「だんだんナポレオンらしくなるホアキンとド迫力の戦場シーンが見どころ」ナポレオン ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
だんだんナポレオンらしくなるホアキンとド迫力の戦場シーンが見どころ
158分と尺は長めだが、ナポレオンの初期の活躍から彼の死まで網羅するとあって、物語はさくさく進む。
序盤の20代半ばのナポレオンを49歳のホアキン・フェニックスが演じるのを見て、NHK大河ドラマ序盤の若作り主人公を見るような気分になった。トゥーロンの戦いで見せた、どこか怯えるようなぎこちなさで若さを表現していることは伝わってきた。
戦の経験を積み歳を重ねるにつれ、徐々にホアキンがナポレオンに馴染んでくる。
全体的にはどちらかというと、ナポレオンの歴史上の功罪よりも彼とジョゼフィーヌの関係が物語の軸になっている。
シャギーなショートとしどけないドレス姿で登場するバネッサ・カービーが印象的だ。ナポレオンを自宅に呼び寄せ、ドレスの裾をたくし上げて誘惑するシーンには彼女の野心や蠱惑的な魅力を感じる。ナポレオンと再婚してすぐ若い男と浮気をするなど、よくも悪くも自由な女性だ。バネッサにこういう女性像はハマり役。
しかしそんな彼女も、子供が出来ない体と分かると離婚に応じざるを得なかった。皇帝となったナポレオンとの婚姻によって社会から課された世継ぎを産むという義務が、もはやふたりの間の愛情より優先されるべきものになっていた。
ナポレオンが、マリ・ルイーズとの間に生まれた子をジョゼフィーヌに見せる場面はとても残酷だ。理不尽な離縁に耐え、自分には産めないナポレオンの子供を見せられて心に傷を負った彼女からは、若い頃の奔放さはすっかり失われていた。フィクションなら彼女のようなキャラクターには終盤まで活発に行動する姿勢を貫いてもらったほうが面白いが、史実なので仕方ない。
一方のナポレオン。戦場で指揮をする姿は経験を積むにつれ威厳を増してゆくが、プライベートでの喜怒哀楽はいつまでも人間臭い。
筆まめな彼は生涯で75,000通もの手紙を書いたといい、そのほとんどがジョゼフィーヌ宛てだったそうだ。
(映画では最後にその手紙が盗まれているが、現在そのうち3通が現存しており、うち1通が2007年にクリスティーズで27万6千ポンド(当時のレートで約6800万円)で落札されている)
浮気を責め離婚を伝える手紙がイギリス軍に見つかってメディアに晒されたりと、ジョゼフィーヌに執着して恥ずかしい展開になったりするところ、共依存っぽくもある彼女との関係などは名指揮官、皇帝という立場からくる威厳あるイメージとはほど遠く、その一面だけ見ると自分の周りにもいそうなある種の身近さを感じる。
そんなナポレオンのプライベート描写以上のインパクトがあったのは、戦闘の描写だ。VFXも使っているとはいえ、どうやって撮ったんだ?と思ってしまう圧巻のシーンが目白押し。
序盤、マリー・アントワネットのギロチンシーンや大砲を撃ち込まれて血まみれになる群衆の様子など、先日公開された「首」を連想させるエグめの描写が散りばめられる。軍隊の戦闘も大勢の兵士が入り乱れる中、よく見ると出血や死体の描写までなかなか細かい。
パンフレットによると、大勢の歩兵を演じる俳優たちには軍事アドバイザーがナポレオン時代の歩兵や砲手としての訓練を施したそうだ。アウステルリッツの戦いのシーンでは、200〜300エーカー(東京ドーム17〜26個分)の野原を掘って広大な凍結湖をいちから作ったという。CG全盛時代にそこまでするとはすごい。
また、騎馬隊などお馬さんの活躍が素晴らしい本作。極力本物の馬を使っているそうだが、生身の馬では難しいシーンは「機械の馬」を使っている。
ナポレオンの騎乗する馬が大砲で撃たれる衝撃的なシーンは機械の馬、VFX、特殊効果などのハイブリッドで作り出された。氷結湖に沈む馬も機械の馬だそうだ。ご安心ください。
史実の描写がハイテンポで進む中、クライマックスのワーテルローの戦いは戦略面も含めて戦いの様子がじっくりと描かれ、歴史に詳しくなくても見応えがある。
騎馬隊が一斉に大地を駆ける時のこちらの胸まで震わせる地鳴り、2頭の馬を駆って敵陣の様子を知らせる斥候兵、隙間なく隊列を組んで前進し、方形に陣を組んでナポレオン軍を手こずらせるイギリス軍歩兵。このシーンだけでも映画館で観た甲斐を十二分に感じる贅沢な場面だった。
観終わって振り返ると、物語自体は駆け足で史実を追ったなあという後味しか残らないので、映像のスケールの割に若干物足りなさはある。
年齢的に無理目のルックスからだんだんナポレオンらしくなるホアキンと、騎馬たっぷりのド迫力戦闘シーンを楽しむ映画だろう。
余談
本作のように、非英語圏が舞台の物語を英語の台詞で描く映画は山ほどあるが、個人的にはあまり気にしないことにしている。アメリカは字幕が好まれない傾向にあり、それには移民が多いことに起因する観客の識字率の問題などの背景があるのだろう。
アメリカの観客を念頭に置いて、主に非フランス人俳優を使う(タハール・ラヒムはフランス人だが)映画を撮るのに、わざわざフランス語で喋らせて好まれない字幕を付ける、というこだわりへの需要は、アメリカでは少ないということだと推測する。
駆け足すぎますね。言語はどっちでもイイですね。アメリカ本位ですから。戦闘シーンはご指摘のように機械の馬で補完ですがイマイチでした。ありがとうございました😊
こんにちは✨😃❗️
共感有難うございます。又、レビュー拝読しましたが、矢張戦闘シーンは人が中心だったのですね、VFXは遣いつつ。とても参考になったレビュー有難うございます。リドリー・スコット御大は矢張凄い監督だと、私は思います。では。返信は不要ですよ。