「精神論が暴走することの恐ろしさ」あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。 furuさんの映画レビュー(感想・評価)
精神論が暴走することの恐ろしさ
「映像の世紀」などのドキュメンタリーなどを見ているせいか、鑑賞中にいろいろと考え込んだこともあり、思わず泣いてしまいました。
タイムスリップものでそもそもが非現実的と言えば身も蓋もありません。また、女子高生である主人公が浮いた格好をしていればスパイ容疑をかけられ、しかも現在の価値観で自己主張すれば、周囲からは非国民扱いされ、たちまち逮捕投獄されることは必至です。
その辺はかつてNHKで放送されていた「タイムスクープハンター」みたいな、「当時の人々に馴染む」ご都合設定があると思い、目をつぶることにします。
この映画は、特に主人公と同年代の人に対して、教科書や手記などからは得られないもの、「もし自分が思わず戦争時代の日本に行ってしまったら」ということを疑似体験させる効果はあったと思いました。
敵側の防衛網を破壊して補給を絶つことをせずに「恒常的に特攻する」という戦い方は戦略理論的に破綻しており、精神論頼みの最悪手です。
しかしながら、どうしてこのような事態に陥ってしまったか?それは主人公が孤児の少年に「もうすぐ戦争は終わる。日本は負ける」と話していた時に巡査に「何を言うか!非国民め!」と激しく折檻されるシーンに集約されているかもしれません。
その後で特攻隊員の兵士が主人公に「巡査は悪くない。悪いのはあのようにしてしまった世の中だ」と語りかけますが、まさに治安維持法などにより言論や表現の自由が奪われ、論理的、合理的、戦略的な思考が否定されて精神論と同調圧力が支配してしまった結果とも言えます。
ただ、そのような悲惨な世界でも敵からの攻撃を受けている状況では、反撃しないわけにはいきません。文字通り「一矢報いる」しかなく、実効性はほとんどないにも関わらず、それでも「祖国や人々を守らなければならない。負けたら国土も人々も蹂躙される地獄が待っているのだから」と吹っ切れた覚悟で飛び立ったのでしょう。
実際、主に戦っていた相手がスターリン体制下のソ連だったら、「負けたら国土も人々も蹂躙される地獄が待っていた」わけであり、想像するだに恐ろしいです。
敗戦間もなくして東西冷戦が始まったことで日本が米国にとって重要なパートナーになったから、結果として日本は大して蹂躙されず、むしろ大いに発展できたに過ぎないと言えます。要は現代の日本は単なる幸運の結果だったに過ぎないのです。