違国日記のレビュー・感想・評価
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表面上を漂うような
キャストは魅力的だったけど、あまり感情移入できず長く感じたのは、話と映像が、美しい表面上を漂っているようだったからかもしれない。
誰かの一番になることは簡単ではないと思う、という言葉が、印象的だった。偏見の中でも一人で必死に生きることで、強くなれるのではないかと思った。
人と交わるためには、自分を持つこと
全く自分を持たない姉に責められて、命懸けで殺そうと思うくらい小説家への道を歩んできた妹との確執。急に現れた姉の子供との共同生活が始まる。感情や出来事を単に黒白つける物語にはせず、あやふやな人間の心情に寄り添った映画。なかなか最後の収束が難しいけど、姉の朝へのノートが途中で終わっていたところが、かえってよかった。
原作はどこかで読んでみたい。
瑞々しい! 私は私、あなたはあなた、という愛情のスタイル
これは良かった。
小説家の主人公が、事故死した姉の娘を引き取り、共同生活が始まる。「私は姉が心底嫌いだったので、あなたを愛せるか分からない。でも一緒に帰ろう」と手を差し伸べる。
仕切りのある愛、といいますか、私とあなたの境界をなくして、飲み込んで行くような愛ではなく、私は私、あなたはあなたという区別は、尊重したままの愛情のあり方(あるいはその模索)を描いて、心地よい。
言葉にできることはする。でも、できない事や、したくない事は、はっきりとできない、と言う。それは私の領分だから。一見、ぶっきらぼうでクールに見えるけど、その距離感が良い。
原作の漫画は、台詞と余白、という感じだったが、映像になる事で、思いっきり瑞々しい方にふれている。可愛すぎる。
引っ込み思案は親の影響なのか
親が死んだ女子高生が独身おばさん宅に居候する話。
事故死した母はいい子でいなさいと言うタイプ。
独身おばさんはやりたい事をやるタイプ。
私も劇中と似たことがありました。
親からあんたは人にどう思われてもいいよねと言われます。
たまに突発的な決断をします。
普通は止める普通は結婚するという普通概念がないのです。
ここで凄いのが、いい子ちゃん姉と自分勝手の妹を2人育てた母(祖母)です。
人付き合いで同じ高校大学の友人は仲がいいです。
同じ常識を共有しているからです。
しかしなぜか大抵の兄弟は仲が悪いですよね。
この謎に迫る映画だと思います。
サイコーです、だった
『夜明けのすべて』並にめちゃくちゃ良い。尺もそこそこあるし、このホームドラマっぽいのにシネスコか!と思いながら、観ていくと、いい意味でどんどん武装解除されていくのはひょっとしたら映画のリズムなのかもしれない。
瀬田監督らしい言葉のキャッチボールとアクションと編集と音楽のリズム、それが絶妙にブレンドされてるのでまったく飽きがこない。叔母と姪のまさかの悲しみからの同居ではじまる人と人との心のキャチボール。震える小さな掌から握手の反復、いってらっしゃい・いってきますの反復、じゃれあいから抱擁、シネスコの端から端を使ってとにかく近寄ったり離れたりを繰り返す群像劇。言ってみれば人の営みのそれのみを描き出してるのかもしれない。横位置での距離感と時間の生み出す変化、の映画。体育館と海辺のシーンのツーショットは音楽のバランスも含めて見事なアンサンブルだと思う。
言わせたくなる原作の膨大なセリフと過去回想という武器を使わずに自身の映画スタイルでこれをまとめあげたのは相当なものだと思う。新垣結衣はその長身の身体特性と相まって、これが素なのではないかと思える愛おしさがあり、早瀬憩は逆に小動物(というかもらわれてきた子犬)のようにコロコロヨタヨタ動き続けることで観客の観察の対象物足りえてる。あさをとりまく高校生たちも出番は少ないけれど魅力的で、特にラストのライブシーンはなかなか邦画では体験できないセンスのよさだった。
原作のセリフやエピソードのチョイス
原作が好きです。映画化となると原作に忠実にとはなかなか難しい事も承知していますが、槙生の大切なセリフがカットされているのが勿体なくて。
「この先、誰があなたに何を言って誰が何を言わなかったか... いつかあなたの灯台になる」の部分と「あなたは15歳の子供はこんな醜悪な場にふさわしくない 少なくとも私はそれを知っている もっと美しいものを受けるに値する」の部分は言わせてくれないと意図が伝わらない。砂漠もそう。
あと、おばあちゃんが朝に遺体の確認させた所を槙生と行かせるとか、事故現場に行くのとか、そうじゃないと思う。
笠町だってもっと槙生の立場や気持ちを尊重する人なのに、日記の事を喋ったり、サイン会でみんなの前でプライベートな誘いをしたり残念!
何よりも槙生が朝に、朝の母である姉の悪い思い出や恨みは話さないという主義を貫くのに、映画では終盤どんどんぶちまけちゃう。凄く残念。
キャストで個人的に槙生のイメージは富永愛さんとかりょうさんだったけど、あの可愛いガッキーが目や表情が槙生で良かった。キャストや絵はきちんとしてて綺麗で良いのに、セリフやエピソードの拾い方だと思う。
朝の歌は子供らしくて可愛かったけど、そこはもっと歌ウマな感じに仕上げて欲しかった。
原作を読んだから伝わる物もあったので、原作未読でももっと伝わるように出来たのでは?とも思う。
2時間にまとめるにしても、削るところと残す所のチョイスが残念な感じがしちゃうのは、私が原作を好きだからだろうか。
おそらく原作はいいのでしょうが…
登録しているYouTuberさんが原作をお勧めしていて、
ちょうど映画化されたし、まず映像で観てみよう
と思い立ち鑑賞。
原作未読のままなので、あくまでも推測ですが、
これ、映画化に向いてないのでは?
せっかく役者陣の演技はすばらしいのに、
内容の匂わせ感や押し付けがましさの
バランスがイマイチ…
心情、裏背景重視なら、アニメ化やドラマ化で
もう少し時間をかけて丁寧に作れば良いものを、
映画的な辻褄合わせと、視聴者に考察を促す放置感が
合間って、結果的に
「は?」
という感想しか生まれませんでした。
なんか、残念。
突然の事故で両親を喪った15歳・高校生の朝(早瀬憩)。 呆然とする...
突然の事故で両親を喪った15歳・高校生の朝(早瀬憩)。
呆然とするしかない彼女だったが、両親は事実婚。
葬儀の精進落としの席で、未成年の朝を誰が引き取るのかがこそこそと話されていた。
そんな中、彼女を引き取ることにしたのは、彼女の母・実里の妹で小説家の槇生(まきお、新垣結衣扮演技)。
実里と槇生とは折り合いが悪かった。
というか、わだかまりは実里が死んだいまでも解けていない。
しかし、槇生は朝に言う、「あなたを愛せるかどうかはわからない。でもわたしは、決してあなたを踏みにじらない」と・・・
といったところからはじまる物語。
異なる価値観・世代の女性ふたりが心打ちとけていく物語・・・を期待するのがスジなのだろうが、映画はそう簡単なホームドラマにならない。
ふたりは簡単に打ち解けない。
とはいえど、憎みあっているわけでもない。
愛せるかどうかわからないが踏みにじらないよう、互いに理解し合おうとする話だ。
人生の先輩の槇生は、いくつかの世間・社会を知っている、経験している。
朝は、まだ家庭と学校のふたつの世間・社会しかしらない。
よって朝にとっては、そのふたつの中の価値観が、社会的価値のすべて。
この設定が興味深い。
中学を卒業した朝は高校へ入学し、別の価値観を有する社会に遭遇する。
そこでは、新たな価値観もあり、それは親友その他を通じて朝にもたらされる。
絶対的な社会的価値の基準だった母。
それを疎ましく、憎みさえしていた槇生。
その根源がどこにあったか、映画は簡潔に描くが、本当のところ、何があったはわからない。
朝の母・実里にも、幼い時分に何かあったのだが、それは描かれない。
そのような、すべてが白日のもとに曝け出されるわけでない状況で、朝と槇生の心理的・精神的な距離感は縮まっていく。
ということで、本作、すばらしくいい映画なのだが、どうもわたしの心の底には何か引っかかるものがある。
終盤、海辺で佇む槇生をみつけた朝は、槇生の後ろ姿に母親を重ねる。
槇生は実里を赦さない理由を決して語らないが、朝が実里について、自分にとって少し嫌だった点を告白する(告白といっても、さらりと)。
朝の言葉に槇生も首肯するのだが・・・
個人的には、槇生と朝が心根のところで接近するこのシーンがもっともいいシーンで観終わって「すごくいいな」と思ったのだけれど、どこかにわだかまりがあった。
それはたぶん、似た者同士、叔母と姪、母と娘、姉と妹・・・
いわゆる血縁だ。
いちばんいいシーンが血縁をバックボーンとしている、その単純さが、わたしの心にわだかまりを作ったのだろう。
なんだ、やっぱり血の話だな、と。
価値観のことなるふたりの女性の違う世界の日々をつづった違国日記だったのに、つながっているのはそこなのかぁ、と。
いやまぁ、ほかのひとたちはそんなこと感じないんだろうなぁ、とも思う。
が、感じちゃったんだから仕方がない。
いや、映画、いい映画でしたよ。
原作を特別好きなら別物だと思った方がいい
もしこれが「違国日記」です!と言われれば違うと言いたい。
けれどリスペクトが無いかと言われれば、それもまた違う。
あれだけ繊細な作品を2時間に収める方が無理がある。
朝ちゃんの奔放さが良かった。
でも原作の魅力は奔放に過ごす朝にも受け止めきれずどうしたらいいのかわからないところから、ゆっくりゆっくり自覚していったり、ちょっと遠いところから寄り添ったり、とても映画に落とし込めるものじゃなかった。
だからこれは別物として、空気感や主人公と叔母の関係性と完璧な母親とは違う大人を見て自分なりに前に進もうとする主人公を見る映画かなぁ。
漫画と映画は別モノ
ヤマシタトモコ著『違国日記』を読んで、ボヤけていた感情の輪郭に触れることができた。心が震える体験だった。日々への憤りも甘えも信頼も、槙生や朝たちの物語とともにあり、彼女彼らが見せる喜怒哀楽に自分の行き場のない感情が昇華されていく感動があった。モノローグに紡がれる美しい言葉は真摯で、鋭く深く心に響いた。
原作が優れていればいるほど、映画化は困難なのかもしれません。本作は映画としての完成度は高く、役者陣製作陣の才も光る瑞々しい映画でした。ただ、私が見たかった映画『違国日記』ではなかった。では私が見たかった映画『違国日記』とは? 漫画をまた読み直し、しばらく夢想しながら楽しみたいと思います。
話はいいんだけど…
あまり話題にならなかった感じなので、期待しないで観ました。全体の話はすごい良かった!姪役の子の演技もすばらしく、これから売れる予感もしました。だけどそんなに多様性を入れなきゃだめですかね?あれで少し冷めて-1点。本当にいい話だったので残念でした。
なんかいい
良かった
母親を好きな娘が
母親を嫌いと公言する叔母と生活をする
その日常を淡々と
登場人物の心の中は穏やかではないけども
なかなかに好きなタイプの映画です
他人と生活するのは大変よね
それを引き取り手のない姪を勢いで。
大人同士なら嫌ならやめてしまえばいいいけど
子供相手にそれはできない
お互い歩み寄る努力をするのが美しいな、と
他人のため努力できることがすごいよな
生きづらさとの付き合い方がじんわり
気の合う人と会話したり、おいしいものを食べたり、好きな歌を聴いたり歌ったりすることで、生きづらさみたいなものと何となく折り合いをつけていく姿がじんわりと描かれていた。
とりわけ、バンドの仲間と一緒に、朝が目をキラキラさせながら歌うシーンは出色だった。
ただ、主人公の槙生が発達障害というのはよく分からなかったし、そういう複雑な描写がほとんどないにもかかわらず139分という上映時間は長く感じた。
受け入れる
『人が人を受け入れる』なんて言うことは、とてもむずかしいと思う。
身内でさえそれができるかどうかはわからない。
それは常に人は『環境ごと』に『瞬間的』に『多様にわたって』変化してゆくからだと思います。自分自身でそれがわかって行動できるなんていうことは稀でしょう。
繋がり続ける事自体むずかしい。
だから槇生自身、朝を引き取った理由は本人ですらわからないが、その時はそれが最善だと思った。
後から考えても現実の方が早く過ぎすぎて、理解の方が追いつかない。
自分は原稿が書けていないのに、朝は日に日に成長してゆく。
槇生ができたのは、せめて朝に『アドバイス』を送るというのが精一杯。
朝は家族(特に母親)に十分受け入れられて生きてきた。
一方、槇生は家族から否定されて生きてきた(母親からの何の手助けもなく…最後和解)
そんな二人が、
お互いがお互いに気持ちを言葉にして送り合う。
さながらエコーのように。
そして二人は引き合うようにして海岸へとたどり着く。
そこでお互い少し前向きになれた感じ合う、違った向きで。
けれどもそれはそれでいいと、いやそれがいいと思ったのでしょうね。
『失敗したらどうしよう?』
『もう一回やれば良い!』
よいコトバです。
昨年の『生欲』に続いて新垣結衣さん出演作を観ましたが、良い役者さんですね。
ナチュラルな演技が観ていて非常に気持ちがいいです。
また出演作があるでしょうから、今後も観ていきたいです。
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