哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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独創的な世界観に圧倒
主人公のベラは妊婦であったが、橋から身を投げ自殺をするという選択をするのだが、たまたま浮き上がってきた遺体を天才外科医のバクスターによって発見、生まれるべきだった赤子の脳をベラに移植することにより、ベラは奇跡的に蘇生する。
が、身体は大人であれど中身は赤子のために見た目とは裏腹に、大人げないと思われる言動や行動が暫し見られるものの覚える内容は格段に増えていくに連れ、放蕩者の弁護士の誘いを受け、世界旅行の旅に出掛ける。
リスボンではじめてのエッグタルトに感動、アレクサンドラで貧困層の子供達の死を目の当たりにし、パリで娼婦として稼ぎ始める。バクスターの死を目前にしていることを知り、ベラはロンドンへ帰国し晴れて婚約者の外科医と結婚式を挙げるのだが、そこにかつての夫が現れてしまう…。
最初から最後まで、哀れなるものたちのタイトルの意味がわかるぐらい、哀れだなあと思うキャストの連続で、ベラを自殺に追いやった夫も哀れなるものたちの仲間入りを果たすのだが、ベラは記憶を取り戻したことにより改めて復讐を果たしたのだろう。
独創的な世界観も非常に面白く、最後まで見ていて飽きなかった。
「抑圧からの解放と世の変革」を夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー ・・・その後味は最悪!!
19世紀末ヴィクトリア朝時代を舞台としたメアリ・シェリー風SFゴシックロマン?(ま、要するにスチームパンクね)を予感させる冒頭のモノクロシーン。ヴィクトリア朝とくれば「歪なまでに極端に性を抑圧した時代」という認識は私たち日本人にはやや馴染みがうすいかな。何せ、むきだしのままでは余りにセクシュアルだからという理由で椅子やピアノの足にカバーを付けたという時代です。
そんな時代を舞台設定に、母として・妻としての役割に囚われる抑圧から自死という形で解放されようとした女性ヴィクトリア(なるほどヴィクトリアね)が、マッドサイエンティストの手に掛かりベラとして転生、外の世界での様々な経験を経ながら真の解放と世の改革に突き進むことを志す、ざっくり言えばそんなストーリー。
馬鹿な男どもと、あの時代の社会通念の閉塞性を蹴散らしながらのストーリー展開は主演エマ・ストーンの力演、怪演に見事な映像美も相まって爽快、痛快、奇想天外・・・
・・・のはずなのに・・・何だろう、どこか拍手喝采できない感じが付きまとう。
もちろん私も「馬鹿な男」の一人であるが故の居心地の悪さ、気まずさはあります。
けれどそれ以上に私の胸にザワザワしたものをもたらす科学を至上とするストーリー基調。幼いゴッドが父から受けた数々の「実験行為」、それを経て尚も父と同じ道を行くゴッド。無垢な時代のベラも、ゴッドに倣うあまり、死体を刻むことを「学んで」いく・・・更に、ベラは己の転生の秘密を知って尚、最後にはそれをもたらした医学(科学)を我が進む道としてしまう。
そして、ヴィクトリアの夫が現れてからの終盤の展開・・・
はい、ここではっきりしました。僕がこの映画を決定的に相いれないものと思ってしまったワケ。
二人の対決シーン。
傷を負った夫を助けたいとベラが言って、思わせぶりにヤギが映る。
ここで一瞬ですよ、一瞬、僕の心にふと傷ついた夫にヤギの体を与える予感がしたのです。
この男のエキセントリックな性格は、彼自身が本当の愛を受けずに育ったからじゃないか・・・
このサイコパスな男は、実は愛に渇望しているんじゃないか。
だったら、ベラ、彼にはヤギの体を与えて、その無力な動物を愛してやったら・・・
ヴィクトリアが捨てたはずの「母性」で、いや、それ以上に大きな、大げさに言えば「人類愛」のようなもので彼を赦してやったら・・・
やっと安心したように身を寄せてくるヤギの体を優しく撫でてやるベラ・・・
ほんの一瞬、そんな展開を夢見たのです。
甘かった・・・
エンディングで、勝ち誇ったように、美しい庭園でお茶をしながら医学書を読む主人公の傍らに、社会主義に世の変革を展望するあの黒人少女が、そして庭では前夫の体をしたヤギが草を食み・・・。
ベラ、あなたの夫への行いは・・・
転生前の自分への因縁を断ち切る意味で必要だったのかもしれない。それだけの報いを受けるべきゲス野郎かもしれない。けれど・・・ヤギに夫の脳を移植するのではない、夫の体にヤギの脳を移植するというあの仕打ち。科学(医学)のために、死者の蘇生と並んで医術者にとって最大のタブーであるはずの脳の移植にさえ手を付ける。そこに医術の「パンドラの箱」を開けることへの躊躇、葛藤は全く描かれない。
ベラ、あなたは医学の道に進む決心をしたんだよね。あなたはその前にスピノザも読んでいなかった?(僕の見間違いならごめんなさい。一瞬彼女が「エティカ」を読んでいるシーンがあったようなんだけど・・・)
そんなあなたが夫に対して行った行為は、科学でも医術でも「救済」でもない!ただの「復讐」です!!
僕がここまでベラに対して反感を覚えるのは・・・そう数日前、テレビのNewsで、あの
京アニ放火犯の青〇被告の治療に当たったドクターの言葉に胸を打たれたこともあるかな。
「(死刑判決が出た被告には)自分の罪に向き合ってほしかった。どれほど多くの人の命を奪った憎むべき罪を犯した人であれ、医師として治療をしないという選択は私には全くなかった」
感情に流されず、人種、貧困差、宗教の違い・・・あらゆるものに偏見を持たず、ただ目の前で苦しむ命を救うことのみに全力を尽くす、それが医学の道の唯一の真理じゃないの、ベラ?
「哀れなるものたち」鑑賞後のこの後味の悪さ・・・ああ、これに似た後味の映画を思い出しちまった。ブラピ&フリーマンの「セブン」・・・あのラスト、何の救いもない、ただ猟奇殺人犯が勝利しただけのラスト・・・ 「哀れなるものたち」のラストは、或いはそれ以上の嫌悪感をベラに対して抱かせてしまう。
ひょっとしてここまでグロテスクな描写をすることで(それでもどこかに、夫の脳を宿した生物がいるのではと、一応最後の庭園シーンを見つめたんだけど、それらしいものが見つけられなかった・・・)、この主人公にさえ反発を覚えるように、主人公を含めそこにいるすべての者たちを「哀れなるもの」と見下ろす絶望的な視点でこの監督はこの映画を締めくくろうとしているのかしら。もしそれが監督の意図なら、はい、正直にそれを受け入れましょう。
これは、「科学の発展と社会主義」に「抑圧からの解放と世の変革」を無邪気に夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー。けれど僕は今日、既に、科学技術の発展と社会主義による枠組みがもたらした新たな抑圧された世界を見てしまっている。
医術で「報復」したベラ、あなたの突き進む先には、次の世紀には、「報復」が「報復」を呼ぶ世界が待っている・・・。(今日、様々な国の指導者が「報復」を口にするニュースを何度見せられるんだろう・・・)
この後味の悪さ、2度目に見たら更に苦いものになりそう。だから再鑑賞はないかな。
(スケール感も、ストーリーの派手さも段違いなれど、性のリミッターを外して自らを開放するのに猪突猛進な女性を描いている点でふと似通ったニュアンスを覚えた「春画先生」、こっちの方によっぽど愛おしさを感じてしまう自分って・・・うーんただのキタカナ推し?)
・・・とまあ、総括的にこの映画のネガティブな感想をのべましたが、前時代的な小タイトルをつけた幕間で区切られた各エピソードの中には、ちょっとお気に入りのものも。
それは、あのマーサとハリーの船上エピソード。このカップル、いいですねえ。
性別と、年齢差と、人種の違い、全てを軽々と乗り越えてるこの二人の佇まい。
何度ダンカンに本を捨てられてもスッと次の本を差し出すマーサは「常に学び続けなさい」と教えてくれる、本だけでは世の中は変わらないというシニカルなハリーはそれでも世の中の矛盾、現状から決して目はそらさない。やや超越的な存在として描かれてはいるけれど、「常に学び続けなさい、そして世の中から目をそらさないで」という二人そろってのメッセージが何だかとても胸にきました。(PerfectDaysの平山さんへの当てつけみたいでごめんね)
あと、この監督がこの映画で見せたSFゴシック風の映像センス・・・
ふと、PynchonのGravity’s RainbowやMason & Dixonを映像化させてみたい、と思っちまったよ。
ゴッド医師の大きな愛
始まりはモノクロ、いつの間にかカラフルな色彩を帯びた世界になっているのは、ベラの脳内世界の反映なのだろう。
美術や衣装が独特で、グロさもエロも相当なものなのでそちらに目を奪われるが、内容は割りとシンプル。
男性優位社会で、女性に求められる社会的態度を一切知らず、破竹の勢いで内面を成長させていく女性が、「オンナは男の所有物」と考える男たちを知らず知らずに破滅に追い込む、ある意味痛快なお話。
ベラには「社会性」がないが、それが故に卑屈になったり他人を羨んだり陥れたりという、周囲から身を守るために身につける様々な処世術や感情がない。女性のみに期待される態度なんて知りようがない。
余計な思慮がない分考えと行動が合理的でストレートなので、お金がなければ稼げば良い。そこで娼婦をするが卑屈じゃないので悲惨さもなく、「仕事」として積極的にカイゼンを提案したりで、むしろ気高い感じがする。
彼女がまっすぐに育ったのは、ゴドウィン医師の育て方にあるだろう。
医師は自身、毒親(というよりキチ親)の科学的(医学的?)興味の実験台にされ凄惨な虐待を受けてきたが、彼はそれを虐待と思っていないようだ。父に恨みを抱いているわけでもなく、事実として淡々と受け入れている。医師自身の興味も行動も異様だが、純粋に科学的・医学的興味からのもので、ヒトとしての性質は全然歪んでいない。(もしかするとヒトらしく負の感情を持つ機会もない育ち方だったかも。)
なのでベラを、どろどろした感情のはけ口ではなく、純粋に科学的興味から蘇生させて育てており、彼女の成長の過程を、できる限り抑圧を排除し彼女が自ら育つままにして、目を細めて見守っている。明らかにヤバい男と出ていこうとするのを敢えて止めないのも、彼女の意志を尊重するから。
これは愛だ。彼は気づいていないだろうが。
二代目クリーチャーに素っ気なくするのも、彼女に思い入れないようにしたいから、というゴッド医師が、何だか可愛そう。
リスボンのあたりまで退屈で早く終わらないかと思っていたが、船の上でマーサ、ハリーと親密になるあたりから盛り返した。ただし、やっぱり長い。
エマ・ストーンの潔い脱ぎっぷり、それどころか組みっぷりが凄い。これだけ経験したらベラの冒険心も満足したんじゃないかと思う。間違いなく18禁です。
マーサは、ハンナ・シグラだったか!
ベラを「創った」天才医師ゴドウィンはマッド・サイエンティストかもだが、大きな愛で彼女を包み、ゴッドの助手でベラの婚約者マックスも、彼女を自身の所有物にする気がなくヒトとして彼女を愛している。彼に目をつけたゴッドは慧眼だ。
幸せの決め手は「愛」だと思った。
時々出てくる、魚眼レンズの目を通してみたようなショットは何なのだろう。
もしかして神(ゴッド)の目!?
Stay foolish
アカデミー賞最有力候補という売り込みで日本に早めに来てくれたので鑑賞。でかいスクリーンで観れたのは良い収穫でした。
かなり人を選ぶ作品だなと思いました。面白いところと置いてけぼりにされるところがあり、トータルでは面白かったなぁって感じになりました。
入水自殺をした女性の脳と胎児の脳を入れ替えて、逆コナン君状態になってしまったベラの成長物語だなぁと最初は思っていましたが、成長を超える形成の物語になっていたのには驚かされました。
初っ端キメラ動物が出てきて、この手の動物が好きな自分としてはテンションが上がりました。犬鶏ってあんな不気味なんだ…。
刺激的な性描写ということで、結構激しめなプレイが多いのかなと思いましたが、刺激的っちゃ刺激的ですがなぜか笑えるものになっていたのが不思議でした。性行為を何も知らない状態でベラが全て体験していくので、超楽しそうにプレイをしていく様子が面白かったです。
傲慢な男性がよく出てきますが、それと対比して誠実な男性も出てくるので、そこのバランスがちょうど良く、男性の悪ばかり描く作品や製作陣たちへの皮肉だなぁとニヤッとしてしまいました。
偏見など何も知らずに育てられて、親の手を離れて真っ白な状態から色付けされて、それが綺麗な色でもあり、汚い色にもなる、そうやって自分の個性が生まれていくというありそうであまり観たことなかった0から1の成長して主体性を掴むという終わり方まで痺れさせられました。
脳内は赤ん坊、体は大人の女性という漫画的設定の難役をやり切ったエマ・ストーンは素晴らしすぎました。
不器用な歩き方やワガママな素振り、感情の制御が効かずに暴れ回る様子にゾクゾクさせられますし、初体験を脳が子供の状態で知るという前代未聞なシーンもこれでもかってくらい演じられていましたし、そこからアクセル全開で体験していく様子は爆笑もんでした。成長して脳が体に追いついてからの立ち振る舞いは前半に観ていた人と同じなのかってくらい演技が違うものだったので、度肝を抜かれました。
まだ公開されてない作品もあるので大きな声では言えませんが、今年のアカデミー賞の主演女優賞はエマ・ストーンに取ってほしいなと思いました。
マーク・ラファロは子供の脳のベラと成長したベラにとんでもないぐらい振り回されるこれまた難役をSEX交え見事にやり切っていました。この方の慌てふためく様子はキャラクターの傲慢さも相まって痛快でした。
服装のバリエーションの豊富さだったり、建物のレトロな雰囲気だったり、空の不思議な明るさだったりと、キャラクター以外にも色々と目に入るものが多かったので、そのシーンがあるたびにワクワクしていた自分がいました。
画面内の情報量は半端じゃなく、その世界観や美術に見惚れながら2時間半あっという間に過ぎ去っていきました。2回目観て考察を深めるというのも面白そうだなと思いました。
苦手かもなと思っていたところに、皮肉たっぷり独創性満載の作品に仕上がっていて面白かったです。監督の次回作にも期待したいです。
鑑賞日 1/27
鑑賞時間 12:40〜15:15
座席 R-35
実はクリの話である
大人の体を手に入れた赤子の成長を通じて特に女性解放を描いた映画、などと言われる。
この、女性解放がテーマだとかいうのは実はフェイクだと思う。
見続けるにつれ当初期待していた内容からは外れていくので、多くの人は頭が混乱してしまうんだと思うけど、実は見方を変えれば単純な話になっている。
食卓で卓上のフルーツを膣に入れて幸せを手に入れるシーン。
その後ダンカンの最高の性技で熱烈ジャンプの虜になるシーン。
売春宿で3回擦っただけでイってしまうダンディ。
熱烈ジャンプのダンカンが会いに来ても何の興味も示さないシーン
同僚の黒人娼婦にclitorisをなめられてくつろぐシーン。
clitorisを切除しようとした将軍にブチ切れてヤギにするシーン。
黒人娼婦を呼び寄せて暮らすシーン。
これらからわかることは、ベラが最も大切にしているのはclitorisであること。
clitorisこそ女性の象徴であり最も気持ちよくなれるものと位置付けていて、penisには興味を失っているようだ。
ベラはナカ派からクリ派へと転向したということなんだろう。
もしかするとやっとの思いで結婚したマックスだが、内もものやわらかを見ていない可能性すらある。
clitorisをひたすらに称賛するこの特殊なテーマの本作、果たしてどれほどの女性の共感を得られているのだろうか。
アンモラルな始まりでも
Poor Things
自分が世界を見せてあげると言って、実際に影響を受けて変わると、ある人は自分の手から離れていくのに耐えられないと咽ぶ。大人の身体に子供の脳という設定が、(振り回す立場としても)絶妙なのだろう。
世界では生活困窮者は熱射を前にして、理性を失い子供も虐待する。使用人たちは銃口の脅しに逆らえず、弄り芸の演者を続ける。
傍観していても、その立場に成り代わったなら加害者でも被害者でも、そのまま自分を当てはめる他ないと。それに対して、アンモラルな出生でも、生命自体は魅力的だと。人の可能性を檻に閉じ込めないよう、進歩できるかどうかを問うている
「生々しい描写」は もう少し控えめにしてほしいと思いました。
予告編で魚に乗っている女性の映像や
ミニチュアっぽい特撮映像を見て
テリー・ギリアム監督作の映像に似た雰囲気があったので
面白いかも・・・と期待して
「哀れなるものたち」
字幕版を鑑賞してきました。
以下ネタバレ
テリー・ギリアム監督作の映画で表現される、
空想と現実の対比描写や
特撮映像の雰囲気を期待しましたが
「哀れなるものたち」の予告編で見た
魚に乗る女性は
チャプターのイメージ動画なだけだったり、
ミニチュアっぽい特撮映像は
テリー・ギリアム監督作というよりは
ウェス・アンダーソン監督作の
お洒落模型表現のパクリっぽい印象でした。
そして
空想と現実の対比はなく、
虚構雰囲気を漂わせた背景美術演出で
マッドサイエンティストの謎技術がつくりだした生命体の
生々しい現実を表現した映画だったのが残念でした。
また広角レンズの使い方が下手だなとも思いました。
マッドサイエンティストの
不思議な謎の電気機械と
内容・正体などがはっきりわからない説明イラストで
雰囲気演出された謎の外科技法は
面白みが少なく、
生々しい描写でリアリティ感を強引に
押しつけてくるので
「謎技術」と「生々しい描写」の組み合わせの
雑な設定のためか
フィクションとして楽しめませんでした。
教育などによって整えられたりせず
自然のままの状態で育った「野生」的な
女性の主役の「生々しい描写」も
やりすぎで、下品な印象が強く、
大きなスクリーンで見せられてもな・・・
と思いました。
衣装デザインや船のデザインは
大きなスクリーンならではのディテール情報が
楽しかったので
そのぶん
「野生」的な女性の主役の「生々しい描写」は
もう少し控えめにしてほしいと思いました。
ラスボス的な将軍を
「謎技術」で山羊にしたラストは
山羊の虐待だったので
後味わるいなと思いました。
西洋美術の絵画などで表現される
残酷描写に抵抗がない層向けの
映画という印象の作品でした。
これがアカデミー賞候補?
人の物差しは、人それぞれですが、私には全くマッチしませんでした。エマ・ストーンの演技は良かったのですが、作品としては理解できません。異種間の動物がでてきたり、最後は山羊人間がでてきたりして。←これらを登場させる意図が理解できませんでした。
人生謳歌
R18指定で奇想天外な話しだけど、ただの
所有物とされ感じてきた主人公ベラ・バクスター
は飛び降りを。
科学的実験も大好きな医師、ゴッドにより蘇生。
胎児の脳を移植され生きて行くお話。
行動、言動やシーンもかなり枠外ではあるが
徐々に知性と感情を身に纏っていくベラ。
自由を手に入れる為に出た冒険の旅立ちが
自分自身を築いていき、人生謳歌をしていく。
そして物扱いをしていた男性達を蹴散らす。
男性社会の権力により社会追放を受けてた時代。
性に対して自由な欲望を吐き出せなかったフェミニズムを主張してる感じもする。
エマストーンの陰と陽の演技は凄かった。
不協和音は頭がクラクラする程の余韻が
あり、心に残る色彩と世界観。
所有物では無く自由の権利を訴える。
男の支配力は哀れ。
哀れなものは誰だったのかを突き付けられた
映画でした。
無知な美女を愛でたい男VS自立したい女
面白かった!というよりも、現代においてもまだ女ってこういう扱い受けがちだよね〜(苦笑)ってなりました。もちろん、苦笑で終わらせてはならないんですが、嫌がる男性は居そうとも。あとマンスプ気味な(特に)男性からすると絶対面白くないし意味不明だろうなとも思いました。
開幕手術シーンがあったりしてウワと思ってたんですが、最後はめちゃくちゃ集中して見てたので星4.5。満足度はめちゃくちゃ高いんですが、グロテスクなシーンがあるので-0.5にしてます。
煌びやかな無知無知大冒険だと思って見たら寧ろ真逆で笑いました。というか予告の段階でアッこれは違うやつだ〜…ってなってました。
めちゃくちゃざっくり言うと、前世から男に散々振り回されまくった女が自立する話、という感じ。
自立してほしくなくてもがく男たちが滑稽でした。いるよね、女が自立してるのを嫌がる男。
時代設定が謎
でも多分そこに重きを置いてないんだろうなというのもわかる。たぶんこれまでずっとこうで、これから変えていかねばならない主題だからね。
あと急に手術のシーンやセックスシーンが出てくるのでびっくりしました。血みどろが苦手な人は気をつけてください。
英題「POOR THINGS」、邦題「哀れなるものたち」なんですが、これは誰のことなのかな〜と考えてみたらやっぱり出てくる男たちのことかなと。まあ、「物」なので違うかもしれないですけど。
個人的にラストの庭のシーンが一番好きです。化け物と罵っても結局同じことやってるのが最高に皮肉ですね。あの使用人の方々が幸せな未来を進んでいることを祈っています。もちろん、お洋服を着たワンちゃんも。
それから、wiki見たら「SFラブコメ」って書いてあって、コメディだったことを知りました…コメディ…?
1/31追記
「代金30フラン」、鑑賞時はあまり考えずに相場がへえそんなもんなんだと思っていたし「随分安くないか」というセリフでそうなんだ〜と思っていたんですが、1フラン170円としたら5000円くらいみたいで、そりゃエクレアだけで終わるわけだよと思ったし、ベラ(というより無知な人)も知っていればまた違う言葉が出てきたんだろうなと思って恥ずかしくなった。様々な事を知ろうとしなかった結果が上記の様な「へえ」であり、知っていれば「安すぎる」と思えたのかなと。凄く恥ずかしい。知識を蓄えたり見識を広めたいなと思う。
素晴らしかった
表現と創作に対する踏み込みと覚悟が尋常じゃない。作り込みがすごいしセンスもすごい。そして何よりテーマ性がすごいし、SFとしてすごい。
ゴッドが探求心と好奇心最優先で人間や命をおもちゃにすることに躊躇いがない。とんでもない人で、とんでもなくピュアだ。理屈が感情を凌駕していて、正負の面を常に考える。自分の父親にされた虐待的な行為に対する負の感情と正のもたらされた結果をそれはそれとして考える。割り切りが気持ちがいい。
ベラもゴッドの影響が大きくて、理屈や好奇心が感情を上回る。周囲の人が皆、感情に振り回される。女性的と言ってしまいたいが、差別的なので避けるけど、それは人間として男女で区別できない。時代設定が古いため、女性はなおのこと理不尽に屈服させられるが、ベラは子どものピュアさとゴッドによる理屈があるため屈しない。かっこいい。ゴッドにされたことを知って、許せることではないと言いながらゴッドへの愛情を示す。
ベラが幼児のようながに股でよたよたと歩く。しかしあれは、幼児の股関節や筋肉ができてないからあんなで、大人の肉体があったらああはならないのではないだろうか。しかし分かりやすく幼児的であることを示したのかもしれない。
船で出会うおばあちゃんがいかにも上級で、上級のなりの寛容さでベラに接する。元夫は、ヤギの脳を移植されていたけど、ゴッドの脳を移植するのではと思って見ていた。しかしそれが成立すると拒否反応の問題など、SFとして成立しなくなる。ヤギでよかった。
ウェス・アンダーソン的な絵作りで似た雰囲気だが、あんな空疎で何も描いてないやつとはレベルが数段違う。
人生とは
ネタバレ注意
ある妊婦のご婦人が、橋から身を投げて自殺をするが、研究家の医者が、その まだ新しい死体を発見し、ご婦人の脳とお腹の中の生きてる胎児の脳を入れ換えて、生き返らせる。
フランケンシュタインみたいな怪物映画?と思いきや。
見た目は美しいご婦人。脳は赤ちゃんの、名はベラ。
なので、初めは歩くことすらままならず、食べることも食い散らかす。
喋れるようになると、憎まれ口をたたき、セックスを覚えると、のめり込んでしまう。
そう。見た目は変わらずとも、赤ちゃんから成人へと変化する一生を表している。
売春婦でセックスシーンが話題になるが、人生大きな過ちを犯しても、やり直す事が出来る。と言う事だろう。
しかし、それらは、死んだ人間を甦らせた、人生であって、あってはならない。
が、その人生は、自分で考え、自分で生きた人生。
最後は人を愛する事を学び、医者になるぐらいの知性も得た。
しかし、生前は貴族の妻であったが、全く自由のない閉ざされた人生だった。
生きるとは何か?幸せとは?
エマ・ストーンのヌードばかり話題になるが、重た~い!ヘビーな映画だった。
そして、画面がとても抽象的で、感性や芸術性のレベルの高さも凄い。
脳が追い付かなくなるぐらい、深く理解の難しい、凄い映画に出会った
星2だった前半 終盤で評価が激変
女フランケンシュタインと聞いていたが、前半の彼女は行動こそ幼児の様だが、早くから抽象的言語を喋り、顔に継ぎ接ぎもなくほぼ常人。その為、私は世界観が掴み切れず前半はただ意味深で哲学的な台詞を聞かされる雰囲気名作なのではなかろうかという危惧をずっと感じていた。
ただ画作りは個人的に好きだったのでそこまで退屈していた訳ではない。飛行船がバンバン飛んでいたり光るキューブ状のエレベーターがあったり、ややSFチックではあるが基本的に背景は19世紀のリバイバルゴシック風であり怪しい人体実験もだからこそ許されていた、いや見つからなかっただけの雰囲気があり奇妙なゾッとする様な美しさがあった。ただ、面白いとまでは感じなかった。周りを振り回すだけのベラの行動の意味が分からないし、何故彼女は許容されているのかと。
ところが世間での冒険を終え、育ての親の病気を知って生まれた場所に帰ってから状況は一変。前半の疑問や振る舞いにどんどん決着がついていく。最初に婚約した彼との結婚を決め(その点ブレずに一途なのでポイント上がった)そもそもの人造人間誕生のきっかけとなった自分の脳の母親の夫との因縁を回収する。身体と脳に齟齬のあったベラは様々な人生経験により身体と脳を一致させ育ての親と同等かそれ以上の医師となり周囲をほぼ自分の支配下に置いてしまう。
そう彼女に足りなかったのは経験だけだったのだ。知識は家に閉じ籠もっていても蓄えられるだろうが、経験がなければ生きた知識にならないので人生での成功は覚束ない。元夫への処遇は人道的にどうかとは思うが身分差別や男尊女卑を是とする時代の申し子のような元夫に遠因がある事を考えれば著名な医師となったベラのラストの自信に満ち溢れた顔にはカタルシスを感じた。虐げられていた当時の女性の状況を打破する為にベラはモンスターでなければならなかったのだろう。
とは言っても元夫は軍人だからメンタルをやられていた可能性もある気はするが。
エンドロールは現代ポップアートのようで画作りは最後まで楽しめた。
マイナス0.5点は、当時の女性が世間を経験する意味で娼婦があり得ると言ってもセックスシーンが多過ぎると思ったから。ここだけ単に男性へのサービスシーンの疑惑が残る。
最後に主人公がエマストーンだというのも大きい。並の美人でスタイルも並だったら美しい画にならなかっただろう。男性俳優陣には申し訳ないが育ての親のウィレムデフォー以外は個性的であったり分かりやすい2枚目の男性を起用しなかったのはエマストーンが映える為だという気がする。勿論芝居は良かったのだが。この感想はルッキズムに反するだろうが作品の手法としては仕方ない。
という事で画作りの良さと怒濤の終盤の物語回収で前半と繋がって満足感が上がった事が高評価の理由だ。ただ、やはり娼婦場面は長過ぎるので映画館には再度は見に行かない。有料放送があればまた見るかもしれない。
“ピュア”な人間が見た、この世界
なかなかの内容でした。
この作品から何かを掴み取ろうとすると、人間の深いところに潜っていく必要がありそうで、劇場を後にしてからも独特の余韻に浸る経験をしました。
人間は生まれるとまず脳を発達させることを優先します。だから子供は頭が大きいのです。
しかし、この作品の主人公ベラは先に身体が大人になっていて、脳の発達が後になります。そうすると何が起きるのか‥が描かれているように思いました。
“ピュア”な人間が見たこの世界は、初めてのものが沢山で刺激的。しかし一方で貧富の差が大きいなど歪みもまた強烈です。死にゆく赤ん坊たちを見て涙するベラが印象的でした。
性に対する興味、それを素直に体現する身体と精神。ここにも脳の発達と身体のアンバランスがありますが、これも必然ですね。
ベラが辿る旅路は一体何だったのかと言えば、他ならぬ「居場所探し」だったと思います。頭と心と身体のバランスを整えながら行き着いた先は‥やはりマイホーム。
旅に出てこそ気づく‥いや、旅に出ないと気づけないことなのかもしれません。
こう考えると、独特な世界観で描かれたこの作品も実はシンプルに見えて来ます。
非常に頭を使う、見応えのある作品でした。
★★★★★完全解説!
エマストーンが好きだし雑誌で高評価なので見てきました。
原題の「POOR THINGS」って「満ち足りていない世界」という「現代の状況」を指した言葉でしょうか?「POOR」は金銭や物質的だけでなく精神的な意味も含まれますよね。「THINGS」は「WILD THINGS」(荒くれ者たち)みたいに特定の人を指すこともあるけど「THINGS CHANGES THESE DAYS」(最近は世の中も変わった)みたいに「世界」という意味にも使われていませんか?
さて、ヨルゴス・ランティモス監督の前作「女王陛下のお気に入り」が良かったので期待もしていました。
「脳を移植して生き返った若い女性が冒険の旅に出る」という内容ですが、鑑賞中はこの映画のオチをどうつけるんだろうと気になって仕方が無かったです。
無垢な女性が男性に翻弄されて娼婦になるというお決まりのパターン。性病を患って不遇に死んでいくのか?誠実な男と結婚して幸せになるのか?金持ちと結婚して幸せではないけれど暮らしは安定するのか?どの選択肢になるのかな?と女性の行く末を案じながら観ていました。
数奇な女性の人生遍歴を描いただけの映画ではヌード全開で出演を決めたエマストーンにどんな思惑があるのだろうとも思っていました。
しかし私の心配をよそに最後に明かされたテーマにガツンとやられて目が覚めました。これはなかなかの名作です。原作者のアラスター・グレイは「時計仕掛けのオレンジ」の作者のアンソニー・バージェスから絶賛されたそうですが、なるほどと納得する出来映えでした。
以下は私の解釈です。もちろんネタバレですので鑑賞前には読まないでください。
原作者がそうなのか監督がそうなのかわかりませんが、この映画は社会主義的なテーマの映画です。原作はマルクスレーニン主義時代の著作かと思いましたが1992年発表とのこと。意外と新しいですね。
映画は意図的に寓話的に表現されています。リスボンは実在の土地だけれどモノレールが走っていたり船の形もおもちゃっぽい。その演出がラストシーンで生きてきて唸らされました。
ラストに庭園にいる人物の役割に注目です。
まずは戦争屋の元夫は山羊の脳みそを移植されて葉っぱを食べてます。人類の最も愚かしい戦争が無力化された象徴です。元娼婦の社会主義者がパリから呼び寄せられて主人公の横に居ます。資本主義で搾取される象徴の娼婦が社会主義者になったこともわかりやすい変化。そして主人公ベラは脳外科医を目指している。この3人が出そろったことで社会主義革命が暗示されています。人類は脳みそを一度入れ替えて出直した方が良いと言いたいのでしょう。さらに極めつけは、言葉の発達が遅かった実験体二号が「ウォーター」と言うことです。明らかにヘレンケラーを示唆しています。三重苦のヘレンケラーが社会に目覚めるきっかけとなった言葉として有名ですね。夫マックスは誠実さの象徴。家政婦は・・・・市民?
ベラを連れ出したダンカンが破産して精神病院に居たのは資本主義の終焉を意味しています。アレクサンドリアの貧民窟と富裕層を繋ぐ階段は崩れ落ちていて貧民は上に来られない。ベラは娼婦に身を落とすという社会の底辺を体験しながらゴッド(神)と同じ道を目指すことを決めます。ゴッドは「科学的に」が口癖なのでベラも次第に論理的になっていく。これも科学的に社会を変革し進化させようという意味なのでしょう。古い神(ゴッド)が死んで新しい神(ベラ)の誕生です。この映画は革命家の誕生を描いたものでした。
さて、監督がなぜいまさら社会主義を持ち出してきたのでしょうか?
マルクスによると、共産主義は資本主義が成熟したあとに現れるとしており、その体制のもとには欲求を抑制した人々が集うとされています。最初にこの論を聞いた時は人間がロボトミー手術でもしなければ無理な体制だと面白がったものですが映画に通じるものを感じました。
いきずまりかけている現代に生きる我々も、ベラに脳みそを入れ替えて貰って新しい社会に船出しましょう。
ちなみにこの映画をフェミニズムに関連した映画だと評しているのを見かけますが、フェミニズムのポイントは性の搾取からの解放があげられます。ところがこの映画は娼館を否定的に描いていないどころか合理的システムとみなしている表現があります。この映画をフェミニズム映画と言う狭い枠に入れてしまうのは違うと思うし、せっかく良い映画なのに勿体ないなぁと思います。
自分を改善したいと思う
こないだ鑑賞してきました🎬
R指定だけあって、一部衝撃的な内容もありますが、ベラを演じたエマ・ストーンには拍手を送りたいです🙂
身体は大人ですが、心はまだ成長過程の子供という役柄を演じきってくれました。
マーク・ラファロ演じる放蕩弁護士ダンカンは、遊びのはずが本気になりついにはご破産に💧
後半では婚約者のマックスは、ベラの帰りを待ち続け…彼女を蘇生させた張本人のウィレム・デフォー演じるゴッドウィンは死を意識しつつ、2人の結婚を見届ける。
はずが、飛び降りる前のベラを知る男アルフレッド将軍が現われ、もうひと悶着あります😥
彼が迎えた結末は、それこそ哀れですが…私だったら素直に死にたいですね。
考えさせられる内容でした。
ヤギ人間の謎
久しぶりにパンチのあるすごい作品を観た。歴史に残る名作だと思うが、R-18だし、絶対にテレビでは放送できない内容なので映画館で観ておいて良かった。
現実なのか、幻想なのか、曖昧な世界観。めくるめくような極彩色の景色。ストーリーが意味ありげで謎めいているところは「魔笛」を思わせる。
序盤では、「脳の移植って、まるでブラック・ジャックだな…」と思ったが、ふり返ってみれば作品全体が手塚治虫っぽいと思った。もちろん偶然だろうが…。
「どろろ」(1967~)…父親の野望の犠牲になり、肉体のあらゆる箇所を欠損して生まれた主人公が、医者により義手や義足を与えられ、新たな生を得た主人公が、戦いを重ねながら自らの肉体を取り戻していく。
「人間昆虫記」(1970~)…性に奔放な悪女が主人公。様々な才能のある男に次々に近づいては、その才能を模倣して自分のものにしてしまう。
「ガラスの脳」(1971~)…事故にあった妊婦から赤ん坊(由美)が奇跡的に助け出されたが、生まれてからずっと眠り続けている。由美は17歳になったとき突如目覚めたが、中身は赤ん坊のまま。しかし急激に精神が成長していく。
この作品のテーマは「支配」と「自由」だろうということは分かるが、深すぎてどこまで読み取れているか自信がない。
「支配」とは、表面的にはキリスト教世界における男性からの支配を指すのだろう。たとえば、自分だけでむちゃくちゃに自由に踊るベラに必死でダンカンがおいすがり、二人で踊っているように見せかけようとする、というシーンがあるが、これは、社交ダンスを痛烈に批判したものだろう。我々は文化レベルで男性が女性を支配するものだ、という常識を受け入れてしまっている。
なぜベラは男性たちをここまで魅了することができたのだろう? ベラはおそらく、「原罪がない女」という設定なのではないか。
ベラは胎児のまま、生まれることがなく、脳だけが成人女性の身体に移植された。生まれていないので、原罪が無い。
「原罪」とは、アダムのイブが神の命令に背いて禁断の木の実(リンゴ)を食べてしまった、という話だ。この実を食べることによって、人間が善悪を知り、イチジクの葉で陰部を隠した。つまり、性的な「恥」の感情を獲得した。
ベラには名誉欲も虚飾もなく、保身のために嘘をつくこともない。これは原罪が無いからだ。そして最も重要な特徴として、性的な快楽を得ることを恥や悪だと思っていない。
ベラにとっては、セックスは食事と同じようなもので恥ずかしいことや特別なものではない。動物がそうであるように。
その意味でベラは汚れることが原理的に不可能な、究極に清らかな精神をもっており、原罪に苦しむ我々はその精神に惹きつけられずにはいられないのではないか。
無垢な存在であるベラが成長していく過程は、必然性をもった段階を踏んでおり、興味深い。
まず彼女が与えられたのは、「探究心」。嘘ではあったが、彼女の両親が「探検家」だった、というところから、彼女は自分自身の本性に「探究」がある、と思い込んだ。そして、この「探究心」は彼女を生涯突き動かすエネルギーになる。
次に与えられたのは、「愛」。子供のようなベラに対して、マッキャンドレスは親のような愛情を注いだ。しかし彼女は彼女を守るための厳しく束縛された世界に反発し、自由への激しい欲求をもつ。
ダンカンにより「自由」が与えられ、肉体的快楽を思う存分に得ることができるようになった。ここでそれまで白黒だった画面が、極彩色になる。これは、それまで受動的な守られる存在だったのが、能動的な自らが行動していく存在に変わった高揚感や感動を表現しているのではないかと思う。
次に、船の上で出会った老婦人からは「知識」を得る楽しみ、「哲学」の楽しみを得る。もともと世界を知りたいという欲求を持つ彼女にとって、自然な流れだった。ダンカンは彼女にとって退屈な存在になりつつあった。
「世界を知る」ことによる必然的帰結として、「現実の残酷さ」を知る。解決しがたい貧富の差があり、世界が彼女と同じくいびつで不完全である、ということを知る。彼女は、「世界を改善したい」という、はじめて個人的欲望を超えた欲望を持つ段階に至る。
次に娼婦館の主人と、同僚から得たのは、社会に関わる2つの方法、「仕事」と「教育」である。そこで行ったことが面白い。「仕事」では、お客から子供の頃の思い出を聞くことを行い、「教育」では、人体の仕組みを学んだ。つまり、人間の精神を学ぶことと、肉体を学ぶことに励んだ、ということになる。ここでようやく、彼女の「脳」(精神)は肉体に追いつき、一人前の大人の人間になる。
マッキャンドレスのもとに戻ってきた彼女は、今度は互いに完成された人間どうしとして愛し合う。いわば、愛ver.2である。ここで二人が行った会話は、「互いに対する告白と許し」である。ここからは画面の色調は極彩色から普通になっているように思う。大人としての成熟と安定を表しているのだろう。
物語的にはここで終わりでも良いが、もうひと展開ある。父親でもあり、夫でもある存在が登場する。
これまで登場してきた男性は、彼女を支配しようとしつつも、人間的な弱さがあり、どこか憎めないところがあったが、彼は度を越した残忍さがあり、支配欲の塊、悪の結晶のような存在だ。支配者の象徴のような存在。
彼は表向き紳士で善人のようで、中身が救いようもない悪、というところが、主人公と対をなしているようだ(表向き不道徳だが、中身は清らか)。
「支配」をテーマにすすめられてきたこの物語で、最後にこの支配に対して、我々は具体的にどう対抗すればよいのか、ということを彼女が教えてくれる。
それは、「勇気」である。支配者は、暴力をかざし、「恐怖」によって従わせようとする。その対抗策は、「勇気」しかない。これが彼女の成長の最後のピースだ。
ところで、彼は最後はヤギの脳を入れられた姿になっていたが、はじめはこれに違和感があった。というのは、もしヤギの脳を彼の身体に入れたのだとしたら、彼の脳はどうなったのだろう? 結局彼を殺してしまったのか?と。
しかし、よく考えてみれば、ベラは「彼を殺したくない」と言っていたはず。であれば、やっぱり彼は殺されていないはずだ。では、彼の脳はどこにあるのか? 必然。ヤギの身体に決まってる。たぶん、あの屋敷には彼の脳が入ったヤギがどこかにいるのだ。
成長
エマ・ストーン素晴らしい✨
ダンカン役の方、笑わせてもらった笑
主人公ベラは
母親の身体で生きるベイビー
子供なので
とても残虐さと可愛いさがある
見た目は美人だし
魅力されるのがわかる
性の目覚めが早いなぁと思いつつ
成長が早いからと納得させつつ
ベラに魅力された一人ダンカンに連れられ冒険に出る
色んな人達に会い
どんどん成長する
貧困などを知り
悲しむ感情も芽生える
最初の脚を引きずりのが途中からなくなり成長したからだと思うが
そこも良くなるのかと納得させつつ
ベラという主人公を人間の成長を
見せている映画
その中で貧困から身体を売ったり
女性の一部を手術しようとする極悪な元夫が出て来たり
それでも殺さず、代わりに羊の脳を移殖させ一緒に住んだり笑
ブラックユーモアたっぷり
その中で女性の貧困、世界の貧富の差、女性を閉じ込めようとする男の欲が詰まっている
女性の一部を切り取っても
感じるのはそこの部分ではない
女は心で感じるんだ将軍
女の子のアドベンチャー
監督ヨルゴス・ランティモス
脚本トニー・マクナマラ
主演・製作エマ・ストーン
この座組と、原題・邦題の良さと、フォントのかわいさから、観る前から期待値が高かった。
エマ・ストーンの瞼と唇に3人の男が色彩として乗っかってるチラシもかっこよくて、楽しみにしてた。
字幕翻訳は、松浦美奈さま。
R18なのに、公開スクリーンが多いのは、ハリウッドのストライキのせいで公開作品が少ないことも影響してるとは思う。
が、ヨルゴス・ランティモス作品としては、いちばん広い観客を捉えつつ、言いたいことに妥協がない作品で、しかもハッピーエンド(わたしの解釈では)!なので、評価されたってことなんだろうな。
何にも知らなかったベラが、世界を冒険して、快楽も醜さも思想も過去も知って、自分の生きる道を見つけたというお話。
脳みそスライスとかグロテスクな表現もあるけど、わたしはほぼ好ましく観た。自慰と性交のシーンが多すぎるが故のR18ではあるけれども、観るものの性的興奮を刺激しようとする意図が全く感じられない表現で、他の観客がいることを忘れてしまった。
ハンナ・シグラとの会話が面白かったし、ロンドンに戻ってからのベラの言動に観入った。
ゴッド(ウィン)の嘘は許さないけど、やったことは許す(受け入れるだったかな?)ってゆうのに、痺れた。
あとマックスが、ベラが娼婦をしていたことについて語るところが、めちゃくちゃよかった。許すとかではなく、自分は相手の男に嫉妬する。行動も体もベラの自由であるべきだからって内容。あれこそが愛だと思った。
女が奔放であることを、男が許すか許さないかなんて、そんなの決める権利はないの。それがわかってる男性に現実で会いたいわ。ほとんどいないの知ってるけど。
ゴッドが食事中?食事後に吐き出すあぶくはなんだったのだろうね。現実ではない世界の色彩と、とぼけた浮遊感のある音楽と、かわいい衣装と、魚眼レンズで丸く歪んだ世界…
映像のキッチュかつグロテスクなかわいらしさと、主張の現代的必然性と、42才女である自分にとっての共感とが合間って、傑作だと思いました。
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