「ヴァイオレンスで、SSUで一番好きになった」クレイヴン・ザ・ハンター ごんさんの映画レビュー(感想・評価)
ヴァイオレンスで、SSUで一番好きになった
スパイダーマンを狩ることに執念を燃やす狩人(というヴィラン「クレイヴン・ザ・ハンター」を主人公にした実写映画であり、ソニーが製作するマーベル映画シリーズの最新作。
アニメで初めてクレイヴンを見たときは、何とも地味なキャラクターだな、と思った。
派手なアーマーや超能力はなく、全体的に茶色で、素肌に毛皮のベストを来て、弓矢でスパイダーマンを狙うその姿は、中世ヨーロッパから現代にタイムスリップしたのか?と思えるような。
しかし実写映画では、それをまさに実現しつつも、非常に説得力のあるキャラクターに仕上がっていた。
マフィアの長男として生まれ、傲慢な父から離反して、亡母の故郷の山奥で自給自足の生活を営みながら、ハンターとしての技量を磨くクレイヴン。
演じるアーロン・テイラー=ジョンソンの肉体は、そんなクレイヴンの半生を示すかのように、究極なマッシヴに仕上がっており、男くささがムンムンする。
父への反発か、ポリシーか、彼は火器を使わない。
弓矢やナイフなどアナログな武器や、自然環境を生かしたトラップ、その場にあるもので敵を狩っていく姿は、銃火器を使う敵との対比になっており、一見装備不足で不利なクレイヴンが敵を倒していく様は爽快だ。
マフィアである父と反目し、裏社会の人間を容赦なく屠るクレイヴンだが、一方で人間らしい側面もある。
彼の標的は、亡母の遺産である山奥に息づく生き物たちを勝手に殺す密猟者や、彼らの顧客である裏社会の人間など、悪人のみ。
実家に残してきた弟ディミトリを溺愛しており、毎年誕生日には会いに行っている。
争いが嫌いで、ピアニストとして生きたいディミトリと、タキシードを着てもマッチョであることがわかるクレイヴンの対比も良い。
そんな兄弟の父親ニコライが、本作のヴィランの一人。
弱者を唾棄し、自らを強者と驕る彼をいかに乗り越えるかが、クレイヴンの本懐の一つだ。
演じるラッセル・クロウは、マーベルの『ソー』の映画でゼウス(ヘラクレスの父親)、DCの『スーパーマン』の映画でジョー・エル(スーパーマンの父親)を演じており、また再びスーパーヒーロー映画で父親キャラを演じたことになる。
はっきり言ってクソ野郎で、「こ、こいつ~~~~!」と思わざるを得ず、クレイヴンを応援してしまう。
そしてもう一人のヴィランが、コミックでも有名なライノ。
『アメイジングスパイダーマン2』でも、サイ型のアーマーを装備するヴィランとして登場したが、本作では人体改造による強靭な肉体と硬質化した肌を持つヴィランになっている。
クラヴィノフ家と対立するマフィアのボスであり、変身前は眼鏡をかけたインテリキャラと、ライノというパワータイプなヴィランとギャップがあって面白い。あと犬を飼ってる。犬を飼ってる奴に悪い奴はいない(偏見)
クレイヴンとライノの激突は、圧倒的なパワーを持つ怪物に対し、(比較的)非力な常人がどう立ち向かうかが迫力満点に描かれる。
クレイヴンは孤高の存在であることが、本作では描かれている。
弟ディミトリは前線に立たない弱者だし、ヒロインのカリプソも、あくまでサポート役だ。
幼い頃から強権を振りかざしてきた父ニコライも超人的な肉体を持つライノも、マフィアという組織を率いている。
常人が超人や組織に立ち向かう姿は『マダム・ウェブ』でも描かれたが、『マダム・ウェブ』が常人たちのチームで立ち向かったのに対し、クレイヴンは独りで立ち向かう。
そこに、古臭い価値観かもしれないが、「男の世界」を感じた。
最終的にクレイヴンは、ライノを倒し、父に応報を与え、守るべき存在の弟とも決別する。
残されたのは狩人としての人生だけ、というところで幕が下りる。
本作には、「今後の展開」を思わせるシーンがない。
『ヴェノム』や『モービウス』のような続編や他の映画とのつながりもないし、スパイダーマンの影もない(強いて挙げれば、敵の攻撃によって、大量のクモに襲われる幻覚を見る程度)。
マーベル映画お決まりのポストクレジットシーンさえない。
あくまで、クレイヴンというキャラクターを見せることに注力している、シンプルさがある。
正直、ソニーのマーベル映画の中で一番好きになってしまった。
色々と言われているソニーのマーベル映画であるが、本作は他の映画など考えず、単体で見ることができる。
クレイヴンが身一つで敵に立ち向かっていく様は、シンプルにカッコいいし、父親との確執も王道だ。
「他の見てないから」という理由で見ないのは勿体ない。
シルベスター・スタローンやジェイソン・ステイサムなどの単体アクション映画と同じように、ただ「面白いアクション映画」と捉えてもらってもいい。