劇場公開日 2023年9月8日

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「ナチスへの怨念を市井の人々の視点で描く」6月0日 アイヒマンが処刑された日 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ナチスへの怨念を市井の人々の視点で描く

2023年9月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

 傑作と迷うことなく断言します。イスラエルにとって歴史的な重大局面に関わってしまった市井の人々を描き、そのドタバタぶりにナチスの悪行の重みを静かに掘り起こす。ナチを断罪する映画はそれこそ無数、そもそもがハリウッド映画での敵役として硬軟あらゆる作品において、ナチス・ドイツ程明々白々な仇役はなかったのですから。なにより本作のキーマンに少年を据えて描く骨格が、観客をごく身近に思わせる作劇として秀逸でしょう。この少年の存在が事実なのか創作なのかは不明ですが、政治的大局を政府高官達のよくあるドラマから、直接携わった人々のストーリーに成し得た事の勝利です。

 第一幕は、まるでイタリアの戦後のリアリスモ映画の趣で、「自転車泥棒」の雰囲気そのまま。そもそもがスタンダードサイズのスクリーンにも関わらず、四隅が少し弧を描き、いまどき滅多に見ないやや荒れた画質(後で調べたら16mmフィルムとか)、えっまさか当時の制作?と半信半疑で始まります。妙に懐かしさを想起するのはそのためでした。

 登場する主人公が目も鮮やかな美少年ダヴィッドで、父親がアラビア語しか喋られず、ヘブライ語に翻訳するのも彼の務め。と言う事はユダヤ人と言ってもメインのヨーロッパ系ではない少数派と提示される。このダヴィッドが年端もゆかないのに鉄工所で労働をさせられるのが発端。要は家計を助けるためでしょうが、少しでも大人に見せるために父親と靴を交換するなんて、慎ましい描写が目を引く。開巻早々に教室のシーンで教師が生徒に問う「ユダヤ人と言う人種はいるか?キリスト教は西欧人のものだけか? ユダヤは宗教である。西欧系もスラブ系もアラブ系もいる」と。2022年の新作映画にも関わらず、根本定義をダメ押しする丁寧さです。火葬の慣習のない国ですが、悪の権現アイヒマンなんぞ墓に埋葬なんてとんでもない、埃同然の灰にするための焼却炉の依頼に来るのが、投獄している刑務官のハイムであり第二幕に進む。

 第二幕は死刑施行のその時まで、投獄されてるアイヒマンへの扱いに神経を尖らす様が描かれる。ややコメディタッチのオーバーアクションとして描かれ、刑務官のハイムはまるでピーター・セラーズのよう。アイヒマンも当然描かれるものの顔だけは写さないのも解る気がします。しかし職員の多くは家族をナチスによって殺害されており、怨念が画面一杯に拡がる。

 そして第三幕はポーランドのアウシュビッツで生き残りとして真実を語るミハと言う男にフォーカスされる。このパートだけは焼却炉の話とは別枠で、なにも伏線として絡まないけれど、微妙なニュアンスを明確にしておくために描かれる。生き証人としての本音を、見世物でいいのか?の問いを通じて真正面から答えるシーンは本作の白眉でしょう。

 こうして話は鉄工所に戻り、いよいよの6月0日を迎える。鉄工所のゼコブ社長やら工員のヤネクなどの心温まるエピソードも添えて、映画は重層的に拭いきれない重荷を描く。本作は古い映画ではありませんよ、と案の定、ラストには現代となり初老のダヴィッドが登場する。もう少し面影残した役者にして欲しかったですがね。自らの体験を歴史の証人として編集者に掛け合うも「証拠がないとどうしようもない」と冷たい。「真実であればいずれ明らかになるでしょう」のセリフで幕を閉じる。

 こんなヘブライ語の作品が、なんとオスカー女優であるグウィネス・パルトロウの実の弟ジェイク・パルトローによる監督作とは驚き。米国におけるパルトロウ家は大変な資産家でユダヤ教の由緒あるラビの家系だとかで、本作に繋がるわけです。にしても大金持ちのボンボン息子が、家系のオリジンに立ち返り本作を造り上げるなんて、お見事です。

クニオ
こころさんのコメント
2023年11月8日

クニオさん
同感です!
年齢を重ねたダヴィッドが、『 もう少し面影残した役者にして欲しかった 』、その点のみ、とても惜しく感じました。
… あの利発な少年の面影は何処へ。。
多くの人に観て頂きたい作品ですよね。

こころ