月のレビュー・感想・評価
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恐怖の中に垣間見える現実
津久井の障がい者施設で起こってしまった殺傷事件がモチーフの映画です。
相模原市出身者として、これから社会の障害をなくしていく者として、
見なければならない作品だと思っていました。
上記の事件がなぜ起こってしまったのかはわからないですが、原因と思われるいくつかがこの作品の中に散りばめられていたと思っています。
・施設で働く職員が、まるで障がい者を人ではないかのような扱いをする場面。
・暴れる障がい者を鍵付きの個室に監禁する場面。
・差別的な発言をする職員を、冗談だとして無視する施設長。
・働いている職員の、逃れようもない家庭の現実。
・悲しみにくれる主人公がその悲しみの答えを求めて、映画の障がい者施設で働くさま。
それらいくつかのプロットが混じり合った結果、映画の世界に引き込まれていき、
鑑賞が終わった後も、まるで現実感のないような気持ちが続きました。
振り返ってみると、過去に私が精神科の閉鎖病棟に入院した時に感じた苦しみと似ている点がいくつもあったかなと思います。
入院中は心も頭も重苦しい状態でしたが、暴れた患者が鍵付きの個室に移動されるさまを見たときは、どうしようもなく やるせない気持ちに心が覆われたものです。
そして、いつ出られますかと医師に聞いても、もう少しと言われ続け、先の見えない毎日。
これが病気なのか・病気でないのか、障がいなのか・障がいでないのか...
迷って迷って答えを決め続けた延長線上に、今の生活があります。
入院していた頃と変わらない自分の核は、障がい者と同じ、とも言えます。
ただ、安易に同じと言っては、映画で、施設長が開けるのを禁じている扉を磯村君が開けた後のワンシーンのように同調しすぎてしまう危険性があると思います。
ただ、多少誇張している部分はあるかもしれないけど、この映画で表現されたことは、経済成長ばかり追い求める社会の裏で起こっている現実に近いものだと思ってます。
だからこそ、この映画で監督が伝えたかったことを、現実を知らない多くの方に知ってほしいと願っています。
そこで知った感覚が、最後のシーンで宮沢りえ さん・オダギリジョーさんが決意したのと同じように、どうしようもない現実を変える力になると信じています。
これだけは言えます。
最高の映画でした。
PS: 映画で昌平のセリフを聞きながら、節々で感じる空元気の演技に、オダギリジョーさんの凄さを感じました。
目を背けちゃいけない問題
貴方はどう思う?と襟首掴まれながら問われる痛み。 さぁ答えてみろ と後ろ手に縛られているような恐さ。 決して逃してくれない時間が淡々と進む。
観なきゃ観なきゃと思いながらなかなかに敷居の高い介護施設モノは自身に向けた匕首でもあった。
皆んなが観なきゃね。
とにかく救われない映画
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東日本大震災を題材に本を書いたら売れた宮沢。
だがやがて書けなくなり、障害者施設でパートで働くことになる。
震災を取材に行った時には、汚いものや臭いものも多く見た。
但しそれらをありのままに書くことは編集者が許さず、美化して書いた。
それで書けなくなったのだった。日の当たらない障碍者施設を経験すれば、
また何か書けるのではないかという期待も持っていた。
しかし働いてみると最悪で、職員が利用者に障碍者を振るうこともあった。
また近づくことを禁止されてた部屋に、夜勤時に行くと衝撃の光景を見た。
閉じ込められて糞尿まみれで放置されてる障碍者だった。
一緒に目撃した職員の青年のスイッチが、これで入ってしまった。
心を失った者はもはや人間ではなく、存在する価値などない、
だから施設の260人ほどを全部自分が殺す、と言い出したのだった。
もちろん宮沢らは、それは間違ってるとか色々言って止めようとする。
が、結局予告通り最悪の事件が起こってしまい、ジ・エンド。
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とにもかくにも、救われようのない映画。
上記の悲惨な本筋以外にも、色んなエピソードが描かれる。
同僚で小説家の卵の二階堂ふみの話、売れない映画監督の夫が受賞する話、
夭折した2人の子供は病気で「心を失ってた」話、宮沢がまた妊娠した話、
宮沢が障碍者施設を題材にまた書き始めた話・・・。
が、どれも本筋とはそんなに関係して来ない。
青年は言った。誰かがやらなければならない、これは国のためでもある。
ほとんどの人間は単にラクな選択だから善を選んでるだけであり、
本当は手を下す勇気がなかったり、責任を負いたくないだけ。
確かにその主張自体は鋭い所をついてると思う。
またこの青年の、生きる姿勢自体は素晴らしいと思う。
見てはならないものを見て方向性がおかしくなってしまっただけで、
もともと真面目で一生懸命、思いやりもある優しい人間。
また事件を起こした理由に私利私欲が一切ないだけに、救われない。
心を失った者は本当に人間なのか?難しい問題である。
施設での描写を見てると、心のない人間に存在価値は感じない。
周囲に迷惑をかけるし、本人も暴れたりして苦しんでる。
そのまま存在が消えたらいいのにと思ってしまう。
そして普段から目を向けないようにしてる。
これは、きっとほとんどの人間がそうだろう。
自分が被害を被ってないから、殺そうとまでは思わないし、
また殺すなんて可哀想という気持ちがはたらいてそう行動しないだけ。
この映画を見て、こういう問題が実際にあるであろうことを知った。
でも、これからも目をそらし続けたいと思ってるズルい自分がいる。
とにかく色々と考えさせられる映画。そしてとにかくやるせない。
自分をゼロクリアして油をさすべき作品
心がないなら人間じゃないのか。動けない障碍者は心がないのか。
障害で生まれてくるとわかったら中絶すべきなのか。
この二つを一緒にする考え方が犯罪を生んだというのか。
命がある限り生きるという意志が置き忘れられている。
短絡的な発想が闊歩している。
観る側は混乱する。
もしかしたら自分も、その短絡的な発想に誘導される可能性があるのではないかと。
障碍者殺しの犯罪者と自分が、実は距離が近かったりするのではないかと。
合理的で効率的な自分であろうとあせるあまり、そうでない人たちを排除する意識がないだろうかと。
考えさせられる。いや、錯覚せずに考えるべきなのだ。
いったん自分をゼロクリアして見つめ直す。そして自分のこだわりに油をさす。
突きつけられたものに、ただ呆然としないように。
同感です、解ります
老健に働いて15年になりますが身障者施設の方は本当に大変だと思います。年寄り相手の私でも殴られ噛みつかれ糞まみれなんを仕事だから仕方ないとこなしてきましたが。管理者は自分が面倒みる訳じゃないから現場の職員が大変。精神やられた人も多く指示は入らず、安い給料で休みも無く汚い安いキツいの😢皆メンタルやられるから映画見て、そうそうと同感しました。虐待!?私たちはそれ以上やられてます。でも利用者から
やられても言えない。これだけ高齢者や身体障害者を御世話する仕事の処遇改善が向上しなければやり手なんかいません。まじで給料安くて汚いキツい仕事、こちらが精神やられるから。やっと月の映画見て救われた、私達の現実はこれです
月を見た障害者施設職員から
「月」を見ました。全体的なイメージは障害者施設はあのような感じではあります。私の施設では障害者利用者は80名入所しています。それぞれの利用者が他人には我関せずで生活されています。自閉症、ダウン症の成人の方老若男女です。
脳の病+精神の病ですから、様々社会常識に当てはまらない日常生活っす。社会では3K(臭い汚い気持ち悪い)ですが、我々支援職員はいかに清潔に一般的に正しく、表情よく暮らせるかを支援しています。汚物まみれ、排泄処理、洗体、食事の摂り方、衣類管理など、が仕事ですが、なかなかすんなりとは行きません。各々の拘りや苦手なことに対応するのは大変です。粗暴行為や破壊、自傷、不潔行為に闘わなければならないときもあります。それは、「仕事」という感情だけでは収まらないときもあります。
ご家族さんは極一部を除いてノータッチで、帰宅や面会、外出もなく、連絡さえしてくるな、という家族もいます。身寄りのない方もいます。
それを意気に感じて対応出来ればいいのですが。
ここからが今の障害者施設の大きな問題点です。映画にはなかった施設や行政の闇にしている本当の問題点です。
①家族がなにもしない分、担当職員に責任が来る。(面会に来てもお菓子を食べさせるだけ、エサ)
②家族負担の利用料は一切ナシ。食費、施設利用料(ビジホ一泊分/月)、日用品代、光熱費を月75000円ほどの障害年金で負担します。もちろん、それでは施設運営は出来ません。そこで、施設運営支援金というのが都道府県等から税金が施設に入り、職員の給与となります。あくまで、家族負担はありません。
③その、施設運営支援金を理事長がせしめ、職員には最低賃金を払っています。理事長の親族や評議員の紹介職員が管理者になり、高給取りになって上級生活者となります。職員の処遇改善手当も施設に入るため、すべて人件費に支払いはされていますが、傾斜配布が認められているため、管理者に多く入ります。そして、処遇改善手当があるためある程度給与底上げが出来るため、本来は施設が支払うお金はプールするか、理事が1000万を越える年収を受けています。ほぼ職員は給与やボーナスはジリ貧となっています。
障害者施設というものは、(理事者含め)管理者が現場には入らない、守られた場所からポケットに手を入れて、「どんな方でも困っている人を受入れて、現場で対応を考えなさい」の考えです。
抑えるために引き倒してしまったら、その支援員は逮捕されます。がまん、ガマン、我慢。ストレスより、違う行動が出るのもやむを得ないんです。
管理者は知らなかった、報告はなかったと逃げて行きますが、それは支援員はゴミ扱いなんです。問題起きれば支援員は一生を失いかねない職種です。学生さん、新卒で入るところではありませんよ。事実ですから。
毎日のように、新聞テレビで伝えられるような虐待、ほぼ全国どこの障害者施設でも起きていますよ。
長々書きましたが、映画ではまったく出て来ない、障害者施設の現実です。
ただし、入所ではなく、自宅からの通所では、大きく変わり、もっとやり甲斐、社会貢献が出来る場所は多くあります。
現状を読んでいただき、ありがとうございました。
匂いは確かにきついが、慣れてしまう
障害者施設で3年半働いていますが、サトくんが言ってる事はある程度理解できました。
匂いについて語っていましたが、確かに最初の頃は戻しそうになった事がありました。しかし慣れてしまえば、汚物が多少手についてしまっても平気だったりします。
サト君のような真面目すぎる職員はメンタルをやられるし、虐待スレスレの行為をする職員は他の職員や保護者と衝突したりします。
サト君は障害者は必要であるか?税金の無駄じゃないか?才能があるのに生活保護と変わらないような金しか稼げないのはおかしくないか?について悩んでいました。
私は世の中の歴史は時間が経つにつれて、自由で平等になるように進んでいるので、いずれは国民全員が介助ロボットや自動運転の車、生活できるだけのベーシックインカム等を手に入れて、貧富の差や障害の有無は格差が無くなっていくと思っています。
その過程である現在は矛盾だらけですが、時間が解決していく事に個人が立ち向かってもしょうがないかなと。
ハッとした場面があって、白髪の利用者が股間を触っている場面でサト君の意識が彼と同化するところ。
私自身も、服を破って裸になった利用者と目が合った時、意識が吸い込まれて気がおかしくなりそうになった事があります。常識が破壊されたような感覚。
映画で表現されたってことはよくある現象なんだろうか・・・
物語の焦点が不明確でテンポが遅すぎで長い
扱うべき題材なはずなのに、テーマそして構造、描き方が陳腐
人種差別、人間と非人間という思想、優生思想、生が気持ち悪くて臭いということを認めること、あるいはそれを認めずに無いものにすること、「自分とは違う」存在を受け入れられないということ、無いものにすること。今まさに世界で起きている虐殺と限りなく近い思想の種について考えている題材であるはずで、語らなければならないことについて語っているはずなのに、なぜかこの映画を最後まで観ても考えが深まらなかった。残念だった。
それぞれの存在が鏡になって、どちらがどちらなのか誰が自分で、自分ではないのか、そんなふうに問われていく演出はふさわしかった。
しかし、最後まで、「自分は人間」って思っている人たちからの視点でしか描かれないままで、施設の中で生きている人々のこと、この映画を作っている人たちはちゃんと見ていたの?聞いていたの?本当に、葛藤を描いたの?
結局、この映画は「刺さんなかった」。
この映画を作った人も、悲しみ?で言葉を失ってしまっていたのかな…?
すごく、残念です。
結局は何も描けず、すべった感じ。
俳優さんたちも、それぞれの役の人生に向き合って演じたはずなのに。
でも、じゃあ、殺された人たちの人生には誰が向き合ったの?この映画を作る人たちの中で。
最後まで、ミミズや蛇が暗示するだけ?
結局、「人間」に靴で潰される存在のままでしか描かれていない。
何が日の光にあたって美しい、スローモーションで映される障がい者たち、ですか?
そういうカットでしか、彼らを描けませんか?
「側」という、構造を崩さないまま、最後まで「得体の知れないもの」をどうしようか迷う「人間側」の心情しか描かれませんでした。
何を描きたかったの?テーマが謎です。
最後の、入所者の方のお母さんが泣くシーンとかも、悲しい、という感想を抱かせるだけだし。
自分の、子供たち(亡くなった子供と今お腹の中にいる子供の2人)に対する思いと障がい者に対する思いを重ねて揺れる心がテーマ?
うーん…薄い…
自分の心の中の優生思想に気が付かせるのが魂胆…?
それだけ…?
もっと描くべきものがあったはず。
こんなことは事件を知っている人なら考えることなはずです。映画の中ですべきなのは、その先の対話だと思います。
〈月〉も、ハイタッチも、二階堂ふみさんの役の存在(〈嘘〉について考えさせるとか、汚いものを見るとか)も、映画のテーマの中で結局はほとんど意味がないままだった。
本当に残念な映画です。
重要な映画になり得たはずなので、とっても残念です。
残念であることについて書きたかったので、評価すべき点については書きません。
もうすでに賞も取っている映画なので、されるべきところはされていると思います。
そういうわけで、テーマとしては表面的に似てしまっている『ロストケア』の方が考えるに値する映画だと思いました。
でも、この映画『月』が考えるべきなのは、「見たくない現実を見ないようにしている人々 ー あなた」ではなく、差別、と、それが罷り通ってしまっている社会のありようですよね。「あなたも犯人みたいなことを考える人の一人かもしれない」などと刃を向けるのが目的になってしまっていては、問いかけ、考え続けることにはなりません。
問題は、個人の思想だけに問われているのではないと思います。この映画はそこまでいけなかった。
最後に。
「この人話できますか?」
と訊くさとくんのことは、
心に残り続けるかもしれません。
彼が何に葛藤していたのか、のヒントとしては。
結局、作り手は、ほとんど彼の思想についてしか興味がなかったのではないでしょうか。
「報知映画賞作品賞」
フィクションだからこそ描ける事件の本質的問題点
7年前の相模原市の重度障害者施設やまゆり園での犯罪史上最悪の大量殺傷事件を題材に、作家辺見庸氏が書き起こした小説を映画化。私は小説は未読。
現実の事件の裁判の経過も注目され報道されていたので、この作品を観る自分の意識も、なぜ犯人は凶行に及んだのか、次第に狂って行く様に最初は意識が向いていたが、非常に丹念に描かれる主人公の宮沢りえとオダギリジョーの夫妻の癒しがたい深い傷跡にじわじわと心を奪わてゆくにつれ、別の重要なことに徐々に気づかされてゆく
園長の無責任で投げやりな姿勢、犯人となる、さとくんを虐める同僚二人組のよくあるだろう理不尽な振る舞い、二階堂ふみ演じる作家志望の職員の家庭の歪んだ家族関係、彼女自身のストレスと他者への攻撃性など、丁寧な描写が観るものに突きつけてくるものは何か?
それは我々自身の社会が直面する人権意識の希薄化や反差別の後退など危機的な状況そのものであり、社会にとって不都合なことを見て見ぬフリをし、無かった事にしている自分自身じゃないか!モヤモヤしながら家に帰って来て今こうして書き始めて思い当たったことだ
なぜ気づく事になったか?それは主人公の宮沢りえさんとオダギリジョーが別々の場面で、恐怖に怯みながらも勇気を振り絞って気持ちを言葉に出してくれるからだと思う、そこに心震えてしまうのだ
果たして自分なら出来るだろうか・・・
事件性に目を奪われてこの映画の真価を見落としてはならないと思う 真実に目を向けさせる見事なフィクションだ
重いテーマを受け入れることができなかった
ストーリーは、始めダラダラ、尻切れトンボ
以前、知的障がい者施設で働いていた者です。
障がい者施設を含む福祉施設の現状は、まさに玉石混在です。
良い施設もあれば、本作品のような、とんでもない施設もあります。
国や地方公共団体から支払われる「措置費」は、良い施設でも悪い施設でも同額なんです。
職員の配置基準も決められていて、利用者(入所者)何人に対して職員は何人という規定があって、その規定に基づいて措置費が支払われます。
重度知的障がい者に、適切な対応をしようと思えば、できることなら、常時マンツーマンで対応するのが理想です。
でも、介護する職員も人間なので、食事もすればトイレにも行くし休憩も必要です。また、障がい者が興奮したり暴れたりすることもあり、そのようなときは他の職員に応援してもらわないと対応できません。
だから、重度障がい者1人につき常時1.3人くらいの人員が必要です。1日3交代として、重度障がい者1人あたりの介護者は1日約4人。1か月の必要延べ人数は、4人×30日で120人。
祝日や、夏や、冬の休暇等も考慮して、職員1人あたり月に20日働くとしても、単純計算で、重度障がい者1人につき6人の人員が必要なことになります。
職員1人あたりの人件費を1か月25万円(諸経費含む)としても、6人分で150万円。重度障がい者が10人居れば1500万円。年間にすれば1億8千万円。
これはあくまでも、重度障がい者にも介護者にも、理想的な処遇をした場合の超極論の話です。それでも、かなり安い給料手取りで試算しています。
現状は、その1割にも満たない措置費しか出ません。
作品中で施設長が堂島洋子さんに対して「県のマニュアル通りにやっている」というシーンがありますが「マニュアル通り」の人員と経費だけで運営しようとすれば、まあ、暴力は論外としても、多かれ少なかれ、映画のような状況にならざるを得ません。
私が働いていた施設は、幸いにも「良い施設」でした。
では「良い施設」とはどんな施設でしょうか。
良い対応をしようとすれば、当然、国の措置基準を大幅に上回る人員が必要です。つまり、より多くの人件費がかかります。
そのために、地域や社会に働きかけて、多くの賛助者やボランティアさんを増やし続けなければなりません。それらの組織拡大活動を職員のみならず、入所者の家族や知り合いみんなで頑張っているのです。
当然、施設長や、管理職の人たちも、一般職員の応援のため現場に入ることも頻繁です。
そして、多くのボランティアさんの助けを借りて、街頭募金や、団体、企業、労働組合等のツテを頼って、支援物品の販売を行ったり、廃品回収や、バザー等々で運営費を捻出して、少しでも良い施設運営をしようと、日々頑張っているのです。
映画の中の施設には、ボランティアさんの姿が全く見当たりません。所詮、その程度の施設です。
今の日本には、障がい者施設はまだまだ足りません。
新たに施設を作ろうと思えば、多額の自己資金が必要です。
「良い施設」は、障がい者の保護者、家族、特別支援学校の先生たち、教職員組合、地域のボランティア団体等々が力を合わせて上記のような活動を通じて、自己資金を捻出して、設立された施設が多いです。そして設立時の資金活動を設立後も運営補助として継続しているのが現状です。
言わば「良い施設」は、職員と障がい者家族の自己犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではありません。誤解を承知でで言えば職員目線では「ブラック企業」になるかも知れません。
必然的に、ボランティアの延長で職員になり、熱い思いで仕事をしている人も少なくありません。
また、「どうせ働くなら社会の役に立つやりがいのある仕事の方が良い」と職業選択肢の一つとして働いている人もいます。
この両者に確執がないといえば、嘘になります。
映画にあったように「あの人が、余計なことまでするから、こっちの仕事がやりにくい。いらん仕事が増える。」と考える人も居なくはありません。
私は、6年間職員として在職しましたが、30歳を過ぎて、結婚を意識するようになったとき、手取り給与が20万円に満たない現状で家庭を持つことは困難と思い、転職しました。
現場を経験した者として、さと君の思いは解らなくもありません。
さと君のように「税金の無駄なのでは?」との思いが頭をよぎったことのある職員は多いと思います。
感情も思考もなく、ただただ、周りの介護によってのみ生かされていることが、本当に、その人にとって「人間の尊厳」なのか?と考えたこともあります。
でも、普通は誰も、さと君のような行動には走らない。
理性があるから?
怖いから?
自分の家庭や将来があるから?
という自分勝手な理由で自分の思いを否定します。
さと君は、堂島洋子さんの自宅で食事中に、障がい者や死刑囚の糞便や嘔吐物の匂いの話を平気でしています。
さと君は、真面目で正義感が強いサイコパスなんですね。
だから、さと君は正義感と優しさの行動として、あのような凶行に走ることができた。
他の人も書いておられますが、私たちとさと君は紙一重。
私たちも、どこかで心のネジが1本外れたとき、さと君にならないという保証はありません。
最後に、街で、障がい者施設の後援会が募金活動をしているのを見かけたら、そして、どこかの公園で福祉バザーをしていたら、少額でもいいのでご協力頂けたら、とても嬉しいです。
ズレていくテーマ
重厚
映画はエンターテイメント。
観終えて暗くなりそうな映画は少なくとも劇場では観賞したくない。
この映画はその類いの映画のはずだが、予告編を観て興味が湧いた。
もうすぐ終わってしまいそうだったので、暗い気持ちになるのを覚悟で観賞。
意外に淡々とした気持ち、充足感すら感じながらエンドロールを眺めた。
批判を覚悟で言えば、さとくんに一定のシンパシーを感じた。
安全な場所にいてあれこれ正論めいたことばかりほざく輩にはうんざりだ。
私自身老境に入り、親の看護、介護や死を目の当たりにして、
生きることを考えれば考えるほどそのためには「死に様」が重要と感じる。
結果はともかく、さとくんのそこに至る過程には思料すべき点が多々あった。
宮沢りえの自問自答にもそれが端的に表現されていた。
但し、芸術性を求める上では仕方がないのかもしれないが、
障害者の描き方は親の介護を経た者としては観ていて辛い。
ここまで描かないとゲージツにはならないのだろうか。
また、3.11に福島にいた身としてはこれと結びつける必然性に疑問を感じた。
暗部とエゴ
澱のように心に残り続ける
えぐられる、問いかけられる。最後のセリフがひとつの答えなのか
あまり前情報を入れて映画は観たくない派なので、宮沢りえ、オダギリジョーと好きな俳優が出演していることだけわかっていて、ふらりと観に行きました。
スターサンズ作品ということも知らなかったのですが、それだけで相模原障害者施設殺傷事件をベースにした映画だとわかり、身が引き締まりました。
自分も含め、できれば善人でありたいと思う普通の人たちは、差別はいけない、どんな命も大切、と当事者でない限り言います。ただそこにはそこはかとなく、後ろめたさもあるはずで、なせなら決して自分の内に差別心はないと言えないからでしょう。特に意思疎通が難しい人に対しては、本能的に怖いと思ってしまう感情が少なくとも私にはあります。
さとくんの主張は絶対に認めてはいけないけれど、全否定できない自分もどこかにいる。映画の中ではそこを演出の力で観ている人にも問いかけているようでした。
洋子と昌平の間には話すこともできないまま亡くなった息子がいて、さとくんの恋人は聾唖者という設定。彼らを分けたのは何だったのか。最後のセリフが答えなのかと感じました。
こういう難しいテーマの中、4人のメインキャストの演技は凄まじかった。圧倒されました。
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