「よい意味での「肩透かし」だった一本」ルー、パリで生まれた猫 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
よい意味での「肩透かし」だった一本
<映画のことば>
「あんたも、いつかは親元を離れるけど、親への気持ちは変わらない。
それが人生。それでいいんだ。」
なるほど、邦題が、わざわざ「パリで生まれた」になっていたというのは、そういう意味だったのですか。
ルーは、自らの選択で「パリで生まれたけど森で生きていく」くらいの含意でしょうか。
都会と違って、森にはフクロウなどの天敵が、いるとしても。
言ってみれば「人生、至るところに青山あり」という言葉の「猫バージョン」といったところでしょう。
その点、題名から推して「少女クレアと愛猫の関係性の物語」だろうと高をくくって観始めた評論子でしたけれども。
しかし、完全に肩透かしを喰ったような気分です(褒めてます)。
ときに、都市のアパート暮らしだったので、叶わなかったのですけれども。
実は密かに、評論子は、子供たちには生き物を飼う経験をさせたかったとも思っていました。
生き物は必ず、飼主の人間よりも早く死ぬので、ペットとの死別の体験というのは、子供たちにとってはかけがえのない体験になるのではないかと考えていたからです。
評論子自身の体験としても、そうであったように、生き物との別れ(死別)というものは、切ないことは切ないのですけれども。
反面、そういう経験を通じて命の「儚(はかな)さ」とか「尊さ」を体感するには、他に方法として得難いものとも思うからです。
(千年も万年も生きるという鶴とか亀とかを飼えば別?)。
厳密には、本作の場合はクレアが体験したのは「生き別れ」でしたけれども。
それゆえ、クレアにとっては(生き物の)「命と触れ合い、そして別れる」というルーとの実体験は、彼女の人生の中でも得難いものだったと信じたいところです。
評論子的には。
(追記)
<映画のことば>
「子供を産んだら困る。絶対にダメよ。」
「掃除を手伝うから。」
「あなたも、何とか言ってよ。」
「いいネコだ。」
「さすがね。頼りになる夫だわ。」
「どういたしまして。」