骨のレビュー・感想・評価
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壮大なる離婚
『オオカミの家』と併映のストップモーションアニメ。
人形劇っぽい可愛らしさと儀式の悍ましさが、相乗効果を生んでいました。
デフォルメされた少女の顔が、可愛くも不気味。
時折見せる無邪気な動きと人形故の無表情さのアンバランスも、独特の雰囲気に一役買っていた。
逆に受肉した男2人は妙にリアルで、しかも部位をチグハグにくっつけたりする不謹慎さ。
モノクロ、台詞ナシ、映像や音のノイズなど様々なものが不穏さを煽ってきます。
15分ほどの作品なので、話としては少女が蘇らせた男の片方と離婚する、というだけのもの。
込められた意味については、自分にはよく分かりません。
どうやら、3人の登場人物はすべて実在していた模様。
蘇ったディエゴ•ポルタレスとハイメ•グスマンの2人は、どちらもチリの著名な政治家。
ポルタレスは主人公の少女コンスタンサと恋仲で、3人も子を産ませておいて結婚も子の面倒も一切拒んだとか。
結婚してなかったのに離婚とは、これ如何に。
しかも、グスマンの方は本作が制作された(という設定の)1901年には生まれてもいないという…
有識者には含意が汲み取れるのでしょうか。
知らなくても何となくで見られてしまったのは、ストップモーションという手法とその作り込み故か。
ストーリーというより、映像として楽しめました。
滑稽でかわいらしい部分もある
実在の出来事ではないよな?と思ってたけどどうやらそのようです。
少女が髪をとかす仕草がかわいらしい。
ところどころコマドリじゃなくなるところが不気味。
実際に降霊術は祈りのような行為に思えた。
受肉
2023年、美術館建設に伴う調査で、ある映像が発掘された。それは、少女が人間の死体を使って謎の儀式を行っているもので……。1901年に制作された、作者不明の世界初のストップモーション・アニメ(という設定)。
『オオカミの家』と同時公開された同監督の短編アニメーション。
一応これはフィクションではあるが、何故かリアリティが凄い。
現代に発掘された作者不明の世界初のストップモーションアニメとかいう設定のせいで余計紛らわしいし、実際そうだと思って観た人も多いだろう。
歴史という付加価値を付けられた本作からは、ある意味呪いのビデオのように底知れない生々しい恐怖が感じられる。
少女が人間の死体を使い儀式を行い2人の男性が出現し……というだけのストーリー。
ただ、その何か凄い出来事が起きるわけでは無い、セリフも説明もない無味乾燥な映像だからこそ、その裏に何かがありそうで言語化出来ない恐怖を感じるのだ。
映像や音楽の掠れ具合も雰囲気に合っていて、正直『オオカミの家』よりも怖かったし好みの作品だったかもしれないと思った。
圧倒的な独自性に向き合う準備運動
「オオカミの家」との同時上映にて鑑賞。
『1901年に制作された、作者不明の世界初のストップモーション・アニメ』という設定で描かれた作品。この設定だけでもう面白いし、製作総指揮を担ったアリ・アスターが入れ知恵したっぽいな~(褒めてる)と、ほくそ笑んでしまう。
少女が人間の死体を使って謎の儀式を行なう様子を記録した映像(という設定w)は、少女の人形は一見可愛いらしいし、骸骨はまだ作り物感があるが、儀式によって召喚する少女の両親と思われる人形が妙にリアルで気味が悪い。そして「一体何を見せられているんだ…」という疑問符が浮かぶのである。
白黒でセリフの無い14分の短編ながら強い印象を残す本作を「オオカミの家」の前に上映することで、観客に作者の圧倒的な独自性に向き合う準備運動をさせているのかもしれない。
ほんのろ
虚実皮膜に彩られた禍々しさと絵本のような微笑ましさ 日本にもかつてあった怪奇表現の作り方だったのではないだろうか? だからなのか、ストップモーションアニメというオモチャ的動作も相俟ってのその懐かしさは目を奪って離さない 聞こえてくる劇判との親和性、なにより映像の汚し具合も含めてこれだけのこだわりを表現した制作陣の努力と勤勉さには、日本が通ってきた丁寧さと真面目さがはっきりと映し込まれる
チリの現代芸術として、今作品は絶対に記憶と記録から逸失させてはならない 大変重要な作品である
『オオカミの家』の同時上映。ぼーっと見ていても楽しいが、含意が分か...
『オオカミの家』の同時上映。ぼーっと見ていても楽しいが、含意が分かるとより楽しめるのだろう。と思いつつ、私にはその力量がない。
真正面から「ホムンクルス幻想」をストップモーションの題材として扱った、珠玉の短編作品!
『オオカミの家』と併映で公開されている、15分程度の短編。
『オオカミの家』を観て大いに感動したアリ・アスターが、製作総指揮として全面的にバックアップして作られたという。
1901年のファウンド・フッテージ(発見された古いフィルム)という体裁をとって、三つ編みの少女(バレエを踊る操り人形)が呪文を用いて二人分の骨から人体を復活させ、さまざまな形で玩弄する様を、ストップモーション・アニメーションで描く。
復活させられる二人、ディエゴ・ポルタレスとハイメ・グスマンは著名なチリの政治家であり、少女人形のコンスタンサ・ノルデンフリーツはポルタレスの長年の愛人で、正妻にはならぬままポルタレスとの間に三人の子供をもうけたらしい。ゆえに本作には政治的な含意も間違いなく認められるはずだが、こちらは門外漢ゆえ、そのあたりには敢えて言及しない。
内容上は、「這いまわる骨」「歌う頭蓋骨」「踊る骸骨」といった民話的・童話的なシチュから、再生した二つの首を抱きかかえる「サロメ」っぽいシーン(札幌の首狩り事件風)まで、奇怪なビジュアル・イメージを順に積み重ねつつ、本質的な部分ではいわゆる「ホムンクルス幻想」「フランケンシュタイン幻想」(=人造人間へのあくなき夢)を、ど真ん中から扱った短編作品に仕上がっているといってよい。
動き回る骨と、クレイで表現される頭部は、明らかにヤン・シュヴァンクマイエルのストップモーション・アニメーションの影響下にあるといえ、とくに「男のゲーム」や「対話の可能性」「自然の歴史」あたりがおおいに霊感源となっているふうに見える。少女のほうの人形の造形も『ファウスト』を思わせるところがあるし。
最初、クレイアニメなのに、なんでパーツごとに針金がついてるのかな、あやつり人形として撮影しているパターンもあるのかな、と思っていたら、これって後半に「少女が復活させた政治家のゾンビ人間2体をさまざまに操って見せる」ことへの前振りだったんだな。
で、少女人形自身にも糸がついているのは、おそらく彼女もまた何者かに操られて、踊らされているといった含意だったりするのか。
技巧的にはオーソドックスなクレイ&パペットのこま撮りなんだけど、ときに「ビーム、ビ~~~」とか「キラン!」みたいな、漫符みたいなのがたまに出たり、少女の人形に描かれた表情がふっと笑ったりするのには不意を突かれてドキっとした。
この作品が、端的にストップモーション・アニメーション好きの心にぐさりと突きささるのは、扱われているテーマ(錬金術におけるホムンクルス幻想・カバラにおけるゴーレム幻想・オカルト医学におけるフランケンシュタイン幻想)と、こま撮りアニメという制作技法が、そのまま綺麗に重なり合っているからだ。
すなわち、突き詰めれば、こま撮りアニメというのは「モノ」に魂を吹き込む「魔術」そのものなのであり、この少女が行っている人体召喚儀式というのは、ストップモーション・アニメーションの製作工程のアナロジーに他ならないのだ。
動くはずのないものを動かし、そこに「命=心臓」を与える。
その幻想を、ここで作り手と登場人物は分かち合っている。
もう一点、重要なことがある。
「モノに魂を吹き込む魔法」を生み出すのは、辛気臭い理想主義や正義心などではなく、子供じみた「稚気」だったり、半ば「よこしま」なくらいの「悪戯心」だったり、衝動的で性的といってもいいような「純粋な欲望」だということだ。
これまた、ストップモーション・アニメ製作者と、この少女人形の双方に共通するモチベーションだ。
一こま一こまオブジェを動かしながらフィルムを撮ってゆく作業自体は、きわめて地道で生真面目で根気強いものではあっても、それを支えているのはむしろ「不真面目さ」であり、「遊び心」であり、死から生を生みだそうと願う「邪心」であり、神をも恐れぬ所業に挑む「罰当たりな思い上がり」なのだ。
そのあまりの不敬さと、あまりの神への挑発的姿勢ゆえに、この「魔法」はたとえ成功しても永遠のフェイズに固定化されてはいけない。
一度動かした「モノ」は、命を与えたままで捨て置いてはいけない。
だからこそ、少女(の人形)と復活したポルタレスとの「死後婚」の書面は、逆回しのサインによって無効化されるしかない。僕はあのラストをそういう風に理解した。
『オオカミの家』がきわめて斬新な「ひと時たりとも留まらない不安定さ」を突き詰めているのに対して、「骨」はよりプロットが簡素だし、技法的にもオーソドックスだし、ラスト以外はだいたい何をやっているかも理解しやすい。
というわけで、レオン&コシーニャの入門編としては、
ちょうどいい作品なのではないかと思う。
無垢な恐ろしさ
「オオカミの家」の同時上映で観ました。
監督は同じ二人で、こちらはアリ・アスターが製作総指揮として参加したショートムービー。
だからなのかシンプルできれいに整っていて見易い印象です。それでいて少し怖い。
というか、かなりキテいます。
少女の顔が不気味だし、死体とか本当に嫌な感じ。
あとずっと聞こえる耳障りな音も、なかなかに不快なフックでした。
少女の夢のようにどこか可愛らしく見えるものの、禁忌に触れる無垢な恐ろしさもありました。
すごかったです。
分解体
ストップモーションアニメの大変さがひしひしと伝わってくる作品でした。
体をバラバラにしたり、ペットのように飼ってみたり、色々と組み合わせてみたりと、手作りだからこそ出せる独特の味を堪能することができました。ストーリーはあって無いようなものなのか、噛み砕けなかっただけなのか…。映像に釘付けになっていたので、そこはうまく掴めなかったです。
クリストバル&ホアキン両監督の強烈な名刺を頂戴しました。短編でここまでのインパクトを残すなら「オオカミの家」はどうなっちゃうんだ…?と期待を膨らませてモノクロからカラーの世界へ。
鑑賞日 9/5
鑑賞時間 19:00〜20:35(オオカミの家と併映)
座席 B-13
アリ・アスターが何回もみた理由は分かった。 本編「オオカミの家」よ...
アリ・アスターが何回もみた理由は分かった。
本編「オオカミの家」よりも分かりやすくて面白い。
これだけでお腹一杯なところあります(笑)
『とある遺跡から発見されたテープを僕らが修復することになりました』
とこれまた完璧な設定。
あくまでフィクションの土台からは一線を引き、現実との交わりを観客に与えるやり方、好きです!
こんなチープな言葉で表したくはないですが”グロ可愛い”くて目を惹かれてしまう。
「赤ずきん」チリverを見ているようなファンタジー感もある。
設定として”世界初のストップモーション作品”と言う体なので、作品が終わった後も『なぜこんな作品を作ったんだろう…』と考え込んでしまう後味を残す印象深さ。
キャラクターをなんだか応援してしまうんですよね…
質感のフェチズム
死体蘇生?いやその逆か?
怪しげな儀式を撮影したフィルムが発見され修復した、、、という体裁のモノクロ短編。
ほぼアート作品なんで、分かりにくいとか文句言ってもしょうがない。
彼らのアニメの特徴のひとつは等身大サイズで作業する所かなと思う。物がデカいのでアニメがしやすい反面、支えが大掛かりになりスペースが要るし撮影は手間はかかる。
実際の人間から型取りされたようなリアルなデスマスク。(この2人の首もチリの政治的な人物)
表情豊かに妙に動きまくるデッサン用の木製の手。
するっと実際の人間混ぜたり、技術的な遊びもある。
実物の机や椅子など凄くリアルな部分とガッツリデフォルメした人形。消し込む作業をわざとしてない糸や針金。なんだかその素材のフェチズムとコントラストにクウェイ兄弟的センスを感じた。
まあ、その世界観もイノセント且つ、醜悪だ。J.P.ヴィトキンの写真が近い世界かなぁ、、、。
死体好きのアリアスターがはまるのも頷ける。
シュワンクマイエル、クウェイ兄弟に続く流れがまさか南米からやって来るとは思わなかったよ。あっという間に売り切れたパンフレットは再販された模様です。
今後が楽しみ。
途中手抜いたな(笑)!
「オオカミの家」と同時上映だったので合わせて観たのですが、こちらも不気味さではなかなかで、骨で遊ぶ少女かと思えば適当に骨を復活させ、人間モドキを2つ。で、また遊ぶかと思えば片方と婚姻。でも片方に阻まれて、おしまい。
シュールな作品で良いのですが、しかし!ストップモーションアニメの筈なのに途中2カットほど子供?にマスク被せて少女演らせてたな(笑)!
素人に見抜かれてはだめでしょ(笑)
ま、苦肉の策なのでしょう。予算も無いし、しょうが無いよね(笑)
後、首2つが妙にリアルで、(少女はモロ人形顔なのに)気味悪かったです。
Re:birth
2023年に発見されて修復された1901年に制作された世界初のストップモーションアニメという体の作品で人骨を使った儀式をする女性のパペットを描いた話。
遊んでいるのかと思ったら、弔い?いや再生?黒魔術?と展開していく。
あっという間に終わってしまい、起きたことは判るけれど、死者の嫉妬?思うようには行かないことの象徴?と核の部分が良く解らなかった。
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