裸足になってのレビュー・感想・評価
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理不尽の中、表現する喜びを捨てない人
『パピチャ 未来へのランウェイ』のムニア・メドゥール監督は、表現する人を描きたい人なんだろうと思う。前作はアルジェリアで弾圧の中、ファッションデザイナーを目指す女性たちの戦いを描いていたが、今回はダンサー。彼女は男に階段から突き落とされ踊ることができなくなり、声も出せなくなった。さらに自由を求めた親友は、国からの脱出の時に命を落とす。それでも彼女は生きること、輝くことを諦めない。ろう者の団体との出会いによって踊りを教えることになる彼女は、新たな仲間と新しい人生を築いていく。
アルジェリアの内戦とテロの傷跡が癒えてない社会を背景にしており、不正がはびこり罪を犯した男は罰せられることはない。女性にとってどこまでも理不尽な環境への怒りはあるが、メドゥール監督はそれよりもその理不尽に負けない主人公の気高さを描くことを優先する。
『パピチャ 未来へのランウェイ』に続いてリナ・クードリが素晴らしい演技を披露している。彼女にはこれからも注目していきたい。
未来へ向けての希望のたすきのように思える一作
アルジェリアと言われて頭に思い浮かぶのは『アルジェの戦い』くらい。その程度の知識しかなかった私に、メドゥール監督の『パピチャ 未来へのランウェイ』と『裸足になって』は鮮烈な印象を運んでくれた。いずれの作品でもヒロインの夢と希望と仲間たちが描かれるも、しかし彼女の人生は決して順調にはいかない。宗教的抑圧や蔑視がいまだはびこるこの国で、悲しみや苦しみの壁に幾度となく道を阻まれ、もがき続ける。彼女たちには夢見ること、自分らしく生きることが許されないのか?理不尽な社会の中で答えはなかなか見つからない。だが、この映画には葛藤と共に、眩い陽光や青空や樹木や水といったありのままの自然の美が刻印され、そこにヒロインたちのしなやかな身体表現が加わる。この国で躍動するのをやめないこと。それこそがスタートラインであり、力強い生存表明でもあるのだろう。未来へ何かをつなげていく希望の”たすき”のように思える一作だ。
進化を続けるイスラム圏の女性映画
2019年製作の「パピチャ 未来へのランウェイ」で長編映画デビューを果たしたアルジェリア人の女性監督ムニア・メドゥールが、同作で主演したリナ・クードリと再びタッグを組みオリジナル脚本で完成させた新作。約3年前の前作よりもストーリー運びと編集テンポが格段によくなり、洗練された印象を受ける。イスラム圏のアルジェリアで抑圧された暮らしを強いられながらも自分らしい生き方を模索する女性像は共通するが、ダンスと手話という2つの身体表現を組み合わせたパフォーマンスのおかげもあり、視覚に訴えるより魅力的で力強い映像作品になった。
トルコの「裸足の季節」(2015)、「モロッコ、彼女たちの朝」(2019)、イランの「白い牛のバラッド」(2020)と「聖地には蜘蛛が巣を張る」(2022)など、ジャンルはさまざまだがイスラム社会での女性の生き方を題材にしている点で共通する良作や力作が少しずつ増えてきている。女性の地位向上と多様性の尊重という時流があり日本公開される映画が増えている面もあるだろうが、そうしたテーマを扱う作り手たちが互いに影響し合い、女性映画の進化と洗練につながっているようだ。
トゥーシューズを脱いで、裸足になって
7月25日(火)新宿ピカデリーでアルジェリア・フランス合作映画「裸足になって」を。
製作総指揮は「Codaあいのうた」でアカデミー助演男優賞のトロイ・コッツアー。
バレエダンサーを目指していたフーリアは、賭けに勝って賞金を手にしたため男に襲われ脚を骨折し声を失ってしまう。
失意の中、リハビリのために入った施設でアルジェリアの歴史の中で癒えない心の傷を負った施設の女性たちにダンスを教える事になる。
トウシューズを脱ぎ、裸足になって、ダンスを教える事、振り付けに手話を取り入れる事で彼女自身も再起し、再生していく。
バレエからダンスへは逆フラッシュダンスのパターンだな。「グロリア」もかかるし。
リナ・クードリの出演作は初めて見たが眼力が強くて仲々良い。アルジェリアはフランス統治下にあったからフランス語なんだね。今でもアルジェリアからスペインへ密航するのには驚いた。
98分なのでダラダラしてないが、描き方が不足の部分がある。
【政情、治安が不安定なアルジェリアに住むバレリーナを目指す若き女性が、闘牛賭博での揉め事で階段から突き落とされ、声と夢を奪われるも、リハビリ施設で出会った聾者の女性達に勇気を貰い再生していく物語。】
■イスラム国家、アルジェリア。不安定な社会でバレエダンサーになることを夢見るフーリア(リナ・クードリ)はある夜、男に階段から突き落とされ、踊ることも声を出すこともできなくなってしまう。失意のなか、彼女はリハビリ施設で心に傷を抱えた聾者の女性たちと出会う。
◆感想
・抑圧されたアルジェリア社会の中で、手を取り合う心に傷を抱える女性達の関わり合いを通じて、人間の深い慈愛と生命力を瑞々しく描き出した作品である。
・口はきけなくとも、手話とダンスで自身の想いを表現する事の自由と美しさに魅入られる作品である。
・フーリアを演じたリナ・クードリは今や注目の女優の一人であるが、彼女の後半の声なき、表情と身振り手振りだけで自身の想いを伝える演技は凄い。
<最も圧倒されたのは、フーリアが聾者の女性達にダンスを教えるシーンからの、彼女達が一糸乱れずに群舞するシーンであろう。
今作は”人生のために躍る。決して立ち止まらない”と劇中にテロップで流れる言葉が忘れ難き作品でもある。>
表現力は生命力である
今月劇場で見た1本だけの洋画となりましたが、久々にエモーショナルな映画を見て感動出来たので良かったです。
物語そのものより作り手の情熱の方が強く感じられ、鑑賞後に本作がフランスとアルジェリアとの合作だと分かり、その時点で『青いカフタンの仕立て屋』を思い出し様々な共通点を感じてしまいました。
とにかく、フランスとの合作映画には何かと共通点が見出せます。
とりあえず、パッと思いつく共通点を挙げると『青い~』はモロッコとの合作でモロッコの監督、本作はその隣国アルジェリアの監督であり、どちらも女性監督であり、どちらも自国への愛憎を描いた作品。そして物語の主人公は自国から逃げない選択している。
これらの作品を他国の人が見たら、一見“国ガチャ”テーマの作品と思う人も多くいたでしょう。自国の人(国家)が見たら(フランスに対しては)余計なお世話・内政干渉・無礼とも捉えられるが、監督が自国の人間なので腹立たしさもあるかも知れませんね。
なので、こういう合作映画を見るのは色々な側面を考えなければならないので結構難しいのですが、今回紹介した2本については、そういう政治的・宗教的問題を抜きにしてもどちらにも力強いメッセージが感じられたので私は感動したのだと思います。
本作の場合、予告編は見ましたがその他の予備知識は全く無しで、私は予告での主人公の女優とバレエシーンに惹かれて見に行きました。不思議と歳をとるにつれてバレエという舞踊の美しさに惹かれています。
自己矛盾するのですが、(クラシック音楽にも共通する)バレエの完璧さや堅苦しさや自由のなさが嫌なのに、やはりその完璧さに圧倒され魅了されるのです。
本作の原題が“フーリア”であり、主人公の名前なのですが、これは“自由”の意味です。このタイトルは二重構造であって、第一に上記の国家の問題からの自由と、もう一つは仕事であったバレエからの自由と、物語は同時進行します。
腐敗した社会や徹底した管理社会からは生まれ育たないのが“自由”であって、フーリアは暴力でバレエの道と声を失ったことで、自分自身の内なる表現方法(自由)を見つけ出します。
その表現力こそ彼女の生命力となり、ラストの情熱的なダンスシークエンスが彼女の心の解放に繋がり感動させられるのです。
追記で、フーリア役のリナ・クードリが昔のジェシカ・アルバにそっくりでダンスも上手く、いっぺんにファンになってしまいました(笑)
上映期間を延長して欲しい。
日曜の朝、一番小さなスクリーン(上映室)の雰囲気は十分でなく、忍耐が必要だったが、それを吹き飛ばす良い映画だった。
母からクラシック・バレエを習っているフーリア(リナ・クードリ)は、階段から突き落とされて骨折し、バレエ・ダンサーとしての夢を絶たれ、失声症(心因性発声障害)になってしまう。しかし、病院のリハビリで聾唖者や自閉症の人たちのグループに入って励まされ、コンテンポラリー・ダンスに取り組んでゆく、再生の物語。
恩赦によって社会復帰したテロリストに警察からの配慮があるようなアルジェリアの社会では、すっきりした結末は期待できない。ただ、今でも時折テレビで見る中村吉右衛門の鬼平犯科帳でも結末はわからないことも多い(水戸黄門との違い)。しかし、エンディングにジプシーキングスの曲が出てくると、その雰囲気は一変する。江戸、特に漆黒の闇に開く花火を背景として、彼らのギター音楽が流れると、気持ちがすっきりする。この映画では、最後のダンスの場面こそがジプシーキングスのエンディング・テーマに相当し、観ている私たちの心を解放した。何というカタルシス!
それにしても、もう少し何とかならなかったかなと思うことも多い。
前半、手持ちカメラでダンスを捉えるシーンは、カメラが人物に近すぎて、画面が揺れ、その結果私たちは視線を外すことになって、かえって退屈してしまう。
テロリストに恩赦があった(どこかの国にもあった)としても、多くの人の目の前で行われた脅しや車を損傷するような犯罪行為まで問われないようでは、法治国家ではない。この映画は、それを告発しようとしているのか。
失声症ならば、回復の過程が、もう少し描かれても良かったのではないか。確かに merciの声は届いたが。
ただ、車のなかで、お母さんがお父さんの思い出に触れる時、不世出のオペラ歌手、マリア・カラスの十八番、ノルマのアリアが流れたのは良かった。
日本語字幕にも一言。セリフの大半には、事実上の公用語であるフランス語が使われていたが、一部は故郷の言葉、アラビア語だった。しかし、日本語字幕には、その区別はなかった。後者のセリフには、アルジェリア人の心情が現れると思うので、アラビア語の時には、フランス語字幕の一部を残すとか、配慮して欲しかった。
それにしても、最後のダンスシーンには、それら全てのモヤモヤ感を吹き飛ばすだけの素晴らしい効果があった!より多くの皆さんに観てほしい映画だ。
題名と写真から
想像していたものと全く違いました。
「理不尽」という言葉が一番適切かと思います。
見てよかったです。
(主人公の躍りはあんまりうまくない気がしましたが。気のせいか・・・)
繊細さと力強さが美しいダンス
アルジェリアが舞台の映画って初めて見たし、文化とか環境とか全く知識がありません。
ダンスシーンは
手話を取り入れる繊細な美しさと再生を遂げる力強さがあり迫力満点でした。
女性達の辛い境遇は勿論ですが、闘羊シーンも痛々しかったです。
恐ろしいほどの女性蔑視
現在のナイジェリアでこのような蛮行が恐らく行われているのにビックリした。中近東やアフリカの映画は、文化や政治を知る事が面白い(勿論、内容も面白かった)。
そして、アフリカ・中近東の映画ヒロインは何故、こんなにキレイなのだろう。
アルジェリアの女性が置かれた厳しい現実は伝わるが
事件に巻き込まれ、足に怪我を負い話すことができなくなったバレエダンサーが、心に傷を負ったり聴覚障害を持つ女性たちと交流しながら自分を取り戻していく話と思っていた。
ところがスクリーンから訴えかけてくるのはアルジェリアで生きる女性たちの厳しい現実だった。主人公フーリアがリハビリ施設で出会った女性たちにはテロによって家族を亡くした女性が多く、聴覚障害によるろう者というより精神的な傷によるろう者が描かれている印象だ。
一方フーリアが怪我をしたときに階段から突き落とした男への捜査の甘さも描かれる。前に観た「聖地には蜘蛛が巣を張る」を連想する。あれも国違えどイスラム圏だった。助けを求めた女性弁護士の消極的な態度や、友人がこの国では未来がないとヨーロッパへ密航しようとするところも含めて、アルジェリアの閉塞感が伝わってきた。
でも、だからなのかフーリアの物語がやや中途半端に感じられてしまった。ダンスを通して皆と交流し、前を向く姿を描く映画としては終わり方がぼやけている。しかも最後の踊りがクライマックスとわかりづらい。いや、それでも感動的ではあった。だからこそもったいない。
ところで、本作でかかる曲で唯一わかったのが「グロリア」。ローラ・ブラニガンが歌っていた曲だが、後で調べてみるとこのイタリア人歌手ウンベルト・トッツィが歌うのがオリジナルだと初めて知った。だから、こっちのバージョンの方が映画でよく使われているのか。40年近く経って初めて知ることもあるんだな。映画とはあまり関係ないけど。
わたしたちはどのように生きるのか‼️❓
政情不安定で危険な国で、なんとかダンスを生きがいにして生きていく女性の再生を描いた佳作。
かの国は、犯罪者がのさばるところのようですが、逃げないと、殺されますよ、現実には。
我が国は、比較的安全だとされていますが、ハラスメントによる自殺や交通事故死を含めたら、かの国と目くそ鼻くその世界です。
私自身、高齢者のプリウスに歩道で轢かれて、足が粉砕骨折で、ヒロインよりもリハビリは大変、ヒロインは強盗の被害なので心的外傷は凄いですが。
純文学的社会派映画🎞🎟🎬🎦のようですので、劇的な展開ではありませんが、そこそこ見応えがあります、演技的に。
じわじわ、静かに、心構えを参考に、生きる指針にするといいでしょう。
ハラスメントや暴走車から自衛するために、彼女を見習うか、はたまた反面教師とするか。
日本も相応に危険な国ですから、暇なら、どうぞ。
悲しみや痛みが伝わってこない
接写のようなアップの画面がほとんどで、引いた絵のシーンがないので疲れる。
ストーリーも同様で、主人公の少女の悲しみや痛みは、彼女の表情のみで伝えようとしている。引いて、その背景を説明、というのが一切ないので、こちらには響いてこない。
バレリーナになろうとレッスンを受けていた友達は、なぜ不法移民として海を渡ろうとしたのか? 母娘を迫害する男は、なぜ罰せられないのか?
アルジェリアの人々には説明不要なのかもしれないが、さっぱり分からなかった。
男尊女卑の批判にしては、偉ぶった女性警官が出てくるし。???
佳作
ダンスと手話。
言語ではない表現を上手く使った再生の物語。
99分という短い作品ながら印象的なシーンがいくつもあって見ごたえがある。
予告編の印象だといわゆる泣かせる演出なのかと予想していたが、そうでもなくむしろ淡々と映像で訴えてくる作り。
そこで評価や好き嫌いが分かれるかもしれない。
個人的にはコンパクトにセンスよくまとまっていて好きです。
主演女優さんの目力か特に印象に残りました。
ゆっくりとしか変わらない世界
主人公・フーリアの再生の物語。
本編にはフーリアの母も含め、90年代の内戦やその後の混乱で傷ついた女性達が登場する。彼女達とフーリアの交流を追って行くと、傷を持つが故の混じり気のない優しさが伝わって来ると同時に、心の傷との付き合いは一生続くのだという事をまざまざと見せつけられる。
深い傷が癒える、もしくは寛解するには時間がかかり、フーリアたちの「生きにくい」社会もまた、一人の人間の営みに比べればゆっくりとしか変わらない。
本編で描かれるフーリアの再生は、あくまで「はじめの一歩」なのだ。それに気付いた時、本作が伝える「生き抜くこと」「支え合うこと」の難しさや大切さがより真に迫ったものとして響いてきた。
希望が見えてこない
ポスターには『夢と声を失った少女がダンスを通じて生きる力を取り戻す命がきらめく再生の物語』とあるが、確かにどん底に落ちた少女が再生する物語ではあるが、とにかく境遇が辛すぎ。
アルジェリアの情勢なのか、治安なのか?逮捕されるべき犯人は逮捕されず、再び彼女を襲ってくるし、弁護士に相談するも、泣き寝入りを推奨される。希望をもって亡命した親友は亡くなるし、涙は全くでないけど、でもスカッとするところもない。
あと
アルジェリアなので、基本フランス語なんだけど、めちゃくちゃなまってるのと、ところどころアラビア語で字幕を頼りにしないとならないので、わかりにくいところもあった。
主演の少女のお芝居、ダンスは良かった。
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