DOGMAN ドッグマンのレビュー・感想・評価
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心の輝きを取り戻すということ
この作品に描かれるダークヒーロー的主人公ダグラス。
その壮絶な過去
「生まれつきの悪などいない すべては環境が作り出したこと」
キリスト教徒の多くが神の存在に疑問を持っている。
宗教観と法律と環境
これが作り出したものがこの社会
ダグラスの少年時代
犬小屋の中で何年も過ごした。
父という単なる暴力マシン
その中で犬と心を通わせるようになる。
ようやくそこから抜け出したとき、同時に歩く自由も奪われた。
ダグラスはやがてドッグシェルターで働き始める。
しかし州が施設を壊す決定をしたことで、廃墟を改装して犬たちと暮らし始めた。
さて、
ダグラスの境遇を考えると、ダグラスの行動に選択の余地はなく、彼の言った「人は神の操り人形」という言葉も納得できる。
ダグラスの生き様に共感できるのがダークヒーローになれる要因だろう。
富の再分配
この考えは古くから日本にもあった。 ねずみ小僧 清水の次郎長 石川五右衛門…
なお、
アメリカ社会は、国だけが暴力機関である軍や警察を装備するのを良しとしない。
日本のように国だけが軍や警察を保持すれば、国の決定と地方との思いが分断した時対処できなくなるからだ。
だから州軍や皆から選ばれた保安官制度があり、最後は自分の身は自分で守るため銃の所持が認められている。その維持のためにライフル協会が存在する。
この社会的価値基盤と人力ではどうにもならないことに対しキリスト教がある。
しかし誰も神というものがどんなものなのかを説明できない。ただ、何でもかんでもそれが神だと言ってしまうことは可能ではある。
つまり、
ダグラスの主張に正面から異議を唱えるのは難しく、彼が狂っているのか加害者なのか被害者要素があるのかどうかについて、エブリンは思惑していたのだろう。
エブリン
彼女は最初に女装した男の名前を訪ねるが、彼は答えず質問をする。
彼の質問に自分自身のことを少しだけ話したことが、ダグラスが自身のことを話すきっかけを作った。
生後9か月の子持ちで離婚した黒人女性
このことだけで彼女に何があったのかダグラスは想像した。
エブリンの母が元夫のことを話すが、つまりエブリンの父と夫はダグラスの父と兄に等しいことが伺える。
ダグラスの勘は犬の感覚ほど鋭いのだろう。
少し話しただけでエブリンのことを見抜いている。
これは私が勝手に思っていることだが、動物や鳥たちは自分が見たことをそのまま相手に映像として伝えることができる能力があると考えている。
だから映像のような犬たちの行動も実際にあり得ると思う。
特に犬は特定の人間に愛情を持つと、その人が家に帰ってくるタイミングさえ正確に把握できることがわかっている。
人間は、動物が言葉をしゃべれないことを馬鹿にする節があるが、彼らにとっては言葉など不要なのだろう。人間の方がよっぽど頭が悪い。
ダグラスも犬と同じ能力を開花させたのだろう。
訓練などではない。
さて、
ダグラスはエブリンとの会話で自分自身と神について再考することになる。
彼にとっての環境は地獄であり、神がしたことだ。
やっと自由を手に入れた時、歩く自由を神によって奪われた。
この社会は弱者を食い物にしたあげくごみのように捨てる。あたかも捨て犬のように。
ダグラスは犬の心がわかる。犬だけが家族
「あなたの力になりたい」
ほとんど聞いたことがなかった温かい言葉。
思い出した優しかった母
そしてサルマ
彼女の演劇 淡い恋心
そしてショースナックで歌ったこと。
自分自身の中にあった輝き。
「どう対処するのかは自分で決めること」
「決めるのは、自由意志」
ダグラスの根幹にある社会に対する抵抗
エブリンが言った「法律」そして「自由意志」
やがて彼は「自分は神の操り人形なんかじゃない」と思ったのだろう。
従来思い描いていた「彼の神」との別れを決断する。
「端然と自分で選択する」
彼は再び犬に依頼し脱獄した。
しかし、その意味はすでに変わっていたのだ。
彼はエブリンに頼んで脱獄のための着替えを用意させた。当初は単に脱獄を計画していた。
だが、エブリンとの会話から彼の思い込みのすべてが覆された。
彼は着替え脱獄する。
目的は目の前にある教会の前に立つこと。
その下に両足で立ち、神に向かって叫ぶ。
「あんたのために、この足で立っている。あんたのために立ってる!」
「行けるよ。いつでも」
バックで流れる歌
「後悔なんかない だって私の人生 私の喜びは、今日、あなたとともに始まる」
ダグラスが初めて認識した自由意志 自由な選択
それはサルマと一緒に芝居をした歌の中に隠されていた。
ショースナックで歌った歌の中に隠されていた。
ダグラスの神に向かって叫んだ言葉、それは神の願い 彼の頭の中に聞こえてきた神の願い その神の願いをリフレインしたのだ。
神の願いとは、ダグラス自身の真の願い 自由に歩けるようになること 自由意志とは神の言葉そのものだったことに気づいたのだ。
教会の十字架に朝日が差し込み影を作る、その影と彼が重なり合う。神の想いが彼に降りたのだ。
私は自分の足で立てる。それを選択できる。
いつでも、どこにでも行ける。
「いつでもどこにでも行きなさい」と言った神 つまりダグラスの本心
私の今日という日は、私がいて初めて成り立つ。
その今日を、喜びで迎えなければならない あなたと共に。 真の私の心とともに
私の、私自身の自由な意志こそ、神の真の願い。
だから私は歓喜に満たされて叫ぶ。
「あんたのために、この足で立っている。あんたのために立ってる!」
「行けるよ。いつでも」
「後悔なんかない だって私の人生 私の喜びは、今日、あなたとともに始まる」のだから。
神の願いが聞こえた時、初めてこの世界のすべてが認識される。
ダグラスは例え牢獄に入れられたとしても、その環境を作り出したのは法律なんかではなく、自分自身だと理解する。
そして歩く自由を手に入れる訓練をする。
長い間勝手に歩けないと決め込んでいた人生にさようならをする。
勝手に作った「彼の神」 つまり偽の神とさようならをする。
この瞬間からダグラスは神とともにいることを知る。
真の「私」の想いがわかった。
素晴らしい作品に胸が打たれた。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが素晴らしい
リュック・ベッソン監督の作品です。
この映画は主人公ダグラス役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの
演技の賜物で間違いないです。
子どもの頃のダグラスも凄い演技でしたが
大人のダグラスは一筋縄ではいかない
何とも興味を惹かれる人物になっていました。
もちろん犬の演技が素晴らしかったけど
こんな人物を演じきったケイレブの独壇場でした。
🐶🐕🐩🦮🐕🦺
ケイレブ演じる主人公ダグの、酷すぎる幼少期なんて見ていられないくらい辛いんだけど、ワンちゃん達が大活躍で、のほほんとなったりと頭がバグる作品です!キャバレーのシーンが印象的。ユーリズミックスのアニーレノックス風のステージから始まり、ダグが歌ったのは、ピアフの愛の讃歌じゃなく、群衆なのところも感情が溢れていて良かった。今後も注目したい俳優さんです。
変態の犬使い
ハードボイルドの巨匠リュック・ベッソン監督の作品ということで興味をもって鑑賞、これまでもニキータなど女性を主人公にする作品が多かったが今回はなんとドラッグ・クィーン。演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズの目つきが気味悪く生理的に拒否反応。加えて純朴な犬たちを手下に使って窃盗団とはなんてこと、少年虐待の実話に触発されて思い立ったらしいがこんなストーリー展開を考えるなんてやっぱり常人ではありませんね。
作家性の強いのも善し悪しですが奇抜過ぎてついていけませんでした、ごめんなさい。
IN DOG WE TRUST
野良ワンコたちを操って悪者をやっつけるエンタメ系ムービーと思いきや、リュック・ベッソンにしてはアクションも控え目で、割りとアーティスティックな1本に仕上がっている。『ニトラム』でニートなサイコ・キラーを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズが、本作では車椅子生活を余儀なくされたドラッグ・クイーンを演じている。当然アクションには制限があるわけで、主人公ダグラスの代わりに頭のいいワンコたちが手となり足となり悪を成敗するのだが、ハッキリいって想定内、新鮮味のある演出は今回特に見当たらなかった気がする。
ベッソンによれば、父親によって犬小屋に閉じ込められた少年のニュースを新聞で知り、その後のストーリーをベッソンなりに想像して組み立てたシナリオらしい。ダグラスの兄ちゃんで、ドメバイ親父にべったりのキリスト教原理主義者が登場するのだが、本作はその原理主義の名のもとに弱者を平気で傷つけようとする輩へのアンチテーゼになっているという。宗教、マネー、暴力。それらを武器とする絶対的権力に立ち向かうため、神が不幸者ダグラスに犬を遣わしたという設定だ。
じゃあ、それら原理主義者たちの束縛から自由になるためにはどうすれば良いのか。今までのベッソンだったら、当然犬を使ったバイオレンスに突っ走るところだが、今回そこら辺の描写をかなり抑制しているのである。ドッグステーションの管理人からドラッグ・クイーンに転身を遂げたダグラスは、アーティストとしてこの世に蔓延る原理主義者たちと対峙するのだ。それだけに、エディット・ピアフやマレーネ・ディートリッヒ、マリリン・モンローをカバーしたダグラスの歌声が何故か口パクだったのが何とも悔やまれるのである。
映画は、ダグラスと同じく精神的な痛みを抱えたシングルマザー精神鑑定医師による事情聴取形式をとっている。女装はしているものの、女医の質問に対して終始落ち着いた口調で回答するダグラスの様子に、ハンニバル・レクターのような異常性は全く感じられない。至極まっとうなのである。ワンコたちもそんなダグラスの気持ちを汲み取って、あくまでも自由意思に基づいて行動するのである。「私は立っている!」“フランダースの犬”というよりも、ローマ教会という絶対的権力に真っ向から対立したマルティン・ルターを意識した演出だろうか。
“IN GOD WE TRUST”の文字を硬貨に印刷することを、当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは神への冒涜だと批判したらしい。皮肉なことにアメリカは、その後文字通り金を神と崇めることによって経済的発展を遂げ、No.1の地位を築けたのである。しかし、世界中の不幸を一人で背負いこんだような人生を送ってきたダグラスにとって、信じるべきはアメリカという国でも金でも神でもないDOG(GODの逆さ読み)だったにちがいない。
闇に堕ちても善くあろうとした男の物語
諸事情で若干闇堕ちはしたけど
必死に善く在ろうとしたジョーカーみたいな話だった
ドッグマンすげー良いキャラなんだけど話のオチ的に続編とかは無さそうだし
無理に作って変な事になるくらいなら作らない方がいいな
ベッソン版リアルダークヒーロー誕生
『DOGMAN ドッグマン』(2024)
前作『ANNA/アナ』(2019)から久々の新作。
こちらもトッド・フィリップス監督『ジョーカー』のようなベッソン版リアルダークヒーローを誕生させましたね。このままアベンジャーズに加入して良いぐらい。
神を信じる神子から、神は全てを奪った。
神は惜しみなく奪う・・・・
神の神子・ダグラスから、
優しい母を!
清潔なベッドを!
そして邪悪な父親は犬小屋に閉じ込める。
ダグラスがDOGにパトカーを教えて、通報させる。
警察官が救助に来たドサクサに父親の撃った流れ弾により
ダグラスは脊椎を損傷して脚の自由を失う。
というように神は多くのものをダグラスから奪った。
しかしDOGたちだけははダグラスを愛して集い大家族を作り
ダグラスの思いのままに動く。
DOGにとっての神はダグラスなのだ。
思い通りにならない人生に犬たちだけが、彼を愛して忠誠を尽くす。
DOGMANを演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズが本当に魅惑的。
女装も美しい、妖しい、艶かしい。
痛々しい拷問具のような膝下の装丁金具。
ケイレブのDOGMANの女装を見ただけで、心を奪われた。
そして音楽がイイ。
ゴッドファーザーの愛のテーマ、
ダグラスが金曜日の夜にキャバレーで歌う
エディット・ピアフのシャンソン
(もちろんアテレコだけどピアフの歌は人生そのもの)
ダグラスが魔法使いのように犬を調教して、
金持ち女宅から宝石を盗んだり、
犬を凶器や猛獣のように悪人を襲わせる数々のシーンは、
黙示録のようだ。
遂に半グレ与太者集団の襲撃を受けて絶体絶命。
ここでも犬たちが熊やライオンや虎のように助けてくれる。
この辺のダグラスはアメコミのアンチヒーローのようだ。
最後の審判に向かうダグラス。
神の神子は御心を信じて
御国に召されたのだろう。
(これだからキリスト教は、訳わからん・・・のだ)
虐待を受けた子供がたどり着いた最後
闘犬を生業にする家族に生まれた次男の生きざまのストーリー
父親と兄から虐待を受け、頼れるのが犬だった弟 犬は従順で、犬がここまでできんやろ〰️と突っ込み処満載ではあったが、少し心に響く場面も
しかしひどい父親だった…弟の心境も理解できるし、犬だけが心を許せる唯一の存在だったんだろうな〰️🎵
新作リュック・ベッソンいいぞ!犬だぞって話を聞いて楽しみにしてたん...
新作リュック・ベッソンいいぞ!犬だぞって話を聞いて楽しみにしてたんだけど、終始乗れなくてがっかりした。
主人公は虐待サバイバー、車椅子、女装男性とマイノリティ属性もりもりだけどその全てが物語の見た目の為にしか、機能していないように感じてげんなりしてしまうし、マイノリティは過酷な運命に晒され悲劇に落とし込まれやすい存在として扱うのを疑問視する昨今の流れからも乖離しているように思う。
わんちゃんたちは可愛いけど
結局人殺しの道具にしているようにも見えてしまうのがノイズになり素直に楽しめない。
私はてっきり、犬は攻撃の補助やギミックとしてつかってトドメは銃などで主人公が始末をすると思ってたので(そうゆうアクション性を期待していた。。。)
噛み殺す(食べてる?)ってゆうのがちょっと受け入れられませんでした。家族に殺しやらせてんじゃん。
主人公のやってることも
盗みなのか、ちょっとしたマッコールさん的揉め事処理人なのか、よく分からないし、盗んだ宝石類も身につけていてお金にも変えてないので余計なにしてんのかな?ってなるのも微妙。
回顧録形式なのも、話があの拘置所までしか膨らまないのが分かってしまうので
続きがどなるか気にならないので、退屈さもあって
ずっと楽しくなかった。
ベッソンにそんな深みのある物語は求めてないけど
今回の無責任なマイノリティ乗せ乗せは、ベッソンってやっぱり…みたいな複雑な気持ちに。
もっとグラマラスなアクションとか見たかったなー。
ジョン・ウィックとかでもさすがに犬に食い殺させるってやってなかった気がするし、、、3、4のドッグアクションとかすっっっごかったし(ジョン・ウィックと比べるのは酷だけど)
犬描写としても新鮮さなかった。
細いわんちゃん牢屋通れるとか、いっしょにお料理つくってくれるのとか、もっぷちゃんとか、
門番してくれる賢いドーベルマンちゃんとか
可愛い、良いシーンもいっぱいあったけど、、、とゆう感想。
そういえばベッソン作品(脚本とか制作含めて)って虐待受けた過去ある人物が主人公なの良く考えたらめちゃくちゃ多い気がする。
物語としてカタルシス産みやすいからかな。
信頼できるのはわんこだけ
犬小屋で育ち、犬と共に生きていた一人の男の半生を、精神科医へ語る現在と、過去の出来事を行ったり来たりしながら描く本作。哀しく孤独なダグラスに寄り添い、愛と信頼を与える犬たちとの絆が印象的でした。
プロットに新鮮味はあまりなく、ジョーカーを彷彿とさせるも狂気や暴力性などは比較するとマイルド。(比較すゆものでもないのですが…)
なので個人的に物語としての面白みはあまり感じず。
そんななかで、わんこたちの賢さ、可愛さ、従順さが輝いていました。小柄な子から大柄な子、強そうな子、色々なわんこが登場しますが、どの子もめちゃくちゃに賢くて良い子!ダグラスが信じるのは犬だけということもあり、わんちゃんファーストな暮らしをしていることが端々から垣間見えて犬好きとしては好感がもてました。笑
全体的にはちょっと物足りなかったけど、わんこが可愛い&無傷なので良かったです。
In the name of God
想像していたのとまるで異なっていて(というより想像のしようがなかった)凄くよかった。美しくて痛くて辛くて激しい。虚構の世界に入ってたった数分間でも自分の場所に安心して居られる幸せ。メイクや音楽やライトと衣装が歌詞や台詞と一緒になって自分を守って自分を強くしてくれる。自分が何をしたっていうんだろう?
ダグラスとエヴリンの対話というか質疑応答から始まったダグラスの語り。これにも痺れた。人間だけが過去や記憶から物語を紡ぐことができる。ストーリー・テラーとしてのダグラス=ケイレブ良い!
サウンド・デザインと音楽、選曲が本当に素晴らしかった。ゴッド・ファーザーのあの曲が歌詞付きで歌われるとは!エディット・ピアフ、マレーネ・ディートリヒなどヨーロッパの音楽はダグラスのママが愛していた。ママが読んでいた雑誌がダグラスを救った。施設の演劇指導の美しく明るい前向きの女の先生がシェイクスピアとメイクを教えてくれた。
知的なダグラス、恋しても叶わないダグラス、ハンサムなダグラス、美しいダグラス、歌うダグラス、お料理するダグラス、微笑むダグラス、痛みを持つ人をわかるダグラス、叫び悶えるダグラス。ダグラス役を演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、完璧の演技で感動しました。
またリュック・ベッソンの映画を楽しめた喜び
(20240409書き直し分)
犬小屋で兄が幕に書いた文字が反転して『DOG MAN』と見える。これは犬男ではなく、神(GOD)に背を向けられた者ということなのだろうか。
主人公の行く所、関係する人達はみんな神の加護とは縁遠く見える。例外は お腹の子と共に家を出た母と、舞台女優として成功した初恋の人。特に初恋の女性は彼にとって、まるで極楽から降りてきた蜘蛛の糸の様。そしてやはり、自分のものにしようとした途端に糸は切れてしまう。
きっと、上を向いて探せば他の糸も見つかったかもしれない。しかし、彼は天からの施しを待つような事はしなかった。母からは歌を、初恋の人からは化粧を、そして父からは犬を、これまでの人生で得てきたもので身を立てて行く。そこに社会的な善悪は関係無い、自分の心に従い生きていく。
最後、服装を整えて教会に歩いて向かう主人公。歩くことで髄液が出てしまう彼にとってそれは死への行進。ゴルゴダの丘を登るキリストのようなもの。高く掲げられた教会の十字架は彼には手の届かないものに見える。しかし、十字架の影に横たわる主人公。こうしてしまえば、十字架は見上げるものでなく、彼に見下されるものになるし、背負えるものにもなる。そして彼の周りには、天使ではなく飼い主に捨てられた犬達。
この姿は何を表現しているのだろうか。今の私には、神に背を向けられた者が、神への愛憎を抱えつつ、精一杯の生をもって 改めてその審判に身を委ねようとする姿のように思える。
…
主人公役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技はとても心に響いた。そして何より、またリュック・ベッソンの映画を楽しめた歓びは、とても大きなものだった。
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(20240407初回保存分)
主人公が閉鎖空間で聞き手に過去を告白するフランス映画、去年見た『パリタクシー』を思い出した。
主人公はハンサムでも運動神経抜群でもない。完璧の反対にある、非常に不安定な人物だし、大きな失態も犯す。そんな彼がなぜこんなにも魅力的なのか?それは愛を求めながらも得られず、それでも母や初恋の人が与えてくれた物で懸命に生きようとするからだろうか。そんな彼が歌う愛の讃歌。歌詞を見ると、本当に彼にぴったりに思えてくる。
正直に言えば、ラストの宗教的な表現は理解できなかったし、「こういうのが観たかったんだろ?」と言う様な少し鼻につくものを感じはした。しかし、そんな事を気にしなくなるほど、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ演じる主人公は魅力的だった。
色々と書いてしまったが、一言で心境を言い表すなら、リュック・ベッソンの新作を再び楽しめた事が何よりも嬉しいのだ。
肉体と精神の苦しみを、主人に忠実な犬だけが癒してくれる
最近よく見る、虐待を受けている主人公が何らかのギフトを受けて無双になる⋯かと思ったら違った。
女装した中年の男性が警察の検問に。
事情を聞かれる中語ったのは
記憶のために記す
貧乏なブリーダーの一家に生まれる。
親父はDVが酷く、母親は優しいが出ていってしまう。親父のミニチュアの兄。
大した理由もなく犬小屋に監禁される。
助かりたい一心の行動に発砲され、主人公は結果的に脊髄損傷(下半身不随)と小指を失った
しかし、警察にちぎれた小指を犬に届けさせ救われる。
施設に入り、元々あった頭の良さや才能を開花させる。→おっ?ギフトか?
孤児院時代に演劇の才能に目覚める
しかし、演劇に導いてくれた女性との別れ(初恋)
その女性を追っかけ、楽屋にも行くが彼女は既に結婚をしていた(失恋)
せっかく得た仕事(保護犬飼育)も、予算削減のため奪われる
強制執行の直前に犬を連れて隠れ家に引きこもる。
生きていくためにゲイキャバレーで歌うという仕事を得る
古いシャンソンなどを歌い喝采を得る→少し救われる
犬たちの飼育のために副業をする(犬を使って金持ちから窃盗を繰り返す)
ヤクザの親分を脅迫するも、逆に仕返しされる。
逃走途中で、検問にかかり現在に至る。
なんと悲しく、悲惨な境遇か。心を許せるのは犬たちだけ。
この犬たちが、素晴らしく、言葉や気持ちがわかっているとしか思えないほどだった。
主人公を演じたケイレブが素晴らしかった。
どうせ見るならこんな映画を見てほしい。
最後のシーンは思いが溢れて深く感動した。
優しい人たちと犬たちに囲まれて良い人生生きていってほしいと強く思った。
なるほどね。
大型スクリーンも導入している大きな劇場でありながら、上映していたスクリーンは80席ほどと小さく、この作品に対する期待値がそれほど高くないという現れなのかと少し不安に。
実際に鑑賞者はまさかのたった2名というほぼ貸し切り状態。これほど入りのない作品は初である。
作品はというと、要は犬を手なずけて悪をやっつける・・・みたいな感じ。
幼少期は決して良い環境ではなかった主人公。
イ〇レた父親に虐待を受けライフルで撃たれた際に損傷し、以来車いす生活になる。
あのような環境で育てられ、実の父親から撃たれ苦労する状態に陥れられるとか。
あるいは幼い頃に出会い憧れ、想いを寄せその後成功を収める女性に意を決して遠征して会いに行くも既に婚約者?がいて絶望するシーンとか、生活のためにとあちこち働ける場所を探すもどこも取り合ってくれず門前払いとか、よく“ジョーカー”にならなかったなと。
彼がジョーカーになる理由はいくつもあったであろうに、そうはならなかった。
そこが“ヒーロー”なのだろう。
ただ、あくまでも“ダークヒーロー”。
金銭に余裕もないため犬を使って金持ち宅に侵入して宝石を奪うなど一応“ダーク”ではある。どちらかというと主人公の生い立ちがダークということなのか?
犬たちがいなかったらすぐにやられているような感じはする。決して強くはない。
でもそれでいい。彼はスーパーマンである必要はない。
途中バーで歌うシーンがあるのだけど、あれは口パク?
実際に本人の歌声ならたしかにうまいとはおもうけど。口パクだったら残念。
金髪のウィッグといい、ヘアスタイルといい、体系といい。
海外版IK〇Oさんに見えて仕方がなかった。
途中で黒髪バージョンもあったのだが、あっちの方が似合っていたようにおもうし、ダークなヒーローなのでそういった意味でも黒の方が・・・とかおもったり。
冒頭で警察にとめられ、車の中で血まみれで登場する主人公には少しワクワクしたものの、マフィアのボスの小物臭(どこかコメディー俳優臭)といい、手下のザコ丸出し感といい、ちょっと残念だった。
主人公が負うハンデと釣り合うようにああいう設定にしたのだろうか?
とはいえ、後半のマフィアとの戦いのシーンはそこそこ見ごたえはあったようにおもう。
ラストは結局どういうことなのか、主人公がどうなったのか、よくわからず終了。
よくある「観る人に解釈を委ねる終わり方」というやつなのだろうか?
個人的にはもう少し白黒ハッキリした終わり方の作品であってほしかった。
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