ほかげのレビュー・感想・評価
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戦後の実相は底知れぬ漆黒の闇だった
1 戦後間もない頃の闇市で、一人生き抜く少年の姿を通じ、戦後の実相を描く。
2 あらすじは次のとおり。
何処とは特定できない町の闇市。一人の女性が青線的な商売をしている。そこに恐らく壮絶な体験をした孤児が出入りする。孤児はその女性と兵隊上がりとともに一時の家族ごっこをしたかと思えば、金を稼ぐために市中で出会った男の危ない用事を手助けすることに。果たして彼は・・・。
3 戦禍で焦土と化した中から日本人の戦後がはじまった。戦争から解放された喜びはほんの一瞬、その後は明日のない現実のみが残る。多くの人は身近な人や住む家を失い、希望が見つけられないその日暮らし。人々の心は荒み、なりふり構わず自己の欲望のまま行動する。何も持たない女は体を売り親のない子供はかっぱらいで生きていく。男は体に血や硝煙の臭いを残し、まだ戦場の記憶を引きづっていた。戦後まもないころは、まさに暗黒であった。本作は、そうした時代背景の基で日本の何処にでもあった戦後の実相が描かれた。全体的に救いのない映画となった。
4 映画のなかで印象的だったのは、疑似家族として繋がったエピソード。微笑ましさを通り越し狂気を纏っていた。そして、バイタリティー溢れた子役。それにしても画面が暗くおどろおどろしいのには参りました。
それぞれに強くのしかかる戦争
ほんの数十年前のことなのに、戦争当事国であっだ、戦争当時社会であったことのリアリティがなくなって久しい。気がつけば失われた30年というけれどお金、経済や政治的な立場、グローバル化と言いながらグローバルとは反対の方向にいく失われた30年は戦争のリアリティ当事者性も失われ無惨な歴史修正や反知性が跋扈している。
そんなことを強く感じざるを得ない作品。
役者さんたちは渾身で素晴らしい。渾身すぎて力強すぎてかえってそのことかわからなくなるくらいだ。
大人たちは皆モノローグだ。人との関わりを最低限避けたり自らの体験した戦争の地獄にうなされたりそれでも目的があったりなかったりで人に近づき近づかれ、でもこの作品に出てくる女も帰還兵も皆モノローグ。子どもに話しかけ関わりを持っても彼らの世界はもうモノローグから出ていけない。子どもと戦災孤児となり子どもも自らの戦争体験身内の死や恐怖孤独にうなされるが、彼は対話する。1人で言葉少なく、目を見開いて世界と向き合わざる得ないから、良い人が悪い人か嗅覚で判断し経験値を高めていく、彼は対話し他人と呼吸する。
モノローグに人を押し込める戦争は、被害者も加害者も一重だと思う。
覚悟をもって観なければならない作品
反戦映画と言ってしまうのは簡単だけど。戦争に奪われ傷ついた人達の重い暗い物語である。
趣里が演じる女は焼け跡の中の居酒屋の建物で暮らしている。そこに戦災孤児と復員兵がやってきて奇妙な共同生活を始める。ほかげとは、狭く暗いこの居酒屋の壁に映る彼らの傷ついたこころに他ならない。復員兵は戦場の恐怖に怯える。戦災孤児はおそらくは空襲の恐怖に怯え夜な夜なうなされる。そして女は身体を売って生きなければならない運命を嘆き恨む。彼らの想いはほかげのようにゆらゆらと揺れ繰り返し彼ら自身を苛むが彼らは居酒屋の闇に囚われ出ていけない。特に女は。この居酒屋には奥の間があり女の心の闇、そこには戦争に奪われた夫と子への想いが潜む。そこにはもはや火影すら届かない。途方もない暗闇である。
映画の後半は森山未來の演じる復員兵と戦災孤児の旅が描かれる。あらすじを読んだときはなぜ復員兵が二人出てくるのか、前半の居酒屋の復員兵が後半の復員兵と同じであっては何故いけないのか疑問に思っていたが旅の目的が分かることにより理解できた。この復員兵は戦争の被害者であるとともに加害者でもある。
彼はある妄執に囚われている。その意味では、彼は女の住む暗い居酒屋に同じく住んでおり、壁に映る火影を見つめているのである。
私は、もちろん塚本晋也の人となりを知らない。でも恐らくは心やさしい人なのだと思う。この映画では、女にも復員兵たちにも孤児にも、希望の光がみえる瞬間が描かれる。凄まじい情念をもって生きていく女の暮らしにも一瞬ホッとする情景があるし、復員兵にもやろうとしていることを躊躇する場面がある。こういったシーンを置いたことは塚本の本質的な優しさによるものだと思う。でも結局、彼らは暴力や病気などにさらされ、他人を拒否し過酷な宿命に突き進んでいく。
私には、こころ優しい塚本が歯を食いしばってこのドラマをつくっているように思える。戦争の過酷さを描くということはそれだけの覚悟がいることなのである。塚本は表現者としてその責務を果たそうとしているようにみえる。だから観客である我々も受け止めなくてはならない。受け止めたからといって何が出来るかはよく分からないけど。
【今作は、戦争終結後も、心に痛みや闇を抱える人たちの姿をシビアなタッチで描いた、ワンシーンも戦闘シーンが無いが故に強烈な印象を残す、見事な反戦映画である。】
1.女(趣里)は半焼の小さな何もない居酒屋で独り暮らし。襖の向こうは誰にも見せない。ある日、そこに泥棒をした男の子と、元教師と言う男が転がり込む。
男の子は拳銃を持っているが、女は”そんなものを持っていては駄目”と言って茶筒にいれてしまう。
男は初日こそ金を持ってきたが、居座る。だが、ある日男の子により、彼が働いておらず町の片隅でボンヤリ座って一日を過ごしている事が告げられ、女は男を追い出す。
そして、男の子も真っ当な仕事をしていない事が判り、女は男の子も追い出す。
- 襖の向こうには、線香とご飯が添えられた位牌が二つある。-
2.男(森山未來)は、男の子と一緒に歩いている。川で魚を取ったり、トウモロコシを食べたり。
そして、ある日。男は頭がオカシクなった男が閉じ込められた建物に行って、窓から手を入れ、その男の頭を撫でてやる。男の子が”何をしたの?”と聞くと男は”皆、面白い奴だったんだよ。”と答えるのである。
更に別の日に、男は立派な邸宅にコッソリと忍び込み、裕福そうな老夫婦の姿を見た後に、男の子に”夜に成ったら、あの男を呼び出してくれ。俺の名前を出せば来るから。”と言う。
そして、夜。初老の男が着物姿でやって来る。”久しぶりだな。腕は残念だったな。”と語りかけ、男も敬礼をしながら男に対峙する。軍での元上官である事が判る。
男は、男の子から拳銃を貰い、且つての戦友たち(上官の男の命令で、捕虜の処刑をした後に、精神がオカシクなってしまった者。処刑を拒否し、殺された者。)の名を叫びながら初老の男の身体のあちらこちらに銃弾を撃ち込む。
そして、”お前はその痛みを抱えたまま、生きていけ。”と冷たく言い放ち、”これで戦争が終わった!”と夜空に腕を差し上げ叫ぶのである。
3.男の子は久しぶりに女の家に戻って来る。女は”病気になってしまったよ。近づいちゃ駄目だよ。この間は酷い事を言ってごめんね。”と襖越しに謝り、男の子に”真面目に働くんだよ!”と叫ぶように言葉を掛ける。
男の子は、その言葉を聞いて且つて、盗み食いをした路上の雑炊屋で働き始める。そして、暗い防空壕に入って行く。そこには、教師だったという男が、虚無的な顔をして座っている。男の子は、その姿を見て男が大事に持っていた教科書を置いて去るのである。
ー 戦争孤児の男の子の表情が、序盤から徐々に大人びてしっかりとしていく過程を、その瞳と共に見事に描いている点が、素晴らしい。-
<今作は、戦争が終わっても心に傷や痛みを抱えながら生きる人々の姿を、シビアなトーンで描いた見事な反戦映画なのである。>
<2024年2月3日 刈谷日劇にて鑑賞>
灯された救いの火の頼りなさと、その影の深さ
ほかげ(火影)と聞くと、NARUTOのイメージが浮かんでしまう自分もどうだかなぁと思いながら、改めて意味を調べてみた。すると、「火の光、灯火」と「灯火に照らされてできる影」どちらも表しているらしい。なるほど、映画を観終えると、塚本監督がこのタイトルに寄せた思いのようなものが少しわかった気がした。
趣里演じる女が暮らす居酒屋に転がり込んできた、孤児と復員兵。それぞれが身寄りを無くした3人にとっては、お互いは束の間の救いの存在だったことだろう。けれど、その救いも、復員兵が灯した火のように頼りなく、影はそれぞれが抱えている闇のように深かった。
生きるために体を売りつつ、けれど決して奥の部屋は覗かせないことでかろうじて自分を保っている女。教科書をお守りにして、かつて教師だった記憶にすがる復員兵。拾った拳銃を肌身離さない孤児。
一時は、それぞれの闇を抑えて、うまく行きかけるのだが、闇市から聞こえてきた発砲音をきっかけに、あっという間に関係が崩壊していくところが切ない。
とりわけ、教師だったはずの復員兵は、女を殴り、孤児を投げ飛ばして、お守りだったはずの教科書に目もくれない。
兵士として、戦争という暴力の真っ只中に緊張と共に置かれ続けた結果、心が完全に壊れてしまったのだろう。
それに対して、森山未來の登場後に出てくる旧上官は、潤沢な恩給をもらって、優雅な戦後を暮らしている。その対比がやるせない。
個人的に、女が孤児にかける言葉に少し違和感を感じる場面がいくつかあって、この点数にしたが、全体としてはまとまったいい映画だと思う。
敗戦後の女性の生き延びていく道
主演の趣里氏の目つきは、岸井ゆきの氏とも見紛うほど鋭いものでした。敗戦後の混乱期に男手を頼りながら生き延びていこうとすれば、『ゴジラ-1.0』の浜辺美波氏の演じた女性よりも、こちらの役柄の方が実態に即しているであろう。ただ、塚尾桜雅氏、河野宏紀氏、利重剛氏の演じるそれぞれの出入りする男性への態度が、そのときの気分によって違うのには戸惑いを感じた。
森山未來氏が演じた男性が、上官に復讐したいという気持ちはわかったけれど、それで戦争が終わったと言って良いのかという疑問は残った。
塚尾桜雅氏はもちろんのこと、報復を受けた上官を含むすべての登場人物の行く末に、少しでも喜べる生活が訪れてほしいものである。
終わらない戦争
薄暗い部屋でひっそりと息をひそめるようにして暮らす女、闇市で食べ物を盗んで暮らす孤児、PTSDに苦しむ復員兵。映画前半は彼らが織りなす疑似家族のドラマとなっている。
戦争のトラウマを抱える者同士、身を寄せあいながら慎ましく暮らす光景に、戦争の”傷跡”が嫌というほど思い知らされた。
どこからともなく聞こえてくる大きな物音にパニック障害に陥る復員兵。戦火の悪夢にうなされる孤児。生きる屍のように体を売る女。戦争は終わっても彼等の中ではまだ戦争は続いているのだ…ということが実感される。
物語は女の視点を軸に展開されていくが、後半から孤児の視点に切り替わり、カメラも薄暗い部屋から屋外に出ていくようになる。重苦しいトーンから解放されて、ここからは孤児とテキ家の男の旅を描くロードムービーのようになっていく。
ここでは何と言ってもテキ屋の謎めいたキャラクターが出色である。彼もまた戦争の傷を抱えて生きる孤独な男で、その顛末には原一男監督のドキュメンタリー「ゆきゆきて、神軍」が連想された。
製作、監督、脚本、撮影、編集は塚本晋也。
本作は「野火」、「斬、」に続く戦争三部作の最終章ということである。「斬、」は江戸時代末期を舞台にしているため若干趣を異にするが、戦時下を描いた「野火」と戦後を描いた本作は姉妹作のように並べて観ることが出来る。いずれも反戦メッセージが強く押し出されている。
印象に残ったシーンは幾つかある。
例えば、テキ屋の最後の”選択”と、その後に続く孤児の自律には、平和への祈りとかすかな希望が感じられた。
また、女が切り盛りする居酒屋は一種異様な雰囲気に包み込まれており、まるでホラー映画のような禍々しさで切り取られている。とりわけタイトルシーンにおけるヒモ男と女のスリリングなやり取りは出色の出来で、一気に映画の世界に引き込まれた。
また、塚本作品の特徴と言えば過激なバイオレンスシーンである。復員兵がPTSDでパニック障害に陥るシーン、テキ屋の男の復讐を描く緊迫感溢れるシーンに目が離せなかった。
俳優の肉体描写も如何にも”塚本印”という気がした。女を演じた趣里のふくらはぎに対するフェティシズム溢れるカット、テキ屋の男を演じた森山未來の鍛え抜かれた裸体を克明に記したカット等にそれを強く感じる。
とにかく本作における趣里の存在感は圧倒的で、同時期に放映されている朝ドラのイメージとは真逆で驚かされてしまった。森山未來はもちろん、孤児を演じた子役の澄んだ眼差し、復員兵を演じた俳優の説得力のある造形も素晴らしかった。
戦争が終わっても人々の戦いは続く
終戦直後の闇市を舞台に戦争に翻弄された人々の姿を描いヒューマンドラマ。半焼けの居酒屋で暮らす女と片腕が動かない男、そして戦争孤児の子供が必死に生き伸びる姿を見事に描いている。特に印象的なのが孤児を演じた子役の表情が素晴らしく引き込まれた。戦争が終わっても人々の戦いは続くことを改めて実感しました。
2024-11
面白かった
塚本監督には頭が下がる
戦争による後遺症を切り取った感じで観ているのが辛くなる作品。 本年度ベスト。
趣里さん目当て。
何の情報も入れずに鑑賞。
序盤から良く解らない展開に戸惑う(笑)
だけど銃を使うシーンで本作は戦争により大切な人を失ったり心に傷を負った人達がもがきながら生きている姿を表現している作品と理解。
ロシアのプーチンに観せて感想を聞きたくなる。
体を売って生活する趣里さん演じる女性。
なぜか子供と青年と一緒に生活する展開。
理解出来なかったけど、彼女が失ったものを埋めようとしていた感じ。
情緒不安定な感じの演技が素晴らしかった。
子供も必死に生きて行く姿が辛い。
子役の子が目で演じる姿に圧倒される。
森山未來さんが怪しい役。
彼も苦しんでいたのかと思うけど、子供の目の前でやっちゃダメだろ(笑)
ラストで子供が働く姿に少しだけ光が見えた感じでした( ´∀`)
監督の芸術性も健在なり
2回も観た。
監督の平和への祈りを感じる映画。
「野火」の続編のような。
そして監督の持つ稀有な芸術性ももちろん今回も健在。
怖いし汚いのに美しかった。
ラストシーン。人混みに紛れて去っていく少年の後ろ姿に
監督の切なる願いがこもっているように感じて・・・涙。
痛ましき腕
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