月のレビュー・感想・評価
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重厚
映画はエンターテイメント。
観終えて暗くなりそうな映画は少なくとも劇場では観賞したくない。
この映画はその類いの映画のはずだが、予告編を観て興味が湧いた。
もうすぐ終わってしまいそうだったので、暗い気持ちになるのを覚悟で観賞。
意外に淡々とした気持ち、充足感すら感じながらエンドロールを眺めた。
批判を覚悟で言えば、さとくんに一定のシンパシーを感じた。
安全な場所にいてあれこれ正論めいたことばかりほざく輩にはうんざりだ。
私自身老境に入り、親の看護、介護や死を目の当たりにして、
生きることを考えれば考えるほどそのためには「死に様」が重要と感じる。
結果はともかく、さとくんのそこに至る過程には思料すべき点が多々あった。
宮沢りえの自問自答にもそれが端的に表現されていた。
但し、芸術性を求める上では仕方がないのかもしれないが、
障害者の描き方は親の介護を経た者としては観ていて辛い。
ここまで描かないとゲージツにはならないのだろうか。
また、3.11に福島にいた身としてはこれと結びつける必然性に疑問を感じた。
暗部とエゴ
澱のように心に残り続ける
えぐられる、問いかけられる。最後のセリフがひとつの答えなのか
あまり前情報を入れて映画は観たくない派なので、宮沢りえ、オダギリジョーと好きな俳優が出演していることだけわかっていて、ふらりと観に行きました。
スターサンズ作品ということも知らなかったのですが、それだけで相模原障害者施設殺傷事件をベースにした映画だとわかり、身が引き締まりました。
自分も含め、できれば善人でありたいと思う普通の人たちは、差別はいけない、どんな命も大切、と当事者でない限り言います。ただそこにはそこはかとなく、後ろめたさもあるはずで、なせなら決して自分の内に差別心はないと言えないからでしょう。特に意思疎通が難しい人に対しては、本能的に怖いと思ってしまう感情が少なくとも私にはあります。
さとくんの主張は絶対に認めてはいけないけれど、全否定できない自分もどこかにいる。映画の中ではそこを演出の力で観ている人にも問いかけているようでした。
洋子と昌平の間には話すこともできないまま亡くなった息子がいて、さとくんの恋人は聾唖者という設定。彼らを分けたのは何だったのか。最後のセリフが答えなのかと感じました。
こういう難しいテーマの中、4人のメインキャストの演技は凄まじかった。圧倒されました。
完全に狂った方角を見つめている無垢な目
深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――(公式サイトより)。
原作者の辺見庸のことは「もの食う人びと」というルポタージュで知った。世界の紛争地等、わざわざ危険なところに乗り込んで、そこで食い物を分けてもらうというかなりどぎつい作品だ。その後、脳出血とがんを患い、創作活動をしてきた自らを奈落の底に叩き込むかのような、読んでて気が滅入る漆黒の作品をいくつか書き上げた。
本作もずーーっと不穏な空気が漂い続ける。「川の底からこんにちは」「舟を編む」を撮った石井裕也の、極めて微細な人間の機微を映像で表現できる才が加わり、陰鬱さは倍加した印象だ。鑑賞後、しばらくは閉口するほかない。
この陰鬱さの正体は、本作のベースとなった「やまゆり園事件」で、犯人が語った「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させるべきだ」という主張を聞いた当時のばつの悪さの復活である。
「思ったことない?一度も?」と問いかけるさとくんの目は、完全に狂った方角を見つめているが、無垢ではあった。正しい方角を見つめているが、狼狽を隠しきれない洋子と対峙する場面はまさに白眉である。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉が示すように、洋子がさとくんに投げかけた言葉は、さとくんには届かず、そのまま自分に犀利な刃となって返ってくる。そしてその構造は、そのまま劇場内をも支配する。スクリーンから発せられた音と光に対する観客の反応が、思索が、言い訳が、錯乱が、そのまま自分に舞い戻る。嫌な映画である。
夜空に浮かぶ「月」は、自転の関係で、わたしたちに常に同じ面しか見せないのだそうだ。作中、頻繁に登場する「現実」というキーワード。わたしたちに見えている「月」をもってして、夜空に浮かぶあれを「月」と言えるのだろうか。宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみの怪演のシナジーが、闇夜に不気味に浮かぶ月光となって襲い掛かってくる。高畑淳子が絶妙に素晴らしい。
何か足りない感じがする
問題作であることが正しいと思う。
よくぞここまで描いたものだと思います。
この題材を、こんな風に作品にできる人が日本にもいるんですね。
あまりにひど過ぎて、思い起こすことすら拒否反応が出てしまうような事件がありますが、この事件もそのひとつで。
そうした事件は、そもそもフィクションの題材として扱ってはいけないもののような気もしてしまいますが。
それでもこの映画がてきて良かったと思うし、自分も見れてよかったと思いました。
まず前提として、映画としての出来はほんとに素晴らしくて。
その上で、描こうとしているものも、描き方も、自分はすごく共感できるし、納得がいったし、肯定したいものだと感じました。
見た人の中にほどうも、「さとくん」の論理や、主人公の自問自答を、事件を起こした側の意図を汲むようなものだと受け取って、それに批判的になる人もいるようだけど、それは例えばガリレオの天文対話を読んで天動説を主張しているととるようなものかと思います。
理解する力が欠如しすぎ。
はっきり言って、知的障害者のための支援が無駄だとかなんだとか、そういう類の考えを論理として否定するのはそれほど難しいことじゃない。
少なくとも、それよりずっと無駄なもの、ずっと悪どくて害のあるものなんて、いくらでも、数えきれないほど挙げられるし、そういうものに平気で大金をかけるのが普通な世の中だってのは、みんなわかってることでしょ。
だったら知的障害者のために金かける方が少なくとも「まし」であることくらい、いくらでも理屈はつけられる。
それでもさとくん的な考えは社会の中に生まれてしまうし、主人公のような問いかけは、現実に向き合えば向き合うほど、必ずどこかで出てきてしまう。
そこから目をそらしていては、それにきちんと対峙することもできないのだということを、教えてくれる映画だったと思います。
見たいものだけ見ていたいのが普通の人たち
記憶に新しいやまゆり園事件。衝撃的なこの事件をモデルに描いた本作は、制作陣・俳優陣の強い想いを感じるメッセージ性の強い作品でした。
覚悟はしていましたが、冒頭からずっと苦しい。明るい気持ちになれる瞬間はほとんどなく、不穏な空気を纏い続ける。終始じっとり不快。
目を背けたくなる恐ろしいこと汚いこと悲しいこと醜いこと、各所に配慮しつつもギリギリまで攻めていたように感じました。
さとくんが投げかける“普通の人”である主人公へ向けた言葉は、同じ“普通の人”であり綺麗事の世界で生きていたい私にもグサグサ刺さる。
かなり、くらう作品でした…。
映画としての面白みや倫理観への踏み込み方、放置したまま結末を迎えた問いもあったことなど不満もあり、満足度は少し低めでしたが、観て良かったです。
向き合う
ただひたすらに、あの狂気と向き合う時間だったと思う。
主人公の目線を通して、「ありえない」「馬鹿げている」と突き放し、目をつむる。知識として知ってるし、でも、自分からは関わらないし、違う世界の話と距離を置く。
そんな距離を、どんどんと詰められてくる展開で、見るのが苦しくなる。
映画の中でも、宮沢りえが、さとくんと話しているのに、いつの間にか自分と話しているように、逃がしてくれない。
そして、殺人が始まる。あの理論で行くと、解放。死んでよかったね。
いい訳ないとか言ってるけど、お前もその片棒をかついでるんだよって、訴えてくる。
あぁ、気が重い。ただただ気が重い。
だからこそ、違う、自分は違うと生きていかなければ行けないと思う。
目を背けてならない事実
普段、障害者の支援の仕事に携わっています。同僚から山ゆり園のことが映画化されたと聞き、しかも磯村勇斗さんが植松被告役と聞いて、普段映画やドラマでの磯村さんの悪役を演じる演技が好きだったので、これはハマり役だろ!と思いすぐ見に行きました。
作品の感想としては登場人物全員が闇を抱え、ただただすごく暗い、特に序盤の展開はダルく長ったらしいと感じます。
不謹慎なのかもしれませんがやはりサト君の心情の変化、そしてそれがどんどん捻じ曲がっていき、最終的に犯行に及ぶその心情に物語の一番のクライマックス的な盛り上がりがあるように思いました。
あくまで山ゆり園のことをそのままやってるわけではなくその事実の題材をベースにしながら物語が作られています。
どこまでが本当でどこまでがフィクションかはわかりません。
題材がフィクションではなく、本当にあったことでまだ終結していないので物語はものすごく中途半端なところで終わります。
ただ、この作品は普段障害者支援に関わる自分にも、いや世の中全体にもサト君の言葉はすごく投げかけられてるようなメッセージがありました。彼のやったことは許されないことではあるけど、彼の言っていた言葉や思い、世の中が目を背け、臭いものに蓋をする、そんなことに誰もが無関係ではないと思います。世の中がこれからも考えていかなければならない、目を背けてはならない問題がこの作品には詰まっています。
そして何より磯村勇斗さん本当に大変な役どころをしっかり演じてくれていました。脇を固める役者さんもどれも皆素晴らしい役者さんばかりで演技としては安心して見れました。
自分の中の優生思想に気付かされる
公式には言われていないが、やまゆり園事件をベースにした映画。あくまでフィクションという線引きはわかりつつも、現実の植松にいささか肩入れしたストーリーと感じた。植松は決してヒーローではなく、自己愛の強い異常者だったと思う。
一方で、「じゃあ自分には、サトくんを批判することはできるのか?」という問いに否が応でも向き合わされる。まさに洋子が直面する「障害があるかもしれないから堕ろす」という考え方は、サトくんと同じなのではないか?と。
サトくんと洋子と洋子の内面がぶつかり合うシーンは、素晴らしい緊張感でした。
できれば、洋子と昌平がくだす決断までをこの映画で見届けたかった。
そして、二階堂ふみさんは、ザラつき感のある女を演じさせたらほんとにピカイチです。
終始「ホラー」のような演出
さて、珍しくサービスデイと祝日が重なり、上映も朝一の回と言うことで観に行かない理由がなくなり、重い腰を上げてバルト9へ参戦です。朝8時35分という早目の時間帯でしたが、シアター1の客入りは8割ほど。年齢層はやはり高めです。
本作、鑑賞前からすでに(本作を)観た方々の「ざわつき」を感じておりましたが、それもそのはずです。原作は辺見庸による「相模原障害者施設殺傷事件(2016年/平成28年)」という名で知られることの多い大量殺人事件をモチーフにした同名小説(未読)であり、石井裕也監督の自らの脚色です。ちなみに同事件をWikipediaで確認すると、事件後の社会に対する影響などを確認することができますが、この作品もおそらくは事件を風化させない意図もあるのだろうと思います。
そのため、当然の如く簡単に断ずることが出来ない案件でもあり、私自身本作を観てどう感じたかは「まとまりがつかない」と言うのが、正直な感想です。勿論、概ねは襟を正す気持ちで観ておりました。
ただ、多少なりとも制作サイドに対して引っかかっりを感じるところもあります。
例えばこれは恐らく原作の影響と思いますが、後に事件を起こす「さとくん(磯村勇人)」に対して(2度だったか)ヒトラーに例え、そしてハンナ・アーレントさながらの「哲学」的なセリフだったりは、何から何まで「モチーフだらけで」いささか欺瞞に見えかねません。
そして、何といっても違和感なのが終始「ホラー」のような演出です。あくまで「モチーフ」とは言え、そのモデルとなる知的障害者福祉施設が実在し、そこに関わる人たちがいるわけですが、恐らくは「フィクション」を意識しすぎなのか、むしろミスリードすら感じる演出で、事件の当事者や関係者、または同様の境遇の方々に対する配慮については、若干如何なものかと感じます。
悪い作品ではないですし、目をそらさず語らなければいけない内容だと思いますが、個人的には「巧くない表現」かなと若干惜しい印象です。何だか、遅れてきて(劇場公開日は10月13日)ズケズケ申しましてすいません、と思いつつ、先日観た『愛にイナズマ』を思い出しながら「石井監督は難しい・・・」と思う帰り道でした。
社会の縮図
月
この事件で焦点を当てるのは容疑者では無く、日本(政府•行政)の障害福祉の実態だ。最重度の障害者のためを思って職員になった彼を真逆に仕立ててしまった現在の障害福祉制度。最重度の障害者は意思疎通が出来ないとして扱っているのは国であり、国の制度に文句を言わない障害者施設の経営者は定期監査(実地指導)で逃れられる。意見を言わない職員は障害者に何をしようと経営者は知らんぷりしてくれる。最重度の障害者を放置(映画の排泄物放置の場面)の施設はたくさんあることを、国も行政も隠している。そのことに疑問を持つ職員が狂ってしまう。容疑者の狂気性に焦点を当てるのではなく、国•行政及びそれに従う業界経営者と職員の実態にも触れたことは大いに評価される。事実にもっと突っ込んだ第二作を望む、国•行政が嫌う真の障害施設経営者より、
さて…どおしたものか。
さて、作品についてだけども…皆様、熱演だった。
のっけから重苦しい雰囲気で物語は始まる。
あのご夫妻は、区切りをつけきれずにいたんだろうなぁと思う。時間も足りなかったのかもしれない。
宮沢さんが自問自答するシーンに圧倒される。同じように自問自答してた。そしてやっぱり彼の事は止めると思う。命がどうのと言う観点ではなく、一職員が決行していい事ではないからだ。
患者に意思表示が出来ないのならば、それを決断していいのは血縁者だけだ。患者の命と将来に責任を持てるものだし、その責任を背負っていけるものだけだ。
磯村氏も素晴らしかった。
台詞の抑揚といい佇まいといい…自身の正論を述べる人であり、他者にとってはそれが異常だと思える人だった。
二階堂さんに至っては、この人こそ天才だと思えてしまう。冒頭の宮沢さんとのカットバックから既にギリギリの人の目をしてた。
冒頭の旧約聖書の解釈は人によるのだろうけれど、作品を見て「え?」って思ったのが、彼による1人目の殺人の次のカットがご夫婦の「おめでとう」「ありがとう」ってカットだった。そして血塗れの彼にカットは移る。わざわざソレを被せる意図は何なんだと驚いた。
ニュースが流れるシークエンスでも、回転鮨のレーンの描写がある。
何故、こんな物の描写が入るのかと首を傾げる。止めどなく起こる悲劇の暗喩が回転鮨なのかと思ったりするが、それにしてお気楽な感じもしなくはない。
けれども何かハッピーな事とは紐付けられないような雰囲気でもあって…考えれば考える程、厄介な事しか浮かんでこないような気もするので追求しないでおこうと思う。
高畑さんの登場には驚いた。
面会に来るご家族がいる設定なんだと。
ここでまた話がややこしくなる。いや、話自体はややこしくはならないのだけれど、保護者の立場も考えねばならぬのかと憂鬱になったのだ。
思うところはありはするが、当事者ではないので何を言っても余計なお世話なので、自身の胸の内に秘めておこうかと思う。
⭐︎の評価はほぼ俳優陣の演技に敬意を込めて、だ。
作品自体は宮沢さんの自問自答のシーンが、そのまま監督の葛藤にも見えなくはなかった。
▪️余談
※当初、冒頭に書いていたのだけれど感想よりは「私見」に近いので前後を入れ替えた。
俺も精神病院に行かなければいけないのかもしれない。彼の考え方を真っ向から否定できない。
行動に移す程思い詰める前に俺なら辞めてはいるが。
自分の死生観による所も大きいのだけれど、それを他人に当てはめる程、乱暴ではないとも思ってる。
17万って給料に驚いた。
大変な仕事だと思うし、何故それを選んだのだろうと疑問にも思う。俺には分からないだけでやり甲斐はあるのだろう。職員の方々には使命感みたいなものもあるのかもしれないと勝手な事も想像してはいる。
臭い物には蓋、なんて事を作中で言われるのだが、ちょいと異論がある。確かに向き合ってはいないが向き合う必要が今の俺にはないからだ。
自分の人生だけでも精一杯なのに、わざわざ関わりのない問題を抱え込みたくはない。
俺には俺がやらなくちゃいけない事が山程あるんだ。
それを卑怯と言うならば、そうなのだろう。その他の事は自分が当事者になった時に考えようと思う。
理想と現実は違うし、理想を押し付けるのはもっと違うのだと思う。ただ、17万は安過ぎると思う。
俺はやれないし、やりたくない。
やらなければならない時はやらざるを得ないのだろうし、当事者達の苦悩や葛藤も知らずに、意見を述べる程愚かではない。
3.11についても触れてはいたけど、別に忘れてないと思ってる。電気代は上がってるし、復興税なんてものも払ってる。それが支援なのだと思ってるし、それ以上に協力出来る事も今の俺にはない。
再三言うが、抱え込まなくていい問題は、抱え込まない方がいいと思ってる。
「忘れる」って事にしたって、忘却は脳の防衛本能だとも思ってる。100受けた悲しみや傷を100持ったままでは生きていけない。0になる事はないけれど、せいぜい20くらいにはなってくんないと明日に進めないように思う。
作中では中絶と安楽死を同列に語ってはいたけれどいかがなものかと思う。「要らないから殺す」は両者ともにいささか乱暴すぎる。極論、根っこは一緒だろと言われても承服しかねる。そもそも両者とも赤の他人に決定権はない。故に彼が言う「安楽死させてあげる」なんて文言に正当性などないのだ。
本人から意思表示がなければ患者であれ赤児であれ、その内側も慮るしかないのは同じで…何を投影するかなのだと思う。
そう思い込みたいのだ。
笑顔になれば楽しそうと思いたいし、言葉に反応すれば通じてると思いたいのだ。
実際は分からない。なんせ確かめる方法がない。
目が開いてれば見えてると思いたいし、耳があれば聞こえてると思いたい。それは願望でしかない。
切実な願望だ。
後は、患者の行動なりリアクションなりを推し量る観点が間違ってる。彼の場合、自分を基準にしてはいけないのだ。彼の観点からすればそう思うのは至極当然ではあるけれど、元々動ける人間が10年寝てるのと、最初から動けない人間が10年寝てるのとは価値観からして違うと思うのだ。
彼が行った犯罪は世直しのような類いではなく、暴走した自己主張なのだと思う。
テロリストと似たようなモノだ。
決して容認できるものではない。
見て良かったとも思わないけども、見なければ良かったとも思えない衝撃的な作品だった。
月の明かりに照らされて・・・‼️
この作品は介護施設を舞台に、光、喜び、葛藤、トラウマ、劣等感、妬み、狂気など、人間の様々な感情と人間性をあぶり出した傑作‼️物語全体を包み込むような月の明かりが印象的な作品でもあります‼️宮沢りえさん扮するするヒロイン洋子と、オダギリジョーの夫・昌平。3歳の息子を先天性の心臓病で亡くした辛い過去を持つ夫婦‼️人形アニメーションの制作に励む昌平と、作家でありながらデビュー作以降書けないでいる洋子‼️そんな洋子が介護施設で働くことになり、息子を失ったトラウマと再び対峙することに‼️洋子の息子を失ったトラウマと、介護施設で直面する葛藤を表現する宮沢りえさんの演技力は素晴らしいと思います‼️二階堂ふみさん扮する介護施設の職員・陽子。幼い頃から体罰を受けてきた父の浮気を知る陽子‼️そんな父や母との家族関係に悩み、作家になるという夢も、まったく芽が出ない時に出会った洋子への、劣等感と妬みを増幅させてしまう‼️そして磯村隼斗扮する介護施設の職員・さとくん‼️患者たちに手製の紙芝居を読んでやる心優しい男‼️しかし、同僚たちからは余計な仕事を増やすなと馬鹿にされ、その同僚たちの患者たちへの虐待を目の当たりにした時、狂気の世界へと堕ちてしまう‼️このさとくんがヒトラーと比べられるシーンがあるのですが、さとくんの彼女は聾唖者の女性‼️さとくんは障害者を社会に必要ナシと判断し、殺害を計画するのですが、自分の彼女みたいに意思疎通ができる人間は必要であり、介護施設の患者みたいな人間は必要ナシとラインを引いているところが恐ろしい‼️悪の論理ですね‼️最近の無差別殺人の犯人は、さとくんみたいな悪の論理が存在してるんじゃないかと思うと戦慄です‼️舞台となる介護施設も夜の闇に雷が響いたり、森の中にポツンと建っていたり、周りをヘビが徘徊していたり、クモなどの虫の描写があったり、まるで幽霊屋敷のような描写がなされており、この作品の世界観の構築にひと役買ってます‼️そして介護施設で日常的に行われている虐待‼️ここでは虐待のシーンを直接観せることなく、夜の闇に響き渡る物音や叫び声で表現していて、想像力を煽るという意味で秀逸‼️ただ部屋に閉じ込められた患者さんが便まみれで放置されてる描写は、強烈なショック度です‼️そして虐待をする職員たちの罪の意識の無さ‼️見て見ぬフリをし、現実を直視しない職員たちの後ろめたさ‼️その辺の描写も丁寧に描かれ、好感が持てます‼️そんなさとくんも精神病院に収監され、洋子も新しい小説の執筆を始め、妊娠も発覚‼️昌平も小さな映画祭で自分の人形アニメーションが賞を受賞‼️全てが順風満帆に向かっていた時、思いのほか早く退院したさとくんによってもたらされる悲劇‼️惨劇‼️ラスト、記念日に回転寿司屋で、今後の人生について前向きに話し合おうとしていた洋子と昌平‼️さとくんによる凶行がどんな影響を及ぼすのか❓観る人の判断に委ねられるラストですが、どちらに転んでも洋子と昌平にとって新たなトラウマとなるはず‼️恐ろしい終幕です‼️
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