劇場公開日 2024年12月13日

「正議という名の野生」クレイヴン・ザ・ハンター R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 正議という名の野生

2025年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

クレイヴン・ザ・ハンター —— 正義という名の野生

「正義とは何か?」
この問いが、映画『クレイヴン・ザ・ハンター』を貫く一本の棘のように、観る者の胸に刺さり続ける。
本作は、マーベル・ユニバースの中でも異質な存在であるクレイヴンを主人公に据えた、実に野性的で、血と哲学にまみれた物語だ。
だがそれは単なるヴィランの誕生譚ではない。
むしろ、「正義」という言葉がいかにして人を狂わせ、獣に変えるのかを描いた、現代の寓話である。
主人公セルゲイ・クレイヴンは、父の暴力と支配のもとで育ち、ある事件をきっかけに「動物の力」を得る。
この力は、彼にとって呪いであり、同時に解放でもあった。
人間社会の倫理や秩序から逸脱し、自然の摂理に従って生きること。
それが彼にとっての「正義」だった。
だが、ここで問われるのは、**「正義」は誰のものか?**ということだ。
父は父で、自らの血統と力を「正義」と信じていた。
クレイヴンもまた、自らの復讐を「正義」と呼んだ。
そして、弟ディミトリの変貌もまた、「正義」の名のもとに行われた。
この映画が興味深いのは、誰一人として「悪」として描かれていないことだ。
むしろ、全員が「自分の正義」を信じて行動している。
だがその正義は、他者にとっては暴力であり、支配であり、破壊でしかない。
特に印象的なのは、クレイヴンが「動物の声を聞く」能力を持つという設定だ。
それは、自然との共鳴であると同時に、人間社会からの断絶を意味している。
彼は人間であることをやめ、獣としての倫理に従って生きる。
だがその姿は、むしろ人間よりも人間らしい。
なぜなら、彼は「嘘をつかない」からだ。
一方で、父は人間社会のルールを巧みに操り、暴力を正当化する。
その姿は、現代社会における権力者の縮図のようでもある。
正義を語りながら、他者を支配し、排除する。
その姿は、どこかリッター博士のようでもある。
映画の終盤、クレイヴンはスパイダーマンの存在を予感させるような描写とともに、**「狩りは終わらない」**というメッセージを残す。
それは、彼の中にある「正義」が、まだ終わっていないことを意味している。
あるいは、正義という名の暴力が、これからも続いていくという予告なのかもしれない。
この作品は、単なるアクション映画ではない。
それは、正義という言葉に取り憑かれた人間たちの、野生への回帰と堕落の物語である。
そしてその果てにあるのは、救済ではなく、孤独と沈黙だ。
クレイヴンは、正義を叫びながら、誰にも理解されない道を選んだ。
だがその姿は、どこか美しく、哀しい。
なぜなら、彼は「正しいことをしたい」と願った、ただの人間だったからだ。

R41
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