オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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天才科学者と凡人政治屋の確執を描いた物語
原爆の父・オッペンハイマーを題材とした作品。昨年7月の全米公開からどのように描かれているのか、観客はどんな反応だったのか、日本人として非常に興味を持って見ていました。全米公開からずいぶんと日が経ちましたが、アカデミー賞7部門受賞とも相まって期待が膨らみ、公開後すぐに映画館で鑑賞しました。
鑑賞前に改めてロバート・オッペンハイマーとルイス・ストロースについて予習してから劇場に向かったのですが、この映画は3つの時系列を何度も行き来し、登場人物も数十名にものぼり複雑なため、これから鑑賞される方もぜひ予習してからの鑑賞をお勧めします。
この映画の大筋は2本立てで、ひとつはオッペンハイマーが理論物理学を学び、マンハッタン計画に参画して原爆開発に成功するまでの軌跡。もうひとつはオッペンハイマーがストロースの陰謀にはまり、ロシアのスパイ容疑をかけられ、公聴会で処分が下るまでの過程で、物語の中核は後者となっています。
オッペンハイマーはハーバード、ケンブリッジなど世界の名だたる名門校で理論物理学を学び、この分野の研究をリードする存在でした。第2次世界大戦が勃発すると原爆開発を目指すマンハッタン計画が立ち上がり、オッペンハイマーはその才を見出され、原爆開発を主導する研究所の所長に任命され、世界初の原爆開発に成功します。
そんな彼を突き動かす原動力は、純粋な理論物理学に対する探求心と、原爆という悪魔的な大量破壊兵器を保持することによる戦争抑止への期待でした。
しかし、彼の想いとは裏腹に、政治家はこの大量破壊兵器をなんの躊躇もなく2度、日本に投下し、民衆はそれを熱狂的に支持します。
原爆は当初ドイツに投下予定でしたが、ナチスの降伏により標的が日本に切り替えられます。日本も実質的にはすでに死に体であり、降伏は時間の問題と考えられていましたが、『原爆を落とさなければ日本は降伏しない』という、政治的思惑も絡んだ原爆投下ありきの主張により反対意見は退けられ、原爆投下は強行されます。
オッペンハイマーが親友ラービをマンハッタン計画に誘った際、ラービが『爆弾に正義も不正義もなく、無差別に落とされる。300年の物理学の成果を大量破壊兵器に利用されたくない』と言って誘いを断る場面があるのですが、ラービは初めからこうした事態になることを理解していたのでしょう。
原爆投下後、オッペンハイマーはその現実に恐れを抱き、罪悪感に苛まれます。『我は死神なり、世界の破壊者なり』『私は自分の手が血塗られているように感じます』といった台詞に彼の苦悩を垣間見ることができます。
そして、アメリカはその後も水爆開発というさらなる軍拡の道へと突き進んでいきます。残念ながら原爆投下により失われた22万人の命に対する罪悪感を感じた政治家は皆無で、米国民も原爆投下を熱狂的に支持するという、日本人として悲しいというか、憤りというか、なんとも言いようのない感覚を覚えました(一部の科学者のみ罪悪感を感じていたようですが)。
そして、オッペンハイマーはこうした現実を目の当たりにし、更なる軍拡競争や水爆開発に対して反対の立場をとるようになります。核兵器についても国連で共同管理すべきだと進言しましたが、政治家はこれらの主張に強く反発し、以降、彼を邪険に扱うようになります。
そのなかで特に激しい確執に発展したのがもうひとりの主人公ストロースでした。
ストロースは靴の行商人としてその人生をスタートさせ、投資銀行家として財を成し、大成功を収めます。彼は上昇志向と野心の塊で根回しがうまく、あらゆる陰謀を画策するのが得意な根っからの政治屋でした。
当初ストロースはオッペンハイマーを利用して原爆開発を自らの手柄とし、政治家としてさらなる評価を得ようと思い描いていましたが、水爆開発など両者の価値観に多くの隔たりが生まれ、確執が決定的となるとオッペンハイマーを失脚させようと画策します。
ストロースは戦後のアカ狩り(共産党支持者を探し出し追放する活動)に目を付け、オッペンハイマーがソ連と関係を持ち、核兵器に関する機密情報をソ連に漏らしたという話をでっちあげて陥れようとします。
実際、オッペンハイマーの身近には弟や元恋人なども含め、共産党員が数多くいて、彼自身も学生時代に共産党系の集会に参加したことがありました。しかし、彼自身は共産党員でもなければ、思想に傾倒していたわけでもありません。もちろん、機密情報など漏らしていません。しかし、結果的にこうした交友関係が仇となり、政治的に対立するストロールに付け入る隙を与えることになります。
公聴会ではほぼストロースの思い描いたシナリオ通りに話が進んでいたものの、一部ストロースに丸め込まれず、真実を証言した人間のおかげでオッペンハイマーは土壇場で無実が証明され、最悪の処分を免れます。一方、ストロースは公聴会における偽証が明るみとなり、世間に恥を晒して出世の道が目前で閉ざされることになります。
凡人ストロースが天才オッペンハイマーに対して強烈な嫉妬心と敵愾心を抱き、得意の権謀術数を駆使してなんとか引きずり降ろそうと必死になる一方、オッペンハイマーはストロースのことを(心中では見下し)あまり意に介してもいない様子で、それがまたストロースの癪に障るという、世の中でもまあまあ良く見る構図が描かれています。また、こうしたふたりの対比を描くことでオッペンハイマーの人物像をより際立たせようとしたのかもしれません。
しかし、それなりに成功した人生を歩んでいたストロースがなぜこれほどオッペンハイマーに嫉妬心を抱くのか、執拗に敵意をむき出しにするのか、個人的にはそれがちょっと解せない部分でもあります。『卑しい靴のセールスマン』と言われてプライドが傷ついたのでしょうか。笑
全日本人が観るべき
この映画の内容を知らずに観たのですが
たまたま偶然、数日前に広島の平和資料館を観に行ったばかりというタイムリーなタイミングでした
こっちの世界で何が起きていて
あっちの世界では何が起きているのか
それはお互い実際には見ても聞いてもいないわけで
ちょっとした日常の口げんかと同じことだと思うのです
日本の描写が無かったことはどうでもいいことで
あちらで何が起きていたのかを中心に描写するのであればあえて必要なかったことなんだろうと思います
何でもそうですが
新しいものを発明や発見した科学者は尊敬に値すると思いますし、作った人は賞賛されるべき
それをどう使うかは、全くもって別の問題です
どう感じるかは観た人それぞれで結構だと思いますが
とりあえず
日本人全員観た方がいいんじゃないかと思います
今一度、風立ちぬを見直したい
面白いと思う部分もあったし
退屈だと思うシーンもあった
アインシュタインとの対話シーンはとてもよかった
この勢いでオッペンハイマー周りを見たいと思ったところで、未来のシーンに飛ばされる
細かい史実は誰にもわからないから、しょうがないことなんだろう
日本公開が危ぶまれたが、想像していたよりもそのあたりはマイルドだったし
戦争の最中なら仕方のないことなのではと思う範疇だった
しかし見終わってふと思ったのは
似たような題材でも、宮崎駿監督の「風立ちぬ」は本当に面白く、よく出来た作品だなという感想だった
バカにされて狂暴化する男たち
面白かったです!ド文系監督が超カッケェ物理学に宛てた尊崇のラブレターみたい。サントラも異常値を叫び続ける計測器のように本能をビビらせてきて効果的。けっこうウルサイから普通の映画館で良かった。私は。
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実験苦手キャラのオッピー...って、ビーカーよく倒すとかそんなレベルでニガテだったの⁉️ホントかよ~😂。
わかりやすさ重視でサクサク進むから飽きずに観れちゃう。
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「恰好だけは科学者でいてくれ」って悲しそうに笑う友人がいいねぇ🥲。
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きっとノーランって「恋人との時間は速く進む」みたいな特殊相対論ギャグ好きなんだと思うわ🤭。いっぱい覚えてそう。
オッピーの失墜をストローズの愛憎嫉妬だけで説明するアマデウス展開はいくらなんでも無理あると思うけど、世界情勢はそういう愚かしい私利私欲で動く...という側面もあり、波動を捉えたら粒の質が永久にわからなくなる不確定性原理のド文系解釈に帰結するようでもあり、とってもノーランぽい。見立てがいちいちダサいっつーか💦なんかかわいかった。シメの台詞が私の思った通りすぎて笑ってしまった。
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オッペンハイマーが目をつぶる仕草、とても異様で良かった。
自分が目の当たりにすることよりも、脳内でスパークさせる壮絶な光景の方を重視する人物のようでもあり、ただ目を背けただけのようでもあり、だから彼への解釈は観客によって変容するのでしょう。
観た人それぞれによって如何様にも変質変化する映画だし、観客の内面もすさまじく変容させる危険な映画でもあると思いました。
それこそ、ヒロシマがテーマじゃない作品なのに、観客が被爆表現の是非に囚われて内圧を高め爆発の連鎖をおこしてる様もマンハッタン計画テキ。
よくぞ日本公開を....配給会社さんありがとうございます。
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実はすごい『プレステージ』に似てるかも!
日本人としては辛い描写も…
背景や登場人物など
全く未予習で鑑賞したため、
勉強不足で前半は頭が付いていけず。
トリニティ実験のシーンあたりで
やっと内容が掴めてきたが、
実験のカウントダウンは恐怖すら覚えた。
また被爆国に住む者としては
実験が成功し歓喜する人々には
科学者目線といえど
嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
映画の中でたんたんと交わされる
『Hiroshima』『Nagasaki』の
ワードを聞くのが辛かったが、
核戦争の危機が迫っている今こそ
観るべき作品だとは感じた。
作中の音が印象的で
沈黙の時間とその後の爆音に圧倒。
IMAXで観て正解だった。
出てくる登場人物が
なかなか癖のあるキャラクターが多く
あまり共感できる人物はいないかったが、
ラストシーンのアインシュタインのセリフが良かったことと、
フローレンスピュー演じる
ジーンの声がセクシーで美しかった。
プロメテウスの火
日本人としては複雑だ。
後半になりHIROSHIMAだNAGASAKIだと英語で発音されるソレらがまるで記号のように聞こえてくる。
アメリカ近代史に明るければ、より深くこの物語を理解できるのかと思われる。そうではない俺には前半の助走がしんどかった。
見終わった今思うと、アレは必要なのだと思える。物理学に心酔し、宇宙の理までも追求できる探究心があるのは賞賛されるべき事だ。
科学の発展に尽力し続けた若者達。国の威信がかかってるわけではないけれど、他国が一歩進めばその先をと対抗心に火がつくのも当然だ。
長い長い時間をかけて「原爆」に辿り着く。
「300年の物理学の辿り着く先が大量殺戮兵器でいいのか?」
…今までの成功を根絶やしにしてもお釣りがくるくらいの台詞である。
当時のオッペンハイマーは、どんな気持ちでこの言葉に向き合うのだろうか?
なんでもそうだけど、ある物は使うよ。
そして、アメリカが開発しなくてもどこかは開発するだろう。
2発の原爆を運び出す車が破滅に向かっていくようで恐ろしかった。
後戻りなんて、とうに出来ないのだ。
現在、世界各国は地球を破壊できる程の核を保有していると聞く。そんなの当時は誰も想像しないだろう。戦争のやり方が明確に変わった分岐点だと思う。
そこから更に発展し、今や大量殺戮兵器は無限に増殖し変異する細菌兵器へと向かってる。
誰かを刺した刃は常に自分にも向けられているのだと、いつになったら気づくのだろう?
気づいた所でやめんわな。
だから人間は愚かなのだから。
ロスアラモスが作られる辺りから妙な焦燥感に襲われる。胸の奥がザラザラする。やめてほしい、引き止めたい。でも、何もできない。
頭脳明晰な若者達が集い、嬉々として世界を破滅に導く兵器の開発に勤しむのだ。
不穏なBGMがずっと鳴ってる。いい仕事しやがる。
軍部からの開発依頼なのは明確で、兵器を作ってる自覚はある。スローガンのように語られるのが「戦争を終わらす為に兵器を作る」だ。
他国を完膚なきまでに叩きのめす。反抗する気が起こらないように徹底的に。
それがアメリカが目指す勝利の形らしい。
白人至上主義にでも裏付けされてんのか?敵は単純に敵であり、それ以外の何者でもないのだろう。
初の原爆実験の描写は戦慄だった。
閃光と共にホワイトアウト、上空何百mにも及ぶ火柱。プロメテウスの火を人類が手にした瞬間だった。
このシーンに至るまでに、オッペンハイマーの葛藤も描かれはするのだけれど、捏造かもしれないので触れないでおく。ただソレを表現するキリアン・マーフィーは素晴らしかった。
8月6日を境に物語は戦後に様変わりする。
オッペンハイマーが糾弾され、策略にハマって同情を誘うような描き方が続く。
ストローズが黒幕でありなんて話にもなるんだけれど、オッペンハイマー第二章かと思う程テーマが違う。
ああ、やっぱ英雄視はしたいんだろうなぁって思う。アメリカを戦勝国にした最大の功労者だもんな。例え世界を道連れに地獄へ引き摺り込んだとしても。
奥様の一言が強烈だった。
「許された気にでもなってるの?どうせ世界は許しちゃくれないわよ。」
上手い台詞だなぁと思う。
そこまでズバッと刺されちゃえば、それ以上言えんもんなぁ。
資本主義の犠牲者的な側面はあるものの、殺戮兵器の生みの親である事は変わらない。
彼らが未来に及ぼした影響は計り知れない。
科学の発展は人類の滅亡へ直結する。
ネットもそうだし、AIもそうなっていくのだろう。戦争は無くならないし、地球の自浄作業だなんて言う輩もいる。
命が死というものに向かう運命があるように、人類にも死という運命があるのだろうなぁ。
いつかはわかんないけど。
1つ思ったのはアインシュタインってあんな身近な時代の人だったんだな。
もっと昔の人だと思ってた。
あの時代、科学の発展って加速的に進んだんだなと思う。自分の学の無さに呆れてしまう…w
コレって作品のレビューになってんのかな?
全編通して不穏なBGMが印象的だった。
◾️追記
ああ、そうだ。
皆様のレビューを読みつつ去来した感情があった。
やるせなさ、だ。
時間は戻らないし、核は誕生してしまった。
人類が人類を破滅に追いやる道具を手にしてしまったのだ。
核の無効化や無害化に科学者達が到達するなら、オッペンハイマーが許されたと思える日も来るのかもしれない。
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハ...
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハイマー博士(キリアン・マーフィー)は、赤狩りの渦の中、コミュニストの嫌疑をかけられ、委員から除名されようとしていた。
彼は、原爆開発後、広島・長崎の惨状から戦後は原水爆禁止・不使用の立場に翻っていた。
一方、原子力委員会に君臨していたストロース(ロバート・ダウニーJr)も公聴会に挑んでおり、それは政府閣僚・商務長官指名を狙ってのものだった。
ふたりの確執は原子力委員会設置時から始まっており、推進派のストロースにとって、反対派のオッペンハイマーは宿敵ともいえる存在だった・・・
というところからはじまる物語で、あれれ、原爆開発の「マンハッタン計画」が主軸ではないのね?というのが観始めてすぐの思い。
で、ストロースの公聴会、オッペンハイマーの諮問会とふたつのことなる裁判にも似た会議が現在時間軸で、それぞれの回想(というかなんというか)の形式で過去の出来事が綴られていきます。
うーむ、なんやねん。
別に時間軸に沿って順に描けばいいじゃないか、と思うわけですが、それをやると倍ぐらい時間がかかるので、「さわり(見どころ)」だけで綴ったのではないか思うようなつくり。
前半30分ぐらいまでに、オッペンハイマーがアカとみなされる要素を出してくる脚色は相当上手い。
けれども、それは、(わたしが期待した)映画の語りとは異なっていた。
前半に提示される要素が、最終的にオッペンハイマーのアカ/非アカを決定づける要素となっておらず、そういう意味では伏線になっていない。
なので、時間軸どおりでいいんじゃないかと思うわけで、そう思うのにはもう一つ理由があって、オッペンハイマーが「マンハッタン計画」主導時と戦後における変転は、やはり時間軸に沿って描き、「おお、そりゃ心変わりするよね」と納得させる演出が欲しかった。
あえて原爆投下後の広島・長崎の画を撮らず、露出過多で悪夢を描く演出は評価できるが、その演出も今回の語り口では、鬼面人を驚かすの域を出ていないように感じました。
さらに戦後政治に飲み込まれていくオッペンハイマーの対立軸のストロースがあまりに生臭く(つまり演技的には素晴らしい)、彼の政治的野心との対立みないな感じがするのもマイナス要素。
ということで、個人的には「ところで、オッペンハイマーってどんな人物よ?」と思ってしまい、意欲空回り的な映画かなぁとも思った次第。
のべつ流れる劇伴、うっとおしいなぁと思ったら、最終実験の際の無音演出、その後のオッペンハイマーのトラウマ演出への伏線だったのね。
この点は、おおおお、と思いました。
原爆が落とされるシーンはないが、日本人が見るにはやはり辛い
最初に、広島、長崎の原爆シーンはありません。会話とストーリー上ではでてきますが、主人公が自責の念に駆られ幻覚幻聴を感じるシーンで少し触れます。また、原爆の威力がわかるのはニューメキシコで行われるトリニティ実験のシーンとなります。
クリストファー・ノーランの作品らしく、終始暗いです。音楽も映像も暗いです。
オッペンハイマーが主導して原爆を作り実際にそれが日本に落とされたことで彼が苦悩、後悔することに映画化する意味があり、視聴者が救われると思います。これだけのことをして、葛藤、苦悩しないならば、それは人間ではありません。
時系列が何度も入れ替わり、カラー、モノクロ、関わる登場人物も多いので難解なところもありますが、科学者として、探求心、他からの期待、大義名分をもって開発を進め、実験、原爆投下、終戦、その後の没落まで丁寧に描かれています。
作品中に出てくる大統領とのシーンで、戦争で原爆を落とすという判断を下せる人は、良くも悪くもこんなに強いんだな、と深く考えさせられました。私は弱虫と言われようともオッペンハイマーのように自責の念にかられ苦悩する側の人間でいたい。
予備知識なく見て、アイアンマンのロバート・ダウニー・jrに似てるけど、いやーこんなおじいちゃんじゃないしなー、しかし似てるなあなんて見てたらやっぱりご本人でした。役者さんて本当にすごいです。ナイトミュージアムやqueenの俳優さんもいい役どころで出てますし、なかなか見ごたえありましたね。
オッペンハイマーの苦悩でもわかるように、原爆が開発される前の時代に戻れることはないわけで、、、現在核保有国も何か国もありますが。
今後、核で人類が人類を滅ぼすようなことがないことを祈りたいです。
長い‥ついていくの大変
クリストファーノーラン監督作
みんな観てるし、長いので配信では集中力ないから劇場で行ってみた
褒めてる人多いけど、自分には難しかった‥
後半、たくさんの登場人物が出てくる公判シーン?ばかりでついていなかった
アカデミー賞らしい作品かなあ、なんかやっぱりフィクションが好きなんだな
アインシュタイン多め
アインシュタインの出番が結構多めでしたw
似てる! w
て言うか似すぎてて意識を持っていかれ過ぎて困った
むしろアインシュタインの映画観たくなるw
てかオッペンハイマーとアインシュタインてそんなに親交あったのか?
アカデミーも取ったしこれはいよいよ観に行くぜ!と気分も盛り上がってたところ、早々に縮小傾向で、コナン公開日には虫の息 wいつ打ち切りになるかと怖くなって有休取って朝から観に行く。
大画面のスクリーンで上映してる所も無く小さなスクリーンばかりで、客も朝イチとはいえかなりまばら。客層の年齢も定年後の爺さんばかり、、そりゃ爆死するわ
デカいスクリーンで観れなくなって後悔してたけど、観終わってからは、、高い金払わなくて済んで良かったwでした
デューンみたいに大画面で見るべきシーンなんてあった?
そういう意味でも、今までのノーランの大作気分で行くとガッカリするかも
点数低めなのは、いつもの思ってたんと違ったから…でもあるんだけど、そうでなくてもポイントを変えて撮ったら良かったのにと思わずにはいられなかった
最初から最後まで、ずーっと「オッペンハイマーは共産主義に加担したのか?」という疑惑についての話が何度も何度も出てきて…え?コレがこの映画のポイント?て思った。正直面白くも何ともない部分を掘り下げてる感じで、何でここを強調したのかサッパリだった
逆に、原爆開発や研究についてはお飾りみたいな扱いで、爆発シーンもショボい
そして実験成功から後の上映時間が長い長い!むしろそこからが本編 w何度か落ちた
あとセックスシーン含めて恋人との話全く要らんやろ?
コレ無くしたら2時間に収まるんじゃね?w
オッペンハイマーの苦悩とかも、描けば描くほどしらけてくるのは目に見えてるので、最初からどうでも良かったし
これを反戦映画とか被爆者のシーンが無いとか、、そういう目線で見るのは全然あたらないとおもた
これはオッペンハイマーがアカだったかどうかを問うた映画だからw
と言うわけでノーランさんには次回作に期待です
でもこれで日本では大損こいたろうな…😅
語りたい要素満載
”新型爆弾”開発競争の中、政府・軍部から猛烈な督促を受けつつ迎える実験日。暴風雨。嵐は止むのか?実験は延期か?しかし主人公は天候を予測し5時半には実験ボタンを押す決意を周囲に告げる。夜が明けてくる。止まない雨。さーどうなる? 歴史的にはわかっていることなのに、ここへ向かっていく緊迫感が半端ない。夜明け、晴れあがる。音響による畳み掛けもマックス。そして遂に!無音が訪れる。スクリーンの中は火の渦。露光オーバーの人々の表情が次々アップでスライドしていく。一巡して爆音が突然戻るっ!ここへ向かって物語は前半を終える。
この実験が成功することはわかっているのに、「うまくいくのか?大丈夫か?」と客席からハラハラ見守った自分。
3分くらい続いただろうか。火球の嵐の最中から、激しい動揺が湧き上がり涙目になってしまった。成功しちゃったよ。声にならない。
この両面体験は、人によって様々だろうけど、もう、まぁ見事というか。やってくれちゃったね。はぁ、圧巻でした。
そしてまたキャステイングに痺れました。物語にはまりこんで、ストローズがスターク社長だとはしばらく気づかず、なんかヘンリー・フォンダによく似た人がしゃべってるなーと思ってみてました。他、要所にそれぞれ多数配役された脇役さんたちは、自分的にとても馴染みの主役級が多かったことも、語りたい要素の一つです。大統領が、同時期のチャーチルだったことも納得の配役というか。それらのことは、しゃべりたい欲求が込み上げるも逆に多くを語る必要がないとも思える。この映画に参加する意義とか。
日本人だからこそ観る意味がある
日本人はどうしても目を背けがちなテーマ
しかし、アメリカという国の行動原理と思考を知る意味で、1人の人間を通して描かれる原爆の開発から日本への投下に至るアメリカの中身を描くこの映画を観ることには意味があると思う。
日本で公開されて良かった。
罪深い人類の物語
オッペンハイマーをプロメテウスに例えるというより、これはプロメテウスが火を与えた人類の物語の続きで、プロメテウスは今もなお責苦を追い続けているんだろうな。
と思ったわけで、テーマ性として、善悪とは、科学と政治とは、作ると使うとは、みたいな論点もあれば、イスラエル/パレスチナ問題に通じるユダヤ人の論点もあれば、原爆を日本に落とさなければ戦争は終わらなかったのか、また落とさないで終わりを迎えたとしたら世界の形はどうなっていたのかというif的な論点もある。
いろんな論点を問い続け、人類の罪に対して罰を受け続ければならない、この悲しい人類の物語について、じっくり考えるための作品。オッペンハイマーの功罪とか、彼が個人として負い続けなければならない永遠の責苦について考えさせられるのではなく、自分自身が負っている責苦をよく考えなければならない。
そして、彼が実際に責められたのは赤狩りを背景としたものなので、共産主義を改めどう捉えるか。また、現在の原子力政策をどう捉えるか、気候変動問題をどう捉えるか、いろいろ考えないといけない問題が沢山あるので、我々人類に思考停止に陥っている暇はそれほど残されてはいない。
栄枯盛衰オッペケぺ〰️
長い
オッペンハイマー=原爆製作者というイメージだったけど、あくまでもイニシアチブをとっていた人だったんだね
ま、色々な分野の専門家を集めて、早く戦争を終わらせることをパーパスに取り組んで、成功させた功績は大きいと思います(日本人の不得手な分野)
登場人物としてアインシュタインもでてきたのは、少し驚き👀‼️以外にオッペンも色男だったことや、騙されていたことも…
ノーベル(ダイナマイト発明家)も同じ境遇だったのかな〰️とか、あまり目立ちすぎると疎まれるのは全世界共通なんだな~とか、最後には天皇の戦争責任について(なぜ今も税金でのうのうと…)日本国民だけでなく、判断ミスで苦しんだオッペン達等々
内容としては…😞
この上無い描写力
原爆の父と評された物理学者オッペンハイマの苦悩の半生を描いた映画である。この上無い描写力はさすがはアカデミー賞作品賞を含む7部門を受賞しただけのことはある。特に映画館という大きな箱の中で視聴者の耳には主人公に差し迫る危機を掻き立てるような緊迫感が溢れる音が終始鳴り響いていた。それがオッペンハイマの世界観に導かれたままのあっという間に3時間が過ぎた。只、現代進行形シーンと懐古シーンが頻繁に入れ替わるのでとてもわかりにくかった。この映画はアメリカ人の視点で描かれており、会話としては出るが、広島。長崎での原爆投下のシーンは全く出てこない。もちろん被災国日本人の心情としては決して穏やかではない。今も原爆投下によって終戦が早まったと正当性を主張するアメリカ人は結構な数でいる。そんな中でよくここまで踏み込んだと思える内容だ。原発や原爆を恫喝に使う独裁者が出たり、今もガザでここまでやるのかと思うくらいの罪のない何万人の市民の悲惨な殺戮が繰り返されている。確かに重いテーマが背景にある。近年核なき世界がずいぶん遠のいたと感じている。本当にこのままで良いのか?この映画はそれを問い掛けているようにも思う。ぜひ観ていただきたい。
象牙の塔の外には獣たちがいる
伝記映画というより政治もので、時の人や権力者の栄枯盛衰を、審問の現場とそこで取り沙汰される過去の回想とで描く物語である。
つまり本作は昨年、海外でオッペンハイマーの伝記映画が公開されるという話題が届いた時に日本で懸念されたような内容でもなければ、平和団体が期待していたような内容でもなかったのだ。
さらに時系列をシャッフルした構成はやや難解である。室内の会話劇を主体とした本編が冗長になることを避けるためと、ノーラン監督の作風故に仕方がないことなのだろうが、普段映画館に足を運ばない人には結構辛い構成だったのではなかろうか。
戦中戦後のファッショントレンドを取り入れ老けメイクを凝らして観客の理解を助けようとはしているが、事実ベースの作品でもノーラン流を貫かなくてもなぁ、とも思う。
イデオロギーが二転三転する時世において、二足どころか何足も草鞋を履くことになった結果、足がもつれて転倒したまま消えていく人物は歴史において枚挙にいとまがない。原爆開発の中でプレイヤーでもありマネージャーでもあったオッペンハイマーもまた、沢山の役割と個人の見解や関心、公人としての立場の矛盾に足を取られていく。
戦争裁判と同様、事後のルールで過去の行いを裁くことの矛盾や、権限のないことに対する責任を問われる不条理が何とも恐ろしい。
余生にあるかのように池のほとりに佇むアインシュタインは、開発の舞台に上がらなかったifのオッペンハイマーでもあったのだろう。
焼夷弾、劣化ウラン弾、対人地雷、クラスター弾など、実戦投入後、破壊力と事後処理の厄介さから後年禁止される兵器は沢山ある。そして使用を禁止する法や条約を批准していない国や組織の戦場では、それらが今日も使われているのが現実だ。
核兵器に限らず、兵器開発の裏には開発者と政治家のジレンマがあることは想像に難くない。
史実のオッペンハイマーは公職追放の後にも原爆や核兵器について個人としてコメントを残している。重要機密に立ち会った過去があり学術的には依然重要人物であるため、冷戦下ではずっと監視下に置かれており、言葉選びには用心せざるを得なかっただろうが、核拡散の看板として振舞っていた時期よりは本心に因ったコメントをしていると見られている。
世界のステージを変えてしまったことに個人として向き合う彼の内心を重要視しているならば、公職追放後の描写があった方が良い気がした。
その時期を描かなかったことと、原爆被害を口頭と想像で済ませたことから、ノーラン監督がメインに描きたかったのはオッペンハイマーと核兵器の関係よりも、思想や大義というルーレット盤の上で戦争・人命・経済・科学という球が人間の感情によって回転している絵図や、先述の科学と政治のジレンマだったのではないか。
オッペンハイマーの半生を通り過ぎていく、労働者の権利のために左派の集会に集う人々、反ナチスの旗印の下で連帯するユダヤ系科学者、未知の破壊力に怯えながらも期待感を隠せない開発者たち、オッペンハイマーが発言力を持つことを嫌う軍部やストローズ、一人池を見つめるアインシュタイン、反枢軸から反共産主義に流れていく世相…を振り返ると、どうにもその印象が拭えなかった。
本国やヨーロッパ、日本以外のアジア地域において本作は昨年の夏に公開済である。本国を中心に同時期のビッグタイトル映画「バービー」と絡めて「バーベンハイマー」というフレーズが盛り上がり、二作が顔を合わせた96回アカデミー賞の会場でも度々そのワードが出て来た。
自分は夏の時点では日本で公開された「バービー」しか観ていなかったので、「バーベンハイマー」の流行は静観していた。
本作を観て改めて騒動を振り返ると、この作品を観た上で「バーベンハイマー」を冠した破壊的なコラージュ画像を作り賞賛した人々には、劇中で示されるオッペンハイマーの心の痛みは届かなかったのだろうな、と感じた。
優秀な科学者であるが優秀な人間ではない
原爆を開発したオッペンハイマー博士を描いた伝記映画ということから、原爆を描いているのに広島、長崎が描かれないのはおかしい、という論調が一人歩きしている。
映画を観ればわかるが、この映画は”原爆を描いているのではない”。
アメリカでヒットさせるためにオッペンハイマー=日本との戦争を終わらせた英雄、というイメージを覆させないため広島、長崎は描かれなかった、という推測も間違いと考える。
この映画は原爆を開発したロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の生き様と、水爆開発をめぐって対立する原子力委員会会長のストローズ(ロバート・ダウニーJr)の対立を中心に描いている。
基本2人の周辺で起こる事実しか映画には登場しないので、広島、長崎に関しては効果を実録した映像をオッペンハイマーが確認しているシーンとして登場する。
広島、長崎を映像として登場させたとしたら視点がずれてしまうし、そこに引っ張られあらぬ論評が巻き起こってしまうだろう。
この映画が描くのはオッペンハイマーの科学者としての功績と成果として生み出したものが大量殺戮兵器であることの苦悩。
一方、私生活では略奪婚に子育て放棄、不倫と人間的には不完全であったこと。
そして、英雄が一転、水爆に反対したことで、米ソ冷戦に巻き込まれソ連のスパイとみなされる国家権力の恐ろしさだ。
道徳観念が欠如した人間が研究の成果を目指して完成させた原子力爆弾。
そして、ドイツに投下するという目的を失った原爆を覇権の為に広島、長崎に投下してしまった国家の恐ろしさ。
もっと恐ろしいことは核兵器は一瞬にして世界を滅ぼす危険性を孕んでいるということだ。
この事はノーラン監督の前作「TENET」でも言及されている。
SF映画と伝記映画と表現は違ってもノーラン監督の視点は一貫している。
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