「人間の欲の罪深さは消しようがない」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の欲の罪深さは消しようがない
仕組まれた政略結婚に動揺しつつも、愛する妻を裏切る凡人を通して描く人間の強欲と少数民族迫害の僅か100年前の黒歴史。このクズ男をディカプリオが主役として演ずるのがミソ。すべては石油に基づく悲劇、石油=金、であり湧き出る金目当てに悪が群がる構図。少数派が金を持てば、多数派が群がりむしり取る、古今東西全く変わることの無い侵略と略奪。この米国の消せない事実がどれ程に米国民が周知しているのか分かりませんが、こうした歴史の恥部を曝け出すことは何よりも肝要で、被虐史観を嫌がっていたら何にも前に進みません。
それにしても、近頃映画が長い!3時間近くなんてザラ、娯楽のマーベルだって風格を醸し出したくやたら長い作品多し。で、本作は3時間26分と類を見ない長尺に、コンパクトな映画3本分ですよ。しかし、何故かそれを感じさせない充実感が全編を覆う快作を、御年80歳の巨匠が成し遂げた。あのAppleが潤沢な資金を惜しむことなく投入し、オクラホマの原野に当時の街並みまでオープンセットで創り上げる贅沢な映像が画面の隅々まで漲る様は壮観。画面はあくまで瑞々しく精緻、丁寧に造り込んだセットも含めなにもかも第一級。$200,000,000すなわち約300億円の製作費は伊達じゃない。
しかし、2人の会話を切り返しで描くことによる緊張感ある演技合戦がみられるものの、バストショットに拘ったのは、Apple+での配信のためかしらんと穿ってしまうのが少々残念。そもそもジェシー・プレモンス(いい役者ですね)扮するFBIの視点で描かれた原作と聞く、それを主演のディカプリオが凡人アーネスト役を所望したとかで、かなり構造が変わってしまうわけで。ディカプリオが捜査官であれば、オセージ郡の悲劇を解き明かしカッコイイ主人公となり、スコセッシとしても彼らしい骨太の作品に仕上がったと容易く想像出来る。ディカプリオとデ・ニーロが火花を散らすのですよ、美しいモーリーを救う役ですよ、メリハリつき観客の感情移入も容易く、希代の名作となり得たのに。敢えて主体性のない凡人を主役にたてるリスクを払しょく出来たかと問えば、かなりハードルは高かったと言わざるを得ないでしょう。善き人として描き込む必要から随分とシーンが積み重なり過ぎたのではないか。
そんな難題を自らに課した主演のディカプリオは、ドラマチックに凡人を巧妙に演じ演技の幅を広げたのは確かでしょう。白眉なのは言うまでもなくモーリー役のリリー・グラッドストーンでしょう、泰然と構えつつも仔細な動揺を表現するなんざあお見事。そしてなによりスコセッシと言えばデ・ニーロ、半世紀近く前からのチームである。そのデ・ニーロの善人を纏った最恐悪人が出色も出色、「ゴッド・ファーザー」そのもので嬉しいやら驚くやら。流石の押し出し、しかも全然構えずサラリと流すさり気なさは百戦錬磨のデ・ニーロの至芸。この三人共オスカーのノミネートはほぼ確実ではないでしょうか。
いよいよの裁判に至り、突然登場のジョン・リスゴーとブレンダン・フレイザーがそれぞれ検察側・弁護側に別れての弁護士として登場の隠し玉。さらにラストには急転直下の朗読ラジオ公開中継に至り、スコセッシご本人まで登場とはサプライズ。一挙にお話が寓話のようにまとめられてしまった。
インディアンの命なんて軽いもの、てなセリフが登場。この多数派のセリフに「二グロ」とさらに下層の黒人を称する蔑称が、確かに発音されているのに字幕では単に「クロ」とだけ表示。リッチなインディアンに使える召使に白人が担っている現実が許せない、多数派の思い上がりが本作の肝。つくづく人間ってのは進歩が完全に止まってますね、戦争したくてしょうがないのですから。ウクライナでもパレスチナでも、ひたすら武器商人達が小躍りして喜んでますから。