「事件の背景と差別の根深さ、これが氷山の一角かもしれない恐ろしさ」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
事件の背景と差別の根深さ、これが氷山の一角かもしれない恐ろしさ
人を人とも思わない、という言い回しを地でいくような連続殺人が、100年前のアメリカで起こった。ネイティブアメリカンであるオセージ族が持つ地下資源の均等受益権をめぐって、権利を持つオセージ族の人間はもとより、真実を知る、あるいは知ろうとした白人までもが口封じのために殺された。
黒幕であるヘイルは、オセージ族に理解のある篤志家の顔をして彼らに取り入り、甥たちをオセージの女性と結婚させ、姻族となった均等受益権を持つ者たちを毒殺や銃殺で殺していった。しかも自分の手は汚さず、ごろつきに実行させその後は彼らも始末した。
利権を奪うのに何故このような方法を取ったかというと、地下資源の信託はオセージ族によって管理されており、均等受益権は売買が出来ず、相続によってしか受け継げないと定められていたからだ。
一方、石油によって富を得たオセージ族を連邦政府は「無能力者」と定義し、後見人を付けることを義務付けた。これにより、オセージ族は自分の信託基金から引き出す金額に制約を受け、白人の後見人から金銭の使い道を管理されることになった。
オセージの人々が生きているうちは後見人としてその富をコントロールし、死ねば相続によって搾取する。根深い差別意識に端を発した後見人制度と土地の利権が、多くの人命を奪う犯罪の温床になった。
何より複雑で得体が知れないのは、ヘイルのオセージ族に対するスタンスだ。原作の記述によると、彼は牛の畜産などにより自力で財を成し、オセージ族が石油で富を得る前から、彼らに対し金銭的支援や寄付、慈善事業などをおこなっていたという。オセージヒルズの王と呼ばれ、彼もオセージ族を「生涯最良の友人」と言っていたそうだ。
彼の甥アーネストも、一見妻のモリーを心から愛しているように見える。2人の間に生まれた子が亡くなった時は激しく嘆き悲しみ、ヘイルに反して事件の証人となることを決意するほどだ。しかしその一方で、おじのヘイルに唯々諾々と従って事件解明のために雇った探偵を殺し、モリーの病状の悪化に疑問を持たず(あるいは最初から毒だと薄々知りながら?)インシュリンと称した注射を打ち続ける。妻が事件のことを尋ねると「オセージの人間には難しい」という言い方で誤魔化す。
思うに、彼ら自身も自覚できないほどの心の奥底に、オセージ族は自分達のような一人前の人間ではない、という偏見に満ちた前提が根付いていたのではないだろうか。現代の人権感覚でイメージする対等な人間同士の愛情と似ているのは表面だけで、どこか哀れみや愛玩のようなニュアンスを含んだ、対等とはかけ離れた感情を彼らが友情や愛と思い込んだだけではないのだろうか。
そう考えないと、ヘイルの悪行と開き直りにも見える罪悪感のなさや、終盤で入院してたちどころに回復したモリーを見たアーネストが、それでもなお自分が打ったのはインシュリンだと何の疑念も見せず答える態度が、私の中では説明がつかない。
このような人物造形を二面性と表現していいのかよく分からないが、ヘイルとアーネストという人物が難役であることは間違いない。
ディカプリオは、当初ホワイト捜査官を演じる予定だったらしいが、本人がアーネスト役を熱望したという。これは相当な英断。前者の通りだとホワイト捜査官が主役のような風情になって、作品の方向性自体が変わってしまう。それに、俳優としてこの役に挑戦したいという気持ちも何となくわかる気がする。
我が子の死により証言を決意したアーネストがヘイルと訣別するシーンは、ふたりの名優の演技のぶつかり合いでもあり、火花が散るような緊迫感があった。
裁判後の顛末は、ラジオショーの寸劇の形で語られる。実際にああいったラジオショーが、ラジオ局と捜査局との共同制作で放送されたそうだ。誕生したばかりのFBIの実績を宣伝するためだろう。
このくだりは、プロデューサー役でカメオ出演したスコセッシ監督の語りで締められる。ちょっとメタ的だ。
映画はここで終わるのだが、これは3章構成の原作の第2章までにあたる。
原作の3章では、作者デイヴィッド・グランの調査により、ここまで描かれてきたような鬼畜の所業をヘイル以外の白人後見人もおこなっていた可能性が示唆される。当時何の罪にも問われなかった後見人たちのもとに管理されていた他のオセージ族も、年間死亡率が全国平均の1.5倍を上回るほど不自然に多い人数が亡くなっていた。
ヘイルは氷山の一角に過ぎず、陰湿で残忍な犯罪の大半はその事実自体が闇から闇に葬られていたとしたら……。これがこの事件の背景で一番寒気を覚える部分かもしれない。
(原作はノンフィクションだが、中盤まで首謀者が分からない形で話が展開され、推理小説のような面白さがある。時系列で語られているだけではあるが、グランの語り口の妙も大きい。こういうテーマが広く読まれるのにスパイス的な面白さは決して不謹慎ではなく、むしろ大切な要素であると改めて思う。登場人物がめちゃくちゃ多い点は少々難儀だが、映画で興味を持ったなら是非一読をおすすめしたい)