オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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期待度◎鑑賞後の満足度◎ 先ず予想外に驚いたのは(脇役に至るまで)豪華なキャスト。2/3まではハッキリ言って(日本人として)少々胸糞悪かったが、最後まで観るとなかなか力作だとは思った。
①この映画を観て思ったのは、そもそも人類が「量子物理学」を発見した時点で、(人類の本性から)遅かれ早かれそれを戦争の為の破壊兵器発明に適用するのは必然だったろう、ということ(だからアインシュタインは「量子物理学」には懐疑的だったのかも)。
だから、オッペンハイマーが天才だから原爆を発明できたのではなく(その証拠にドイツも日本もロシアも核爆弾の研究はしていたし)、偶々ドイツ(ナチス)・日本・イタリアと連合国との第二次世界大戦という格好の実演の場があるという時期にオッペンハイマーが巡り合い、原爆を作ることになった。
結局、核兵器は人間が宇宙を解明していく過程で必然的に産み出されるものだったのだろうと言うこと。※かといって、核兵器の抑止力が必要悪だとか広島・長崎への原爆投下を必然的なものという意味で言っているわけではありません。
②そういう意味では、オッペンハイマーはどちらにせよ人類の誰がが請け負わざるを得なかった役割に偶々つかされた運命論的に言えば悲劇的な人だったと言えるかもしれないが、映画は残念ながらそういう役割を受け入れ果たさねばならなかったオッペンハイマーの内面を描ききっているとは言えない。
③
感情にではなく、理性に訴える映画
「Oppenheimer」
「オッペンハイマー」
2024年のオスカー作品賞に加えて、クリストファー・ノーラン作品なので鑑賞♪
世界では1年前に公開されましたが・・被爆国日本では、どこの配慮の結果か??公開が見送られたいわくつきの映画。
オスカー取ったので興行的には収益が見込まれるからと、公開されたのでしょう♪
反戦映画でもないし・・もちろんアメリカ人にありがちな、原爆礼讃でもないし・・核兵器を開発してしまった、天才物理学者の人生と それを取り巻く人々の姿、欲望を淡々と描いた感じ・・。
映像の表現は、さすが クリストファー・ノーラン♪
なぜ、オッペンハイマーが、公職を追放されたかを縦糸に・・彼の人生や、時代背景を織り込んでいく感じですが・・
大前提の、公職を追放されるという出来事に至る道筋、交錯する人間関係がもう少しわかりやすく描かれていると助かったかも・・(汗)
正直、登場人物の名前と顔を一致させるのに苦労・・画面にいない時に、名前で登場する人が多くて・・(汗)名前も・・ありがちな名前じゃないから(笑)
そんなんで、前半は睡魔に襲われることもありましたが・・後半は引き込まれました・・。
よく知ってる俳優が多くキャスティングされていますが・・時代の雰囲気、時代の人物になりきっているので・・
あれ、あの人じゃん♪と・・素晴らしく演出されてました。
ナチの「アイヒマン」と同様、愛国心ゆえ職務に忠実だった結果の「原爆の父」だったのかもね・・。
男の嫉妬は恐ろしい物です
罪を背負った男の顔 - 映画「オッペンハイマー」
原爆の話なので見る前は少し怖かった。
なぜなら自分も被爆国の民なので。
普段生活で原爆のことなんてほとんど考えないとはいえ、このようなセンシティブなテーマの映画を見るのには勇気が要ると思った。
海外で作られた映画なので、原爆投下が礼賛されていないとも限らない。
だけど映画ファンとしてはもちろん見ざるを得ない。なにせアカデミー賞受賞作だ。
# 新宿TOHOシネマ
最前列に「フロント リクライニングシート」になっている。東京出張中でやや眠くてリラックスしたいこともありこの席を予約した。席に寝そべりながら優雅に映画を観る体験は一度してみたかった。
だがいざ行ってみるとまったく席にリクライニング感がない。どうやらフルフラットではなく少しだけ後ろに倒れるタイプのようだった。よく探すと席の横にリクライニング用のレバーがついていた。レバーを倒して映画を観ることにした。
# 睡魔
アカデミー賞作品を見ているのに猛烈に眠い。出張とリクライニングシートのせいだ。3時間の映画の前半2時間ぐらいはほとんど眠ってしまっていた気がする。アカデミー賞作品なのに。
だが原爆実験が成功するところ、広島長崎への原爆投下の知らせを聞くところ、オッペンハイマーが消し炭になった子供の遺体を踏む妄想にとらわれるシーン、何回も鳴り響く爆発音、罪悪感に焼かれるアメリカ人たちの歓喜、アインシュタインとの会合など、一番肝要なシーンは見ることが出来た。
とてもちゃんと作品を見たとは言えないのだが、それでも強く印象に残る部分はあった。
# アメリカ人の歓喜
今では多くの日本人は漫画「はだしのげん」を読んだことがあったり、広島の原爆ドームに行ったことがあってりで、原爆投下がどんなに悲惨な被害を生んだのかのイメージぐらいは持っているんじゃないだろうか。
多くの人間がデロデロに溶かされ焼けただれる。この世のものとは思えない地獄だ。僕らはこうして清潔で綺麗な映画館で平和に映画を見ることができるが、当時、原爆で溶かされた人たちはどれほど苦痛だったのだろうか。
そしてもちろん当時のアメリカ人たちもそんなことは知らない。単に悪の敵国に快進撃を与え、勝利を祝っているだけ。純真無垢な気持ちだろう。だがそのコントラストがこの映画では鮮やかに描き出される。オッペンハイマーは原爆の開発者だけあって、原爆投下が現地に何をもたらしたのかは想像がつく、というより誰よりも理解しているのだ。
手が汚れ、罪を背負った男の表情が、そのまま映画のメインビジュアルになっている。
# リベンジ
この映画のコアな部分は鑑賞できた気がするとはいえ、前半2時間も眠ってしまったので、これはまたリベンジしなければならない。
子の不始末は親の責任
何を描きたいのか
期待値が高すぎたせいか、あの時代と原爆製造と市民への原爆投下と言う事を扱う難しさか、焦点がボヤけた映画をみせられた感じです。なんで実験が苦手で理論好きの物理学者が原爆製造事業の中心になったのか説得力を感じない。
アメリカの敵対国であるユダヤ人虐殺のナチズムドイツ、スターリンの共産主義独裁国家のソ連、極東アジアの侵略国家の日本に関しては言葉としての敵国の説明しかない。
アメリカが原爆開発を急がなければならなかった理由は語り尽くされているが、新しい観点はない。
反ナチズムと言う面でのコミュミニズムへの共感性の過去とか女好き肉食男子に関した描写は長い映画の箸休めにしか感じない。いらないシーンだ。
描きたくてもまだ描けない事情がある事を感じた。
ノーランの映画だから派手な映像と思ってたら肩透かしを食らった感じな...
恐怖感ただよう爆破シーン
ダークナイト、インセプションとか数多くの傑作を生みだしたクリストファーノーラン。原爆をつくった一人の男の物語。アカデミー賞をとった作品ということで興味がわかない題材なわけない
全体的に会話が多くて退屈だが唯一無二の映像体験といえよう。
音で恐怖をひきだすのはさすが。
トリニティ実験のシーンは恐怖の報酬を思い出すくらいの
緊張感。
本当に爆発させているシーンがでてくるので、心臓に悪い。
爆発を音のない神秘的な雰囲気でみせてくるから、美しさを感じつつも
これを日本に落としたんだよねということでみていて複雑な気分になる。
トニースターク。アインシュタイン登場 役にはまってるしめっちゃ似合ってる。
キリアンマーフィとフローレンス ピューとの濡れ場がありますがなんともやらしいシーンに仕上がっていて興奮した。
反戦の話ではなくオッペンハイマー一人の学者の苦悩が主軸なので
ソリッドでこれはこれで余計な要素が入ってなくてよかったと思う
広島とか長崎とかだしてしまったらまた別のアプローチの作品になっていただろうしはだしのゲンとか別の著作物で十分語られると思うのでもしだしてたらタイトルがオッペンハイマーじゃなくなってただろうな。
PTSDみたいにどんどん精神がおかしくなるが酒におぼれたりとか破壊衝動で暴れたりして精神病院にいくとか自暴自棄になる感じではない
真面目で寡黙な人なのが伝わってくる。
原爆をつくって戦争を終結させた英雄として拍手喝采されるシーンの胸糞の悪さ。
原爆を投下後の最後のオッペンハイマーの悲痛な表情が忘れられない
賛否両論あるが
日本人はどうみるか自由だしみる人それぞれ正解も間違いもないだろう
原爆を語るうえでとても重要な作品であること確かだろう。
勉強不足なので1割ぐらいしか理解できなかったので歴史や偉人!?
に興味をもつ足がかりとなる作品になることは間違いなし。
私は歴史の勉強としてそこそこ楽しめた
核実験で終わりではありません
核分裂(原爆のエネルギー源)、核融合(水爆のエネルギー源)といった時間軸が交互に移り変わる中で、多くの登場人物が出てくる。さらに量子力学、時代背景などの知識もなければ完全に内容を理解するのは難しいかもしれない。
だけど、構造は単純で、基本的にオッペンハイマーとストローズの視点でストーリーは進む。
フィルターカラーで変化をつけているので、なんとなく理解し、楽しむことができる。
ただ、私は時間軸の変化に少し混乱した。例えばストローズ視点でアイシュタインとオッペンハイマーの会話シーンが出てきた時(映画序盤の方)。私はこの会話はロスアラモスでの核実験前の話かと勘違いしてしまってました笑
映画自体は、核実験後、オッペンハイマーの人生がマイナス方向へと向かっていくパートがむしろ魅力的だと思った。
集会シーンでのオッペンハイマーの心情描写とか印象的。
アインシュタインというキャラクターも重要。結局、亡命や兵器といった差異はあるものの、オッペンハイマーはアイシュタインと似たような人生を辿ったのだから。
原爆という視点からいうと、やはり日本人にとって辛い気持ちになるところはある。
しかし、原爆が作られ、投下されるという歴史的な事実をテーマにしてアメリカの目線でそれを描いてるのだから、仕方がないかも。それを理由にこの映画をみないというのは違うかなーと。あくまで私個人の意見です、、。
これはオッペンハイマーの人生を、原爆というテーマにそって描いた作品。ノーランは本当に彼の人生を映画にしたいと思ったんだなと感じられる映画です。アカデミー賞を取るだけの価値あるものだと思います。
これが作品賞?
理論的な、あまりに理論的な
「我は死なり、世界の破壊者なり」
米国量子力学のパイオニア、そして"原子爆弾の父"J・ロバート・オッペンハイマーの物語。
まず総論として一言「シーツを入れろ」。
難解だが観なければならない作品。日本人としては受容れがたい描写もあるが、観ないという選択肢はない。また、劇場で観ない理由は"ほぼゼロ"である。
本作は1954年、赤狩りの最中のアメリカを舞台に2人の人物の「証言」として物語が進行する。ひとりは原子力委員会委員長ルイス・ストローズ、もうひとりはJ・ロバート・オッペンハイマー本人である。実験は不向きだが理論には卓越したオッペンハイマーの経歴を、ブラックホール理論、中性子理論、マンハッタン計画、そして共産党との関係を通して「告発と供述」によって紐解いていく。
本来ならばスピルバーグあたりが描いてもおかしくなかったこの物理学者が何故ここまで描かれなかったのか?観て納得した。まずこの物理学者の人物像が複雑怪奇だ。頭脳明晰だが自己顕示欲が強く、視点は慧眼にして盲目。これらを構成するのにそもそも時間がかかる。そして決定的なのは映像だ。クリストファー・ノーランの時代になってようやく、ロスアラモスで灯された"プロメテウスの炎"を描く技術が追いついた。原子力の業火とその衝撃は、IMAXだからこそ成立しうる表現である。思えばスピルバーグもノーランも、デヴィッド・リーン監督「アラビアのロレンス」に大いに影響を受けた映画監督である。ヒーローから一転、寂しい晩年を送った点ではオッペンハイマーもロレンスやシンドラーと同じで、ロレンス〜シンドラー〜オッペンハイマーとバトンが繋がれたように感じる。
ふたつの回想により断片的に物語が展開するため状況把握には苦労するが、当事者たちがどれほど未知の分野に足を踏み入れていたかを体感することができた。1945年7月の「トリニティ実験」を観てみるといい。当時最高の頭脳は、ガラス板とサングラス、そして日焼け止めクリームのみでまるでキャンプファイアでもするかのように原爆の爆発を眺めている。この描写だけでも想像を絶する兵器だったことが窺える。
当初、オッペンハイマーの見立てでは「広島に原爆を投下した場合の犠牲者予想は2万人〜3万人」であり、「我々は理論で世界の恐怖を予見できるが、人類の大多数はやってみせないと理解できない」として、敗戦濃厚の日本に対して原爆を投下することに踏み切った。つまり、「原爆の効果を証明すれば今後人類が戦争を起こす気になる確率は"ほぼゼロ"であり、そのための捨て石は必要である」という考えていた。だが物事には「予想外」がつきものである。確率が0.1%でも、起こる時は起こる。結果として人類はオッペンハイマーの予想を裏切り、「核の傘」の世界が展開されることになる。その独善的な視点が"ほぼゼロ"の世界線を引き当ててしまったことは非常に残念でならない。
プロメテウス
とうとう日本公開という事で満を辞して鑑賞
広島に3年間だけ住んでいた事があり毎日原爆ドームを横目に通勤してました
あの日何万人もの人がそれと気づく間もなく亡くなられた惨劇は何があっても後世へ学び伝えていかなければならい出来事ですが、
他のレビューにもある様にこの映画の軸はあくまで科学者オッペンハイマーの苦悩にフォーカスを当てた人間ドラマであり、私はニュートラルに観れました
それでも、彼を讃える国民に「閃光と共に消滅する」幻覚を見るシーンでの複雑な感情…
史実に対して自分の無知さも痛感
【これ以上は政治的になるので、ここから純粋な映画としてのコメント】
本編通じてクリストファー・ノーラン監督のブレないストイックさが滲み出ています
主人公の苦悩を描き続ける上で一切無駄なシーンがなく、シリアスな映像・安定しない旋律の音楽もあいまって緊張感を持続させ、瞬きもせずに見届けろといった気概すら感じました
人によってはこの3時間が体力的に辛かったり、退屈にも感じる事もあるかもですが、このテーマを扱う上ではこれ以下では通用しないかもしれません
そういった意味では二度と観ることのできない映画体験なんじゃないかとすら思えます
それを証左するかの如く豪華キャスト陣の演技熱!
みなさん素晴らしくてこれには本当に感動しました涙
これからご覧になる方は特に時間軸を意識されると良いと思います
(カラーがキリアン・マーフィーさん、モノクロがロバート・ダウニーJrさんそれぞれの視点です)
ありがとうございました
一人の男のアンビヴァレンツな物語
かなり素養を問われる映画で何も知らないといちげんでは
流石に訳分らないと思います。
原爆と言うかオッペンハイマーと言う男の物語、史実は詳しくないので
作中限定ですが共産主義に共感してるのに入りたくはない、
奥さんは大事だけど浮気もする、第三者にも物理学はとっくに捨てて政治家
じゃんと言われるが否定も肯定も無い
原爆を産み出し終戦まで導く英雄的な賞賛を自覚し満足つつ
同時にその大罪も自覚する。
理論に長けているハズなのに常にアンビバレンスな迷いを持つ彼を
トルーマン大統領は泣き虫と表現したのはなるほど、と思いました。
この先も色んな形や語られ方がするであろう彼へのノーラン監督らしい
アプローチという点で興味深い作品です。
あっという間の3時間
後悔先に立たず!
オッピーには何度か計画を中止するチャンスはあった。でも、科学的好奇心の方が優ったのかなと想像できる。まぁ、彼が成し遂げなくとも、他の誰かが完成させたのかもしれないけどね。強風、大雨の中、初日IMAXの1回目で観た。悪天候の中、思いの他観客が多かった。オッベンハイマーのことは、全く知らなかったので、前夜テレビのドキュメンタリー「マンハッタン計画 オッベンハイマーの栄光と罪」を観ておいた。原作の原題の意味は「アメリカのプロメテウス」。ギリシア神話で天上の火を盗んで人間に与えた神のことだ。何てうまいたとえだろう。ノーラン監督らしく、時制を崩しているが、白黒とカラーを用いるなど、予想したほどわかりにくくはなかった。オッピーははじめ、人々を引っ張って行くような人物には見えなかった。でも、ロスアラモスに町ごと建設するとか、分業にして計画の全体像をわからなくさせるといった知恵があったし、どうにか計画を進めて行こうとする粘りがあった。大天才で人間的にも立派な人という風に描かれていなかったことは、好感が持てた。ストローズは「アマデウス」のサリエリのようなオッピーに対する嫉妬を感じた。広島と長崎の原爆の被害が映し出されていないことで、かなり批判が出ていた。昨年夏アメリカで公開されて、すごく話題になっていたにも関わらず、配給が決まらず、唯一の被爆国だから無理かなと落胆していた。ようやく決まって、しかもアカデミー賞をたくさん獲ったので、観られて本当によかった。その描写がなかったことを残念だとは思うが、私はそれよりもアメリカは広島と長崎に原爆を投下したことで、戦争が早く終結したという主張を変えていないことだ。東京大空襲でも降伏しなかった。だから、仕方がないというのだ。たしかに当時はそういう考えだとしてもいたしかたない。あれだけの被害が出てしまうとは予期しなかっただろうから。でも、土地が荒廃し、人間にも長く後遺症が残るという被害状況を分析しきった現在では、その考えは間違いとは言わないまでも、よろしくない考えだったとは言えるのではないか。そうでなければ、ロシアはウクライナに、イスラエルはパレスチナにとっくに原爆を投下しているはずだ。その点が非常に悔やまれる。
物語の「ピーク」の設定が大変理性的。
ユダヤ人であるオッペンハイマーが、反ナチスの大義のもと自らの研究成果を示す「実験場」としてマンハッタン計画を推し進め、結果として過酷かつ数奇な運命を辿らざるを得なかっという話・・・と理解しました。
この作品のピークは人類最初の核実験「トリニティ実験」の成功であり、決して「広島、長崎への原爆投下」じゃないってところが、ノーラン監督の理性的、客観的視点の鋭さを良く表していると思い非常に感心いたしました。
トリニティ実験の迫力は想像以上なので、ぜひ音響効果の優れた劇場でご覧ください!
戦争終結後、一時的にメディアに持ち上げられ富と名声を得ますが、それは彼の今までの払ってきた犠牲とは全く釣り合わない形だけのもので、逆に軍縮を意見した国家、そして政敵にはめられて没落する様は見ていて痛々しいものでした。
そういうの好きな方は良いのかもしれないですが、公聴会の攻防に明らかに尺を取り過ぎで、しかも人物相関も複雑、時系列的にごちゃついていて詳細の理解は基礎知識あっても一度の鑑賞では常人にはたぶん無理でしょう。稀にレビューアーさんに可能な方がいらっしゃてほんと凄いと思いますが。
これがカオス大好きアカデミー賞の主要部門総なめってのは逆に納得しました(笑)。
【”プロメテウスの火。水爆を作れば、ソ連も作る!と原爆の父は言った。”今作は、天才理論物理学者の毀誉褒貶の半生を描いた物語であり、観る側の原爆のリテラシーにより鑑賞後の余韻が変わる作品でもある。】
ー 最序盤は、次々に変わるカット。新たに登場する人物把握に”これは、「インセプション」パターンか!(難解と言う意味。)、と危惧するも、慣れれば”アメリカ近代史の知識”、”第二次世界大戦最終盤の広島、長崎の哀しき悲劇の記憶。”を総動員して哀しくも面白く鑑賞した。体感2時間弱であった。-
◆感想及び印象的なシーン
・一介の物理学の生徒だった、オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が順調に出世し、世相もあり第二次世界大戦中に米軍が進めた「マンハッタン計画」に関与していく様。その際には、彼はレズリー将校(マット・デイモン)の指示の元、”研究者”として働き、軍部の思惑である”トリニティ実験”を成功させるシーン。
ー 被曝と言う概念が殆どなかったため、人々はクリームを塗って光線から肌を守ろうとする姿。ホント、何にも分かっちゃいなかったんだな・・。ー
・オッペンハイマーが人々から賞賛されるシーン。
ー 賞賛する人の顔が、紙のように剥がれ、最後は全て居なくなる。
だが、ここは、オッペンハイマーが原爆の本当の恐ろしさが”理論的にしか”分かっていない事を暗喩しているシーンである。
「広島平和記念資料館」に行った方であれば、爆心地近くの方が、正に一瞬で蒸発する程の原爆の威力を目の当たりにするだろう。壁に染みのように黒ずんでいる人型は忘れられない・・。-
・そして、オッペンハイマー達「マンハッタン計画」に関与したモノが観た広島、長崎の原爆投下後の光景。
ー ノーラン監督は、ここは敢えて光景を映さない。
色々な意見があるだろうが、今作は天才理論物理学者オッペンハイマーの毀誉褒貶の半生を描いた物語であると思ったので、脳内怒りが沸騰するが、グッと我慢する。
(本当は、全世界の原爆の真の恐ろしさを特に若い人に分かって貰いたかったのだが、あれが米英のエンタメ作品として公開出来る限界なんだろうな・・、と思う。)
だが、キリアン・マーフィー初め、その光景を観た人々の表情が全てを物語っている。このシーンから、オッペンハイマーの憂愁の表情は深くなっていくのである。-
・雑誌タイムの表紙を飾ったオッペンハイマーがトルーマン大統領に招かれた際のシーンも印象的だ。
オッペンハイマーがトルーマンに対し、水爆開発に懐疑的な発言をした際に、トルーマンの表情は一変し、”原爆の投下を指示したのは、私だ。お前は開発者に過ぎない。”と吐き捨てる。
ー 政治家と、開発者との立ち位置及び、政治家は冷酷でないと務まらない事が良く分かるが、現況下、第二のトルーマンが現れない事を祈るしかない状況にある事を考え、愕然とする。-
■戦後、”レッド・パージ”の嵐の中でオッペンハイマーが、原子力委員会委員長ストローズ(ロバート・ダウニー・JR:ねちっこく、嫌な野心家を好演。)に、彼が過去愛したジーン(フローレンス・ピュー)及び現在の妻キティ(エミリー・ブラント)が共産党員である事。
更に「マンハッタン計画」のオッペンハイマーの部下だった男がソ連のスパイだった事から、彼自身もスパイの容疑を賭けられ、小部屋での聴聞会が何度も描かれる。
- 可なり恐ろしいシーンである。水爆推進派のストローズの野心もありオッペンハイマーは追いつめられるが、キティの見事な反駁と(観ていてスカッとする。)マンハッタン計画に参加していた、何度もオッペンハイマーに署名をないがしろにされていたヒル(ラミ・マレック)の意見でオッペンハイマーの嫌疑が晴れるシーンは、やれやれである。
だが、彼は危険人物として監視下に置かれることになるのである。
”ストローズって、嫌な奴だなあ。と言うか、”レッド・パージ”の時代自体が怖いよ。ー
<今作は、原爆の真の恐ろしさを理解していなかった、机上の空論の天才理論物理学者が、広島、長崎の惨状を見て、自らの行為に懊悩し、核に対する思想を変えたがために経験した毀誉褒貶の半生を描いた物語であり、観る側の原爆のリテラシーにより鑑賞後の余韻が変わる作品でもある。
最後に、自らが開発した原爆が惹き起こした事実に愕然とし、深い懊悩、憂愁を抱えつつも、自ら水爆開発反対の姿勢を貫いたオッペンハイマーを演じ切ったキリアン・マーフィーを筆頭とし、各アクターの演技がこの作品の品位を上げていると思います。>
作品賞・主演・助演男優賞ほか
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