DOGMAN ドッグマンのレビュー・感想・評価
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まあまあだ
主人公の境遇がかわいそうすぎて、うちにも小学生の男の子がいるから気が気でない。しかし、その割に内容が、なんだこれ?みたいな感じで真面目にとらえていいのか、と思う。避妊手術をしているように見えず多頭飼育崩壊が起こるのではないだろうか。トイレのお世話もしてなさそうだ。途中でそんなことを気にして見る映画ではないと気持ちを切り替えるべきだ。一方でバイオレンス山盛りを期待していると、最後まであまりない。
ミュージシャンの中村一義が気の毒な生い立ちで、子どもの頃犬を親代わりに暮らしていたという。その時は犬とテレパシーで会話できたそうで、この映画の主人公もそんな感じなのかと想像しながら見た。
現実の問題で児童虐待がある。面白映画の素材としての扱いを、実際虐待されている子はどう思うだろう。そういった遠慮が全くないのがリュック・ベッソンの面の皮の厚いところだ。
久し振りのリュック・ベッソン監督
自分の異常
愚かで醜い人間たちを賢い犬たちが懲らしめる悲しい寓話
心なき人たち。
父、妻と次男と犬に暴力を振るう愚か者。
兄、卑怯者でDV親父の共犯のくせに神の名をかたる愚か者。
役人、赤字を盾に犬保護施設を閉鎖する愚か者。
ヤクザ、子分を引き連れ弱いものから金を巻き上げる愚か者。
金持ち女、富を独占しそれを誇示する愚か者。
保険会社の調査員、嘘と銃で秘密を暴こうとする愚か者。
拘置所の夜勤職員、鍵をかけてドッグマンを閉じ込めている愚か者。
心ある人たち。
優しく弱く音楽好きの母。
養護施設でシェイクスピア劇を教えてくれた先生。
ドッグマンにヤクザ成敗を依頼する若者。
ライターをくれたパトカーのおじさん警官。
ドッグマンを受け入れるキャバレーのおじさんとドラァグクイーン達。
拘置所で面談を重ねるシングルマザーの精神科医。自身も夫から暴力を振るわれ離婚している。
そして、ドッグマン。
父と兄からの酸鼻を極める虐待と、犬と意思疎通ができる特殊能力。
彼なりの正義と犬たちを守るために犯罪を重ねる、愚か者。
ただ、実行犯は犬たちなので裁きようがない。
世界は彼を受け入れない。
居場所は隠れ家とキャバレーの舞台の上だけ。
その居場所も奪われてしまう。
この世界に彼の居場所はもうない。
犬たちに囲まれ犬の世界へ旅立つ男。
「人間を知るほど、犬への愛が深まる」
「犬たちの唯一の欠点は、人間を信賴することだ」
犬を飼ったことがある人なら、ドッグマンの言葉につい頷いてしまうのではないでしょうか。
最近のフィクションにありがちですが、本作も「男性」と「アメリカの国旗」は暴力と愚かさの象徴として描かれており、ドッグマンは女装することで自分の中の「男性性」を否定しようとしているように見えます。
ドッグマンを演じたCaleb Landry Jonesさんの静かな熱演は素晴らしいです。強いて言えば、エディット・ピアフのシャンソンも彼に歌って欲しかった!
ドッグマンが扮するのは、エディット・ピアフ(La Foule)、マレーネ・ディートリッヒ(Lili Marlene)、マリリン・モンロー(I Wanna be Loved by you)。この3人が男たちを懲らしめるという構図も洒落ています。
あと、youtubeで公開されているドッグトレーナー達の奮闘が楽しいmaking動画も必見です。
Pawsome
新作は「ANNA」以来とかなり久々のリュック・ベッソン最新作。規格外のダークヒーロー爆誕という宣伝文にまんまとつられて鑑賞。
ダークヒーローという点は謎の押し売りだったなと思いつつも、1人の男と犬との関係性や悲哀に満ちた人生を精神科医と共に辿っていくという静かな物語で意外でしたが、その意外性が面白さに繋がっていました。
子供の頃に暴力的な父親に監禁され、少しでも逆らったりすると銃で撃たれたりするなど酷い目に遭っていた幼少期のダグラスがその場にいたワンコたちと共に協力して状況を打破していく子供パートと、成人して大学を卒業して犬のブリーダーとして活動しながら、かつて演技やメイクを教えてくれた恩人の元に訪れると同時に現実を知ることになる青年パートと、ワンコたちと共に悪人を陰ながら成敗していく現代パートと大きく分けて3つの物語を現在のダグラスが語っていく作品でした。
父親がハイパークズなので、自分の思い通りにいかないとすぐに暴力を振るったりしますし、兄はすぐに父親に報告したりでダグラスが圧倒的に罰を受けていく様子はかなり辛かったです。
でも兄にはしっかりと報いを受けさせたのはスッキリしました。このシーンはワンコたちの連携っぷりが光っていてちょいコメディになっていた気がします。
青年期は恋をした年上の女性に旦那ができてしまった事に対してのショックと車椅子生活の自分にやるせない気持ちになって暴れまわりながらもワンコたちが宥めてくれたおかげでなんとか次の道を開拓する流れも成長が強く感じられました。
物語の肝になる会話シーンでは精神科医も元夫とのトラブルがあるからか、心にある傷に共感をしてくれつつも、結果的に犯罪に繋がっているというところにはしっかり叱ってくれるところに好感を持てました。ダグラスもしっかりと話を聞いてくれる彼女には心を開いて喋っていたので、ここの関係性がとても素敵でした。
ワンコたちがどの子も本当にお利口さんで見ていて癒されました。でも悪人たちを成敗する時は容赦なく襲いかかっていくので、そこは中々に恐ろしかったです。
連携プレーで一人一人仕留めて行ったり、敷いてるトラップを駆使してとっ捕まえてトドメを刺したり、ダグラスの元へと誘導したりと本当に従順かつスマートな行動に惚れ惚れしました。
ラストシーンはイエスの前で力尽きたところに街中のワンコが集まってきてある種の大団円であり、でも悲しさは拭えないラストという観終わったあとのなんともいえない不思議な感じがそこにはありました。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが好演すぎました。幼少期のトラウマやうまくいかなかったこれまでの人生を引きずる様子がこれでもかと伝わってきましたし、犯罪をしていくというのではなく、悪人のプラスをプラマイゼロに戻す姿勢も好きでした。
ドラッグクイーンになって不安定な足元を庇いながら一曲歌い切る様子も最高でした。カッコ良すぎます。
これは日本での宣伝文が良くも悪くも邪魔をしてしまっていたなと思いました。
もちろん自分みたいにダークヒーローに釣られて観にくる人もいると思いますが、普段ヒーロー映画をメインに観にくる人が今作を観たら確実に困惑すると思いますし、こういう静かな物語が好きな人はこの宣伝文ではなかなか寄りつかないだろうなと思いました。とても良い作品なのにここが本当に惜しいです。
口コミでどんどん広がっていってくれ〜と願っています。
鑑賞日 3/10
鑑賞時間 13:35〜15:40
座席 I-1
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズに圧倒された
犬の愛に嘘はない
前情報をあまり入れずに(予告編は何度も見たけど)鑑賞。冒頭から引き込まれる。
(予告からは全く想像していなかった内容)
ダグラスの回想が子供の頃までは今まで観たことのないような展開でとても面白かったが、途中からこれはツッ込んだら駄目な映画だと、頭を切り替えて楽しんだ。
音楽のセンスが良いというか、ユーリズミックスだ!と思ったらエディット・ピアフにマレーネ・ディートリッヒ!!
ダグラスが歌い出した時は、キャバレーの客と同じように口をあんぐり開けて,そして心が震えた。
ストーリー的に必要だったかどうかは別として、
音楽の力ってすごいというか、歌で泣かせる演技ってすごいな。
人間には家族の他にも仕事や趣味や沢山の関心ごとがあるけど、犬はただ飼い主のことしか思っていないらしいです。(だから犬の愛に嘘はないんです。ちょっと切ない)
最後の方は犬が賢いというか人間(ギャング)が馬鹿。
ちょっとありきたりなアクション映画になってしまったかな。
少年時代の男の子よかったな。
人間。
犬を脅かせば報いを受け、犬を愛すれば友人として支えになる
全体的にキリスト教観がかなり強く出ていたように感じたので、おそらく意図して天使を彷彿とさせる役回りが犬に与えられていたんじゃないかと思う
主人公のドラァグクイーンという属性も、中性あるいは両性具有とされる天使に近しい存在として、犬に近しいDOGMANが描かれているのかなと感じた
けれども、法を犯しもするし他者を害しもする
決して綺麗なだけではないし、隙を晒さないほどの知性を持つのでもなく、傷つかないほど強くもない
ならば悪人かと問えば、軽々しく頷くことも出来ない
それだけの理由もまた語られている
そこにいたのは、あくまでも、どこまでも、人間、だったような気がしてならない
正直なところ、この映画をどのように分類して、どのように評価すればいいのか分からない
ポスターのキャッチコピーでは“規格外のダークヒーロー”と形容されていた
確かに法に捉われず足掻き、立ち、戦おうとする姿はそれらしくも見えるし、半生を語る述懐で構成されたストーリーはDCコミック的な、バットマン系統のヒーローなりヴィランなりのオリジンストーリーみたいに見えなくもない
けれども自分は、強くもあり、弱くもある変わり者のこの男をヒーローと呼びたくはない
あくまでも彼は、どこまでも人間だったと思う
自分は何を見たんだろうか
もう少し反芻しながら考えてみたい
視覚的には刺激的だけどうーん。
ジョーカーと似ているところがあるのは多くの人が感じるところだと思います。
ダグラスは結果的に多くの人を殺しますが
シリアルキラーでもなければサイコパスとも違うし
『悪』の存在という雰囲気はしなくて
だから実の兄に制裁を加えた以降が
他人を殺すことに対する感じ方がいまいちわからない
ジョーカーみたいな自分を貶めて嘲笑う世間への復讐とは違うんだよね。
依頼があれば哀れなマーサを助けようとするわけだし
ドッグマンとしての生活も泥棒と、マーサを助ける依頼の他はどんな依頼があったのかよくわからなくて富を分配?
もハテナ
途中の恋よりはそちらの犯罪を膨らませてほしかったかな
舞台を通じて生きている事を感じる
というのはとても良かったし見せ場ではあるけれど
口パクなのはあちらの国のショーでは普通なのかな。
女装の格好で人を殺すシーンは
もう他の映画でも見飽きたかなぁ。
ラストシーンのスーツはどこから手に入れたのか不明だけど
私は神が好きだが
神が私を好きかはわからない
このセリフからのあのラストシーンは
とても心に残りました
でもあれ倒れて死んでないよね??
また捕まってあの部屋もどるの???
ビジュアル重視だったかなぁ。
心にグッと来る映画
犬人間? いえドッグマンです
ひとことでいえば「ジョーカーと101匹のわんちゃんたち」か。
「未体験ゾーンの映画たち」にでてきそうな映画でシネコン映画としてはやや地味。そういえばあちらの2024の未体験ラインナップに「犬人間」てのがあったっけ。
少年期のDVで心身ともに傷つき、コミュ障と歪んだ倫理感(プラス女装趣味)のイッちゃってる主人公をC.L.ジョーンズが怪演。このヒト、過去作ノーマークでしたが本作の演技はなかなかのものでした。もともとミュージシャンだそうで歌うシーンもあります。
リュック・ベッソンの演出は手慣れたもので、前半の主人公の少年時代、結構重い場面だが軽めに流して現在につなぐ匙加減はよい。主人公の犬を操ってのあれやこれやも犬たち名演技です(CGじゃないよねえ)
クライマックスのギャンググループとの攻防戦、主人公が歩行障害で動けないぶんイヌたちがんばる。ただやはりちょっとアクションの派手さには欠けるかな。
なおイヌは一匹も死なないので、イヌ好きの方、安心してご覧ください。
エヴリンが見たキリスト
冒頭から惹き込まれ、精神科医エヴリンに紐解かれていくダグラスの過去。
質疑に対する回答が回想シーンとなり織り交ざるように進行していく物語。
心が張り裂けそうな暗黒の少年時代が語られるや否や私は打ちのめされてしまう。
しかし一方で、彼を明るく彩る記憶のかけらに少し助けられるのだ。
それは、母の陽気な後ろ姿と心地よい音楽、愛のない父から守ってくれる犬たちとの信頼関係、保護施設のサルマを通じて知る世界やほのかな恋。
だが、青年期には仕事も恋愛も期待と現実に翻弄され裏切りも受ける。
社会から突き放されたような疎外感が膨らむダグラス。
思うように動かない体では、バーの歌い手として脚光を浴び満ち足りた美しい表情でステージに立つのも、裏切りのない犬たちと生きる為に手を染める悪事もすべてが生命がけだった。
やがて巻き込まれていく不運を察知したとしても彼はそう生きるしかなかったのではないだろうか。
浅い呼吸と深いため息のせめぎ合いをコントロールしなければこの回想の緩急のつぎはぎをまともに縫い合わせようとするには冷静さを欠く、それ程に辛い半生だ。
そんなダグラスに同じ(闇の)匂いを嗅ぎ取られときのエヴリンは平静を装いつつもかなり動揺したようだ。
そして同時にダグラスへの同情が生まれたのをラストに向けて変わっていくエヴリンの眼差しが物語る。
ダグラス少年が受けた過酷な虐待は、あの状況をどう越えられるのだろう、いや越えられないんでは?と思うところまできていた。
それをどう乗り越えたか。
そして彼の一生をどう左右したのか。
彼が乗り越えたのは〝自分を置き去りにした母の本心の一部分〟と〝生きるために父に気に入られようとした兄がひとかけらのこしていた本心の一部分〟をみつけることができていたからではないか。
つまり、檻に隠された母からの差し入れと兄が投げ入れた白いハンカチがダグラスにもたらしたのは紛れもなく生きるための望みだった。
それを証拠にして〝生来の罪人はいない〟〝環境が人を追いつめる〟ことを信じ、彼はギリギリの精神を繋ぎとめたのだろう。
そして、その傍で生身の温もりで寄り添い続けてくれた互いの理解者である犬たちの存在だ。
彼なりの解釈によるこの3つの真実がなければ、ラストの十字架までたどりつくことはなかった気がする。
精一杯の命を尽くし召され逝くダグラス。
彼は潮時を見極めたのだろう。
取り囲むように集まった犬たちの忠誠。
そこには、彼が「不公平への報復」のためだけではなく、やはり一番には愛を求めて生き続けていたことが強く表れていて余計に切ないのだ。
主演ケイレブが落ち着いた物腰、柔らかい口調で際立たせ圧倒的な悲哀の憑依でみせるダグラス。
その子ども時代を演じるリンカーン君の迫真のまなざしの凄み。
シーンに合わせ心を鷲掴みにする音楽。
どれもがぴたりと心に張り付いて沁みわたってきた。
冷たい広場の十字架に磔になったキリストにエヴリンは静かに祈りを捧げたことだろう。
彼が犯罪に手を染めた事実と、それに至る消えない事実を誰よりも深く噛み締めながら。
すごいぞ犬
犬の窃盗団
DCなんかのヴィランを主役に添えたような印象からホアキンの『ジョーカー』を想起させられながらティム・バートン監督作『バットマン リターンズ』でのペンギンやらキャットウーマンのようで、本作の主人公に思い入れやキャラに愛着も無い分、描かれる彼の生い立ちに興味が湧かない、ドラァグクイーンになったのもつい最近の出来事のようで女装に説得力も無くなってしまう存在感、正義の世直し的な場面も一回限りのトラブルに過ぎない?勝手に期待したドンパチも控え目に消化不良。
サフディ兄弟の『神様なんかくそくらえ』から注目していたケイレブは様になる役柄を演じていた反面、リュック・ベッソンの何を描きたいのかイマイチ分からない感じがいつまでも『レオン』から抜け出せない為体、トニー・スコットが監督した『ドミノ』でのキーラ・ナイトレイとルーシー・リューの対峙する似通った場面すら越えられていない!?
同じ匂いを嗅ぎ分け、そして託す
2018年のマッテオ・ガローネ監督のイタリア映画のDOGMANはみましたけど、暗くてちょっと難しくて、私的にはイマイチでした。
今回はもちろんケイレブ・ランドリー・ジョンズお目当て。しかも、リュック・ベッソン監督作品。
冒頭は Ikkoかよ!
Ikkoさん、ごめんなさいね🙏
マフィアにみかじめ料を取られ生活に困窮するランドリー(洗濯屋)のおばさんのために、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズがいかにもな中南米系のマフィアを相手に一世一代の闘争を仕掛ける。
ランドリーつながりである。
リュック・ベッソン流の洒落か?
犬を使った鼠小僧的財産再分配を裏稼業とする犬の調教師兼ドラァグクイーン。
しかも、下半身まひで、両足に装具をつけて車いす生活。
物語はひとまず過去に遡り、警察署の嘱託医の精神科医に過去を打ち明けることから始まる。その彼女もまた、シングルマザーであり、父親のDVを経験していた。
実際の俳優の彼女もスタンダップコメディアンからのし上がった。
わたしはこういう映画が好きだ。
外国の映画動物会社は本当にすごいなぁ。
リュック・ベッソンの新作は新鮮でとてもよかった。
あと、ZZ Topがかかって嬉しかった。
旧約『ヨブ記』を思わせる、報われないダークヒーローと神(GOD)と犬(DOG)の物語。
『JOKER』みたいな話かと思ったら、
デイヴィッド・クローネンバーグの『ザ・ブルード 怒りのメタファー』と、
ディズニーの『101匹わんちゃん』混ぜたみたいな話だったな(笑)。
あるいは、『銀牙 ―流れ星 銀』とか。
アメコミヒーローでいうと、キャットウーマンの犬ヴァージョンといったところか。
にしてもこれって結局、
「GOD」を裏から見たら「DOG」だよね、
ってひとネタを膨らませただけの映画でしょう?
よくこんなの撮るよなあ(笑)。すばらしい。
宗教映画にして、お犬様の映画。
『ザ・ブルード』の「怒りの侏儒軍団」の代わりに、
犬が手足になってドッグマンのために頑張る映画。
女装家(トランスヴェスタイト&ドラァグクイーン)、虐待児童、身体障碍者(下肢麻痺)、保護犬、と徹底して「少数者/被差別者」に寄り添ったダークヒーローものでもある。
期待していたよりは、やけにチープでキッチュな映画だった。
でも、こういうリュック・ベッソン、俺は嫌いじゃない。
この人の本質は、むしろ徹底的なおバカさ加減にあると思うので。
頭の良い監督なので、デビューからしばらくは『グラン・ブルー』『レオン』『ニキータ』と、マトモな監督の振りをしてみせていたけど、演出の端々に「どこかおかしい」気配はなんとなく漂わせていた。
それが成功を収め、全権的な企画決定権を手に入れたとたん、いきなり『フィフス・エレメント』でその本性をあらわにしてみせた。
なんだこのおバカ映画?? 封切りで観に行った僕は最初軽く怒りまで覚えていたが、そのうち馬鹿笑いしながらリュック・ベッソンのファンになってしまっていた。
とりとめのないガキの夢想をそのまま映画にしたような変態映画。
なるほど、この人は本当はこういう心底どうでもいい映画を撮りたくて撮りたくて仕方がないのに、ぐっと我慢して今までマトモなふりを偽装してたんだな。
その心意気や良し。そうさ、監督なんてやりたいようにやればいい。
その後のタランティーノばりのB級活劇愛好路線は、みなさんもご存じの通り。
しかも、脚本・製作も含めて只事じゃない量産体制を敷いて娯楽映画界に貢献している。
ついでに、次々と娘みたいな齢の奥さんをすげかえていったり(ヒロスエ含む! あれでヒロスエが壊れたのをみんな忘れてるようだが俺は忘れていない)、セクハラで訴えられまくったりと、私生活がクッソろくでもなさそうなのもひっくるめて、俺はリュック・ベッソンが嫌いじゃない(笑)。
今回の『ドッグマン』は、あからさまに監督が「撮りたい」映画を「好きに」作った匂いが充満している。なんでドラァグクイーンなのか。なんで犬が自在に操れるのか。なぜに「死刑執行人」との対決シーンがあれだけチープなコント仕立てなのか(ほとんど『ホーム・アローン』だよね、あれw)。
いろいろとバランスの悪いところも含めて、リュック・ベッソンの男気と稚気と個性とやる気があふれかえっている。
俺は、こういう映画が嫌いじゃない。
― ― ―
本作の本質は、「宗教映画」なのだと思う。
幼少時から、ただひたすら神に試練を与え続けられる男。
そんななか、必死で生き続けなければならない辛い定め。
神を篤く信仰しているのに、神に振り向いてもらえない人生において、宗教は何のためにあるのか。神は自分に何を期待しているのか。
ここで扱われているのは、旧約聖書における「ヨブ記」に相当する重大なテーマだ。
いわゆる「神の試練」というやつである。
神(もしくは神と賭けをしたサタン)に10人の子どもの命を奪われ、すべての財産を奪われ、全身を覆う皮膚病に苛まれ、路上生活者にまで身を落とした義人ヨブ。どれだけマジメに生きても奪われるばかりの人生で、なお信仰は生きる拠り所たりうるのか? いかに正しく生きても試練ばかりを与えてくる神は、はたして信用たり得る存在なのか?
リュック・ベッソンが『ドッグマン』の全編を通じて必死で思索しているのは、まさに「呼びかけに応えない神」の意図についてだ。
その意味で、彼が本作に託したテーマはベルイマンやパゾリーニにも近いものだといえる。
教会前に落ちた十字架の影のなかでダグラスが横死するシーンは、まさに象徴的だ。
「I’m standing for you!」
これは、自分の脚で立っているという状況を表わすと同時に、「私はあなた(神)のしもべです」というイデオムにもなっている。
彼は、神の代わりに遣わされた守護天使たちである犬(GODの逆位)に見守られながら、神の恩寵を賜るかのように天へと召されていく。
教会、犬、野垂れ死に。あれ? なんかデジャヴがあるなと思ったら、『フランダースの犬』だったか。「もうこれからは寒いことも、哀しいことも、お腹がすくこともなく……」ってやつですね。……(涙)。
まあ、犬たちは別段ダグラスと一緒に天に召されるわけではなく、ちゃんと新たな「宿主」候補をすでに嗅ぎつけているんですけどね。……(笑)。
(書いた後で人の感想で「死んでいない」説を見て、ああそういう可能性もあるのかとw まあ続編の出だしですっくと立ちあがっても別におかしくはないんだな……盲点でした)
― ― ―
俺の実家は、犬を飼う家だった。
小学生のときは、柴犬、シェパード。
中学のときからは、ラブラドル・レトリーヴァー。
社会人になってからは、プードルとエアデール・テリア。
プードルには両親が子供も産ませて、最大で9頭が家のなかで暮らしていた。
なので、俺にはダグラスの言っていることがよくわかる。
よくわかるというか、当たり前のこと過ぎて、聞き流してしまうくらいだ。
犬は人間より信用できる。
犬は強くて勇敢だけどおごらない。
犬には人間の美徳がすべて備わっている。
犬を愛するほうが人間を愛するより容易い。
そりゃそうだ。俺もそう思う。犬は無条件に素晴らしい。
だが、ダグラスはその犬を使って犯罪をおかす。人を殺める。
犬に悪いことや殺人・食人までさせて、はたして愛犬家と言えるのか。
きっと犬好きのなかには、この映画にそんな反感を覚える人もいると思う。
ただ、これだけはいえる。
ダグラスにとって、犬はもはやペットでも友達でも仲間でもない。
犬は彼の一部であり、彼の生存本能の発露であり、彼と連動した「環境」そのものなのだ。
彼が生きるためにあがくとき、無条件に犬は彼のために動く。
彼が念じただけで勝手に最善の状況を組み上げていく。
それはすでにリアリティを超えたある種のオカルトであり、
宗教的にいえば、いわゆる奇蹟(ミラクル)というやつだ。
神はダグラスから、すべてを奪った。
代わりに神はダグラスに、犬を与えたのだ。
― ― ―
犬を手足に使って戦うといって、パッと思いつくのは、
●『刑事コロンボ』の第44話「攻撃命令」(2匹のドーベルマンに「殺しの合言葉」を覚えさせて、それを口にさせることで妻の愛人を遠隔で殺そうとする話)
●テレビドラマ『爆走!ドーベルマン刑事』(原作の要素が人名以外何一つ残っていない珍品中の珍品。犬みたいな刑事の話だったのが、なぜか警察犬を使役する黒バイ隊の話に!)
●テレビドラマ『標的』第7話「殺意の調教」(多岐川恭の『的の男』を原作とする珍品)
●テレビドラマ『闇を斬れ』(天地茂主演の時代劇で、隠密犬の甲斐犬、風林と火山が大活躍する)あたりか。
あとは、『ジョン・ウィック』とか『少年ジェット』とか『猛き箱舟』の野呂とか『キャシャーン』とか『サスペリア』のダニエルとか。
犬小屋で人が飼われている設定だと、ジャック・ケッチャム原作の『ザ・ウーマン』とか。
なんにせよ、ダグラスの能力はちょっと単なる「犬を飼いならして」いる域をはるかに超えており、テレパシーの範疇に属する能力を発揮している。
最近のラノベで死ぬほど出てくるファンタジー職業「テイマー」(モンスターを手なずけて使役する職業)に近い存在といえばよいのか。
― ― ―
この映画で意外に良く出来てるな、と思うのは、主人公であるダグラスを「そこまで追い詰めきらない」ように、絶妙のさじ加減で「ゆるさ」が調整されているところだ。
たとえば、ダグラスは過酷な少年時代を生きるが、お腹に子供を抱えたお母さんはなんとか家を脱出することに成功する(『ザリガニの鳴くところ』を彷彿させる展開だが、こちらの子どもはしっかり汚く臭そうに描いているので、10倍『ドッグマン』のほうがまともな映画だと思う)。
保護施設でも、ダグラスは意外なほどに幸せな日々を過ごしている。
演劇少女との初恋は悲しい結末を迎えるが(『オペラ座の怪人』みたい)、少女は女優としてそれなりに成功して子供を2人作って引退する。そのあたりも変にドロドロさせたり、ダグラスに新たな罪を負わせたりしない。
ドッグシェルターを追い出されるのは災難だが、彼らは独力で自分たちの城を手に入れ、泥棒稼業ではあっても、自給自足の生活をちゃんと成立させている。
少なくともゲイバーでの毎週金曜日のショーは、ダグラスの表現者としての承認欲求を大いに充たしたことだろう。店のドラァグクイーンたちはみんな優しく親切だ。ここでも製作者はダグラスに「癒し」を敢えて与えている。
その後、彼らは何度か人間に手をかけることになるが、経緯を見るといずれも正当防衛に近いもので、なるべくダグラスに対して観客のヘイトを溜めないように気が配られている。
こうして、観客は「適度にダグラスに同情する」ように仕向けられ、そこまでヒリヒリしない微温的な空気のなかで、ダグラスの「活躍ぶり」をそこそこ楽しめるようにもてなされる。物語が拘置所での「昔語り」としてフラッシュバックで語られるのも、緊迫感を高め過ぎない穏やかさを生んでいる要因だといえる。
リュック・ベッソンは『ドッグマン』を、極限まで悲惨な物語にはしたくなかった。
彼はおそらくなら「寓話」を撮りたかったのだ。
あるいは「御伽噺」を。
ダークでキッチュではあっても、敢えてリアリティは欲しなかったし、ダグラスを気分が悪くなるほどに追い込みたくはなかった。
魔法の使える足萎えの青年と使い魔たちの物語は、メルヘンでなければならなかった。
その意味では、監督の意図は多少雑にではあっても、ちゃんと成功していると俺は思う。
― ― ―
音楽に関しては、エディット・ピアフの「群衆」とマレーネ・ディートリッヒの「リリー・マルレーン」が、ドラァグクイーンの演目として印象的に使われていた。
どちらも名曲中の名曲だし、自分にとっての愛聴歌でもあるんだが、これ明らかに口パクで元曲流してパフォーマンスしてるだけにしか聴こえないんだけど、それってどうなんだろう?? 口パクよりはちゃんと本人が歌ったほうがよほど良かった気がするけど。終盤で襲われるシーンでの、マリリン・モンローの「お熱いのがお好き」(モンローつながり)みたいに。
いや、「すげえ声真似」してるんだっていうのなら、それはそれでいいんだけど……。
ちなみに「リリー・マルレーン」は先月映画館で観たクストリッツァの『アンダーグラウンド』で主題歌扱いだった。あと、犬に餌をやるシーンでシャルル・トレネの「残されし恋には」が流れていた気がするが、ついこのあいだ映画館で観たジャン・ユスターシュの『ぼくの小さな恋人たち』のOPがトレネの「うましフランス」だった。
こういうのって、不思議に被るよね。
あと、保険屋と金の話をするときに、ダグラスがいきなり「マニ、マニ」と歌い出して、「マジ? ビリー・アイドル??」と一瞬思ったが、よく考えたらABBAだった(笑)。
あと、どうでもいいことだけど、『マエストロ』『枯れ葉』『瞳をとじて』『落下の解剖学』と、最近観た新作ではみんな主人公がバンバンに喫煙してるなあ。これも時代の揺り戻しってやつか。
最後に、パンフ掲載の風間賢二先生の解説は必読!! これこそが映画解説っていう腑に落ちまくりの分析になっていて、やっぱり他の論客とは格がぜんぜん違うなと改めて感心しきりでした。
GOD AND DOG
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