「残酷な現実と人の傲慢さ」月 sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
残酷な現実と人の傲慢さ
凄まじい内容の映画だった。
これは見たくない現実に蓋をする現代社会に対する挑戦的な作品だ。
この映画を観た誰しもが考えさせられる。
自分は見たくない現実に目を背けてなどいないと本心から言えるかどうかを。
綺麗事では残酷な現実を変えることは出来ない。
受け取り手によっては障がい者を殺すことを決めた男性職員に同調する者もいるだろう。
彼の言葉を真っ向から否定する洋子の意見がまさに綺麗事にしか過ぎないのだから。
なのでこれは非常に危うい作品であるとも思った。
書けなくなった元有名作家の洋子は障がい者施設で働き始める。
物語が始まってすぐに洋子と夫の昌平の心の中に何らかのわだかまりがあることに気づかされる。
彼らは一人息子を難病によって失っていたのだ。
息子は口をきくことも立ち上がることも出来ずにこの世を去った。
洋子は自分と同じく小説家を目指し、ネタ集めのために働く陽子や、絵が得意な心優しいさとくんと共に障がい者たちと向き合っていく。
陽子にはこの仕事を軽んじているわけではないと話す洋子だが、昌平の前では思わず自分にはこの仕事ぐらいしか出来るものがないのだと本音をもらしてしまう。
本来なら社会貢献度のとても高い仕事であるはずなのに、やはり社会としては直視したくない現実なのだろう。
給料も安ければ感謝されることも少ない。
これは介護士などに限ったことではなく、世間は直視したくない現実と向き合う仕事を冷遇しがちだ。
そしてこの障がい者施設は世間からまるで隠されているように存在するため、中では信じられないような暴力行為が行われている。
障がい者をケアせずに閉じ込め、憂さ晴らしのために暴力を振るう。
もちろんここに描かれているものが障がい者施設の現実のすべてであるとは思わないが、これが見たくないものから目を背ける社会が作り出した残酷な現実の一端であるのは確かなのだろう。
最初は障がい者たちの手助けをするために働き始めたはずのさとくんが、やがてこの残酷な現実に触れて心が歪んでいくのも無理はないと思ってしまった。
いつしか彼は、障がい者は社会に対して生きる意味も価値もないのだと思い込むようになってしまう。
そして彼は社会に貢献するために彼らを殺害することを計画する。
そんな彼を止めるための言葉を洋子は持たない。
ただ認めるわけにはいかないと抗うことしか出来ない。
確かにさとくんの意見は一見正当性があるように感じられる。
しかしどうして彼に意志疎通の取れない障がい者には心がないと言い切れるのだろうか。
そして何故彼が生きる意味や価値がないとジャッジ出来るのだろうか。
個人的には人に対してだけでなく、自分に対しても生きる意味があるかどうかを考えるのは傲慢であると思っている。
陽子がこの施設の障がい者が幸せかどうかを洋子に尋ねる場面があるが、なぜ人の幸せを他人が判断できるのか。
この世界に役割のない人間はいない。
そして自分が望んだものでなくても、人はその役割を担って生きていかなければならない。
この世界はとても理不尽で残酷だ。
この世に生きている限り、どんな人でも苦しみから逃れることは出来ない。
どんな人にも闇はあるが、逆にいえば光も絶対に存在する。
この映画は苦しみの中の光と闇を絶妙に描き出している。
これは洋子と昌平の再生の物語でもあり、彼らの未来には一筋の光があった。
しかし、さとくんによって多くの障がい者たちは光を奪われてしまう。
何故彼を止めることが出来なかったのか。
どうして適切な言葉で彼を諭すことが出来なかったのか。
さとくんの心の闇も理解出来るだけに、最悪な結末にただただ虚しさだけが残った。
しかしこれはモデルになった事件があるように、現実にあり得ることなのだ。
もっと人が自分の傲慢さを捨て、そしてもっと他人に寄り添う気持ちを持てれば、社会は変わっていくのだろうか。
観終わった後もずっしりと余韻の残る映画だった。