違国日記のレビュー・感想・評価
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雰囲気はよかったけど物足りない〜!
原作読んでます。
原作の雰囲気をよく再現していました。
早瀬さんの、抜群の透明感。ちょっと幼さの残る感じが作品にぴったり。これから楽しみな女優さんを見つけた感じ。ガッキーも、もうちょっと明るい役のほうが似合うけれども、よかった。
でも映画としては盛り上がりに欠けましたなぁ…
笠松くんとの関係はもっと掘り下げてほしかったし、えみりとまきおの関係も掘り下げてほしかったし、塔野弁護士との絡みも好きだったからもっと取り上げてほしかったなあ(染谷くんは意外だった!けど案外よかった)
大人への登竜門と、人生の棚卸し
違国日記──「違う国」に生きるということ
2024年の映画『違国日記』は、ヤマシタトモコ原作のコミックをもとにした作品だ。だが、その語り口は漫画的な誇張や説明を排し、むしろ純文学のような静けさと余白をたたえている。
タイトルの「違国日記」は、どこか耳慣れない言葉だ。「異国」ではなく「違国」。この違和感が、物語の本質を静かに指し示しているように思える。作中で、両親を亡くした少女・朝(あさ)が、叔母・真生(まきお)の家に引き取られたときに漏らす「まるで違う国に来たみたい」という言葉。そこから、このタイトルは生まれたのだろう。
朝が真生からもらったノートに綴った言葉。描かれなかった母の日記の空白。異国へと旅立ったのは母だったが、朝もまた「違国」へと来てしまっていた。母の白紙のページには、母の知らない朝の物語が、静かに、しかし確かに始まっていたのだ。
この物語には、二人の主人公がいる。作家である真生と、姪の朝。彼女たちは互いを通して、自分自身を見つめ直していく。だが、映画はその変化を声高に語らない。むしろ、役者の表情や沈黙、視線の揺れといった「言葉にならないもの」によって、登場人物の「本心」を描き出していく。
観る者は、彼女たちの沈黙の奥にある感情を読み取ろうとする。そこに、この作品の深い魅力がある。
朝にとって「大人」とは、必ずしも肯定的な存在ではなかった。自分の考えを押し付ける母。大好きだったはずの母の、嫌いな一面。男子限定の海外派遣プログラムに象徴される理不尽さ。朝の中で、「大人」は卑怯者の代名詞になっていた。
だが、真生やナナ、笠松といった大人たちと出会うことで、朝は「別の大人像」に触れていく。彼らは不完全で、迷い、何かに抗いながら生きている。母とは違う、けれどもどこか似ている。朝は彼らの姿に、自分自身の未来を重ねていく。
特に印象的なのは、真生が母を拒絶する理由を、朝が理解できないままでいることだ。真生が「変わらないし、変わりたくない」と言い切る姿は、まるで子供のようでもある。朝は、変わろうとしないことこそが「子供」なのではないかと感じ始める。
両親の突然の死によって、朝の世界は否応なく変わってしまった。だが、その悲しみさえ、しばらくの間は感じることができなかった。変なのか、普通なのか──他人の視点を気にしながら生きることの「普通さ」と「異質さ」のあいだで、朝は揺れていた。
やがて、事故現場に花を手向け、母の死に涙することができた朝は、ようやく「自分の本心」にたどり着く。母の日記を読み、友人の変化に気づき、親友の告白を受け止め、大人の言葉に傷つく同級生を見つめる。そうした一つひとつの出来事が、朝の中に「考える力」を育てていく。
変わってしまうこと。変わらないこと。変えられてしまうこと。皆が似ているようで、皆が違う。真生が「絶対に変えない」と言った姉への感情にも、わずかな変化の兆しが見えた。
朝が感じるその一瞬一瞬が、彼女が歩く「大人への道」なのだろう。誰かに教えられるのではなく、自分の頭で考え、自分の足で歩いていく道。
この作品には、そんな静かな強さが宿っている。言葉にしきれない感情の襞を、丁寧にすくい上げるような演出と演技。まさに、純文学的な映画だった。
いい作品だと思う。
このジャンルの作品も好きです。久々のガッキー主演の作品を見ました。...
自己受容ができて初めて他者を本当に受け入れることができる
異文化理解・異文化間コミュニケーションについて話をするときに、外国の人々だけではなく、異世代の人と上手くコミュニケーションができる能力も含まれることに言及されることが少なくない。持っている価値観や知識といった背景的枠組み(スキーマ)が異なる者同士の交流であるからだ。本作も正にそんなことを扱っている作品。
冒頭の事故を除いてさほど大きな事件があるわけではなく、淡々と朝と槙生の二人の、子ども同士の、そして大人同士の日常生活が描かれていく。理解と不理解の揺らぎの中で焦燥感を覚えつつも、自分は自分のままでいいんだという自己受容ができて初めて他者を本当に受け入れることが見えてくる。
心がほわっと暖かくなるような作品。
青春&家族映画
不細工な新垣結衣が楽しめる
けっこう面白い。
言ってみれば不細工な新垣結衣が楽しめる。
最近、韓国ドラマばかり見ていて、女優は美人でキラキラしていて当たり前のような意識があったけど、この新垣結衣は素ではないけど、それを思わせる普通のナリをしている。それがまた魅力的。
相手役の早瀬憩(ドラマ「ブラッシュアップライフ」に出ていたとか)がとても自然で可愛い。犬みたい。
そんな劇的な話ではなく、我々も経験しているような、日常では普通だけど実は重たいものを経験しながら生きている。そんな日常を陳腐な言葉で言うと「みずみずしく」撮っている。
映像は、当たり前の風景だけど、美しく撮られていて心地いい。
編集も監督(瀬田なつき)がやっていてリズムがあるシーンがあったり面白い。
全体的に心地のいい世界が作られていて、もっと見ていたいような気分になる。
「大豆田とわ子~」とか思い出すし、山下敦弘の「リンダ・リンダ・リンダ」とかも思い出す。
韓国映画やドラマもいいけど、こういった日本映画ならではの味わいは捨て難い。
原作途中まで
独特な距離感が生み出す救い
2024 116本目
微妙な共同生活
ストーリーは◎だけど時間が長い!
CSで録画視聴。
新垣結衣は初めて映像で観る。名前は知っているが。
ガッキーこと新垣結衣主演の作品だが、ストーリーが興味深い。もし、こんな事が身近で起こったとなると怖さも感じる。
その中、女子高生朝役の女優は難しいストーリーをよく演じたなと思った。新垣結衣も大人のお姉さんみたいで新鮮だった。
作品はいい作品。ただ、時間がちょっと長い。せめて120分にまとめてほしい。
かけがえのない友達との出会い
うちの娘も高校生の時、部活は軽音部を選びしかもベースだった。初めて楽器屋でベースを買ってあげた事や学祭の時は教室でのミニライブを見たことなどを、今でもよく覚えている。音楽は高校だけで終えたが、その頃の軽音部の友達とは今でもたまに会ってるという。
朝の友達たちとのエピソード(えみりのカミングアウト、森本千世の憤り、三森ちゃんのギターテク等)は映画の中でさりげなく紡がれていたが、充分にいい感じのアクセントになっていた。
きっと、卒業しても大人になっても朝とつるんでいくんだろうなぁ、。と思います。
冒頭、事故で両親を失い茫然自失している朝は、葬儀で親戚たちの心無い言葉が耳をかすめ、たらい(盥)って漢字はどう書くのかと呟く。そこで槙生は「うちにくればいい」「あなたを愛せるかどうかはわからない。でも私は、決してあなたを踏みにじらない」と言う。あとで友人には勢いで言ってしまったと話していたが、後悔など微塵もない。
その後、淡々と流れていく槙生と朝の共同生活と様々なやりとりが、全編にわたり。動いていくがそのすべてが観る人に心地よい風を送ってくれました。
いつまで一緒に暮らしていけるかは分かりませんが、ほぼ親子の親友のような関係で2人はこれから先も生きていくと思います。
ガッキーはいい役者になりました。新人の早瀬憩さんもとってもいいです。
続編があってもいい映画かと思います。期待しています。
槙生の苦悩が心に沁みる
<映画のことば>
「たらいって、どう書くんだっけ。」
「朝、私はあなたの母親が心底、嫌いだった。死んでも、なお憎む気持ちが消えないことにも、うんざりしている。
だから、あなたを愛せるかどうかわからない。
でも私は、決してあなたを踏みにじらない。
もし、帰るところがないなら、うちに来たらいい。
今夜だけじゃなく、明日も、あさっても。
ずっと、うちに帰ってきたらいい。
それから、たらいは、臼に水を入れて、下に皿と書く。
たらい回しは、なしだ。」
「いっしょに、帰りたい。」
実の姉妹でありながら、実里と槙生との仲がしっくりいっていないことの原因は、本作の明確に描くところではなかったかと思いますけれども。
どうやらそれは、家庭を築いて堅実な生活(専業主婦)を選択した姉と、ある意味、自らの才を信じて自らの大道(小説家)を歩もうとする妹との価値観の相違だったようにも思われます。
幼少の頃から病院通いが欠かせす、普通の子供と同じことはできなかったという虚弱な実里にしてみれば、幸いにも壮健な体に恵まれている槙生には、自分の分までより堅実な生活を送ってほしいという思い(あるいは、念慮ともいうべき、凄まじい想い)が槙生に対しては、あったのかも知れませんし、一方の槙生の方でも、我が道を進むことに精一杯で、その姉の真意を慮(おもんぱか)る余裕などは、これっぽっちもなかった―。
槙生がつねづね感じていた反発は、姉の念慮の重さに対してなのかも知れないとも思います。
そして、反対に言えば、通っている同じ血は争えず、妹・槙生としては、姉・実里のそういう価値観自体にではなく、そういう価値観を(遠からぬ関係性のある姉の実里から一方的に)被せられることに、反発していた「だけ」のことなのかも知れません。
上掲の映画のことばは、心底では憎み切れていない実の姉妹関係をはからずも吐露する槙生の言葉として、本作では重要な位置を占めるのではないかと思います。評論子は。
当の本人は「勢いで言ってしまった」とは言うのですけれども。
本作の題名の「違国」…「異なる国」ではなく「違う国」の「違う」は、最初は叔母・槙生と姪・朝との世代の「違い」なのかと考えて鑑賞していましたけれども。
そうではなく(あるいは、それに被せて)姉・実里と妹・槙生との価値観の違い…ということ、あるいは、それらの両方の複合的な意味合いだったのかも知れないとも、思い直しもしました。
いずれにしても、突然に降って湧いた関係ではあったものの、後醍や笠町、えみりや三森、そして実母・京子などを媒介としながら、徐々に徐々に、ゆっくりゆっくり関係性を深めていく槙生と朝との姿が何とも温かく、観終わって、たっぷりの「ほのぼの感」が溢れる一本でもあったと思います。
ただ沈黙するだけだった朝が、槙生の肩に顔を埋めて、両親の死に涙を流すことができるまでになったのも、また軽音楽部では、内心では願っていたボーカルを担うことができたのも、そういう関係性の深まり(と、そのことに伴う心の中のわだかまりからの解放)の結果だったことは、疑う余地もありません。
これも、佳作だったと思います。
評論子は。
(追記)
評論子には、実里と別姓婚の夫との葬儀(精進落とし)の席で、槙生が朝を見ていた時の目付きを、忘れることができそうにありません。
おそらくは、体調が優れないという母・京子に代わって、朝は自分が引き取らなければならないことはアタマでは理解しつつも、実里との確執もあって、感情的には、なかなか素直にはなれないー。
ただただ俯(うつむ)くだけの朝とは対照的に、その燃えるような「内なる葛藤」が、はからずも彼女の目の色に現れていたのではないかとも思います。
(加えて、上掲の映画のことばが直後に出てくるシチュエーションでもありました。)
その点も、観終わって、印象の深かった一本でした。
評論子には。
<映画のことば>
「あたしとお姉ちゃんがダメだったから、あの人の死を悲しむことはできないけど、話を聞くくらいはできるから。その…。」
「自分で手一杯なのに、人の話を聞く余裕なんてないでしょ。」
「よくご存じで。」
「誰が育てたんですか。」
「お母さまです。」
ガッキーさんのファン
悪くはないと思うんだけど
原作未読。監督の他の作品も未視聴。
140分と長いが、原作の何処までを映像化したのか分からないけど、詰めすぎて、このエピソード要るかなぁ?と言う感想が出てしまう。
反面、姉妹の確執がそれだけ?って。しかも、良く有る事だけど言った方は殆ど忘れてるだろうなぁ・・・・・・(あの子(妹)、なんで私の事を避けるんだろう)くらい思ってそう。
しかし、父親の影が薄い・・・・母親の再婚相手?って思う程に存在感無し。まぁ、父親ってそんなもんよね。
夏帆が上手いのは当たり前として
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