という熱い思いやどう解釈しようと自由だけど、自分はこう思うよという考えが作品にしっかり宿っているからだと思っている。
だが、本作は「君たちはどう生きるか」のように、作り手自身に明確な答えが持てず、ハッキリとしたラストを描けなかったばっかりに、こんな曖昧で観客に丸投げするかのような終わり方になったんじゃないだろうか。絶賛している人に聞きたい。ビックリした!で5.0を付けてないか?もしそうじゃないのなら、貴方が見い出した答えを教えて欲しい。でも、その答えはなんの意味もなさないはず。だって、濱口監督が分かっていないんだもん(インタビュー記事より)。
これって自分が悪なのかな?
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