「オッペンハイマー博士の背後に見える「科学」の光と影。」オッペンハイマー ゆめさんの映画レビュー(感想・評価)
オッペンハイマー博士の背後に見える「科学」の光と影。
原子爆弾を作ったオッペンハイマー博士の開発成功までの道のりとその後を描いた作品。
クリストファー・ノーラン監督ということで鑑賞。
骨太SF作品を生み出すノーラン監督が、なぜ今、実在の人物をベースにした人物伝映画を?と思っていたけど、観てみたら理由がわかった。
ノーラン監督、どんな作品も根底にある「好きなもの」「描きたいもの」は繋がっていて、それを様々なアプローチで発展させている方だなあと感じる。
だからこそ新作が公開されれば観に行ってしまうのだ。
まず一つは、原爆の原理はSFのベースになっている科学、量子力学の分野であるということ。
そしてもう一つは、最新の科学技術や知識は軍事兵器に利用されたきた歴史があり、科学者の知的探究の歴史は兵器開発の歴史と重なってきた、という事実だ。
本作はオッペンハイマー博士という人物の光と影を描いていたけれど、彼の光と影は「科学」というものの光と影というか、そのまま科学の功罪にも重なる。
新しい科学の知見が発見され、それが新しい技術となり最新兵器に用いられ、抑止力となり戦争は終わった。彼が在籍する国は勝利をおさめたし、オッペンハイマー博士は成功者として世間から称賛された(TIME誌の表紙を飾るのが成功のわかりやすい形なのだなあと本作を観ていて改めて思った)。
その代わりに、その技術を用いた兵器でたくさんの人が亡くなり、苦しみ、そして新たな兵器の登場で世界の軍拡が進んだ。そしてオッペンハイマー博士は知的好奇心の先に進めた研究が世界にもたらした結末を見て自身のしたことへの深い内省とともに良心の呵責に悩まされることになった(実験成功以降、しばしばグラグラ揺れて感じられるようになった博士の見る世界が苦しい…)。
この「科学の功罪」や「科学者の倫理」のようなものは本作の大きなテーマのひとつなのだと思う。
そして、この様々な研究が進み続ける今の世の中でも現在進行形ではらんでいる問題でもあり、倫理の観点からセーブされている開発があるのも事実なんだと思う。
…と、このあたりの描写は楽しく観たのだけど、ストローズ氏の粘着怨恨により博士が政治のゴタゴタに巻き込まれて聴聞会で詰められてるシーンは観ててうんざりしてしまった…。
個人的な恨みや妬みに端を発する政治的謀略?って本当に面倒くさい…!
あの時代のファシズムや共産主義と、民主主義の対立構造や一方的な排除の動きも怖いよなあ。
あとわたしは日本国民として日本目線で太平洋戦争という歴史を見ていたけど、アメリカの目線、しかも兵士等ではなく為政者に近い者の視点で、戦争を見つめるという体験も新鮮だった。
(特に原爆投下の候補地、あんな感じで決められてたんだなと思うと改めてゾッとする。あの会議の場で日本のどこの人民を犠牲者にするかを選んだってことだものな…。)
ちなみに3時間は少し長かった…!