オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全677件中、21~40件目を表示
複雑な道のりと複雑な思いが伝わる
多勢の登場人物。そして彼らの、豊かな表情や意味深な台詞。また様々なシーンで、視覚的な印象が残る。映画ならではの良さ、という点で満足度が高かった。
選択がなされ決行されるまでの道のりは単純ではなく、博士をはじめ関係する人々の思いは一直線ではなかった、それがよく伝わってきた。もしこれが米映画にありがちなわかりやすく単純なものだったら受け入れ難かったと思う。言うまでもなく、エンタメや勧善懲悪のノリでは扱ってほしくない。簡単に結論付けられてほしくない。しかし、このように現実的な流れを丁寧に細かく追う路線ならば、割合受け入れやすくなると思った。
様々な人の思わくや判断そして世界情勢の変化などが絡み合っていたということを、この作品のお陰である程度具体的にイメージできるようになった。それはよかった。
映画館で見ずにVODで観たのは、わたしの場合は正解だった。ときどき数秒前に戻して台詞を見直すことができたから。一度では流れが飲み込めないところが結構あったため。(笑)
もう一度観ると理解が深まるかもしれない。
だいぶ遅くなりましたが?…(本文に続く…)
(タイトルからの続きです…)書きます。
私的な趣向として(鑑賞済みと、未鑑賞のままの封〆(上映終了)の作品を合わせて)…先の大戦関連で、5(升型テレビ拝聴も含めて作…映画は3)作見たうちの…真ん中(時代の趨勢(終局間際のみ)もの)に相応しい作品でした。
因辣(ちなみに)順逆ですが、この作品を柱にして時代背景上…先に鑑れなかったのが…閑心領域(アウシュビッツの前期時の)で、同地域関連で見たのが(同上の後期同の、五十音順で)…シンドラーのリストと戦場のピアニストで(コメントしてる映画(連盟軍*3&4)とは)逆の枢軸側が主人公もので、観たものに同で、関心領域に近かったのが?…(ノモンハン〜ソビエト社会主義共和国連邦→コタンタン(*1&2)半島に渡った、韓国籍(?)の実在した人物(1920-96)の晩年のインタビューから元に生まれた!ドラマ?を映画化した…)マイウェイ12000キロの真実の作品です。
補足‥
*1は…フランス共和国内にあるノルマンディー半島の現地読みで、*2…あの地方は?…ブルゴーニュとも…いや後で確認してから再補記致します。
*3‥連合軍は、歴史教科書の…でして、*4日本ではこの映画の最後の投下(ファットマン)から6日後(1945/08/15)の降伏(武装解除を宣言)した為…ですが、*4実は?…大戦は?…最初は中立も、オッペンハイマーの先祖の地だったドイツで起きた総統暗殺(爆殺)未遂事件で、明るみに无了(なった)偽装亡命に手を貸したとして…国内で解散総選挙を行なって惨敗した中立派に変わって親独派の政権が発足した…パフラウィー朝イランが…偽装亡命の件の国際協力を拒否したために…戦争となり…イランも国連の休日元となった(1945/10/24‥日本では24-5)にサウジと大英帝国の湾岸諸国連合軍(ガルフユニオンズ)に降伏を申し入れたために…完全終戦(先の大戦の日付期間)は?…1937/07/07(or1)-45/10/24(or25)と記録も出来ます*5。
そのためソビエト社会主義共和国連邦に慄いたパフラウィー朝イランが…米英に近寄る政策を執った為?…1979/02/04に宗教革命が起こったのです…。
映画で被爆地の惨状を描かなかったのは、来日の際、オッペンハイマーが広島長崎の惨状を見ることが出来なかったことと同じで、彼の自責の念を描くためだったかもしれないと…
オッペンハイマーについては、
幾つかのドキュメンタリー番組があり、
彼の科学者としてやユダヤ人としての想い、
そして、人間としての苦悩についての
予備情報を得ていたが、
アカデミー作品賞受賞作でもあるので、
それらを超えてエンターテイメント作品
として何を描こうとしているのかと
この作品を鑑賞してみた。
この映画、
たくさんの要素を叩き込むような編集で、
ともすると私は置いてけぼりになりかねない
作風だったが、好感を持てたのは、
出来事の内実や登場人物の思考は多面的で、
決して単純化して描写出来るものではなく、
オッペンハイマーの苦悩そのものも
長尺の上映時間をもって描いていたことだ。
ところで、この作品には広島長崎の惨禍が
描かれていないとの批判があるようだが、
邦画の「ひろしま」や「TOMORROW 明日」
とはスタンスは異なるので、
戦争祝賀会での演説の際に
オッペンハイマーが見る原爆被害者の幻視、
また、ラストシーンでは広島長崎を超えての
人類の滅亡までを匂わしているのだから、
私にはその指摘は当たらないように思えた。
ただ一つ、秘密聴聞会での
愛人との裸の妄想シーンの必要性については
全くの疑問で、演じた2人にも
同じ画面に登場している俳優たちにも
訊いてみたいような恥ずべき演出に感じた。
さて、クリストファー・ノーランは、
「メメント」では時間の逆行、
「ダンケルク」では
異なる時間幅での同時進行、
そしてこの作品では
小刻みなカットバックと、
時間の扱いに特異な手法を使う監督だが、
この作品では、一科学者の思考世界に
観客を引き込む映像手法として
一番成功しているのではないだろうか。
彼の後悔について
観終わってから、時々ふと主人公のことを考える。
世界に先駆けた開発に挑み、讃えられた。
でもそれは、讃えられることだったのか。
対立国より早い開発が必要などというけれど、それは、殺人兵器の開発を正当化する理由になるのか。
戦時下では、価値観が逆転してしまう。
大統領の台詞は、衝撃的だった。
学者の仕事は、単に新しい技術を開発することではないと思う。
開発に参加せず、開発者として名を残さなかった学者こそ讃えられるべきではないのか。
開発を成功させたときの、彼の戸惑う表情が印象的だった。
連鎖反応
起こらなかった連鎖反応と、
起こるべきして始まった連鎖反応。
たった一度の物理の実験?で、
世界を何度も破滅させる能力の爆弾を、
世界中の国が所有することに。
悪魔の負の連鎖反応。
いつの日か、人間の良心のもとに、世界からこの爆弾がなくなる日が来ることを願う。
この映画のどこが日本公開を躊躇わせたの?
昨夏、『バービー』と共にアメリカ映画界を席巻し「バーベンハイマー」の造語までもを生み出しながら、被爆国日本では「触らぬ神に祟りなし」の意向が働いて(?)公開が見送られて来た、原爆の父・オッペンハイマーの上映が漸く始まりました。アカデミー賞受賞がかなり硬いと言う前評判が、日本公開の後押しにもなったでしょう。そして、主要部門を実際に独占しました。
そこで、クリストファー・ノーラン監督作の撮影意図に応える気持ちでIMAXにて鑑賞しました。そして、観終えて。
この映画のどこに日本公開を躊躇わせた要素があったのでしょう。原爆開発に向かう政治の力や物理学者の熱意は正邪も善悪もないまぜで、彼がなぜ原爆開発に邁進したのかも明確には示さず、かと言って丸投げではなく観客に正しく考えを委ねています。この綿密な記録は、日本でこそ観られなくてはなりません。不満や疑問ががあれば、日本から映画で答えればいいのです。でも、お涙頂戴戦争映画しかスクリーンにかからない現在の日本ではそれを望むべくもありませんが。
また、原爆投下直後の広島・長崎の惨状が全く映されていない事を非難する声があり、日本人として確かに残念ではあるのですが、オッペンハイマー個人を見つめる映画としてそれは或る意味正しい選択だったろうと僕は理解します。アメリカ人の逃げや誤魔化しとは思いませんでした。
理系(物理習得済み)大学生にイチオシ
物理を齧っている人、それなりに理解していてさらに物理学の歴史に詳しい人にはめっぽう面白い映画だと思った。
ぽんぽんノーベル賞とってる人が出てくるのが良い
シーツを入れてはならない
第二次世界大戦下、アメリカで勧められた「マンハッタン計画」に携わり、“原爆の父”とも称された物理学者、オッペンハイマー。
そんな彼の栄光と没落の物語。
戦争映画は嫌いだ。
だが決して目を背けてはいけないと、毎年この時期になると無理にでも観るようにしている。
今年は映画自体全然観れていないが、8月9日長崎に原爆が落とされた日に相応しい映画を劇場で鑑賞することができた。
まあ長い。そして難解。
ノーランお得意の時間軸の入れ替えというよりも、登場人物の多さと相関図の複雑さによって、途中からは全くついていけなかった。
オッペンハイマーの人生に興味が持てるかと聞かれたら正直興味は持てない。
この映画は色んな見方ができる。
私は日本人としてどうしても原爆の恐ろしさを基軸にこの物語を観てしまう。
しかし、話のメインはオッペンハイマーの葛藤に満ちた生涯である。
もしかしたら、この映画を未来への希望と捉える人もいるかもしれない。
だが、私はひたすら恐ろしい絶望の始まりに感じる。
どんな見方をしても良い。
1回で物語の大枠を捉えることは不可能に近い。
それくらい深みのある良い映画だと素直に感じた。
だからこそ、賛否はあって当たり前だと思う。
本作は日本公開時、原爆の被害に関する描写がほぼ無いと疑問視された。
だが、個人的には敢えて描かないことで今まで経験したことのないような恐怖を味わった。
実験ではあるが、あの爆発で何万もの人々が殺されたのだと思うと体がこわばった。
実験後、喜びに暮れる関係者たちの姿を見ているとなんとも言えない感情がグルグルと体の中を駆け巡る。
2つの原子爆弾がトラックに乗せられてロスアラモスを出発するシーン。
あのトラックの後ろ姿ほど恐ろしいものがあるだろうか。
戦後、オッペンハイマーに何度もフラッシュバックする閃光と焼け爛れた少女。
あの少女はノーラン監督の娘だと言う。
今回原爆投下や原爆被害に関する描写がないことについてノーラン監督は明言していないが、こういった端々に明らかな覚悟を感じる。
バーベンハイマーとかいう稚拙で醜悪なトレンドもあったが、それを乗り越えて無事日本公開してくれて本当に良かった。
ハリウッドでアメリカの罪に言及するということは革命と言ってもいいのではないか。
申し訳ないが前述の通り、オッペンハイマーの伝記的側面について語ることはできない。
全神経を集中してもついていけなかったのだから。
ただ、こういった戦争への向き合い方といい、脚本の素晴らしさといい、一切手を抜かない感じがやはり嫌いになれない理由。
世界で1番凄い映画監督だと言いたい。
劇伴も毎度素晴らしい。
これを書きながらサントラを聴き少し涙ぐんでしまった。
今もウクライナやガザでは多くの市民が犠牲になっている。
国際社会は分断の危機にあり、核の脅威はすぐ近くにあるこの状況で、唯一の被爆国に何ができるのか。
終戦から今日で79年。
核の傘の下でいつまでも黙っている訳にはいかない。
彼は罪悪感に苛まれていたか?
当時を識る人物を親に持つアメリカの友人に聞いた事がある。劇中原爆投下成功のラジオニュースに拍手喝采する人々同様に、その友人の両親も快哉を叫んだそうだ。そして真珠湾奇襲攻撃のリベンジだと報復の正当性を謳う論調が国内に蔓延し罪悪感など微塵も抱くべきではないと人々は噂した。
実際、オッペンハイマーの関心事とは 共産党員の妻のスパイ疑惑、愛人の自殺、仲間の裏切り等等の醜聞から自己保身をはかり“英雄“として居続けることだけだ。戦後、彼がある日本人に涙で謝罪した動画が存在すると言われているが、この映画の中の主人公はその良心の在りようが疑わしい人物として描かれている。我々、日本人が何らかの期待感を抱いてもオッペンハイマーは悔恨の情を見せてはくれない。これはアメリカ人によるアメリカ人の為の映画であり、アカデミー賞狙いが見事はまった例である。
後日、NHKがネバダ州の核実験場から上がるキノコ雲を眺めて楽しむツアー客がラスベガスに集いアトミックボムカクテルなるモノが流行したというドキュメンタリーを放映していた。嗚呼。
ピカドンを体験して世界平和を祈る
オッペンハイマーの栄光と没落、加害者からの立場の映画と思って観ていましたが、後半でマンハッタン計画の総仕上げに原爆の実験が行われる。放射能の影響がある事を知らない科学者たちの滑稽なシーン。そして爆発と共に眩しい閃光の後、爆音と凄まじい爆風が襲う!その場に居合わせたような体験ができ、広島・長崎へタイムスリップしました。
苦悩
科学者であるが故にその恐怖を理解した最初の人物であったのであろう。核分裂が永遠に続いて世界が崩壊する危険がある可能性は、核保有が連鎖することから世界を滅ぼすことにつながるということを訴える映画であった。
天才の悲劇
原爆の実験シーンや
勝利に酔いしれる人々の前での
オッペンハイマーの演説シーンは
半端ない臨場感で
怖いくらいだった。
劇場だからこそ
味わうことができた。
オッペンハイマーについての
予備知識があれば
もっと理解できただろうが
知識が無くても
十分見応えのある映画だった。
天才たちが成し遂げた新発見は
いつしか
政治的,軍事的な目的で使用され
人類に不幸をもたらし
さらに
破滅に向かわせることになるかもしれない。
達成感が大きい分だけ
罪悪感や後悔も深いだろう。
それが
プロメテウス同様
神がオッペンハイマーに
与えた罰なのだろう。
全677件中、21~40件目を表示