ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
全84件中、21~40件目を表示
あのチンポは何?
109シネマズのポイントで見て良かった。
コストが0の時点でコストパフォーマンスは無限に発散するのだが、個人的にはパフォーマンスも0に漸近しており、コストパフォーマンスが1に収束するかとも思われた。
自分は難しい映画は得意でないので、この映画には不向きだったのだと思う。
主人公がずっと上手くいかず、最後詰む映画。阿保の将棋指しが高難易度のコンピュータにボコボコにされるプレイ動画みたいだった。
でも予想のできなさは逸品で、実は開始から結構後半まで夢中で観てた。
母親の登場くらいまでは神展開だと思った。
さっきの将棋の例えでいうと、一体どれだけアクロバティックな詰み筋で魅せてくれるのかと思いきや、いきなりディルドで頭をはたかれてチェックメイト、みたいなラストだった。
こんなの褒めちゃいけないだろ。
友達は結構好きだったというので、好みによるのでしょう。
凡人には測りかねる映画のことだから、もしかしたら「この映画を不快に感じるのは親離れができていない証拠」みたいな心理テスト的ニュアンスも潜在的に含まれているのかもしれない。「男性的象徴を揶揄する表現がどうのこうの」とか?
だったらこの映画、親と観てみろこの野郎。
難しく考えるのがよくない。
射精したら相手が死んだとこと、チンポ怪獣のとこが凄く面白かった。おじさんが天井に張り付いてたとこは面白かったけどちょっと長かった。
個人的にはあとはクソ、というかチンポだった。
なんなん
感想を一言で言うと、なんなん。
映画は好きだけど、たくさんは見てない私からすると
そんな感想です。
分からなさすぎて考察サイトも見ましたが
そこまで映画に詳しくないので、へえ〜で終わってしまいました。ある意味、考察は見ずにモヤモヤしてた方が良かったのかも。
妄想と現実が入り交じってる映画はたまにありますが、そこまで狂った感もなくリアルに辛い。ラストもよく分からず。
でも、普段書かないクチコミを書きたくなったし
こんなに不快感を持たせてくれる主人公の演技はすごいと思います。
あと、自分にも子供がいるので過干渉には気をつけようって思いました…。
↓の人にはオススメです。
・監督大好き!監督が好きな映画は見てる!
・後味悪い、訳分からん映画好き!
・俳優さんが好き
・母性強すぎな人(反面教師という意味で)
ボーは解釈されたがっている
アメリカの男の子は15歳になったら「Sex & Drug & Rock'n'Roll!」と叫びながら車やバイクをかっ飛ばし大人になるそうですが、ボーはいずれにも手を出しません。じゃあ何が好きなのか。彼の住む簡素なアパートには何の個性もありません。空虚な中年男の彼が喋るのは精神分析医とお母さんだけ。「どうして彼はこんな男になったのか?」その真実を求めて彼は地獄めぐりをやらされ、観客はそれに付き合わされます。すべての真実にたどり着いたラスト、彼は変わるのか?いえ、まったく変わることなく、ただ助けを懇願しながら水に沈んでいきます。
これまでのフィクションの常道をまるで無視する本作の筋書き。なんの成長も見せず滅んでいく主人公。大変斬新ではありますが、面白いかというと、退屈です。面白いのはソドムとゴモラのようなボーの住む街の退廃っぷりぐらい。それもすべてどこかで見たことのあるような景色ではありますが。それでもやることなすことすべてが裏目に出てしまうボーの姿は笑えます。でもボーが外科医の家に匿われて以降は、映画は失速してしまい、大風呂敷を広げた物語の世界は急速に縮んでしまいます。そして最後は母と子の罵り合戦、これまでの恨みつらみのぶつけ合いという泥試合に収束し、映画は幕を下ろします。「自分で稼ぐ力を持たない男は母親の愛情と財布の呪いから逃れられない」という当たり前のことを3時間かけて教えてくれました。
孫悟空は頭に輪っかを付けられてお釈迦様の手の上から逃れられませんが、ボーは足に輪っかを付けられてお母様の手の上から逃げられません。妖怪退治に大暴れする孫悟空と違い、ボーは何一つ自分で成し遂げません。精神分析好きかまってちゃん監督アリ・アスターさんの作る物語は悪夢的で退廃的で閉鎖的。ユダヤ人の詩人であるという彼のおかあちゃんに、本作の感想を聞いてみたいものです。息子を愛しているならどんなに評判が悪かろうとも「史上最高の傑作だ」と褒めてあげるはずですが。監督はこの映画で母親の愛情を確かめようとしているのかも知れません。いずれにしろ、第三者の私にはどうでもいいことですが。
日本人なら隠そうとする家の恥や家族間のトラウマを映画にする勇気は恐れ入りますが、その想像力のジャンプはあんまり距離が伸びていません。本人はずいぶん遠くまで飛んだつもりでも、実際はそんなに飛べないものかも知れません。そもそも日本には「首狩り家族」という、こんなファンタジーより何十倍も恐ろしい家族の実例があるわけで。
無垢でいるのってめちゃ大変
不条理ギャグかよ!と、おじさんとおじさんのお尻がグルグルしてるのを見て爆笑🤣
演劇のシーンの舞台装置と映像が可愛いくて素敵。
この辺りから、宗教観と家族愛の拗らせすごいな〜って事に改めて気づいてそう思って見始めたら裁判シーンで俺の人生もうこんなんなんよ、絶望してんだわってメッセージ?←いや、そう言う割にこんなん作って絶望それなりに楽しんでるのでは、実は開き直りか!って勝手に解釈して笑っちゃいました。本人にとっては救われない事こそ大団円?
出だしの現世に怯えすぎなのは本当に笑ける。危険に合う前に家までダッシュ💨💨💨
強大な母の身勝手な過保護が生んだボーの半生
ボーの困った顔に彩られた3時間でした。
冒頭の犯罪だらけの治安激悪アパートの場面は、臆病で心配性のボーからはそう見えている、ということだと思います。おっそろしい場所で日常を営んでいるボー。自分で判断するより母ちゃんの意見に頼っている印象。
仕事をしてる場面はないけど、カウンセリングは受けています。母ちゃんからお金貰ってるのかな。
交通事故に遭うと(偶然でなく仕組まれてるんだけど)、何故か加害者の家で気味悪いほど丁寧に扱われます。これも怖い。ボーの困り顔も健在。
夫も妻も笑顔が怖い。娘はまだ10代だと思うけど壊れてます。なぜか一緒に住んでいる、戦場で亡くなった息子の友人?は、戦争トラウマを連想させるぶっ壊れっぷりでした。
ボーが足止めされたのは、母ちゃんの葬儀の準備に時間が必要だったのでしょう。
森は異界的な場所。死者とも出会う境界。お父さんが出てきたのは森という場所だからかな。そして、劇の中でボーは自分のifの人生を体感したのだと思います。
ボーが自分の人生を考えるための回復の旅のように感じました。
そしてラスボス母ちゃん宅。壮大なヤラセ葬儀が終わったところでボー帰宅。
屋根裏の場面も何かの象徴だと思いましたが、考える前に爆笑で過ぎていった。
母ちゃんは、無償ではない愛をボーに過剰に注いでたということでしょう。見返りを求める愛はボーを極端に臆病にさせ、金にものを言わせて人生を奪っていった。
ただ、母ちゃんも辛い幼少期を過ごしたことが語られます。家族の物語は連鎖していく。
ボーはボートで暗いトンネルの中を脱出し、強大な母体内から自立しようとします。
最後の水上コロッセオの場面は現実ではなく、ボーの内面世界を描いてるのかな。
果たして母ちゃんの世界から自立して自分の人生を歩んでいくのか、それとも映像の通り自爆したのか。
いろんな解釈が観るものに委ねられていますが、爆発する前にボーの顔つきが変わります。もう困り顔ではありません。
私は、ボー自身の人生を歩みはじめていて欲しいと思いました。
ボーじゃなくてボウ??
関係無いけれどヨルゴス・ランティモスの『哀れなるものたち』で微妙に楽しめなかった感じが晴れやかに清々しく解消された気分で『アンダー・ザ・シルバーレイク』がぶっ飛んだ面白さだった自分の高いテンションを思い出す感覚を再び味わえた喜び、ほんの一瞬だけフィンチャーの『ゲーム』だったりデイヴィッド・リンチが滅茶苦茶な『インランド・エンパイア』の雰囲気が、ジョン・ウォーターズの『マルチプル・マニアックス』で登場した陳腐な巨大ロブスターに驚愕して失笑したあの気持ちをもう一度、そんなち○このバケモノに呆れ返り力が抜けてしまう、トロマ並みのクオリティに拍手喝采する勢い!?
前作をクソ真面目に撮った感全開のアリ・アスターが今回は真剣にふざけマクって突き抜けてしまった印象で次作に多大なる悪影響を及ぼしてしまう不安要素として本作が存在している気がしてならない、演劇で絵本の世界観を奔走するボウの場面は必要にしてもアレ無かったら二時間ちょいで済んだんじゃ?ソコがまた監督としての真面目なアリ・アスターなんだろうなぁ??
住んでいる周りほんの少しがイカれたカオスな状態で街はシッチャカメッチャカに収拾が付かない異常な光景が過剰にも破裂寸前、どこに行ってもそんな展開のオンパレードで女性の腹上死?にびっくり仰天して呆気に取られる始末!?
鑑賞後も意味が解らず頭の中は???状態でパンク寸前、ソレなりに外野の情報を纏めて自分なりに理解してみたが。。。
*ボウの住む世界は何から何まで母親の権力で支配された環境でありそんな母親に監視され逃れられない掌で踊らされていた息子の図。
ユダヤ文学・旧約聖書・ヨブ記といった小難しいようなものが重要である物語、理不尽で不幸な目に遭い続けるボウの気弱で優しい態度は変わらないが。
・ユダヤ教は喪に服すとき風呂に入らない
・キリスト教による食事前の祈りはタブー
・偶像崇拝している家には泊まれないetc.....。
ボウが間違いを犯さないように母親の指令で風呂場の天井に張り付いて監視する男、クリスチャン一家に救われるもの母親による罠が張り巡らされている、そんな一家と食事のお祈りをしてK-POPのポスターが貼られた娘の部屋で眠ってしまうボウ、偶像崇拝禁止のユダヤ教でありながら実家には聖母像が、マリア様はユダヤ人で母親がマリア様でありマリア様から産まれるのがイエス・キリスト、つまりはボウであり両手を釘で刺され脇腹を槍で突かれたキリストのようにボウも滅多刺し、ユダヤにとってキリストは裏切り者、ユダヤになるにはユダヤ人である事、ユダヤ教徒の女性から産まれなければならない教えが、母親の妨害で好きな女性とは一緒になれないボウの幸せは一瞬で砕け散り、ユダヤ的考えから?男性は種子でしかない象徴としてのち○こモンスターに哀愁が漂う、笑っちゃうけれど!?
色々な形でユダヤ教の教えに反していないかボウを見護る母親の計画が恐ろしい程の暴挙に、尽く全てに反旗を翻すボウの行動は天然から狙っての意思が?断罪されてしまう結末にボウの願いが叶ったかのような???
何が真実で何が虚構なのか?とか考えるな!笑
3時間という長さにビクついてちょっと敬遠してたけど、これならもっと早く観ておけば良かったよ。あの「ミッドサマー」の監督だよ?「理解」なんてことは期待しちゃあ、いけない。
序盤は新感覚のホラー映画として観ることもできる。後半はまあ「家族愛」的なテイストも混ぜるけど、基本こちらの知りたいことを語ってはくれない。ラストボートに乗ったボーを囲んでの告発も、もっともらしく聞こえるけど、意味不明。エレインとの絡みも行きなりの展開で意味不明。
どれが真実で、どれが妄想なのか?すべてが真実なのか、それともすべてが妄想なのか?
ホラーの大事な要素としての「説明できない、説明しないことで発生する恐怖」をちゃんと含んでいる本作は、個人的には刺さったな。
あ、あと音楽無しのエンドロール、いいね。いつの間にか観客?もいなくなってるし。置いてかれるってのは楽しいね!今年ベストの候補かな
ただ、ホアキンフェニックスである必要あったのかな?もちろん彼だからこその演技なんだろうけど、アカデミー賞受賞のネームバリューはこの作品には要らなかったかも。
3時間、長くなかった!
アリ・アスター監督が考える死の世界観では?
色んな考察が出来るので、ボーはおそれているをどう解釈したら良いのだろうかと思いながら映画を鑑賞した際にエンドロールで見た光景をみてひょっとしたらアリ・アスター監督が描きたかったのは現代の世界ではなく、彼の世の世界では?と気付いた。
最初のシーン、精神科に通院しているホアキン・フェニックス演じるボーは薬を貰い家に帰ろうとしているときからそもそもおかしい。
インスタ映え目的?ダイビングして旅立たれた方の亡骸が通報されることもなく道に置き去り、ボーは見た目からしてかなりヤンチャな方々に狙われてしまい、挙げ句の果てにはアパートの玄関先に置いていたキャリーケースを盗まれてしまい、母の家への帰省を頓挫しなければいけなくなった上に、薬を飲むために水無しで服用してはいけないものを水無しで飲んでしまったためにボーは慌ててスーパーへ向かい未購入の水を飲み買おうとするが小銭が足りず通報するぞと云われ慌ててボーはスーパーの外へと出てマンションへと戻るのだが、おかしいのはこれだけではない。
ボーが、アパートに帰れなくなった際にヤンチャな方々により勝手に不法侵入された末にやっと戻ってこれたと思ったら、ヤンチャな方が玄関先で昇天されている、更にお風呂に入ろうとした際に天井にスパイダーマンばりのおじさんが這いつくばって助けてくれと云いだすと、おじさんは力尽きボーが入る風呂へ落ちるのだが、そこでボーとおじさんが揉み合いの末にボーは全裸で逃げ出した末路がトラックに撥ねられてしまう。
これだけ書いてしまうと、何がなんやらさっぱり分からなくなるので、此処から先は私が考えたボーはおそれているの内容について考察したい。
前述したが、劇中で描かれているのはボーが彼の世の世界に行ってからの旅路ではないかと勘づいた理由について説明したい。
ラストのボーがボートに乗りながら四方をブースで囲まれるとそこは裁判所のようで、証言席に立つ母親がボーに対して愛情をこれでもかとばかりに尽くしておきながら親不孝な子供に育ったから罰をという内容だったと思うが、実は母親が訴えていた内容こそが生前のボーであり、ボーは母親が社長でお金に困らなかったために自律することはせずずーっと親の脛をかじってばかりの生活では?
クレジットカードが使えないというのは母親名義だったからというのもあるだろうが、実は使おうとしていたボーも死んでいたから使えなかったという見方もできる。ボーは母親無しでは生活出来ないと悲観した末に何かしらの方法で亡くなったのだとしたら、劇中に描かれていた世界というのはボーに対して善良な行いが出来るかどうかを旅を通し試された末にボーにはそのような姿勢が微塵にも感じられないために裁判の結果、地獄に堕ちたのではないか。
つまり、ボーがおそれているのは怪死した母親の元へ帰るのをおそれているのではなく、死んだことに対し待ち受ける試練に対しおそれているという見方も出来るわけで、だからこその最初のシーンのハチャメチャ感も、何事も都合良く行き過ぎでは?というストーリー展開も、ボーの人間性を試す上においての課題を与える立場だったと考えると納得。
いずれにせよ、普通に見て理解が出来る映画ではないために説明するのが凄く長文になってしまった。見て頂けたら同じ気持ちになるはずだ。
世の中の半分の人しか怖くない
あの恐怖映画の巨匠としてかっこたる地位を確立したアリ・アスター監督の新作だからおそるおそる観に行った。ところが、全編お母さんが息子に「あなたはあたしの愛をわかってない」という映画でした。私は息子だったから怖かったけど息子じゃなかったひとには全然伝わらないんじゃないかとおもった。
ホアキンフェニックスやはり凄かった
ホアキンフェニックス毎度毎度演技が凄すぎて見入ってしまいます🙄。多少内容がつまらなくても全然演技だけで映画館これるレベル🙄
映画の内容に関して、もっと精神病チックでjokerのような夢か現か分からない病気オチのものを想像してましたが、違ったなぁ、これは
サスペンスファンタジー、ホラー??、
新しいジャンルですね!
母恐るべし。
哀れなボーの発言の端々に途中途中涙しそうになってしまいました😂泣く映画ではないと思いますが😂
オチは全部嘘だった!とか期待してましたが、
やはりそうとはいかなかった😩
映画:哀れなるものたち 見た後にこれ見ると、まさに正反対の人生すぎてより楽しんで観れると思います。私がそうでした💪
でもでもちょっと時間が長かった感が…😭
それで⭐️4ですが、フツーに面白いです👌😊
アリアスター流ブラックコメディ!?
アリアスター監督作品初鑑賞。
未見のミッドサマーが超劇怖スプラッター映画だと思い込んでいるので、これもトンデモシュールスプラッター映画なのかと勝手に思い込みながら観てしまった。
配達員から、母親がトマトになったと電話で聞かさるれたため、
「(帰郷が遅れたため)母親の死体が腐ってしまうのか!?」とか「母親の首がトマトになる回想シーン来る!?」とか勝手に妄想してしまった。
終盤女がベッドで死ぬシーンで、周りが笑い始める。あ!これはコメディなんだとようやく理解。
親父がチ○コの化け物だったなんて、どんだけバカ映画なんだ。
序盤の道路で死体蹴るシーンとか、ペンキがぶ飲みシーンからゲラゲラ笑ってればもっと楽しめたかもしれない。
母親が死んだかと思いきや、実は死を偽装して息子の行動を観察する実験をしていたとは!
母親は毒親だが、意外と愛情を搾り出してたり(会社の年表演出は良かった)、
息子はいい子のフリして実は母親を嫌っていたり(会話の端々で匂わせ)、意外と頭は働いてたりと、これはこれでドラマになりそうだが、チン○の化け物を観た後では、真面目に考えるのがバカ馬鹿しくなるw
雑に好きなシーン
・配達員との電話のやり取り
・輩がアパートの部屋に殺到するシーン
・天井のオッサンともみくちゃ→道路でキ○ガイに刺される→轢かれる
・ペンキがぶ飲み
尺が3時間でクソ長いし、ブラックジョークもそんなに面白いか?と思ってこの点数にしたが、、
こんな変な映画も中々お目にかかれないので、やはり劇場で観るのが正解な気がしてきた。
最後が答え合わせ
最初は人が死んでたり常に殺人鬼がいたり、ゾンビみたいな人もいたり、親切にしてくれた夫婦、睨んでくるその息子の友達、娘や、男性器の形をした父やその後の舞台も理解は出来なかったがあれらはボーの自己愛から来る自意識過剰な被害妄想混じりの物で、物語を第三者視点として見るのではなくボート同じ感じ取り方で見ていたからよく分からなかったのだ
裁判のシーンの「物乞いをスルーする」という発言でやっとそれが分かり納得出来た。
裁判のシーンはボー意外の人の目から見たら普通の裁判所で然るべき対応を受けているだけなんだろうが、映画では開けた中央が水で満ちていて、観客席は埋まりボーは壊れかけの船に乗っている、これを状況説明として言うのなら「堕落」や「罪の海に沈みゆく」とも表現できる
それをそのまま映像にしたんじゃないか
この映画のよく分からなさは、監督?の言葉をそのまま映像化する性癖とボーのみが見てる被害妄想じみた物事への捉え方から来てるんじゃないかと思った
子供っぽいなと思っていたのも発達障害だからなんだね
見終わった今も映像や捉え方が面白かったって感想のみでまだよく分かってない、考察とか見てきます✋🐮!
ニューヨークの下町かどこか物騒な界隈に暮らす中年男性ボー(ホアキン...
ニューヨークの下町かどこか物騒な界隈に暮らす中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)。
些細なことが気にかかる神経症的傾向でセラピストにかかっている。
ほぼほぼ自室から出るのもおそろしいくらいなのだ。
ある日、離れた実家で暮らす母親の突然の死を電話で知ってしまう。
それも先ほどまで電話で話していたにも関わらず、シャンデリアが落ちたか何かで頭部が破裂、偶然訪れた配達人が見つけたのだ。
不安で不安で押しつぶされそうなボーは処方された薬を飲もうとするが、「必ず水を使って飲むこと」と言われた薬を飲んだとたん、ペットボトルに水はない、水道からも水は出ないといったことになってしまった。
結果、外へ出たにはいいが、鍵を何者かに盗まれ、施錠できない・・・
という、まぁ落語の噺ではよくあるどうしようもない状況に陥った与太郎みたいなハナシ。
冒頭、ボーの眼から見た生れ出る瞬間のプロローグがあり、先のファーストエピソードにつながるが、ボーはどうにかして母親のもとに戻ろうとして、更なる泥沼にはまっていく・・・
ははん、いわゆる「オデッセイ」ものの変型で、苦難の旅の末に故郷へ戻る物語なのだが、まぁとにかく二進も三進もいかない状況が続く。
それを5つほどのエピソードとして見せていきます。
先のエピソードの最後に車に轢かれたボーは、加害者の外科医師夫婦のもとで療養することになるのが第2幕。
ここも相当ヘンテコだが、第1幕と比べると常識的な感じ。
そこを逃げ出したボーは夜の森の中で昏倒。
旅芝居の一座と遭遇し、舞台と観客が一体となった物語が繰り広げられ、ボー自身のような物語が展開する。
ここが第3幕。
このパートがすこぶる面白く、放浪の旅に出たボーが最終的には妻子のもとへ帰り着く(のでこれまたオデッセイの)物語で、ボー自身は童貞なのに、息子三人が存在するという矛盾の中で舞台劇は決着する。
エロスを拒否したエロス。
タナトスなきエロス。
そんな物語が、アニメーション技術をもって描かれる。
個人的には、このあとにちょっとしたエピローグで映画が終わってもいいなぁと思っていたけれども、それではオデッセイの物語にならない。
どうしても実家にたどり着かねばならない。
というわけで第4幕の実家編。
でここでボー出生の秘密があきらかになるのだけれど、タナトスと背中合わせのエロス。
ボーの父親の正体・・・
あれは面白いのかしらん?
B級映画のようで、腰が砕けた。
さらにエピローグ的な第5幕。
あれれ、これは「最後の審判」?
にしては『トゥルーマン・ショー』みたいな設定で、ますます腰砕け。
実家へ辿りついて、オデッセイの物語は完結したように見えたけれども、そうではなく、子宮から出でた者は子宮に還る、そういう物語なのかなぁ。
よくわからない。
よくわからないが、なんとなくわかってしまうあたりがツマラナイ。
ということで中盤までは異様な快作ということもできるが、終盤は怪作以外のなにものでもないでしょうね。
本作も『哀れなるものたち』と同様、オデッセイものの変型。
ここんところの流行かしらん。
評価は、★★★☆→★★★★→★★と推移して、相対的には★★★(3つ)としておきます。
なお、主人公Beauボーはフランス語では「美しいもの」の意。
母親からみた子どもはBeauそのものという意味での命名でしょうな。
女神復権
ボーの母モナの母性愛は強烈だ。
全能だった時代の大地母神の様に、命を与え、育て、愛し、奪う。
ギリシャなどで時代が下るにつれ、権能を奪われていく女神たちを不憫に思っていたので、本作はいっそ痛快だった。
ラストの審判シーンでのモナの激白は「母」の一面であり、いつ報われるのか嘆く辺りは、母の枠組みを通り越して人間の本質を見た気がした。
監督の前2作の集大成の様な作品で、アリ・アスターの脳内遊園地に迷い込んだ気分だった。
本作には2つのお気に入りがある。
1つは森編だ。ミッドサマーの色彩豊かな映像美で監督のファンになったので。
2つ目はボーがモナの首を絞める時の表情の変化だ。いつもの悲しげな表情から憎悪を煮詰めた眼差しに変わるまで瞬きする間も要さないボー役のホアキン・フェニックスに魅せられた。
次回作もアリ・アスター監督とホアキン・フェニックスのタッグが見られるようなので今から楽しみで仕方がない。
相変わらず…
3時間という昨今では珍しく長い上にアクションでもないため観客が飽きないのかと観る前は不安に思っていたが、そろそろ飽きがくるかなという頃に場面が大きく変わるを何度か繰り返し、その度に結末でのタネ明かしというか全てが最後には分かるのだろうという気持ちにさせてずっと興味関心を引き続けるようにできていたのがさすがというか感心した。
そしてその状態で3時間見続けた結果、結局ワケが分からないまま終わった。
アリ・アスター監督はミッド・サマーもよく分からなかったけど今作はさらになにを描きたいのかなにを伝えたいのか全く分からなかった…
発達障害の人を社会がどう受け止めていくべきかを描いているのか?なんなのか?
ただホアキン・フェニックスの演技はやはり凄かった。
ジョーカーよりも自然で本当にこういう人いるよな、という感じがとても上手い。
ホアキンの演技を見るために観た映画と思えば、3時間ずっと何を観せられていたんだろうという虚無感も少しだけマシになる。
全編が悪夢のブラック映画
ボーは心理カウンセラーで治療を受けています。明日父親の命日で母親に会いに行くことになっています。不安定な心理状態ということで薬処方され部屋をでました。ここまでは普通でした。しかしここからは異様な光景となります。暴力に満ち溢れた野蛮な人達にあふれています。その一角に住んでいるボー。部屋にたどり着き眠りにつくも部屋の外では騒ぎが続いています。翌朝母の元へ出発しますが、ちょっと目を放したことにより鍵と鞄を盗まれてしまいます。そしてカードは利用不可となります。母に行けなくなったことを伝えると母は激怒します。改めて電話をすると母親は死亡したと告げられ直ぐに母の元へいかなければならなくなります。混乱するボー。そこから始まる様々なトラブルと奇妙な人物達が登場します。ボーは翻弄されながらもなんとか母の家にたどり着きます。そこで待ち受けていた衝撃の真実となります。概略を記述すれば異色ロードムービーと思われますがそんな気の利いたものではありません。異様で異常な狂気の展開です。テーマは母性、母親の特性となっています。息子を心から愛して人生の教訓を教える立派な母親と思いきや自分の愛情不足と誤解して過剰となりボーに数々のトラウマを植え付け精神的に苦しめていく母親が描かれています。題名である「ボーはおそれいる」それは狂気に満ちた社会でもそこを取り巻く人々でもなくおそれいるのは母であったというのを鑑賞後に思います。この作品をブラックコメディとなっていますが、そうは思えません。2度3度鑑賞すればそのシュールな笑いが理解できるかもしれませんが、リピートしたいとは思いませんでした。
A24
の世界観満載で、映像も展開も「らしさ」が、いっぱいでした。ただ、自分には少し付いて行きづらい感じでした。何が何に繋がっているのか?結局、ボーはどうなったのか?‥3時間の間、考えながら観てるので疲れました。
全84件中、21~40件目を表示