「Etre Prof!」世界のはしっこ、ちいさな教室 critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
Etre Prof!
「世界の果ての通学路」のバーセルミー・フォージェアが製作を手がけていたということで、二番煎じ感を持ってみたのだが、どうもそれとは違った。
またしても、邦題がトラップというわけだ。
『世界のはしっこ、ちいさな教室』という映画の核心には、実はそこへと赴く意味、「私が教えること」の意味を問うことがある。"Etre Prof"には「教師であること、教えること」の意味がそこにはある。
非常に面白いのは、教師としての啓蒙的側面を打ち出しながらも、必ずやそこにへばりつく、いい意味でも悪い意味でもヘゲモニーへの傾きや批判が映し出されているということだ。
サンドリーヌにとってみれば、子ども達に文字を教えること、言葉を学ばせることが社会から国から与えられたつとめなのだが、それは共通語であるun deux troisを習得させることだ。
一方、スヴェトラーナも遊牧民エヴェンキ族の伝統を重視したいと思いながらも、その背後にはロシア語がチラついている。
タスリマは、若くして子どもや女性の権利を守ることを主張するいわばフェミニストなのだろうが、そこには「児童婚」という悪弊が社会に巣食っている。
だから、Etre Profであるいうことは、その社会のまさにポリティクスを背負ってのものだということなのだ。
子どもが愛おしいとか、子供達が可愛い、などという言葉が、この国の者にとってはあまりにも無邪気にナイーブに使われてしまって久しいのだが、Etre Profということは、そんな虚で中身のないものなのではなく、社会全体を子どもたちに投げかけることだ。子どもたちといれば楽しいなどとほざく教員採用試験の面接では決して解決され得ないものがそこにはある。
教育とは極めて政治的であるということを心得よ!
そんなことを考えさせてくれる映画だったかもしれない。
#サンドリーヌ・・・最後の子どもたちへの褒賞は石鹸?だよね。多学年共通の内容を教えるのは難しい。学びの能動と受動を生徒たちに与える集約的な体験学習でした。
スヴェトラーナ・・のほほんとキャンプもどきを楽しんでいるお気楽なこの国の人は、「まじキャンプ」ってできないよね。こちらは、地域を知ろうとする総合型学習でした。
タスリマ・・・・・本当に22なの?おじさんは降参です。意識レベルが半端ないっす。こちらは、どちらかと言えば、因習突破を目標とした受験に向けての知識偏重学習でした。