「凄まじい真実」オッペンハイマー R41さんの映画レビュー(感想・評価)
凄まじい真実
この作品そのものが問うている内容は非常にシンプルで根源的なものだが、物語の背景に複雑さを与え、尚且つ原爆というものの開発に対する問題定義をしていることで、非常に難解な物語になっている。
おそらく2度見なければわからないことがたくさんあるが、3時間もある。
冒頭からモノトーンとカラーの映像が入り混じり、その様子も全く違うことから、一つが物語の主軸でもう一つがその後の裁判(聴聞会)となっているのがわかる。
オッペンハイマーがアインシュタインに話したこと、それは「我々が引き起こした」と言葉を途切れさせている。
これはその後に続く新しい戦争の形 核戦争を意味している。
科学者たちが想像した抑止力という概念
それは、原爆の開発が終わったのでロスアラモスの地を原住民に返却すると考えていた。
しかし政府は次期爆弾の開発場所として再利用することを決定する。
これが科学者と政府との考え方の大きな違い。
特に聴聞会でのやり取りはひどいもので、実際の人物であるストローズの人間性には反吐が出るが、これがアメリカ社会の実態であることをこの作品は伝えている。
私的な復讐
そしてほとんどの人間がしている「自分のため」の行動
日本の作品「太陽の子」 アメリカとの開発力の大きさは歴然過ぎるほど違った。
良心の呵責と科学という盲目
太陽の子ではアインシュタインの言葉を用いて、人類はこのまま科学を推進していくというようなことを語っていた。
この作品でアインシュタインは、オッペンハイマーに科学技術の発展を託した。
アインシュタインが最後まで信じなかった量子物理学 「神はサイコロを振らない」
これは光の性質を表す波と粒
さて、
純粋な科学者であったであろうオッペンハイマー
国の命令で開発した原爆
これがあれば水爆など簡単
当初予想した抑止力だったが、「あれば必ず使う」という事実
英雄と悪魔の表裏一体感
私的理由で彼を貶めたストローズ
この彼の策略と原爆開発が交互に流れる。
やがてわかってくる聴聞会の意味
しかし、
ようやく完成した爆弾をトリニティ実験場で成功させた数日に広島に原爆投下がされた驚愕の事実。
トルーマンがどれだけ原爆を使いたかったのかが窺い知れる。
その時脳裏をかすめたのが、この世界すべてが破壊されてしまうのではないかという危惧。
なのにあんなに近くで見守っていて大丈夫なの?
彼が最後のシーンでアインシュタインに言った言葉こそ、アメリカ政府が言うべき言葉なのではないかと思う。
当時からアメリカ政府はそれが正しかったと国民を洗脳した。
憶えているだろうか、広島か長崎の追悼式に参加したオバマ、彼は原爆投下の式典で拍手したのに対しプーチンは十字を切った。
これがアメリカの常識、正義と正当性だった。
しかしこの作品はそれに意義を唱えているように感じた。
科学はもしかしたら世界を破滅に向かわせるものなのかもしれないと。
オッペンハイマーのこの気づきに対するストローズの思惑とは、いったいどれだけ小さいのだろうか。
しかしストローズの言った「彼らは自分のためにやっている」というのもまた真実だ。
これが「いまだけ、金だけ、自分だけ」なのだろう。
オッペンハイマーの妻が受賞席で聴聞会で裏切ったあの男に唾を吐きかけなかったのは、「価値がない」からだろう。
このほとんどがノンフィクションということだが、監督は非常によくまとめたと思う。
確かに価値基準は時代によって変化し、正邪についても同じかもしれない。
しかし、「それ」はいったい何だったのかということをもう一度問うというのは非常に大切なことかもしれない。
この作品がアメリカから出たということが素晴らしかった。
是非オバマ君にも見てもらいたい。
ご丁寧なコメント、ありがとうございました。
私のレビューでのある方のコメント「戦争の悲惨を嘆く感情論が戦争を抑止するとは私には思えません」という文章が頭から離れません。その方のコメントは日本の現状の核の傘の話が続きます。短いコメントだったのですが、それを読んで以来、私の考えはますます混乱している部分があります。
答が見つけられない状態です。
オッペンハイマーは好きとは言えない作品でしたが、普段短めのレビューを心がけている私が、やたら長いレビューを書いた作品です。
最近は新しいレビュー等も少なくなったように思っていましたが、また、新たに考える機会を得ることができました。ありがとうございました。
私自身の思考は、ある人のコメントを読んで以来、そこでひっかかってしまっていますが、諦めないで、考え続けていこうと思いました。