「感覚が先に動き出す映画――『哀れなるものたち』」哀れなるものたち Kyle_zyさんの映画レビュー(感想・評価)
感覚が先に動き出す映画――『哀れなるものたち』
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『哀れなるものたち』は、論理で理解する映画というより、感覚で受け取る映画だと感じた。
物語の中心にいるベラは、肉体は大人でありながら、社会的な価値観や常識をまだ持っていない存在として描かれる。彼女の行動はぎこちなく、言葉は率直で、他人との距離感もどこか無防備だ。しかしそれは「無知」や「純粋さ」というよりも、まだ自己を規律化していない状態に近い。
魚眼レンズによる歪んだ映像や、白黒からカラーへと変化する映像表現は、彼女の内面の成長を直接説明するものではない。むしろ、世界が単純ではなくなっていく感覚、正解が一つではないことへの気づきを、視覚的に体験させる装置として機能しているように思えた。
本作で描かれる性的な経験も、刺激や挑発を目的としたものではない。彼女にとってそれは、欲望や痛み、選択の結果を身体を通して知るための手段であり、自分で判断し、拒否し、責任を引き受ける力を獲得していく過程の一部として描かれている。
興味深いのは、違和感を覚える存在は彼女ではなく、むしろ「理性」や「文明」を代表する周囲の人々の方だという点だ。彼らは自由を語りながら、自由に振る舞う個人を受け入れることができない。その姿は、どこか私たち自身にも重なって見える。
観終わった後、奇妙な余韻と同時に、「自分はどこまで他者の自由を許容できているのか」という問いが静かに残った。
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