6月0日 アイヒマンが処刑された日のレビュー・感想・評価
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市井の人々の目で歴史的出来事を描く
ナチスドイツの最重要戦犯アイヒマンは、近年だと「アイヒマンを追え」や「ハンナ・アーレント」などの映画でも描かれてきたが、彼そのものを描くのではなく、あくまでアイヒマンと対峙した主人公が何を感じたのかというアプローチになるケースが多かった。その意味では本作も変わらず。処刑に関わった人たちの人間模様や心の移ろいに焦点を当てた作品となっている。ただし、前2作に比べると、より”名もなき市井の人々”に焦点が当てられているわけだが。とりわけ監督自身が興味を抱いてリサーチしたという焼却炉にまつわる逸話は興味深く、少年と工場経営者との、疑似父子のようでありながら、決定的にそれとは違う関係性は本作の肝といえる。クライマックスでこの経営者の心にはどんな感情が迸ったのか。決して全ての答えが欲しいとは言わないが、もう少しだけ作り手の思いが率直に伝わる部分があると、観客(特に日本の)にとってわかりやすいのだけれど。
【最重要ナチス戦犯、アドルフ・アイヒマンの絞首刑執行後、火葬した舞台裏を描いた作品。】
■1961年、ナチス・ドイツの戦争犯罪人、アドルフ・アイヒマンがアルゼンチンに潜んでいたところを、イスラエルのモサドに拘束され、イスラエルでに死刑判決が下される。
アイヒマンを収監するラムラ刑務所は、遺体を所内で内密に火葬し、灰にすることを決定する。
そして、移民の少年・ダヴィッドが入り浸る町工場に極秘プロジェクトが持ち込まれる。
◆感想
・今作は、上記の内容を1961年を主に描き出す。
ご存じの通り、イスラエルは、ユダヤ教、イスラム教の律法により火葬は禁止されている。
だが、土葬するとナチスを当時でも崇める輩の聖地になる事を恐れ、62年5月31日から6月1日の真夜中に死刑を執行し、火葬したのである。
この作品は、その過程をややユーモラスなトーンも含めて描いている。
・私は、ナチスの蛮行を映画化する事はとても良い事だと思っている。それにより、かの蛮行を葬らない様にするからである。
ドイツ国内でも、右傾化が進みAFDが第一党になろうとしている現況下を鑑みると、どうしてもそのように思うのである。
<尚、余計な事かもしれないが、アドルフ・アイヒマンがアルゼンチンに潜んでいたところを、イスラエルのモサドに拘束される過程と、当時のドイツに多数居たナチスSSの面々が企んだ事を描いた「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」と、「ハンナ・アーレント」は観ておきたい作品だと、私は思います。>
風変わり
モサドが捕らえたアイヒマンを、イスラエルは裁判で死刑を下し、処刑後火葬されることになる。しかしユダヤ教で火葬が禁じられていて、焼却炉を作ることに。その工場で働く少年ダビッドは、リビアからの移民のアラブ人。アイヒマンを監視する刑務官ハイムはモロッコ人で、極度の緊張を強いられる。アロンソン捜査官はポーランド人で、ホロコーストを語り継ごうとする。ダビッドは。
捕らえたアイヒマンを焼却するまでの物語。ダビッドが主人公の部分は、イタリア映画のよう。アイヒマン自身ははっきりと登場させずに、周囲の人々を描いた風変わりな作品。
ダビッドの弟の名前がイスラエルであったり、ユダヤとは人種なのか宗教なのかという授業があったり、工場主はイスラエル独立戦争の猛者だったり、とこの地域の複雑な情勢がうかがえます。
アイヒマンの最期
ナチドイツは詳しくありませんが😅
一応説明
アイヒマンは第二次世界大戦後
戦犯となりアルゼンチンへ逃亡後
国際指名手配されるわけで
詳しくは映画アイヒマンを追え
アイヒマンはアルゼンチンに渡航する前に
アルゼンチン人としての国籍並びに名前を取得
(この時代の規定が今と違いユルユル)
アルゼンチン人として生活していた
のを"誘拐"するような形でイスラエルへ
イスラエルで裁きを受けたわけですが
前述の通り、更にアルゼンチン人
としての立場があるため
国際犯罪が成立してしまうが
アイヒマンのやったことは
黒だが白にはなれない
グレーな方の最期はグレーで終わると
本作品は最期の姿に至るまでの
ドキュメンタリーだと思いました
とても良かったです👏
まさに今に繋がる…
イスラエルの連日のガザ砲撃のニュースに触れるなか、まさに今、観ておくべき映画だと思う。イスラエルとパレスチナの関係と歴史、イスラエルに住む人々のさまざまな出自、宗教と民族の複雑さ…etc.。全ては現在につながっており、平和ボケの日本で、自分の無知と思考の浅さを痛感させられる。
大人と子どもの立ち位置の違い
〈映画のことば〉
お前は家に帰って、学校に行け。
そして、職業に就くんだ。
頭のキレや、小回りの効く小さな体、手先の器用さから、焼却炉の製作にあたり、ダヴィッド少年を重宝に使い回してしまったたことを、ゼブコ社長は、いつからか心のどこかに「重荷」として抱えていたのではないかと思いました。評論子は。
それが、冒頭の「映画のことば」になったことは、疑いありません。
そして、ゼブコ社長には、もう一つの思いもあったのだろうと思います。
それは、血で血を洗うようなアラブ人同士の内戦を戦い抜いて来たゼブコ社長には、熾烈な戦いの経験を踏まえ、戦争…というよりも、民族間の争いの無情さ・無意味さは、骨身に滲みていたのではないかと思います。
ユダヤ民族が不倶戴天の敵(かたき)とするアイヒマンの処刑にあたり、焼却炉の製作に与らせるということで、いわば「片棒」は担がせてしまったものの、生まれてから10年経つか経たないかの、それ自身も建国から間もない「若い国家」のこれからを担うダヴィッド少年には、不毛な民族間の憎しみに、これ以上は加担させたくなかった…というか、加担して欲しくはなかったのでしょう。
今(その当時に)、イスラエルという国を担っている大人たちがなすべきことと、これからの国の将来を担う少年がなすべきこととは違わなければならないことを、ゼブコ社長は感じ取っていたのだと、評論子は思います。
佳作であったことは、間違いがないと思います。
(追記)
ゼブコ社長の工場の従業員たちは、自分たちが作ろうとしている焼却炉の設計図面を引いたドイツの会社が、ナチスによるホロスコートに使われた焼却炉の設計を担当した会社であることから、自分たちが作ろうとしている焼却炉の使用目的に気づきます。
結局、ユダヤ人虐殺を指揮した男が、そのための炉を設計した会社が設計した炉で葬られる結果となりました。
別にドイツの会社を敢えて選んだわけではなく、火葬の習慣がないというイスラエルには、適切な炉を設計できる会社が国内にはなかったからなのでしょうけれども。
炉が売れさえすれば、その使用目的には頓着しないかのような商人(あきんど)としての件の会社の強(したた)かさに思いが至ると同時に、「運命の皮肉」というよりは、「自業自得」「ざまぁ見ろ」と考えてしまった評論子は、底意地が悪い、素直でないと思われてしまうでしょうか。
(追々記)
邦題の冒頭は、もちろん、アイヒマンに対して死刑を執行する(執行された)日を意味するわけですけれども。
一説には、執行日を秘密にするため「0日」としたという指摘もあるようです。
しかし、火葬の習慣がないというイスラエルで行われた死刑執行後の火葬を伏せるため、執行日として架空の「0日」を冠したというのは、穿ちすぎというものでしょうか。
評論子には、そう思えてなりません。
(追々々記)
本作は、映画.comレビュアーであるりかさんに示唆してもらって観た一本になります。
末尾になりましたが、ハンドルネームを記して、りかさんへのお礼としたいと思います。
許すまじ
就寝時も監視下に置かれたアイヒマン。
刑務官の1人、ハイム( ヨアブ・レビ )の心情が、胸が苦しくなる程に伝わってくる。イスラエル出身の俳優さんなのですね。
託された手紙 … どうしても許せなかった、という事なのでしょう。
静かに立ち昇る煙、淡々と海に撒かれる灰 … 。粛々と行われる描写に、彼が犯した罪の大きさとその重さを改めて深く感じました。
ダヴィッド少年( ノアム・オヴァディア )と弟のあどけない表情に救われた。
映画館での鑑賞
焼却炉製作秘話
ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人大量虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンは、終戦後アルゼンチンに潜伏していたところをイスラエル諜報特務庁に捕らえられ、イスラエルに連れてこられ、1961年12月に有罪判決を受けた。処刑はイスラエルの定めに基づき、62年5月31日から6月1日の真夜中に執行されることとなった。宗教的・文化的に火葬の風習がないイスラエルでは、埋葬は聖地となる恐れから火葬と決めたが、焼却炉が無かった。そのため、アイヒマンの遺体を焼却するための焼却炉を秘密裏に製作が進められた。その焼却炉を作る工場の人々や、そこで働く少年、担当した刑務官、ホロコーストの生存者である警察官らの姿を通し、アイヒマン最期を描いた作品。
ヒトラーのための虐殺会議、の登場人物の1人、アイヒマンが戦後アルゼンチンでイスラエルの組織に捕えられ、イスラエルに運ばれて、裁判となり、死刑を執行された、という事を知った。
しかし、アイヒマンは顔も映らないし、ほとんど何も話さない。
そうなんだ、くらいの感想。
焼却炉を秘密裏に作った人たちの話がメインであまり興味を持てなかった。
中途半端で分かりにくい。
実際に焼却炉を作った人の息子をインタビューがきっかけになり生まれた作品。
ナチス戦犯アイヒマン処刑後の遺体の処理のために焼却炉を依頼された町工場と、
拘置したアイヒマンを警護する警察官や、アイヒマンを取材したい記者などの群像劇。
最初、ひとりの少年の目からの焼却炉制作の物語かと思いきや、
途中からは拘置所に舞台が移ってしまうので、唐突に集中力が削がれてしまう。
そして拘置所界隈の物語が今一つ整理できておらず中途半端で分かりにくい。
色々な思惑で焼却炉を作った話やその周囲の話に興味があるので、
もうちょっと詳しくそこら辺を描いて欲しかった…
せっかくのいい素材、なんだかちょっと残念。
過去と向き合うこと。
アイヒマン処刑の裏側には多くの人の葛藤があったという話と受け取った。
死刑制度が今の所存在し、火葬が常識の日本人としては、イスラエルには死刑は存在せず、ユダヤ教の戒律から埋葬は土葬であるという当地とのギャップをまず把握しないとこの話についてはイマイチ分からないと思う。(自分も調べるまで何となく火葬NGだよなというくらいしか知らなかったが)
そう考えるとナチスの、処刑した挙句遺体を燃やすという2度もユダヤ人蹂躙する悪逆非道ぶりが際立つ気がする。
色々な立場でこの処刑に関わった人が出てくるが、衝撃の舞台裏というよりは、一瞬のインパクトは大きくないがじわじわと深く広く広がっていく感じがあり、観ている時より観終わって振り返った時に感じることが多い映画だと思う。
こちら大変お熱くなっております
死刑確実の極悪人の命を誠実に守ろうとするあの刑務官をみていると、某放火犯の重症熱傷治療に尽力した医師を思い出してしまった。つまるところ、一見無駄に見えるこういう努力というのは、その極悪人と同じレベルに堕ちないために筋を通す情熱のなせる技なのだろうなあ。
ダヴィドくんが殴るのを諦めて最後に石を投げる、というオチは、やはりなかったか…
アドルフ・アイヒマン
映画館で予告編を観て、焼却炉を作るコメディタッチのフィクションかと思ったけど、
ナチスの重要人物アイヒマン最期の裏側を描く、事実に基づく話です。
大部分は軽めのタッチで、重苦しい感じは少なめだけど、けっこう退屈で眠くなりました(笑)
最後、終わり方が良かった。
まあまあ…
歴史的事実に関わる伏線的物語がちょっとてんこ盛り過ぎ?
タイトルに俄然に興味が沸き、劇場での予告編を観てから観たいと思った作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ちょっと思っていたのと違うかな。でも面白くない訳ではなく惜しい!と言う感じ。
窃盗癖のある少年ダヴィッドが鉄工所で働く中でアドルフ・アイヒマンの処刑に間接的に関わっている話しかと思いきや、そこがメインではなく、様々な人々の思いや物語が絡み合っていく。
アイヒマンを題材にした映画作品は多数あるが、それだけで言うとこの作品は既に今更感はある。
だけど、タイトルが秀逸でこのタイトルだけで観たい!と思わせる。
また本来の本筋ではそこに間接的に関わっているのが少年と言うのが良い。
劇中でもそんな事実は確認されていないと明言されているけど、そこはフィクションの域で様々に考察するのが面白いと思う。
また、観れば分かるけど、様々なテーマと言うかポイントが絡み合っていて、アイヒマン自身はあくまでも切っ掛けでありメインストリームでは無い。この点だけでも興味をそそられるのが良いんですよね。
・極秘裏に処刑されるアイヒマンとその遺体を焼却する焼却炉の製作。
・少年ダヴィッドがどの様に焼却炉製作に絡んでいくのか?
・アイヒマンの処刑までの数日間。
興味をそそられるポイントがあれもこれもとあるんですが、なのにオムニバス的に様々なポイントを取り入れ過ぎてしまい、本筋がボヤける感じがしてしまい、105分と言う決して長くない上映時間に中弛みを感じてしまう。
個人的にはダヴィッドが関わる点をもっとメインにすべきの方が良かったかな。
いろんなオムニバス式的な話が入り込んでいて、ダヴィッドの心情の流れが薄くなり、あれだけ鉄工所で働くダヴィッドがいつの間にか鉄工所の人気者で若頭的な存在になっている辺りが唐突なんですよね。
また、鉄工所の社長が焼却炉製作が終了した途端、ダヴィッドにクビを言い渡す辺りは考察ポイント。
その後、中年になったダヴィッドがWikipediaに自分がアイヒマンの遺体焼却の焼却炉製作に関わった事を掲載して欲しいと嘆願するが、そのような事実は確認されていないと脚下されるが、何故社長は急に手のひらを返すかの様にダヴィッドに冷たくなったのか?
・用が済んで必要が無くなったからバイバイ
・これだけの極秘裏の重要案件がバレる事を怖れて、一番バレそうなダヴィッドを直ぐ解雇
・盗みを働いてしたから最初から信用してなかった
・ダヴィッドの今後のことを考えて、解雇した
理由はいろいろありますが個人的には4番かなと。
イスラエルにとっては大犯罪人であっても、敵国だったドイツの当時では英雄的存在のアイヒマンの処刑に関わった事でダヴィッドに被害が及ばないようにとの考慮なのかと。
勿論ダヴィッド自身はフィクション(であろう)と思うのでこの辺りの考察はご愛敬で、こういった考察が映画の面白さかと思うので意図的に入れたのではと考えますが、中年なったダヴィッドは…これで良いのか?という感じでしたw
ちょっと思っていたのと違う感じではありますが、様々なアイヒマンの映画の中ではメインディッシュをメインとしない面白さはあるかと。ただバイキングでシェフが他の料理に力を入れ過ぎただけかとw
歴史的最重要戦犯でもある様々なアドルフ・アイヒマン映画作品を観ている人には様々な考察の1本としては観る価値はあるかと思います。
謎の映画
シリアスな実録タッチのサスペンスを期待しましたが、何だかよくわからないことだらけの謎の映画でした。
アイヒマンはおろか政府の人間も殆ど登場せず、周囲の民間人しか出てこないので、最後まで混乱しました。
・使い走りの少年がいつの間にか焼却炉のスペシャリストになっていた謎。
・民間の工場がどんな経緯であんなに重要な焼却炉を受注したのか?背景の説明がなく、政府関係の人物が出てこないので謎。
・所長等の幹部が出てこないで、制服の普通の刑務官の一人が収容所の一切を仕切っている謎。
・あれほどの超大物収監者の取り扱いが、素人集団に任されているかのように見える謎。
・途中、突然ポーランドに舞台が移って、収容所で辛酸をなめた男の話が始まるが、焼却炉の話には何のつながりもなく、意図が不明の謎。
要するに背景の説明がないのでイスラエル人以外には、ストーリーが破綻していて意味不明、何をいいたいのか??????の十乗でした。
哀切きわまりない。傑作。
まずこの映画はクロード・ランズマンに捧げられている。「SHOAHショア」でホロコーストを徹底的に描いた映画監督である。
イスラエルには一度行ってみたかった。旧約聖書に遡る長い歴史を持つ民族が極めて人工的に創った新しい国家。宗教と因習、科学的合理性が同居する独特の社会。
この映画はアドルフ・アイヒマンの裁判と処刑、火葬に関わった数人の人物の視点で1962年の6月某日(実際は処刑は1日だったらしい)とそれに先立つ数日間を描く。主要な人物としてはダビッド少年、工場主のゼブコ、収容所のハイム大尉、検事補佐のミハなど。注目すべきはそれぞれの出自が異なること。もちろんユダヤ民族の血は流れているがイスラエル建国前に住んでいたのはリビア、トルコ、モロッコ、ポーランドとバラバラ。
イスラエルは建国後に世界各国からユダヤにルーツのある人々が集まって成立した国家だからこういうことになる。
そして不幸なことにこの寄せ集めの国民の団結の象徴がアイヒマンを捕らえ処刑することになってしまった。国家の礎となるべき国民共有の歴史がホロコーストとその復讐である、こんな不幸なことはない。この映画はそれを余すことなく描いている傑作です。
最後に一つ。ダビッド少年の父親は恐らくは自分たちのユダヤ民族としてのアイデンティティの薄さを気にしていて、だから息子にダビッドとイスラエルという名前をつけたのでしょう。でも弟のイスラエルは事もあろうに父親の出身地であるアラブとの戦争で命を落とすことになる。民族、国家の不幸はまだ続いているのです。
予告編が映画の理解をミスリードするーユダヤ人虐殺の糾弾を主題とした物語ではないー
「歴史を残す」という作業には様々な立場の人の思惑がついて回る
この映画のオフィシャル・サイトでは、アドルフ・アイヒマンというナチス親衛隊の主要メンバーの処刑を裁判から焼却処分されるまでの6ヶ月間の真相を描いている旨が表現されている。確かに映画が対象としている時間はそうだ。だがこの映画で表現されているものは様々な立場でその事実に関わった人がその「歴史」をどう扱おうとしたのか、ということがテーマだ。それが、刑務所、鉄工場、学校、ポーランドという現場なのだろう。それぞれの現場で看守、記者、工場長、労働者、先生、ホロコーストの生存者、ユダヤ人協会などなど、異なる立場で異なる歴史観を持つ人たちの姿勢を映し出す。
刑務所:国家による厳格な法の執行を記録する場
アイヒマンを執拗に追跡しイスラエルに連行したことは、ナチスの行為に対する憎悪を忘れないユダヤ人国家としての顔だ。それでもその憎悪を噛み殺し、アイヒマンを人道的に扱って法の従って裁いたのは法治国家としての顔だ。刑務所で主人公になっている看守が、厳正に法を執行しながらも沸き起こる恨み・憎しみを必死に堪える姿を体現する。ベートーヴェンの名曲がナチスの悪夢を思い起こさせる亡霊のように扱う描写に使われているところが印象的だ。
ポーランド:ユダヤ人として残虐行為を歴史を記録する場
ホロコーストの現場となった収容所は、残虐行為を忘れまいとするユダヤ人の大事業の場となろうとしていた。その中で、そこに自分の居場所を見出しその歴史の生き証人として「語り部」となって生きる選択をする男性とその生き方もまた残酷なものとして疑問を抱く女性が描写されている。ユダヤ人が受けた残虐行為の非人道性は語り尽くせないというメッセージがある一方で、それが個人の人生を支配してはならないという姿勢を示す女性の姿は今のイスラエルの姿に疑問を投げかけるものではないだろうか。
学校:ホロコースト後に生まれた子供たちの記憶への記録する場
アイヒマンの死刑宣告という歴史的瞬間を子供達の記憶に刻もうとする教師が残虐な歴史をユダヤ人の子孫に植え付けようとするユダヤ人国家としてのイスラエルの姿が描かれている。それに対する子供たちの関心は当然様々だ。主人公の子供はダヴィデ(古代イスラエル王国の英雄の名前)、弟の名前はイスラエル、ユダヤ人社会で必死に生きようとするアラブ人の姿の体現だ。ダヴィデは勉強よりも生きるために稼ぐことに必死でホロコーストに対する関心が薄い。それは子供だからというよりもアラブ人だからということのほうが強調されてしまう。
鉄工所:イスラエルの歴史をユダヤ人だけの歴史として記録しようとする場
この映画のメインの場でアラブ人少年の成長が微笑ましく感じさせてくれる映画の中で唯一明るい場面であるが、この場はイスラエルの歴史はユダヤ人だけによる歴史だとしたい国民の感情を表現している場でもある。2度の中東戦争後という時期もあってアラブ人に対する風当たりは強いことは想像に固くないが、アイヒマンの遺体の焼却にアラブ人の少年が関わっていたことはユダヤ人として許容できない事実だということが伝わってくる。
ウィキ:イスラエルの歴史の中にアラブ人の記録を刻もうとする場
アイヒマンの遺体の焼却から数十年が経ち、ダヴィデの弟イスラエルは国家に命を捧げた。大人になって国家の大きな事業に自分の記録がないことに気づいてダヴィデは行動する。自分の生きた証として記録の修正を試みるも叶わない。ここで少年で何が起こっていたのかを理解できなかったダヴィデは当時の大人たちの思惑を思い知らされるのである。
現在のイスラエル政府への批判なのか
ユダヤ人入植地を増やし、パレスチナ人を苦境に追い詰め続けるのが現在のイスラエル政府だが、それに対する国際社会の態度はどこか生ぬるい。今のイスラエルの行っている行為にはパレスチナ人の人権や生存権を脅かす非人道的なものが少なくない。この映画にはそのイスラエル人にも様々な人がいて、ユダヤ人だけではない、ユダヤ人の中にも異なる考えが持つ人がいることを訴えたいのではないか。アイヒマンの処刑という場で表現したナチスに対するユダヤ人の憎悪と同じ感情がユダヤ人自身に現在向けられていることをこの映画を見て感じてもらいたいと願うのは筆者だけではないだろう。
独特な切り口のナチス物
年に何度かお目に掛かるナチス物でしたが、かなり独特な切り口の作品でした。ナチス親衛隊の中佐であり、ユダヤ人の強制収容所への移送に関わり、結果的に大虐殺に加担したということで1961年にイスラエルにより死刑にされたアドルフ・アイヒマンを巡るお話でした。アイヒマンも登場し、いくつかのセリフはあるものの、映像的には真正面から顔を捉えたショットはなく、アイヒマンを中心とした物語でありつつも、彼自身は本作の主役という訳ではありませんでした。
主役はアイヒマンの火葬をするための焼却炉製作に関わったダヴィッド少年であり、その製作を請け負った鉄工所の社長であるゼブコであり、アイヒマンを収監する刑務所(拘置所?)の責任者であるハイムであり、アウシュビッツの生存者でアイヒマンの取り調べに参加した警察官のミハと言った人たちでした。
イスラエルとアメリカの合作ということで、イスラエルが行ったアイヒマンに対する処刑に対しては100%無批判なのかと思っていましたが、意外にも皮肉っぽく描いた部分もあり、その辺が中々面白かったです。例えばアイヒマンは、ドイツを脱出してアルゼンチンに潜伏していましたが、1960年にイスラエルの諜報機関であるモサドに捉えられてイスラエルに連行されます。てっきりアルゼンチンの法律的にも問題ないことなのかと思っていましたが、モサドによるアイヒマンの連行は、アルゼンチン法的には誘拐であり、違法行為なんだと言うセリフがありました。だからこそ裁判は遵法的に行いたいという話であり、アイヒマンにも弁護士を付けた上で、きちんとした手続きに則って死刑にしたとか。ただそもそもイスラエルでは死刑制度がないので、他国での誘拐から制度のない死刑執行まで、およそ遵法的な手続きとは対極的な手法だったのは確かなようです。
また、ダヴィッドが通う学校で、アイヒマンに対する裁判が話題になり、先生がアイヒマンを死刑にすることを「目には目を」だとダヴィッドに言うと、彼は「目には命を」ではないと、半ば屁理屈だけれども先生の教条的な意見に反論します。これをきっかけにダヴィッドは学校から追放されてしまいますが、こうしたやり取りがイスラエルで映画化されるのは非常に興味深いものでした。
この辺りの批判的なスタンスは、ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン」から来ているのかなと想像したりもしたところです。
秘話の推理には意義あるのかもしれないけれど、オムニバスのつながりがわかり難い
オムニバス的につくられたつながりがわかり難い。少年の話はよくわかるけれども、アイヒマンを警護する看守と、床屋への疑い、記者の動き。生き残り男性の証言をツアーの呼び物にすることについて、興行側が心配する一方で、本人は前向きになっていた。無名な人は、歴史から葬り去られるのが常であり、事実の検証は難しいのだろうが、推理し、表象化したところに意義があるのかもしれない。
焼却炉制作の話ではない
予告編を見て焼却炉製作に携わった少年の話かと勝手に思い込んでいたが、これは少年、アイヒマンを担当した刑務官、ホロコーストの生存者である警察官、3名の物語で、しかもそれぞれが特に繋がっている話でもなかった。個々の話は興味深かったものの、特別厚みがあるわけでもないので、全体的に何となく散漫な感じがしてしまった。
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