リバイバル69 伝説のロックフェス : 映画評論・批評
2023年10月3日更新
2023年10月6日よりヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町ほかにてロードショー
ジョン・レノンが「終わりの始まり」を告げた伝説のロックフェス、その全貌とは。
1969年9月13日、トロント大学ヴァーシティ・スタジアムでロック・レジェンドが一堂に集う「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」が行われた。立案者は当時22歳のジョン・ブラウワーと相棒のケン・ウォーカー。50年代から活躍する大御所たちを集めて一攫千金を狙った。だがチケットは売れなかった。
起死回生を狙ったふたりはドアーズに交渉を開始する。ギャラは2万5千ドル(今のレートで20万ドル)。だが手許に金はない。そこでカナダ最古のバイク集団〈バカボンズ〉を率いるエッシー・レスリーに金を借りて広告も打った。これで盤石だと思った矢先、酒に酔ったジム・モリソンがステージで局部をさらけ出し(真偽は諸説ある)逮捕の憂き目に。券売数は僅か2000枚、最低でも9000枚売らなければ採算が取れない。
公演まで1週間、もはや命運は尽きたのか。溺れる者は藁にもすがる。人づてに紹介された音楽プロデューサーから「ジョン・レノンにコンタクトすべし」と助言をもらう。長い一夜を過ごした後、ふたりはロンドン時間の午前11時にジョンのオフィスに電話を入れる。
神は見捨てなかった。ジョンが興味を示すと隣のヨーコも「平和のためなら」と頷く。こうして、ギターにエリック・クラプトン、イエスのドラマー、アラン・ホワイト、名盤「リボルバー」のジャケット画で知られるベーシストのクラウス・フォアマンを集め、一夜にしてプラスティック・オノ・バンドが結成されることに。周知の通りビートルズは1966年8月以来ライブ活動を停止しており、ジョン・レノンとしての初めてのステージがトロントに決まった。これで安泰だと踏んだふたりは特ダネを地元ラジオ局に持ち込むのだが…。
この先の悲喜交々はスクリーンでご堪能いただくとして、これほどまでにドラマティックで、笑いが止まらない舞台裏の奮闘を描いた音楽ドキュメンタリーには中々出会えない。携帯電話もSNSもない時代、「ジョン・レノンのトロント降臨」情報は世界に伝わり、アメリカからトロントに向かうバスのチケットは即完、瞬く間に現象化していく。
舞台裏のグルーヴが最高潮に達した本編では、ロック・レジェンドたちの演奏が始まる。常に単身でステージに上がったチャック・ベリーの逸話、ピンスポットがなければ歌わないとごねるリトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイスの軽快なピアノ、ボー・ディドリーのいぶし銀の名演に酔い、アリス・クーパーやイエスの若きエナジーが爆発する。
極めつけは、2万人を超える観客の前に立ち、ビートルズとの訣別を意識したジョン・レノンが率いるプラスティック・オノ・バンドの衝撃のデビュー。トリをつとめたジム・モリソンは「平和を我らに」を初披露したジョンに敬意を込めてセットリストを変更、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979)でフィーチャーされた「ジ・エンド」を歌い始める。まさにジョン・レノンにとって「終わりの始まり」を告げるパフォーマンスが繰り広げられたのだ。
開催から約半世紀、D・A・ベネベイガーとスタッフたちが撮影したフィルムが偶然発見され、トロントを拠点に活動するロン・チャップマン監督が仕上げた伝説のフェス、その全貌をとくとご覧あれ。
(髙橋直樹)