イノセンツのレビュー・感想・評価
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最後まで気の抜けないサイキックホラー
大友克洋氏の『童夢』から発想を受けた映画だけあって、終始残酷だったり痛々しいシーンが続く。
隣で見ていたおじさんは、ぐうすか寝ていたけど、これで寝れるって、ある意味神経図太そうな人だなと思ってしまうくらいだった。
終盤、主人公姉妹が狂気に走った友人と退治するシーンは、プランこの使い方や団地の見せ方など、本当に『童夢』を彷彿とさせた。
しかし、確実に、『童夢』にはなかった子供たちや親や姉妹間の関係が描かれていて、その分、切なさを増していた。
それ上、最後の不穏な姉になってしまっているのは、怖さだけでなく悲しさもプラスされていた。
独立しているのに
怖そうな映画は怖いので見ない私も、正に10代を想起させる大友克洋の童夢という作品絡みの話題に触れるとcan't stop watching. 結果、とても丁寧に重ねる描写も子どもたちの演技も控えめな特撮も含めて良くできた一本の独立した映画という感想に落ち着く。であるからこそ、特にラストシークエンスの、剽窃とも言える酷似が残念でならない。私にとっての作品全体の評価がブランコの柱のように曲がってしまった。
子供は、純真ではない
北欧発サイコスリラー『イノセンツ』、子供が純真なんて、誰が言ったのだろう。そんな言葉が、聞こえてきそうな作品です。それは、ある意味真実です。あくまで、大人になる手前の存在なのだと。ただ、大人にならずに子供のままだと、それはそれで問題なんですが。
北欧発サイコスリラー
おおよそ、子供が純真だなんて、思わないほうがいい。
赤ちゃんのと時は、別として。
物心ついたあたりから、その本性を表す。
別に子供が、悪魔や怪物であるわけではない。
ただ、彼らは、自分一人では生きて行けないから。
大人にとって都合のいい人間を演じているに過ぎない。
では、その本性とは、ただ未熟な存在というだけなのですが。
未熟さゆえに、その嫉妬心、存在の不確かさから来る攻撃性。
そして、残酷さは特筆すべきものだ。
存在の不確かさの生む残虐性
この映画の大きなテーマ。
子供は、自分の存在が、わからない。
それを確かめるために、他者を傷つけることを平気で、することができる。
それは、弱者に対しであったり、昆虫であったり。
ただ、これが、小動物にまでゆくと、事態は深刻だ。
他者の痛みとはどんなものなのか。
痛みそのもののを、よく理解できていないのでは。
何かを傷つけるというところに、性的サディズムが、加わると。
それが、修正されないままでいると、モンスターが、生まれる。
感受性が強く、特異な力を持つ存在、、、
子供を表現すると、こうとも言えるかもしれない。
全部が、全部そうだとは言えないが。
未熟であるがゆえに、そこに特異な能力が、あるとも言えるのでは。
そんな子供のサイキックな一面を、この映画は、デフォルメさせてみせた。
未熟である存在の子供が、その未熟さを修正されないまま大人になったときは。
そんな、人間の引き起こす事件を、現代人は、嫌というほど見てきているはずだ。
人間とは、じつにわからない存在だ。
子供たちの小さな世界で巻き起こる、とても静かな戦いの物語
非常に味わい深い作品でした。
様々な問題を抱え、孤独に直面した子供たちが、知り合って、触れ合っていったと思ったら、ちょっとした行き違いから、対立が生まれ、彼らの持つ“イノセント”と目覚めた力から悲劇的な展開を迎えてしまうお話です。
決してビッグバジェットな作品ではないため、映像表現としては地味ですが、子役たちの演技に加えて、終始不穏さを醸し出す展開の連続で、行きつく暇はありません。大友克洋の童夢の影響を受けた、という話ですが、「団地」という多様性が押し込められた特有の舞台設定も、今の時代だからこそより意味のあるものになっていたと思います。
ただ、監督がどこまで意図したのかは不明ですが、結果的に被害に被るのが移民の家の子供たちであったり、心の病の下に隠れたピュアさゆえにより「強力な力」に目覚めるアナの設定など、“イノセント”じゃない感情に心がザワつきます。
それら含めて、かなりの傑作だと思います。
"殺人"の定義
勿論、大人ならばそれは法律により厳しく律しられる事 しかし、未成年者に於いての殺人は一体どう定義づければいいのか? そんな究極且つ決して結論に到達できない問題を露出した作品である
まるでオモチャのように人の生死を扱うこと 同時に内面的な沸き立つ普遍性としての"被害者への共感性"を子供の時から備わっている事が前提に立つと、その扱いを盲目的に糾弾してしまうだろう 自分を苛める親、知り合い、そして否定的スタンス、それ以上に自分を攻撃する輩・・・ どうか消えて欲しい、そう願うのは通常の思考である そしてそんな鬱屈の中で、輝かしい可能性を発見する それが"超能力" 今風で言えば"チート"と置き換えられるだろう よく言われるのは親の教育、家庭環境、躾けといった、本来現在社会に於いて最低限学ぶべき教えや、それを補完する親子の愛情、安定した経済環境に於いて、そういった鬱屈は軽減されることであるとは一般的に流布されている そしてここで"果してそうだろうか?"なんて言葉に続けて例外的な概要を話し出すのが教育論としての出だしであるが、自分は教育者ではないので語る術はない そして多分、須く人間がその不完全さを甘受して、初めてその疑問は、矛盾を突破できるのであろうと、出来もしないことを神視点で語ることの愚かさをここに明示しておく 哲学者でも宗教家でもない自分がレビューできること それは、人間は進歩を続けることを弛まず、その恐怖に震え続けるのも又、人間であるという馬鹿馬鹿しさということ 秩序?枠組?安心?安全? それを超えるのは、今作のような"超能力"なんて解りやすい事象ではなく、もっと原始的な事かも知れない
トンでもない角度で打球が飛んでくるのは野球だけじゃないからねw
無垢ゆえに、残酷な世界
子供視点に一切の妥協がないのが心を打った。
●疲れ切った大人は無力で、保護化にある子供は頼り甘えてはいても大人の世界を一切信じていない。子供社会だけで世界を完結させている。
●大人たちに悪人はいない。どちらかといえば良識ある善人だ。しかし、不条理を止められないばかりか気づきさえしない。その描き方や捉え方がいい。
●登場する子供たちの描き方がリアルだ。弱者に対する冷徹とずるさ。最小限の言葉のやりとり。爪の先の汚れ。障害。リアルな現実はそのまま不幸を内包していることを感じる。
●超能力の描き方にセンスを感じる。派手に見せるのではなく、じりじりとした緊張感があり、さらに丁寧な見せ方だ。
●ラストの対決も素晴らしい。ここでも視点は徹底している。
平和で静かな日常で子供同士の殺し合いが行われ、大人は最後まで気づかない。
素晴らしい。
自分の子供時代を思い返せば、何不自由なく過ごしていても、たしかに世界の残酷は感じていた。世界は人の意志を超えてそもそも残酷なのだ。
基本ネタバレ無し。最終段のみチョットネタバレしてます。
ヨアキム・トリアー監督の「テルマ」「わたしは最悪。」の共同脚本で注目を詰めたノルウェーの鬼才エスキル・フォクト監督による長編監督2作目となるサイキック・スリラー。郊外の団地を舞台に、大人の目の届かないところで不思議な超能力を身に着けた子どもたちが、無垢ゆえの残虐性でその危険な遊びをエスカレートさせていくさまをリアルな筆致でスリリングに描き出します。
そんな超能力映画ではあるものの、ハリウッドのスーパーヒーロー映画のように、人が空を飛んだり、ビルを破壊したり、天変地異を引き起こしたりする描写は一切出てきません。それなのに、あらゆる場面に静謐かつ繊細な緊迫感がみなぎっている独創的なスリラーでした。
●あらすじ
ノルウェー郊外の団地。両親と引っ越してきた9歳の少女イーダ (ラーケル・レノーフ・フレットゥム)は、自閉症で言葉が話せない姉のアナ(アルヴア・ブリンスモ・ラームスタ)ばかり優遇されていると感じて不満を募らせていました。そんな時、不思議な能力を持つ少年ベン(サム・アシュラフ)と知り合い、仲良くなります。
一方アナは、離れている相手と意思疎通できる少女アイシャ(ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム)と仲良くなっていくのです。
ベンは念じるだけで物を動かす力を、アイシャはアナとテレパシーで話す力を持っていました。
やがて4人は一緒に過ごすようになり、互いに自分たちの不思議な能力を磨き、次第に思い通りに使いこなせるようになって無邪気に戯れ合っていました。しかし次第にベンの「力」が暴走を始めだします。ベンが力を母親に向けたことから、悲劇が始まるのです。 さらにいじめられっ子のベンがそのパワーを悪用したことで、イーダらは危機的な事態に陥っていきます。
●サイキックスリラーというよりホラーに近い怖さ
子供たちが超能力で戦う物語は、SFやサイキックスリラーと呼ばれるジャンルですが、印象はホラーです。道徳観念に縛られず、純粋だが残酷で、無邪気さが一瞬で悪意に転じる子供の世界が怖いところ。
団地とその周辺が世界の全てで、大人のルールや概念は通用しません。戦いは善悪の彼岸で展開するのです。
好奇心に満ちた遊び盛りの子供にとって、念動力やテレパシーは魔法のようなもの。その半面、超能力は人を傷つける暴力にもなりうるものですが、まだ思春期に至らない4人には物事の正邪の区別がつかず、人知を超えたパワーを制御することもできません。「わたしは最悪。」で米アカデミー賞脚本賞にノミネートされたフォクト監督が探求を試みたテーマは、まさにそこにあったのです。
●隠されたテーマとして描かれる子供の変化と成長、未知なる“覚醒”
主人公のイーダは親の目を盗んで姉に意地悪したり、ミミズのような無力な生き物を踏み殺したりする女の子として登場します。彼女には悪意も敵意もありません。純真無垢であるがゆえの子供の残酷さの表れです。
フォクト監督は大人の目が届かない子供の生態をリアルに描きながら、4人のうち唯一超能力を持たないイーダが、ベンとの闘いの中で責任感や他者への思いやりに目覚めていく姿を映し出す。超能力をメタファーにして子供の変化と成長、未知なる“覚醒”の可能性を描いた作品でもあるのです。
●リアリズムに徹した演出
演出は北欧独特のリアリズムを継承しています。超能力での戦いもハリウッドのようにCGで派手には描かれません。すぐ近くにいる大人たちが気づかないほど地味なのです。それがかえって異様なまでの緊迫感を生んでくれました。
陽光きらめく団地や森の風景をカメラに収めつつ、不安定に揺らぐ子供の感情と、風のざわめき、水面の波紋などの自然現象を共振させた映像世界が胸騒ぎを誘うのです。
優れた撮影、音響効果に加え、子役たちの迫真の演技も特筆ものです。
ただ、猫を団地の高層階から突き落とすという動物虐待の直接的描写は不快でした。リアリズムのためのあえての描写で、実際に虐待しているわけでもないでしょうが、気持ちが萎えました。
●日本のマンガ作品にインスパイア
本作はフォクト監督が1990年代後半、大友監督の映画『AKIRA』に衝撃を受け、マンガを探して、その原型となったマンガ『童夢』に出会ったのです。なので巨大団地、子ども、超能力という舞台装置は、「童夢」とそっくり。
しかし激しいアクションが描かれた「童夢」と違い、画面は終始穏やか。それでも、団地が持つのっぺりした無機質な空間と、家族連れが和やかに遊ぶ温かみの双方を生かした演出がたくみです。空を飛んだり殴り合ったりはせず、戦いは平穏な日常の裏でひそかに繰り広げられます。アクションを抑制したからこそ、不穏な空気と迫り来る脅威を、ヒシヒシと感じさせてくれたのです。
フォクト監督はこう語ります。「爆発なんてやったら、いま氾濫しているスーパーヒーロー映画と似たものになってしまう。逆を行って、観客が息を殺して見入ってしまうスリラーを作りたかった。小さな石や葉っぱ1枚が震え、砂や水面がざわつく。子どもたちだけが気づき、見つめるミクロな世界。そこに、リアルと地続きのファンタジーがあるんだ」と。
●最後にチョットだけネタバレ(これからご覧になる人は読み飛ばしてください)
撮影監督は北欧で評価の高いシュトゥルラ・ブラント・グロブレン。子供たちの超能力対決を印象的に切り取りました。
アナとイーダ対ベンの最終決戦は、母親たちが買い物でいない午後に決行。ベンに操られると、母親も危険な存在になりかねないのです。背景の高層階のベランダから両者の対決を意味ありげに見下ろす子供たちも、正面と肩越しでしっかり押さえます。
両者池を挟んで向き合い、犬がほえ、砂が巻き上がり、赤ん坊が泣きごえをあげます。最後はブランコに座ったベンが邪気を送り、アナとイーダは手をつなぎ必死の防戦。姉妹の足元の砂が動き、緊迫感がマックスに描かれていくのです。
そしてどちらかがガックリと頭を垂れた瞬間、特撮がらみの引き画で遊具がバタバタ倒れ、どちらかの勝利を知らせるのです。そんな周囲の大人たちが知るよしもない子供どうしの真昼の念力合戦が撮られました。
猫が死んで犬も死ぬ
猫は元々テレパシーが使える女の子の飼い猫で、逃げ出したのを物を操れる男の子に見つけられ、尻尾を掴んで嫌がっているところを身動きが取れないよう拘束し、階段から落として骨折して逃げてうずくまっているところを頭を潰して殺します。
犬は死んでいるのを発見します。
しっかり怖い北欧スリラー
大友克洋「童夢」にインスパイア―ドされた北欧発のサイキックスリラー。
なんか面白そうだな、と軽い気持ちで観に行ったら、しっかり怖くて参ってしまった。
序盤に猫さん虐待シーンがあり、そこで心をへし折られながら残りの100分あまりをなんとか耐え抜いた。猫さん好きには閲覧注意作品である。
主人公をはじめとする4人の子供たちはそれぞれ生きづらさを抱えている者どうし。共感しあいながら仲良くなるも、目覚めた能力を使った遊びがエスカレートして、取り返しのつかない事態に陥っていく。大人たちに対する復讐めいた行動をとるのだろうとは予想していたが、まさか子供達どうしも殺し合いになろうとは…。分かってはいたけど、子供という生き物の無邪気な可愛さの中に潜む意地悪さ…残酷さって、本当に怖い。
ラストカットは残酷な遊びがまた連鎖していくように見えてならなかった。最強を証明した姉がその特性上ほとんど言葉を発しないがために色々と想像してしまうのだ。
「もうやめてくれと思ってもやめてくれない。
ずっと子供を怖いと思っていたけれど、やっぱり間違ってなかった。
この作品のお陰で、これから心置きなく子供を怖がれる。」
尾崎世界観のこのコメントに500万回イイねを押したくなった。
童夢は、1990年代にデヴィッド・リンチ監督により映画化される構想があったらしいが、それも観てみたかったな…。
Cruel
サイキックスリラーとか久しぶりに観るなーと思い劇場へ。この手のジャンル、好きなんですがDVDスルーになる事が多いので、劇場で観れてよかったです。
子供の小さな残虐性が集まって超能力と化し、悲惨な出来事に繋がっていく…という感じの静かな作品で、思い描いていたビームがドカーン!みたいな作品ではありませんでしたが、ヒューマンホラー的な視点で楽しむことができました。
主人公イーダの姉のアナが自閉症という設定、失礼な発言にはなってしまうんですが、どうしても行動の一つ一つにイライラしてしまったんですが、これが物語が進むに連れて、感情表現ができるようになったり、自分の意思を伝えれるようになってから、アナの成長がはっきりと分かるような見せ方になっていて良かったです。
マイナスな点では無いんですが、ベンが猫を屋上から突き落として、まだ生きてることを確認したら首を踏みつけて殺すのはかなり心にずしっときました。本物では無いのは分かってるんですが、これまたリアルに見えるので、猫が好きな人は要注意です。人並みに猫が好きな自分でも相当なダメージを食らったので…。
ベンがシリアルキラーの兆候があるのも興味深くて、猫を殺すのもそうなんですが、会話に応答しなかったり、すぐにキレたり、能力を使って母親を痛ぶったりなど、とにかく異常性が前面的に出ているのは差別化としてとても良かったと思います。しかも反省の態度はしっかり見せるので、嫌いになる一歩手前なキャラなのも不思議です。
最強モードになって人は操るわ、物は浮かすわ、遠隔操作で殺しを行うわのエグい祭りの様でした。その能力ををコピーしたアナがねじ伏せたのも静かな衝撃がありました。
終わり方がサッパリした感じだったのは続編への布石なのか、それともネタが尽きてしまったのか、団地の子供たちに超能力が備わっているのか、もう少し壮大な終わり方にしてくれたらなーとは思っちゃいました。
子役の子達の演技が本当に素晴らしく、ベンを演じたサム・アシュラフくんの大人と子供の狭間の表情を見せる演技には度肝を抜かれました。
それぞれの親の育て方、それぞれの子供の判断、現代的なテーマをベースにしつつも、ダークな雰囲気は澱むことなく、最初から最後まで保っていてとても良かったです。思っていたのと違うので少し評価は低くなりましたが、ダークなものをお求めな方にはオススメできる作品になっています。
鑑賞日 8/3
鑑賞時間 14:35〜16:40
座席 F-14
子ども恐っ
思っていたより残酷描写がリアルで恐かった。
恐くみせるのが上手で終始ハラハラしました。
子どもの曖昧な善悪の行為が上手く表現されていて、昔の自分の体験を思い出させてくれました。
無邪気、好奇心、うっぷん晴らしなど。
無垢なる邪気が蔓延している怖さに大人はビビります。
映画館で予告編やポスターを見てから興味が湧き、大友克洋のあの「童夢」からインスピレーションが湧いたとなれば俄然に観たくなるのは当然。
楽しみにしていた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ヤバい。こればヤバいぞ。
関西で観たから関西弁に直すとアカンやつですわ。
ポスターからして妖しさプンプン。
ノルウェーを舞台にしているだけで怪しい雰囲気が漂うのに終始ヒタヒタと妖しくもそこはかとない儚さが同居していてヒヤッとする。
サイキックスリラーと言う括りにはなるけどサイキックスリラーと言うとなんか薄っぺらく感じるけど、まさしくその通り。
大友作品には数多くのクリエイターが影響を受けてるがこの作品はきっちりとその感化を昇華している。
北欧のスリラー系作品と言えば、近年では「ミッドサマー」が代表格で「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「ギルティ」なんかがありますが、怪しくも美しくそこはかとない冷たさが漂うようなイメージ。
決して派手ではないけど淡々と怖さを醸し出しているのが癖になるんですよね。
他の人の感想でも言われているが無邪気な悪意と言うか無垢なる邪気がある意味「無邪気」で物凄く怖い。
悪意無き悪意と言うのは大人の世界でよく言われる自身の正義を振りかざした行為になるが無垢なる邪気は純粋だけにタチが悪いし、ストレート。
この無垢なる邪気と言う表現がホントピッタリです。
またメインとなる子供達の演技も抜群で4人がそれぞれにキャラが確りと立っていて、配分も絶妙。
特に自閉症のアナ役の女の子の演技はめちゃくちゃ良い感じです♪
イーダ役の女の子を見たときに2000年に公開され話題となった「ロッタちゃん はじめてのおつかい」を思い出した。…あっ!?あの作品も北欧映画だわw
猫のシーンは正直踏み込み過ぎな感があるけど、ここから一気に無垢なる邪気感が浸透していく。
猫好きには目を(耳を)覆いたくなると思うけど、このシーンをよくぞ入れたと思います。
個人的には「異端の鳥」を思い出した。
あの作品も賛否両論があるけど、観る側を刺激するフックポイントが設けられていて、それだけにとどまらない映像美があるので物凄く印象に残っているんですよね。
終始目が離せない怖さがあるんですが、ラスト手前の髭の男性がイーダ達父娘の後に続いて団地の中に入ろうとしたのはベンに操られていたからかと思うんですが、その後の回収が無いのでちょっと?が付くのが惜しい。
子供達の中に蔓延る特異な力が蔓延していき、それによって起こる様々な事件に大人が誰も気付かない。
それがまた日常的になっているのが怖いんですよね。
作品的にはM・ナイト・シャマラン監督なんかの作品に雰囲気が似通ってますが個人的には数段上。
シャマラン監督もこれぐらい抑えるところは抑えて、踏み込むところは踏み込んで欲しいですw
無邪気とは「ねじけた所の無く、素直でなんの悪気もないこと。 また、そのさま」と書かれてますが、この作品にはその意味合いを真逆ですが、違う意味で無垢なる邪気=無邪気な作品。
「童夢」や「ミッドサマー」が大好きな人なら絶対ハマると思うし、とにかく妖しい作品好きにもピッタリw
派手な演出を抑えた寡黙な怖さが秀でた作品でめちゃくちゃお薦めです♪
とてもよかった
うちの子どもが小3と保育園年長なので、ハラハラして目が離せない。インド人みたいな子が、悪い子で困る。子どもには「あの子とは遊ぶな」とは絶対に言わないようにしているのだけど、やっぱり一緒に遊んで欲しい子と遊ばないで欲しい子がいる。
エスパーが近くにいると力が増幅するなど面白い。また力がない子がキーマンなのところもいい。
思った以上に怖い😭
先が読めなくて、不気味で本当に怖かったです。
心身ともに冷え切って、終わって外に出てほっとしました。
無邪気で残酷で、良くも悪くも視野が狭くて短絡的な子どもたちが、念力を使えるとあんな映画になるのですね。
残酷すぎるけれど、ベンは、殺すしかないと思います。
アナ役の女優さんの見事な演技が印象的です。
ただ、猫を踏み潰す必要は、あったかな。ベンの冷血さを表しているのだろうけれど、もう少し他の表現はないものか。イーダがミミズを踏んでいたのもちょっと嫌だったな。
団地の持つ閉鎖性も、よく生かしていると思いました。
心のシンクロ。
ノルウェー郊外住宅団地に住む4人の少年少女の話。
ある夏休み隠れた力が目覚めた4人、その内の1人ベン(男の子)が、隠れた力を悪用し、物、人を操り邪魔な人間を消してく(殺す)、ベンとは元は友達の3人の少女、姉妹のイーダ(妹)、アナ(自閉症の姉)、アナと友達のアイシャ3人の少女達が暴走し始めたベンをどうにか制止しようととする少年少女4人のストーリー。
序盤の猫を高い処から落とし、追い討ちをかけるシーンは作品とはいえイヤだったな~。
猫好きな私からすると。
中盤手前位まで何かちょっと眠たかったんだけど暴走するベンが結構ヤバイ奴で暴走し始めるベン辺りから楽しめた!
暴走するベンだけど白眼剥かないと覚醒された力が発揮できないから白眼シーンは何か個人的には笑えた!(笑)
結局どう解決するんだ!と思ったけど自閉症の彼女がベンよりも強い能力を....。
アナと仲良しだったアイシャちゃんは殺さないでほしかったな個人的に。
☆3にしちゃったけど観てて痛々しいシーン、怖さもあり楽しめました!
なかなかの怖さがあった
ノルウェー郊外の住宅団地で、イーダと自閉症で言葉の出ない姉のアナ、近所のベンとアイシャの4人は夏休みに一緒に遊ぶようになった。最初はベンが軽いものを触らずに動かす能力を見せ、アナも同様に出来るようになり、アイシャとアナは離れててもお互いの思いが伝わるようになり、ベンを含めたアイシャとアナの3人は離れてても心の中がわかるようになっていった。最初は言葉当てゲームのような遊びをしてたのが、やがてベンがその能力で離れた所からサッカーをしてた子供を骨折させたり、他人を操り人殺ししたりと暴走を始めた。そして止めようとしたアイシャやアナは・・・てな話。
最初は何を見せられてるのかよくわからず、喋れない姉を持つイーダの苦悩を描いてるのかと思ってたら、なんと少年や少女たちの超能力開発により、ネコ殺しから人殺しへエスカレートしていく様子が不気味で怖かった。
特にベンがネコの頭を踏み潰した時の頭蓋骨の折れる音とか、自分の母親を熱湯をかけて攻撃するシーン、大人を操作し、歩道橋でいじめっ子を待ち伏せさせたシーン、アイシャのお母さんを操り・・÷、など、猟奇的な怖さがあった。
次はアナがやられる、と思ってたところ、イーダも加わりやっとベンを止めることが出来てホッとした。ベンは死んだのだろうか?生きていたらまた復讐に来るだろうから、死んだのかな?
4人の子役がみんな上手く、話に入り込めてゾクゾクした。
アイシャは白斑でアナは自閉症という人と違った身体的な面があり、それが超能力開発に繋がったと理解すべきなのかな?
ノルウェー語を聴ける機会は滅多に無いので新鮮だった。
ベンとアイシャの母親は黒人のようだったが、ノルウェーでも移民問題が起きているのかも、って背景を想像してた。
なかなか怖くてゾクゾクする作品で良かった。
エンドロールが上から下に流れたのも新鮮だった。
※ネコ好きは注意
超能力を持った子どもたちのサイコホラー(スリラー)。
人物描写や心理描写と伏線、怖さのベクトルがとても好みだった。
最初からラストまで、ずっとどう転ぶのかハラハラしながら見た。
ジャンプスケアは多少あるが、映像や音で怖がらせるよりも純粋に陰鬱なシナリオやキャラの心理や状況が恐ろしいのが良かった。
<あらすじ>
夏休み、団地に引っ越してきた9歳の少女。姉は自閉症でコミュニケーションが取れず、彼女のことを疎ましくも感じている。
団地では不思議な力を持った少年と知り合い、姉と心を通わせた感応能力を持つ少女とも仲良くなる。
4人で遊ぶうちに、主人公以外の3人の能力は徐々に強くなっていき…。
・イーダ
9歳の少女。自閉症の姉を持ち、両親は姉につきっきりで、昼間は姉の面倒をみるヤングケアラー的な役目も担っている。姉のことを疎ましく思い、姉に対してつねったり靴の中にガラス片を入れて憂さ晴らしをしている。
能力は持たない。
・アナ
自閉症のイーダの姉。コミュニケーションは殆ど取れず、痛みも感じないように見える。
アイシャと知り合い、お互いに心を読めるようになる。4人で遊ぶようになると、ベンと同じサイコキネシス能力も得る。
・ベン
軽いものを少しだけ動かす能力(サイコキネシス)がある。アイダに声をかけたのがきっかけで仲良くなる。
4人で遊ぶようになると、重いものを動かしたり、少しだけシンパシー能力を得たり、他人に幻覚を見せて催眠状態にもできるようになる。
父親はおらず、母親から心理的抑圧/虐待を受けていて、団地の他の子供からもいじめにあっている。
・アイシャ
心優しい少女。アナとお互いに心が読め(シンパシー)、アナの痛みを自分の痛みのように感じる。
優しい母を持つが、父親は最近亡くなったのか、人知れず泣いている母を見ることがある。
<ネタバレ>
序盤の主人公の姉に対する嫉妬やいらだちからの暴力描写。4人が仲良くなるに従って、姉への疎ましさも薄れていったが、ベンが能力が強くなるに従ってどんどん酷いことをしていくのを見て、主人公も同じように闇落ちしてしまうのでは…と、どちらに転ぶのかわからない展開にハラハラした。
序盤の主人公の話を聞いてくれない両親への諦観が終盤の自分だけでベンを止めようとする覚悟に繋がったり、嫌がらせのガラス片が終盤のベンへの殺意の道具かつ幻覚からの目覚めのアイテムになったりと、伏線の使い方が好みだった。終盤はこの主人公でないとベンを止めることが出来ないのではとすら感じた。(手段はさておき)
ベンは母親からの日常的な抑圧と男子からのいじめにストレスを溜め込んでいる。猫を殺してしまったのは、最初は純粋な興味(高いところから猫を落としても大丈夫的な通説?)でも、とどめを刺した部分は無垢故には見えない。
親から抑圧状態で問題のある子供は、まず弱いもの、猫や犬などの小動物を傷つける話はよく聞くが、ベンの場合はそれとは異なるようにも感じる。
母親を死なせた(殺したではない)のを契機として、いじめた子供の足を折り、他人に襲わせて殺し、邪魔者をどんどん排除していく。知り合ったときから仲良くし、自分を否定せずにいてくれたアンナに拒否された時は、あれだけ疎ましかった母親の名前を呼びながら泣くほどには傷ついていた。
主人公同様、ベン自身も善悪がわからない子供というだけでも、能力で次々に人を殺していく殺人鬼というだけでもない。彼らの感じる抑圧とストレスには共感してしまうし、その後の展開への恐ろしさもリアル。
アイシャ&アナコンビは好きだったので、アイシャが殺されてしまったのは残念で仕方がなかった。しかしホラーではいい人は早々にログアウトしてしまう定め…。ベンを止められるのはアイシャではなく、清濁併せ持ち能力を持たない主人公という展開も良い。
ラスト、姉妹で手をつなぎベンを止めたところ。
結局どちらの力か分からなかったというのは好きだった。妹かもしれないし、姉かもしれない。この姉自身も清だけとは限らないのだから。(アイシャ殺害への怒りという点もあるし、妹の能力を高めた=姉妹2人の力という見方もありそう)
人にはいろいろな面があり、それらが変わることもある。
子供が純粋無垢と思いたいのは大人の願望だろうというのがこの映画のタイトルなのかなと思った。大人の知らない子どもたちの戦いだった。
バナナンバナナンバナナ
超能力に目覚めた子供達が遊びの中で能力を高めて行きトラブルになる話。
夏休みに両親と共に郊外の団地に引っ越してきた9歳のイーダと、言葉は勿論感情を表すことすら出来ない自閉症の姉アナが、団地で知り合った不思議な力を持つベンジャミン君やアイシャちゃんと仲良くなって…というストーリー。
超能力バトルみたいなエンタメ作品ではなくて、序盤からホラーサスペンスみたいな空気感だし、ベンジャミン君は結構な残酷ショーをみせてくれるしで不穏な感じ。
回りくどいやり方や、先を考えていない行動は発想が子供だからってことかな?
そしてアナは他者のバワーを受け取れるってことかな?
最後は何の予兆もなく増えまくっていてちょっと唐突に感じたけれど、なかなか面白かった。
死に触れて成長する子どもたち
この作品で能力を使う子どもたち(イノセンツ)は障碍を持っていたり、社会的差別を受けている。
不自由なぶん、精神のエネルギーはとても強く、能力が芽生えたのだろう。その能力は死に触れることで増幅することが描かれている。
ベンは母親を殺したことがトリガーとなり、サイコキネシスの能力は人を自由に操る能力にまで昇華した。
寺山修二監督の映画に「田園に死す」という作品があるが、これは田舎でくすぶる少年が未来からきた自分自身に母親殺しを諭される話。"少年が一人前の男になるには母親を殺して一人立ちするしかない"という昭和臭くも、核心をつくような思想が主題となっている。
母殺しによってベンの能力がレベルアップするのは、退路を絶ちきった固い決心によるものだと思う。
憎らしくも、大切な母親だが、ベンにとっては消さなければ前に進めない大きな障壁だったのではないだろうか。
アナはアイラの死によって身の危険を感じ、ベンを殺そうとするも、未遂に終わる。そして、報復として車に轢かれ足を負傷してしまう。
数日後、窓の外で睨み付けるベンを見て、イーダはおもむろに走りだす。
アナはイーダを守ろうにも足の石膏が砕けず、狼狽するが、そんなとき超能力で石膏が割れ、足も完治する。
もともとアナには自発的な能力は備わっておらず(他人の能力を増幅させる力はある)これもまた、死に触れた際の瀬戸際の体験が能力の進化を促している。
ベンを友達ではなく災害と認識し、殺す決心ができたのはアナが人の死に触れたからだ。
大切な友人、親、或いは恋人でも、抑圧しなければならない。そのためには殺害も厭わない。
大切なものを絶ちきってイノセンツは大人になる。
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