ザ・クリエイター 創造者のレビュー・感想・評価
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善とは、悪とは、戦争はなぜ終わらないのか
SFアクションというよりも、
人間ドラマ。命のドラマという色を強く感じた。
清く正しく平凡なAI、強欲高慢上からな人間。
ひくにひけない戦争。
映画 第9地区 で感じたドス黒さがそこにある。
全体的に、スター・ウォーズっぽい感じがあるが、
敵側が人間ということで、とても複雑な気持ちで
終始進んでいき、最後までモヤモヤがとれない。
スッキリはしないことが多いが、
VFXの技術は、もの凄いものがある。
全てが自然に視える。
渡辺謙も、凄い存在感。
ラスト サムライ的。
人間の価値とは?
近い将来、AIと人間が対立するというのは、誰もが想像していることである。その現実味がどの程度のものなのか、私には見当つかないが。大多数の人間よりもAIの方が合理的で生産性が高いものになるのは確かだろう。
そうであるならば、人間の価値って何だ?非合理的で、負の感情を抱え、暴力的なこの生き物は、地球上に存在する意義があるのか?
2023年のウクライナやガザに限らず、人間はその叡智をもってしても争いをやめられず、憎しみの連鎖が渦巻いている。人間が産み出したAIという新たな知能に次を託した方が、宇宙規模でみたらより良いものなのかもしれない。そんな妄想が止まらない。
本作において、元特殊部隊の男性・ジョシュアがAIの少女・アルフィーと出会い、物語が展開していく訳だが。少なからぬ能力を有するアルフィーが、無礼なジョシュアと行動を共にするに至るには、やや無理があるような。あんな言葉遣い、態度だったら抹殺に値すると思うんだけど。私が少し繊細に過ぎるのか?
あと未来において、デジタル使用した行動ならAIが即察知できるような気がしないでもない。それを言ったら物語が進まないのは百も承知だけれど。
野暮だが、ブレードランナーやアルマゲドンの幻影が、大人心をくすぐったことは告白しておきたい。
ニューアジアの世界が良い。
AIの世界はどこまで行くのか?恐さを感じつつ‥
AIが人間の顔をしている。
AIと人間の境目をなくそうとするのは危険過ぎやしないか?でも人間は危険すぎることを平気でやれる生き物でもあるのです。
とてもドラマチックな物語でありましたが、その感動がこの世界を肯定することになるのだとしたら、ちょっと待ったをかけたいです。
人間が作ったものと戦争をするなんて、馬鹿げてやしませんか?
物事には「いい塩梅」というのがあります。それを探りながら生きていくことが大事だと。この映画を観て感じたことはそんなことでした。
技術革新や発展の前に大切にしなきゃいけないことを考えたくなるような作品でした。
「たかが映画にそんなに真面目に考えなくても‥」と言われるかもしれません。でも、これは近い将来の姿かも?僕にはリアルに映りました。
「スターウォーズ」や「ブレードランナー」を感じさせる世界観は楽しめましたが‥。
アメリカ人が作った中身のない映画
A.I.が暴走して、反対派のアメリカv.s.賛成派ニューアジアの対決になるのだが、主人公のテイラーは自身の役目を無視して行動する。愛する妻を想う気持ちは大切だが仲間を犠牲にして自己中。
「ブレードランナー」をオマージュ・リスペクトしているのかもしてないけど、いまさら超劣化版にしかならない。
東南アジアをイメージする場所で渡辺謙のみ日本語を話す。英語字幕があるから分かるけどいきなりの日本語は聞き取りできない。中途半端な制作者の日本贔屓はいらない。
A.I.が暴走したのではなく、人間の操作ミス。しかしアメリカはニューアジアを攻撃する。もう映画を観ていても怒りMax。ニューアジアの人々はあんなにA.I.と共存しているのに。A.I.のアルフィーは事あるごとに合掌するが、これの意味することが理解出来ないであろう欧米人にとっては意味のない事である。
せめて主人公がラストでアルフィーを助ける時、過ちを悔いる場面でもあれば救われたが、アメリカ映画だからそんな事期待する方がバカだよな。
説明なしのご都合映画
敵も味方も欠陥品か?
良いところ
不自然さのないCG
アルフィー役の子の演技
ダメなところ
設定全てに漂う考察の足りない甘さ
全員真面目にやってるとは思えないうっかりさ
科学が進んでる割に低レベルな戦争
邦画でも「AI崩壊」だったかAIを取り扱ったとんでも映画があったが、正直シナリオとしては同レベル。こっちの方が映像としてはずっと良い出来だけど。
開始数分で、と言うか最初シーンで違和感。どう見ても潜入工作のシーンなのに巨大空中要塞ノマドからのサーチライトが降り注ぐ。真っ暗な海岸にそれだと数キロ下手すれば数十キロ先からでも気づかれるだろ、ともうなんと言うかしょっぱなでガッカリ。そのほかでも敵味方がうっかりすぎて話が進む。目の前の敵戦力を無力化する前に監視を外して逃亡やら反撃とか真面目にやれよ、と。特にラストあたりで子供の脚力ではしりまわるのに破壊命令出てるのに全く無防備。いや、空気が薄くて人間の行動阻害されるとは言え、無防備すぎるだろ、最優先で守るべき施設だろ。
ニューアジアと米国の対立なのはいいけど、どちらかの殲滅戦じみた状況でなんでそんなに戦力差あるのに悠長なんだ?なんか戦力差大きいのに割と不利な戦績らしい。わからん。一体どう言う状況なんだ。そう言うところを無視してみるべきなんかも知れんが、開始直後のガッカリ感で細かい不自然さが気になる。そもそも主人公のテイラー軍曹が潜入工作するほど優秀さのくせに行動が稚拙すぎて好きになれんかったからアラ探しになってしまった。
感情のあるAIって⁉︎(そりゃ出来る未来は来るだろうけど…)
これまでの映画と違いAI(ロボット)の方が感情が有り涙を流し人間の子供を育てる。そしてより牧歌的(SDG s的)な生活を送っており迫害を受ける側と成っている。科学的な根拠を持って観てはいけないのかも知れない… だからSFと思って鑑賞してしまうと沢山?が出て来る。
期待して観たのに残念でならない。。そして4DXで観て大失敗してしまった。
(しかしAIが寝ると言うのは。どうしても設定的に無理が…)
やはりAIより恐ろしいのは人間なのだ!…と言う事が言いたいのネ。それにしては金かけ過ぎだろ⁉︎こっちは期待して観に行ってしまうだろ‼︎(余り批判するのは好きではないのだが久々にお金を返して欲しいと思う作品であった…)
近未来の人間ドラマ!?
私にとって今年度ベスト1と言える作品でした。
オープニングの『FLY ME TO THE MOON』から心揺さぶられ、ラストのドビュッシーの『月の光』…まで鷲掴みにされましたし、SF映画としては、『ブレードランナー2049』以来の衝撃でした。
系統的には『ブレードランナー』以外では『メッセージ』、『AI』、『アバター』『レオン』…なども彷仏とさせられる部分もあり、万人向けとは言いませんがこれらの作品が好きな人には気に入ってもらえるかもしれません。
AIの子供がいとも簡単に機械を操ったり、主人公も簡単に敵基地に侵入できたり、突っ込みどころもなくは無いですが、そんな部分に刺さっているよりこの映画の作り出す世界観と物語に浸って欲しい作品です。
“新・SF映画 傑作の登場”と言って良いでしょう。
主人公のはずのアメリカ人ですら、テンプレの悪役なのは、
世界観は独創的で素敵なのだけど、
保身で虐殺をすることをジハードというアメリカ人対ロボットと共存するアジア人。
主人公なのに、終盤まで、AIの子どもに銃を突きつけたり、暴言を吐いたり脅したり、
誘拐犯みたいな誘い文句を連発したりと、テンプレな悪党ムーヴをしている。
AIと人のあり方以前に、腐敗貴族のテンプレ思考なアメリカ人が気になって仕方ない。
殺人鬼の市川猿之助も無理心中となる世の中だし、仕方ないのかもしれんけど
タイトルなし
公開のタイミングが悪すぎる
この映画の楽しみ方‼️❓
ブッディズムと電脳を語る前に「PLUTO」を見よ
折しも「PLUTO」(浦沢直樹氐)が配信され、「火の鳥」もまた映画になるという。
歴史、科学、生命、環境多くの点で予言を叶えた手塚治虫先生は多くのレガシーを生み、多くのジャパンクリエイターにもインスパイアを与えたことを感じずにはいられない。
「クリエイター」は、私には壮大なスケールと映像、叙情的な音響を用いたコラージュ作品だという印象だった。
迂闊にも知らずに「吹き替え」で見てしまったこともある。
よくある字幕ハリウッドの「下手な」日本語を耳にして興ざめするのを避けたのでは?と邪推したくなる。
タイトルやエンドロール、劇中のブレードランナーで見たような多国籍の町並みに日本向け(アジアというくくり)の視聴者を意識した作りが、そこかしこにうかがえる。
AI としての少女の表情は、彫刻家、籔内佐斗司のこどもの仏様のように無邪気というか、如何にも嘘でなさげなミディアムな愛くるしさを醸している。
AI(ヒューマノイド)を擁したアジア諸国を撲滅する西側諸国という構図。そこには、自らの傲慢さや文明発展の為に平和を軽視する態度への反省が見える。
あたかも「Fight or Fright(闘争か逃走か)」の二元論と「Flow(水は低きに流れ)」中庸を徳とするブッディズムの対立を想起させる。
はて対立?はたまた融合はありえることか。
とはいえヒューマニズムが安く見えるのは、スケールの壮大さと「素材のツギハギ感」のギャップから浮き出る、解りやすさからかもしれない。
中年男と少女の切ないストーリーも見飽きたし、シリコンバレーにおけるスピリチュアルブームつまり「アジア」っぽい神秘な物への畏敬の念も表面的に見えてしまう。
これを書くのと平行してに「Pluto」を見ているのだが、やはり手塚治虫作品は、平和や人の心、そして生命というものについて深い洞察をエンターテイメントに含ませている。
(解釈をそえて展開したのは浦沢直樹である。)
ディックの「アンドロイドは電脳羊の夢を見るか」を原点として、そこから多くのヒューマノイド、ロボット、電脳世界作品が生まれた。「ターミネーター」では、AIの反逆とその終末世界、「マトリクス」では、仮想世界と現実社会の反転。実際は人工知能が自らの意思で人類を支配や管理するのではなく、そこには必ず「誰か」の意思たるプログラムが介入するわけである。ただ、どちらもエンターテイメントととして突っ込みをいれようもなく、ただおもしろかった。
「マトリクス」も「攻殻機動隊」からインスパイアを受けた時にも感じたが、電脳世界をことなった解釈と派手な表現スタイルで全く別の大作と仕上げるところには、相容れない東西文化の違いを思い知るところとなった。
仏教は日本固有の宗教ではないし、こういう書き方はごうまんなのかもしれないけれど、
アジアというか如何にも日本人に向けて理解を示しています、という態度が見えかくれする限りは、こういう作品は妙に歯がゆさを覚えてしまう。
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