オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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Near Zero
政争が題材になり、彼の人となりや生き様が世知辛い世界においてどのように取り扱われるのかに焦点がいってしまう。高慢で鼻っ柱が高く、しかしひとつには打ちこめず目移りもし、野心もあるがただ不器用である。だからって悪いはずもなく、それも人の道であって、卑下するべきものでもない。
政争の仇役となったロバート・ダウニー・Jrが名演である。こういう奴が食い物にする。巡り巡って墓穴に嵌るが、その展開は別にどうでもいい。結局は歴史が評価をする。この男の名は記憶に残らない。
原爆開発や投下に関する道義的な議論は触れるが突き詰めてはいない。肩透かし感はあるが、政治的判断というのはいずれにせよ、オッペンハイマーの演説に熱狂的な声をあげた一般人に帰結する所であり、象徴的にその肌を熱線で焼いた絵を以って、制作者は応えたように思う。
日本人として絶対に観るべき作品
原爆の開発に至った苦悩が描かれている。名だたる俳優陣が脇を固め、3時間の長さを感じさせない。
第二次世界大戦を終焉させるべき原爆の開発を進めるも、ヒットラーの自決により、日本に対しての使用に突き進む政府。米国の同盟国のソ連に対しての軍拡競争も激化するなか、極秘裏に進められる原爆の開発の裏側が克明に描かれており、とても興味深い作品であるが、原爆の被害を過小評価していた事実もあり、日本人に対しての悪意は最小に描かれていることには、多少の疑問符が残る作品です。
「彼らは僕らを必要としてるんだ」「不要になるまではね」
3つのタイムラインが交錯して無駄に複雑で、
むしろ「オッペンハイマーvsストローズ」っていう作り。
ストローズなどという小者は、
1954年のオッペンハイマーへの査問を画策した端役でしかなく、
1959年の公聴会(モノクロで描かれる)などは、原作でも最終40章にチラッと出ているだけの付け足しで、
最初から一貫して描く必要など全くない。
最後にひっくり返してザマミロ、だけでいいじゃないか。
どうみてもこの映画は、
戦後のオッペンハイマーに対する非難やら誹謗中傷やらに重点を置きすぎている気がする。
(ていうか、そこが一番描きたかったとこ? だとしたら、トンチンカンと言わざるを得ない)
* * *
映画の軸は、1954年の査問。
その尋問に、オッペンハイマーがこたえ、
記憶をたぐって語る、という形で物語が進む。
はっきり言って、
誰が誰なのか、1回観ただけじゃ分からん登場人物続出。
ただでさえ時代がどんどん経過して登場人物が多く、
見た目じゃ区別しにくい人が多々あるうえに、
ファーストネームとファミリーネームを切り替えられたりすると、お手上げ。
原作(四半世紀かけて書いたという長大な伝記)を読みかじり、
誰の台詞か明記された英語字幕で見直して、
ようやくあちらこちらの関係が判明。
もっとダイエットしないといけないんじゃありません?
小者ストローズの出番を削るだけで、だいぶ余裕ができると思うんですけど
>ノーラン監督
* * *
そしてようやく中身の話。
若き科学者たちの向学心によって
量子力学などの理論物理学が爆発的発展を遂げた1920年代
(オッペンハイマーも、その中にいた)
その後の30年代は、
共産主義とファシズムという左右両極対立が顕在化した時代。
この二つの要素が融合して核分裂を起こし、
原子爆弾の開発と使用に至った。
つまり、
純粋な好奇心が、政治との不幸な出会いを通じて世界の破壊につながるという予想だにしなかった事態を、身をもって経験した科学者たちの中心にいたのが、オッペンハイマーなのだろう。
ということを思わせたのは、映画なのか原作なのか、実は定かでない。
* * *
ひとつ意外だったのは、
広島・長崎で22万人、東京大空襲で10万人の、非戦闘員が殺されたということに触れている点。
まあ、台詞だけだから、
どれだけの重みを受け取るかは、受け取る側次第だけど。
すでにヒトラーは自殺し、ドイツが降伏している状況で、青息吐息の日本に、落とす意味はあるのか?という意見もあった。
それでも日本に落としたのは、ソ連に対する示威だということは、読み取ろうと思えば読み取れる
(そこには最早、科学者の出番はない)
が、これもまた、受け取る側次第。
でも、「トリニティ」実験の成功以降、オッペンハイマーに疑心が生じたという描写は、映画も原作に忠実。
とはいえ、
「こうでもしないと日本は降伏しない」
「これによって米兵の命が救われる」
という論理は、決して否定されなかった(あるいは、今もされない)
というのも、米国の現実なのだろう。
* * *
印象的な台詞。
「物理学300年の集大成が、大量破壊兵器なのか」
ーー残念ながらそのとおり。
「彼らは僕らを必要としてるんだ」
「不要になるまではね」
ーー残念ながらそのとおり。
集中力を要する
銃社会、自分の身は自分で守るという考えが根差していれば「抑止力は必要」が常識で、日本みたいに「おまわりさーん!」なんて呼んでたら到着する頃に死んでる...ミクロかマクロかの違いで、国同士でもそういう事なんですよね。
ラストシーンを噛み締めながら、色々考えてしまいますね。
前作は冒頭から引き込まれたので、必死についていく!という感覚でしたが今作は集中力が必要でした。
過去と現在を場面で行ったり来たりするのはいつもの事ながらついていくのが大変。
阿呆にはつらい映画ですが、この作品を当事者である米国人が作って観ているということに意味がある気がします。
戦争に勝利した者の特権として歴史を都合良く残して「必要だった」と声高に主張する国でよくこんなの作れたなぁと思います。
いずれにせよ、映画を楽しめる日々が続きますように
日本人として何を感じるべきか?
映画館にて鑑賞。
とにかく内容が盛りだくさんで、観ている間も終わってからも色々と考えさせられるため、脳がどっと疲れました...
3時間の映画ですがストーリーがどんどん進んで行き、状況とセリフを理解するのに一生懸命だったため体感は2時間くらいだったように思います。
まずCillian Murphyが本当に素晴らしいですし、キャストも豪華なので個人的にそれだけで観る価値ありだと思いました。
(ブラックミラーとオペレーションフォーチュンで見て以来気になっている、Josh Hartnettもとても良かったです。役の振り幅がすごい!)
映画の初めの方で思ったのは、科学・美術・神話の世界は繋がりやすい、ということ。
所々に差し込まれてくる原子や炎や宇宙などの映像は、それ自体は科学的なものですが、その中に“美”を見出しているような映像表現になっていて、オッペンハイマーやノーラン監督はそのようなところにも惹かれているのかなー、とぼんやりと考えていました。
普通の人には見えないものが見える、もしくは普通の人とは違う見え方をしている点で、科学者と芸術家はかなり近いものなのかもと思いました。
ピカソなどの絵画や神話の言葉などが入ってくる点も印象的でした。
「原爆の父」を題材にした作品ということで、日本人として自分はどう捉えるべきなのか考えてしまいました。私は日本に原爆が投下された時は生まれていないですし、被害にあった親戚なども(知る限りでは)いないため、あまり自分ごととして捉えられていないのが事実な気がします。もちろん、アメリカの政府関係者がいつどのように日本へ原爆を投下するか話し合うシーンでは違和感や不快感を覚えました。原爆犠牲者のことを思うと心が痛みます。でもそれは日本人でなくても感じることなのでは?と思い、当事者でない人にその出来事をその時の感覚で伝えていくことの難しさについて考えさせられました。
そんな中、この映画をきっかけに原爆について考えたり議論をする機会ができたという点で、『オッペンハイマー』には大きな意味があるのではないかと思います。
自分と同年代の人がこれを観てどのように感じたのかを知りたい...
ノーラン監督の作品は音楽も素晴らしいと思います。
音楽のおかげでかなりストーリーに没入できます。
あの緊迫感をあおる独特な音の使い方も好きです。
やはりノーラン監督作品、1度観ただけでは中途半端な理解しかできていないので、配信でになるとは思いますが再鑑賞していこうと思います。
観終わった後も色々な考えがあふれてきて書かずにはいられなかったので、翌日に思い出しながら(まとまりのないメモ書きのようなものですが)レビューしました。
人類は同じ鉄を踏み続けるのか?
公開からそれなりに時間が経っているし、歴史的な事実の部分もあるので、細かなネタバレ的な部分も気にせずに書こうと思う。
3時間越えの本作はオッペンハイマーに対する公聴会の場面から始まり、全体としては三幕構成になっている。最初の1時間(第一幕)はオッペンハイマーとはどのような人物なのかという「人となり」が描かれ、理論物理学者としては優秀で量子理論のアメリカでの先駆け的な存在である一方、実験は下手で数学も大したことがない(アインシュタインも数学で大学受験を失敗しているというという逸話は映画には出てこないが、匂わせるセリフはある)上に、女にだらしなく、子どもにも冷淡なダメ人間であることも見て取れる。第二幕、次の1時間はマンハッタン計画、即ちロスアラモスにおける原爆の開発をナチスよりも先んじなくてはならないと急ぐ様子で費やされる。そして最後の1時間(第三幕)は、原爆投下後のオッペンハイマー自身の罪悪感との葛藤と公聴会の背景(ある意味の「種明かし」)が描かれる。
時系列が分かりにくいというコメントも目にするが、公聴会での発言があり、その発言の背景となる場面が描かれ、また公聴会に戻る、ということを繰り返しているだけで、それほど複雑でもない。そして、ストロースの指名を巡る場面については白黒画面になってオッペンハイマーの物語と区別してくれている辺りは、ノーラン作品としてはむしろ親切かも。
広島や長崎での原爆投下場面が描かれていないから原爆礼賛映画になっている的な批判があることを耳や目にしていたが、いったいこの作品の何処を見ていたんだ!といういう疑問の方が大きい。原水爆反対のメッセージは明らかであるし、何度も散りばめられたイメージ映像によってその悲惨さを伝えいることに加え、実際の投下について知らせて欲しいと軍部に伝えてあったにも関わらず投下後のニュースをラジオ聞くまで知らされなかったというオッペンハイマーの焦燥感を描く場面に、投下の映像を挟み込んでしまったらむしろダメだろうとさえ思える。
結局、科学者ができることは何なのか、その研究結果を良い方向に向けるのか、悪い方向に向けるのかを決めるのは科学者ではなく、政治家なのだ。もとは軍事用通信システムであったARPANETがなければ現在のインターネットも存在せず、SNSでこんな書き込みをすることもなかったであろう。ドローンを空撮に使うのか、それとも空爆に使うのかも、ドローン開発者が決めていることではない。
「時代の要請」というキレイなことばを使えば最先端の素晴らしいことをしているかのように聞こえるが、現代におけるAI開発についても無邪気に喜んでいるばかりではなく、「開発のその後」をどこまで自覚的になれるかによって、人類が同じ鉄を踏むか否かが違ってくるであろう。
第2次世界大戦中、物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を...
賞狙いの安っぽい構成
原爆そのものの悲劇のストーリーではない。
オッペンハイマー自身の栄華、苦悩と後の没落を描いた映画であり、原爆の悲劇を描けという意見は根本的に間違っている。その上でレビューを書く。
一部は史実と異なるストーリーだが、3時間にも及ぶ本作品において、オッペンハイマーは未来を見据えることの出来ない人物として描かれている。それ故の一時の栄光、そして原爆が日本に投下されたあとの苦悩・後悔、その後の赤狩りによる没落までを彼自身の思考、彼を取り巻く周囲の人物とともに、繊細に描いている。
原爆投下についての理解を深めたい方には是非オススメしたいが、原爆投下そのものの悲劇を学びたい方にはおすすめはあまり出来ない。オッペンハイマーの人生についての物語であるため、原爆投下が直接的に描かれているわけではない。この点については留意されたい。
核保有という緊張
映画館など、3時間作品とだけ向き合う環境で見ないと、評価は難しい気がした。映画館で観られて良かった。
作品の終わりに、そのあと続く冷戦時代を考えた。
私はその時代の、大国が核爆弾を所有したまま睨み合っている世界を生きたことは無い。「この瞬間にも、どこかの国の誰かのひとつの過ちで世界は終わるかもしれない」というのが、妄想ではなく今ある現実だという心地を知らない。もちろん今も核保有国はなんなら増えているが、今よりもはるかに兵器として容易く使用する心づもりで二国間が一髪触発であった世界と、今の世界の人々の心理状態が同じとは思えない。
その時代の世界に生きながら人々が感じていた緊張感を、そういえば私は手塚治虫作品から強く感じていた。その時を生きてその緊張を作品に詰め込んだ天才を思い出したときに、ふとオッペンハイマーは2020年代の世界の作品だな、という感想になった。私たちは、日本だけではなく世界の私たちは、その緊張を知らない。
天才物理学者の業績とその社会的評価に潜む内情に切り込んだ重厚な人間ドラマ
1938年に核分裂を発見したナチス・ドイツの勢力拡大に危機感を抱き、原子爆弾開発の“マンハッタン計画”を1942年に立ち上げたアメリカの、その極秘プロジェクトのリーダーであるJ・ロバート・オッペンハイマー(1904年~1967年)の理論物理学者としての生き様を赤裸々に描いたクリスファー・ノーランの力作にして、上映時間180分の大作。原作のガイ・バードとマーティン・J・シャーウィの25年の労作の共著『American Prometheus:The Triumph and Tragedy of J. Robert oppenheimer』(2005年)を一人で脚色したノーラン監督の映画に賭ける意気込みが、そのまま作品として完成した迫力と重厚さに圧倒されました。先ず驚いたのは、オッペンハイマーの生涯を分かり易い時系列順ではなく、1954年の公職追放になったオッペンハイマー事件の保安聴聞会と、彼と立場の違いから対立し謀略もしたルイス・ストローズ(1896年~1974年)が1959年に受けた公聴会の二つを基調としたモンタージュの複雑さです。オッペンハイマーの視点からみた世界をカラー映像(核分裂)、ストローズからみた世界をモノクロ映像(核融合)にした表現の対比構造、これが1926年のハーバード大学卒業から1963年12月のアメリカの物理学賞「エンリコ・フェミル賞」をジョンソン大統領(本来はケネディのはずだった)から授与されるまでの37年間の時系列に組み込まれています。これによってオッペンハイマーの行動と意識の両面が時空を超えて主観と客観の視点から重層的に描かれるという、挑戦的なモンタージュ技巧の革新さでした。ただ初めて本格的にノーラン作品を鑑賞したので、改めて指摘することでは無いのかも知れません。それでも栄枯転変の学者人生を歩んだオッペンハイマーの生涯を浮かび上がらせる表現法であるし、鑑賞時にはより集中力も必要とする特質も認めつつも、この独創性には最近になく衝撃と感銘を受けました。D・W・グリフィス監督の「イントレランス」や「去年マリエンバートで」のアラン・レネと比較したい衝動に駆られます。そして映画のラストシーン、オッペンハイマーとストローズが初対面した1947年のプリンストン研究所の庭園シーンのリフレインで、ここでアルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)とオッペンハイマーが交わした会話を聴かせる映画的語りの巧さには思わず唸りました。映画冒頭のモノクロシーンがカラー映像に変わり、カメラアングルを変えて量子物理学の2人の巨人、オッペンハイマーとアインシュタインで閉める見事な終わり方だと思います。
1943年のロスアラモス国立研究所建設から1945年7月の人類史上初の核実験の映像も興味深く観ることが出来ました。ナチス・ドイツが1945年5月に降伏して開発継続の意義に疑問をもつ科学者を前に語るオッペンマーの決意は、戦争終結のために日本に投下すること。しかし、敗戦濃厚の日本は既に1945年3月の東京大空襲によって甚大な被害を受け、終戦の交渉も同時進行していたとも言われます。太平洋戦争開戦の切っ掛けとなる真珠湾攻撃も、アメリカが第二次世界大戦に参戦するために故意に挑発していたとする後世の分析もあります。日本人にとって知りたいことが、この映画では描かれていないのは事実です。陸軍長官ヘンリー・スティムソンの言葉は、日本はいかなる状況でも降伏しない、本土決戦に至れば双方とも多くの命が奪われる主旨の内容でした。戦後80年語り続ける戦勝国アメリカの言い分には、日本人として納得できないものがあります。1919年生まれの私の父は、身体が弱く最初の徴兵検査で落とされたものの戦況悪化で国内の陸軍に徴兵されました。1945年8月9日は熊本の天草に駐留していて、遠く北西の空に舞い上がるきのこ雲を見たと言います。テレビで原爆についての放送があると、その衝撃を何度も語っていたことを想い出します。当時の日本人にとっては巨大な爆弾にしか思えなかったでしょう。しかし、日本にも優秀な物理学者がいたはずです。アメリカ軍が両国の物理学者を通して、完成した原子爆弾の本当の恐ろしさを伝えていれば、日本を降伏に導くことが出来たかも知れません。戦争とは憎悪の応酬でもあります。日本が敵国を鬼畜米英と罵れば、アメリカも日本人を差別する。ナチス・ドイツの反ユダヤ主義に開発の闘士を燃やしたユダヤ人科学者オッペンハイマーの動機が、人種差別から日本投下を正当化するのは、全て戦争という憎悪と不寛容が終わりなく消し去ることが出来ない、人類の特徴的気質でもあるでしょう。
(10代後半から社会人になるまで映画鑑賞の手立てとして心理学や人相学、と言っても雑学レベルの取るに足らない関心事として、ある血液占いに納得するものがありました。それは日本人に多いA型の特質とアメリカ人に多いO型の比較です。A型の人は真面目で勤勉で通常時平静を装いながら常に心配症で不安定でも、限界を超えると最強になる精神性を持っている。居直ったら強いのです。それに対してO型の人は、常に朗らかで明るく振る舞うも、限界を超えると一気に不安に駆られ精神的ダメージを負うというものでした。日本軍人の自己犠牲を目の前にして恐怖を感じたアメリカ兵の姿は、特攻隊を扱った映画などで知ることが出来ます)
8月6日の広島原爆がトルーマンの演説で成功したことを知るオッペンハイマーのシーンでは、涙を抑えることが出来ませんでした。アメリカンプロメテウスとギリシャ神話になぞられることにも、日本人として若干の違和感も感じます。文明の進化が数少ない天才の継続によって人類に高度な社会生活をもたらすと同時に、ダイナマイトを始め軍事産業に革新的な武器を提供するのも、凡人には計り知れない天才の偉業であるでしょう。原爆の父と言う称号には、善と悪が絡み合って観る者を考えさせる深いテーマがあります。特に興味深いのは、マンハッタン計画にソビエトのスパイが忍び込んでいた事実です。19歳の最年少科学者セオドア・ホール、スパイ容疑で1950年から9年間服役したクラウス・フックスの存在は各自別行動であったとする複雑さです。当時のソビエトがアメリカの同盟国であったことを改めて認識すると共に、当時のアメリカに共産主義が浸透していたことも分かり易く描かれています。オッペンハイマー自身共産党の活動に参加していたことを知ると、当時の知識階級の極普通の政治活動であったようです。それが戦後の冷戦状況で赤狩りによる弾圧があり、それによってオッペンハイマーの人生が狂わされるという展開は、アメリカンプロメテウスだけの考察に終わっていません。エドワード・テラーが提唱した水爆開発が戦後の国際社会で最優先の防衛の武器になってしまった今日にまで続く問題は、現在も解決の糸口が見つからない。
脚本の映画的な構成とその映像化の完成度の高さに匹敵するこの作品の見所は、多くの物理学者や軍人、政治家を見事に演じた俳優の成果にもあります。特に素晴らしいのは、オッペンハイマー役のキリアン・マーフィーの演技でした。感銘を受けた「麦の穂をゆらす風」の演技から更に成熟したものを感じました。ここ最近の演技では特筆すべき名演であると思います。敵役ルイス・ストローズのロバート・ダウニュー・Jrは、「チャーリー」の頃の才能ある芸達者な俳優から貫禄を付けた深みのある役者に転身していて、これにも驚きました。レズリー・グローブス役のマット・デイモンの安定した演技力も存在感を示しています。他にジョシュ・ハートネット、マシュー・モディーン、ゲイリー・オールドマン、ケネス・ブラナー、ラミ・マレックと登場シーンが少なくも懐かしさ含め楽しめました。この男性陣に負けない存在感を見せたキャサリン・キティ・オッペンハイマーのエミリー・ブラントと、恋人ジーン・タトロックのフローレンス・ピューも素晴らしい。兎に角演技面の不足が無いことに、キャスティングの良さとノーマン監督の演出力の高さを痛感しました。ルドウィッグ・ゴランソンの音楽のある程度抑えた不気味なメロディは、映像を補っても邪魔していない配慮もあり映像と調和しています。ホイテ・ヴァン・ホイテマの落ち着いた色調の映像美も素晴らしい。この作品は、日本人として付け加えたい内容でありながら、第二次世界大戦の時代を多面的に描いたアメリカ映画としての見応えと、その映像編集の斬新なモンタージュの試みに挑戦した画期的な映画として称賛するに値する傑作と思います。
観れてよかった
待ちに待ったノーランの新作(海外では昨年公開済)をIMAX-GTで観ました。
ノーランといえば109シネマズEXPO阪・・・もうノーラン劇場て名前変えた方がいいんじゃないの〜
そういえば「ダンケルク」公開時、初日2日目なのにパンフレット売り切れて買えませんでした😨その当時、東京からわざわざ観に来られた方が多かったような気がします。
当時はノーランの作品を観る上下に広がる画面を観るのはEXPO大阪しか無かったらのです。
(今は池袋サンシャインシティがありますが)
さて、オッペンハイマー公開初日から1週間という事で場内は満席でした。史実なのでノーラン作品の中では一番分かりやすいのでは、ないでしょうか。時空は飛ぶけど・・・「ミッドサマー」のフローレンス・ビューが出てたけど最後まで分からなかったです。エミリー・グラントは影が薄かったような。キリアン・マーフィーは良かったです。(「インセプション」の頃から好きな俳優さんだったのでアカデミー賞受賞は嬉しいです)
最初どうなんだろうなぁと思ったアインシュタイン役の人は自然な感じで良かったです。
(戦場のメリークリスマスに出ておられましたね)
オールスター出演は、いいのですが話が入ってこなかったです。今回はIMAXの画角を生かしたかといえば、そうとは限りませんでした。
その点ではジョーダン・ピール「NOOP」の方が優れています。
ただノーランもデビッド・リーンの様な重厚感が出てきた様な気がします。
しかし休憩なしオッペンハイマー正直きついなぁ😓
原爆開発者とスパイ
J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)と、その妻キティことキャサリン・オッペンハイマー(エミリー・プラント)、それとロバートの元カノであるジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)の三人は実在した人物で、原爆関係の実話をクリストファーノーラン監督が映画化したもの。鑑賞前にそれくらいの情報だけで挑みました。
実際、観てみると登場人物の数はかなり多いのですが、しっかり覚えていなくてもストーリーを楽しむことができました。きっと詳しく知っていたら、もっと興奮できるかもしれません。
回想シーンが沢山ありますが、演出が上手くて混乱することもなく、分かりやすくて良かったです。
実験のシーンは臨場感があったし、アインシュタインの登場シーンも印象に残ります。
当時の政府の深い闇について考えさせられました。スパイが存在していて、登場人物が騙されていたことが描かれています。
日本の原爆についてどのような見解を持っていたとしても、J・ロバート・オッペンハイマー視点で描かれているので、整合性が取れるように作られていました。
アメリカ政府が技術力を世界に誇りたいがために捏造した(大日本帝国において仁科博士が完成させた原爆を地上起爆させたという陰謀)と考えて鑑賞したとしても、公式発表の通りアメリカで完成した原爆を日本に運んで空中爆発させたことを疑わずに観たとしても楽しめる内容になっていて、見事な脚本だと思います。
戦中・戦後の当時の雰囲気や人々の会話・表情も見ごたえがあり、キリアン・マーフィの圧倒的な演技力に魅せられました。
恐ろしく難解、かつハイスピードな社会派
ここまでスピード感のある社会派の作品を観たことがない。
恐ろしいスピードで描かれるオッペンハイマーの原爆製作までの道程と、その後の顛末。
大前提として、オッペンハイマーが原爆製作後に罪悪感を抱えていた、という心象があって成立している。
原爆製作は科学者として、他国の先を行きたい、と思って突き進んだ結果であると。
先を見る、ということができていなかった彼は、原爆の成果から水爆は作ってはいけないと判断していたと。
ドイツやソ連といった明確な敵国が存在していたからこその軍拡だが、日本はそこにたまたまいた、厄介な島国に過ぎない。
原爆を落とさずして日本に勝利することはできたのか。
もちろん、勝利はできた。だが米兵の犠牲は増えただろう。圧倒的な軍事力を見せつけるだけなら、近海に落とした上で降伏を促す術もあったのでは、と考えるが、そこは戦争。しっかりと犠牲を産んで、事を納めたわけだ。
後半の裁判のような展開も、何となく分かるが、ほぼ分からない。
役者の芝居と音楽で、引っ張っているにすぎない。この辺りは、ソーシャルネットワークの展開にも似ており、スピード感のある編集で飽きさせずに保たせている。
ロバートダウニーJrが素晴らしいが、なぜ彼を貶めるような流れになってしまったのか、がイマイチ伝わりきらず、ストーリーとしては半煮えな印象。
総じて素晴らしいデキだし、傑作であることに間違いないが、反核ではなく、独りの男の苦悩を描いた作品として描かれていることに、日本人は物足りなさを感じてしまうのだろう。
プロジェクトXではないので、フィクションとして描かれる史実に、足りない描写があるとすればそれは、意図に対して不必要だったからにすぎない。
ちゃんと公開し、正当な広告がうてていれば、日本ではまた違った流れができていたに違いない。
長いが、あっという間。是非多くの日本人に観ていただきたい。何ならアメリカ人と一緒に観て意見交換するのも、楽しいだろうな。
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