哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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カオスからコスモス?へ
ニュアンスが合っているか、この表現が合っているのか分からないし仰々し過ぎる気もするが、取り敢えず全体を通してカオス(混沌)からコスモス(秩序)へ段々と散らばったものが収縮していくという印象を受けた。もっとシンプルに入口が広くて出口は狭い、みたいな漏斗のような雰囲気に近いかも笑
冒頭から映像表現が素晴らしく、色使いや構図、撮影方法、カメラの動きなどあらゆるシーンに工夫が合って素晴らしかった。
ただし前半は正直とにかくシュールで、ついて行けそうにないな。うん。といった感じで観ていた。トップ女優がシュールで芸術的な映画の為に身体を張ってます的なやつか。と早速結論づけてしまいそうだった。
後から思うとわざとか?と思ったが、ベラがダンカンと旅に出てモノクロからカラーになった後から急激に話が入ってくるようになり、面白くなってくる。
街を探検し色々なものを観て、「体験」し、「成長」していくベラ。ダンカンに指導を受けながら、失敗しながら外の世界との関わりを覚えていく。
そして船に乗ったあたりから一気に思想的な成長を遂げ、さらに貧困を知り、世の中は本の中の理想だけではない現実も知ることになる。
パリに放流され、娼館で働き様々な男女と関わり、金を手にして文化や医学にも触れ、気がつけばどうだろう。あれほど散らばっていたものが一つの、しかも綺麗な球体として完成されていた。
あれ?なんかこの映画実はめちゃくちゃまとまってるじゃん。と理解できると諸手を挙げて「凄い映画だ。」と感じることができた。
気になった点。ベラの正体というか仕掛けは確かに面白い。が、無垢な状態の女性主人公が歩んでいく道筋としては、性への目覚めや、男から(ダンカン)の扱われ方やレストランでのはしたない事を言ったりするコメディ?や金が必要で娼館で働くなど、大方予想できるラインでやや面白味には欠ける。
終盤のある種「気高さ」のある彼女へ至る為にはその対比として必要な部分だったのかもしれないが。
あと自身の正体とそれを作ったゴドウィン(博士 フランケン)に対し「流石にそれは許せない」と言っていた彼女が、元夫の脳をヤギにしてしまったのは、ちょっとよく分からない。結局彼女もその許せないゴドウィンの様なマッドサイエンティストになってしまっているのはどうなのかな?元夫は確かにクズたけど。
ややツッコミたい所も感じるが、いずれにしても評価せざるを得ないという出来だったと思う。
ベラ・バクスターの知(痴)的な大冒険
通常スクリーンで鑑賞(字幕)。
独創的な世界観でした。混乱と感動で感想が素直にまとまりません。こんな映画体験初めて。何から書けば良いのやら…
好き嫌いが分かれそうな独創的な世界観に夢中になっている内に、142分があっと云う間に過ぎてしまいました。
エマ・ストーンの演技がすごい。世界を知ったベラの成長を演じ切った演技の引き出しの多さに敬服しっぱなし。
ウィレム・デフォーの怪人的存在感も圧倒的だし、マーク・ラファロの狂愛も哀れで滑稽で仕方ありませんでした。
自由を求めて好奇心いっぱいに知(痴)的な冒険を繰り広げるベラと共に、世界に溢れる自由と束縛を考えさせられる。
自身の解放をコミカル且つセクシャルに謳い上げる手法は実験的であり、興味深い描写に満ちていて魅せられました。
ヨルゴス・ランティモス監督の作品は後味が悪いイメージしかなく、実際そう云う結末が多いですが本作は終始、陽性。
観ていて楽しく痛快で、最高の映画体験でした。
誇り高き選択
めちゃめちゃ良かった!劇場で観るべき作品。
衣装がいちいち良いし、美術も凝っていて何度も見たくなる。幻想的な音楽に物語の運びもよくあっていた。
そしてエマストーンの顔が何より良い!
宇多丸氏の評で、氏の妻が何度見ても泣けるといっていたベラがお客と話す時のあの素の笑顔、私もあのアップになった表情にグッときた。気持ちすごくわかる!
ラストこうなりました、っていうシーンもすごく好みだった。あの四つん這いのアレとか笑ってしまうよね。ベラが最後にここを選んだことも、最初からベラを観てきた観客として、ベラらしい誇り高き選択!とおもった。マックスはベラを人として大切にしてることが他の男との対比で伝わってくる。許すとかじゃなくて嫉妬するという気持ちを持ってることを話したり、体を心配したり。それを美しい森の中で歩きながら話す様子も美しかった。
真実は人それぞれ
エマ・ストーンが凄い。
ベラになりきり、成長していく。
グロい場面もあるけれど、淡々と進んでいくベラの冒険に圧倒されまくる。
最後までベラを見守るアルフィーがステキ。
「君の体は君のものだから、君が好きにしていいんだよ」
「ところで、性病の検査した?」
サラッと話せるところが、いいね〜
だから、結局、彼女と結ばれるわけよね。
苦しいけど、自分の感情は自分で処理できるアルフィーと、振り回されて結局、病院に入っちゃう弁護士さん。うまい対比じゃない?
なぜ、ベラになったのか。その秘密が明かされ、ベラとして生きていくさまは気持ちが良い。
道徳的な面もあるけど、セリフが秀逸。
ハマりそうな予感(笑)
怪人ベラ
ほぼ前情報なしで観ました
始めはショッキングな内容のそういう系か~と思い見ていましたが、次第にベラが成長していく話に・・・
オカルトなファンタジーの世界から、性の話や社会、そして愛の話などになっていく
お金かけて世界観を作っているから見応えがありますね
ベラは中盤凄い勢いで成長して貧富の差に愕然としているが、当初の残虐性から考えるとどうしてこうなった? と思えるほど・・・
その狼狽えからラストのシーンまでの顛末これいかにと、なんだか納得がいかないような気もいないでもないが、まあ医者になって命を救うと考えればまあ
ついていくのに必死な私がいたので、この点数ですが
評論家の人、特にヨーロッパの人はアーティスティックでセンセーショナルな斬新なこういう映画は好きなのだろうね
個人的にはベラのダンスシーン辺りの奔放さにダンカンがついていけなくなるところがなんか羨ましく、好きでした
自分ももっと挑戦してもいいんじゃないかなと思えて
そんなこんなで見易い映画ではないし好き嫌いが分かれそうな映画でした
魚眼レンズのような映像の意味(自己考察)
始まりはモノクロ映像から始まり、なぜか周りの背景がハッキリせずぼやけてて、魚眼レンズで撮ったかのような映像が続く。
これが意味するのは、主人公ベラの成長の象徴ではないかと主張したい。
人間の始まりは赤子であり、視野はとてもせまく自分の見たいものを見る。
成長するたびに
知恵を蓄え
その次は興味関心が訪れる
そして見たくないものも見るようになって
自ずとも視野が広がり、視界がクリアになる。
劇中でも、魚眼レンズの歪みがだんだんと収まり、
最後にはその歪も無くなっていた。
ベラが“世界を自分の目で見たい”という大冒険の様子を映画を見ている私たちにも、直で届けているような映像の工夫にドキッとさせられた。
あくまでも自己解釈だが、このような観点で見るとより面白い。
ベラの大冒険は展開が読めない事が多くて、時間がとっても長く感じた。
終わり所が見えなくて、でも飽きさせない簡潔なテンポにカラフルで見たこともない世界観に魅了された。
自分の疑問にいつも貪欲に対話し、答えを見つけては
また疑問が現れ、納得のいく言語化を当てはめ、
また次へと。
この過程でベラ自身が得た経験と知識が増える事に
言葉数が増え、相手の図星をついたり
上下関係が真逆になったり、
ベラが発する嘘偽りない言葉だからできたことである。
いつも映画は考察したい派だが、本作では全て自己完結済みなので少し物足りなさもあった。
見る時はものすごく心身ともに疲労し、1人の大冒険にしては、おかず山盛りどんぶりご飯だったので、1度でもう満足である。
自分を形作るのは“自分自身しかない”と教えてくれた作品だった。
ごちそうさまでした。
後半の演技が気になる。
全体的にセットだったり、衣装だったりはとても綺麗で、映像的には美しい世界観を確立していたような気がするが、後半に成長したヒロインが実家に帰ってきても、婚約者や父親が、ヒロインの成長度合いに気が付かないのが、なんとも違和感あって、途中から物語に入り込めなくなった。
「成長」や「解放」の物語なのか?むしろ真反対のどんでん返しではないか?
他者のレビューを見ていて、「女性が自分で道を切り開く物語」的なニュアンスの解釈が多くて、ちょっと違和感があった。
私も途中までは、幼いベラが自分の目で世界を見て自分の意思を獲得していく物語だと思って観ていたが、ラストの「ヤギ将軍」でその考えは全てひっくり返された。
「進歩のためなら倫理が見過ごされる」という強烈にズレた価値観が、ゴッドの父→ゴッド→ベラへと受け継がれてきたことを示すのが「ヤギ将軍」であり、それはつまり、自分の意思だとおもっていたものが幼い頃に"父"に植え付けられていた価値観であり、そこからは逃れられないことを暗示しているのだと受け取った。
どれだけ自分の頭で考えているつもりでも、狭い世界の中の価値観からは逃れられず、外から見るとそれは哀れに映る。それはきっと私自身もそうなのだろう。そういう意味で、全ての者が哀れな存在である、というメッセージを私は受け取った。
ここからは蛇足だが、どうあがいても哀れでしかないのなら胸を張って自分の好きなように生きて行こうと前向きな気持ちになれたので、この映画は私にとって「背中を押してくれる応援映画」となった。人生に悩んでる方は、是非。
映画的想像力を突き詰めた映画
見てからの衝撃がすごくて、消化して自分の言葉にするのに時間を要した。
自分の子供の脳を移植された、無垢と残虐を併せ持つ女性は、天才外科医ゴドウィン・バクスター(ゴッド神)によってこの世に生まれる。
彼女は言葉も歩き方もぎこちないが、アンコントローラブルな性の目覚め(クリ⚪︎⚪︎⚪︎)が訪れ、その衝動のまま冒険と称してリスボンから船で航海を始める。
最初は性も外の世界も新鮮な体験だったが、子供が死んでいく資本主義の格差の問題に衝撃を受け、この世が無垢なものではないことを知る。
同行するパートナーのお金を全てあげてしまい自分も無一文になる。そして逆説的であるが、売春という若さを貨幣に変える資本主義的行為に染まる。
最後は自分が裕福な将軍の妻であったことを知り、一度はその元に行くが、将軍は彼女の目覚めの源泉であるクリ⚪︎⚪︎⚪︎を切除することを宣言する。彼女は将軍の支配的、暴力的な面(戦争を象徴)に失望し、将軍の脳をある生き物とすり替える。
斬新かつ現代的な寓話を含むストーリー
鮮やかな色彩のカット、目的を有した特徴あるカメラワーク。航海する船の造型、売春宿の退廃の造型は臨場感すごい。ザ映画芸術だ。
エマストーンの演技の素晴らしさ。
彼女の演技こそ、この映画に命を吹き込んだ。みんな言ってるが、踊りのシーンは脈動感溢れ、素晴らしいとしか言いようがない。アカデミー主演女優賞賞とるよね。
ここの登場する男たちの醜悪さは、自分を含めた全ての男たちの姿だと思わせるリアリティがある。
最高!
美術と演技が素晴らしい。ベラが本当にいるように感じるし、マークラファロもいい!小さい男だけど、一緒にいるうちに愛着も湧きそう。ダンスシーンとか、アレクサンドリアの風景とか、娼館でのシーンとか、どれも良くて、ずっと目が喜ぶような、最高・・・!
原作も読んでみよう〜
美しさは罪なのでしょうか
最初のモノクロのシーンを観て「ゴシックホラーテイストの作品か…」と思いましたが、画面が色づいてからはまったく違う展開になり、作品に一気に引き込まれました。
話の展開は「実践哲学」ことを言っているのかなぁ、位に思いました。
話は「冒険」と称する未知への探究へ!
ベラは知的好奇心のため、持ち前の行動力と明るさをもってグイグイと前に進んでいき、その姿は凛々しくもあります。
しかし子供の純真無垢な心と、成熟した美貌をもつ大人の女性としての美しさをもつ彼女にはいつも本人には納得のできない壁がいつも立ちはだかります。
そして周りの人は皆、美しいものを独占したいと思い彼女に近づく。
ベラはそこに存在しているだけなのだが、美しさは宝石以上に周囲を狂わせてゆく。
美しいということは罪なのでしょう。
パリの娼館にて異性と肌で関係を繋ぐうちに、それを通じて様々な人の表裏を学ぶことになり、人間というものを学び、心に磨きかけていくというのは面白いと思いました。
終盤近くではテンポがやや失速ぎみで(演出?)、説教臭くなったいったように感じました。
なぜ社会主義にいかねばならなかったのだろうか… 資本主義への反発?
でも本人は解剖医になろうとしている。あまり社会主義とは関係がない。
あとは、ベラの衣装がとにかく豪華!!
アカデミーにノミネートされる作品にはこのくらいが必要なのでしょうね。
これは観る価値がありました。
一般受けはあまりしないかもしれませんが、観ておくには十分な作品であると思いました。
少しだけ普通ではない生い立ちの女性が、少しだけ人とは違う経験を通して心と精神が成長していくお話です。ダークな風味があるので苦手な人は注意が必要かも・_・;;
予告で観た、怪しい行動を繰り返す女性が印象的。
作品紹介を読んだらその女性の行く末が気になって
見届けなければ、との衝動にかられて鑑賞。
さあ 鑑賞開始。
で。
…10分経過した頃の正直な思いはというと…
” 観る作品の選択を誤ったかも ”
でした。何故って…
この女性(ベラ)の行動が怖いんですよ。
研究室(?)のストレッチャー上の死体(?)の顔を
金属の棒でグサグサとつっ付くご乱行。ひぇぇ
” ホラーだったか…? ” と、体から血の気が
引いていくのが分かりました @∧@ ; (←怖いのダメなヒト)
それでも、映画館で途中退席するなど映画鑑賞のポリシー
に反する(トイレ利用は除く・-・)、と鑑賞を続行。
なんとか鑑賞終了。
鑑賞の途中から何となく感じていたモヤっとした感想が
帰宅してこの作品を振り返り、何とかまとまってきました。
” 一人の女性が生まれてからの、成長の物語なのか ”
とはいえ、「普通の」物語ではないです。 ・∇・ね
・誕生の仕方が脳移植
・しかも胎児の脳を母体に移植
・体は大人、頭(脳)は子供(コナン君の逆)
その結果、大人が子供のような奇行を行うという
一見、目を背けたくなる場面が多く描かれることに。
※子供(幼児)の残酷性ってありますよね。
捕まえた虫の足をもいだり羽をむしったり…。
だからカオを棒でグサグサしたりするのも当然
なんですね、きっと(…う~ん・_・;)
けれど、ベラの心は成長します。
# 不味い食べ物は口からベーっと出してました。
# 気に入らない事があるとモノを壊してました。
それが
# やがて家の外に出たがるようになります。
# 何でも知りたい、自分の目で確かめたい
赤ちゃんから幼児期を経て、思春期へ。
そしてベラは、ある男と一緒に世界を知る旅に出ます。
反抗期?というだけではない、自我の目覚め?
その旅先での経験が、ベラの心を一段と成長させていきます。
と、まあ
こんな感じにベラは成長していきます。
精神的に。そして 肉体的に。
終盤、ベラの正体に関連して話が急展開します。
ベラの謎というよりは母体の正体についてなのですが
ベラ(の母)を縛りつけていた男(ベラの父になるのか?)と
真正面から立ち向かうのです。
銃を突きつけ、自由を奪おうとする男に対し
一歩も引かずに渡り合い、逆に相手をうち倒すベラの姿は
美しくたくましい魅力にあふれていました。
彼女がその後、どんな人生をおくるのだろうかと気になります。
作中口にしていたように、医者になるのでしょうか。 はて。
※それにしても、このお話の時代はいつなんでしょうね。
19世紀末~20世紀初頭くらい?
現代では無い。 …それは確かかと思うのですが。
◇あれこれ
■エマ・ストーン
ベラは内面の成長に伴って、表情も成長していくのですが
振り返ると、演じたエマ・ストーンの演技がすごいです。・_・
エマ・ストーンの体当たり演技(濡れ場とか)だけでなく
「体は大人の女のまま」なのに、中が「生まれたての子供
から大人」へと成長していく女性のしぐさや表情を、実に
細やかに表現していたことに拍手です。
■ベラの体の脳は誰の脳?
母親の頭の中に、お腹の中に居た胎児の脳を移植。…うーん。
入れ物の方が大きすぎやしないか と余計な心配。・_・;
もしかして、母の脳のダメになった部位は切り捨てて ・-・;
空いた隙間に子供の脳を押し込んだ …とかなのでしょうか?
そうとでも考えないと、移植された脳の成長スピードが早すぎる
ような気がするのですが、どうなのでしょう。(←素人考え・_・; )
■ベラ …といえば
妖怪人間を思い出す世代なのですが、そもそも「ベラ」って
どんな意味のあるコトバなのかと検索してみました。
イタリア語で ” 美しい ” という意味なのですね。 へぇ
ひとつ賢くなりました。
◇最後に
ベラを手術したゴッドウィン。
この天才と紙一重の外科医は、いったい何を考えて動物の合成の
ような手術を繰り返していたのか。
振り返ってみると、その動機付けが描かれていない気がします。
ベラを(ベラの母体を)助けたのは気まぐれからだったのか。
それとも他の理由があったのか。
保護者=父親的な一面を見せていたようにも感じたのですが
そんなどうでも良さそうな処が気になっています。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
ピヨンビヨン
「哀れなるものたち」
思っていたほどR18指定?と感じた
美術、衣装、音楽は凄い
眠くはなりませんでした(ギリギリで生きていたい)
ベラがだんだんと賢くなっていく
あんなモラハラ旦那と居たら
自死したくなるよね
そして娘(脳みそ)がやり返す
スカッとジャパン
人間の欲求
人間の根本って、欲求で成立して、社会的欲求に移っていく事がよく分かる作品ですね。エマ・ストーンが後半は特に終始裸に近いのが、凄いですね。背景は過去、技術は未来という不思議な設定が今までとは違う感触がありました。
哀れなるものたちとは誰か
自由で天真爛漫、欲望にも忠実なベラ。
当初は改造人間となってしまった彼女、それを作ったゴッドが哀れなるひとたちかと思ったが。
前世紀初頭?の常識、風習、嫉妬心、独占欲に縛られた男たちがベラの行動に振り回されて自ら破滅してゆく。
彼らこそが哀れなるものたちなのだ。
翻って現代のリアルな世界に生きる私たち。ニュースやSNS、Webを通じた情報に踊らされてはいないか。
私たちが信じる常識や価値観に振り回されて「哀れなるものたち」となっている危機を刺しているいるように思えてならない。
あまりの衝撃に呆然としつつレビューを書いてみる…
結論からいうと『最高』
私の中では『芸術作品』
終始エマストーンの青くて大きな瞳や美しい輪郭に目を奪われつつも、所作や無垢な挙動や立ち振る舞いに心動かされ、目が離せなくなってしまった
リスボンでの大口あけて食事するシーンや、街中歩いてて聞こえてくる歌声に感動してるシーンはこちらもジンときた
乳首丸出しで眉間に皺寄せつつ放送禁止用語を連発してるけど、この人はなんでこんなに美しいんだろう…
エロスだけれど、ちょこちょこギャグめいたシーンが挟み込まれていてクスクス笑えた
たとえば父が教育のために息子を同席(笑)、息子たち顔赤らめてたけど多分別撮りだよな?とか(日本じゃありえん)
食事の最中にペニスの話、娼館で働いてるときの素直すぎる言動、マックスから不意に性病検査してるか聞かれるシーン…すべて笑えた
パリにて、娼館で身体を売ったことに嘆き喚く彼に対し、むしろ経験できたことであなたのセックスの良さに気づけたと冷静に返答するベラにも1票
俳優の皆さんの演技が素晴らしいのは勿論の事…建物、衣装、CG、デザイン…すべてがツボすぎた
船上のマダムもパリ娼館のマダムも魅力的
ベラの成長過程において、倫理観のみならず人類学や哲学的な要素も含まれ、且つ性や人種や貧富の差も折込まれ、ミックス焼きの脳になった気がする…
見終わったあと、こんなにドキドキしながら家路につくのは久しぶり
それぐらい久々に好きな作品に出会えた
『良い作品観たぞー』『周りに共有して感想ディスカッションしたいー』という気持ちで一杯です
監督の他作品も観てみたい
娼館で学んだものは社会性とジェンダーとコミュニケーション
好奇心と探究心をもって改善し進化したいと考える精神が大層健康的。知らぬ間にスラムを見て泣き崩れる感情がちゃんと育っていたんだね。
性欲の発見後の、セックス中いろいろインストールしている感に爆笑。
ヨルゴスランティモスも性格が悪そう(褒)だけど、今作は性格の悪さを綺麗にラッピングしててよいです。
(脳みその)幼少期のドラマチックを通り越してサイケデリックな色から、社会性と言葉を獲得して最終的に選ぶ色が黒というカラー演出良かった。
ラストナイトインソーホーへのよいアンサー映画。
または女版ジャンゴ。
哀れなるものたち
ある科学者の実験から生まれたとされる妖怪人間ベラの望みは「早く人間になりたい」。そのために鞭を振るったり、手首を動かしたりして、悪い妖怪や悪人と対峙する。では、こちらの科学者から生み出されたベラの望みは?「世界を自分の目でみたい」ってこと。それって弁護士ダンカンによって、あっさり叶えられるね。ちなみにダンカンのやっていることは、この時のベラの状態から考えると、幼児もしくは未成年者誘拐及び淫行以外の何者でもないから。そして、もっと学びたいと思ったら、都合よくマーサやハリーと知り合い、哲学や読書を教えてくれる。パリで無一文になったら、意図も簡単に娼館で働け、しかも社会主義者になったり大学で医学まで学んだりもできちゃう。船上でダンカンに読んでる本をほかされても次の本をマーサが渡してくれるように、望むことは大概は周りが叶えてくれる。ベラが自分から何かを成し遂げようと孤軍奮闘する姿は全然見られない。その醜い姿のため、疎まれ追われ、それでも人間を助けようと旅をする妖怪人間ベラ。対して、こちらのベラの‘冒険’の何と薄っぺらいこと。ロンドンの家から出たけど、リスボンのホテル、船の中、パリの娼館と常に限られた空間の中だけ。それも限られた人とだけ。エマ・ストーンは、こうした出会いを通じてベラはどうすれば社会に役立てるのか、世界のためになにかを作り出せるのかを考えるようになったと言っているが、そうかなあ。アレクサンドリアで多くの赤ん坊が死んだことを知った時は人のお金を渡しただけだし、娼館では「女性が選ぶシステム」を提案するも、具体的にどんなシステムかを考えることもそれを実現化することもしない。タトッーやり手ババアにあっさりと懐柔させられる。気がつけば、どっかへ行ってしまう。アレクサンドリアでは多くの赤ん坊はこれからも死んでいくし、パリの娼館では、女性たちは自由意思なく男性に選ばれ続ける。何も変わらない。少なくとも妖怪人間のベラの方は、悪い妖怪や悪人を退治していったぞ。結局、ベラのしたことって、元旦那を山羊人間にしただけ。それって、元旦那がベラにしようとしたことと同じじゃないの。パンフレットに書かれた自分の力で真の自由と平等を見つけた結果がこれなの?エキセントリックな人物や壮麗な美術などに飾られてはいるが、中味は退屈な話。哀れなるものたちって、こんなものを高いお金を払って2時間以上も見せられる我々観客のことか? と、長々と拙い文で文句を書いたが、見に行く価値がないのかと言えば、そうではない。傑作だと言う人もいる。それはそれでいい。いろんな見方が出来る映画だから。出来れば、友達や恋人、夫婦など複数で見に行って、見終わった後、意見を交換しあったらいいと思う。それでお互いをもっと理解することが出来るなら、それも映画の魅力のひとつだから。
20世紀初頭の物語。 ある時、天才外科医ゴッドウィン・バクスター(...
20世紀初頭の物語。
ある時、天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は出産間近の妊婦の死体を手に入れた。
母親は死んでしまったが、胎児はまだ生きている様子。
ゴッドウィンは、胎児の脳を母親に移植し、電気ショックで蘇らせることとし、手術を敢行。
女性は蘇生し、ベラ(エマ・ストーン)と名付けられた・・・
といったところからはじまる物語は、『フランケンシュタイン』の怪物のバリエーション。
幼児脳のベラがゴッドウィンの屋敷内で奇異な行動する前半はモノクロで、怪奇映画っぽい雰囲気が漂います。
その後、放蕩者弁護士のダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて世界に飛び出してからはカラー。
つくり込まれた美術の豪華さなどに目が惹かれます。
ベラの脳は急速に発達するも社会規範を身につけるまでには至らず、本能と欲望が底辺にありつつも、男性優位の社会規範に対して本能的に否定的忌避的行動をします。
そのうちのひとつが性衝動で、ベラはそれを隠すことをしません。
船上で出逢った進歩的老婦人の助言で本を読むようになったベラは、まさに啓蒙され(蒙を啓かれ)、彼女なりの論理的行動をとるようになる。
が男性優位主義の権化のようなダンカンは、ベラの論理的行動を非倫理的と受け取り、赦すことができない・・・
と後半になると、旧弊な男性優位主義対進歩的な女性意識という主題がはっきりしだし、その分、笑いのツボも増えてきます。
(前半も、ベラの奇異な行動を笑うことはできるのですが、いかんせん笑っていいものかどうか、観ている側としては躊躇せざるをえない)
ただ笑えるようになる分、主題の浅さも同時に感じるため、逆にちょっとツマラナイ、とも言えるでしょう。
さて、冒険旅行の果てに今際の際のゴッドウィンの屋敷に戻ったベラは、かねてからの婚約者、ゴッドウィンの助手の青年と結婚と相成るのですが、そこへ現れたのが生前のベラの夫の軍人。
彼がダンカン以上の男性優位主義者で・・・
この後は書かないことにしますが、へへへ、そういうオチね。
って感じ。
馬鹿は死ななきゃ治らない、いやいや、死んでも心は入れ替えられない、ならば・・・
豪奢な美術、エマ・ストーンの演技、魚眼レンズを使った異化効果のある撮影など見どころは多いのですが、後半、主題が立ち上がってからは、むかしから怪奇映画を見慣れた身としては幾分失速かな。
『フランケンシュタイン』の怪物のバリエーションではあるのでが、思い出した映画は次の2本。
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を映画化した『まごころを君に』と、女性の胎児に成長促進剤を投与する怪奇劇『エンブリヨ』。
どちらもラルフ・ネルソン監督作品。
前者は引き合いに出される機会もあるかと思いますが、後者『エンブリヨ』は口端に上ることも少ないだろうから、ここに記しておきます。
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