「ストーリーは、始めダラダラ、尻切れトンボ」月 キングオ-バ-さんの映画レビュー(感想・評価)
ストーリーは、始めダラダラ、尻切れトンボ
以前、知的障がい者施設で働いていた者です。
障がい者施設を含む福祉施設の現状は、まさに玉石混在です。
良い施設もあれば、本作品のような、とんでもない施設もあります。
国や地方公共団体から支払われる「措置費」は、良い施設でも悪い施設でも同額なんです。
職員の配置基準も決められていて、利用者(入所者)何人に対して職員は何人という規定があって、その規定に基づいて措置費が支払われます。
重度知的障がい者に、適切な対応をしようと思えば、できることなら、常時マンツーマンで対応するのが理想です。
でも、介護する職員も人間なので、食事もすればトイレにも行くし休憩も必要です。また、障がい者が興奮したり暴れたりすることもあり、そのようなときは他の職員に応援してもらわないと対応できません。
だから、重度障がい者1人につき常時1.3人くらいの人員が必要です。1日3交代として、重度障がい者1人あたりの介護者は1日約4人。1か月の必要延べ人数は、4人×30日で120人。
祝日や、夏や、冬の休暇等も考慮して、職員1人あたり月に20日働くとしても、単純計算で、重度障がい者1人につき6人の人員が必要なことになります。
職員1人あたりの人件費を1か月25万円(諸経費含む)としても、6人分で150万円。重度障がい者が10人居れば1500万円。年間にすれば1億8千万円。
これはあくまでも、重度障がい者にも介護者にも、理想的な処遇をした場合の超極論の話です。それでも、かなり安い給料手取りで試算しています。
現状は、その1割にも満たない措置費しか出ません。
作品中で施設長が堂島洋子さんに対して「県のマニュアル通りにやっている」というシーンがありますが「マニュアル通り」の人員と経費だけで運営しようとすれば、まあ、暴力は論外としても、多かれ少なかれ、映画のような状況にならざるを得ません。
私が働いていた施設は、幸いにも「良い施設」でした。
では「良い施設」とはどんな施設でしょうか。
良い対応をしようとすれば、当然、国の措置基準を大幅に上回る人員が必要です。つまり、より多くの人件費がかかります。
そのために、地域や社会に働きかけて、多くの賛助者やボランティアさんを増やし続けなければなりません。それらの組織拡大活動を職員のみならず、入所者の家族や知り合いみんなで頑張っているのです。
当然、施設長や、管理職の人たちも、一般職員の応援のため現場に入ることも頻繁です。
そして、多くのボランティアさんの助けを借りて、街頭募金や、団体、企業、労働組合等のツテを頼って、支援物品の販売を行ったり、廃品回収や、バザー等々で運営費を捻出して、少しでも良い施設運営をしようと、日々頑張っているのです。
映画の中の施設には、ボランティアさんの姿が全く見当たりません。所詮、その程度の施設です。
今の日本には、障がい者施設はまだまだ足りません。
新たに施設を作ろうと思えば、多額の自己資金が必要です。
「良い施設」は、障がい者の保護者、家族、特別支援学校の先生たち、教職員組合、地域のボランティア団体等々が力を合わせて上記のような活動を通じて、自己資金を捻出して、設立された施設が多いです。そして設立時の資金活動を設立後も運営補助として継続しているのが現状です。
言わば「良い施設」は、職員と障がい者家族の自己犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではありません。誤解を承知でで言えば職員目線では「ブラック企業」になるかも知れません。
必然的に、ボランティアの延長で職員になり、熱い思いで仕事をしている人も少なくありません。
また、「どうせ働くなら社会の役に立つやりがいのある仕事の方が良い」と職業選択肢の一つとして働いている人もいます。
この両者に確執がないといえば、嘘になります。
映画にあったように「あの人が、余計なことまでするから、こっちの仕事がやりにくい。いらん仕事が増える。」と考える人も居なくはありません。
私は、6年間職員として在職しましたが、30歳を過ぎて、結婚を意識するようになったとき、手取り給与が20万円に満たない現状で家庭を持つことは困難と思い、転職しました。
現場を経験した者として、さと君の思いは解らなくもありません。
さと君のように「税金の無駄なのでは?」との思いが頭をよぎったことのある職員は多いと思います。
感情も思考もなく、ただただ、周りの介護によってのみ生かされていることが、本当に、その人にとって「人間の尊厳」なのか?と考えたこともあります。
でも、普通は誰も、さと君のような行動には走らない。
理性があるから?
怖いから?
自分の家庭や将来があるから?
という自分勝手な理由で自分の思いを否定します。
さと君は、堂島洋子さんの自宅で食事中に、障がい者や死刑囚の糞便や嘔吐物の匂いの話を平気でしています。
さと君は、真面目で正義感が強いサイコパスなんですね。
だから、さと君は正義感と優しさの行動として、あのような凶行に走ることができた。
他の人も書いておられますが、私たちとさと君は紙一重。
私たちも、どこかで心のネジが1本外れたとき、さと君にならないという保証はありません。
最後に、街で、障がい者施設の後援会が募金活動をしているのを見かけたら、そして、どこかの公園で福祉バザーをしていたら、少額でもいいのでご協力頂けたら、とても嬉しいです。