オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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ムズっ
登場人物が多すぎるから1回観ただけでは、ちんぷんかんぷん
アメリカのドラマや映画でよく見かけることだけど、時にはファーストネームで呼んだり、ニックネームで呼んだりミドルネームで呼んだりして更にちんぷんかんぷん
物理学に長けていないと、難しい内容はちんぷんかんぷん
現在かと思えば過去にタイムスリップ?モノクロとカラーで分けているとは言えちんぷんかんぷん
悪い映画ではないけれど、理解するためにもう1度観よう!とは思わない映画だった
ただいくつか分かったことはある
①実際にはこの言葉は使われてはいないのだけれど、アメリカ人にとっては
日本人=ジャップ=奴隷=56しても良い存在
つまり、未だに差別と侮蔑を当然のように浴びせている黒人達と同じレベルの民族なんだということ
②国というものは、国家に忠誠を誓っていても、都合が悪くなれば平気で『斬る』ということ
③原爆の開発者(オッペンハイマー)は、日本にそれが落とされたことに、かなりの責任を感じ、悩み、後悔していたこと
④投下する都市は、なんとも適当に選出等がなされていたこと
⑤原爆投下が戦争をやめさせるために使ったというのは建前でしかなかったこと
⑥多くのアメリカ人は、当時も今も原爆投下に後悔の念すら持っていないこと
⑦アメリカにも『ヤラセ』『茶番劇』があり、周囲はそれを分かっていて罰する側にいとも簡単になり下がること等
アカデミー賞は、そのアメリカ的な発想から授ける「太鼓判」であり、「お墨付き」であることを、特に日本人は感じないと今後も奴隷対応されてしまうだろう
この作品はアカデミー賞を●●個ノミネートされ、◆◆個受賞したから凄いんだ!なんて短絡的に捉えていていいのかな?
世界はこの映画の何に絶賛を送ったのだろう?
アメリカ人以外に本音を是非聞いてみたい‼️
▲広島・長崎のむごたらしい映像を微塵も出さずに、戦争の無意味さ悲惨さを訴えた作品だから?
▲前代未聞の悪魔の兵器を使った相手国に対して、日本人の多くが心の底からがリスペクトしているというその恐るべき洗脳力の高さ??
▲クリストファー・ノーランの匠なカメラワーク?
▲1人だけでも十分に主役をはれるメンバーを大勢集めておきながら、彼等で脇役を固めたこと?
▲主演&助演の男優達の演技力?(微妙)
▲緊迫したシーンを、観客がまるで体感しているかのような臨場感溢れる持っていき方?
原爆の父の苦悩とスパイ疑義…
オッペンハイマーの人物像、史実を知らなかったので、ノーラン監督のいつもながらの時系列の交錯や、登場人物の多さ、早口の会話の応酬、緊張感を煽るような大音量と不気味な音に狼狽えながら、何となく理解はできた。アメリカ側の視点で描かれた映画なので当然日本人が見たら賛否はあるだろう。原爆を開発してから、その後苦悩に至るまでの原爆の悲惨さ、惨状の描写が圧倒的に少ないので、苦悩を描くという点と水爆反対に至るまで、その深さだったり、時間だったりが足りていないと思う。敢えて描かずとも、その惨状は知っているだろうと、それは前提、当然だと言われている気もするが。オッペンハイマーが原爆を作ったことで世界の破壊者という言い方ができるかも知れないが、作らずともソ連の科学者が作ったかもしれない。新たな水爆を作るより、地球滅亡には十分な威力のある原爆を管理する体制を作る彼の理想は形は違えど、冷戦を経て、抑止の為に核保有国が増えたが、結果的には地球滅亡を意味する核戦争には至っていない。しかし、結局戦争や紛争は無くなってない。映画でもあるように兵器を作るのは科学者でも、それを実行するのは政治家であり、いつ何時、その政治家が判断を下すのか分からない危険性が常にある。ノーラン監督が伝えたかったのは分断化が進むことで危険性が更に増す現代への警鐘なのかもしれない。
クリストファーノーランね
テネットとかの人ね、
時間軸をあっちこっちさせたいのね
もう途中で誰が誰かわからないからWikipediaとかで調べながら観てしまった。
核兵器ないし兵器は
世界を滅亡させるっていうメッセージは十分に感じられたからまぁこれは過去の起きてしまった原爆がどうしたとかの映画ではなくて、未来に向けての映画だなと
伝記というか
(オッペンハイマーがむしろかわいそう?このための題材になっただけで、戦争に関わった名の知れた人なら誰でも良かった感がある。インパクトが強い人が題材になっただけ?
アホな支配層の思惑に、保身のためだけの人間に、その時の愚かな行動や思想に、流されただけの人間に、人類はいつでも滅亡する危機にあるっていう警告映画なのかなと思った
エロ要素なければいいのに、
でもこんな下の弱いただの一人の人間が人類を滅亡させるかもしれないっていうのを言いたいのかな。
凡人とは違う世界の天才的な人物が何かを起こすんじゃなくて、わたしたちと変わらないただの人がってね。
わからんけども
国を愛する心が野心に変わるとき人は何を思うのだろうか・・・
地球を覆う無数のキノコ雲。地球の表面が真っ赤に染まっていく。映画の冒頭と終焉で出現するこの映像に人類はボタンを一押しするだけで人類を死滅させうる機械装置を作ってしまったことを実感させられてしまう。科学者だけに限ることはないが存在否認され続けると認めてくれぬ相手を殺したくなってしまう。能力評価が曖昧な狭い世界では起こるべくして起こる現象なのだ。そして、量子力学というまだ未開とされている分野が戦争によって過大に評価されることになってしまった。科学技術の進歩は人間にとって両刃の刃。幸せにもするし不幸にもする。科学者は人間はどこまで賢くなれるかを追求し、政治家は人間はどこまで愚かになれるのかを見極めなくてはならない。アメリカは若い国。とてつもなくバランスが悪いのだ。若すぎるからといってなにをしても良いと言うわけではない。しかしあまりにも幼すぎたようだ。オッペンハイマーは苦悩するわけではなく自ら作り出したこの機械装置をコントロールする術を明快に理解しそれを実行に移そうと苦闘する姿勢を貫こうとしていただけなのだろう。その意思を受け継ぐ者はアメリカという国に存在しうるのだろうか。
僕たちは尋常でない時代を生きている。
そんなにことを痛感させられてしまった。
ドキュメンタリーのほうが役に立つ
正直 展開が早くて人物像にも追いついていけない有り様。
耳で吹替 目で字幕を追ってみても何が言いたかったのか ようわからん。
深く考えず、流れのまま 上っ面だけ鑑賞するぶんにはいいのかも。
しかし 何を 誰が どう描こうが 日本国を物のように扱うのは いたたまれない。
そんな作品。
良作は口に苦し。
SEXシーンの必要性
超駄作でした。星ゼロです。
ロスアラモスに原爆製造の為の街を作ったり、科学者を集めたりする迄に、延々と50分掛かります。
それまでは共産党の党集会とか、SEXシーンとか、真面目に原爆目的で見ている大半の視聴者にとって、どうでも良いであろう無駄なシーンや極めてつまらない内容が続きます。
グダグダ長いだけならまだしも、本作ではノーランの欠点が全開になっており、3つの時間軸が超断片的にごちゃ混ぜで進行するので、見るに耐えないレベルの自己満足的編集の酷さに見ていてストレスが溜まります。
更に、その3つの時間軸の描き分けが下手で、どの時間軸でも役者の見た目がほぼ同じで老けメイクの質が低く、白髪位しか差が無いので、白黒/カラー映像と毛髪の色しか差が無く、シーンの切替の度にどの時代に飛んだのか、一瞬どれがどれか分かり辛くて混乱してきます。
アイソトープとかの用語も説明無しで当たり前に出て来る為、ある程度、関連用語やオッペンハイマーの生涯を知った上で見ないと意味が分からない可能性が高いです。
女性をヌードにする必要性の無い映画でわざわざSEXシーンを入れている時点で、監督にとって被爆した側の気持ちなど理解したり寄り添ったりする気はさらさら無く、所詮、原爆が結果的により多くの命をを救ったという、いつもの自国正当化プロパガンダ兼娯楽映画だなという悪い印象しかありません。
衝撃の瞬間とかのドキュメンタリーの方が、遥かに分かり易く公平に原爆製造の歴史を描いていて、短時間でなお且つ内容が濃いです。
この映画が描くべきことはこんなことか?
オッペンハイマーを主題としている映画であり、それ以上でもそれ以下でもない。
オッペンハイマーを描くにあたり原爆の悲惨さを描く必要はないが、この映画が扱うべきテーマとしてはかなり矮小なものだった感は否めない。
オッペンハイマーに対してしょうもない理由で復讐する男との戦いみたいなしょうもない話を3時間もかけてやる必要があるのか?
物語の軸
1954年、原爆の父オッペンハイマーは、共産主義者と疑われる。理論物理学で若くして著名な研究者となった彼は、ナチスドイツより先に原爆を開発するためのリーダーに抜擢される。ドイツ降伏後も開発は続行され、ついに完成した原爆は日本に二度投下される。
日本での公開に物議が醸し出され、遅れて公開されました。確かに、広島長崎の地獄の描写が無いことに違和感があります。そして原爆開発後にひどく苦悩する姿が、物語のクライマックスや主軸になるのかと思いました。しかしそれは、戦後に彼は共産主義者かどうか、という聴聞会の様子でした。日本人からの視点では、つまらないと言えるかもしれません。
ところで、物語は時系列が前後して把握するのがちょっと大変。共産よりのところもある女たらしのオッペンハイマーは、アインシュタインら先人が持っていた慧眼を持っていなかったということか。
出演陣が豪華で、しかも誰だかわからないそうだったのかという人も。
量子力学をずっと描いてきての集大成。
ようやく…
AmazonPrimeで吹替版で観れました!
12月28日から観れるとワクワクしてたら、英語字幕のみという展開から…スピード対応で、先日ようやく鑑賞しました。
まず、家でゆっくり観れて良かった。
そして…
賛否両論で、なんだか不安な感じでの鑑賞スタート。
『インセプション』『インターステラー』『テネット』と『バットマン』とSF作品が多かった大好きなノーラン監督。
ここにきて、伝記??という不安。
『ダンケルク』もあるので…
史実でも大丈夫だと思いながら
挑む気持ちでした。
広島にも長く住んでたので
『核兵器』への思いもそれなりにある方ではあるんですが…
まず…感想として
クリストファーノーランの集大成な作品だと思いました。
ノーラン監督は、ずっーーと
『量子力学』について描いてきたんではないかと思います。
どの映画にも根底には量子のもつれのようなものが感じられ。
テネットでの量子力学の語り口などから、集大成かと思いきや
この角度で、オッペンハイマーという人物を解体して再構築するという、映画そのものがオッペンハイマーとなるような、凄い映画でした。
ホントに、核融合、核分裂は
間違うと世界を燃やし続けてしまうような事態になってしまう。
そのギリギリを、計算式と実験でここまできてるが…
すでに
あれから、数十年後の今
アインシュタインもオッペンハイマーもいないが
量子力学や、量子のもつれは研究され続けてる。
セルンの量子加速器は稼働してる。
反物質も作られる。
でも…
科学者がたどり着きたいのは、さらにその先の宇宙の仕組み。
そこがわかるからこその
この映画の奥深さは、どれほどのヒトが理解できるのだろう。
まさに、脳がフル稼働する
心地よい脳疲労を感じられる映画だっただけに、アカデミー賞受賞も納得の作品でした。
評価が難しい
自分は、社会科教師をしており、歴史に対する見方では一歩踏み込んでいるので、この映画の評価は微妙で分かれるだろうなと感じた。米国でも、「あの原爆投下は不必要だった」という言説が少し広がっているらしい。トルーマンが、上陸作戦をした場合の米兵を守るためという嘘を流したのは有名な話だが、実際はWWⅡ以降の世界の覇権争いを有利に進めるためで、2発の原爆はウラン型とプルトニウム型の二つの種類を試すためというのが真相だろう。(映画では、1発目は衝撃を与え、2発目は降伏しないと落とし続けるためとの説明)この映画は、どうやら戦後に原爆や水爆を製造する情報がソ連に漏洩してしまい、誰がスパイだったかを特定する査問会が中心になっており、そこに主人公の民の視点を大切にする共産主義への傾倒、女性問題、物理学者としての苦悩などが描かれている。
実際、ソ連側に情報を提供したのは、帝国主義的なアメリカに核兵器が一極集中することの危うさを感じたという記述を見たこともあるし、また、ロスチャイルド家を中心とするディープステイトが、ウランを抑え、ソ連への情報漏洩を手助けすることで、米ソの核開発競争を促し、ウランの需要を吊り上げぼろ儲けするためという情報を見たこともある。
自分も、あのWWⅡの悲惨さから出発して、何故、戦争がなくならないかを考え始めた。戦争が一番お金が儲かるからであって、政府、財界、マスコミが結託して、相手を過大に恐れるような情報を流し、戦争に誘導して、軍備拡張し、したからにはどこかで使用するからって思っている。そのように世界はできているのだ。
今、日本は反戦だけでなく、如何にしてその罠に陥らず、諸国民が共存共栄できるかを考えていく必要があると思っている。そのためには、世界がどんな力学で動いているかを、理解しなければならない。
この映画は、自分からすると、米国のプロパガンダの一環であって、歴史的に多くの年月が過ぎた場合には、害のない情報であれば暴露して、その映画で少しばかりの反省のポーズをとって見せ、良識を示すふりをし、映画で金儲けするためにしか見えない。
凝ったつくり
日本人の私からしてみれば原爆を作ったオッペンハイマーの伝記など観たくもないのだが人間の心の闇を描き続けるノーラン監督だし、アカデミー賞でも話題になったので気にはなっていました。アマゾンで配信当初は字幕なしだったのが字幕がついたので観てみました。
オッペンハイマーはユダヤ人だし同じユダヤ人のアインシュタインとの交流シーンは見もの、原爆開発の動機がナチスに先を越される恐怖からというのも分かる気がします、日本は被爆国ではありますが日本軍も秘かに原爆開発を進めていたことは史実、終戦間際には朝鮮での核実験に成功していたそうですからひょっとしたら全く逆の加害者にもなっていたかもしれないので、米国を一方的に責める資格はないのかもと複雑な思いはあります。
以前、NHKで原爆開発のドキュメンタリーを観ていましたのでオッペンハイマーが戦後、水爆開発に反対し公職追放されたことなどは知っていました、本作も史実に基づいているのだろうと思いますが妻も不倫相手で更に結婚してからも不倫など私生活の裏面迄踏み込んでいるのは映画らしいですがB級映画のごとく必然性のないヌードやベッドシーンまでたっぷり入れているのにはどうなんでしょう、ノーラン監督ってそんな面があったのか意外でした。
映画は3つの時系列、2つの視点と凝ったつくり。意味不明な毒リンゴが出てくる奇妙な学生時代から原爆開発過程(~1945年)、スパイ容疑を受けた聴聞会(1954年)、アメリカ原子力委員会委員長ルイス・ストローズの公聴会(1959年)という3つの時系列が交錯するかたちで展開しますのでちょっとわかりづらいしオッペンハイマーの一人称で書かれた場面はカラーで、オッペンハイマーの“宿敵”ストローズの視点を描いた場面はモノクロで描かれていました。単なる伝記的再現ドラマを嫌ったノーラン監督らしい手法でしたが、3時間近い長尺が必要だったのかはちょっとわかりかねます・・。
世界を破壊する
正直映画館で観なくて良かった。
特に原爆実験が行われる前の前半は情報量が多く
スピード感ももの凄く早いので、
一度休憩して見る事にしました。
映画ではあるけど文系と言うより理系の頭がいると
思うのはクリストファーノーランの作品を観ていつも
思う事だけど、今作はその最たるもので
分からない人は置いて行きます感が半端なかった。
正直オッペンハイマーと言う名前もこの映画で知ったくらいで原爆の父が賞賛からどんな晩年を過ごしたかも知らないので、
後半の聴聞シーンなんかは何を見せようとしてれのかも
分からなかった。
ラストのアインシュタインの言葉でなんとなく分かった
のだけど、それでもこの3時間の映画を最後まで集中力を
途切らせずに見せる演出は流石としか言いようがない。
日本人として、いや地球人として原爆投下は断固反対、
どんな理由があったとしても受け入れられる物ではないが、原爆の父でありその主導者だった人物が、人間を大量に殺す兵器として開発したわけではなかった事は安心した。
自分の信じた学問の先に原爆があり、それが人を殺し
その先にはその数1000倍の水爆というものがある
と言うオッペンハイマーの苦しみが分かって観て良かったと思いました。
そして戦後の地球は凄いギリギリのバランスで保ってるのだなとゾッとしました。
「我は死なり、世界の破壊者なり」
監督脚本はクリストファー・ノーラン。
原爆開発者のオッペンハイマーの、フィクションをおり混ぜた伝記映画。
【ストーリー】
1954年。
アメリカを揺るがしたオッペンハイマー事件。
優秀な理論物理学者ロバート・オッペンハイマーによるソ連への情報提供疑惑。
そこで行われた聴聞会を軸に、オッペンハイマーの原爆開発にいたる半生を追う。
ユダヤ人として生まれた彼は、アインシュタインが発表した相対性理論を用いた新型爆弾の開発に、頭抜けたリーダーシップを発揮し、その優れた数学物理学能力すべてを注ぎこむ。
「我は死なり、世界の破壊者なり」
有名なトリニティ実験成功時の、オッペンハイマーが青白い顔でつぶやいたとされる、ヒンドゥー叙事詩『バガヴァッド・ギーター』の一節と言われています。
ヒンドゥー語の原書で読んでたって言語力がまずすごすぎなんですが。
この映画を理解するためには、まずアメリカ核開発事業だった"マンハッタン計画"について、知っておいた方がよいかと思います。
マンハッタン計画は、1942年に発足した、新型爆弾の開発計画です。
アインシュタインが提唱した『相対性理論』は、原子核の質量が膨大なエネルギーに変換される可能性を示唆した、現代科学文明の基礎にもなった非常に重要な理論でした。
「相対性理論を応用すれば、人類の兵器最大の超破壊力を生みだせる」
核兵器とか熱核爆弾とか称される、現在においても最大の破壊力をもつ兵器群であることは、日本人なら誰でも知っているでしょう。
理論実践でドイツがリードしていた核開発を逆転すべく、ルーズベルト大統領が莫大な金を投じて国内の優秀な物理学者を片っぱしから集めて、ニューメキシコ州のロスアラモスってなーんにもない場所に開発関係者タウンを丸ごと建設した、超巨大プロジェクトです。
どれぐらい超巨大かっていうと、最終的な合計金額が、アメリカの年間国家予算を大幅に超えたというから、あぜんとしますね。
集められたメンバーも超豪華で、この作品の主人公となったオッペンハイマーをはじめ、化学準備室の気になるギミックNo. 1・ボーア模型のニールス・ボーア、フェルミ推定のエンリコ・フェルミ、今ぼくらが使っているノイマン型コンピュータのフォン・ノイマン(この方、超天才)、スペースシャトル・チャレンジャー爆発事故の調査にも加わった"ファインマン物理学"のリチャード・ファインマンなどなど、その後のスター科学者がずらりと顔をそろえています。
天才たちの頭脳をフル回転させて遂行された、人類初の核爆発・トリニティ実験が成功、その後ガンバレル型と爆縮型、二つの原爆がわが日本国内の民間人生活地域に投下されたのは、みなさんもご存じのとおりです。
戦後、マンハッタン計画にお金使いすぎたのが発覚して、他のなんやかや逆風もあってトルーマン失脚しかけたとか。
どうにか復活すると、マッカーシーって上院議員の、ウソ大げさ紛らわしい言説で政敵や気に入らない人をアカ認定しては排除する"マッカーシズム"を利用して「赤狩り(レッドパージ)」を推進、オッペンハイマーへの聴聞会に発展するって本編のストーリーにつながります。
その質疑応答からオッペンハイマーの半生をふり返るというストーリー構成。
物理学や量子力学よりも、他の研究者との関係構築を撮ったものなので、特段物理の知識は必要ないかなーと。
「法廷劇が撮りたかった」
というノーランの言葉どおり、オッペンハイマーと原子力委員会の長ルイス・ストローズの対立を軸にストーリーはサスペンスフルに進みます。
クライマックスにさしかかると、耳が痛いほどの音圧をかけてくるノーラン演出に、手に汗握らずにはいられません。
その後科学開発のポジションから失脚したオッペンハイマーと、フーバーの腹心として国務長官にまで上りつめたストローズ、二人の表情は事実やそれ以後の経緯とは真逆の印象です。
自死した元恋人・ジーン・タトロックにまつわる疑惑も、特に根拠があるわけではない模様。
対立役をできるだけダーティに、主人公をなるべく無垢に作るのは、感情移入しやすくするための作劇テクニックでしょう。
原爆被害者の映像が無いことについては、ごく個人的には、核開発に主眼をおいたこの映画には、無用に思えます。
その後核兵器開発は加熱しますが、実際には使われないまま、80年が経ちました。
その80年をどう捉えるかはそれぞれ一家言あると思います。
核に限らず、殺傷兵器に対する議論は今後もつづけられるべきだ、とも。
↓マンハッタン計画こぼれ話↓
さてさて、若手研究者として計画に参加したファインマン、1965年にノーベル物理学賞を受賞。
この方多才で、その後『ご冗談をファインマンさん』などなど科学エッセイ本を発売してはベストセラーにかがやく、物理学者らしからぬ文才を発揮してます。
マンハッタン計画の話も書かれていて、映画では道化役だったファインマン、実生活でも本当にイタズラばっかりする人だったようで、当時の研究仲間たちの書斎のデスクのナンバーキーを、勝手に突破してたそう。
ある夜お酒の席で得意満面、
「あのカギはカンタンに開けられるから変えた方がいい。ぼかぁチミたちのダイヤル番号全部知ってる」
なんてポロッと話しちゃったそうです。
以降同僚たちから
「ファインマンをデスクに近づけるな」
という対策を取られちゃった。
そりゃそうなるよね。
原爆開発については、作中のとおりお互いに話すなっていう指令が出ていたものの、優秀な頭脳集団だから、みんな解ってたそうです。
そりゃそうだよね。
メンツで判るよ。
量子力学と核物理学の専門家多すぎだよね。
原爆の破滅的なイメージには、ファインマンも悩まされていて、車を運転しながら今この瞬間ソ連の核がアメリカに撃ちこまれて、目の前すべてが蒸発して無くなるんじゃないかという幻視で動けなくなったりしてたようです。
軍人や政治家は研究者をナイーブと非難しがち。
でもその威力を正確に理解できるからこそ、自分たちが「世界の破壊者」となってしまう恐怖に怯えるのです。
理解しようよ。
特に政治家のみなさんは、戦争を語る場面においては、兵器の威力についてきちんと勉強してほしいです。
オッペンハイマーに「泣き虫科学者め!」と吐きすてたトルーマンですが、朝鮮戦争のさいには、国連軍司令官となったマッカーサー(日本人におなじみで、マッカーシーじゃないほう)が「核使おうよ。使って敵をやっつけちゃおうよ」と核使用を強硬に推してきたのを却下、解任しています。
水爆の開発も進めてはいますが、公民権運動を推し進めたのもこの人。
そこそこいい政治家なんですよ、内政の面では。赤狩りとかやらかしてますけど。
日本への核投下を許す気持ちにはなりませんが、守備一貫して核使用の決断を正当化しつづけたのは、政治家としては正しいんでしょう。
色々脱線しましたが、科学者を主人公にした伝記としても、法廷を舞台にしたサスペンスとしても、非常によくできた映画です。
日本人として、そして映画ファンとして、みんなに見てもらいたい3時間のフィルムでした。
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