「オッペンハイマーは隠さない」オッペンハイマー ipxqiさんの映画レビュー(感想・評価)
オッペンハイマーは隠さない
映画としてはおもしろかった。キリアン・マーフィ好きだし。
シーンの途中でフレーム変わるのは気が散るかなというのもあり、初見はIMAXではない普通の劇場へ。
しかし、トイレ問題は秘技SOYJOY(直前に食べる)で回避したけどさすがに腰が痛くなった。劇場鑑賞を要求するなら、まず身体的限界に挑戦するのやめてもらっていいですか…?
長いけどテンポはいいし、ノーランの割には親切設計かも。
アメリカ映画でこの題材やったこと自体はひとまず朗報だし、冷戦下の核戦争の恐怖を知らない若い世代を意識したってのもちゃんと伝わるようになってたんじゃないでしょうか。
しかし相変わらずボリューム過多ではある。役者がアマデウスのサリエリだと喝破したっていうロバート・ダウニー・Jrのくだり、あれ自体はよかったけど、なくても成立したんじゃないかなーと思ってしまった。対立軸としてはテラーもいることだし。
でもそうするとこの時間軸シャッフル構成が成り立たないのでしゃーなしか。終わり方が過去でも未来でもあり、またすべてが予言の範疇だってのがインセプションとかインタステラーっぽい。
観てる間、なんとなく「ゼロ・ダーク・サーティ」を連想してた。あれも一握りの人間の、それも密室での思惑で世界の命運が左右されてしまう話。
日頃、物理学を浮世離れした話のように感じている人間からすると、それが現実の世界をガラッと直接変えてしまうという急転直下の落差がすごい。でも本人は初手からピカソとかフロイトを意識してる人ではあった。そこに共産主義がどう絡んでるのか? 私にはわからなかった。
少なくとも原爆を完成させるまではドリーム科学者チームのプロジェクトXなんだけど、トリニティ実験の後から急にしくじり先生になっていく。心血を注いだ作品(核弾頭)が手の届かない遠くへ、ドナドナ運ばれていく、あの場面に実はいちばん心を動かされたりして。でもそれは他人の財布で作品を作る映画監督にも通じる気がする。
もちろん標的がナチスから突然日本になった時点から真顔にならざるを得なかったし、実際の被害写真を出さないのはアメリカ映画の限界なのかなという気はした。
あそこはオッペンハイマーの主観だから、というけど他方でストローズ視点の場面もあるんだし、映画はあくまで映像で語るメディアな以上やや無理めでは。
まあ、ここで説明的に描写するくらいなら、より適した作品を観てくれってメッセージなのか、あるいはそれは当事者サイドの日本映画が今後やるべきってことなのかも。
とはいえユダヤ系が多数をしめる関係者にとってハナから日本、広島、長崎なんか眼中なかったわけだ。それが劇中もっとも残酷な部分だった。
いくらアリバイ的に罪悪感ありまーす、と言われても、科学の発展/映画のミューズのためにはよく知らん極東の市民を傷つけても構わない、というあられもない本音。それを隠そうともしないのね。。