イノセンツのレビュー・感想・評価
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地味に凄まじい映画
「童夢」を元にした作品という事で期待して観に行きましたが、期待以上の素晴らしい映画でした。
子役たちの演技は驚異的で、特にアナの存在感は凄かったです。
全体にこけおどしに陥らず、じわじわと迫る怖さに手に汗握ります。
CGは本物に見えるぎりぎりに控えられており、よくある派手にして嘘くさくなるという陥穽に嵌ることを回避しています。
最終決戦は鳥肌が立つほどの出来で、正に「童夢」の理想的な実写化に思えます。
全体に非常に完成度が高く、残念ながら邦画でこのレベルの実写化を作るのはほぼ不可能ではないかと思います。
それは悔しくはありますが、日本の漫画を元によくぞ作ってくれたと思いました。
子どもらしい残酷さに寒気
倫理観が成熟してないがゆえの残酷さや暴走の描き方は抜群に上手いですね。ゾッとしました。
テンポが妙にまだるっこしいのと、中盤からとある母親ずっとほったらかしなのおかしくない?とか幾つか引っ掛かる点があるのが惜しい。
幸福な国だから無邪気な悪も描けるのかな?
北欧産のグロいスリラー、ノルウェーが舞台のようで、平穏な日常が静かに侵食されてゆく恐怖を描く。昨年公開の「ハッチング-孵化-」はフィンランド製、男と女の性差から生ずる恐怖をみるみる攻撃的になる女性がポイントだったが、そっくりそのままそれを「子供」に振り当てたのが本作とも言える。全ては子供の世界だけで生ずる事象で、一切大人の介在する余地も余白もないところに恐怖のポイントを据える。日本でしたら、非常識の一言で窘められる映画のポイントですが、本質的に北欧各国と比較し、子供を守っているとは言えない日本で、だからこそこんな映画は到底日本では創られない。
北欧では、子供に対し積極的に税金を投入し、他の子どもと比較せず、長所を伸ばし個性を尊重する教育が、無償で受けられ、女性の社会進出も支える。2言目には「子供手当」と口にする、金さえ出せばの発想しかない無能な政治家の国とは、全く異なる。社会全体のコンセンサスが確立されているからこそ、無垢の色合いの本質的な攻撃性にテーマを挙げてもこうして成り立つわけで。
舞台は、いわゆる団地で、決して裕福とは言い難い人々が集う。分かり易く言えば多数の移民を受け入れ、多種多様な人種が住んでいる。ここに引っ越したばかりの白人姉妹とラティーノ系とインド系?の4人の子供が主役。「系」としか書けないのは、よく分からないし、そんな事は映画の作者にはどうでもいい事のようだから。姉妹の姉は自閉症のようで、実質妹が本作のメイン。
徐々に徐々に子供達の関係性に不思議な能力を描いてゆく。本作は音楽が秀逸で空気感の描写には舌を巻く。不穏な空気が一瞬のサイキック描写を浮き彫りにし、しかし演出的に過度な描写は一切せず、ってところが本作の良さ。一種の超能力は初めは4人の輪となり潤滑していたものの、次第に攻撃に向くところが恐ろしい。ついに矛先が大人にまで向かうものの、大人社会には一切響かない。何故か? 一種のピーターパン症候群の範疇なのか、世の不可解事件が子供の無垢によって引き起こされていたかも知れないと言うのに。
猫殺害の残忍も無邪気の延長線上にあり、死の認識も出来ない子供達だからこそ平気なのである。当たり前ですが、本当に殺しているはずもなく、この程度の描写で騒いでいたら、日本人甘すぎますと言われますよ。でも流石に子役がこの殺害演技をする辺りはどう説明したのでしょうね?
「わたしは最悪」の脚本書かれた方が監督だそうで、物事総てが極私に収斂する閉塞感を感じてしまうのは、冬の長い北欧だからこそなんでしょうかね。
ホラーもさることながら人物描写が丁寧
ホラーは苦手だが、この暑いなか、涼しい気分を味わいたくて、あまりグロく痛くなさそうなものをチョイス。
子どもたちが超能力を使ってどんな怖いことをするのかとビクビクしていたが、意外にも超能力を持つ過程とその心情変化が丁寧に描かれており、ストーリーとしてしっかりしていた。
単なるお遊びから、いじめ、親への反抗、そして、生存本能。
子どもたちのケンカに超能力があったらこんなふうになるんだな、とリアリティを感じられた。
『イノセンツ』、という複数形タイトルのとおり超能力を持った子どもたちは複数でてきて、彼らのケンカはなかばドラゴンボールの超サイヤ人によるバトルに見えて少し笑ってしまった。
怖さ自体は音楽による雰囲気程度さほどでもなかったが、ストーリーと子どもたちの名演があいまって全体的に楽しめた。
2023年劇場鑑賞82本目
子供は、純真ではない
北欧発サイコスリラー『イノセンツ』、子供が純真なんて、誰が言ったのだろう。そんな言葉が、聞こえてきそうな作品です。それは、ある意味真実です。あくまで、大人になる手前の存在なのだと。ただ、大人にならずに子供のままだと、それはそれで問題なんですが。
北欧発サイコスリラー
おおよそ、子供が純真だなんて、思わないほうがいい。
赤ちゃんのと時は、別として。
物心ついたあたりから、その本性を表す。
別に子供が、悪魔や怪物であるわけではない。
ただ、彼らは、自分一人では生きて行けないから。
大人にとって都合のいい人間を演じているに過ぎない。
では、その本性とは、ただ未熟な存在というだけなのですが。
未熟さゆえに、その嫉妬心、存在の不確かさから来る攻撃性。
そして、残酷さは特筆すべきものだ。
存在の不確かさの生む残虐性
この映画の大きなテーマ。
子供は、自分の存在が、わからない。
それを確かめるために、他者を傷つけることを平気で、することができる。
それは、弱者に対しであったり、昆虫であったり。
ただ、これが、小動物にまでゆくと、事態は深刻だ。
他者の痛みとはどんなものなのか。
痛みそのもののを、よく理解できていないのでは。
何かを傷つけるというところに、性的サディズムが、加わると。
それが、修正されないままでいると、モンスターが、生まれる。
感受性が強く、特異な力を持つ存在、、、
子供を表現すると、こうとも言えるかもしれない。
全部が、全部そうだとは言えないが。
未熟であるがゆえに、そこに特異な能力が、あるとも言えるのでは。
そんな子供のサイキックな一面を、この映画は、デフォルメさせてみせた。
未熟である存在の子供が、その未熟さを修正されないまま大人になったときは。
そんな、人間の引き起こす事件を、現代人は、嫌というほど見てきているはずだ。
人間とは、じつにわからない存在だ。
子供たちの小さな世界で巻き起こる、とても静かな戦いの物語
非常に味わい深い作品でした。
様々な問題を抱え、孤独に直面した子供たちが、知り合って、触れ合っていったと思ったら、ちょっとした行き違いから、対立が生まれ、彼らの持つ“イノセント”と目覚めた力から悲劇的な展開を迎えてしまうお話です。
決してビッグバジェットな作品ではないため、映像表現としては地味ですが、子役たちの演技に加えて、終始不穏さを醸し出す展開の連続で、行きつく暇はありません。大友克洋の童夢の影響を受けた、という話ですが、「団地」という多様性が押し込められた特有の舞台設定も、今の時代だからこそより意味のあるものになっていたと思います。
ただ、監督がどこまで意図したのかは不明ですが、結果的に被害に被るのが移民の家の子供たちであったり、心の病の下に隠れたピュアさゆえにより「強力な力」に目覚めるアナの設定など、“イノセント”じゃない感情に心がザワつきます。
それら含めて、かなりの傑作だと思います。
異様な緊迫感が半端ない
漫画「童夢」に影響を受けているとのことで興味を持ち観に行ったものです。
冒頭から不穏な空気感がガンガン伝わり、日常の中に非日常や暴力性が徐々に混ざり込んでくる描写も異様な緊迫感が半端なく、最後まで惹きつけられました。
超能力描写は率直に言うと地味でド派手な破壊などはありませんが、子供たちの日常とフラットに続いているリアルな雰囲気、子供の目線から不安や恐怖が伝わる様子、命の危険がひしひしと迫るサスペンス演出など、十分見応えがあります。
不穏な中に美しさもある団地や自然の風景、子供の無垢さを感じさせる光の描写など、映像面も印象的でした。
ストーリーとしては、子供たちの置かれた状況もあり、やはりやるせなさが残ります。
思った以上に「童夢」っぽさがあり、そこも楽しめました。
"殺人"の定義
勿論、大人ならばそれは法律により厳しく律しられる事 しかし、未成年者に於いての殺人は一体どう定義づければいいのか? そんな究極且つ決して結論に到達できない問題を露出した作品である
まるでオモチャのように人の生死を扱うこと 同時に内面的な沸き立つ普遍性としての"被害者への共感性"を子供の時から備わっている事が前提に立つと、その扱いを盲目的に糾弾してしまうだろう 自分を苛める親、知り合い、そして否定的スタンス、それ以上に自分を攻撃する輩・・・ どうか消えて欲しい、そう願うのは通常の思考である そしてそんな鬱屈の中で、輝かしい可能性を発見する それが"超能力" 今風で言えば"チート"と置き換えられるだろう よく言われるのは親の教育、家庭環境、躾けといった、本来現在社会に於いて最低限学ぶべき教えや、それを補完する親子の愛情、安定した経済環境に於いて、そういった鬱屈は軽減されることであるとは一般的に流布されている そしてここで"果してそうだろうか?"なんて言葉に続けて例外的な概要を話し出すのが教育論としての出だしであるが、自分は教育者ではないので語る術はない そして多分、須く人間がその不完全さを甘受して、初めてその疑問は、矛盾を突破できるのであろうと、出来もしないことを神視点で語ることの愚かさをここに明示しておく 哲学者でも宗教家でもない自分がレビューできること それは、人間は進歩を続けることを弛まず、その恐怖に震え続けるのも又、人間であるという馬鹿馬鹿しさということ 秩序?枠組?安心?安全? それを超えるのは、今作のような"超能力"なんて解りやすい事象ではなく、もっと原始的な事かも知れない
トンでもない角度で打球が飛んでくるのは野球だけじゃないからねw
クレイジーキャットピープルは心のコアを破壊された。
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画のひとつ前に観た映画が「猫と、とうさん」
癒されましたよ。クレイジーキャットピープル(愛猫家の意味)としては。
次がこの映画かよ‼️
壊されましたよ。あの場面ね。あれはぬいぐるみ。絶対に傷つけていない。フィクション、フィクション。くわばらくわばら。祈る祈る。
もう観てられないんですね。前半のあのシーン。
猫を虐待する奴は許せんのです。フィクションでも。私はあの場にいたら、あのガキを殺してしまうかも知れません。世界中のクレイジーキャットピープルよ!
今から一緒に、あいつを一緒に殴りにゆこうか!
失礼しました。つーか、お前も殴りたい。好きだったのに、コンサートにも行ったのに・・・
自分語りなんですが・・・冬に夢を見ました。私は猫を抱いています。迷子になり、おうちに帰れない!
しかし夢の中で夢だと気付きました。なるほどね、私は目覚めればおうちに帰れる。しかし・・・
夢の中の愛猫は・・・帰れん!どうする?私?
まあクレイジーキャットピープルですよ。馬鹿です。
目覚めれば・・・
はい!それまでよ!
そっちかよ‼️
自分語りは終わります。
この映画はノルウェーが舞台です。ふと気づいたんですが、私はノルウェーに対して語れる知識がない!
せいぜい、ビートルズのNorwegian Woodくらい。それを高嶋ちさ子のお父さんがねノルウェーの森って誤訳したんですね。
しかし誤訳を承知で村上春樹が同名の小説を書き。さらに翻訳されて海外でも人気になり・・・
まあいいかと・・・一周回った感あり・・・確かにノルウェーの木製家具じゃしまらない。結局・・・
ちさこパパ、グッドジョブ。因果は巡る尾車。
友達か‼️
失礼致しました。ここから映画の感想です。
割と最近なんですがホラー映画を結構観てるんですよ。
「M3GAN」「テリファー2 終わらない惨劇」「ブー あくまのくま」「エスター ファーストキル」「マッド ハイジ」こう並べると・・・
変態か‼️
そんな映画より背筋が凍りましたよ。直接的な人体破壊シーンはないんですけど。
物語はノルウェーの郊外団地に引っ越すシーンから始まります。4人家族、お父さんお母さん、イーダとアナの姉妹。
車の中、イーダのアップ。変な声。アナの声・・・声と言うより、呻き?神経に触ります。アナは重度の自閉症児でした。12歳くらい。両親は始終アナに気を遣います。面白くないイーダ。アナが喋らないのをいい事につねったりします。
団地に引っ越し生活が始まります。思い付きでアナの靴にガラスの破片を入れたりします。
いやあ、実に嫌なガキ(失礼) イーダ。
まあ可愛いは可愛いけどね。フィヨルドの少女。
フィヨルド出てこねえわ‼️
そんなイーダに友達が出来ます。インド系移民のベンです。ベンは重いものはダメですが、軽いものを精神の力で動かせます。サイコキネシス。
一方、アナにも友達が出来ます。やはりインド系移民のアイシャ。白癬症を患っています。
アナは喋れませんが、アイシャとは通じ合うんですね。
目と目で 通じ合う・・・
ちげえよ‼️テレパシーだわ‼️
はい。アナ、イーダ、ベン、アイシャの主要人物の紹介が終わりました。
4人は仲良くなり、超能力ごっこを始めるんです。だんだんと能力が強化されます。イーダはそこまででは有りません。
アナはテレパシーではアイシャと相性抜群。喋れないのが奏功したのかな。お互い被差別者。自閉症児と移民しかも白癬症だからね。
ベンも移民です。サッカーチームから排除されています。
ノルウェーにもインド人っているんだね。知らんかった。つーかどこでもいるか。江戸川区にはいるよー沢山いるよー
花見をしてる。蕎麦屋にいる。パチンコ屋にいる。カレー屋増えてる。ヒア ゼィア アンド エブリィウェア。
日本人もビックリ‼️
振り返ればインド人がいる!
インド人がいる風景は江戸川区ではデフォルト。平ったく言うと、フツーの風景。
しかーし、ノルウェーではきついのかもね。
そして超能力ごっこから、齟齬をきたしベンが暴走しはじめます。
話しは繰り返すんですけどね、猫虐待の件から、こいつは嫌いだったの。
そして不幸は連鎖します。悲劇って言った方がいいかもね。あのスープの件ね。熱湯風呂か!熱々おでんか!
ダチョウかよっ‼️
最終決戦。団地前の池を挟んで対峙します。あの人とあの人が!さて結果は?続きはCMのあとに!
CMねえし‼️
総じて音楽の使い方がいいね。始終鳴り響くシンセの低音。生活音でお鍋の蓋のカラカラ。お絵かきグッズの
シャーシャーシャーからのシャッ!赤ちゃんの泣き声。
アナの呻き声。
全部効いてるね。ゴア描写は映像の外。
ある面、純然たるホラーだよ。心理的に。
灼熱の日本の夏。金鳥の夏。涼を求める方は是非映画館にGOです。
お付き合い頂きありがとうございました。
2023年ベスト・ホラー・ムービー!⭐️⭐️⭐️✨
2021年製作のノルウェー製ホラー映画。
ロッテントマトでは96%/73%の高評価で、2022年のベスト・ホラー・ムービーの第2位にありますね(2023年7月現在)。
この作品のテーマは⁉︎
そんな事が途中から気になりだしたけど…。
ホラー的・SF的要素が強い一方、子供の発達とか色んなテーマが垣間見えたりしますが、ハリウッド製では決して感じることの出来ないこの斬新さと感性に素直に痺れました。
監督は大友克洋の『童夢』に影響を受けたという…残念ながら、未読なのですが、同じくサイコスリラーとのこと。
あの超能力対決なんて、ハリウッド製だと火花散らかしてド派手なバトルとなるんだろうけど、そんな演出をしなくとも、緊迫感あふれる対決に最後までドキドキでした!…いやぁ、なかなか怖かった!笑
この夏、1番面白い映画でした!
オススメ!笑
雰囲気重視
異能力者達(3人)+一般人(1人)の戦い
戦いのシーンの描写はサイコスリラー?サスペンス?の雰囲気があった
戦闘?のシーンは静かに雰囲気重視で行われるため、もっと見て分かる様な描写が欲しかった
色々言葉足らずで終わった感じ
子どものサイキックは危険
バカンス中の団地に人気は無い。
引っ越してきたアナとイーダの姉妹にベンとアイシャという友達が出来る。
ベンは元々サイキックで、軽いものなら動かすことが出来る。
アイシャはテレパスなのかな。アナと偶然出会うことでアナとシンパシーを使えるようになる。
今のところイーダは何も出来ないが・・・
4人で遊ぶうち些細なふざけっこで、ベンが軽く傷つき対立する。
普通の子なら怒って、まあまあ、という流れでつぎにつながって仲直りなのだが、ベンは武器を持っているので、懲らしめようという気持ちが強すぎたみたいだ。
ベンのサイコキネシスは次第に強くなり、ついには○○を××してしまう。
これをきっかけに、第2第3の事件が起き、ついにはアイシャが・・・。
アナは感情や言葉は発しない。自閉症ということだがもう少し重そうだ。
しかし、感情は伝わっているようではある。
さて、炎の少女チャーリーやファイヤスターター、古くはキャリー、最近だと韓国映画のthe Witch魔女というのもあった。規範意識が育つ前の子どもに相手を××出来る力を持てばどうなるか。
いじめの親玉みたいになるね。
サイキックが化け物に育つ前にやってはいけないこと(多分ロボット三原則)を叩き込む。いかに三つ子の魂百までの教えが大切かということだね。
結局誰も幸せにならなかった。
アイシャ(ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム)はいい子だったのに本当に可哀想だった。名前からしてインド系かな?
ベンジャミン(サム・アシュラフ)は顔立ちからするとアラブ系かな。
自閉症のアナを演じたアルヴァ・ブリンスモ・ラムスタッドは好演で、本当に自閉症かと思えるほどだった。12歳くらいに見えるけど、とても美人に育ちそうだ。
良い映画でした。どっかの映画みたいにバトルをしなかったのがとくに良かったね。
無垢ゆえに、残酷な世界
子供視点に一切の妥協がないのが心を打った。
●疲れ切った大人は無力で、保護化にある子供は頼り甘えてはいても大人の世界を一切信じていない。子供社会だけで世界を完結させている。
●大人たちに悪人はいない。どちらかといえば良識ある善人だ。しかし、不条理を止められないばかりか気づきさえしない。その描き方や捉え方がいい。
●登場する子供たちの描き方がリアルだ。弱者に対する冷徹とずるさ。最小限の言葉のやりとり。爪の先の汚れ。障害。リアルな現実はそのまま不幸を内包していることを感じる。
●超能力の描き方にセンスを感じる。派手に見せるのではなく、じりじりとした緊張感があり、さらに丁寧な見せ方だ。
●ラストの対決も素晴らしい。ここでも視点は徹底している。
平和で静かな日常で子供同士の殺し合いが行われ、大人は最後まで気づかない。
素晴らしい。
自分の子供時代を思い返せば、何不自由なく過ごしていても、たしかに世界の残酷は感じていた。世界は人の意志を超えてそもそも残酷なのだ。
残酷
106本目。
ちょっと不快な始まり。
将来、サイコパスかも思わせる。
お姉ちゃんがあれだからの認知行動か。
子供の持つ純真さ、残酷さを併せ持った作品だろうとは思ったけど、猫の所で不快な気分。
最後、少し気分、気持ちを持ち直しての評価。
自分も子供の時、どうだったと問われればなあ。
流石に猫はないけれど。
基本ネタバレ無し。最終段のみチョットネタバレしてます。
ヨアキム・トリアー監督の「テルマ」「わたしは最悪。」の共同脚本で注目を詰めたノルウェーの鬼才エスキル・フォクト監督による長編監督2作目となるサイキック・スリラー。郊外の団地を舞台に、大人の目の届かないところで不思議な超能力を身に着けた子どもたちが、無垢ゆえの残虐性でその危険な遊びをエスカレートさせていくさまをリアルな筆致でスリリングに描き出します。
そんな超能力映画ではあるものの、ハリウッドのスーパーヒーロー映画のように、人が空を飛んだり、ビルを破壊したり、天変地異を引き起こしたりする描写は一切出てきません。それなのに、あらゆる場面に静謐かつ繊細な緊迫感がみなぎっている独創的なスリラーでした。
●あらすじ
ノルウェー郊外の団地。両親と引っ越してきた9歳の少女イーダ (ラーケル・レノーフ・フレットゥム)は、自閉症で言葉が話せない姉のアナ(アルヴア・ブリンスモ・ラームスタ)ばかり優遇されていると感じて不満を募らせていました。そんな時、不思議な能力を持つ少年ベン(サム・アシュラフ)と知り合い、仲良くなります。
一方アナは、離れている相手と意思疎通できる少女アイシャ(ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム)と仲良くなっていくのです。
ベンは念じるだけで物を動かす力を、アイシャはアナとテレパシーで話す力を持っていました。
やがて4人は一緒に過ごすようになり、互いに自分たちの不思議な能力を磨き、次第に思い通りに使いこなせるようになって無邪気に戯れ合っていました。しかし次第にベンの「力」が暴走を始めだします。ベンが力を母親に向けたことから、悲劇が始まるのです。 さらにいじめられっ子のベンがそのパワーを悪用したことで、イーダらは危機的な事態に陥っていきます。
●サイキックスリラーというよりホラーに近い怖さ
子供たちが超能力で戦う物語は、SFやサイキックスリラーと呼ばれるジャンルですが、印象はホラーです。道徳観念に縛られず、純粋だが残酷で、無邪気さが一瞬で悪意に転じる子供の世界が怖いところ。
団地とその周辺が世界の全てで、大人のルールや概念は通用しません。戦いは善悪の彼岸で展開するのです。
好奇心に満ちた遊び盛りの子供にとって、念動力やテレパシーは魔法のようなもの。その半面、超能力は人を傷つける暴力にもなりうるものですが、まだ思春期に至らない4人には物事の正邪の区別がつかず、人知を超えたパワーを制御することもできません。「わたしは最悪。」で米アカデミー賞脚本賞にノミネートされたフォクト監督が探求を試みたテーマは、まさにそこにあったのです。
●隠されたテーマとして描かれる子供の変化と成長、未知なる“覚醒”
主人公のイーダは親の目を盗んで姉に意地悪したり、ミミズのような無力な生き物を踏み殺したりする女の子として登場します。彼女には悪意も敵意もありません。純真無垢であるがゆえの子供の残酷さの表れです。
フォクト監督は大人の目が届かない子供の生態をリアルに描きながら、4人のうち唯一超能力を持たないイーダが、ベンとの闘いの中で責任感や他者への思いやりに目覚めていく姿を映し出す。超能力をメタファーにして子供の変化と成長、未知なる“覚醒”の可能性を描いた作品でもあるのです。
●リアリズムに徹した演出
演出は北欧独特のリアリズムを継承しています。超能力での戦いもハリウッドのようにCGで派手には描かれません。すぐ近くにいる大人たちが気づかないほど地味なのです。それがかえって異様なまでの緊迫感を生んでくれました。
陽光きらめく団地や森の風景をカメラに収めつつ、不安定に揺らぐ子供の感情と、風のざわめき、水面の波紋などの自然現象を共振させた映像世界が胸騒ぎを誘うのです。
優れた撮影、音響効果に加え、子役たちの迫真の演技も特筆ものです。
ただ、猫を団地の高層階から突き落とすという動物虐待の直接的描写は不快でした。リアリズムのためのあえての描写で、実際に虐待しているわけでもないでしょうが、気持ちが萎えました。
●日本のマンガ作品にインスパイア
本作はフォクト監督が1990年代後半、大友監督の映画『AKIRA』に衝撃を受け、マンガを探して、その原型となったマンガ『童夢』に出会ったのです。なので巨大団地、子ども、超能力という舞台装置は、「童夢」とそっくり。
しかし激しいアクションが描かれた「童夢」と違い、画面は終始穏やか。それでも、団地が持つのっぺりした無機質な空間と、家族連れが和やかに遊ぶ温かみの双方を生かした演出がたくみです。空を飛んだり殴り合ったりはせず、戦いは平穏な日常の裏でひそかに繰り広げられます。アクションを抑制したからこそ、不穏な空気と迫り来る脅威を、ヒシヒシと感じさせてくれたのです。
フォクト監督はこう語ります。「爆発なんてやったら、いま氾濫しているスーパーヒーロー映画と似たものになってしまう。逆を行って、観客が息を殺して見入ってしまうスリラーを作りたかった。小さな石や葉っぱ1枚が震え、砂や水面がざわつく。子どもたちだけが気づき、見つめるミクロな世界。そこに、リアルと地続きのファンタジーがあるんだ」と。
●最後にチョットだけネタバレ(これからご覧になる人は読み飛ばしてください)
撮影監督は北欧で評価の高いシュトゥルラ・ブラント・グロブレン。子供たちの超能力対決を印象的に切り取りました。
アナとイーダ対ベンの最終決戦は、母親たちが買い物でいない午後に決行。ベンに操られると、母親も危険な存在になりかねないのです。背景の高層階のベランダから両者の対決を意味ありげに見下ろす子供たちも、正面と肩越しでしっかり押さえます。
両者池を挟んで向き合い、犬がほえ、砂が巻き上がり、赤ん坊が泣きごえをあげます。最後はブランコに座ったベンが邪気を送り、アナとイーダは手をつなぎ必死の防戦。姉妹の足元の砂が動き、緊迫感がマックスに描かれていくのです。
そしてどちらかがガックリと頭を垂れた瞬間、特撮がらみの引き画で遊具がバタバタ倒れ、どちらかの勝利を知らせるのです。そんな周囲の大人たちが知るよしもない子供どうしの真昼の念力合戦が撮られました。
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