オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全879件中、721~740件目を表示
これが作品賞?
全く自分には合わない作品。特に酷いのが、ただ大音響を流しているとしか思えない音。時系列がクルクルと変わり何が表現したいのか?隣の人は途中寝ていましたね。あの大音響の中よく寝ることが出来るなとちょっと感心…
この映画、原爆の本当の恐ろしさを過少表現しているのか?それとも製作者側が知らないだけなのか?ありのままを表現する技量がなかったのか?その辺りが物足りなさを感じた点だと思います。この点は日本人クリエイターの方々に期待するしかないのでしょうか?
久々にエンドロールが始まると同時に立ち上がる人が多数。私は最後まで立ちませんが。
理論的な、あまりに理論的な
「我は死なり、世界の破壊者なり」
米国量子力学のパイオニア、そして"原子爆弾の父"J・ロバート・オッペンハイマーの物語。
まず総論として一言「シーツを入れろ」。
難解だが観なければならない作品。日本人としては受容れがたい描写もあるが、観ないという選択肢はない。また、劇場で観ない理由は"ほぼゼロ"である。
本作は1954年、赤狩りの最中のアメリカを舞台に2人の人物の「証言」として物語が進行する。ひとりは原子力委員会委員長ルイス・ストローズ、もうひとりはJ・ロバート・オッペンハイマー本人である。実験は不向きだが理論には卓越したオッペンハイマーの経歴を、ブラックホール理論、中性子理論、マンハッタン計画、そして共産党との関係を通して「告発と供述」によって紐解いていく。
本来ならばスピルバーグあたりが描いてもおかしくなかったこの物理学者が何故ここまで描かれなかったのか?観て納得した。まずこの物理学者の人物像が複雑怪奇だ。頭脳明晰だが自己顕示欲が強く、視点は慧眼にして盲目。これらを構成するのにそもそも時間がかかる。そして決定的なのは映像だ。クリストファー・ノーランの時代になってようやく、ロスアラモスで灯された"プロメテウスの炎"を描く技術が追いついた。原子力の業火とその衝撃は、IMAXだからこそ成立しうる表現である。思えばスピルバーグもノーランも、デヴィッド・リーン監督「アラビアのロレンス」に大いに影響を受けた映画監督である。ヒーローから一転、寂しい晩年を送った点ではオッペンハイマーもロレンスやシンドラーと同じで、ロレンス〜シンドラー〜オッペンハイマーとバトンが繋がれたように感じる。
ふたつの回想により断片的に物語が展開するため状況把握には苦労するが、当事者たちがどれほど未知の分野に足を踏み入れていたかを体感することができた。1945年7月の「トリニティ実験」を観てみるといい。当時最高の頭脳は、ガラス板とサングラス、そして日焼け止めクリームのみでまるでキャンプファイアでもするかのように原爆の爆発を眺めている。この描写だけでも想像を絶する兵器だったことが窺える。
当初、オッペンハイマーの見立てでは「広島に原爆を投下した場合の犠牲者予想は2万人〜3万人」であり、「我々は理論で世界の恐怖を予見できるが、人類の大多数はやってみせないと理解できない」として、敗戦濃厚の日本に対して原爆を投下することに踏み切った。つまり、「原爆の効果を証明すれば今後人類が戦争を起こす気になる確率は"ほぼゼロ"であり、そのための捨て石は必要である」という考えていた。だが物事には「予想外」がつきものである。確率が0.1%でも、起こる時は起こる。結果として人類はオッペンハイマーの予想を裏切り、「核の傘」の世界が展開されることになる。その独善的な視点が"ほぼゼロ"の世界線を引き当ててしまったことは非常に残念でならない。
プロメテウス
とうとう日本公開という事で満を辞して鑑賞
広島に3年間だけ住んでいた事があり毎日原爆ドームを横目に通勤してました
あの日何万人もの人がそれと気づく間もなく亡くなられた惨劇は何があっても後世へ学び伝えていかなければならい出来事ですが、
他のレビューにもある様にこの映画の軸はあくまで科学者オッペンハイマーの苦悩にフォーカスを当てた人間ドラマであり、私はニュートラルに観れました
それでも、彼を讃える国民に「閃光と共に消滅する」幻覚を見るシーンでの複雑な感情…
史実に対して自分の無知さも痛感
【これ以上は政治的になるので、ここから純粋な映画としてのコメント】
本編通じてクリストファー・ノーラン監督のブレないストイックさが滲み出ています
主人公の苦悩を描き続ける上で一切無駄なシーンがなく、シリアスな映像・安定しない旋律の音楽もあいまって緊張感を持続させ、瞬きもせずに見届けろといった気概すら感じました
人によってはこの3時間が体力的に辛かったり、退屈にも感じる事もあるかもですが、このテーマを扱う上ではこれ以下では通用しないかもしれません
そういった意味では二度と観ることのできない映画体験なんじゃないかとすら思えます
それを証左するかの如く豪華キャスト陣の演技熱!
みなさん素晴らしくてこれには本当に感動しました涙
これからご覧になる方は特に時間軸を意識されると良いと思います
(カラーがキリアン・マーフィーさん、モノクロがロバート・ダウニーJrさんそれぞれの視点です)
ありがとうございました
一人の男のアンビヴァレンツな物語
かなり素養を問われる映画で何も知らないといちげんでは
流石に訳分らないと思います。
原爆と言うかオッペンハイマーと言う男の物語、史実は詳しくないので
作中限定ですが共産主義に共感してるのに入りたくはない、
奥さんは大事だけど浮気もする、第三者にも物理学はとっくに捨てて政治家
じゃんと言われるが否定も肯定も無い
原爆を産み出し終戦まで導く英雄的な賞賛を自覚し満足つつ
同時にその大罪も自覚する。
理論に長けているハズなのに常にアンビバレンスな迷いを持つ彼を
トルーマン大統領は泣き虫と表現したのはなるほど、と思いました。
この先も色んな形や語られ方がするであろう彼へのノーラン監督らしい
アプローチという点で興味深い作品です。
あっという間の3時間
IMAXにて鑑賞
予習としてNHKのドキュメンタリーを観ていたからオッペンハイマーの生涯はなんとなく把握できていたが、そこで流れた広島や長崎の被害の映像には思わず目を背けてしまっていた
だから映画のクライマックスになる原爆実験成功から投下までの下りは哀しい気持ちになっていた
この映画では原爆被害の映像がないから、それを知らない人が観て、どういった感想を得るのか興味深い
しかしオッペンハイマーという人物を描くという点では見応えのある映画だった
クリストファー・ノーランお得意の異なる時間軸を平行に観せていくということを神がかり的な手腕で魅せてくれ、あっという間の3時間だった
後悔先に立たず!
オッピーには何度か計画を中止するチャンスはあった。でも、科学的好奇心の方が優ったのかなと想像できる。まぁ、彼が成し遂げなくとも、他の誰かが完成させたのかもしれないけどね。強風、大雨の中、初日IMAXの1回目で観た。悪天候の中、思いの他観客が多かった。オッベンハイマーのことは、全く知らなかったので、前夜テレビのドキュメンタリー「マンハッタン計画 オッベンハイマーの栄光と罪」を観ておいた。原作の原題の意味は「アメリカのプロメテウス」。ギリシア神話で天上の火を盗んで人間に与えた神のことだ。何てうまいたとえだろう。ノーラン監督らしく、時制を崩しているが、白黒とカラーを用いるなど、予想したほどわかりにくくはなかった。オッピーははじめ、人々を引っ張って行くような人物には見えなかった。でも、ロスアラモスに町ごと建設するとか、分業にして計画の全体像をわからなくさせるといった知恵があったし、どうにか計画を進めて行こうとする粘りがあった。大天才で人間的にも立派な人という風に描かれていなかったことは、好感が持てた。ストローズは「アマデウス」のサリエリのようなオッピーに対する嫉妬を感じた。広島と長崎の原爆の被害が映し出されていないことで、かなり批判が出ていた。昨年夏アメリカで公開されて、すごく話題になっていたにも関わらず、配給が決まらず、唯一の被爆国だから無理かなと落胆していた。ようやく決まって、しかもアカデミー賞をたくさん獲ったので、観られて本当によかった。その描写がなかったことを残念だとは思うが、私はそれよりもアメリカは広島と長崎に原爆を投下したことで、戦争が早く終結したという主張を変えていないことだ。東京大空襲でも降伏しなかった。だから、仕方がないというのだ。たしかに当時はそういう考えだとしてもいたしかたない。あれだけの被害が出てしまうとは予期しなかっただろうから。でも、土地が荒廃し、人間にも長く後遺症が残るという被害状況を分析しきった現在では、その考えは間違いとは言わないまでも、よろしくない考えだったとは言えるのではないか。そうでなければ、ロシアはウクライナに、イスラエルはパレスチナにとっくに原爆を投下しているはずだ。その点が非常に悔やまれる。
物語の「ピーク」の設定が大変理性的。
ユダヤ人であるオッペンハイマーが、反ナチスの大義のもと自らの研究成果を示す「実験場」としてマンハッタン計画を推し進め、結果として過酷かつ数奇な運命を辿らざるを得なかっという話・・・と理解しました。
この作品のピークは人類最初の核実験「トリニティ実験」の成功であり、決して「広島、長崎への原爆投下」じゃないってところが、ノーラン監督の理性的、客観的視点の鋭さを良く表していると思い非常に感心いたしました。
トリニティ実験の迫力は想像以上なので、ぜひ音響効果の優れた劇場でご覧ください!
戦争終結後、一時的にメディアに持ち上げられ富と名声を得ますが、それは彼の今までの払ってきた犠牲とは全く釣り合わない形だけのもので、逆に軍縮を意見した国家、そして政敵にはめられて没落する様は見ていて痛々しいものでした。
そういうの好きな方は良いのかもしれないですが、公聴会の攻防に明らかに尺を取り過ぎで、しかも人物相関も複雑、時系列的にごちゃついていて詳細の理解は基礎知識あっても一度の鑑賞では常人にはたぶん無理でしょう。稀にレビューアーさんに可能な方がいらっしゃてほんと凄いと思いますが。
これがカオス大好きアカデミー賞の主要部門総なめってのは逆に納得しました(笑)。
【”プロメテウスの火。水爆を作れば、ソ連も作る!と原爆の父は言った。”今作は、天才理論物理学者の毀誉褒貶の半生を描いた物語であり、観る側の原爆のリテラシーにより鑑賞後の余韻が変わる作品でもある。】
ー 最序盤は、次々に変わるカット。新たに登場する人物把握に”これは、「インセプション」パターンか!(難解と言う意味。)、と危惧するも、慣れれば”アメリカ近代史の知識”、”第二次世界大戦最終盤の広島、長崎の哀しき悲劇の記憶。”を総動員して哀しくも面白く鑑賞した。体感2時間弱であった。-
◆感想及び印象的なシーン
・一介の物理学の生徒だった、オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が順調に出世し、世相もあり第二次世界大戦中に米軍が進めた「マンハッタン計画」に関与していく様。その際には、彼はレズリー将校(マット・デイモン)の指示の元、”研究者”として働き、軍部の思惑である”トリニティ実験”を成功させるシーン。
ー 被曝と言う概念が殆どなかったため、人々はクリームを塗って光線から肌を守ろうとする姿。ホント、何にも分かっちゃいなかったんだな・・。ー
・オッペンハイマーが人々から賞賛されるシーン。
ー 賞賛する人の顔が、紙のように剥がれ、最後は全て居なくなる。
だが、ここは、オッペンハイマーが原爆の本当の恐ろしさが”理論的にしか”分かっていない事を暗喩しているシーンである。
「広島平和記念資料館」に行った方であれば、爆心地近くの方が、正に一瞬で蒸発する程の原爆の威力を目の当たりにするだろう。壁に染みのように黒ずんでいる人型は忘れられない・・。-
・そして、オッペンハイマー達「マンハッタン計画」に関与したモノが観た広島、長崎の原爆投下後の光景。
ー ノーラン監督は、ここは敢えて光景を映さない。
色々な意見があるだろうが、今作は天才理論物理学者オッペンハイマーの毀誉褒貶の半生を描いた物語であると思ったので、脳内怒りが沸騰するが、グッと我慢する。
(本当は、全世界の原爆の真の恐ろしさを特に若い人に分かって貰いたかったのだが、あれが米英のエンタメ作品として公開出来る限界なんだろうな・・、と思う。)
だが、キリアン・マーフィー初め、その光景を観た人々の表情が全てを物語っている。このシーンから、オッペンハイマーの憂愁の表情は深くなっていくのである。-
・雑誌タイムの表紙を飾ったオッペンハイマーがトルーマン大統領に招かれた際のシーンも印象的だ。
オッペンハイマーがトルーマンに対し、水爆開発に懐疑的な発言をした際に、トルーマンの表情は一変し、”原爆の投下を指示したのは、私だ。お前は開発者に過ぎない。”と吐き捨てる。
ー 政治家と、開発者との立ち位置及び、政治家は冷酷でないと務まらない事が良く分かるが、現況下、第二のトルーマンが現れない事を祈るしかない状況にある事を考え、愕然とする。-
■戦後、”レッド・パージ”の嵐の中でオッペンハイマーが、原子力委員会委員長ストローズ(ロバート・ダウニー・JR:ねちっこく、嫌な野心家を好演。)に、彼が過去愛したジーン(フローレンス・ピュー)及び現在の妻キティ(エミリー・ブラント)が共産党員である事。
更に「マンハッタン計画」のオッペンハイマーの部下だった男がソ連のスパイだった事から、彼自身もスパイの容疑を賭けられ、小部屋での聴聞会が何度も描かれる。
- 可なり恐ろしいシーンである。水爆推進派のストローズの野心もありオッペンハイマーは追いつめられるが、キティの見事な反駁と(観ていてスカッとする。)マンハッタン計画に参加していた、何度もオッペンハイマーに署名をないがしろにされていたヒル(ラミ・マレック)の意見でオッペンハイマーの嫌疑が晴れるシーンは、やれやれである。
だが、彼は危険人物として監視下に置かれることになるのである。
”ストローズって、嫌な奴だなあ。と言うか、”レッド・パージ”の時代自体が怖いよ。ー
<今作は、原爆の真の恐ろしさを理解していなかった、机上の空論の天才理論物理学者が、広島、長崎の惨状を見て、自らの行為に懊悩し、核に対する思想を変えたがために経験した毀誉褒貶の半生を描いた物語であり、観る側の原爆のリテラシーにより鑑賞後の余韻が変わる作品でもある。
最後に、自らが開発した原爆が惹き起こした事実に愕然とし、深い懊悩、憂愁を抱えつつも、自ら水爆開発反対の姿勢を貫いたオッペンハイマーを演じ切ったキリアン・マーフィーを筆頭とし、各アクターの演技がこの作品の品位を上げていると思います。>
作品賞・主演・助演男優賞ほか
ノーラン監督脚本作品らしさが表現された秀作。
ただ史実に基づくとはいえ被爆国の悲しみゆえに米国民が歓喜している様子を直視するのはキツイものがありました。米国作品なので仕方ないですが。
作品としては長尺の良さをそれほど感じることはできませんが終盤に押し寄せる怒涛の展開は見応えがありました。私的にはアインシュタイン役のアクターが激似で良かったです。
36
ちょっと記憶や理解力を求められる作品かなと。
まず興味を持って見に行った人間でも、いろいろな国の人名(学者等)や、前後する時間軸など、理解力・記憶力を求められる展開が続くので、多くの人にウケるかと言ったら決してそうではないと思う。この手の話題にあまり興味ない人が『なんか話題だから』といった感じで見に行くと、ちょっと嫌な思いをするかもしれない展開が(特に序盤は)続くので。
必要があるのかどうかは良くわからない(個人的には嫌いでない)性的な描写などがあって、そもそも年齢制限がある作品だけど、終盤はかなり見ごたえがあるので、そこまできちんとついていければ、とても見ごたえのある作品だと思います。
正直あの原爆の幻覚はちょっとヌルいのではないかと思ったりもしましたが。
オッペンハイマーの成し遂げた事とは?
この映画を核兵器開発を反対しているとか、原爆を広島、長崎に落とした事をアメリカが後悔しているとか、反戦をテーマにしている映画だと思って観に行きますと、何を描いているのか分からなくなりますので少し注意が必要です。
この映画は、題名の通りオッペンハイマーの青年時代から晩年に差し掛かる頃までのオッペンハイマーの半生を描いていますが、話題の中心はオッペンハイマーにかけらるスパイ容疑にまつわる「オッペンハイマー事件」を展開させて進められているのです。
この事件に関して、少し知識が無いと、映像が“事件”の聴聞会とオッペンハイマーの半生が時系列において入り組んでいますで、何がなんだか分からない状態になってしまいます。それ故、事件に関して簡単に説明させて頂きます。
オッペンハイマーは原爆の開発に当たって、フックスというドイツ生まれの物理学者を雇いますが、フックスは科学者の傍らソビエトのスパイとしても働いていて、機密情報をソ連に流しソ連の核兵器開発に加担しFBIに捕まります。
オッペンハイマーも戦後、米ソの緊張が高まる中、スペイン内戦の人民支援や共産主義者との交流が過去にあったこと、
そして何よりも水爆の開発を先頭とする「核開発競争」に踏み込む事にはっきりと反対の意思を表明し、批判したために、ソ連に肩入れしているという、言わば“なんくせ”をつけられて機密漏洩している共産主義者のレッテルを貼られます。
少々、雑な説明でしたが、宿敵ルイス・ストローズがオッペンハイマーを落とし入れる、この事件の聴聞会の場面から始まりますので、何も知らないと面食らいますから、お粗末ながら説明させて頂きました。
肝心なレビューの方ですが、『原爆を落とす理由は日本を降伏させ戦争を終結させるためだと、戦争を終結させれば何百万人の命を救える』と被爆された方には理不尽な言い訳をします。
私から見ればオッペンハイマーは自分の理論が正しい事も証明したかったのではないかと疑ってしまうのですが、
何せ、アメリカ映画ですからアメリカよりの立場で太平洋戦争
(第二次世界大戦)を捉えています。
その辺りに憤りを感じる方も多いのではないかと思います。
オッペンハイマーは原爆投下後、かなり後悔するのですが、
後の祭り「後悔、先にただずつ」、彼は、これから世界が破滅の道へと向かうのではないかという恐怖にかられ、ちょっとした
精神的、病いにかかったかのようにも映されていますが、果たして彼も含めて原子力エネルギーの開発に携った者は偉業を成し遂げたと言えるのでしょうか?観客に問いかけてきます。
挙国一致、本土決戦の意思を貫こうとしていた大日本帝国軍を降伏させるには、原爆投下は、やむを得ない事だったのでしょうか?
話しが外れますが、日本が太平洋戦争に突入せざるを得なかった理由には、ロシアの東アジアへの侵攻(中国・満州への侵攻)に端を発し、欧米諸国の植民地政策も背景に有り、本当に日本だけが一方的に悪いのか?それに、核兵器ばかりを巨悪と非難しますが、戦闘機は?戦車は?機関銃は?…兵器と呼ばれるものは皆、破壊、殺戮を目的として開発された悪なのではないか?
昨今、ガザ地区、ウクライナにおいて、市民の被害者の事ばかりマスコミは大きく取り上げるけれど、兵士ならば命を失うのも仕方のない事なのか?
こういった事に、疑問を持つ私は変わり者なのかもしれませんが….
話をオッペンハイマーに戻しますが、彼は実験物理学には向きませんが、理論物理学に向き、特に量子力学の分野では才を発揮し、中性子をウラン235にぶつける事により、核分裂が誘発され、莫大なエネルギーが放出される事を数式上で打ち立て、理論を組み実現へと向かっていきます。
これが良くも、悪くも彼の運命を左右する事になり、名声を勝ち取りながら、結果自分の犯した罪に苛まれ、スパイの嫌疑をかけられ没落します。
後にジョン.F.ケネディに名誉を回復されながらも、62歳の若さで、この世を去ります。(映画ではここ迄は描かれていません。)
アメリカはドイツの天才・量子力学者ハイゼンベルクが先に原爆を造るのではないかという、影に怯えまた焦り、核兵器の開発を急ぎ、成功しますが、太平洋戦争が起きた為に、科学は大きく進歩し、禁断のエネルギーを人間は手にします。
未来においても、同じ状況が起こり、この禁断のエネルギーを超える破壊力を持った兵器が開発される事を誰が否定できるでしょう。
そのような事を痛烈に感じた次第です。
畏
瓶の中に蠍は複数いる。プロメテウスの呪い。
内容は、1926〜1950年代アメリカ🇺🇸における人物J・ロバート・オッペンハイマーの人生を主観的に捉えた作品。原爆の父とも揶揄される彼の天才的頭脳による栄光と苦悩が描かれている。今までに無い原爆に対する🇺🇸の答えと感じられる様な複雑な作品。
印象的台詞は、『世界は、瓶の中に🫙2匹の蠍を入れている様なものだ』太平洋戦争が終わり冷戦時代の大国を揶揄した最後の演説には🎤複雑な思いが毎回込み上げてきます。原爆の罪を知った上で科学者としての利己的な能力を使用した苦悩とそれでも原爆の問題を原爆で解決しようとした矛盾。玉ねぎ🧅の皮を剥く様に複雑で多面的な人物描写には驚きます。
印象的な場面は、なんと言っても世界初の原子爆弾実験『トリニティー』の爆破の瞬間です。何故そう名付けたかは今は分かりませんが、何故か最後の審判的な感じを受けます。理性的には分かっているつもりですが『キレイ』と感じてしまいました。あの爆発の映像表現と音の迫力の没入感は恍惚にも似た感じがあります。自分の非人間性と子供の様な無邪気さの混ざる気持ちにさせられました。
当時原爆の見解は世界初の核実験、何が起こるか分からない。大気中の空気が全て燃え尽き世界を破壊してしまうかも判らない状況で、原爆実験をしてしまう人間の性が、浮き彫りで何とも言えない気分になりました。
印象的な立場は、『オッペンハイマー事件』ストロースとオッペンハイマーの立場です。結果アマデウスの映画のサリエリとモーツァルト様に、七つの大罪で最悪のものとされるENVY『嫉妬』によって、最終的にお互いの身を滅ばず事になる展開はリアルで根の深い面白さを感じました。
3時間に及ぶ大作なので複雑に感じると思いましたが、終始オッペンハイマーの視野からの覗き見と言う事で分かりやすく感じました。オッペンハイマーの感じた時間と空間を超越した感覚に至るまで映像化と音にこだわった今までにない作品だと感じます。クリス監督自体が観客に迎合する気も無い芸術家気質なので、メイン登場人物が15人以上出る人間関係の構図の予備知識が、かなり必要な様にも感じました。テンポの良いカットワークで観る人を置き去りにしてしまう凄さを感じます。
全体的に登場人物の老化具合や衣装やなりきり具合が全てマッチし、1950年代を覗き見した気分になりました。この映画で何を伝えたいか感じるかは人其々だと思いますが、自分は、『今に全て分かる』『瓶の中の二匹の蠍』が意味深に思えて仕方が無いです。既にパンドラ箱を開けてしまった人類の希望は、望むべきものは無いのかもしれません。
内容が難しい
戦時中の原発の話、しかも被爆国の人間からすると不愉快極まりない内容
やはり米国には全てを償わせる必要がある
勿論オッペンハイマーに罪がある訳ではないが、原爆投下の意思決定をした人間には同様の被害を被ってもらう必要があると感じた
原爆開発後の苦悩が見所
第2次世界大戦中、天才物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命された。実験で原爆の威力が予想以上だったことと、それが実戦で広島と長崎に投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けた。オッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになり、上司から迫害を受けるようになり・・・という史実に基づく話。
理論物理学から実験で連鎖反応を確認し、原子爆弾が想像以上の威力だとわかった時の驚愕の顔、戦後非公開の公聴会での尋問シーンが1番の見所だったのかも。
原爆投下のシーンやその被害状況の映像は無かったのは多少被爆地への配慮なのかな、と思った。
わかっているとは思うが、この作品の関係者にはぜひ広島と長崎を訪問して、被害の実態も知って貰いたいと思った。
ソ連がアメリカを追い、すぐに原爆開発が出来たのはスパイを送り込んでたのだと知り、昔からしたたかだったんだな、って思った。
オッペンハイマー役のキリアン・マーフィが素晴らしかったのと、原子力委員会議長・ルイス・ストローズ役のロバート・ダウニー・Jr.が憎らしい役を素晴らしく演じてたのが印象的だった。
あと、ラミ・マレックの誠実さ、フローレンス・ピューのエロさも良かった。
ストーリーだけを追える日本人もいるのか?
時代に翻弄された天才科学者、を描くためのエピソードの1つが広島、長崎への原爆投下であって、原水爆の恐ろしさそのものを描いた映画ではないってこと。
途中までは確かに有名人気俳優ではあるロバート・ダウニー・Jrが、何故この役で最優秀助演男優賞だったのか?と思っていたが、終盤で多少理解できた。
3時間あるが、3分の1が実験な苦手だった学生時代からロスアラモスまで、中盤が原爆開発と実験、日本への投下〜世間の熱狂、後半3分の1が戦後の彼への事情聴取と分けられるかもしれない。事情聴取の成り行きがややこしくて分かりにくい。
7月の実験が成功し、ロスアラモスのメンバー全員の歓喜と祝福を見ていて、その後の日本への原爆投下と切り離せるわけもなく、胸がグッと苦しくなった。ヒロシマ、ナガサキへの投下も成功していよいよオッピーが英雄となり、満席の階段教室のような所で人々が彼に大歓声を送っているシーンで、一瞬女性の顔の皮膚が捲れたり足元を黒い泥に埋まる幻覚を見るが、原爆の被害はあんな薄皮が剥がれる程度のものではなかったし、足元だって泥のレベルではなかった…と思ってしまう。
罪悪感に苛まれたオッピーが晩年心穏やかな生活を送れなかったと描くことによって、結果的に彼の贖罪が赦されるような結末になっているのではないか。
ただまあしかし、3時間を感じさせない迫力ある展開は1本の映画としては面白かった。
それでも、監督やプロデューサーにはオスカー受賞式で一言でも核開発について言及して欲しかった、喜びだけでなく。
原爆の父の葛藤
かつて世界中で戦争が行われていた。そんな時代の中でどうやって世界を掌握するのかばかりになっていた。
主人公のオッペンハイマーは、『原爆の父』として歴史に名を残している。
その生涯は、華やかしものばかりとは言えない。学生の頃でも自分の知識が教授に認められずに葛藤していた。
そんな時に核分裂というものが世界を変えてしまう程の力を持っているかもしれない。
研究を進めていく中で、国がその研究に興味を持ち、協力をしてくれる事になる。
自分の知識を時間を家族を国の為に捧げた男は、やがて”成功”を手にする事になる。
だが、その“成功”を手にした事によって多くの人達の命が一瞬にして奪われてしまう事に苦悩を広げる事になる。
広島、長崎の原爆投下が肯定されるものであるなら、この映画は観る人を苦しめだけなのかもしれない。
だけど、時代の中で葛藤している男が自分が作ったものによって平和な世界が訪れてほしいと願ったものとそうではない結果を生んでしまった結末がなんとも悲しいと感じた。
【男の恨み辛みは怖いし気色悪い】
“原爆”という日本人にとってセンシティブ案件から本邦上映に際して賛否両論あったようだが、そもそも古今東西問わず歴史なんぞ勝者によって作られるものであり、そこへは特段の違和感はなかった。
ただ原爆開発計画拠点 ロスアラモス国立研究所で初の原爆実験成功に狂喜乱舞する米国人のお祭り騒ぎの1カ月後に広島・長崎の罪無き市井の人々に地獄の惨状をもたらした蛮行は決して消せないし、日本人として忘れてはならないと再認識させられた、観ていて沸々と怒りが込み上げてきた。
反戦・反核といったイデオロギー的要素より、純粋な科学技術への探究であってもややもすれば政治的謀略や手段に取り込まれて歯止めが効かなくことへの恐怖と警鐘という普遍的テーマが訴求されていて見応えがあった。
しかし男の嫉妬と怨嗟は粘着質でほんまに気色悪い…これが裏テーマというかメインテーマ⁉︎
描きたかったのは後半の聴聞会だったのかな?
物理の天才だが世の中のこと(政治、戦争、思想、女性、立ち回り方など)については一切興味がなく生き方が不器用な典型的な学者肌のおじさんが、自分でも明確に説明しづらく誤解を受けやすいような行動をとった代償として罪や進退を問われてしまう。
こういうことをしたらこの先どうなってしまうのだろうか?という事が全く考えられないため、その日に出会った女性と即関係を持ち、不倫相手の子供を作り、共産主義者達と公私で親密な関係を持ってしまうので、知らぬ間に敵もできてしまう。
原爆にしても当初起こる悲劇がイメージできず、後々になって大きく後悔する。
(原爆を使うのは学者ではないと自分で納得してたのにw)
トルーマンの「原爆投下で非難されるのはつくった者ではなく指示した者だ」という言葉は、自分自身が最も覚悟と責任を持っているため、お前なんかがウジウジしてるのはどうなのか?という厳しくも正しい言葉だったように思う。
オッペンハイマーとストローズを見ていると「アマデウス」のモーツァルトとサリエリの関係に似ていると思った。
奇しくも両方ともアカデミー作品賞、ストローズ役のロバート・ダウニーJr.は助演男優賞、サリエリ役のフランク・マーリー・エイブラハムも主演男優賞を受賞しているところも面白い。
原爆研究を一生後悔する人の話かと思ったが、この描き方だとオッペンハイマーの人生の出来事のうちの一部にしか見えず、やはりそんなもんかというガッカリ感?のようなものはどうしても拭えなかった。
後から擁護する証言者達が続々と現れるのが少しだけご都合主義を感じたが、聴聞会のシーンは本当に長く集中力維持が大変だった。
人間の愚かさが知るには一番良い作品。
全879件中、721~740件目を表示