オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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『オッペンハイマー』ようやく観た。「原爆についてゼロベースで考えさ...
『オッペンハイマー』ようやく観た。「原爆についてゼロベースで考えさせてくれる良作」というレビューが1番しっくり来た。日本人こそ観るべき作品。
自分はしっかりと予習をしてから観たので、そこまで置いてかれる事なく最後まで観れた。自分が育った環境上、日本人の視点以外からWWⅡや原爆について考える機会が何度かあったのだが、我々が学校やメディアを通じて得た情報や感じた印象は、その事の是非は兎も角、如何に偏っているかが分かる。
事が事なので、感情論に引っ張られて原爆について考えを及ばせる機会が若い世代になるにつれてどんどん少なくなっているように感じる。ただ原爆を広島や長崎に落とした事に対して怒りを向けるのではなく、何故その様な悍ましい行為をせざるを得なかったのか、
時には原爆を落とされた被害者としてではなく、冷静に客観的に
凄まじい真実
この作品そのものが問うている内容は非常にシンプルで根源的なものだが、物語の背景に複雑さを与え、尚且つ原爆というものの開発に対する問題定義をしていることで、非常に難解な物語になっている。
おそらく2度見なければわからないことがたくさんあるが、3時間もある。
冒頭からモノトーンとカラーの映像が入り混じり、その様子も全く違うことから、一つが物語の主軸でもう一つがその後の裁判(聴聞会)となっているのがわかる。
オッペンハイマーがアインシュタインに話したこと、それは「我々が引き起こした」と言葉を途切れさせている。
これはその後に続く新しい戦争の形 核戦争を意味している。
科学者たちが想像した抑止力という概念
それは、原爆の開発が終わったのでロスアラモスの地を原住民に返却すると考えていた。
しかし政府は次期爆弾の開発場所として再利用することを決定する。
これが科学者と政府との考え方の大きな違い。
特に聴聞会でのやり取りはひどいもので、実際の人物であるストローズの人間性には反吐が出るが、これがアメリカ社会の実態であることをこの作品は伝えている。
私的な復讐
そしてほとんどの人間がしている「自分のため」の行動
日本の作品「太陽の子」 アメリカとの開発力の大きさは歴然過ぎるほど違った。
良心の呵責と科学という盲目
太陽の子ではアインシュタインの言葉を用いて、人類はこのまま科学を推進していくというようなことを語っていた。
この作品でアインシュタインは、オッペンハイマーに科学技術の発展を託した。
アインシュタインが最後まで信じなかった量子物理学 「神はサイコロを振らない」
これは光の性質を表す波と粒
さて、
純粋な科学者であったであろうオッペンハイマー
国の命令で開発した原爆
これがあれば水爆など簡単
当初予想した抑止力だったが、「あれば必ず使う」という事実
英雄と悪魔の表裏一体感
私的理由で彼を貶めたストローズ
この彼の策略と原爆開発が交互に流れる。
やがてわかってくる聴聞会の意味
しかし、
ようやく完成した爆弾をトリニティ実験場で成功させた数日に広島に原爆投下がされた驚愕の事実。
トルーマンがどれだけ原爆を使いたかったのかが窺い知れる。
その時脳裏をかすめたのが、この世界すべてが破壊されてしまうのではないかという危惧。
なのにあんなに近くで見守っていて大丈夫なの?
彼が最後のシーンでアインシュタインに言った言葉こそ、アメリカ政府が言うべき言葉なのではないかと思う。
当時からアメリカ政府はそれが正しかったと国民を洗脳した。
憶えているだろうか、広島か長崎の追悼式に参加したオバマ、彼は原爆投下の式典で拍手したのに対しプーチンは十字を切った。
これがアメリカの常識、正義と正当性だった。
しかしこの作品はそれに意義を唱えているように感じた。
科学はもしかしたら世界を破滅に向かわせるものなのかもしれないと。
オッペンハイマーのこの気づきに対するストローズの思惑とは、いったいどれだけ小さいのだろうか。
しかしストローズの言った「彼らは自分のためにやっている」というのもまた真実だ。
これが「いまだけ、金だけ、自分だけ」なのだろう。
オッペンハイマーの妻が受賞席で聴聞会で裏切ったあの男に唾を吐きかけなかったのは、「価値がない」からだろう。
このほとんどがノンフィクションということだが、監督は非常によくまとめたと思う。
確かに価値基準は時代によって変化し、正邪についても同じかもしれない。
しかし、「それ」はいったい何だったのかということをもう一度問うというのは非常に大切なことかもしれない。
この作品がアメリカから出たということが素晴らしかった。
是非オバマ君にも見てもらいたい。
ムズっ
登場人物が多すぎるから1回観ただけでは、ちんぷんかんぷん
アメリカのドラマや映画でよく見かけることだけど、時にはファーストネームで呼んだり、ニックネームで呼んだりミドルネームで呼んだりして更にちんぷんかんぷん
物理学に長けていないと、難しい内容はちんぷんかんぷん
現在かと思えば過去にタイムスリップ?モノクロとカラーで分けているとは言えちんぷんかんぷん
悪い映画ではないけれど、理解するためにもう1度観よう!とは思わない映画だった
ただいくつか分かったことはある
①実際にはこの言葉は使われてはいないのだけれど、アメリカ人にとっては
日本人=ジャップ=奴隷=56しても良い存在
つまり、未だに差別と侮蔑を当然のように浴びせている黒人達と同じレベルの民族なんだということ
②国というものは、国家に忠誠を誓っていても、都合が悪くなれば平気で『斬る』ということ
③原爆の開発者(オッペンハイマー)は、日本にそれが落とされたことに、かなりの責任を感じ、悩み、後悔していたこと
④投下する都市は、なんとも適当に選出等がなされていたこと
⑤原爆投下が戦争をやめさせるために使ったというのは建前でしかなかったこと
⑥多くのアメリカ人は、当時も今も原爆投下に後悔の念すら持っていないこと
⑦アメリカにも『ヤラセ』『茶番劇』があり、周囲はそれを分かっていて罰する側にいとも簡単になり下がること等
アカデミー賞は、そのアメリカ的な発想から授ける「太鼓判」であり、「お墨付き」であることを、特に日本人は感じないと今後も奴隷対応されてしまうだろう
この作品はアカデミー賞を●●個ノミネートされ、◆◆個受賞したから凄いんだ!なんて短絡的に捉えていていいのかな?
世界はこの映画の何に絶賛を送ったのだろう?
アメリカ人以外に本音を是非聞いてみたい‼️
▲広島・長崎のむごたらしい映像を微塵も出さずに、戦争の無意味さ悲惨さを訴えた作品だから?
▲前代未聞の悪魔の兵器を使った相手国に対して、日本人の多くが心の底からがリスペクトしているというその恐るべき洗脳力の高さ??
▲クリストファー・ノーランの匠なカメラワーク?
▲1人だけでも十分に主役をはれるメンバーを大勢集めておきながら、彼等で脇役を固めたこと?
▲主演&助演の男優達の演技力?(微妙)
▲緊迫したシーンを、観客がまるで体感しているかのような臨場感溢れる持っていき方?
原爆の父の苦悩とスパイ疑義…
オッペンハイマーの人物像、史実を知らなかったので、ノーラン監督のいつもながらの時系列の交錯や、登場人物の多さ、早口の会話の応酬、緊張感を煽るような大音量と不気味な音に狼狽えながら、何となく理解はできた。アメリカ側の視点で描かれた映画なので当然日本人が見たら賛否はあるだろう。原爆を開発してから、その後苦悩に至るまでの原爆の悲惨さ、惨状の描写が圧倒的に少ないので、苦悩を描くという点と水爆反対に至るまで、その深さだったり、時間だったりが足りていないと思う。敢えて描かずとも、その惨状は知っているだろうと、それは前提、当然だと言われている気もするが。オッペンハイマーが原爆を作ったことで世界の破壊者という言い方ができるかも知れないが、作らずともソ連の科学者が作ったかもしれない。新たな水爆を作るより、地球滅亡には十分な威力のある原爆を管理する体制を作る彼の理想は形は違えど、冷戦を経て、抑止の為に核保有国が増えたが、結果的には地球滅亡を意味する核戦争には至っていない。しかし、結局戦争や紛争は無くなってない。映画でもあるように兵器を作るのは科学者でも、それを実行するのは政治家であり、いつ何時、その政治家が判断を下すのか分からない危険性が常にある。ノーラン監督が伝えたかったのは分断化が進むことで危険性が更に増す現代への警鐘なのかもしれない。
クリストファーノーランね
テネットとかの人ね、
時間軸をあっちこっちさせたいのね
もう途中で誰が誰かわからないからWikipediaとかで調べながら観てしまった。
核兵器ないし兵器は
世界を滅亡させるっていうメッセージは十分に感じられたからまぁこれは過去の起きてしまった原爆がどうしたとかの映画ではなくて、未来に向けての映画だなと
伝記というか
(オッペンハイマーがむしろかわいそう?このための題材になっただけで、戦争に関わった名の知れた人なら誰でも良かった感がある。インパクトが強い人が題材になっただけ?
アホな支配層の思惑に、保身のためだけの人間に、その時の愚かな行動や思想に、流されただけの人間に、人類はいつでも滅亡する危機にあるっていう警告映画なのかなと思った
エロ要素なければいいのに、
でもこんな下の弱いただの一人の人間が人類を滅亡させるかもしれないっていうのを言いたいのかな。
凡人とは違う世界の天才的な人物が何かを起こすんじゃなくて、わたしたちと変わらないただの人がってね。
わからんけども
国を愛する心が野心に変わるとき人は何を思うのだろうか・・・
地球を覆う無数のキノコ雲。地球の表面が真っ赤に染まっていく。映画の冒頭と終焉で出現するこの映像に人類はボタンを一押しするだけで人類を死滅させうる機械装置を作ってしまったことを実感させられてしまう。科学者だけに限ることはないが存在否認され続けると認めてくれぬ相手を殺したくなってしまう。能力評価が曖昧な狭い世界では起こるべくして起こる現象なのだ。そして、量子力学というまだ未開とされている分野が戦争によって過大に評価されることになってしまった。科学技術の進歩は人間にとって両刃の刃。幸せにもするし不幸にもする。科学者は人間はどこまで賢くなれるかを追求し、政治家は人間はどこまで愚かになれるのかを見極めなくてはならない。アメリカは若い国。とてつもなくバランスが悪いのだ。若すぎるからといってなにをしても良いと言うわけではない。しかしあまりにも幼すぎたようだ。オッペンハイマーは苦悩するわけではなく自ら作り出したこの機械装置をコントロールする術を明快に理解しそれを実行に移そうと苦闘する姿勢を貫こうとしていただけなのだろう。その意思を受け継ぐ者はアメリカという国に存在しうるのだろうか。
僕たちは尋常でない時代を生きている。
そんなにことを痛感させられてしまった。
ドキュメンタリーのほうが役に立つ
正直 展開が早くて人物像にも追いついていけない有り様。
耳で吹替 目で字幕を追ってみても何が言いたかったのか ようわからん。
深く考えず、流れのまま 上っ面だけ鑑賞するぶんにはいいのかも。
しかし 何を 誰が どう描こうが 日本国を物のように扱うのは いたたまれない。
そんな作品。
良作は口に苦し。
SEXシーンの必要性
超駄作でした。星ゼロです。
ロスアラモスに原爆製造の為の街を作ったり、科学者を集めたりする迄に、延々と50分掛かります。
それまでは共産党の党集会とか、SEXシーンとか、真面目に原爆目的で見ている大半の視聴者にとって、どうでも良いであろう無駄なシーンや極めてつまらない内容が続きます。
グダグダ長いだけならまだしも、本作ではノーランの欠点が全開になっており、3つの時間軸が超断片的にごちゃ混ぜで進行するので、見るに耐えないレベルの自己満足的編集の酷さに見ていてストレスが溜まります。
更に、その3つの時間軸の描き分けが下手で、どの時間軸でも役者の見た目がほぼ同じで老けメイクの質が低く、白髪位しか差が無いので、白黒/カラー映像と毛髪の色しか差が無く、シーンの切替の度にどの時代に飛んだのか、一瞬どれがどれか分かり辛くて混乱してきます。
アイソトープとかの用語も説明無しで当たり前に出て来る為、ある程度、関連用語やオッペンハイマーの生涯を知った上で見ないと意味が分からない可能性が高いです。
女性をヌードにする必要性の無い映画でわざわざSEXシーンを入れている時点で、監督にとって被爆した側の気持ちなど理解したり寄り添ったりする気はさらさら無く、所詮、原爆が結果的により多くの命をを救ったという、いつもの自国正当化プロパガンダ兼娯楽映画だなという悪い印象しかありません。
衝撃の瞬間とかのドキュメンタリーの方が、遥かに分かり易く公平に原爆製造の歴史を描いていて、短時間でなお且つ内容が濃いです。
この映画が描くべきことはこんなことか?
オッペンハイマーを主題としている映画であり、それ以上でもそれ以下でもない。
オッペンハイマーを描くにあたり原爆の悲惨さを描く必要はないが、この映画が扱うべきテーマとしてはかなり矮小なものだった感は否めない。
オッペンハイマーに対してしょうもない理由で復讐する男との戦いみたいなしょうもない話を3時間もかけてやる必要があるのか?
物語の軸
1954年、原爆の父オッペンハイマーは、共産主義者と疑われる。理論物理学で若くして著名な研究者となった彼は、ナチスドイツより先に原爆を開発するためのリーダーに抜擢される。ドイツ降伏後も開発は続行され、ついに完成した原爆は日本に二度投下される。
日本での公開に物議が醸し出され、遅れて公開されました。確かに、広島長崎の地獄の描写が無いことに違和感があります。そして原爆開発後にひどく苦悩する姿が、物語のクライマックスや主軸になるのかと思いました。しかしそれは、戦後に彼は共産主義者かどうか、という聴聞会の様子でした。日本人からの視点では、つまらないと言えるかもしれません。
ところで、物語は時系列が前後して把握するのがちょっと大変。共産よりのところもある女たらしのオッペンハイマーは、アインシュタインら先人が持っていた慧眼を持っていなかったということか。
出演陣が豪華で、しかも誰だかわからないそうだったのかという人も。
量子力学をずっと描いてきての集大成。
ようやく…
AmazonPrimeで吹替版で観れました!
12月28日から観れるとワクワクしてたら、英語字幕のみという展開から…スピード対応で、先日ようやく鑑賞しました。
まず、家でゆっくり観れて良かった。
そして…
賛否両論で、なんだか不安な感じでの鑑賞スタート。
『インセプション』『インターステラー』『テネット』と『バットマン』とSF作品が多かった大好きなノーラン監督。
ここにきて、伝記??という不安。
『ダンケルク』もあるので…
史実でも大丈夫だと思いながら
挑む気持ちでした。
広島にも長く住んでたので
『核兵器』への思いもそれなりにある方ではあるんですが…
まず…感想として
クリストファーノーランの集大成な作品だと思いました。
ノーラン監督は、ずっーーと
『量子力学』について描いてきたんではないかと思います。
どの映画にも根底には量子のもつれのようなものが感じられ。
テネットでの量子力学の語り口などから、集大成かと思いきや
この角度で、オッペンハイマーという人物を解体して再構築するという、映画そのものがオッペンハイマーとなるような、凄い映画でした。
ホントに、核融合、核分裂は
間違うと世界を燃やし続けてしまうような事態になってしまう。
そのギリギリを、計算式と実験でここまできてるが…
すでに
あれから、数十年後の今
アインシュタインもオッペンハイマーもいないが
量子力学や、量子のもつれは研究され続けてる。
セルンの量子加速器は稼働してる。
反物質も作られる。
でも…
科学者がたどり着きたいのは、さらにその先の宇宙の仕組み。
そこがわかるからこその
この映画の奥深さは、どれほどのヒトが理解できるのだろう。
まさに、脳がフル稼働する
心地よい脳疲労を感じられる映画だっただけに、アカデミー賞受賞も納得の作品でした。
評価が難しい
自分は、社会科教師をしており、歴史に対する見方では一歩踏み込んでいるので、この映画の評価は微妙で分かれるだろうなと感じた。米国でも、「あの原爆投下は不必要だった」という言説が少し広がっているらしい。トルーマンが、上陸作戦をした場合の米兵を守るためという嘘を流したのは有名な話だが、実際はWWⅡ以降の世界の覇権争いを有利に進めるためで、2発の原爆はウラン型とプルトニウム型の二つの種類を試すためというのが真相だろう。(映画では、1発目は衝撃を与え、2発目は降伏しないと落とし続けるためとの説明)この映画は、どうやら戦後に原爆や水爆を製造する情報がソ連に漏洩してしまい、誰がスパイだったかを特定する査問会が中心になっており、そこに主人公の民の視点を大切にする共産主義への傾倒、女性問題、物理学者としての苦悩などが描かれている。
実際、ソ連側に情報を提供したのは、帝国主義的なアメリカに核兵器が一極集中することの危うさを感じたという記述を見たこともあるし、また、ロスチャイルド家を中心とするディープステイトが、ウランを抑え、ソ連への情報漏洩を手助けすることで、米ソの核開発競争を促し、ウランの需要を吊り上げぼろ儲けするためという情報を見たこともある。
自分も、あのWWⅡの悲惨さから出発して、何故、戦争がなくならないかを考え始めた。戦争が一番お金が儲かるからであって、政府、財界、マスコミが結託して、相手を過大に恐れるような情報を流し、戦争に誘導して、軍備拡張し、したからにはどこかで使用するからって思っている。そのように世界はできているのだ。
今、日本は反戦だけでなく、如何にしてその罠に陥らず、諸国民が共存共栄できるかを考えていく必要があると思っている。そのためには、世界がどんな力学で動いているかを、理解しなければならない。
この映画は、自分からすると、米国のプロパガンダの一環であって、歴史的に多くの年月が過ぎた場合には、害のない情報であれば暴露して、その映画で少しばかりの反省のポーズをとって見せ、良識を示すふりをし、映画で金儲けするためにしか見えない。
凝ったつくり
日本人の私からしてみれば原爆を作ったオッペンハイマーの伝記など観たくもないのだが人間の心の闇を描き続けるノーラン監督だし、アカデミー賞でも話題になったので気にはなっていました。アマゾンで配信当初は字幕なしだったのが字幕がついたので観てみました。
オッペンハイマーはユダヤ人だし同じユダヤ人のアインシュタインとの交流シーンは見もの、原爆開発の動機がナチスに先を越される恐怖からというのも分かる気がします、日本は被爆国ではありますが日本軍も秘かに原爆開発を進めていたことは史実、終戦間際には朝鮮での核実験に成功していたそうですからひょっとしたら全く逆の加害者にもなっていたかもしれないので、米国を一方的に責める資格はないのかもと複雑な思いはあります。
以前、NHKで原爆開発のドキュメンタリーを観ていましたのでオッペンハイマーが戦後、水爆開発に反対し公職追放されたことなどは知っていました、本作も史実に基づいているのだろうと思いますが妻も不倫相手で更に結婚してからも不倫など私生活の裏面迄踏み込んでいるのは映画らしいですがB級映画のごとく必然性のないヌードやベッドシーンまでたっぷり入れているのにはどうなんでしょう、ノーラン監督ってそんな面があったのか意外でした。
映画は3つの時系列、2つの視点と凝ったつくり。意味不明な毒リンゴが出てくる奇妙な学生時代から原爆開発過程(~1945年)、スパイ容疑を受けた聴聞会(1954年)、アメリカ原子力委員会委員長ルイス・ストローズの公聴会(1959年)という3つの時系列が交錯するかたちで展開しますのでちょっとわかりづらいしオッペンハイマーの一人称で書かれた場面はカラーで、オッペンハイマーの“宿敵”ストローズの視点を描いた場面はモノクロで描かれていました。単なる伝記的再現ドラマを嫌ったノーラン監督らしい手法でしたが、3時間近い長尺が必要だったのかはちょっとわかりかねます・・。
全941件中、41~60件目を表示