哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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実はクリの話である
大人の体を手に入れた赤子の成長を通じて特に女性解放を描いた映画、などと言われる。
この、女性解放がテーマだとかいうのは実はフェイクだと思う。
見続けるにつれ当初期待していた内容からは外れていくので、多くの人は頭が混乱してしまうんだと思うけど、実は見方を変えれば単純な話になっている。
食卓で卓上のフルーツを膣に入れて幸せを手に入れるシーン。
その後ダンカンの最高の性技で熱烈ジャンプの虜になるシーン。
売春宿で3回擦っただけでイってしまうダンディ。
熱烈ジャンプのダンカンが会いに来ても何の興味も示さないシーン
同僚の黒人娼婦にclitorisをなめられてくつろぐシーン。
clitorisを切除しようとした将軍にブチ切れてヤギにするシーン。
黒人娼婦を呼び寄せて暮らすシーン。
これらからわかることは、ベラが最も大切にしているのはclitorisであること。
clitorisこそ女性の象徴であり最も気持ちよくなれるものと位置付けていて、penisには興味を失っているようだ。
ベラはナカ派からクリ派へと転向したということなんだろう。
もしかするとやっとの思いで結婚したマックスだが、内もものやわらかを見ていない可能性すらある。
clitorisをひたすらに称賛するこの特殊なテーマの本作、果たしてどれほどの女性の共感を得られているのだろうか。
アンモラルな始まりでも
Poor Things
自分が世界を見せてあげると言って、実際に影響を受けて変わると、ある人は自分の手から離れていくのに耐えられないと咽ぶ。大人の身体に子供の脳という設定が、(振り回す立場としても)絶妙なのだろう。
世界では生活困窮者は熱射を前にして、理性を失い子供も虐待する。使用人たちは銃口の脅しに逆らえず、弄り芸の演者を続ける。
傍観していても、その立場に成り代わったなら加害者でも被害者でも、そのまま自分を当てはめる他ないと。それに対して、アンモラルな出生でも、生命自体は魅力的だと。人の可能性を檻に閉じ込めないよう、進歩できるかどうかを問うている
「生々しい描写」は もう少し控えめにしてほしいと思いました。
予告編で魚に乗っている女性の映像や
ミニチュアっぽい特撮映像を見て
テリー・ギリアム監督作の映像に似た雰囲気があったので
面白いかも・・・と期待して
「哀れなるものたち」
字幕版を鑑賞してきました。
以下ネタバレ
テリー・ギリアム監督作の映画で表現される、
空想と現実の対比描写や
特撮映像の雰囲気を期待しましたが
「哀れなるものたち」の予告編で見た
魚に乗る女性は
チャプターのイメージ動画なだけだったり、
ミニチュアっぽい特撮映像は
テリー・ギリアム監督作というよりは
ウェス・アンダーソン監督作の
お洒落模型表現のパクリっぽい印象でした。
そして
空想と現実の対比はなく、
虚構雰囲気を漂わせた背景美術演出で
マッドサイエンティストの謎技術がつくりだした生命体の
生々しい現実を表現した映画だったのが残念でした。
また広角レンズの使い方が下手だなとも思いました。
マッドサイエンティストの
不思議な謎の電気機械と
内容・正体などがはっきりわからない説明イラストで
雰囲気演出された謎の外科技法は
面白みが少なく、
生々しい描写でリアリティ感を強引に
押しつけてくるので
「謎技術」と「生々しい描写」の組み合わせの
雑な設定のためか
フィクションとして楽しめませんでした。
教育などによって整えられたりせず
自然のままの状態で育った「野生」的な
女性の主役の「生々しい描写」も
やりすぎで、下品な印象が強く、
大きなスクリーンで見せられてもな・・・
と思いました。
衣装デザインや船のデザインは
大きなスクリーンならではのディテール情報が
楽しかったので
そのぶん
「野生」的な女性の主役の「生々しい描写」は
もう少し控えめにしてほしいと思いました。
ラスボス的な将軍を
「謎技術」で山羊にしたラストは
山羊の虐待だったので
後味わるいなと思いました。
西洋美術の絵画などで表現される
残酷描写に抵抗がない層向けの
映画という印象の作品でした。
これがアカデミー賞候補?
人の物差しは、人それぞれですが、私には全くマッチしませんでした。エマ・ストーンの演技は良かったのですが、作品としては理解できません。異種間の動物がでてきたり、最後は山羊人間がでてきたりして。←これらを登場させる意図が理解できませんでした。
人生謳歌
R18指定で奇想天外な話しだけど、ただの
所有物とされ感じてきた主人公ベラ・バクスター
は飛び降りを。
科学的実験も大好きな医師、ゴッドにより蘇生。
胎児の脳を移植され生きて行くお話。
行動、言動やシーンもかなり枠外ではあるが
徐々に知性と感情を身に纏っていくベラ。
自由を手に入れる為に出た冒険の旅立ちが
自分自身を築いていき、人生謳歌をしていく。
そして物扱いをしていた男性達を蹴散らす。
男性社会の権力により社会追放を受けてた時代。
性に対して自由な欲望を吐き出せなかったフェミニズムを主張してる感じもする。
エマストーンの陰と陽の演技は凄かった。
不協和音は頭がクラクラする程の余韻が
あり、心に残る色彩と世界観。
所有物では無く自由の権利を訴える。
男の支配力は哀れ。
哀れなものは誰だったのかを突き付けられた
映画でした。
無知な美女を愛でたい男VS自立したい女
面白かった!というよりも、現代においてもまだ女ってこういう扱い受けがちだよね〜(苦笑)ってなりました。もちろん、苦笑で終わらせてはならないんですが、嫌がる男性は居そうとも。あとマンスプ気味な(特に)男性からすると絶対面白くないし意味不明だろうなとも思いました。
開幕手術シーンがあったりしてウワと思ってたんですが、最後はめちゃくちゃ集中して見てたので星4.5。満足度はめちゃくちゃ高いんですが、グロテスクなシーンがあるので-0.5にしてます。
煌びやかな無知無知大冒険だと思って見たら寧ろ真逆で笑いました。というか予告の段階でアッこれは違うやつだ〜…ってなってました。
めちゃくちゃざっくり言うと、前世から男に散々振り回されまくった女が自立する話、という感じ。
自立してほしくなくてもがく男たちが滑稽でした。いるよね、女が自立してるのを嫌がる男。
時代設定が謎
でも多分そこに重きを置いてないんだろうなというのもわかる。たぶんこれまでずっとこうで、これから変えていかねばならない主題だからね。
あと急に手術のシーンやセックスシーンが出てくるのでびっくりしました。血みどろが苦手な人は気をつけてください。
英題「POOR THINGS」、邦題「哀れなるものたち」なんですが、これは誰のことなのかな〜と考えてみたらやっぱり出てくる男たちのことかなと。まあ、「物」なので違うかもしれないですけど。
個人的にラストの庭のシーンが一番好きです。化け物と罵っても結局同じことやってるのが最高に皮肉ですね。あの使用人の方々が幸せな未来を進んでいることを祈っています。もちろん、お洋服を着たワンちゃんも。
それから、wiki見たら「SFラブコメ」って書いてあって、コメディだったことを知りました…コメディ…?
1/31追記
「代金30フラン」、鑑賞時はあまり考えずに相場がへえそんなもんなんだと思っていたし「随分安くないか」というセリフでそうなんだ〜と思っていたんですが、1フラン170円としたら5000円くらいみたいで、そりゃエクレアだけで終わるわけだよと思ったし、ベラ(というより無知な人)も知っていればまた違う言葉が出てきたんだろうなと思って恥ずかしくなった。様々な事を知ろうとしなかった結果が上記の様な「へえ」であり、知っていれば「安すぎる」と思えたのかなと。凄く恥ずかしい。知識を蓄えたり見識を広めたいなと思う。
素晴らしかった
表現と創作に対する踏み込みと覚悟が尋常じゃない。作り込みがすごいしセンスもすごい。そして何よりテーマ性がすごいし、SFとしてすごい。
ゴッドが探求心と好奇心最優先で人間や命をおもちゃにすることに躊躇いがない。とんでもない人で、とんでもなくピュアだ。理屈が感情を凌駕していて、正負の面を常に考える。自分の父親にされた虐待的な行為に対する負の感情と正のもたらされた結果をそれはそれとして考える。割り切りが気持ちがいい。
ベラもゴッドの影響が大きくて、理屈や好奇心が感情を上回る。周囲の人が皆、感情に振り回される。女性的と言ってしまいたいが、差別的なので避けるけど、それは人間として男女で区別できない。時代設定が古いため、女性はなおのこと理不尽に屈服させられるが、ベラは子どものピュアさとゴッドによる理屈があるため屈しない。かっこいい。ゴッドにされたことを知って、許せることではないと言いながらゴッドへの愛情を示す。
ベラが幼児のようながに股でよたよたと歩く。しかしあれは、幼児の股関節や筋肉ができてないからあんなで、大人の肉体があったらああはならないのではないだろうか。しかし分かりやすく幼児的であることを示したのかもしれない。
船で出会うおばあちゃんがいかにも上級で、上級のなりの寛容さでベラに接する。元夫は、ヤギの脳を移植されていたけど、ゴッドの脳を移植するのではと思って見ていた。しかしそれが成立すると拒否反応の問題など、SFとして成立しなくなる。ヤギでよかった。
ウェス・アンダーソン的な絵作りで似た雰囲気だが、あんな空疎で何も描いてないやつとはレベルが数段違う。
人生とは
ネタバレ注意
ある妊婦のご婦人が、橋から身を投げて自殺をするが、研究家の医者が、その まだ新しい死体を発見し、ご婦人の脳とお腹の中の生きてる胎児の脳を入れ換えて、生き返らせる。
フランケンシュタインみたいな怪物映画?と思いきや。
見た目は美しいご婦人。脳は赤ちゃんの、名はベラ。
なので、初めは歩くことすらままならず、食べることも食い散らかす。
喋れるようになると、憎まれ口をたたき、セックスを覚えると、のめり込んでしまう。
そう。見た目は変わらずとも、赤ちゃんから成人へと変化する一生を表している。
売春婦でセックスシーンが話題になるが、人生大きな過ちを犯しても、やり直す事が出来る。と言う事だろう。
しかし、それらは、死んだ人間を甦らせた、人生であって、あってはならない。
が、その人生は、自分で考え、自分で生きた人生。
最後は人を愛する事を学び、医者になるぐらいの知性も得た。
しかし、生前は貴族の妻であったが、全く自由のない閉ざされた人生だった。
生きるとは何か?幸せとは?
エマ・ストーンのヌードばかり話題になるが、重た~い!ヘビーな映画だった。
そして、画面がとても抽象的で、感性や芸術性のレベルの高さも凄い。
脳が追い付かなくなるぐらい、深く理解の難しい、凄い映画に出会った
星2だった前半 終盤で評価が激変
女フランケンシュタインと聞いていたが、前半の彼女は行動こそ幼児の様だが、早くから抽象的言語を喋り、顔に継ぎ接ぎもなくほぼ常人。その為、私は世界観が掴み切れず前半はただ意味深で哲学的な台詞を聞かされる雰囲気名作なのではなかろうかという危惧をずっと感じていた。
ただ画作りは個人的に好きだったのでそこまで退屈していた訳ではない。飛行船がバンバン飛んでいたり光るキューブ状のエレベーターがあったり、ややSFチックではあるが基本的に背景は19世紀のリバイバルゴシック風であり怪しい人体実験もだからこそ許されていた、いや見つからなかっただけの雰囲気があり奇妙なゾッとする様な美しさがあった。ただ、面白いとまでは感じなかった。周りを振り回すだけのベラの行動の意味が分からないし、何故彼女は許容されているのかと。
ところが世間での冒険を終え、育ての親の病気を知って生まれた場所に帰ってから状況は一変。前半の疑問や振る舞いにどんどん決着がついていく。最初に婚約した彼との結婚を決め(その点ブレずに一途なのでポイント上がった)そもそもの人造人間誕生のきっかけとなった自分の脳の母親の夫との因縁を回収する。身体と脳に齟齬のあったベラは様々な人生経験により身体と脳を一致させ育ての親と同等かそれ以上の医師となり周囲をほぼ自分の支配下に置いてしまう。
そう彼女に足りなかったのは経験だけだったのだ。知識は家に閉じ籠もっていても蓄えられるだろうが、経験がなければ生きた知識にならないので人生での成功は覚束ない。元夫への処遇は人道的にどうかとは思うが身分差別や男尊女卑を是とする時代の申し子のような元夫に遠因がある事を考えれば著名な医師となったベラのラストの自信に満ち溢れた顔にはカタルシスを感じた。虐げられていた当時の女性の状況を打破する為にベラはモンスターでなければならなかったのだろう。
とは言っても元夫は軍人だからメンタルをやられていた可能性もある気はするが。
エンドロールは現代ポップアートのようで画作りは最後まで楽しめた。
マイナス0.5点は、当時の女性が世間を経験する意味で娼婦があり得ると言ってもセックスシーンが多過ぎると思ったから。ここだけ単に男性へのサービスシーンの疑惑が残る。
最後に主人公がエマストーンだというのも大きい。並の美人でスタイルも並だったら美しい画にならなかっただろう。男性俳優陣には申し訳ないが育ての親のウィレムデフォー以外は個性的であったり分かりやすい2枚目の男性を起用しなかったのはエマストーンが映える為だという気がする。勿論芝居は良かったのだが。この感想はルッキズムに反するだろうが作品の手法としては仕方ない。
という事で画作りの良さと怒濤の終盤の物語回収で前半と繋がって満足感が上がった事が高評価の理由だ。ただ、やはり娼婦場面は長過ぎるので映画館には再度は見に行かない。有料放送があればまた見るかもしれない。
“ピュア”な人間が見た、この世界
なかなかの内容でした。
この作品から何かを掴み取ろうとすると、人間の深いところに潜っていく必要がありそうで、劇場を後にしてからも独特の余韻に浸る経験をしました。
人間は生まれるとまず脳を発達させることを優先します。だから子供は頭が大きいのです。
しかし、この作品の主人公ベラは先に身体が大人になっていて、脳の発達が後になります。そうすると何が起きるのか‥が描かれているように思いました。
“ピュア”な人間が見たこの世界は、初めてのものが沢山で刺激的。しかし一方で貧富の差が大きいなど歪みもまた強烈です。死にゆく赤ん坊たちを見て涙するベラが印象的でした。
性に対する興味、それを素直に体現する身体と精神。ここにも脳の発達と身体のアンバランスがありますが、これも必然ですね。
ベラが辿る旅路は一体何だったのかと言えば、他ならぬ「居場所探し」だったと思います。頭と心と身体のバランスを整えながら行き着いた先は‥やはりマイホーム。
旅に出てこそ気づく‥いや、旅に出ないと気づけないことなのかもしれません。
こう考えると、独特な世界観で描かれたこの作品も実はシンプルに見えて来ます。
非常に頭を使う、見応えのある作品でした。
★★★★★完全解説!
エマストーンが好きだし雑誌で高評価なので見てきました。
原題の「POOR THINGS」って「満ち足りていない世界」という「現代の状況」を指した言葉でしょうか?「POOR」は金銭や物質的だけでなく精神的な意味も含まれますよね。「THINGS」は「WILD THINGS」(荒くれ者たち)みたいに特定の人を指すこともあるけど「THINGS CHANGES THESE DAYS」(最近は世の中も変わった)みたいに「世界」という意味にも使われていませんか?
さて、ヨルゴス・ランティモス監督の前作「女王陛下のお気に入り」が良かったので期待もしていました。
「脳を移植して生き返った若い女性が冒険の旅に出る」という内容ですが、鑑賞中はこの映画のオチをどうつけるんだろうと気になって仕方が無かったです。
無垢な女性が男性に翻弄されて娼婦になるというお決まりのパターン。性病を患って不遇に死んでいくのか?誠実な男と結婚して幸せになるのか?金持ちと結婚して幸せではないけれど暮らしは安定するのか?どの選択肢になるのかな?と女性の行く末を案じながら観ていました。
数奇な女性の人生遍歴を描いただけの映画ではヌード全開で出演を決めたエマストーンにどんな思惑があるのだろうとも思っていました。
しかし私の心配をよそに最後に明かされたテーマにガツンとやられて目が覚めました。これはなかなかの名作です。原作者のアラスター・グレイは「時計仕掛けのオレンジ」の作者のアンソニー・バージェスから絶賛されたそうですが、なるほどと納得する出来映えでした。
以下は私の解釈です。もちろんネタバレですので鑑賞前には読まないでください。
原作者がそうなのか監督がそうなのかわかりませんが、この映画は社会主義的なテーマの映画です。原作はマルクスレーニン主義時代の著作かと思いましたが1992年発表とのこと。意外と新しいですね。
映画は意図的に寓話的に表現されています。リスボンは実在の土地だけれどモノレールが走っていたり船の形もおもちゃっぽい。その演出がラストシーンで生きてきて唸らされました。
ラストに庭園にいる人物の役割に注目です。
まずは戦争屋の元夫は山羊の脳みそを移植されて葉っぱを食べてます。人類の最も愚かしい戦争が無力化された象徴です。元娼婦の社会主義者がパリから呼び寄せられて主人公の横に居ます。資本主義で搾取される象徴の娼婦が社会主義者になったこともわかりやすい変化。そして主人公ベラは脳外科医を目指している。この3人が出そろったことで社会主義革命が暗示されています。人類は脳みそを一度入れ替えて出直した方が良いと言いたいのでしょう。さらに極めつけは、言葉の発達が遅かった実験体二号が「ウォーター」と言うことです。明らかにヘレンケラーを示唆しています。三重苦のヘレンケラーが社会に目覚めるきっかけとなった言葉として有名ですね。夫マックスは誠実さの象徴。家政婦は・・・・市民?
ベラを連れ出したダンカンが破産して精神病院に居たのは資本主義の終焉を意味しています。アレクサンドリアの貧民窟と富裕層を繋ぐ階段は崩れ落ちていて貧民は上に来られない。ベラは娼婦に身を落とすという社会の底辺を体験しながらゴッド(神)と同じ道を目指すことを決めます。ゴッドは「科学的に」が口癖なのでベラも次第に論理的になっていく。これも科学的に社会を変革し進化させようという意味なのでしょう。古い神(ゴッド)が死んで新しい神(ベラ)の誕生です。この映画は革命家の誕生を描いたものでした。
さて、監督がなぜいまさら社会主義を持ち出してきたのでしょうか?
マルクスによると、共産主義は資本主義が成熟したあとに現れるとしており、その体制のもとには欲求を抑制した人々が集うとされています。最初にこの論を聞いた時は人間がロボトミー手術でもしなければ無理な体制だと面白がったものですが映画に通じるものを感じました。
いきずまりかけている現代に生きる我々も、ベラに脳みそを入れ替えて貰って新しい社会に船出しましょう。
ちなみにこの映画をフェミニズムに関連した映画だと評しているのを見かけますが、フェミニズムのポイントは性の搾取からの解放があげられます。ところがこの映画は娼館を否定的に描いていないどころか合理的システムとみなしている表現があります。この映画をフェミニズム映画と言う狭い枠に入れてしまうのは違うと思うし、せっかく良い映画なのに勿体ないなぁと思います。
自分を改善したいと思う
こないだ鑑賞してきました🎬
R指定だけあって、一部衝撃的な内容もありますが、ベラを演じたエマ・ストーンには拍手を送りたいです🙂
身体は大人ですが、心はまだ成長過程の子供という役柄を演じきってくれました。
マーク・ラファロ演じる放蕩弁護士ダンカンは、遊びのはずが本気になりついにはご破産に💧
後半では婚約者のマックスは、ベラの帰りを待ち続け…彼女を蘇生させた張本人のウィレム・デフォー演じるゴッドウィンは死を意識しつつ、2人の結婚を見届ける。
はずが、飛び降りる前のベラを知る男アルフレッド将軍が現われ、もうひと悶着あります😥
彼が迎えた結末は、それこそ哀れですが…私だったら素直に死にたいですね。
考えさせられる内容でした。
ヤギ人間の謎
久しぶりにパンチのあるすごい作品を観た。歴史に残る名作だと思うが、R-18だし、絶対にテレビでは放送できない内容なので映画館で観ておいて良かった。
現実なのか、幻想なのか、曖昧な世界観。めくるめくような極彩色の景色。ストーリーが意味ありげで謎めいているところは「魔笛」を思わせる。
序盤では、「脳の移植って、まるでブラック・ジャックだな…」と思ったが、ふり返ってみれば作品全体が手塚治虫っぽいと思った。もちろん偶然だろうが…。
「どろろ」(1967~)…父親の野望の犠牲になり、肉体のあらゆる箇所を欠損して生まれた主人公が、医者により義手や義足を与えられ、新たな生を得た主人公が、戦いを重ねながら自らの肉体を取り戻していく。
「人間昆虫記」(1970~)…性に奔放な悪女が主人公。様々な才能のある男に次々に近づいては、その才能を模倣して自分のものにしてしまう。
「ガラスの脳」(1971~)…事故にあった妊婦から赤ん坊(由美)が奇跡的に助け出されたが、生まれてからずっと眠り続けている。由美は17歳になったとき突如目覚めたが、中身は赤ん坊のまま。しかし急激に精神が成長していく。
この作品のテーマは「支配」と「自由」だろうということは分かるが、深すぎてどこまで読み取れているか自信がない。
「支配」とは、表面的にはキリスト教世界における男性からの支配を指すのだろう。たとえば、自分だけでむちゃくちゃに自由に踊るベラに必死でダンカンがおいすがり、二人で踊っているように見せかけようとする、というシーンがあるが、これは、社交ダンスを痛烈に批判したものだろう。我々は文化レベルで男性が女性を支配するものだ、という常識を受け入れてしまっている。
なぜベラは男性たちをここまで魅了することができたのだろう? ベラはおそらく、「原罪がない女」という設定なのではないか。
ベラは胎児のまま、生まれることがなく、脳だけが成人女性の身体に移植された。生まれていないので、原罪が無い。
「原罪」とは、アダムのイブが神の命令に背いて禁断の木の実(リンゴ)を食べてしまった、という話だ。この実を食べることによって、人間が善悪を知り、イチジクの葉で陰部を隠した。つまり、性的な「恥」の感情を獲得した。
ベラには名誉欲も虚飾もなく、保身のために嘘をつくこともない。これは原罪が無いからだ。そして最も重要な特徴として、性的な快楽を得ることを恥や悪だと思っていない。
ベラにとっては、セックスは食事と同じようなもので恥ずかしいことや特別なものではない。動物がそうであるように。
その意味でベラは汚れることが原理的に不可能な、究極に清らかな精神をもっており、原罪に苦しむ我々はその精神に惹きつけられずにはいられないのではないか。
無垢な存在であるベラが成長していく過程は、必然性をもった段階を踏んでおり、興味深い。
まず彼女が与えられたのは、「探究心」。嘘ではあったが、彼女の両親が「探検家」だった、というところから、彼女は自分自身の本性に「探究」がある、と思い込んだ。そして、この「探究心」は彼女を生涯突き動かすエネルギーになる。
次に与えられたのは、「愛」。子供のようなベラに対して、マッキャンドレスは親のような愛情を注いだ。しかし彼女は彼女を守るための厳しく束縛された世界に反発し、自由への激しい欲求をもつ。
ダンカンにより「自由」が与えられ、肉体的快楽を思う存分に得ることができるようになった。ここでそれまで白黒だった画面が、極彩色になる。これは、それまで受動的な守られる存在だったのが、能動的な自らが行動していく存在に変わった高揚感や感動を表現しているのではないかと思う。
次に、船の上で出会った老婦人からは「知識」を得る楽しみ、「哲学」の楽しみを得る。もともと世界を知りたいという欲求を持つ彼女にとって、自然な流れだった。ダンカンは彼女にとって退屈な存在になりつつあった。
「世界を知る」ことによる必然的帰結として、「現実の残酷さ」を知る。解決しがたい貧富の差があり、世界が彼女と同じくいびつで不完全である、ということを知る。彼女は、「世界を改善したい」という、はじめて個人的欲望を超えた欲望を持つ段階に至る。
次に娼婦館の主人と、同僚から得たのは、社会に関わる2つの方法、「仕事」と「教育」である。そこで行ったことが面白い。「仕事」では、お客から子供の頃の思い出を聞くことを行い、「教育」では、人体の仕組みを学んだ。つまり、人間の精神を学ぶことと、肉体を学ぶことに励んだ、ということになる。ここでようやく、彼女の「脳」(精神)は肉体に追いつき、一人前の大人の人間になる。
マッキャンドレスのもとに戻ってきた彼女は、今度は互いに完成された人間どうしとして愛し合う。いわば、愛ver.2である。ここで二人が行った会話は、「互いに対する告白と許し」である。ここからは画面の色調は極彩色から普通になっているように思う。大人としての成熟と安定を表しているのだろう。
物語的にはここで終わりでも良いが、もうひと展開ある。父親でもあり、夫でもある存在が登場する。
これまで登場してきた男性は、彼女を支配しようとしつつも、人間的な弱さがあり、どこか憎めないところがあったが、彼は度を越した残忍さがあり、支配欲の塊、悪の結晶のような存在だ。支配者の象徴のような存在。
彼は表向き紳士で善人のようで、中身が救いようもない悪、というところが、主人公と対をなしているようだ(表向き不道徳だが、中身は清らか)。
「支配」をテーマにすすめられてきたこの物語で、最後にこの支配に対して、我々は具体的にどう対抗すればよいのか、ということを彼女が教えてくれる。
それは、「勇気」である。支配者は、暴力をかざし、「恐怖」によって従わせようとする。その対抗策は、「勇気」しかない。これが彼女の成長の最後のピースだ。
ところで、彼は最後はヤギの脳を入れられた姿になっていたが、はじめはこれに違和感があった。というのは、もしヤギの脳を彼の身体に入れたのだとしたら、彼の脳はどうなったのだろう? 結局彼を殺してしまったのか?と。
しかし、よく考えてみれば、ベラは「彼を殺したくない」と言っていたはず。であれば、やっぱり彼は殺されていないはずだ。では、彼の脳はどこにあるのか? 必然。ヤギの身体に決まってる。たぶん、あの屋敷には彼の脳が入ったヤギがどこかにいるのだ。
成長
エマ・ストーン素晴らしい✨
ダンカン役の方、笑わせてもらった笑
主人公ベラは
母親の身体で生きるベイビー
子供なので
とても残虐さと可愛いさがある
見た目は美人だし
魅力されるのがわかる
性の目覚めが早いなぁと思いつつ
成長が早いからと納得させつつ
ベラに魅力された一人ダンカンに連れられ冒険に出る
色んな人達に会い
どんどん成長する
貧困などを知り
悲しむ感情も芽生える
最初の脚を引きずりのが途中からなくなり成長したからだと思うが
そこも良くなるのかと納得させつつ
ベラという主人公を人間の成長を
見せている映画
その中で貧困から身体を売ったり
女性の一部を手術しようとする極悪な元夫が出て来たり
それでも殺さず、代わりに羊の脳を移殖させ一緒に住んだり笑
ブラックユーモアたっぷり
その中で女性の貧困、世界の貧富の差、女性を閉じ込めようとする男の欲が詰まっている
女性の一部を切り取っても
感じるのはそこの部分ではない
女は心で感じるんだ将軍
女の子のアドベンチャー
監督ヨルゴス・ランティモス
脚本トニー・マクナマラ
主演・製作エマ・ストーン
この座組と、原題・邦題の良さと、フォントのかわいさから、観る前から期待値が高かった。
エマ・ストーンの瞼と唇に3人の男が色彩として乗っかってるチラシもかっこよくて、楽しみにしてた。
字幕翻訳は、松浦美奈さま。
R18なのに、公開スクリーンが多いのは、ハリウッドのストライキのせいで公開作品が少ないことも影響してるとは思う。
が、ヨルゴス・ランティモス作品としては、いちばん広い観客を捉えつつ、言いたいことに妥協がない作品で、しかもハッピーエンド(わたしの解釈では)!なので、評価されたってことなんだろうな。
何にも知らなかったベラが、世界を冒険して、快楽も醜さも思想も過去も知って、自分の生きる道を見つけたというお話。
脳みそスライスとかグロテスクな表現もあるけど、わたしはほぼ好ましく観た。自慰と性交のシーンが多すぎるが故のR18ではあるけれども、観るものの性的興奮を刺激しようとする意図が全く感じられない表現で、他の観客がいることを忘れてしまった。
ハンナ・シグラとの会話が面白かったし、ロンドンに戻ってからのベラの言動に観入った。
ゴッド(ウィン)の嘘は許さないけど、やったことは許す(受け入れるだったかな?)ってゆうのに、痺れた。
あとマックスが、ベラが娼婦をしていたことについて語るところが、めちゃくちゃよかった。許すとかではなく、自分は相手の男に嫉妬する。行動も体もベラの自由であるべきだからって内容。あれこそが愛だと思った。
女が奔放であることを、男が許すか許さないかなんて、そんなの決める権利はないの。それがわかってる男性に現実で会いたいわ。ほとんどいないの知ってるけど。
ゴッドが食事中?食事後に吐き出すあぶくはなんだったのだろうね。現実ではない世界の色彩と、とぼけた浮遊感のある音楽と、かわいい衣装と、魚眼レンズで丸く歪んだ世界…
映像のキッチュかつグロテスクなかわいらしさと、主張の現代的必然性と、42才女である自分にとっての共感とが合間って、傑作だと思いました。
本当に哀れなるものたちは、、
ベラ、何やってるの、、と思っている間に
ベラの成熟していく知能と勇敢さにハッとさせられ
エマ・ストーンが演じるベラの強く美しく
包容力までもを感じる表情の変化に感動した
我々が観ていたものが哀れなベラと
マッドサイエンティストたち、、ではなく
女性の人権を無視した哀れなものたちと
闘う強い女性、ベラであったことに気づく
バクスターとマックスの愛もしっかり感じる
同じ人間、男性女性、身分や階級、命や人生に
上も下もないことに気づかずにいる哀れなものたち
誰の許しなのども必要ない
娼婦になる過程が描かれているけれど
それを納得して生きる、それも1つの人生
そうせざるを得ない環境の人たちもいる
与えられた環境で知識と勇敢さを武器にして
自分の人生は生きるべきなのだ
そして、作品を観終わった後にわかる
この作品を少しでも性的な目線で楽しもうとして
観にきてしまった哀れなものたちに
顔面パンチを喰らわせた(初期のベラの挨拶)
皮肉な仕掛けにもじんわり感動した
少し怖い
ベラの成長日記を除いているような感覚。
少しアリスコンプレックスがあるようにも見えましたが、男性なら登場した男達の心情が少し理解できるのではないでしょうか。
私はベラを飼いたいと思った。
セックスシーン満載でしたが、意味のないシーンというよりは成長において必要な過程にも見えました。
それと、エマ・ストーンがこの映画に抜擢されてよかったと思いました。
セックスが見れてとかの話じゃないですよ…?
奇想天外なある女性の冒険譚に目を見張る。気になるところも。
妊婦としてじさつしたベラ、その胎児の脳を移植され蘇生…ありえない物語を、ありえない美しさのエマ・ストーンが迫真の演技で演じることと、あまりにも美しく独特な美術と映像により不思議なリアル感を持ち、最後まで引き込まれた。
まずはよかったところ。
とにかく衣装・芸術が素晴らしい。ドレスやフリル好きなわたしには垂涎もののアートでかわいいドレスたち。めちゃくちゃおしゃれ。ボトムがショートパンツだったり、他にもボレロを脱いだらノースリのフリルシャツとロングスカートで成立するリアルなコーデのかわいさもあり…最高。
R18、SEXシーンは多いけど、先入観のないベラのおかげか?どこかあっけらかんとした感じ。それよりグロはわたしはかなり無理なレベルでしたが、モノクロが多いのと、なんとなく来るぞ、とわかるので覚悟できた感じ。なので避けつつ見てました。動物に対しても割とひどいです(直接何かするシーンはないものの)
そして気になったというか、ひっかかったところ。
ペラが冒険の旅の途中、しばらく売春宿で売春をするというところ。
何も知らないベラなのだから、最初はそそのかされて紛れ込んでしまうのもわかる。でも続けますよね、醜悪で自己中な男客とのセックスを。女性の人生に性産業や性暴力が「女性の人生にはこういうことあるよねー」という感じで自然に組み込まれるのが苦手なんです。性産業の存在を否定するのではないし、それをそれとして描くならいいけど、「女性の人生において」そんな普遍的なものではないし、それなしでは成長できないなんてことはない。国立民俗博物館で「性差の日本史」展を観た時のことを思い出した。ジェンダーという観点から日本史を読み解くという興味深い展示だったのだが「女性史」の中に当たり前に遊郭についての展示が組み込まれていて、違和感を持った。もちろん遊郭が存在したことは女性にとっても無視できない史実であり、当時の風俗・文化としてわたしも興味がある。しかし「女性」の歴史として組み込まれていると「?」となる。ほとんどの女性は遊郭や売春とは無縁だったはずなのに?
今回の映画でも同じ思いを持った。
そして残念なのは結局ベラが愛あるセックスをする描写はないまま終わっていることと、最後まで結婚にこだわっていることだ。当初「管理者」側であったマックスが結婚相手であり、真実の愛であるのかも疑念が残る。結婚を否定するのも良くないけれど、ようやく本来の自由と知性を得て羽ばたけるはずのベラがやっぱり結婚を選ぶのはこのお話のエッセンスとしてはどうか?と思ったのも事実。
でも、誕生して男性からの束縛管理から解き放たれ、知性を得て、学問の道を選ぶに至り、その中で性への目覚め、妊娠、帝王切開、セックス、売春…と女性性に起こり得る様々な事柄を描きたかったのだとすればこれでよかったのかもですね。ならばやはり愛あるセックスをするベラも見たかった気持ち。
エマ・ストーンはもちろん、ウィレム・デフォー、マーク・ラファロたちの演技もものすごくて、ハルク大好きなのにラファロのこと嫌いになりそうなほど(笑)
ベラを「管理」するつもりだったバクスターもマックスもダンカンも、みんなベラにだし抜かれ自らを変化させざるを得なくなるのは本当に痛快。ときどき自慰すると話すおちゃめな老婦人もよかった。
こんな映画に巡り会えるとは
2時間40分の間に、赤ちゃん、好奇心旺盛な少女、男に弄ばれる女、娼婦、医学生を演じきるエマ・ストーンはやはり大した女優だと思う。エロイシーンにとやかくいう人もいるが、それがあればこそ、最後のシーンの意味が生きてくるような気がする。
それにしても、映像が綺麗だった。
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