月のレビュー・感想・評価
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ヒトであることの判断
予想以上に、暗く重い雰囲気の濃厚な作品だった。
投げかけられた問題も難解すぎる。
正解なんて無いだろうけど、だからといって知らんぷりも出来ない、捨置けないタスクを受け取った気分。
心の無いモノは殺して(生命を破壊して)いいのだろうか?……
草刈りを延々としながら滔々と考えてた事があり、雑草を刈りとる事もまた生命を剥奪してる事なら、連続殺人者と似た行為なのか?と考えを巡らせた事もあったのを思い出させられた。
生きる事を許されない存在が有るとしたら、どんな生命体なのか?
生きてるだけで価値が有る、とどこかの政治家が言ってたが、深く掘り下げて考え、その真意を探ると複雑な思いに駆られる。
考えても仕方の無いところにまで展開してしまう……。
誰もが承認欲求のある当事者
序盤で、宮沢りえ氏演じる洋子が障がい者施設に初めて足を踏み入れていく場面の異様な雰囲気には、私自身が初めて訪問教育の臨時講師として重症心身障がい児施設に足を踏み入れたときも同じような雰囲気を感じていて、それはまた、『夜明け前の子どもたち』の序盤にも重なる。本作のパンフレットの評にも、二通諭氏がその作品を比較して取り上げているが、きー氏と誕生日が同じところから共感し、コミュニケーション可能性を感じた様子は、その作品だけでなく、『ジョニーは戦場に行った』『潜水服は蝶の夢をみる』等にも通じるであろうし、発達保障論の肯定的な面を拾い上げるのも重要ではあるけれども、職員の重労働という観点からの退職者の続出という共通な面にも目を向けるべきであろう。『人生、ここにあり!』等のように、当初感じていた異様性が、付き合いを深めるに従って変容していく作品もあるけれども、それらとは最終着地点が違うのだろうとも思った。育てた子どもの疾患のためにわずか3年で命が失われた痛みから立ち直れず、再びの妊娠にも、躊躇し、迷い、分身に言い負かされそうな描写は良かったと思う。虐待から利用者たちを救おうとした行動は、『トガニ』やテレビドラマ『聖者の行進』の支援者たちにも連なるが、そうした努力が途絶してしまうところにも、現実の悲劇の遠因があったのであろう。最後に洋子が「きー」の母のことを思い遣って走り出す姿に、現実の事件後にも、同じような行動をした職員たちの姿が反映されていると思われた。
二階堂ふみ氏演じる陽子は、そうした序盤の異様な雰囲気に連なる異常行動者の一人かと思ったが、健常者の職員であった。しかし、関係を深めてみると、洋子の経歴に賞賛を向けながら、やがては洋子の作品にも、出産への躊躇いにも批判的な意見を述べて追い詰めていく二面性をもった人物として描かれていて、事件の発生に際しては、「さと」の犯行に脅迫と自身の同調によって動かされつつ、利用者の命を奪うことには躊躇いをみせながら立ち会い続けた様子にも、現実の事件後に、同じような行動をした職員たちの姿が反映されていると思われた。
『波紋』でもろう者の恋人のいる青年を演じた磯村勇斗氏が演じる「さと」は、当初は利用者たちに優しい心根をみせ、『花咲か爺さん』の紙芝居を語りきかせていたが、その結末が「汚いもの」と表現していたところが引っかかっていた。それはよくばり爺さんの心だったと思われるのに、その志を喪失したのが残念なところである。先輩職員たちによるいびりによって、理想を失っていく様子は、現実の事件発生の経緯説明とも共通するのであろう。自分との線引きを始めるきっかけとなった重度利用者の姿との遭遇は、漫画『ブラックジャックによろしく(精神科編)』、さらに遡っては有吉佐和子氏作の小説『恍惚の人』での同様の症状の患者を想起したが、その姿に絶望するとは、今日的には学修によって身につけておくべきプロ意識の欠如と指摘されても仕方ないだろうし、2005年2月に石川県内の高齢者グループホームにおいて発生した職員による利用者殺人事件の課題が解消されていないとも思われた。ろう者の恋人との会話にも、手話を使わない部分が目立つように態度が変化していた。洋子と昌平にも同調を求めながら、それぞれの反論を論破した後、政治家に手紙を書いて持論の承認を求め、精神科病院に強制入院させられ、事件直前に退院していた経緯も、現実の事件発生までの経緯と一致していた。"PLAN'75"や『ロストケア』と大きく異なっているのは、特にこの、持論の承認を求めている点であり、あるネット評にも、登場人物それぞれに承認欲求があると指摘されたものがあり、実行犯の本質に最も迫っていることであると言えよう。また、殺される側からの視点で撮影する方法も、観る側を引き込む上で、工夫が凝らされていると思われる。同様に、施設の異様な雰囲気を醸している作品の一つでもある『閉鎖病棟』でも殺人事件が描かれるが、加害者の立場や理由が大きく異なっている。
オダギリジョー氏演じる昌平は、様々な悩みを抱える洋子の夫としては、当初、かなりすれ違っている印象が強く、社会人としても自信なげであったけれども、警備員の仕事をしていて、先輩からの揶揄に反論できるようになって、少しずつ自信を取り戻し、「さと」の言動にも同じように反論していたが、どうも殴り返されたようで、説得には失敗したようであった。終盤で昌平は、ささやかながら先に挙げた承認欲求を満たされた人物として描かれている点でも救いを見出せるとともに、この夫婦は、『福田村事件』における主人公夫婦と同じように、部外者から当事者へと巻き込まれる立場として描かれているとも言えよう。
序盤の場面での異様な雰囲気で連想したまた別の映画作品には、大江健三郎氏原作の『静かな生活』もあったが、改めて観直すと、妹ですら障がい者が社会に迷惑をかけるかもしれないという疑いの目を向けることがあったり、教師への恨みを晴らすために障がいのある家族への支援を装って近づいた男性が、障がい者の無能性をみくびって反撃を受ける様に、障がい者の不思議な能力の一端を描写しているのを改めて見出すことができ、大江氏が障がいのある息子への絶望と意識の転換を見出した経緯を綴った小説『新しい人よ眼ざめよ』にも、改めて光が当てられるべきであろう。
利用者やろう者の恋人役に当事者が抜擢されたのも、評価されるべきであろう。
あなたは無傷で手ぶらで善の側に立とうとするなんてズルいですよ。
重いなあ。問題作だって言ってる人、現実を分かってないって憤る人、そういう人もいるだろうけど、こうして人の嫌がるところに手を突っ込んで問題提起をすることは評価すべきだと思う。少なくとも、知っていながら知らんぷりしているよりも。宮沢りえやオダギリジョーたち役者陣は、おそらく撮り終えた後に疲労困憊だったことだろう。観ているだけのこちらがこれだけ心が重くなったのだから。
検診で子供に障害が見つかった場合、96%の人が中絶を選ぶらしい。洋子(宮沢りえ)も問い詰められる。「同じでしょ?障害があったら中絶しようと思ったでしょ?あなたは無傷で手ぶらで善の側に立とうとするなんてズルいですよ。」見透かされているのだ。いい人であろう、常識人であろう、弱き者の味方であろうと思いながらも、いざ自分が「そちら側」の立場になるかも知れぬと察した時の、人間としての狡さ、小賢しさを。そして、それを素知らぬ顔で違いますよと言い返せぬ正直さを。そうさ自分だって、人には授かった命だからとか何とか体裁のいい言葉で善人振ってしまうんじゃないかと思うもの。心の中では96%の1人でありながら。この映画を観る行為だけで、さもこの問題を知っているかのような似非満足に浸ろうとしていたのだから。洋子の戸惑いは、自分の中にもあるのだ。せめて、そんな自分の中にある「善意のふりした悪意」に自覚していようと思う。
希望と絶望が同時に襲い掛かってきたようなラストは、今の世の中、この問題がまだまだ解決していない、いやむしろ解決のしようのない泥濘なのだと思い知らされたような気分になった。
月の元に晒す
太陽の元に晒すべき事件、隠蔽してもならないし、忘れてしまってもだめだ。
だけど、ドキュメンタリーではないから、リアルでなくていい。あくまでもフィクションとして月の元に晒した感じ。
映像は終始暗い。
満月でもなく三日月の明度の陰鬱とした映像が続く。
殺人というのはだれを殺したとてどんな理由があったとて今の世の中の場合は罪に問われる。
だが、時代が変われば違う。戦時は殺したことが勲章にもなった。
戦国時代は、大河ドラマなんかでも堂々と首を取ったことが誉となっているし、みんな見てるでしょ?
つまり、歴史の教科書に乗るくらい歳月が流れていない、数年前の事件は取り扱い注意は当たり前!
そこに切り込むことは大変危険で怖いことだが、風化させてはならない問題を提起をすることに強い意義は感じる。誰もが忘れるほどに遅くてはダメだ。
宅間孝行が普段はタクフェスでいい芝居を作っているが、今年はタクラボ名義で「神様お願い!」という舞台で安倍総理襲撃事件を描いた。パーフェクトな出来で衝撃を受けたし知らぬ間に泣いていた。あまりの素晴らしさに2回観た。
直近の事件を扱うのはとても勇気のいること。
この映画はタクラボのレベルには達してはいないけど勇気は買う。
宮沢りえ、オダギリジョーが演じる夫婦が毒消しになっている。
だってさ、〈犯人が障がい者を殺しました。〉だけじゃ映画にはならないからしょうじきじいさんと正直ばあさんが必要なのだ。
回転寿司で普通は大人は玉子のお寿司なんて取らないよ。そこが被った2人の手の触れた瞬間!素敵じゃないか。2人とも小説やストップモーションアニメの夢追い人、子供のような心を持つピュアな人物だから玉子に手が伸びるのだ。
オダギリジョーの夫がほんとに優しく妻を師匠と呼ぶほど尊敬していて、妻を包み込んでいる。
二階堂ふみがまたいい味出している。嘘つきな嫌な女が素晴らしい。
事件の真相は?真実は?それを微妙に誤魔化してしまう嘘の象徴。彼女は浮気をしてる父や浮気を知ってて知らない顔してる母と、家庭も全て嘘だ。
そして一番拍手を送りたいのは磯村勇斗。まあ、難しい役をよく頑張りました。花丸!
花咲かじいさんの紙芝居を作って利用者に読んであげる優しい顔、刺青に大麻に大量殺人の裏の顔。聞こえない彼女に愛してることも告げつつこれから殺しに行くことを告げるシーンには射抜かれた。
正直じいさんだったのに意地悪じいさんになってしまった悲しい人物だ。
施設内の糞尿にまみれ裸のモザイクのかかった男の姿は衝撃的だ。見てしまったが最後、たがも外れる。
ここ掘れワンワンで糞尿を掘らされたことに怒り意地悪じいさんはポチを殺してしまう。
そこだ!磯村勇斗はそこで意地悪じいさんに豹変の演技を見せたのだ。
昔話の中では、正直じいさんはポチを葬った灰で枯れ木に花を咲かせる。
この映画で咲いた花は久しぶりに完成した小説とフランスで受賞したストップモーションアニメだ。
また、お腹の赤ちゃんを堕胎せず物語は終了する。どうしたかは想像に委ねられる。
もう一度回転寿司に行けた2人だもの。きっと1年後2人の間には可愛いベビーがいるはずだ。
施設には監視カメラが着いたのだから、もう月ではなく太陽の元に晒そう。
撮るの大変だったろうな
実際の身障者が出演してて、制作側の苦労を想像してしまう。
嫌なことから目を逸らして生きているのは誰もが一緒だ。胸に直球で来る。
答えは出しようもないが、生きることを肯定するのは愛だというメッセージが強かった。
答えは出ない
究極だわ…。
誰にも感情移入せず、映画作品として観ることに努めた私は、
お前もきちんと考えろ!という投げかけから逃げているズルい人間だよな…。
そんなの判っているけど、結構、心痛いわ、これは。
ストーリーや映像的には、必要ない部分も多々あったけど、
それは、監督のくせということで、
元になっている事件については、
薄れていた記憶が再び濃くなり、考えようとする所まではいけた。
でも、やはり、最終的に答えは出ないよ、と逃げる自分への嫌悪感。
それも、また薄れていくのだろうな…。
難しい…。
しかし、俳優さんたちはスゴいね…。
メンタルやられないのかな。
宮沢りえ 年取って好きに成った。
内容は重いです。
最後はハッピーエンドなんですが、重すぎてほのぼので終われ無いですね。
役者がオダギリジョーと宮沢りえなんで見れました。
人間は何か、正義は何か、幸せは何か
考えます。
多くの人が観るべき映画
重度障害者施設を舞台にした映画で、観た後は重い問いかけを渡された感覚に陥ります。
出生前検診で障害がある可能性があるとわかった場合に中絶をするのと、生まれてから殺すことはなにが違うのか。さとくんはそう問いかけます。
頭では違うことが分かっていてもそれをうまく言葉で説明ができない。この問いかけがとても印象的でした。
さとくんは心があるかないかで殺す基準を設定していましたが、洋子はそれなら私の息子は心がなかったってことかと聞きます。この時さとくんはなにも返事をしませんでした。
返事をしなかったのはなぜなのか。洋子に対して情があったから心がないとは言えなかったのか。それともわからなかったのか。
全体的にみる側がさとくんに同情する様なストーリーになっているため、もう少し施設入居者やその家族の話を入れてもよかったと思います。
ストーリーは重いですが、
多くの人が観るべき映画であると思いました。
月を観て
近辺の映画館では上映していないので上映している県一館のシネマで観てきました
主人公の小説が綺麗ごとと指摘されたり
同僚支援員の家庭が表面何事もなく生活されていく中
殺人犯のみが障がいをお持ちの方々に対して抱く感情を実際に行なう
ということを提起しているのでしょうか
誰もが綺麗ごとで済ます現在へのひとつの問いかけでしょうか
ただ現実に7年前に殺されたご本人の方々やご親族の心情を考えると
もう少し取り上げる内容を考えた方がいいと思います
殺人犯は他支援員より一生懸命やった結果あのような感情を持ったように
描かれています
実際は何回も施設長から考えを注意されていたと聞いています
あくまであの事件をヒントに描かれているとは考えますが
内容が内容だけに現社会に与える影響を考えます
また描かれている施設の様子
主人公が最初に入った時は鉄格子の入ったドアを解錠して入ってました
最初に入るドアがあんな状態なのはここ最近もそして過去にさかのぼってもほぼないです
事件は2016年です 各部屋が施錠されていたり
あの部屋は入らないようにと上司から言われているとか
便で汚れても放ったらかしなど皆無です
またフロアで過ごしていた方々もすごく暗く陰鬱に映されています
実際の施設はあんなことありません
もっと開放的で明るく楽しい雰囲気です
あの殺人犯の気持ちを裏打ちするためにあのように描いたかもしれませんが
楽しく過ごしている施設に押し入り殺人を行なったのが現実です
あの犯人の残虐性をもっと描いて欲しかったと思います
そうしなかったなんらかの意図があるかと思ってしまいます
現実の施設をもっと下調べしてから映画製作を行なって欲しかったと痛感しました
でないと今の施設があんなんかと思われる方がいっらっしゃるかもしれないこと危惧します
現代に「人間とはなにか?」を問うメッセージ映画
相模原やまゆり事件をモチーフに描いている問題作と言う事で観に行った。この事件の詳細は知らなかったが映画を観た後に調べると映画の随所にそのまま使っているんだなぁと改めて事件に興味を持った。
さとくんの主張は一貫している。「意思疎通のできない、生産性のないモノは人間ではない、排除した方が世の中のため」。モデルとなってる植村聖も同じ主張をしていると思われるが後で実在の植村聖の方がより普通の青年だと感じた。パンフレットを読み「共感させないため」にわざとさとくんは闇があるように描いているのだと感じた。
私達は上記さとくんの問に答えなくてはならないが、主人公(宮沢りえ)も明確に答えられないまま映画は終わっている。つまり観客に答えを問うている映画なのだと思った。
特に日本は宗教もない経済資本主義なのでお金の稼げない者、生産性のない者は排除されるような価値観であるのはさとくんに限らず現代に生きる私、皆さんも感じているのではないだろうか。
私は映画を観ている中で「私達が昔、原始時代(経済発展がない)中では、障害者たちはどうような生活だったのか」と想像してみた。たぶん命の危険はあるが現代より自由であったのではないかと想像した。私は「本来、人間に生きる明確な意味はなく、生きているだけで良い」と思っているが、私たちは経済「お金」以外の価値観を見つけないとまた同じような事件は起こるのではないかと感じた作品だった。
最後に宮沢りえさんはじめ役者陣はみんな素晴らしく実力派が揃っていました。事件が起こるまでの時間は長く、人間ドラマが繰り広げられるが飽きさせず見応えもありました。役者陣の力だと感じた。
石井さんの映画は力強いものが多いし、この映画も最後はそうだけど、...
石井さんの映画は力強いものが多いし、この映画も最後はそうだけど、それでもかなり主人公たちはよれよれした設定だった。オダギリジョーも宮沢りえも、難しい役をよくこなしていたと思う。磯村勇斗くんは、カルト映画など、受動的な状況に身をおいて精神が壊れる話を続けてやっていて、この役も、人の良さそうな感じとそれが精神病的に壊れて行く感じはうまく演じていた。二階堂ふみも、若き頃の演技の感じだ。謝りながら、嘘が許せない感じ、うまかった。
原作がそうなのかわからないけれど、夫婦の話を絡ませる演出は面白かったと思う。
回転寿司もいい。不気味だ。
夫婦に子どもの声が聞こえるなど、彼らも病気スレスレの設定がうまい。
人間の絆
すべての人間に共通する思いとして健康で幸せに暮らしたい、周りの人からあなたがいて良かったと望まれる人生を送りたいという願望がある。裏を返せば心身が健康でなく周りの人に世話をかけたり、もっと言えば疎まれるような人生は不幸だし、欲しくない。フランス革命から長い時間を経て2008年5月、ようやく障害者にも順番が来た。国連の権利条約を機に当事者が発信する機会が増えた結果、障害による社会的不利は健常者が解消することがルールとなるはず、だった。でも口に出さないけれどそれはあくまでも条約とか世界基準の大きな話であり、自分のこととなるとそれは受け入れられない苦痛となる。
さとくんの言動に胸騒ぎを覚え、非番にもかかわらず職場に出向き忠告する洋子。これに対するさとくんと洋子の声が混ざった本音の問いのシーンが強く印象に残っている。公に口にできない、しかし人間に共通する帯のような負の感情といった意味でS.モームの小説「人間の絆」のテーマにつながる。
しかし希望はある。今まで見たくないものとして隠されていたことがこの映画が公開され、生物の宿命として人間には生まれながらに持つ心身の条件があること、平等でないことが明らかにされた。この事実が白日にさらされ、目の前に突きつけられたことで人間は変化への一歩を踏み出すことができたと感じる。
アンテナの矢印は、自分に向けたい。
宮沢りえさん、オダギリジョーさん、磯村勇斗さん、二階堂ふみさん、すごかったです。
ものすごく重苦しくて、出口ないのか!?と息苦しくなる映画でした。
この4人のラストは、不安の中でも光を求めて生きていくしかないというメッセージなのかな。
優生思想は、私も持っています。
出生前検査はしませんでしたが、出産時、彼らの身体に欠損がないかを一番に見たし、1歳半検診、3歳時検診では先生の診断結果にドキドキしました。
育児書や母子手帳の標準値も気になりました。
子どもたちが成人した今も、彼らが健康でいてくれていることを我がことよりも祈っています。
だから、宮沢りえさん扮する洋子さんの想いには、胸がつぶれそうなほど共感しました。
磯村勇斗さん扮するさとくんは、きっと心に深い闇を抱えていると感じました。
知り合いに、つらい過去がフラッシュバックすると刺青をいれる人がいました。
彼は、ほぼ全身に刺青が入っていました。
さとくんの背中にある大きな刺青を観たとき、この知り合いのことを思い出しました。
さとくんにとって、自分と繋がる方法は痛みなのかもしれないと思いました。
「世界には、そこで生きる人全員が幸せになれるだけのものがある。
それをその時その時必要なものだけ皆が使えば、誰もが何不自由なく満たされるんだよ。
自分がまず幸せになることを怖がらないで。」
というお話を、小さい頃絵本で読んだことがあります。
この時、私は、自分の幸せが他人の不幸に繋がらないと知って、すごくホッとしたことを覚えています。
周りの人がたとえ不幸そうに見えても、まず自分を満たしていいと、私は思います。
いくつもの視点から考えてみてほしい
どうしようかと思っていたけど、観れてよかったです。
磯村勇斗くんが好きな自分にとっては、また新たな一面を見せてくれたなと感心していたとこでした。
作品のテーマは非常に重いです。
でも、私達は今もこれからも考えていかなくてはいけない重要な内容です。
障碍者を悪く言うつもりも、仲良く楽しくみんなで生きようなんて、言うつもりもありませんが、障碍者本人、その家族、施設で働く人、施設を経営する人、みんなそれぞれが違う思い、考え方、見方をしてるわけです。
実際、本当に寝たきりで胃ろうで生きてるという方もいるでしょう。そういう方に心がないのか、その家族はその人のことをどう思っているのか、それもやはり人それぞれでしょう。
この作品がやまゆり園の事件をモチーフにしているようですが、あくまでもフィクションであり、ドキュメントではないのです。全てを忠実に再現する必要はないのです。
これからもこういう事件がないとは言い切れない、この作品を観た人達がこのような事件があった、どうしてこの事件が起きてしまったのかと考えるきっかけになればいいのです。
石井裕也監督の他の作品を見たことがあればわかると思いますが、問題提起をしてくれていると私は思っています。
出生前診断のこともそう、障碍者施設の問題や、障碍者と健常者を共存していくにはどうしたらいいか、いろいろ考えることはあると思います。
この映画のここがダメ、いいとかではなく、監督がなぜこの作品を作ったのか、何を伝えたかったのかを考えることが大事なのかなと思います。
期待度○鑑賞後の満足度◎ 久しぶりに男前なオダギリジョー。キャリア最高とも言える宮沢りえの名演。しかし本作のテーマは月(人間・社会)の裏側(見えない面)を描いて深く重い。
①まだ記憶に生々しい事件を想起させる映画をこんなに早く作っていいのか、特に被害者の遺族の人は観ていて堪らないだろうなぁ、とは思った(『PLAN75』の冒頭シーンの時も心配したけど)。しかし映画としては画面から目が離せない力作。
②テーマは分裂している(一方は、現実から目をそらす・向き合わない、臭いものには蓋をする、キレイなものだけでうわべを繕う、本心を隠して嘘をつく、本心は違うのに自分を正当化するために自分の心にも嘘をつく等々の人間の心が持つ暗い面ーでも敢えて汚いことは隠すことも必要な時もあると思うけど…、でもう一方は、人とは何か、「心」とは何か、生まれて来なかった方が良かった人間などいるのか、障害者の人達は本当に可哀想な人達なのか、そう思う人の方が可哀想な人なのではないか等々の障害者を含めた人間が生きる意味)ようにも思うが、それを繋ぐ立ち位置に宮沢りえ扮するヒロインがいる。
③障害者殺人というジャーナリスティックな側面ばかり見ていると見落としてしまうテーマを持った作品だと思う。
どうしても其方に目が行くのは判るが。
④ただし、「さとくん」の発想はあまりにも短絡的・近視眼的・自分勝手で到底赦しがたいし、同情の余地はない。まあ、テロリストや銃乱射犯人の思考も似たり寄ったりだろうけど。
また、ヒロインに“貴女も同じ考えでしょう。だから仲間です”と言ったり、“誰かがやりなさいと言っている”と言ったり狂信的な点も垣間見得る。
耳が聞こえない恋人に(聞こえないのをいいことに?或いは聞こえないからこそ?)殺人の意思を告げたり、二階堂ふみ扮する同僚を無理矢理巻き込んだり、この男も結局自分で思うほど意志が強くなかったようだ。
⑤非難を覚悟で言うと、本作を観て実際の事件や事実もこんなだったと思うのは想像力が欠如していると言わざるを得ない。
悪人を演じたからといってその役者を悪人と思うのと同じこと。
213 りえちゃん、幸薄いなあ
始まりから暗いトーンに終始し物語の印象を早くも染み込ませる。
あと一言付け足したら爆発しそうなマグマを
りえちゃんもふみちゃんもジョーも磯村勇斗も
前半はなんとか踏みとどめていたが
後半はすみません、ワタシ酔っぱらってますとツッコむツッコむ。
もう少しダイレクトに現場の闇を見せるか、と思っていたが
監督の良心か行き過ぎた演出はなく
最後ふみちゃんかりえちゃんが危ない目に合うのは嫌だなあと
ハラハラしていたがそれもなくホッとした。
拙自身、人間というのは性悪説そのものと思っており
誰もが一線を超える危険性を持っている。
じんけん~!へいわ~!さべつ~!クマ~!
の昨今のお花畑の方たちの言い分は全く同意できず
もっと現実的に相対することを考えていかないと
ますます怖い世の中になっていきますね。
それでも物語は一筋の光を見せてくれるエンディングになっています。
70点
イオンシネマ草津 20231025
意義はあったけど残念
優生思想について問いたかったんじゃなかったっけ?と、映画館を後にした時に首を傾げてしまったのは、終わり方が夫婦の物語にまとまっていたからなのかもしれない。
難しい内容で間違えたら障害者の人、親を傷つけてしまうのでそこに配慮したのかなとも思われたが、出産をテーマに入れた事でテーマが分散され、事業所で勤務する職員のネガティブキャンペーンになってしまったのだと思います。
もう少し絞ってもよかったのに。
ただ、なかなかメスを入れられないテーマを映画にした意義はあったと思います。
また、二階堂ふみさんが障害者の方と深い関わりをとっていたせいか女性の障害者の方の表情が明るかったのが救いで、光だったと思います。
平たくいうと惜しいって感じです。
次回はぜひ2020年のコロナ禍で、差別とコロナと戦い、収束まで辞める職員が出さなかった船橋の知的障害者施設の話をテーマに映画を撮ってもらえたらなぁと思います。
なぜ職員が頑張れたのか。そこがみたいです。
考え続ける為に
ミスリードされる人が出そうだなとも確かに思いはしたが、他の映画であってもほぼ全てそういう側面はあると思うので、「観る、知る、考える」為に良い作品だなと感じました。"正論"は"正義"じゃないし、"正義"は"正解"じゃないと常々思いながら生きている自分には、グラグラと終始揺れている洋子(宮沢りえ)の思考と選択が興味深く、"事件"そのものよりも描きたかったのはそこだったのかな?と感じました。
気になったところ
序盤、子供を失ったことを示唆する描写はもう少し削っても良いと思いました。
パトカーと消防車のおもちゃにあそこまで何度もピントを合わせなくても、さりげなく画面に映る程度で良かったかなと。むしろ、最初の朝食のシーンの最後だけで十分だったかなと。私はそう思いました。
それと、映画があそこで終わってスタッロールで、少し置いてけぼり感がありました。もう少し事件後の描写が見たかったです。
全体的にはおもしろかったです。
深く考えさせられる作品
原作未読、実在の事件を元に描かれた作品という程度の前情報での鑑賞。
本当に悪いのは誰なのか、自分にできることは何か、事件を防ぐ手立てはなかったのか、どうすれば同様の事件が今後起こらないようにすることができるのか、深く考えさせられました。
誰よりも情熱に溢れていたはずの若者が片寄った思想にとりつかれて堕ちていく様子が実に不気味ででもふとしたきっかけさえあれば誰にでも起こりうるのではないかという現実味。
役者さんたちの演技素晴らしかったです。
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