ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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A24✕アリ・アスターにしてはソフトな作品
相変わらず色々分からないまま終わる、そりゃこの組み合わせならそうだろう。でもヘレディタリーやミッドサマーよりは過激な描写は少ないので、色んな人が見られるかなと(年齢制限あるし理解できるかどうかは別だけど)。
とりあえず何が現実で何が夢なのか判然とせず、言ってしまえば『劇団mw』にひと芝居うたれたボーなのだが、あまりに謎が多すぎる。(たぶん)無意味にフルチンの殺人鬼も、ボーの部屋になだれ込んだ街の連中も、看病してくれた医者一家も、森の中の謎の劇団も、ヒッチハイクで拾ってくれた男も、みんなみんな母親の指示のもとに動いた存在だったのだろうか。屋根裏にいた『父親』を語るマーラ様は幻なのか?最後の裁判シーンはどういうことなのか?少なくともまともな現実世界ではないのだろうなと。
経営者として優秀ながら抑圧的な母親、対してADHD(示唆するシーンあり)で自己決定が苦手で周囲に判断を委ねてばかりの息子、その対立が終盤のテーマになるが、ここがまぁ見ていてしんどくなるほど。親子間でそういった出来事があった人には結構キツイかもしれない。
とりあえずホアキン・フェニックスは『ナポレオン』に引き続き体張って怪演してます。お見事です。
こんな母子、日本の社会に多いんじゃないか
職場の同僚(♀)が、一人息子(高校3年生)を溺愛しており、息子の話ばかり。
幼児のような世話焼きぶり、干渉ぶり、ほとんど残業なしとはいえフルタイム勤務のワーママなのに、生活は彼が快適に過ごせるように細部まで気を配って、夫は空気かむしろ邪魔、ひたすらむしゅこラブでカワイイかわいいって、話聞かされるたびにドン引き。
高校3年生の息子のほうもこういう母に反発ないみたい。
正直、キモチ悪い。
うちは息子ふたりだが、ずっとフルタイムの共働きなのでそこまで世話焼いてないし、男の子はある年令になったら母親をウザがるもんで(そして理不尽なことしか言わない反抗期がある)、それも自立へのステップなんじゃないかと思っている。言わないけど。
気持ち悪すぎてリアクションに困り、彼女とふたりでランチするのは避けています。
人に世話されて当たり前、自己中で自立できない、大人になれないオトコ、こんな感じでできあがるんだろうと想像しました。
母のワンオペ育児に少子化で一人っ子が多い日本は、この同僚や、ボーの母子みたいな家庭が結構あるのでは。
ボーは、多分発達障害。富豪のママは、多分、製薬も含んだ多角的事業を手掛けている。
この母が猛毒。
自己中で息子は所有物、とことん支配する。
息子に自分以外のオンナを近寄らせない気持ち悪いオンナでもある。
息子が自分の意に沿わないことをすれば、一般的観点からなら十分理由があることでも、捻じ曲げてボーに罪悪感をもたせる方向で責め立てる。
常に強迫観念を持って、自分の行動全部が高みにいる神(と母)に見張られて「悪いこと」をすべて把握されている感覚があり、人に合わせるだけで自分がない、とか、いつも謝っているとか、そうやって育ってきたコドモらしいところがてんこ盛り。妄想(多分)の内容もいちいち毒母に支配されてきた男児らしい感じ。クスリのせいもあるでしょうが。
多分、ボーはコドモの頃から精神系のクスリを飲まされており、現在は精神科医付きで母の手の中で一人暮らしなんでしょう
色々出てくるエピソードは多分、ほとんどがボーの極端に偏った妄想だろうがクスリのせいかも。
結局、母の支配から抜け出せずに沈んでしまったようだけど、ヒトらしさも手放すくらいの本格的精神疾患になってしまったということなんだろうか。
現実にこういう人はいると思う。気の毒です。
とにかく長い。
妄想らしく筋が通らん訳の分からないエピソードばかりでストレス溜まって、早く終わらないかばかり思っていました。
水色のペンキ
ボーの日常は、まるで毎日ホラー映画に出演しているかの様な恐怖に支配されていて、彼の様なパラノイアがこの社会でどれだけ生きづらいかを観客が体験できる作りになっていました。
劇中にやたらと出てくるゾンビみたいなジャンキーや異常に攻撃的な人達が、ジャンキーとホームレスが溢れ銃による殺人が頻発している病んだアメリカを象徴していましたよね。フィラデルフィアの街の映像をYouTubeでみたことがありますが、本作にでてきた様に街中ゾンビ(ジャンキー)だらけになっていましたよ。だから、ボーの妄想にもリアルな元ネタがあるのです。
私にはどうにも個人的なボーのストーリーに思えず、アメリカ社会全体の病みをボーの体験に投影させて鑑賞してしまいました。
また、ボーの母親も競争に勝ち抜き経済的には成功していましたが、精神的には孤立し追い詰められていそうでした。皮肉なことに、彼女が息子を《まとも》にしようとしている努力が成功に繋がり、《まとも》ではない息子をますます受け入れられなくなったのではないかと。
ボーは実家が太いからホームレスにはなりませんでしたが、もし母親が居なくなったら《死ぬ》か《ゾンビ》かの2択になります。嫌悪しているけど居なくなったら生きられなくなる相手に支配されるのは、確かに恐ろしい。
たかが実家に帰る無職中年男の話をここまで広げて作品を作り上げる創造力と力量は、アリ・アスターが実母から貰った《才能》というギフトでしょうか?アリ・アスターの母親が毒母であったとしても、彼はボーと違い成功者となりました。これも皮肉ですよね。
ボーに起こったこと全てがボーの妄想かと言われると、私はほぼ自宅のベッドで見ていたボーのリアリティのある妄想じゃないかと思いました。その中で一番怖かったのは、水色のペンキを飲むところ。私には全く思いつかないです、
また、ホアキンのだらしない姿と不安そうな表情がボーのキャラクターにぴったりでした。今一番のっている俳優はホアキンかと思います。
主人公の煉獄の旅
同監督は「ミッドサマー」くらいしか見てないです
今作は理不尽劇がメインでザックリ言えばライトなデイヴィッド・リンチって
印象ですかね。
個人的な考察?みたいな受け止め方としては主人公は序盤の蜘蛛で亡くなるか
瀕死になったんだと思います。
それ以後は主人公の煉獄の旅(水ですがw)だったんじゃないですかね?
ゆえに夢や妄想の類なので警察に行こうとか思わなかったんでしょう
最後の裁判でも翌日以後の事は言われてないですし、母親に関しては生死より
主人公の心の贖罪と言うか引っ掛かりだったんでしょう屋根裏の父は想像出来
なかった異形の象徴とか?まぁ細かく観れば恐らく色々繋がりはあるんで
しょう。ただ主人公自体が運営施設にぶち込まれる人間なので全部偽りで
実は空っぽの人生なのかもしれませんね、個人的にはそんな風に解釈しました。
長いけどこういうのが好きな人にはたまらない一本かと思います。
愛憎劇
父の命日に帰省する予定だったのに
そこから、延々と狂った中年男性の
あやふやな不思議な世界が繰り広げられる。
産まれた時にボーが落下。
この時から母親への恐怖が始まったのかも
しれない。
家の鍵を盗まれたり、全裸で疾走して車に
轢かれる。そして轢いたイカれた家族にお世話に
なりカオス状態。逃げだしし森の中へ。
妄想か現実か分からない劇をみる。
奇抜な人物のオンパレード。
舞台のシーンはオオカミの家の方々が
携わってたんだ。
母と子の愛憎劇をたっぶり味わいました。
ボーが旅に出て少しでも成長してたら
何かしら変わったのかもね。
一つ思うのは母親がずっと恐怖だったの
でしょう。
狂気と幻想にユーモアを添えて
中盤くらいまでなんだ?これ?だったのだけど、娘がペンキ飲んで死ぬところあたりから盛り上がってきて、目が離せなくなった。こんな狂気の沙汰な映画を一般の劇場でやってはいけないと思う。舌触りは、ラースフォントリアーのハウスジャックビルト。落ちも、ハウス〜と同じなはず。ハウス〜と同様、かなり人を選ぶ映画で、人によって大名作かクソ映画かに二分されるかと思う。マライアのオールウェイザビーマイベイビー流しながらセックスするとか、ホント笑っちゃった。意味はわからんが、凄いものを見たな感があり、上映時間3時間は納得。監督の狂った思考にきちんと応えている俳優陣も凄いが、この意味不明な会話を日本語訳した翻訳家の方が凄いと思った。お疲れ様でした。
アリ・アスターらしさ全開
些細なことでもすぐ怖がるボーが怪死した母の元へ帰省するだけの話。ちょっと難しめの話ではあったが、3時間イカレタ映像が続く。
半年前からずっと期待していた今作がついに公開したので、見に行った。感想としては、アリアスターらしさ全開でそこは良かった。前半展開がゆっくりで、「大丈夫!?」って思ったけど、後半は色々やばかった。そのヤバさがアリアスターらしいと感じた。そのヤバいせいで話の筋がいまいちわからないところがあった。後半からは話も普通に面白い。
↓↓↓↓考察?↓↓↓↓
彼は作中で母親離れできていないことがわかる。
彼は「オーガズムによる心雑音が原因で、父親は亡くなった」ことを母親から伝えられ、セックスの恐怖を植え付けられてしまっていた(ラストで、それは嘘だったことが明かされるのだが)。ボーは、他の女性を知らない、純粋な存在のまま。母親は極めて巧妙なやり方で、彼を依存的な幼児のままにすることに成功している。
また、作中にボーの人生を舞台にしたような芝居が出てくるが、あれは妻がいて、子供もいる。だが、母親にコントロールされていなかったらきっと実現できていたであろう。
このように、母親は子供をコントロールすることができ、人生を破壊することだってできるということに母親の狂気を感じた。
で、ラストの結末だが、アリアスター監督なので最高のハッピーエンドなんだろうということは確信していた。過去2作品も最高のハッピーエンドだった。
今回ボーはやっと母親からの支配から抜け出したと思いきや、母親の怒りによって裁判をかけられ、ボードは転覆し、彼は溺死する。
今回もまた、いつも通り最高のハッピーエンドで幕を閉じるのであった。
親子のお話
アリアスターの過去作と比べ抜きん出てわかりづらく、その上長尺なので神経を使いすぎて疲れてしまった。
確信が持てないのであくまでも想像でしかないが、一言で言えば「母親のお仕置き」というところか。
ボーは父親の命日のために実家へ帰省しようとするが、多くのトラブルに遭い予定通りの行動ができなくなってしまう。
が、それは全て母親が仕掛けたある意味テスト?であったということかと思う。
母親は常時ボーを監視ししており、自分を最優先に思い帰省してくれるかを試したのではないだろうか。
自宅のアパートから実家までの道程で起こったトラブルは全て母親が仕組んだ障害であり、出逢った人達も全て会社関係者が演じ(会社の年表にそれぞれの写真があったような)、さながら「トゥルーマン・ショー」のようにそれを大勢の観客が観ており、最後に母親への愛情が疑われ公開裁判で断罪される。
ボーが過度の不安症で定期的にカウンセリングを受けているが、そこで自分の過干渉に対しあまり良い感情を持っていないことを知った母親自身も元々ボーへ不満を持っており(いつまでも自発的に行動できなかったり、子供の頃自分が怪我をしたにも関わらず迷子からわざと出てこなかったりなどで)、なんとなく親子で憎しみあっているような構図が伺える。
ビジネスマンとしては相当有能な母親のようだが、その支配下にいなかった人物として監視されている事を耳打ちしたグレースと、数週間前に母親の会社を辞めたためこの計画を知らずにボーと性交渉を持ってしまったエレインの2人がいるが、エレインに限って言えば家系的に性交渉でオーガズムに達すると死んでしまうという嘘がバレてしまう最悪の計画外を起こし、結果重い罰を与えられてしまう。
名前や地名、またトラブルに関して要所要所で「水」が関係しており最後も水に落ちて死んでしまうが、あれはやはり母親の胎内に戻るというメタファーという事になるのだろうか。
森の中の芝居や童貞なのに3人の男の子がいたり説明できないシーンも山ほどあり結局よくわからず、と言うかわかってもらおうとしてつくってない映画なので、全く分からなくても良い映画だと開き直ってます。
※パンフレット買えばよかったかな。
変わった映画
この映画は以前、NHKの朝番組で紹介され気になっていた映画です。紹介文にもありますが、完全なるコメディスリラーです。
映画を見だしてから気が付いたのですがA24の作品でした。だから出だしはまず不気味です。そして主人公は絶えず怯えています。中盤からはそれが可笑しくなって来ます。しかし時々スリラー部分もあるので、まるでジェットコースターに乗っているようです。
映画を通してこれが現実なのか、主人公の頭の中の物語りなのか釈然としません。それが多分この映画の魅力なのだと思います。また主人公役のホアキンの演技が特筆ものです。まぁそれだけでもある意味観る価値はあるでしょう。
ボーはおそれている
母親を愛さなくてはならないとゆう強迫観念に洗脳された息子ぼーの心象風景??そのダダ漏れを見せられた印象。
街のゾンビ(みたい)に急襲〜事故で家庭看護〜と、森に行くまでの受難は緊張感を持って楽しめましたけど。。 天衣無縫な感じなのは良いのですが。。
結局母親も犠牲者なのですが、やはり交換条件付きの愛を貰う子供の(善意で植え付けられる)プレッシャーは筆舌し難いものかもです。
なるべく作家の系譜を追わないようその作品だけにフォーカスして鑑賞するようにしてますが 調べてみると前前作?の継承から、あれれ?と少し眉唾な印象な監督でした。やはり自分はこの人は苦手なんだなと改めて分かりました。
なんてことない、ウマが合わなかったということで処理した。
笑っていいのかなんなのか
恐れていたことから予想外過ぎることまで、次から次へと災難に見舞われる主人公、最後までなんともシュールでカオスでした。
悲劇的な状況も構図やタイミングなどでコミカルに見せる演出で、笑っていいのかなんなのか。
何でそうなる?、やっぱりか!、そっちかよ!、と笑ってしまう場面もありますが、常に不穏感がありホラー成分が強かったと思います。
やはり、ボー役のホアキン・フェニックスの演技が素晴らしく、シュールな滑稽な状況でも、切実に不安や困惑が伝わるまなざしで、リアルな恐怖と笑いの表裏一体感があります。
ボーの真面目で丁寧な物腰も好感が持てますし、ボーの目線で話が進みこちらも困惑させられます。
なんとかハッピーエンドにならないかと願いましたが…
ストーリーでは色々と分からない部分もありました。
外科医の娘が言っていたテストとは?
外科医の写真が母親のポスターの中にあったようで、外科医は母親の部下でまわし者?、テストは母親の葬儀に何を置いても駆け付けるかどうかのテストという意味なのか?、と一応は解釈しましたが…
他にも理屈では分からない部分があり、序盤からもうボーの妄想、悪夢なのか?という気もします。
が、ラスト、冒頭にループするような終わり方で、全てが生まれる前の胎児の夢、むしろ母親の不安が投影された母親の悪夢(経済的には裕福になれる夢)なのか、というようにも感じました。
胎児の夢と言うと、勝手に「ドグラマグラ」を思い出してしまいましたが。
生まれる前から絶望的な夢か…と思うと辛いですが、あくまで夢なので、現実に生まれ出たら希望もあるかも…と考えたいです。
毒親に支配された子の心象風景……みんなどん底になあれ
アリ・アスターとホアキンのタッグで3時間、と聞いただけで、面白さとしんどさのどちらが上回るか早くも不安になる。今回、私の苦手なグロはかなり控えめだったため割と耐えられた。ただし、ラストの救いのなさは容赦がない。
本作は端的に言えば、毒親持ちの息子・ボーの心象スケッチ、である。どこまでが作中で現実に起こったことかはわからないが、彼の妄想が少なからず紛れ込んでいることは間違いない。荒唐無稽かつシュールな展開でありながら、毒親に支配された心のありように関しての解像度は高い。
序盤、セラピストにかかっているボーが住む街のあまりの治安の悪さに笑ってしまう。実際にあんなとこ住んでたら健常者でも精神を病むでしょ。これはあくまで神経症のボーから見た外の世界ということなのだろうか。薬を服用する描写が、現実との境界線を余計に曖昧にする。終盤で、このエリアは母親が作った更生地区であることが示唆されるが、それでもあの極端な状況は解釈の余地がありそうだ。
置き引きや生活騒音のトラブルなど、出来事の一部のパーツは単体で見れば現実感のあるもので、その不安を生々しく想像できるだけに、余計にうわあ嫌だなあという気分になる。
なんだかんだで車に轢かれたボーが担ぎ込まれたのは、彼を轢いた外科医の家。結論から言うとこの外科医家族は束縛的なボーの母親と通じているという設定で、バイタルの測定器と称してボーにGPSを装着し、病院や警察には連絡しない。夫婦は表面的には明るく親切で理想的な家族だが、彼らの息子が戦死した悲しみにとらわれており、向精神薬を常用し、娘には構わない。隣人は戦争のトラウマで精神に異常をきたしており、監視を察知して逃げ出したボーを追ってくる。
逃げ込んだ森の中で劇団と出会い、劇中劇のシークエンス。「オオカミの家」を手がけたレオン&コシーニャ監督が描き出す風景は、素朴なタッチの中に不気味さを内包していて、アリ・アスターの世界観によく合っている。その風景の中で、ボーはかりそめの堅実な人生を体験するが、自分には息子はいないはず、と気づいて現実に戻る(きつい)。追ってきた精神異常の帰還兵が劇団員たちを射殺。
何とかたどりついた実家でエレインと再会、セックスするも彼女は腹上死(さすがに妄想かな)、壁の写真から自分の出会ってきた人間たちが母の会社の社員であることがわかり(これも陰謀論的な妄想かも)、生きて現れた母親にボーは掴みかかって首を締める。倒れた母の元を離れボートで漕ぎ出してみたら……はい、トゥルーマン・ショーでした。
いやはや、どこからどこまでが現実かはたまたボーの妄想なのかわからないが、少なくとも言えるのは、ボーの目に母親は、中年になってもなお彼の人生全てを支配し得る存在に見えているということだ。毒親によるトラウマの根深さよ。
回想シーンで、バスタブに入ったボーの視界に少年が映る。彼は屋根裏部屋に閉じ込められる。ボーは一人息子のはずである。閉じ込められたのは、いわばボーの分身、彼の魂の伸びやかな部分であるようにも見えた。
終盤、昔腹上死したはずの父親と称して屋根裏にハリボテのような男根が登場するが、あれは母親のミサンドリー(男性嫌悪)の生んだ亡霊のようなものではないだろうか。そもそも、一族の男性が代々腹上死というのも、母がボーに性行為への恐怖を植え付けて男性としての成長を妨げ、いつまでも子供として支配するための嘘かもしれない。父親とは実際は憎しみあって別れたのでは? でなければ、パパは男根ですはないだろう。
ラストシーンの個人的な解釈だが、あれは「毒親の精神的支配を受けた子供は、物理的な束縛を逃れた後も毒親の価値観の呪縛を受け続ける」ということを表しているのではないだろうか。スタジアムはボーの心の中であり、幼い頃から彼を支配してきた母親が原告として内在している。スタジアムの観客は、ボーの受難の傍観者でしかない世間か、あるいは母親の会社の社員たちかもしれない。脳内にこのような状況が形成されると、もはや物理的に母親の元を離れても無駄である。
ボー自身のおこないについて、母親の考えに沿って批判する検察官と、ボーの自我の側に立って抗弁する弁護士が争い続ける。どちらもボーの心が作り出した声だが、最後に弁護士は強制排除され、自分の心の中にさえ味方のいなくなったボーの自我は崩壊する(ボートの転覆)。
支配的な親に抑圧された子供の心の最悪な結末。
さまざまな解釈を呼ぶ要素は多いが、どう考察しても結果としてどんよりした気分になる。とりあえず、アスター監督の「みんな、どん底気分になればいいな」という狙いは実現できているのではないだろうか。
もしかしたら、毒親からの自立に成功した人は、アスター監督に共感を示されたような気がして、過去の苦しみが昇華されたようなある種の癒しを得られるかもしれない。現在進行形で毒親に支配されている人は……ラストがラストだけに、見ない方がいいかも。
精神医学に詳しく無いと
ホアキンフェニックスの顔演技えぐかったです
アリ・アスター監督の相変わらずな親子の不協和音や不和をテーマにした作品で大好き♥
話としては発達障害の引きこもりのボーが回復していく過程を映像化したお話。
この作品は精神医学など詳しくないと内容を汲み取れないし理解出来ないし見ててもカオス過ぎて評価が悪くなるのかな?と感じました
超簡単に言うと病んだボーの脳内を具現化しボー目線で見せてる、下手したら最初から最後までボーの脳内の話?とも取れるし見終わった後考えれば考える程もう一回見たい!って思える作品でした。
・家の状態
・家に乱入してきた人達の存在
・医者の2人の存在やあの家にいた患者らしき数名
・ヒッチハイクで母の家に送り届けてくれた
・母の家にカウンセラー
・屋根裏
・最後のシーン
この内容を理解し汲み取れたらなるほど!って思えるかな。
あとホアキンのホアキン♥が大きかった♥
スリラー?コメディ?
愛されることのない家庭で育った母親は夫もわが子も愛することができない。発達特性のある子は常に自分の行為が母を怒らせているという自己嫌悪の中で生きてきた。母は死に、たった一人の夜の海に出る。もう自分を責める必要はない・・・はずであった。しかし突然、過去の記憶が彼を襲い、彼は人生を終えることになる。ミステリースリラーでもコメディでもない。人のメンタリズムをテーマにしたドラマに思えました。
自分としては、病んだ映画を作らせたら間違いなく№1のA24と「ジョーカー」のホアキン・フェニックスに期待して観ましたが期待以上に病んだ映画でした。
無償の愛という名の究極の自己愛
ミッドサマーよりわかりやすかったと思います。毒親vs息子。息子は愛情の対象であると共に、自分の存在価値を高めるための商品として認識している母親の話。でしょうか。息子はそんな母親の愛情(というか愛情に見せかけた自己愛)と、母に群がる金の亡者という名のスタッフから逃げ続けるという図式ですかね???
そこから冒頭に返ってみると、いろいろと見方が変わってきますが……正直あんまり見返したくないですね、今作。ホアキンファンの方は大喜びでしょうけど。
病んでる人が見てる世界の映像化!(?の所が納得出来ると思います)
いきなりこの映画の大前提の話から入りますが精神が病んでるオッサンが回復していく過程を精神面も含めて映像で見せてる可能性が極めて高いと思います!
更に言うと病んでる原因の部分を家の外に居る変な人たちで表現してるのでそのポイントを押さえながらの鑑賞だと全ての不条理な出来事もほぼ説明がつきますし腑に落ちるんだと思います!(小さい時に好きになった女の子のシーンは実際のシーンで母親の家で合うシーンは実際に会ってはいないでしょうね)
そこが分かった上で見てると訳分からん展開でなんなのよ?ってならずに面白く3時間過ごせるんですがその説明が一切無いからストレートに見た映像をそのまま理解しようとしても答えに辿り着くハードルがやたら高くて訳わからないまま3時間見る羽目になるのでキツイですよねー。
あと主演の男優の〇〇が映る作品てイースタンプロミスのヴィゴモーテンセン(劇場で叔母さま達があらあ!!!!って声出してました笑笑笑 とボーのホアキンくらいしか見た事無いです)
病んでいて全てに対して不安で自分のやってる事って罪かもって思い続けて居て(母親のベッドで昔好きだった女の子と〇〇するシーンや騒音出して無いのに因縁つけられて逆に騒音出されて一切寝れなかった上に家のカギを盗まれて飛行機に乗り遅れたり死んだ母親って頭が無いとか大事なモノは屋根裏にあるとか色々暗示になってるようなキーワードだらけです!しかもフロイトなどの夢診断みたいな本などでも遅刻などの夢って心配事の象徴だったりするのでイチイチ全てに対して無限に心配し続けているのが読み取れます)心配だからずーっとボーはすいません すいません ごめんなさいって謝ってるんですよねぇー!(心配ばかりしてるから余計に病気も進行しますわなそりゃ)
それで更に極端な話になりますが最初から最後までボーの脳内の出来事だけだった可能性すらあります。
最初の方で家の中に色んな変な人達が侵入して来るっていうのは普通に脳内のパニックを視覚化してるといえますし(自分のアパートにそいつらが侵入して来てメチャクチャに荒らされるとか病んで解離した自分たちにめちゃくちゃにされている場面で精神面が悪化して重症化してるのを映像化してますがここのカオスな展開と強烈な描写は浦安鉄筋家族くらい豪快なエピソードで大爆笑しました) 家の外に出ようとして頑張ってる場面も引きこもりが頑張って家から出ようとしてるけど外の世界が荒れててヤバいやつも沢山いるし(全裸殺人鬼が1番精神面を悪くしてるボスだからそいつにメッタ刺しにされた事で心にトドメを刺されてますよね)家から出たく無いし嫌だって言う風に見せる事で精神世界を分かり安く映像として見せてますし(車に惹かれた後に医者の家に居ますが精神状態が悪化した後に病院に入院してるというのを視覚化してるだけですね(そこにいる娘がボーにKPOPのアイドルの写真だらけの自分の部屋に居ていいよとか言ったり(アイドルは偶像なのでそれを好きになる事がボーの宗教では罪なのでアイドルの写真に囲まれている事で病気がまだ全然治って無いのを表してます)おそらく大麻を吸わせたりしていますがそれも病気のままでいいんだよお前はって悪の回復させたくない自分を表してますし最後に医者の娘が水色のペンキを飲んで死ぬシーンもボーが投薬治療で回復してきてるのを表しています)
まあ最後は結局回復したというのを悪い自分が裁判にかけられて居なくなる場面で見せてますがそこに気づかないと1ミクロン足りとも理解出来ないわけわからん作品となってしまうので(見たままの映像をそのまま理解しようとしても絶対に病んだ精神面を映像で見てるってのはマジで分かり辛いので考察というよりは 精神的な病気などにかなり詳しく無いと理解出来ない内容だと思うので評価としては悪く言われる割合が圧倒的に高いと思いますね)
あと色んな分岐点で意識を失うのも含めて妄想から現実世界に戻って来てるのを表していると思われますし自分の理論もあながち間違いでは無いとは思いますよ!
あとこの監督は一貫して親と子の不和などをテーマにしていて家庭で過去になにがあったのよ?って言いたくなるような内容ばかりで大好き過ぎて困ります!
あと何でも無いようなシーンで不安になるような緊張感のあるカメラワークと音響の場面も多くて変にドキドキさせられますね! 最後の家に着いた場面も最初の汚くて古いアパートから綺麗な家に辿り着いた事で精神面の安定を表していてそこで自分を改めて振り返る為の年表と写真があって(冷静に自分の過去を振りかえる事が出来るようになっていますのでいよいよ病が治って来てるのを上手く表していましたね!)病んでる人の脳内の視覚化でいうとMEN同じ顔の男たちと同じ手法のカウンセリング回復映画ではありますがボーのほうがよりそこに気づきづらい内容にはなってると思います。
あと同じ様な手法の作品だとアイデンティティーが近いですね!
あと思ったのが精神科の先生やカウンセリングのプロのアドバイザーとかいるんでしょうね。
あと監督がインタビューで3時間の作品にした理由で膀胱にダメージ与えたかったと言ってて更には苦痛を長く観客に与えるのも理由の一つと言っておりとても信用できる監督だなあと思いました笑
最後にナポレオン!ジョーカー!グラディエーターの悪いやつ!ボーが同じ人物って凄✖️10やんけ!
終演
ボーが可哀想でつらい
ボーに、酷い事が色んな角度から襲い掛かる。
母親、アパート住民、周辺住民、大家、環境、関わったいやに親切な医師や奥さん、若い女性達、過去に恋愛ごっこ的関係のあったボーの家目当てっぽい女性、元軍人、父親、カウンセラー、母親、
母親との関係で、
「めちゃくちゃそれ分かる」
ってなる人には、とてもつらい映画かもしれない。
男性の周辺にある地獄的な印象もある。
セックスシーン、小さい男の子が怖がってるようにも見えて、
でも成人男性の体を持ったボーは、快感も拾ってしまって、
幼い感性でありがとうみたいなこと言うけど、
初めてのことに感謝もあるんだろうけど、
相手は死んじゃうし、
全体的に地獄の煮凝りって感じだったけど、
僕はあそこが一番悲しかった。
オープニングと、エンディングの映像が良かった。
ボーが、どこか幼いままで大きくなってしまった大人。といった様子で。
それがまた。
シニカル?というよりはクレバー?俯瞰的な感じもするけど、ボーに寄り添いながらカメラは回っていて、
丁寧で優しい視線の作品だな。と思いました。
アリアスター監督の作品が好きだな、と改めて思った。
コミカルで、現実じゃ無いみたいで、でも現実ともリンクした地獄。を、ボーという人の視点からみた話。だったのかな。と、思いました。
次回作も、もう観たいです。早く観たい。
でも、ボーももうちょっとちゃんと味わいたい。
Crazy Days Crazy Feeling
今週は…これくらいかなー
久々の洋画だなーという感じで観賞
アリ・アスター監督作品
「ミッドサマー」はスクリーンで
観ましたしとにかく心理的生理的
嫌悪感をテーマにしたがる人ね
というイメージ
で今作はどうだったか
親からのDVをきっかけに
不安障害にさいなまれるボーの
心象風景や心理を描写し続け
どこまでが現実で空想か
怪しくする造り
それがねぇ…
ヤマを感じなくて羅列
みたいな感じで想像以上に
退屈でした
ミッドサマーはプロセスが
明解だったんで観れましたが
描写ばかりで奥行きがない感じ
そもそもボーの暮らす街
めちゃめちゃカオスなんですが
あれも現実ではないんだろうな
ってわかっちゃうんですよね
ここでスリルがすっかりなくなって
しまいました
ああもうなんでもありなんだなって
評価はしようがありません
ゲージツ的なビジュアルを
褒めるしかないんでしょうが
バービーとかでもう見た感じの
やつとか目新しさは感じなかった
油彩みたいに塗ってく表現って
CMっぽく見えるよね
A24の映画って
何本か観ましたけどみんな
意識高い系なかんじで
わからん人には結構みたいな
突き放した作りが
イヤですね
今後は避けようと思います
「不安」や「不快」は堪能できるが、3時間は長過ぎる
くぐもった話し声と断続的な騒音が聞こえてくる真っ暗な画面が、生まれる時の赤ん坊の主観映像であることが明らかになってくるオープニングに、まず驚かされる。
この赤ん坊は、床に落とされて頭を打ったらしいのだが、これが、この物語の主人公だとすると、彼が経験する不条理な災難の数々は、脳に障害を負った者が見る妄想なのかもしれないという仮説が成り立つ。
実際、彼が住んでいた街の治安の悪さは、笑ってしまうほど現実味がないし、その後の展開も支離滅裂で、一貫した論理の整合性もなく、まるで夢か幻覚のような雰囲気が漂っている。
身に覚えがないのに夜中に音楽がうるさいと文句を言われたり、無抵抗なのに警官から撃たれそうになったり、葬式に来ないことは母親を辱めることだと責められたり、親切だった婦人に戦死した息子に成り代わろうとしていると疑われたりと、強迫観念に囚われている人の感覚とは、まさにこういうものなのだろうとも思わされる。
ようやくと実家にたどり着いた主人公が出会う人々も突拍子もなく、初恋の人と結ばれて主人公が死ぬのかと思ったら、「そっちの方か!」とはぐらかされたり、すべては死んだはずの母親が、主人公の愛を試すために仕組んだことだと分かったりするのだが、それでもどこか現実離れした違和感が残り続ける。
屋根裏に幽閉されていた主人公の父親が男性器の化け物だったり、主人公がスタジアムのような場所でボートに乗ったまま裁判に掛けられたりといったファンタジー色の強い場面が登場するに至り、「すべては主人公の妄想だ」という仮説は確信に変わるのだが、それでも、最後までそうした真相が説明されることはない。
オチもタネ明かしもないまま、見た者に解釈を委ねるのは、それはそれでいいのだが、ようやくとエンディングを迎えるのかと思いきや、延々とエピソードが続く展開には、少々うんざりさせられた。
その一方で、まるで、なかなか目が醒めないまま、悪夢を見続けるような感覚も味わえるのだが・・・
抽象的で何を意味してるのかよくわからなかった
んー、現実だか妄想だか区別がつかないシーンが多く、判断は観客にお任せって映画だな。俺的にはボーは最初のシーンで全裸殺人鬼に殺されていて、その後のシーンは死んだボーがあの世に行くまでに人生を振り返りながら裁きを受けているような状態なのかな、と思う。何も断定的な情報がない映画なのでわからないが。途中でボートの上で倒れてるシーンチラッとあったから多分死んでる。
んー、3時間は長かった。どこに進んでるかわからないシナリオ。抽象的で俺には理解が追いつかなかった。でも悪くはなかった。星3.7,.俺に深い洞察力があれば星4だったろうな。
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