哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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大人の寓話として
自殺した若い妊婦から胎児の脳を取り出し、その女性の脳と入れ替えて蘇生させるという医学的にはありえない始まり。何も知らない乳児から幼児、少女へと早いスピードで脳は成長する、若い女性の身体の中で。
少女が思春期になり性に興味を持つ様子をこの映画はあけすけに観せている。ひとりの女性が成長して社会のことを色々知る、ということと女性の歴史をリンクさせているところが面白い。ベラは娼婦にまでなるけれどもその聡明さと強さで立ち直る。
明らかに撮影所のセットであるとわかるように作られた街並みや、わかりやすいCGはこの物語がリアルな話ではなく寓話であることを観客に知らせている。SEXシーンが多くて引くぐらいだけれどもいやらしい感じがしない。動物の交尾を見ているような感じ。
ラストのオチは面白くカタルシスを感じる。
抜群に綺麗な映画だけど、恋人と見に行くのは2つの理由でやめた方がいいです
最初に恋人と…というか、一般的な良識に沿って作品を観る人と観に行かない方がいい理由を2つ挙げます。
映画を観終わった後、乾いた笑いが響いていたので警告です。
1.解剖された人間の描写がかなり出てくるということが挙げられます。人体にメスを入れて血が出てくる、取り出した脳みそを切り刻むくらいは普通の描写です。
2. 主人公の性描写がかなり多いです。たぶん8人くらいとの交わりがあると思います。物語の序盤は白痴の人に対してそれを行うという嫌悪感を催しかねないインモラルさもあります。
以下、私の感想です。
109プレミアムシネマで観てきましたが、絵と音が抜群に美しいので、それなりの映画館で観ることをお勧めします。本当に美しく、音楽もシーンにとことん合わせて色々なところから鳴るので、映像体験として大満足です。
話の内容ですが、開始2分くらいで出てくるゴッドウィン博士の顔でもう「ああ原案はフランケンシュタインなんだな…」ということがわかります。
さらにゴッドウィン博士が解剖学の権威であるところから、「19世紀の解剖学といったらジョン・ハンター的な、マッドサイエンティストなんだろうな」というのも想像がつきます。要は一般的な良識や倫理観は理解しているものの、研究のために無視するマッドサイエンティストです。
また、序盤で話される内容ですが、主人公であるベラは博士の実験として成人の女性に新生児の脳を移植されており、精神と肉体の年齢が一致していません。
この状態で世界を旅することになるため、19世紀当時のキリスト教的な良識というものが備わっておらず、結果として激しく性行為に耽り、売春で金銭を得ることに疑問も持ちません。
なお、精神と肉体の不一致という設定は映画全編を通して、ベラの成長と共に無くなっていきます。最初は幼児言葉しか喋れなかったベラは、自分の欲望だけでなく自分の意見を語るようになり、最終的に自分の意志を言葉に表す様になります。
この幼児の様な姿から、決断した女性への変化の演技がとても素晴らしく、本当に見守っている様な感覚になります。
さらに、この設定は映画のフィルタにも適用されており、ベラの成長と共に最初は白黒だった世界が鮮やかなファンタジーの世界となり、次いで鮮やかだけど現実味を帯びてきて、最終的に明るいリアルな映像になっています。
リスボンあたりはフィルターもヴィヴィッドで、乗り物も絵本のような形をしており、映画のカメラが彼女の精神世界を反映していることが強調されています。
この作品で唯一疑問なのは、人間を進歩させると宣言したベラが、肉体の元婚約者である将軍にヤギ?の脳みそをくっつけたところです。
最後の最後でベラとマックスとヤギっぽいキメラがアップになって「なんでヤギがアップやねん」と思っていましたが、まさかくっつけるとは…。
ベラにとっての人間の進歩とは、どうしようもない人間を変えるための回答とは、これなんでしょうか?
それとも山羊頭の悪魔のような人間だったけど草だけ食べてる無害な人間になったという向こうのジョークなんでしょうか…?
最後だけよく分からなかったのですが、全編通して本当に面白い作品でした。2/3時点で今年1番の映画です!
映像美
最近では珍しいズームイン・アウトや魚眼レンズも駆使した撮影に現実から少し離れた美しい街や家の美術、そして笑わないエマ・ストーンの冷たい美形。画面の美しさは特筆すべき。
筋としては、人造人間ベスのぼうけんを通してこちらの考えを耕してくれる。個人的にはバービーよりもこちらのほうがレベルがたかいとかんじた。
しかしラストのワンワンは見たくなかったし、焦点がボケる気がした。
映像饗宴、成長への冒険旅と変革が織り成す常識の破壊
ギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス監督によるファンタジーの映像が美しいです。豪華な衣装やセットも楽しめます。
科学者ゴドウィン・バクスター博士の幼少期における複雑な父親との関係が、主人公ベラへの愛情に反映されています。また、改革者である科学者自身の顔と体は、世間の目にどのように映っているかが皮肉混じりに描かれています。
ベラを中心に展開される男女関係は、従来の枠を打破し、逆転の魅力に満ちています。科学者と解剖医のスタート設定により、エロティックなシーンも知的に観られます。一方で、愛情を抱く婚約者との関係の表現仕方は計算高さが印象的です。
ベラの冒険旅で目にした奴隷層、貧富層の環境で生まれた赤ちゃんたちの世界観と、母親である年齢相応の富裕層の知的なマダム、そして娼婦たちを利用して生計を立てる老婆から学ぶ人生観。これらの要素がストーリーに組み込まれ、科学者である父親以外の視点からもベラの独特な世界観が形成されます。
成長の過程では未知への冒険心が欠かせない要素として描かれています。
隙のない完成度の高さ
前評判通り、難解かつエログロナンセンスなもので、思いっ切り観る人を選ぶ作品です。
無垢な主人公ベラがシュールな冒険を通じて一人の人間として成長し、自立して行く過程をやたら丁寧に描く、非常にシュールな映画でした。正に自分探しの旅。まぁ、探すにも他にやり方があるだろうと思いながらも納得するしかない自分がいました。
極端過ぎるものではあるけれども、女性の置かれた現状を敢えて歪んで表現することでリアルに描こうとしているように受け止めました。あらゆるものから自由になるのは難しい。
「時計仕掛けのオレンジ」が悪を描いているならば、本作は似た世界観で善を描いているような感想です。
無茶苦茶な世界観なのに彼女の成長がとても丁寧に描かれていて、やはり感銘を与える仕事は隙のないものなのだということを改めて思わされました。
とにかく映像表現が素晴らしいです。ベラの心の動きとリンクしてる。
受け取ったメッセージを一言で表現すれば、「本当の人生や本当の自分は、他人の価値観ではなく、自分の目で見て、自分で感じたものでなければ得られないものだ」ということでした。
最近、「かつての巨匠」が作る雑な映画が、その「雑さ」故にシュールに見えてうんざりすることが多かったのですが、本当の芸術は一瞬の才能の閃きによる奇跡か、積み重ねられた超人的緻密な努力かは分からないにせよ、隙のないものではなくてはならないのだと改めて思いました。
まだ結論は早いですが、近年ナンバーワンの作品です。面白いかと言われたら微妙ですが、とにかく圧倒されました。
生みの親を自分のように蘇生させなかったのは、ベラの優しさなのかな。
しかし、エマ・ストーン、こんな作品によく関わったよなぁ…。でも、この役に文字通り体当たりでぶつかった彼女に世界の矛盾と対峙する勇気を感じました。
すごい
・正直なところ、ストーリーの設定から美術から没入感は凄かった。ベラの変化と社会の関わりという印象でテーマとかが全くわからなかった。あそこの世界と現実とを繋げて考えられず、遠くの世界の話って感じで見たせいだろうか。ググったりしてたらフェミニズムらしくて、そうだったのか…といった感覚。娼館に神父や父親と息子二人とか。逆だったらダメだけど、男はそういうのいいんだよみたいなのがそういうことなのか。そう思って振り返るとなんだか考えさせられる。もう一度見る機会があったら、理解できるだろうか…エマ・ストーンはとても良かった。
・胎児の脳をその母親の死体に移植してどうなるかっていう話が驚いた。その成長速度がめざましくて、何となく成長を見守ったような気になった。やっぱ脳みそも大きくなっていったのかなぁとか思った。
・弁護士の執着と将軍の冷酷さとゴッドの顔と実験への姿勢のすさまじさの印象が強い。フェミニズムという話を踏まえて考えると確かにそういわれてみればという感じ。弁護士の醜態が所々でくすっと笑えた。そういえば三人とも外にでないようにと言っていた。弁護士に関しては会食の際にセリフは三つだと言っていた。あれは男の愚かな所有欲を揶揄してたんだ!と気づかなかった。男ってああいうもんだよな程度だった。自分の感受性のなさが切なくなった。
・豚とアヒルだったかの繋げてた生物の絵がおもしろかった。
・ベラが性行為をした瞬間、モノクロがカラーに変わって、そこから世界が一変した表現の感覚がすごいなぁと思った。あれは女性のほうがピンとくるんだろう。徐々に大人の体になってってという所をすっ飛ばして大人の女性にっていう感じが正直どんな感じなんだろう。ベラはとても感動していた。幸福を見つけた!っていう。それが何だか面白かった。どういう事かはわからないけど、気持ちいいから良いことだ!っていう事かと。
・ベラの行動がとにかく読めなかったのがよかった。結婚が決まっているのに公然と駆け落ちしていって、ひたすら熱烈ジャンプをしたかと思ったら船に乗せられた辺りから悲しみや理想を知って、急激に大人になっていって結婚式の時は将軍の家に行くっていうし。
ただ、高評価の作品だったので良さが理解できなかったことが切ない。
現代の大人達の、ためになる御伽話
人間の生き様を最大級のエンタメで魅せてくれる大傑作。最初から最後までオシャレ!キレイ!コスチュームが特に素敵で、背景も合わせて色合わせしている感じ。2時間超えの長編だけど、体感時間は45分くらい。赤ちゃんから成人女性まで演じきったエマストーンが凄いわけだけど、ウィレムデフォーに釘付けだった。あとマークラファロとエマストーンのダンスシーンが最高だった。あのシーンだけでもまた見たい。ヤギ男で終わる最後もシュールで面白い。最高。
自由で自立したお伽噺的女性を描く映画
エマ・ストーンの演技力が凄まじかった、幼児、思春期、成年期を一人の女性が演じ分ける力の凄さだけでも一見の価値あり
ただし、作品テーマのため、裸、セックス等の性的シーンが多いため、苦手な方は要注意、不快感で後味が悪くなる。
他の魅力としては、主人公の服が、前衛的なオサレドレスで、衣装が変わる度に、その美しさで目を楽しませてくれる。アート、ファッション好きにも◯
これも作品テーマのため、解剖シーンも頻繁にでてくるので、グロ系苦手な方も避けたほうがいいかも。
この映画のテーマは自由で自立したお伽噺的女性を描くことで、女性の自由や自立とは何か提示しているのだろうが、見る人によって、その提示に対する評価は大きく異なると感じた。
また、作品の素材としては、アルジャーノンに花束を的なものであり、既視感かあるが、それらを吹き飛ばすほどの、エマ・ストーンの演技力が見どころに結局尽きる。
自由への成長
とんでもなくクレイジーな映画だが、物語が進むほどに観るものを深淵に誘っていくような重厚感をまとった作品でもある。
まずベラの誕生が衝撃的だ。
冒頭で彼女は橋の上から身を投げるのだが、天才外科医のゴッドウィンによって彼女が身籠っていた胎児の脳を移植され蘇生する。
身体は成人だが心は生まれたままの状態であり、生前の記憶は一切ない。
ゴッドウィンの助手を務めるマックスは彼女の美貌に一目惚れし、やがて結婚を申し込む。
ベラの成長速度は凄まじいものがあるが、彼女は自分の欲求にとても忠実だ。
特に性欲に目覚めた彼女の行動はストレートだ。
ゴッドウィンはそんな純心でもあるベラを守るために、彼女を家の中に閉じ込めている。
しかし彼女は外の自由な世界を見てみたいという衝動を抑えられなくなる。
そして彼女の前に放蕩者であるダンカンという弁護士が現れ、彼の魅力に惹かれたベラはマックスの制止を振り切って駆け落ちをしてしまう。
ダンカンに誘われてベラはリスボンやパリといったヨーロッパの町を冒険していく。
最初は行く先々で自由奔放に振る舞うベラ。
彼女には社交的なルールなど通用しない。
しかし彼女はダンカンを振り回しながらも、様々な経験を通して急成長を遂げる。
初めは奇抜な世界観は面白いものの、この作品は何を語りたいのだろうかと考えさせられた。
彼女が船上でマルサという老婦人と彼女に付き従うハリーという青年に出会ったあたりから、これは純心なベラの姿を通して描かれる人間の愚かさの物語なのだと考えさせられた。
まだ心が子供のままのベラは、人間の様々な機微を察することが出来ずに浮いてしまっている存在だ。
しかし彼女が知識を蓄え、様々な視点で物事を捉えられるようになってからも、彼女の存在は相変わらず浮いたままだ。
そして気付かされる。
おかしいのは彼女ではなく、他の人間たちなのではないかと。
彼女は飢えのために死を待つだけの貧しい人たちの姿を見てショックを受け、彼らに施しをしようとする。
しかし彼女の真心は悪意ある者によって踏みにじられる。
そしてベラに有り金全部を持っていかれたダンカンは、真冬のパリの町で彼女を口汚く罵る。
ベラは自分の力で生きていくために娼婦として稼ぐことを決める。
最初は遊びのつもりでベラを連れ出したダンカンが、完全に彼女の虜になってしまうのも滑稽だ。
これは女性をあたかも自分の所有物であるかのように傲慢に振る舞う男たちの醜さを描いた物語でもある。
ダンカンは自分の意にそぐわないベラを最後は憎しみの目で見るようになる。
自分の知的好奇心を満たすためにベラを生み出したゴッドウィンもまた傲慢な存在だ。
しかしゴッドウィンがいなければベラの自我が芽生えなかったことも確かだ。
そしてベラは最終的には完全にゴッドウィンの手を離れ、自立した女性として生きていく。
ベラの誕生はかなり現実離れしたものではあるものの、彼女の生き方は人間の本質を表しているのではないかと思った。
人は誰もが自由であり、誰かの所有物ではない。
そしてお互いをリスペクトし合うことで人間関係は育まれていくべきものだ。
悪夢のようでもあり、コメディのようでもあり、ファンタジーのようでもある。
ゴッドウィンの屋敷を走り回る胴体と頭がちぐはぐでグロテスクな動物たちの存在も強烈だった。
コ、コ、コ、コメディ?!?!
邦題「哀れなるものたち」ってちょっと重くない?
私的には原題の「POOR THINGS」の方がしっくり来た。
公開から少し経ったからか、観客が少なかったので定かではないが。。
私だけずっとクスクスしていた気がして自分の感性を疑った('◉⌓◉’)
へへへ( ̄∇ ̄)
さてさて。
本作についてまずビジュアル面での見所が多い事について触れたい♪
美術や音楽が魅力的で、目も耳も喜んだ!
私が特に目を奪われたのが衣装!
衣装デザイナーのホリー・ワディントンの仕事っぷりがお見事です!
アカデミー賞・衣装デザイナー賞ノミネートも納得!
大げさな程のパフスリーブのショートジャケット、床掃除しまくりの超ロングドレス、ゴージャスなフリンジの付け襟?ケープ?が最高に可愛い。
冒頭のブルーのドレスの青!イエローのミニボトムの黄色!何とも言えぬ美しさ!
その色彩の豊かさ、全てのルックをカラーで見たくなった。
豪華なレースやフリルをふんだんにあしらった数々の衣装!
まるでハイブランドのランウェイを見ているかの様でワクワクした。
男性陣も抜かりなく、中でもゴッドウィンの帽子とコートがレバー色?臓器色?なのがイカしてた٩( ᐛ )و
かなり感激!興奮しました。
そして音楽の使い方も、その時々のベラの心を内を代弁しているかの様で効果的だった。
あのダンスシーンも怒りの感情だけでなく、優雅で不気味で楽しくて激しくて甘くて恐ろしいBGMがとてもマッチしていた。
今後語り継がれる名シーンになるだろう。
冒頭モノクロから始まり、ベラの成長を通して徐々にカラーになっていく演出も奥深〜い!
ベラの世界が広がっていき色付いていく事とシンクロしていて素敵だった。
時折り挟まれる魚眼レンズを通して、世界を歪んで見ているのは誰?と問われている気さえした。
ヴィジュアル面でもかなりのインパクトがあったが、お話しもぶっ飛んでいた。
青いドレスの女性(ヴィクトリア)の人生の終わりから始まる物語。
と、同時に新たな命《ベラ》が始まる物語でもあった。
ヴィクトリアのお腹の傷と共に、ヴィクトリアの人生はベラによって生き直される。
「体は大人、頭脳はベイビー」
無敵ベラちゃん(エマ・ストーン)
その成長過程において「なになに期」
「なぜなぜ期」が訪れる。
(私も子育てで頭を悩ませた)
これは何?あれは何?
なんでなんで?どうしてどうして?
どうして外に出てはいけないの?
なんで性は恥ずかしいの?
結婚って何?
生まれた時から隔離され、社会の異端のベラ。一般的な価値観という概念が無い無垢なベラ。
既存のルールに対する疑問が湧き上がる。
そして、自分で考え純粋に
「こっちの方が良いのでは??」と提案する。
何にも囚われていないベラだからこそ、偏見や差別など無しに行動して行く様が危なっかしいのだが、爽快でもある。
そして「なになぜ期」は型にはまった人間
(私)にとっては実に面倒臭く、時に鬱陶しい。
本作でもベラの問いに「そういうものだから」「ルールだから」と答えベラを型にはめようとする男たち。
男たちの都合よく解釈されたその
「世界のルール」を押し付ける。
男たちはベラを型に押し込めようとするのに、そこから飛び出しているベラに惹かれて行くのも滑稽だ。
ダンカン(マーク・ラファロ)が
最高ww
「なになぜ期」を経て「自分でやってみたい期」のベラは更にパワーアップして正に体も頭も全部使って冒険を続ける。
そこで、男女や貧富の差、偏見、慈愛、束縛、支配、幸せ、解放、様々な事を体験する。
偏見から解き放たれたベラは解放の喜びを知り驚く程に成長していく。
ベラの善意から無一文になった2人はパリに辿り着く。
「良識なんて知るか!」と豪語していたモテ弁護士ダンカンは何も出来ず文句と泣き言ばかりなのに対し、ベラは逞しい。
敢えて批判を恐れずに書こう。
(いや、やっぱり。ゆきはおそれている)
ベラはお金を得るために売春宿で働く。女って。。。すごいな。。って思いました。
男だったらあの状況下でこんなにスムーズにお金を得る手段はあるだろうか。。
しかし、気に食わないダンカンはベラに屈辱的な言葉をぶつける。
「自分で働いて、稼いでいるのよ」
ぐぅの音も出ねぇ〜(°▽°)
正論だ。誰も何か言う権利はないのだ。
雪玉を投げるしか出来ないダンカン。。
チーーーン(°▽°)(°▽°)
そしてベラはゴッドウィンの元へ。
自分の生まれた意味を知り、そのアイデンティティを受け入れる。
(ヴィクトリア)
それが出来たのはゴッドウィン(ウィレム・デフォー)の愛が伝わったからだと思った。
色々アウトなのは確かだが、結局父性に溢れていたんだと思った。
ウィレム・デフォーはその存在がもう実在するゴッドウィンだった!
ずっとベラを心配しながら待っていた、婚約者なのかも不安だったマックス(ラミー・ユセフ)ww
彼の大きな愛は、どんなベラでも受け入れる覚悟を見せた。
きっとベラは本当にマックスを愛する事になるんじゃないかな〜と思った。
ラストは皆んな幸せそうで(アルフィー(クリストファー・アボット)もあの方がきっと幸せw)で、ハッピーエンドかな??
とは言え、
ベラを通して自分の欲求を満たしたい
4人の男(andハリー)
(ジェロッド・カーマイケル)
哀れなるものたちは男だね( ̄∇ ̄)
久々にかなりのインパクトがある新作でした。多くのメッセージが見てとれ風刺も効いていた。
エマちゃんのセックスシーン多い問題は、私は気になりませんでした(^。^)
だってそここそがかなりのテーマ性を含んでいますもん。
船上で出会ったご婦人
(ハンナ・シグラ)存在が神!
私も彼女の様な、成熟した大人の人間になれる歳の重ね方をしていきたいな〜と思いました
٩( ᐛ )و
確実に。映画館で観るべき作品です。
3〜4日病みました
芸術性とエマストーンの怪演はおそらく誰が観てもほぼ文句無し。だからと言って素晴らしいかというと、細かく考察すればするほど胸焼けして陰鬱になる作品。
リビドー→自我の目覚め→人格形成は誰もがゆっくりと通ってきたはずの道。
ベラは短期間で急速に大人になる必要があったから、むき出しで勢いがあるけど非常に未成熟且つ不安定な状態で、結局社会主義のフェミニストに収まってしまったのが残念。自由を賛美しながら安全地帯に戻り、他者とヤギの自由は奪ってしまうんだから。
女性の権利と自由の獲得という観点だけで言えばひと時代前の今さらなテーマだけど、お金をかけてメジャーなファッション作品に仕上げてアカデミーまで押し上げたようなパッケージ。
幼児から大人に変化していく過程をエマストーンの演技に頼らずもう少し丁寧に描いてもよかったのではないか。ベラを魅力的に見せたいのか、浅薄なフェミニストとして哀れなるものに見せたいのかよくわからなかった。
あとエログロ好きだけど、これは脳内が汚染されました。どうしてくれるんだ!( ´Д`)と怒りの気持ちw
選りすぐりのキ◯メンAVシーンの数々、日本だとこの手のAVあるけどあちらでは無いのかな?敢えてえげつない描写して、どうだキショいやろ!すごいやろ!と言わんばかりの奇をてらった演出に見えた。いや、そのシーンいる?ベラの世界観を理解するには、相手の男の姿はややぼやかすくらいの方がリアルになった気がする。
やっぱりミニシアター系B級実験エログロホラー、この辺りはチープ感があるくらいがちょうどいいとつくづく思った。本気の描写はひたすら気持ち悪い。
この映画を観て、風刺と捉える人と人間讃歌と捉える人がいるようだが、観ている側の自我やイデオロギーを浮き彫りにして認識させるような作品だった。素晴らしい芸術的な映画が観られると期待したけど、自分にはあまりにも価値観が合わなすぎた。
数日考察してたら具合が悪くなったので、ビジュアル的思想的にいろいろ気持ち悪い部分は完無視して、話題の美術展にでも行ってきたくらいのテンションにしてもう忘れたいです。
独創的な世界観に圧倒
主人公のベラは妊婦であったが、橋から身を投げ自殺をするという選択をするのだが、たまたま浮き上がってきた遺体を天才外科医のバクスターによって発見、生まれるべきだった赤子の脳をベラに移植することにより、ベラは奇跡的に蘇生する。
が、身体は大人であれど中身は赤子のために見た目とは裏腹に、大人げないと思われる言動や行動が暫し見られるものの覚える内容は格段に増えていくに連れ、放蕩者の弁護士の誘いを受け、世界旅行の旅に出掛ける。
リスボンではじめてのエッグタルトに感動、アレクサンドラで貧困層の子供達の死を目の当たりにし、パリで娼婦として稼ぎ始める。バクスターの死を目前にしていることを知り、ベラはロンドンへ帰国し晴れて婚約者の外科医と結婚式を挙げるのだが、そこにかつての夫が現れてしまう…。
最初から最後まで、哀れなるものたちのタイトルの意味がわかるぐらい、哀れだなあと思うキャストの連続で、ベラを自殺に追いやった夫も哀れなるものたちの仲間入りを果たすのだが、ベラは記憶を取り戻したことにより改めて復讐を果たしたのだろう。
独創的な世界観も非常に面白く、最後まで見ていて飽きなかった。
「抑圧からの解放と世の変革」を夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー ・・・その後味は最悪!!
19世紀末ヴィクトリア朝時代を舞台としたメアリ・シェリー風SFゴシックロマン?(ま、要するにスチームパンクね)を予感させる冒頭のモノクロシーン。ヴィクトリア朝とくれば「歪なまでに極端に性を抑圧した時代」という認識は私たち日本人にはやや馴染みがうすいかな。何せ、むきだしのままでは余りにセクシュアルだからという理由で椅子やピアノの足にカバーを付けたという時代です。
そんな時代を舞台設定に、母として・妻としての役割に囚われる抑圧から自死という形で解放されようとした女性ヴィクトリア(なるほどヴィクトリアね)が、マッドサイエンティストの手に掛かりベラとして転生、外の世界での様々な経験を経ながら真の解放と世の改革に突き進むことを志す、ざっくり言えばそんなストーリー。
馬鹿な男どもと、あの時代の社会通念の閉塞性を蹴散らしながらのストーリー展開は主演エマ・ストーンの力演、怪演に見事な映像美も相まって爽快、痛快、奇想天外・・・
・・・のはずなのに・・・何だろう、どこか拍手喝采できない感じが付きまとう。
もちろん私も「馬鹿な男」の一人であるが故の居心地の悪さ、気まずさはあります。
けれどそれ以上に私の胸にザワザワしたものをもたらす科学を至上とするストーリー基調。幼いゴッドが父から受けた数々の「実験行為」、それを経て尚も父と同じ道を行くゴッド。無垢な時代のベラも、ゴッドに倣うあまり、死体を刻むことを「学んで」いく・・・更に、ベラは己の転生の秘密を知って尚、最後にはそれをもたらした医学(科学)を我が進む道としてしまう。
そして、ヴィクトリアの夫が現れてからの終盤の展開・・・
はい、ここではっきりしました。僕がこの映画を決定的に相いれないものと思ってしまったワケ。
二人の対決シーン。
傷を負った夫を助けたいとベラが言って、思わせぶりにヤギが映る。
ここで一瞬ですよ、一瞬、僕の心にふと傷ついた夫にヤギの体を与える予感がしたのです。
この男のエキセントリックな性格は、彼自身が本当の愛を受けずに育ったからじゃないか・・・
このサイコパスな男は、実は愛に渇望しているんじゃないか。
だったら、ベラ、彼にはヤギの体を与えて、その無力な動物を愛してやったら・・・
ヴィクトリアが捨てたはずの「母性」で、いや、それ以上に大きな、大げさに言えば「人類愛」のようなもので彼を赦してやったら・・・
やっと安心したように身を寄せてくるヤギの体を優しく撫でてやるベラ・・・
ほんの一瞬、そんな展開を夢見たのです。
甘かった・・・
エンディングで、勝ち誇ったように、美しい庭園でお茶をしながら医学書を読む主人公の傍らに、社会主義に世の変革を展望するあの黒人少女が、そして庭では前夫の体をしたヤギが草を食み・・・。
ベラ、あなたの夫への行いは・・・
転生前の自分への因縁を断ち切る意味で必要だったのかもしれない。それだけの報いを受けるべきゲス野郎かもしれない。けれど・・・ヤギに夫の脳を移植するのではない、夫の体にヤギの脳を移植するというあの仕打ち。科学(医学)のために、死者の蘇生と並んで医術者にとって最大のタブーであるはずの脳の移植にさえ手を付ける。そこに医術の「パンドラの箱」を開けることへの躊躇、葛藤は全く描かれない。
ベラ、あなたは医学の道に進む決心をしたんだよね。あなたはその前にスピノザも読んでいなかった?(僕の見間違いならごめんなさい。一瞬彼女が「エティカ」を読んでいるシーンがあったようなんだけど・・・)
そんなあなたが夫に対して行った行為は、科学でも医術でも「救済」でもない!ただの「復讐」です!!
僕がここまでベラに対して反感を覚えるのは・・・そう数日前、テレビのNewsで、あの
京アニ放火犯の青〇被告の治療に当たったドクターの言葉に胸を打たれたこともあるかな。
「(死刑判決が出た被告には)自分の罪に向き合ってほしかった。どれほど多くの人の命を奪った憎むべき罪を犯した人であれ、医師として治療をしないという選択は私には全くなかった」
感情に流されず、人種、貧困差、宗教の違い・・・あらゆるものに偏見を持たず、ただ目の前で苦しむ命を救うことのみに全力を尽くす、それが医学の道の唯一の真理じゃないの、ベラ?
「哀れなるものたち」鑑賞後のこの後味の悪さ・・・ああ、これに似た後味の映画を思い出しちまった。ブラピ&フリーマンの「セブン」・・・あのラスト、何の救いもない、ただ猟奇殺人犯が勝利しただけのラスト・・・ 「哀れなるものたち」のラストは、或いはそれ以上の嫌悪感をベラに対して抱かせてしまう。
ひょっとしてここまでグロテスクな描写をすることで(それでもどこかに、夫の脳を宿した生物がいるのではと、一応最後の庭園シーンを見つめたんだけど、それらしいものが見つけられなかった・・・)、この主人公にさえ反発を覚えるように、主人公を含めそこにいるすべての者たちを「哀れなるもの」と見下ろす絶望的な視点でこの監督はこの映画を締めくくろうとしているのかしら。もしそれが監督の意図なら、はい、正直にそれを受け入れましょう。
これは、「科学の発展と社会主義」に「抑圧からの解放と世の変革」を無邪気に夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー。けれど僕は今日、既に、科学技術の発展と社会主義による枠組みがもたらした新たな抑圧された世界を見てしまっている。
医術で「報復」したベラ、あなたの突き進む先には、次の世紀には、「報復」が「報復」を呼ぶ世界が待っている・・・。(今日、様々な国の指導者が「報復」を口にするニュースを何度見せられるんだろう・・・)
この後味の悪さ、2度目に見たら更に苦いものになりそう。だから再鑑賞はないかな。
(スケール感も、ストーリーの派手さも段違いなれど、性のリミッターを外して自らを開放するのに猪突猛進な女性を描いている点でふと似通ったニュアンスを覚えた「春画先生」、こっちの方によっぽど愛おしさを感じてしまう自分って・・・うーんただのキタカナ推し?)
・・・とまあ、総括的にこの映画のネガティブな感想をのべましたが、前時代的な小タイトルをつけた幕間で区切られた各エピソードの中には、ちょっとお気に入りのものも。
それは、あのマーサとハリーの船上エピソード。このカップル、いいですねえ。
性別と、年齢差と、人種の違い、全てを軽々と乗り越えてるこの二人の佇まい。
何度ダンカンに本を捨てられてもスッと次の本を差し出すマーサは「常に学び続けなさい」と教えてくれる、本だけでは世の中は変わらないというシニカルなハリーはそれでも世の中の矛盾、現状から決して目はそらさない。やや超越的な存在として描かれてはいるけれど、「常に学び続けなさい、そして世の中から目をそらさないで」という二人そろってのメッセージが何だかとても胸にきました。(PerfectDaysの平山さんへの当てつけみたいでごめんね)
あと、この監督がこの映画で見せたSFゴシック風の映像センス・・・
ふと、PynchonのGravity’s RainbowやMason & Dixonを映像化させてみたい、と思っちまったよ。
ゴッド医師の大きな愛
始まりはモノクロ、いつの間にかカラフルな色彩を帯びた世界になっているのは、ベラの脳内世界の反映なのだろう。
美術や衣装が独特で、グロさもエロも相当なものなのでそちらに目を奪われるが、内容は割りとシンプル。
男性優位社会で、女性に求められる社会的態度を一切知らず、破竹の勢いで内面を成長させていく女性が、「オンナは男の所有物」と考える男たちを知らず知らずに破滅に追い込む、ある意味痛快なお話。
ベラには「社会性」がないが、それが故に卑屈になったり他人を羨んだり陥れたりという、周囲から身を守るために身につける様々な処世術や感情がない。女性のみに期待される態度なんて知りようがない。
余計な思慮がない分考えと行動が合理的でストレートなので、お金がなければ稼げば良い。そこで娼婦をするが卑屈じゃないので悲惨さもなく、「仕事」として積極的にカイゼンを提案したりで、むしろ気高い感じがする。
彼女がまっすぐに育ったのは、ゴドウィン医師の育て方にあるだろう。
医師は自身、毒親(というよりキチ親)の科学的(医学的?)興味の実験台にされ凄惨な虐待を受けてきたが、彼はそれを虐待と思っていないようだ。父に恨みを抱いているわけでもなく、事実として淡々と受け入れている。医師自身の興味も行動も異様だが、純粋に科学的・医学的興味からのもので、ヒトとしての性質は全然歪んでいない。(もしかするとヒトらしく負の感情を持つ機会もない育ち方だったかも。)
なのでベラを、どろどろした感情のはけ口ではなく、純粋に科学的興味から蘇生させて育てており、彼女の成長の過程を、できる限り抑圧を排除し彼女が自ら育つままにして、目を細めて見守っている。明らかにヤバい男と出ていこうとするのを敢えて止めないのも、彼女の意志を尊重するから。
これは愛だ。彼は気づいていないだろうが。
二代目クリーチャーに素っ気なくするのも、彼女に思い入れないようにしたいから、というゴッド医師が、何だか可愛そう。
リスボンのあたりまで退屈で早く終わらないかと思っていたが、船の上でマーサ、ハリーと親密になるあたりから盛り返した。ただし、やっぱり長い。
エマ・ストーンの潔い脱ぎっぷり、それどころか組みっぷりが凄い。これだけ経験したらベラの冒険心も満足したんじゃないかと思う。間違いなく18禁です。
マーサは、ハンナ・シグラだったか!
ベラを「創った」天才医師ゴドウィンはマッド・サイエンティストかもだが、大きな愛で彼女を包み、ゴッドの助手でベラの婚約者マックスも、彼女を自身の所有物にする気がなくヒトとして彼女を愛している。彼に目をつけたゴッドは慧眼だ。
幸せの決め手は「愛」だと思った。
時々出てくる、魚眼レンズの目を通してみたようなショットは何なのだろう。
もしかして神(ゴッド)の目!?
Stay foolish
アカデミー賞最有力候補という売り込みで日本に早めに来てくれたので鑑賞。でかいスクリーンで観れたのは良い収穫でした。
かなり人を選ぶ作品だなと思いました。面白いところと置いてけぼりにされるところがあり、トータルでは面白かったなぁって感じになりました。
入水自殺をした女性の脳と胎児の脳を入れ替えて、逆コナン君状態になってしまったベラの成長物語だなぁと最初は思っていましたが、成長を超える形成の物語になっていたのには驚かされました。
初っ端キメラ動物が出てきて、この手の動物が好きな自分としてはテンションが上がりました。犬鶏ってあんな不気味なんだ…。
刺激的な性描写ということで、結構激しめなプレイが多いのかなと思いましたが、刺激的っちゃ刺激的ですがなぜか笑えるものになっていたのが不思議でした。性行為を何も知らない状態でベラが全て体験していくので、超楽しそうにプレイをしていく様子が面白かったです。
傲慢な男性がよく出てきますが、それと対比して誠実な男性も出てくるので、そこのバランスがちょうど良く、男性の悪ばかり描く作品や製作陣たちへの皮肉だなぁとニヤッとしてしまいました。
偏見など何も知らずに育てられて、親の手を離れて真っ白な状態から色付けされて、それが綺麗な色でもあり、汚い色にもなる、そうやって自分の個性が生まれていくというありそうであまり観たことなかった0から1の成長して主体性を掴むという終わり方まで痺れさせられました。
脳内は赤ん坊、体は大人の女性という漫画的設定の難役をやり切ったエマ・ストーンは素晴らしすぎました。
不器用な歩き方やワガママな素振り、感情の制御が効かずに暴れ回る様子にゾクゾクさせられますし、初体験を脳が子供の状態で知るという前代未聞なシーンもこれでもかってくらい演じられていましたし、そこからアクセル全開で体験していく様子は爆笑もんでした。成長して脳が体に追いついてからの立ち振る舞いは前半に観ていた人と同じなのかってくらい演技が違うものだったので、度肝を抜かれました。
まだ公開されてない作品もあるので大きな声では言えませんが、今年のアカデミー賞の主演女優賞はエマ・ストーンに取ってほしいなと思いました。
マーク・ラファロは子供の脳のベラと成長したベラにとんでもないぐらい振り回されるこれまた難役をSEX交え見事にやり切っていました。この方の慌てふためく様子はキャラクターの傲慢さも相まって痛快でした。
服装のバリエーションの豊富さだったり、建物のレトロな雰囲気だったり、空の不思議な明るさだったりと、キャラクター以外にも色々と目に入るものが多かったので、そのシーンがあるたびにワクワクしていた自分がいました。
画面内の情報量は半端じゃなく、その世界観や美術に見惚れながら2時間半あっという間に過ぎ去っていきました。2回目観て考察を深めるというのも面白そうだなと思いました。
苦手かもなと思っていたところに、皮肉たっぷり独創性満載の作品に仕上がっていて面白かったです。監督の次回作にも期待したいです。
鑑賞日 1/27
鑑賞時間 12:40〜15:15
座席 R-35
実はクリの話である
大人の体を手に入れた赤子の成長を通じて特に女性解放を描いた映画、などと言われる。
この、女性解放がテーマだとかいうのは実はフェイクだと思う。
見続けるにつれ当初期待していた内容からは外れていくので、多くの人は頭が混乱してしまうんだと思うけど、実は見方を変えれば単純な話になっている。
食卓で卓上のフルーツを膣に入れて幸せを手に入れるシーン。
その後ダンカンの最高の性技で熱烈ジャンプの虜になるシーン。
売春宿で3回擦っただけでイってしまうダンディ。
熱烈ジャンプのダンカンが会いに来ても何の興味も示さないシーン
同僚の黒人娼婦にclitorisをなめられてくつろぐシーン。
clitorisを切除しようとした将軍にブチ切れてヤギにするシーン。
黒人娼婦を呼び寄せて暮らすシーン。
これらからわかることは、ベラが最も大切にしているのはclitorisであること。
clitorisこそ女性の象徴であり最も気持ちよくなれるものと位置付けていて、penisには興味を失っているようだ。
ベラはナカ派からクリ派へと転向したということなんだろう。
もしかするとやっとの思いで結婚したマックスだが、内もものやわらかを見ていない可能性すらある。
clitorisをひたすらに称賛するこの特殊なテーマの本作、果たしてどれほどの女性の共感を得られているのだろうか。
アンモラルな始まりでも
Poor Things
自分が世界を見せてあげると言って、実際に影響を受けて変わると、ある人は自分の手から離れていくのに耐えられないと咽ぶ。大人の身体に子供の脳という設定が、(振り回す立場としても)絶妙なのだろう。
世界では生活困窮者は熱射を前にして、理性を失い子供も虐待する。使用人たちは銃口の脅しに逆らえず、弄り芸の演者を続ける。
傍観していても、その立場に成り代わったなら加害者でも被害者でも、そのまま自分を当てはめる他ないと。それに対して、アンモラルな出生でも、生命自体は魅力的だと。人の可能性を檻に閉じ込めないよう、進歩できるかどうかを問うている
「生々しい描写」は もう少し控えめにしてほしいと思いました。
予告編で魚に乗っている女性の映像や
ミニチュアっぽい特撮映像を見て
テリー・ギリアム監督作の映像に似た雰囲気があったので
面白いかも・・・と期待して
「哀れなるものたち」
字幕版を鑑賞してきました。
以下ネタバレ
テリー・ギリアム監督作の映画で表現される、
空想と現実の対比描写や
特撮映像の雰囲気を期待しましたが
「哀れなるものたち」の予告編で見た
魚に乗る女性は
チャプターのイメージ動画なだけだったり、
ミニチュアっぽい特撮映像は
テリー・ギリアム監督作というよりは
ウェス・アンダーソン監督作の
お洒落模型表現のパクリっぽい印象でした。
そして
空想と現実の対比はなく、
虚構雰囲気を漂わせた背景美術演出で
マッドサイエンティストの謎技術がつくりだした生命体の
生々しい現実を表現した映画だったのが残念でした。
また広角レンズの使い方が下手だなとも思いました。
マッドサイエンティストの
不思議な謎の電気機械と
内容・正体などがはっきりわからない説明イラストで
雰囲気演出された謎の外科技法は
面白みが少なく、
生々しい描写でリアリティ感を強引に
押しつけてくるので
「謎技術」と「生々しい描写」の組み合わせの
雑な設定のためか
フィクションとして楽しめませんでした。
教育などによって整えられたりせず
自然のままの状態で育った「野生」的な
女性の主役の「生々しい描写」も
やりすぎで、下品な印象が強く、
大きなスクリーンで見せられてもな・・・
と思いました。
衣装デザインや船のデザインは
大きなスクリーンならではのディテール情報が
楽しかったので
そのぶん
「野生」的な女性の主役の「生々しい描写」は
もう少し控えめにしてほしいと思いました。
ラスボス的な将軍を
「謎技術」で山羊にしたラストは
山羊の虐待だったので
後味わるいなと思いました。
西洋美術の絵画などで表現される
残酷描写に抵抗がない層向けの
映画という印象の作品でした。
これがアカデミー賞候補?
人の物差しは、人それぞれですが、私には全くマッチしませんでした。エマ・ストーンの演技は良かったのですが、作品としては理解できません。異種間の動物がでてきたり、最後は山羊人間がでてきたりして。←これらを登場させる意図が理解できませんでした。
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